2017年6月24日 (土)

ちょっと前のバンコク

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<渡し船>MZ-3/FA35mm

今から10年以上前、バンコクエアウェイズとラオス航空の周遊チケットを使い、チェンマイ、ルアンパバーン、ビエンチャンとまわってきました。

まだバンコクの空港はドンムアンだけだったし、周遊チケットで就航している飛行機はATR72というプロペラ機だけでした。ルアンパバーンも静かなものでした。

当時のメインカメラはやっぱりPENTAXでしたが、デジイチではなくフィルムカメラでした。現像してきたものを自宅でスキャナーを使いデジタル化します。解像度が低いもので、フィルムだけはポジとかリバーサルと呼ばれるスライド用のものを使用します。36枚撮りで1本1000円以上します。

そういう状況でもいいなと思ったものはシャッターを切ります。ビエンチャンで奇跡的にリバーサルが販売されていましたが、バンコクに到着したら撮りきってしまい、予備のモノクロームで撮影です。

これはワット・アルンに向かう渡し船ですね。まるでPUNCHの曲のように寄り添う男女が写り込んでいます。

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<ワット・アルン>MZ-3/FA35mm

入場料25バーツくらいでしたかね。まあ安いものです。今は少なくなった日本人観光客ですが、ここだけは今でも日本語の説明をするガイドがいますね。

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<ファラン像>MZ-3/FA35mm

ワット・アルンから渡し船乗り場に向かう途中にちょっと不思議な石像が並んでいるところがあります。明らかに「ガイジン」です。

モノクロームですとこんなにシンプルです。今でもデジカメでモノクロームの設定ができますし、あとで加工してモノトーンにすることも可能です。でも、解像度はだいぶ違いますね。こういうフィルムを数本スキャンするだけでも1日がかりだったりします。

もうスキャナーは動かないし、フィルムにこだわったあの頃はなんだったんでしょうか。もう戻れませんね。

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<チャオプラヤーエクスプレスボート>IXY DIGITAL 500

食事・スナップ用のコンデジもキヤノンです。ストレージもないですから最低画質です。当時まだSDカードは販売されてなくて、厚みのあるコンパクトフラッシュです。かなり高額だったので予備もありません。

料金徴収係の制服も替わりました。たぶん市バスの車掌と同じ制服だと思いますが、現在の市バスの車掌も制服が替わったかな。

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<まずビール>IXY DIGITAL 500

昼食だったと思います。場所は思い出せなかったのですが、グラスのロゴでわかりました。現在のセントラルワールド、当時はワールドトレードセンターですかね。そこのシーファー(世界)です。

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<サテ>IXY DIGITAL

つまみに頼んだらトーストまで付いてきました。右側はタレでしょうか。予備のカードがありませんから、食べ物も角度を変えてとか、思いっきり迫ってなどできません。1回撮ったら終わりです。詳細がわかりにくいですね。

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<パッタイ>IXY DIGITAL 500

この程度の食事をするのに、レストランに入っています。今だったら、食堂ですね。でも、スクムウィット界隈では探すのに苦労します。

でも、プロンポンにイムちゃんという激安食堂ができたようで、楽しみです。

確実に300バーツくらい取られているんですが、あまり気にしなかったですね。レートもかなりよかったし。

よーし、あと1ヶ月くらいだ。

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2017年6月22日 (木)

実はゾロアスター教徒

かすてら音楽夜話Vol.43

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<クンバコーナム>K-/DA16-50mm

インドといえば良くも悪くも個性的でねっとりとした情熱で人間関係を迫られる国です。

ま、どちらかというと、アーリア人主体の北インドの方がその傾向が強く、タミル・ドラビダ人主体の南インドの方がその傾向が薄まります。タミル・ドラビダ人は先住民で、アーリア人は中央アジアからやって来た人たちです。ヨーロッパ系ともいわれますね。

