カテゴリー「03c Nepal」の9件の記事

2017年5月10日 (水)

やっぱり雨季は見えないな

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<ポカラ>K-7/DA21mm

今から6年前の話です。2011年、震災のあった年、インドからネパールへと抜けました。

コルカタ-ブッダガヤ-ヴァラナシー-スノウリ-ポカラ-カトマンズというルートです。もう騙され続け、最後のだめ押しがスノウリ。それでも体調が回復したので、バスでポカラにたどり着きました。もともとバスしか移動手段はありませんが。地元のネパール人やチベット人が乗り合うローカルバスです。

けっこうキツイ移動でしたが、途中の眺めは素晴らしかったです。タライ平原から標高約800メートルのポカラへ。あまり大したことはないと思われそうですが、この間に山々が連なり、アップダウンを繰り返しながら徐々に標高を稼ぐ移動でした。

標高800メートルのポカラですが、実はカトマンズよりも標高が低いです。しかし、ここは標高6000~8000メートルのヒマラヤが一望できるところです。特に乾季の日本の冬に当たる季節は素晴らしい眺めとなります。

それを期待したのですが、雨季の8月は少しだけヒマラヤの影がちらつく程度でした。

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<トリブバン国際空港>K-7/DA21mm

ついにネパールを去る日が来ました。陸路の移動でしたが、カトマンズからはバンコクまで空路での移動です。

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<バス移動>K-7/FA50mm

タイ国際航空のチェックインを無事済ませ、いよいよ搭乗です。でも、バス移動なんですね。ここで列を作りますが、空いている方の列に付くと、「男女別」といわれ、長い方の列に付き直しです。

しかも、タラップへと移動しているときに航空機を撮ろうとすると、兵士に制されました。

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<さらばカトマンズ>K-7/FA50mm

でもラッキーなことに、隣に誰も来ない席でした。すかさず窓側に移動します。

ずっと以前、乾季にネパールに来た時を思い出しました。窓越しに見えたヒマラヤが凄かったんです。いくらなんでも、雲の上に出てしまえば雨季でも見えるのではないかと。

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<雲>K-7/FA50mm

カトマンズは盆地で、水平飛行に移るまで時間がかかります。カトマンズ近郊の眺めはこんな感じです。雲だらけ。

そして、カトマンズはものすごく煙っていました。排ガスがたれ込めているようでした。

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<水平飛行>K-7/FA50mm

ようやく水平飛行です。でも、見えません。なんてこった。やっぱりネパールは乾季ですよ。

日本の冬に当たりますが、カトマンズはともかく、ポカラくらいになると、防寒着などを着ていると汗ばみます。確実に同時期の東京より暖かいです。乾季はオススメ。

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<機内食>GR DIGITAL

しょうがないので食い気に走ります。お、カレーですね。

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<拡大>GR DIGITAL

右側がジャガイモとインゲン。左側が鶏肉です。そしてご飯はカレー味。

ダルバートタルカリとカレーの中間みたいな感じです。これ、かなり美味しかったです。タイ航空での一番美味しかったものかもしれません。

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2015年4月26日 (日)

Save Nepal !

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<ダルバール広場>K-7/DA21mm

ネパールで大きな地震が起こりました。甚大な被害のようです。

今回の地震はネパールのみにとどまらず、近隣諸国でも被害が出ている模様です。

新聞報道でダルバール広場の状況が写真で伝えられましたが、見るも無惨な様子でした。

耐震とは無縁な手作りに近い建物の建築。そのほとんどが煉瓦を積み上げるだけのものですから、ひとたまりもないでしょう。

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<ポカラ>K-7/DA21mm

ネパール国内の通信も寸断されているようです。震源はカトマンズとポカラの間らしく、ずっと離れたエベレストのベースキャンプも地震による雪崩で被害が出たとのことなので、ポカラもどんなことになっているのかわかりません。

自分が泊まったポカラの宿にはFacebookのアカウントがあるのですが、更新されていないのですよね。

ともかく、日本もネパールに人的援助を早急に行うべきでしょう。あと、我々にできることは募金ですかね。本当は実際に行って何かしたくはあるのですが。

ともかく、がんばれ、ネパール。世界でも有数のやさしい国ですから、復興を祈っています。

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2011年10月 9日 (日)

