カテゴリー「01d China」の8件の記事

2009年7月11日 (土)

中国の憂鬱

この件はアップしようかちょっと悩んだが、やはりブロガーとして一言いっておこうと思う。

中国新彊ウイグル自治区の区都ウルムチで民族間の対立が起こった。発端はなんだったのだろうか、そのあたりはよくわからないが、ウイグル人の騒ぎに対して漢族が報復を行うという「またか」というような状況。

ここで取り上げたニュースとしても、昨年のチベットに続く中国内の民族対立なのである。新彊ウイグル自治区は、東トルキスタンとも呼ばれ、ウイグル人の住む地域である。だが、時折暴動があったという話も聞く。

ウルムチというウイグル語の名前を持つ区都だが、その実態はまったくの新興都市であり、このあたりで地下資源が発見されたところから、漢族が多く移り住んだ都市なのだ。カシュガル、トルファンなどの古都とは違うのだ。

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<ウルムチの街角にて>Pentax ME Super/28mm

新彊ウイグル自治区にはシルクロードを巡るツアーで2回ほど訪れたことがある。2回ともウルムチを訪れた。ウルムチとは美しい町との意味らしいが、まだ発展途上の埃っぽいところだなと思った。

その頃から、漢族はすでにウイグル人よりも多く住んでいたと思う。その一方で上海などで闇両替を行うのはウイグル人の青年だったりしたのだが。それでも、民族対立はツアー参加者には感じ取らせない雰囲気があったように思う。

すでにウルムチではさらなる報復をおそれ、町を脱出するウイグル人が続出しているとも聞く。また、ムスリムには大切な金曜日の礼拝を取りやめさせる命令が出たとも。

これからどうなるかわからないが、中国の中枢部は民族融和のような政策は取らないのではないだろうか。ともかく力で押さえ込む政策だろう。また、ひとつ、訪れることのできるいいところが、減ってしまったような感じがする。遠のいたということだろうか。

中国の辺境部が好きなのだが、思えば、昨年無理してシーサンパンナを訪れておいてよかったと思う。

上の画像ですが、一応リバーサル。このブログで初めてお見せするPentax ME Superという、カメラによるワンショット。初めて所有した一眼レフカメラ。解像度が低いのはフィルムの保存状態が悪いことと、以前のスキャナーでスキャンしたことによるもの。このあたり、もう一度スキャンし直して、色鮮やかだったら、たまにアップしてもいいかも。まあ、その頃の腕はひどいものですが。

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2009年1月12日 (月)

Play The Game

かすてら音楽夜話Vol.12

雲南、ラオスと旅をしてきた地域は現代日本のように会社勤めをして月給をもらい、生活するということができない。言い換えると、第一次産業従事者が大半で、あとのわずかが第二次産業従事者。要するに、農業などの仕事が終われば、あとは暇ということだろうか。

そんな中でよく見かけるのが、昼間からゲームに興じる大人たちである。まずは中国編より。

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<麻雀>MZ-3/50mm/RVP100

中国伝統のゲーム、麻雀。中華人民共和国では賭け事は禁止されていると聞いたが、果たしてどうか。単なるゲームなのか、金がかかっているのか。プレイする人物の表情から判断できるかどうか。場所はモンフンの市場。

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<ビリヤード>MZ-3/50mm/RVP100

中国では昔からビリヤードが盛んだった。どんな町に行っても、見かけることができる。当たり前かもしれないが、ビリヤードをする女性の姿というものは、見ることがなかったな。ここも、モンフンの市場。

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<中国将棋>MZ-3/35mm/RVP100

やり方まったくわかりません。駒は丸い。場所はモンラーの市場。景洪では、公園のテーブルに、将棋盤の枠が刻まれていて、暇な大人たちがこれに興じる姿をたくさん目撃している。