アーリア人がヒンドゥ文化を花開かせたことは間違いなく、南インドも現在はヒンドゥ主体なんですがヒンドゥの神々の成り立ちや構成、関係なども北とは異なっています。

また、ヒンドゥ以外にもインドには別の宗教もあって、たとえインド人の1%という構成であっても1000万人以上の信者がいることになります。ムスリムはけっこう多数派ですが、シク教、ジャイナ教、ゾロアスター教(パールーシー)などなど。

シクのおぢさんなどはもうお馴染み。ジャイナ教徒は完全菜食で厳しい戒律を守るためにかなり裕福でないと信者でいられないとか。

ゾロアスター教徒。この人たちばかりは出会ったことがありません。なんでもムンバイのあるところには「沈黙の塔」があって、亡くなったゾロアスター教徒はここで鳥葬されるそうです。あの、タタ財閥の創始者はゾロアスター教徒だったそうですよ。

つうことで、いきなりQueenなんですが、若いですね。

フレディ・マーキュリー。もう亡くなって26年です。享年45歳。

クイーンのデビュー当時は日本の女子にかなりの人気があり、まさかフレディがゲイ(つーか両刀遣い)であるとは誰も知らなかったのでは。

映像で見ると、ドラムスのロジャー・テイラーと人気を二分するようなところがありますね。

ギターのブライアン・メイはギターを自作してしまうような人で、超絶なテクニックが売り物です。

ベースのジョン・ディーコンはいかにも地味です。このプロモーションビデオでもひとりだけセーターなんか着ています。

ちなみにライブ映像的に見えますが音源はアルバムからで彼らは演技をしているだけです。

フレディはボーカルだけじゃなくキーボード担当でもあるのですね。でもまあ、ほぼ彼の歌がないと成立しないバンドですから、途中でマイクを持って楽器から離れてしまいますね。

そのフレディなんですが、出身地はアフリカのザンジバル。現在のタンザニアです。タンガニーカ(大陸部)とザンジバル(島)が一緒になった国です。で、両親がペルシャ系インド人でゾロアスター教徒です。ちなみにビリー・ジョエルに「ザンジバル」という曲があります。

両親のルーツはグジャラート州にあって、父親の仕事の関係でザンジバル(当時イギリス領)で生まれたそうです。その後ムンバイの全寮制のイギリス式寄宿学校で学びましたが、ザンジバルで革命が起こりイギリスに移住したそうです。

本名ファルーク・バルサラ。

YouTubeの映像の頃は髪もほど長く、さほど肉体を誇示するようなものではありませんでしたが、後年レザースーツやタイツを着用し、タンクトップや上半身裸などの衣装に変わっていきました。髪も思いっきり短くし、アルバム『The Game』の頃、「あ、なんか前のイメージと違う」と気づいたものです。

フレディの病状が公表され、たぶんその翌日には死去が発表されたと思います。いやまあ、天才の命は短いですよね。

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2017年6月20日 (火)

台北のサンルート

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<台北>K-7/DA16-50mm

今から4年ほど前の台北です。現在の民国紀元は民国106年。このプレートは8年ほど前に埋め込まれたようです。

桃園国際空港から台北までの鉄道(MRT)が開通したようです。わたしゃ、冬に台湾を訪れたのですが、まだMRTが開通していなくて、高雄を基点にしました。

それまでの桃園空港と台北のアクセスは結構大変でした。

初めて台湾を訪れた2001年、長榮バスを使いました。当時は桃園ではなく台北中正国際空港と呼ばれていましたが、現在の国光客運は国営でその他に3社くらいのバスが空港に乗り入れていました。

国営バスは台北車站行きです。その他のバスはいろいろなルートを通りますが、当時台北に駐在していた知り合いの情報により、宿泊予定のホテル近くを通るバスにしたのです。長榮バスとはエバー航空のバスですね。

帰りは朝早く、台北車站まで出て国営バスの予定でしたが、朝早すぎてまだMRTが走っていません。というか、駅への入口にシャッターがかかっていました。しょうがないので、近くのタクシーに台北車站までというと、「チャンカイシク(蒋介石=台北中正国際空港のことです)、OK」などといわれ、まあいいかとなってしまいました。