インドからネパールへ

インドからネパールへはポールトラベルという旅行社がやっているツーリストバスを利用することにした。ヴァラナシーからスノウリを経由しカトマンズかポカラまでというルートである。パンフレットによると集合時の朝食とスノウリ1泊の料金は含まれて800ルピーで行けることになっている。

パンフレットによればルンビニまでも運行するらしいが、ルンビニに泊まってしまうとあとのルートが面倒なことになるため、スノウリかその先のバイラワで泊まり、次のバスを見つけようと考えていた。スノウリまでなら500ルピーである。チケットを買うことになり、ポールトラベルの男がいうことには、スノウリからルンビニ往復、スノウリ2泊でポカラまでというチケットを勧められた。これで1200ルピー。

あとで値段を計算するとどうも腑に落ちない点があったが、旅行社のそばにはツーリストバスらしいものが数台並んでいたので、まあスムーズに行けるものだと思っていた。ちなみに、バスはガイドブックによれば毎日運行とあったが、この時期は客が少ないためか、指定の曜日には出ず、翌日にすることになった。

そして、当日。ポールトラベルに集合。チケットを確認去され、朝食券をもらう。次第に旅行者が集まってくる。オートリキシャが2台。現れたのは韓国人の若いパッカー…ではなくて、話しかけると日本の大学生だった。もう1台からはニュージーランド人の男女。

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<これが朝食>GR DIGITAL

指定の食堂のそばで待つ。旅行者はぽつぽつと集まってきて、今度は本当の韓国人のバックパッカー、イタリア人の男1人女2人というグループ、最後にかなり大柄なスペイン人3人の男というのが、この日乗るメンバーとなった。

レストランからは具を挟んだトーストとチャイが配られる。これだけ。出発時間をかなりすぎてようやくバスが動き出す。しかしそれは大型のものではなく、タータ製のミニバンであった。荷物は屋根に積む。一番の懸念はこのことだった。今回ザックカバーを持参するのを忘れ、荷物が濡れてしまうのが一番いやだった。

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<車内>GR DIGITAL

最後列のシートに座る。あとで思い知ったが、一番よいのは運転席の後ろあたり。とにかく狭い。だが、反対側にはスペイン人の中でも最も大柄な男が来ただけなので、荷物を置く余裕があった。

最前列に運転手と案内役なのか正体不明のインド人女性が座る。この人は出発間際にやってきて、何か注意をアナウンスしたあとはただ乗っているだけの人だった。荷物もなく、食事にも同席しない。

ミニバンはようやく出発したが、まずはガソリンを入れ、そのあとタイヤの空気を入れる。ちなみに、タイヤの空気はガソリンスタンドではなく別のところで行った。そんな具合なので1時間たってもまだヴァラナシー郊外らしかった。都市や町の境目にはちょっとした市場のようなものがあり、ここにクルマやバス、リキシャや荷車が混在し、かなりの渋滞となる。これを何回繰り返しただろうか。昼を過ぎてしばらくしやっと初めての休憩となる。

ここではヨーロッパ組は旺盛な食欲を見せていたが、日本人の大学生はかなり具合が悪いらしく、飲み物を取ったのみ。トイレにも何回も行きたがっていたようだ。韓国人はターリーを食べていたが、具合はよくないようであった。ま、そういう自分も飲み物だけをオーダーしたのみ。すっかり回復していたのだが、ぶり返しが怖かったので食べないことにしたのだ。

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<2度目の休憩>K7/FA35

午後の行程もあまり芳しくなかった。地図上で見ると、ヴァラナシーとスノウリのほぼ中間にある、ゴーラクプールに到着したのが、17:00近く。300kmくらいを8時間かかっている。そろそろ休憩が欲しいところだが、18:00過ぎにようやく2度目のストップ。ここでトイレを済まし、飲み物とビスケットを買う。

ここからは交通量が減り、ややスピードアップする。車窓の左側には大きな夕陽が見える。普通の状態だったら、カメラを構えるところだが、身体が動かない。精神的に疲れ切っている。

ミニバンは20:00ちょっと前にスノウリの国境に到着。ミニバンはここまで。あとは歩いて国境を越えるのだ。インド側の国境には今夜泊まる宿の人間が案内を兼ねてやってきていた。この国境はインド人とネパール人には行き来が自由なのである。