次にラオス編。

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<ペタンク>MZ-3/35mm/RVP100

これまたやり方はわからない。発祥地はフランスだとか。ラオスも元はフランスの植民地。フランスもバゲット以外にも影響を残している。沢木耕太郎の「深夜特急」に、おそらくペタンクをスペインのお年寄りたちとプレイするシーンが登場する。沢木氏は子供の頃、ビー玉遊びの「黄金のプレイヤー」であったと自称していて、見事鉄製のボールを遠方のボールにぶつけることができたのだが、実はそれではだめなのだ。沢木氏もとうとう最後までゲームのやり方がわからなかったらしい。場所はルアンパバーン。

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<子供の遊び>MZ-3/35mm/RVP100

こちらもルアンパバーンのワット・マイ。トランプのカードを道の割れ目に立てて、それをサンダルでねらい打つ遊び。こんなの初めて見た。子供は遊びの天才だから、なんでも考え出してしまうんだろう。それとも、ルアンパバーンに伝わる伝統の子供のゲームなのか。他の地域では見かけることはなかったな。

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2008年12月12日 (金)

ウドムサイまでの4つの交通手段

いよいよ雲南をあとに。ラオス入りしウドムサイを目指す。モンラーからはウドムサイ直行のバスがあるはずだが、チケットは「没有」なので、見つけた交通手段の乗り継ぎで行くことになるな。ちょっとしたチャレンジである。

まずは中国・ラオス国境まで。中国側国境はモーハン。モンラーからは景洪から到着するバスターミナルと別の南站というバスターミナルがあり、宿からは1km弱とはいえ、重いバックパックを担いで歩いていく。入り口では荷物検査あり。モーハンまで17元。うち1元が保険料。ミニバスである。だが、モーハンまでは頻発しているのでそれほどの心配はいらない。

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<モーハン・ボーテン国境地帯>MZ-3/50mm/RVP100

モーハンのイミグレーション。出国カードとパスポートを提出するのみ。簡単に通過すると、出口ではトゥクトゥクが待ちかまえている。中国人ともラオス人とも判断のつかない女性2名が先客だが、あと2、3名乗れるかというところで出発。

ここ数日降り続いた豪雨で未舗装の山道はかなりぬかるんでいた。大型のバスとトラックが立ち往生していて、渋滞が発生。上の写真はトゥクトゥクの客席から後方(中国側)を撮したもの。左側のツートーンのオート三輪がトゥクトゥクである。ガンランパのトゥクトゥクに似ているが、座席は向かい合わせの乗り合いタイプである。右はシーローだがモーハンのイミグレーションではその時姿を見かけなかった。トゥクトゥクは5.0元である。

ラオス側イミグレーション、ボーテン。非常に多くの人間が通過している。中にはパスポートの束を抱えた人もいて、個人旅行者は後回しになりそうだ。また、出入国カードをもらおうと窓口に尋ねるとこれを理解しない係もいるので、注意が必要である。

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<軽ワゴンで出発>GR DIGITAL

ボーテンからはルアンナムターとウドムサイに公共バスがあるはず。もっとも、ソンテウだという話もあるが。しかし、そのようなものは見つからずどうしようかと思っていると、中国人旅行者に話しかけられた。

彼らもウドムサイまで行くのだが、人数待ちしている。自分を入れてもあと2名足りないらしく、しばらくここで客待ちする。ここには大型のワゴンなどが数台客待ちしていた。結局続く旅行者が現れることはなかったのだが、なぜか四駆のピックアップトラックと軽ワゴンに分乗し出発。しばらくは道もよく、これなら快適にウドムサイまでいけると思ったあたりで、ワゴンはストップし、ドライバーが連れて行ってくれたのは昆明からやって来た寝台バスであった。ワゴンの料金は8.0元。

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<寝台バス>GR DIGITAL

バスはここで休憩中だったらしく、やがてやってきたドライバーに英語で交渉。OKがでて、のることができた。バスには助手も乗り込み、彼に料金を払う。ウドムサイまでは40元で交渉成立。

このバスはルアンパバーン行きでウドムサイで翌日も見かけたので毎日1便が走っているようだ。また、ヴィエンチャン行きもあるはずなので、こちらも見かけたと思う。ともかく、荷物を持ち込み、空いた席へ。空いているのは最後列のみ。