2回目も宿泊ホテル近くにストップする大有バスを使いました。帰りは前回の経験があったので、宿で送迎を頼んだと思います。

3回目は夜便だったので、バスもありましたが、タクシーになびいてしまいました。帰りはほぼ始発の高鐵で桃園まで出て、空港バスでした。

その3回目の台北。もう駐在員はいないので情報がなく、国光客運以外のバスは使えません。国光客運で台北車站に出てもまたMRT乗り換えなので、めんどくせーとか思って、大枚をはたきます。

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<客室>GR DIGITAL

この時の宿がホテル・サンルート。日本のチェーンホテルです。もう、かなり遅い時間で午後9時くらいだったでしょうか。フロントは日本語が可能です。

ダブルベッドのひとり利用ですが、日本のビジネスホテルよりは広めかと思います。もっとも、日本のサンルートに泊まったことがないのですが。

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<一通り揃う>GR DIGITAL

高級感はほとんどないのですが、冷蔵庫に電気ポット、テレビなど一通りのものは揃っています。ネット環境は有線LANでした。でも、記事のアップができません。

ここには大戸屋が入り、この時間でもまだあいていましたが、近くのコンビニで飲み物と食べ物を購入しました。

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<バスルーム>GR DIGITAL

狭いながらもバスタブ付きです。

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<ウォシュレット付き>GR DIGITAL

これがあるのはまだ珍しいのではないでしょうか。そして、こういう作りですから台湾で日本人を悩ます、「トイレの中にトイレットペーパーの投入禁止」の注意書きがありません。このあたりは日本のスタンダード。

聞くところによると、配水管が狭いのでよく詰まるとのことなんですが、ペーパーが水に溶けにくいとか。台湾でも衛生面の配慮がでてきて、最近投げ捨て禁止がだいぶ緩和されてきた模様です。

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<朝からやってる夜市>K-7/DA16-50mm

朝食は付かないプランにしたので、近くの夜市で食べます。規模は小さいですが、こういうところがあるのは便利です。

結局記事はフロント近くのテーブルでWiFiを拾い、アップできました。今だったら、テザリングでできますね。でも、当時はスマホがなかったです。

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2017年6月18日 (日)

モロッコ・アガディールでシーフード

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<アガディールの海岸>MZ-3/FA28-105mm

今から12年ほど前のモロッコ話。冬場でしたが割と長く休むことができて、カサブランカからマラケシュ、ワルザザード、タルーダントと立ち寄り、大西洋岸のアガディールまでやって来ました。

タルーダントからアガディールまではグランタクシーに乗りました。グランタクシーとは大型のメルセデス(といっても10年落ち以上のポンコツ)に客を6名乗せる乗り物です。ごく普通のセダンなので、定員は5名で運転席を除くと4名分しかシートがないのですが、そこに無理矢理6名積み込みます。

後ろの3名分のシートに4名。助手席に2名という具合。モロッコ人、決して小柄ではありません。わたしゃ、助手席に座りましたが、大柄な男性と席をシェアし、ドアに押しつけられるようにしてアガディールまで耐えました。発進するとき、中からはドアが閉まりません。ドライバーが降りて外からドアを閉めます。

そんな苦労をしながらでしたが、宿もまあまあのところが見つかります。

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<客室>IXY DIGITAL 500

正真正銘のシングルルームです。洗面台とビデが見えます。その横のドアはシャワー室につながっているのですが、トイレだけは外で共同です。

こういうところ多いんですよね。シャワーも外で共同というところがありますが、冬場のモロッコはかなり冷え込みますから、中でシャワーを使えるだけでもありがたいですか。

このあと、2年後にもモロッコを訪れていますが、あまり変わりません。2回共同シャワーの宿を使いましたが、鍵を借りるのが面倒です。オマケに使用料を支払います。これ以来、共同シャワーは使っていませんし、部屋にシャワーのある宿を取るようにしています。今じゃどうなんでしょうね。