このあと宿へ。まるで南京虫が出そうなところで、夜だというのに、暑くてかなわない宿である。ここで、アジア組に入れられ、3人で泊まることになったが、自分は翌日もあるので、ひとり部屋に変更させてもらう。100ネパールルピーの追加。

ヨーロッパ組は元気にもりもりと食事を取っている。日本人の大学生と韓国人は元気がなく、今日は何も食べずに寝るだけらしい。

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<久しぶりのビール>GR DIGITAL

かなり腹が減っている。トーストとビスケットだけでは当たり前である。ビールとチベットの焼きそば、チョウメンをオーダー。ビールはツボルグのストロングというやつで、かなり強く感じた。だが、日本を出て飛行機の中で飲む以来のアルコールなので、これは仕方ないのかもしれない。

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<チョウメン>GR DIGITAL

チョウメンは味がしなかった。宿の係が持ってきた赤と緑のペーストをつけるとまあまあになる。だが、空腹を満たすだけ。

変更した部屋だが、天井にファンがあるのみ。トイレにはシャワーもついていたが、お湯は出ない。んー、この部屋で2泊か。

と、いうわけで、インド・ネパールの陸路国境越えに成功しました。個人的にはこれでよかったのですが、インドからルンビニを目指す人以外にはお勧めできません。ポールトラベルは、チケット確認の時にインドルピーはネパールでは使えないようなことをいって、両替させようとします。もちろん、ネパールでも使えます。ただ、建前上はインドルピーの国外持ち出しは不可となっています。

そして、スノウリの国境ですが、インド側に両替所があり、かなり悪いレートで両替することになります。ここではあまり両替しない方がいいでしょう。ネパール側も両替は至る所でやっていますが、やはりレートはよくないです。

宿でチケットのチェックが行われましたが、ルンビニと聞くとクルマ手配を持ちかけられました。1300ネパールルピーでしたが、割高です。面倒なのでOKしましたが、ニュージーランド人のカップルのようにチケットはスノウリまで、ここでは泊まらずに自分で宿を探すなどの方法の方が、より快適な旅ができそうです。

国境のイミグレーションですが、ここは緩い。書類に不備があっても、大丈夫みたいです。ネパールビザ用の写真とUSドルがあれば、楽々です。

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2008年7月 2日 (水)

アジアの三輪タクシー

アジア各地で走る三輪タクシー。インドではオートリキシャ、ネパールではテンプー、タイではトゥクトゥクまたはサムローなどと呼ばれているものだ。その成り立ちは、前川健一の「東南アジアの三輪車」という本に詳しいが、インドでの呼び名から推測されるように、元々は日本の人力車が伝わったものらしい。インドではエンジンのない人力で人を運ぶリキシャもまだあるし、マレーシアのトライショー、ベトナムのシクロなどもその系統である。

ここでは、それらではなく、エンジンつきのものに限って考察してみよう。三輪というところから、かつて日本にも存在したダイハツのミゼットなどを改造したものとバイクやトラクターを改造したものとに分けられるか。

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<チェンマイのトゥクトゥク>MZ-3/35mm/E100VS

タイのトゥクトゥクは上の画像のようなタイプが主流である。カラーリングもほぼ同じ。ミゼットを改造したような感じだが、もはや生産されていないミゼットなので、トゥクトゥク用に部品を作るところもあるとか。イタリアなどでも三輪の小型車はまだ販売されているようなので、そちらからの流用とも考えられそうだが。このタイプは、運転席の後ろに二人くらいならゆったりと座ることもできる。それ以上は、ちょっと苦しくなる感じだ。後席のサイドには安全のための金属のバー(手すり)もあるが、それ以外は取っ払われていて、かなり風通しがよい。

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2008年6月 1日 (日)

ネパール王室

ネパールの議会がついに王政廃止に踏み切ったという。ネパールの王朝はシャー朝といい、1769年の王国統一から続いていたものである。

今から10年前、念願のネパールにたどり着くことができた。首都カトマンズの空港はトリブバンといい第8代国王の名前を冠したものである。空港名も変わるのだろうか。

トリブバンの息子第9代国王マヘンドラが、1960年に憲法を停止し議会・内閣を解散し、政府要人を逮捕した。その後、政党の禁止をうたった新憲法を公布し、絶対王政にネパールは突入する。マヘンドラの息子第10代国王ビレンドラは、民主化の声を受け、1990年に複数政党制を認める新憲法を発布し、ネパールは立憲君主制になる。自分がネパールを訪れたのは、その頃に当たる。