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<寝台バス内部>GR DIGITAL

このバスはすべての座席がフラットなスペースとなっている。ひとり分のスペースはマット1枚のみで、それぞれに掛け布団と枕がつく。上の写真で右手に女性が見えるが、彼女の隣にも1名分のスペースがある。だが、大部分の乗客は2名分の料金を払い、自分の環境をほどよく確保していたようだ。

自分の占めた最後列は、5名分のマットが敷かれていた。右手に見える素足は自分と同時に乗り込んだラオス人青年のもの。払った40元は、モンラー-ウドムサイ間の公定料金が32元というのに比べるとかなりの割高だが、助手が2名分の料金を徴収したということを考えれば、納得はいく。なお、寝台は2段式となっていて、この上にもしっかりと乗客はいた。また、それでも満席にはなっていないようで、途中数ヶ所で乗客を拾っている。

おそらく到着したのはボーテンの町中だったのではなかろうか。ここまでは道もよかったのだが、走り出してみると、凹凸が激しい路面となり、マットに横になっていると身体が浮き上がってしまうような感覚になってしまった。前の方にいたラオス人女性は、小さく開けた窓からしきりに顔を出し、何度も吐いていた。このあたりの三半規管の感覚だが、日本人にはどうということはないような揺れでも、ラオス人にはかなり辛いものらしく、乗り物酔いをする人はかなり多い。

道はやがて山道へ。さらに揺れが激しくなる。しかも、狭い道幅と急カーブの連続で、まったくスピードが出ない。きちんと座っていたものの、激しい上下動に頭を数度上の寝台にぶつけるため、またも姿勢変換である。今度は、再びマットに横になったものの、手すりをつかんで、ある程度揺れに身体を任せた。ようやくしっくり来る。

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<不気味な土産>GR DIGITAL

そんな中、最初の休憩。何もない山道だが、路肩には簡単な小屋が何軒も並び、果物なども売られていた。しかし、小屋の軒先にはビニールに入れた蛇ともタウナギとも区別のつかないものがぶら下がり、これを乗客がよく買っていく。

バスはそれからもう一度止まった。ドライバーと助手が工具を持って後方に回ったので、何かの修理だったようだ。これはすぐに終わり、ようやくといった具合で大きな町に到着する。隣のラオス青年に確かめるとウドムサイとのことで、ようやくバスを降りることとなった。

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<ウドムサイ>MZ-3/50mm/RVP100

ウドムサイ。天気は晴れ上がりいい感じである。それにしても、疲れたので予定を変更し、2泊することにこの時決めた。

Postscript ようやくラオスに再突入です。このあたりでようやく半分くらいの日程を消化。なので、もう年内にすべてのアップは無理です。次の旅が迫っているところですが、それに関係なく、このメコンの旅を優先したいと思います。

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2008年10月30日 (木)

中国の洗礼

ルアンナムターからさらに北上。今日はいよいよ国境を越え、雲南省に入る。ラオスと中国の出入国地点はラオス側ボーテン、中国側磨憨(モーハン)である。ルアンナムターの町中でさらにその先、勐臘(モンラー)行きのバスチケットを扱っていた。早速これをゲットする。公定料金45,000キープだが、旅行会社では55,000キープとなる。ただし、バスターミナルまで行かず、旅行会社の前でピックアップされるとのことで、トゥクトゥク代と考えれば、納得はいく。

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<勐臘行きバス>GR1s/T MAX100

その後、ナイトマーケットの裏手あたりで、このバスを見つけた。IVECOの大型ワゴンといった方がいいくらいのサイズ。すでに乗客の姿はなく、メンテ中といった趣か。車体の前方と側面には、漢字で行き先が書かれ、両国の国旗も描かれている。

翌日の朝、旅行会社前で待っていると、トゥクトゥクではなくこのバスが直接横付けされたのである。荷物は後方のトランクへ。乗り込むと、見渡す限り中国人だらけ。空いた席に座り、バスは走り出す。