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<昼食>IXY DIGITAL 500

海に面していますから、ちょっと豪華に昼食とします。レストランなんですが、ビールは置いてありません。従って、アラビア文字の書かれたコカコーラです。

パンは美味いです。モロッコはフランスの影響があるのか、美味いパンを作ります。元々あるアラブパンも美味いです。

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<魚介スープ>IXY DIGITAL 500

何を使っているのかまったく見当も付かないスープです。すべてがミキサーですりつぶされています。

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<焼いたバゲットとチーズ>IXY DIGITAL 500

それをこれで食べます。これがいけるんです。

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<焼き魚>IXY DIGITAL 500

シンプルにオリーブ油で焼いたものです。魚の種類はなんでしょうね。今となっては忘れましたが、白身の魚です。

宿も1泊2000円程度だったかな。料理も1000円しないと思いました。

今だったら、コストパフォーマンスを追い求めますが。

この時の旅行では最後のカサブランカの宿しか予約していません。あとはすべて飛び込みです。最初に到着したカサブランカでも、駅前のIbisに飛び込みでした。

まあ、当時は日本人に知られた宿の予約サイトはアップルワールドくらいで、かなり情報が少なかったです。今じゃ、ゴロゴロ出てくるでしょうが。

☆まさにネタ切れ。たまに、こんな旅も紹介するかもしれません。

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2017年6月16日 (金)

1年前のラマダン

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<イフタール>GR DIGITAL

日本橋界隈でパキスタンの料理を頂いたのは1年ほど前のことです。

パキスタンには行ったことがあるんですが、もう20年以上前です。あの頃はイスラム原理主義も活発じゃなかったし、なんにも問題はありませんでした。

料理を食べながらパキスタンの想い出にふけってみます。何しろ画像がないんですよ。デジタルカメラは存在したでしょうが、パソコンさえ持っていませんでしたし。フィルムカメラです。

これは日中の断食明けのイフタールセットです。手前にはデーツがあります。小皿に盛られたのは甘く煮込んだフルーツです。パキスタンはほぼ乾燥していますから、ブドウもあります。ほとんどはドライフルーツになります。

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<ローズ味のラッシー>GR DIGITAL

めちゃくちゃ甘いです。酒の飲めない国ならではでしょうか。

ワタクシは中国からパキスタン入りしました。カラコルムハイウェーを使い、クンジュラブ峠からフンザへとやって来ました。周囲は8000メートル級の山と氷河が連なります。

クンジュラブ峠が4693mですが、そのあたりだけが標高が高く、幸い高山病にはなりませんでした。夕食は中国から脱すると米がなくなります。ビールとか欲しいんですが、ありません。でも、夕食のレストランにはノンアルコールビールがありました。ラベルをよく見るとオランダ製。わざわざ輸入しているんですね。劇的に不味いんですが、みんなこれで我慢していました。

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<デーギーチキン>GR DIGITAL

パキスタンはインドと違って、ベジやノンベジの区別がありません。一般的には平気に肉がでます。これは丸ごと素揚げしてから蒸した料理だそうです。美味いです。こんな味には出会いませんでしたね。

ほぼ毎日同じような料理です。インドのナーンとは異なるナーンが主食です。主にダールのような豆の入ったカレーの色のスープが付きます。まるで辛くありません。あとは肉です。ほぼ野菜がありません。果物は豊富にありました。

毎日ノンアルコールビールなんですが、フンザからギルギット、ベシャムと下っていきます。そのベシャムの宿では、管理人が日本に出稼ぎに行ったことのある人物で、こっそりとアルコール分のある「フンザパニ」を出してくれました。どうやら杏あたりから作る果実酒らしいのですが、はっきりいって不味いです。

どうもこの人物は日本で酒の味を覚えてしまったらしく、こっそりと入手しているようです。

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<アル・ゴーシュト>GR DIGITAL

ジャガイモと羊肉のカレーです。食べやすいですが、辛くありません。そしてちょっと上品な味です。こんな料理は出ませんでしたね。しっかりと脂がでてます。ということはしつこいですね。まさに、ムスリム向けということでしょうか。

ツアーでしたから、各地で日本語を話す人物も登場します。彼らの話を統括するとだいたいアルコール好きになってしまい、こっそりとアルコールを入手するようです。

でも、パキスタンは国内でウイスキーやラムなどを作っているんです。ビールもです。これらは外国人向けの高級ホテルのバーでのみ提供されるんです。しかし、アルコール度数がかなり高く、風味がほとんどありません。不味いです。確実に悪酔いしそうです。

そんなワタクシでしたが、途中で腹をこわしてしまいました。食べるものはギトギトの料理ですから、ナーンくらいしか食べることができません。スワート渓谷のセレナホテルに到着し、洋食が用意されていたので、なんとか助かりました。

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<ナーン>GR DIGITAL

これです。まるでピザ生地のような風味があります。タンドリー窯で焼くのは変わらないでしょう。

「飲酒可能バー」があったのはペシャワールのホテルでした。予定ではパキスタン領内であるはずのカイバル峠まで行くはずですが、許可がおりませんでした。

ペシャワール市内にはかなりのアフガン難民があふれていました。そして、街中にもかかわらず、銃砲店がやたらとあります。我々はツアーでしたので、一般人の入るレストランや交通機関とは無縁です。個人で来ていたら、平気でライフルなどを手にした人たちと一緒に食事などをしたに違いありません。

いやー、今だったら無理矢理酒を飲まなくても、食事を楽しめるような気はします。でも、ものすごく治安が悪いんですよね。アフガンルート以外の砂漠を通るルートでイランに抜けたいものですが、いったいいつになることやら。

ちなみに料理を頂いた店はナワブというお店でした。

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2017年6月14日 (水)

平仮名「の」に見る台湾的使用法

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<三鳳宮>K-7/DA15mm

台湾は日清戦争後50年間日本の植民地でした。少し前だと流暢に日本語を話すお年寄りも多く、日本語や日本の文化がどこよりも定着したところといえました。

たくあんがあったり、日式カレーがあったり、いなり寿司があったりします。畳屋もあるし、天ぷら、おでんもあるし。「おじさん」「おばさん」「父さん」など台湾語に入り込んだ言葉もあるくらいです。

高雄駅前には日本料理もどきの店がたくさんあります。

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<幸福の麺屋>GR DIGITAL

夜市から戻り食い足りないのでこの店に入りました。最初は日本料理かと思ったくらいです。

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<夕食の追加>GR DIGITAL

そこはレジで前払いです。写真入りのメニューがテーブルに置いてあり、欲しいものを赤ペンでチェックし、個数を書き込み精算します。言葉ができなくとも簡単です。こういうタイプは台湾ではごく普通で、このシステムをタイで導入すれば、場末の食堂にも簡単に外国人が来るようになると思いますが。辛さ調節なんかも唐辛子マークをいくつ塗りつぶすとか工夫すれば、庶民の味をタイ初心者でも味わうことができるんですけど。

注文したのは餛飩麺、湯青菜、魯蛋です。

麺はうどんみたいな文字を書きますが、ワンタン麺です。香港や広東と違い、「雲呑」の文字を当てません。それに、湯がいた青菜と煮卵です。

どうってことないのですが、安心できる味です。

幸福の麺屋。「の」という平仮名を使います。これは台湾で日本語がある程度定着していたから用いられたのでしょうか。では、台湾人はそのまま「の」と発音しているのでしょうか。謎です。

台湾では「の」はごく普通に用いられているようです。

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<茶の魔手>GR DIGITAL

これもそうですね。

香港でも「優の良品」という食品を売る店があります。確か台湾にも進出していたような。

「の」をなんと読むかわからないのですが、「の」=「的」が直訳でしょうか。

あとは書きやすい、読みやすいということもありそうです。あとはちょっとかっこいいとか。

よくわかりませんが、反日バリバリな大陸では絶対に使われないだろうなということだけはわかります。

んー、ミステリー。どなたか教えてください。

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2017年6月12日 (月)

雨で近くのレストラン

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<ハノイ>K-7/DA50-200mm

昨年夏に最後に訪れたベトナム。「ディエンビエンフー」という名の通り。第二次世界大戦後、フランスは再びベトナムにやって来ました。しかし、ホー・チ・ミン率いる北ベトナムがこれを迎え撃ったのです。