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<車内>GR DIGITAL

内部はマイクロバス程度の広さ。左側二人掛け、右側一人掛け。空席はあとわずかといったところ。バスはところどころに止まり、中国人が徐々に増えてくる。左側の男性は成金趣味なのか、レイバンのサングラスを決して外さず、10分置きくらいにタバコを吸い出す。その吸い殻は、構わず床にポイ捨てである。前の座席の男性は、やおら窓を開けると、見事な手洟を飛ばした。その斜め前の男性は、絶えず喉を鳴らしては、痰を床に吐き続ける。まったく世界の常識が通用しないバスなのであった。マナーの悪い(彼らにとっては常識なのだと考える)のはこの3人に限ったことではなく、同じような光景が車内の至る所で繰り広げられていた。つまりは、このバスを降りるまで数分おきにこれが繰り返されるのであった。

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<ボーテン>MZ-3/50mm/RVP100

バスはルアンナムターのバスターミナルに止まり、フランス人カップルとギリシア人のおじさん二人組が乗り込んだ。道はあくまでも快適だが、車内は中国の常識が支配していた。やがて、ボーテンへ。イミグレーションの手前でパスポートチェック。一部の中国人は2種類のパスポートらしきものを提示していた。二重国籍者か。

ボーテンにはこのバスだけが到着したわけではないのだが、このイミグレーションを通過する中国人の数はおびただしいものであった。これが列を作らない。我々外国人旅行者はほとんど後回しなのである。だが、無事にラオス出国となる。

この時初めてフランス人たちと言葉を交わす。フランス人は、勐臘からその日のうちに寝台バスで昆明に向かうという。一方、ギリシアのおじさんたちは中国ビザを所有してないのに、自信満々であった。今までどんな国でも最終的に何とかなったというのである。

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2008年6月 9日 (月)

船のエレベーター

中国で長江を下るクルーズ船に乗ったことがある。早朝重慶を出て3泊4日で武漢までの長丁場である。その間に、鬼城という名の地獄巡り、劉備終焉の地白帝城、三峡下り、洞庭湖などのポイントがあり、三峡下り以外は船を下りて観光することとなる。

当時は悠久の大河長江という趣があったのだが、それでも、長江を開発するというプロジェクトは進行中であり、それが三峡ダムなのである。三峡ダムの完成予定は2009年だというが、完成して長江の水位が上がると、水没してしまう観光名所も出てくる。また、このプロジェクトにより、水没する町もあり、強制的に移住を余儀なくされる住民は100万人以上だともいわれる。生態系の影響も大きく、工事による水質汚染によりヨウスコウカワイルカやチョウザメの絶滅も危惧されている。

まあ、そんなものは中国の国家的プロジェクトにとっては、どうでもいいことなんだろう。完成すれば、世界最大の水力発電所となり、中国の電力消費量の1割がまかなえるのだ。船に乗り込んだ中国側のダムに関する発言では、「新たな景観が見ることができる」、「小舟でしか行かれなかった小三峡まで、大型船でさかのぼることができる」、「水位が上昇し、上海からそのまま超大型船で重慶よりも奥に行くことができる」などというものであった。

当時は三峡ダムはほとんど形もなかったのだが、三峡から少し下流にある、宜昌という都市にも水力発電所を兼ねる葛州覇ダムがあった。このダムは長江のすべてをせき止めてしまうものではなく、分流も作ってあった。ただし、船舶はどうしてもこのダムを通らなくてはならず、パナマ運河と同じく閘門式の水門を持ち、水位を上下動させて、船を通過させる面白いものであった。いわば、船のエレベーターである。

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<閘門へ導かれる船>EOS1000s/28-105mmZoom/RD

我々の乗ったクルーズ船は船室が5層になったような大型船である。上の画像は船尾からのもの。さらに同じような船が続いて入ってくる。閘門もかなりの大きさで、同タイプの船が3隻は入ることができた。また、ダムの閘門もひとつではなく、3つの閘門があるという規模のダムである。

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2008年5月27日 (火)

楽山大仏

「峨眉山(オーメイシャン)と楽山(ローシャン)大仏」。1996年に世界遺産に登録された四川省の複合遺産。あの四川大地震のあった四川省である。このあたりは、震源地とは離れているので、被害が少ないことを祈るばかり。