武器や戦力を考えると無謀な戦いでした。しかし、山の上に人海戦術で武器を運ぶというホー・チ・ミンの作戦のもとに、フランスは多大な被害を被り、ベトナムから撤退することになります。そのフランスを破ったのがディエンビエンフーというところです。

この通りはホー・チ・ミン廟に続きます。また、この戦いを取材したのがロバート・キャパ。キャパは取材から戻ろうとし、地雷を踏んで亡くなりました。このような縁があり、沢木耕太郎氏もベトナムを訪れたのでした。

ハノイ最終日、午後からはものすごいスコールとなりました。ちっとも止みません。宿に釘付けです。夕食は仕方ないので、通りを挟んだレストランに行くことにしました。宿の前の通りは一方通行でクルマ2台がやっと通れるくらいです。せいぜい5メートルほどです。土砂降りの中、クルマが途切れるのを待ち、走ってレストランに駆け込みます。

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<ブンチャーもどき>GR DIGITAL

割と感じのいいところに見えました。朝、まだ客の来ない時間だというのに、女性店員が窓を磨いています。

ここなら、という期待がありましたが、「できない」料理が多すぎます。バーベキューのセットにします。

前菜はやや量を抑えめのブンチャーでした。焼き肉は付かず、肉団子のみ。それでも一応の水準は保っていましたが。

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<メイン>GR DIGITAL

バーベキューとはこれでした。スペアリブにタレを塗って甘辛く焼いたものです。美味かったですが、スペアリブってやっぱり肉が少ないんですよね。苦労する割りにはあまり満腹しないという食べ物です。

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<デザート>GR DIGITAL

しょうがないので、デザートを頼みました。焼きりんごのクレープ包みです。美味しいですが、コースとしてのトータル性ゼロです。

スコールが来なかったら、ハノイ駅近くのビンミンにでも出向いたのですが。あるいは、路上の山羊肉の焼き肉とか。

お代は25.5万ドン。スコールが来なかったら、その半分くらいで満足できたでしょう。

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<この料理>GR DIGITAL

ところで、以前やはりハノイのレストランで食べた「生春巻き」を紹介しました。生春巻きは嫌いなんだけど、ここのは美味いと書いたはずです。

生春巻きはベトナムではライスペーパーを使います。ライスペーパーはとても薄くできていて、中身が確認できるくらい透き通っています。

でも、これはどうよ。気になってその後ベトナムの料理に詳しいサイトで調べてみました。

ライスペーパーの大きさではなく、極太。これはなんと、裁断する前のフォーで具を巻いたものなんだそうです。そのせいか、皮はモチモチです。

これで、B級だったら路上で味わえるのですが、それは難しそう。でも、満足できる味ですから、見つけたら食べるべきかも。

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2017年6月10日 (土)

高円寺なのにそこはベトナム

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<デタム通り>K-7/DA50-200mm

またしてもヤムの会のオフです。

その直前までインドシナ半島の3国を旅行中でした。中でも印象に強く残ったのはベトナムでした。

ホーチミン(サイゴン)の通りのひとつ奥にはクルマの入り込むことのできない狭い路地が迷路のように張り巡らされていました。

高円寺駅近くにその店はあると聞きました。スマホで店を検索してみると大一市場という中にあるといいます。八百屋の脇を通っていきます。人がすれ違うのがやっとな脇道です。これでバイクが我が物顔で通り抜けようとすれば、ベトナムそのもの。

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<ビンミン>GR DIGITAL

市場は現在は使われなくなっていて、いくつかの飲食店が入っています。そこの一角にあったのがビンミン東京支店です。

そう、ビンミンの本店はハノイにあるんです。ハノイ滞在中一度は訪れる予定でしたが、とんでもないスコールに諦めざるを得ませんでした。ここでリベンジです。

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<ビアハノイ>GR DIGITAL

ベトナムのビールはほとんどあります。ハノイビールを注文しました。ブンチャーの店ダッキムで頼んだ味そのものです。

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<焼き物>GR DIGITAL

左からイカ脚。砂肝。ワタクシが頼みました。右の3つは鶏脚。豪快に焼かれます。はじめから唐辛子の粉末が振りかけられています。このほかにもありましたが、美味いです。

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<豆腐サラダ>GR DIGITAL

パクチーたっぷりです。いや、ベトナムでは「パクチー」とは呼ばないか。これも美味い。

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<パパイヤサラダ>GR DIGITAL

ビール追加注文しましょうか。

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<揚げ春巻き>GR DIGITAL

しっかりライスペーパーで作ってあります。タレはヌクマムベースですね。ライスペーパーは薄いですから、油で揚げるとこんな感じになるんです。

隣の店は系列店の東京チョップスティックス。なんと、日本の米からフォーを作ってしまった気合いが伝わります。焼き物はビンミンで、料理とビールはチョップスティックスからという流れができているみたいです。

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<ビールおかわり>GR DIGITAL

食も話も進みます。

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<特大バインミー>GR DIGITAL

まさにバゲットを使ったバインミーです。ここのバインミーはパンの表面に蜂蜜を塗り、焼き鳥の炭火で焼くということをやっています。これも美味い。

ああ、やっぱり、ハノイにはまた行かなくては。

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<一部の参加者>GR DIGITAL

またお土産をもらってしまいました。メキシコからはルチャリブレのマスク。マレーシアの音曲DVDなど。

またよろしくお願いします。(オフ会じたいは2016年の9月に行われました。)

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2017年6月 7日 (水)

京都から来た凄い奴ら

かすてら音楽夜話Vol.42

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<タイスキ>GR DIGITAL

ガンボという料理をご存じでしょうか。

アメリカのケイジャン料理で、ごった煮というような意味があるようです。その他ジャンバラヤとかもケイジャン料理のようです。↑↑↑つーことで強引な画像。

アメリカ滞在メキシコの行き帰りのみというワタクシがいうのもなんですが、日本の文化はもはやアメリカに追随してまして、料理も違和感ないでしょう。でも、ニューオリンズとかナッシュビルとかテキサスなどアメリカ南部って、フランス領だったり、スペイン領だったり、メキシコ領だったりしました。ルイジアナなんてブルボン家の土地というところから名付けられたわけですよ。

そんなわけで、本当の意味のアメリカ南部は我々が知る平均的なアメリカとはだいぶ違うでしょう。ガンボも見た目は悪いですがとてつもなく美味しいかもしれません。

ここまでは前振りです。

Bo Gumbosというバンドをご存じでしょうか。今では存在しないバンドです。

料理のガンボとアメリカ南部のロックンローラー、Bo Diddleyから命名されました。それだけ、泥臭い音楽を展開するバンドでした。

これ、ワタクシがもっとも気に入っている彼らの曲です。

ヴォーカル&ギター、どんと(久富隆司)。ピアノ、Dr.Kyon(川上恭生)。ベース、永井利允、ドラムス、岡地明。

どんとはローザ・ルクセンブルグというバンドに永井とともに参加していました。ローザ・ルクセンブルグが解散となり岡地と大学の先輩であるDr.Kyonを加えたのがボ・ガンボスです。

どんとの通っていた大学、なんと国立京都大学。Dr.Kyonはそれまでテレビ制作会社の社員だったそうで、思い切った転身をしたものです。京都府出身者はいませんが、京都という風土、こういう人たちも輩出するんですね。東大生でここまでぶち切れている奴らはいないと思いますよ。

ここでの白眉はなんといっても、Dr.Kyonの生ピアノです。ピアノひとつでここまで演奏できるテクを持ったミュージシャンもそうそういません。

Dr.Kyonですが、鍵盤楽器だけじゃなく、ギターやマンドリンもできてしまうマルチプレイヤーです。ボ・ガンボスが解散後は佐野元春のバックバンド、The Hobo King Bandに参加し、マルチプレイヤーぶりを発揮しました。