この大仏は金属や玉石で作られたものではなく、自然の崖を掘り進んで作った摩涯仏というもので、タリバンにより破壊されたバーミヤンの大仏もそれに当たる。楽山の大仏は弥勒菩薩とのことで、この大仏が作られた目の前が、岷江、大渡河、青衣江の3つの河川が合流する船の難所で、航行の安全を祈願して作られたものらしい。

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<楽山大仏>EOS1000s/28-105mmZoom/RD

摩崖仏なので、脇の石段を下りて、足元から見上げる形になる。何かに腰掛けているような格好。鎌倉の大仏と違い、美男子とは言い難い。調べてみると、全長71m、幅28m。足の甲の長さだけで8.5mあるとのこと。さすがにでかい。

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<大仏の足>EOS1000s/28-105mmZoom/RD

このあと、船に乗って大仏を再び見に行く。

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<船より>EOS1000s/28-105mmZoom/RD

デッキに出るとビニールカッパを着たおじさんがいた。船の従業員か、もしかしたら船長だったりして。写真撮影にも気さくに応じてくれるし、思えばあのころの中国は今ほど反日というムードではなかったな。あいにくなのは、雨模様だったのだが。

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2008年5月17日 (土)

峨眉山の籠かき

中国を訪れたのはすべてツアーである。初めてのツアーを通じて知り合った人たちから仲間内で中国を訪れる個性的なツアーを打診され、その2回目。先頃地震があった地域、四川省を中心に後半では長江を下る企画に参加した。

旅の2日目、峨眉山を訪れる。今でこそ、楽山大仏とともに世界遺産に登録されたところだが、当時はまだ指定されていなかった。峨眉という麓の町からマイクロバスで峨眉山のロープウェイ乗り場へ。いきなり出迎えたのは、人民の群れである。

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<取り囲む人民>EOS1000s/28-105mmZoom/RD

この当時、初めてオートフォーカスの一眼レフを手に入れた。それまではPentaxのマニュアル一眼レフを持っていたのだが、CANONに走ったのである。ただし、一眼レフなのに、交換レンズはズームだけで、これ一本でその後の7年間を撮っていくこととなった。当時からフィルムはリバーサルを使っていたが、デート機構もOnになっているし、何とももったいないことをしたものである。

ともあれ、この人だかりは、ローフウェイ乗り場まで籠に乗せていこうという籠かきたちである。後ろの方にいる女性は防寒用の上着を貸す人である。峨眉山は標高3,099m。結構侮れないと思う。だが、このときは必要としなかった。

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2008年3月19日 (水)

チベットはどうなるのか

今日は、シンガポール&マレーシアを離れ、チベットについて書きたいと思います。

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<ポタラ宮>Pentax P30/28mm/Fujichrome

今から16年前の1992年にチベットを訪れた。当時は秘境を中心に回っていて、はじめから個人旅行をするなんて考えはまったくない。ツアーに乗っかるのである。もちろん、チベットもツアーなのだが、以前シルクロードを訪れたときに知り合った人のつてで、中国関係のプロ添が主催するツアーの打診を受けて、参加することに決めたのである。

参加してみると、シルクロードの時にいた参加者がいて、この人とは同室になった。その後も、この手のツアーは数回主催されていて、計4回ほど参加したことになる。今でも、連絡を取り合うような仲間がこのツアーを通じてでき、ツアーに参加するたび、再会を祝すような間柄となった。

16年前であるから、デジタルカメラなんてものはなく、記録媒体はすべてフィルムのカメラ。すでにオートフォーカス一眼レフは出ていたものの、自分はまだ持ってなくて、同室になった人のEOSをうらやましく思った次第である。もちろん、カメラを複数台持って行くなんてことはなく、当時もっとも安かったPentaxのP30という、シンプルなマニュアル一眼レフと28mm/50mmの2本のレンズのみでメシ写真から記念撮影までまかなってきた。詰めたフィルムは忘れてしまったが、フジのリバーサルであった。ラサでフィルムが足りなくなり、買い足した覚えもある。余談だが、P30という機種は、いささか操作がしにくいもののの、シャッター優先AE/絞り優先AEが両方ともできた。ただし、フルオートAEはできなかったのだが。

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