どんともあのような風貌ですが京大時代は相撲部に在籍していたこともあったとか。かなり体格がいいです。Dr.Kyonはさらにどんとを上回る長身です。190cm近くあるんじゃないかな。

この「魚ごっこ」はデビューアルバムに収録されていますが、憧れのボー・ディドレーと競演を果たしています。でも、こういうスタイルを継続して行くのはかなりしんどいようで、たったの6年で解散しています。

その解散から5年、2000年の1月にどんとはハワイで脳内出血のため客死しています。37歳でした。

ボ・ガンボスよ永遠なれ。

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2017年6月 6日 (火)

メコンのほとりでのたうちまわる夜

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<メコンと僧侶>K-7/DA21mm

またしてもタイの話題です。相変わらずネタはありませんが、画像のストックはいやになるほどあります。このブログはほぼ自分が旅行したところでのエピソードの紹介なんですが、ブログ用に取り込んだ画像がどうしても記事に仕上げられずお蔵入りしたものを再利用したものと思ってください。

もう、2003年から毎年1回はタイを訪れているので、タイの話題が多くなるってものです。

ウドンタニからイサーンを横断するようにナコンパノムにやって来ました。バスターミナルからはトゥクトゥクに乗り合いです。でもドライバーはトゥクトゥクではなく「サムロー」といっていました。

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<ベッド>GR DIGITAL

ビューコン・ホテルにやって来ました。ナコンパノム中心部からちょっと離れたところにあります。かつてはナコンパノム随一のホテルみたいです。当時、次の都市にダイレクトに行けるかかなり不明な部分があったので、宿の予約はなく、飛び込みです。

また、当時WiFiがあることの確認できた中では一番安いところです。と、いってもこれより高いところはナコンパノム・リバービューという新しくできたナコンパノム一番のところになってしまいます。つまり、確認できた中では2軒しかWiFiがないのです。あとは安宿です。

ま、今ではどこもWiFi完備だと思います。

あとは、このホテル付属のレストランでメコンオオナマズの料理が食べられることが決め手となりました。

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<バルコニー>GR DIGITAL

かなりショボイですが、バルコニー付きです。しかも、眼下をメコンが流れます。対岸はラオスです。ここで洗濯物でも干すかとか思っていました。

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<客室>GR DIGITAL

全体的に古びた宿ですが、必要なものは揃っています。ふるいながらもテレビも冷蔵庫もあります。

では街歩きに出掛けましょうか。

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<ベトナム時計塔>K-7/DA21mm

もう見事に何もありません。時計塔に「ベトナム」が付くのは、このあたりにベトナム系の住人が多いからです。

かろうじてこの手前にある市場のようなところでガイヤーンとも呼べないような小さな焼き鳥を食べて戻ります。

夕食にプラーブクと呼ばれるメコンオオナマズの料理を食べました。そして、急激な腹痛。朝になっても収まりません。これはその日の朝に食べた半生の卵が原因と思いました。

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<朝食>GR DIGITAL

それでも朝食は食べたらしいです。卵も食べてますよ(原因を特定できたのはもうちょっと後)。たぶんかなり残したと思います。

シャワーも浴びなかったのでこのあと浴びました。洗濯どころではございません。

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<カシコーン銀行>K-7/DA21mm

それでも街に出ました。何もないんですが、手持ちのバーツが少なくなってきたんです。バンコク銀行、サーバーダウンで両替できず。2軒目のここでなんとかできました。

もうタイを出るので両替は必要なさそうですが、隣国ラオスではバーツが通用します。ラオスの地方都市で日本円からキープに両替する方が難しそうなので、バーツをラオスでも使うことにしました。

結局体調は戻るわけもなく、このあとカフェイェーンを飲んであとは絶食です。

前川健一氏が訪れたことのあるナコンパノムですが、そのときも何もなかったようです。まあ、いい静養にはなりました。ビューコン・ホテル、1泊800バーツでクレジットカードにも対応してくれました。しかも、後払いです。朝食も付くんですが、めちゃくちゃコンタイが泊まっていて、ビュフェの料理はあらかたなくなっていました。

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