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<ビレンドラの像>EOS1000s/28-105mmZoom/SRS

ビレンドラは比較的穏健で国民の間に人気もあったようだった。ちょうど訪れた期間に12月28日の国王誕生日にあたり、旧王宮のあたりでは、騎馬隊のパレードも行われていた。

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<騎馬隊>EOS1000s/28-105mmZoom/SRS

その2年半後、ビレンドラは王宮の中で長男のディペンドラ皇太子に一家もろとも銃撃され、死亡する。ディペンドラも事件後に自殺を図ったとされ、意識不明のまま、第11代国王に即位したが、3日後に死去。第12代国王に即位したのが、ビレンドラの弟ギャネンドラである。

ネパール王族殺害事件の真相は闇の中であるが、事件当時ギャネンドラはポカラに滞在していたという。また、ギャネンドラの家族だけが事件の中で生き延びていて、実は宮廷クーデターなのではないかということが推測されている。

その後、ギャネンドラは下院を解散。首相を解任し、直接統治を宣言。その後、地方などでは内戦状態となっていく。度重なるデモの中で、ビレンドラは直接統治を断念し、議会を復活させる。その後、総選挙。ついに、ネパール王政は廃止となった次第である。

まだ、ギャネンドラは王宮にいるみたいですが。ともあれ、マオイストも参加する形となった現在のネパール議会。国内の安定をこれからどこまでやっていけるか。個人的には、いつかはトレッキングもやってみたいので、まだ数年は見守っていくしかないのか。早期の安定を望みたいものです。

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2007年7月29日 (日)

ネパール:チベット難民キャンプ

ネパールのポカラに滞在中、チベット難民キャンプを訪れた。チベット難民とは、1959年のチベット動乱に伴い、チベットを脱出してきた人たちが住むエリアである。この動乱で、ダライ・ラマ14世もインドに亡命し、ダラムサラで亡命政権を樹立している。

ネパールはヒンドゥ世界であるものの、チベット系の住民もかなり多く、チベット仏教(ラマ教)の文化や習慣もかなりよく目にすることができる。首都のカトマンズではどちらかというとインドに近い感じがするが、ポカラでは頻繁にチベット人たちを目撃する。街にはチベット人女性の物売りも数多いが、彼女たちは難民キャンプからやって来るようである。

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<チベット難民キャンプ>Eos1000s/28-105mm/SRS

キャンプの中心にはチベットの村落と同じように、石で囲まれた守り神のようなものがある。人々はこの周りを右回りに歩いて経文を呟くのである。その人たちは携帯用のマニ車を手にしている。マニ車の中にはやはり経文が書かれているものが入り、マニ車を右に回転させながら経文を呟くのが普通である。

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2007年7月19日 (木)

ネパール:トロリーバスで子供と交流

ネパールという国は交通網があまり発達していない。鉄道などはインドと接するごく一部の場所だけにあるらしいが、あとの陸路移動はバスやトラックだけとなる。首都であるカトマンズ近郊でも交通事情はほぼ同様で、バスまたは三輪タクシー(テンプー)、タクシーくらいがせいぜいか。しかし、カトマンズとバクタプルを結ぶトロリーバスが唯一の例外かも知れない。

物珍しさもあって、カトマンズからの日帰り旅行のバクタプル行きは往復ともトロリーバスを利用した。もちろんトロリーバスは初めてである。カトマンズの中心からかなり離れた場所にある乗り場に行くと、しばらくしてトロリーバスが登場する。

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<中国製トロリーバス>Eos 1000s/28-105mm/SRS

中国の資金援助でできたというトロリーバス。もうかなりの時間が経っているからかひどくオンボロである。乗り込んでみると、電気で走る以外はまあ普通のバスか。ただし、最初座ろうとしたところには吐瀉物がぶちまけられていて、後方に移る。

ネパールは英国式に車両は左側を通る。すなわち右ハンドルだが、トロリーバスは左ハンドルであった。ただし、人の乗降口も左側についている。まあ、当時の中国が単に右ハンドルのバスを作れなかったからかも知れないが。

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2007年6月30日 (土)

政府公認?

ネパール、ポカラでの出来事をもう一つ。

散歩にも飽きてぶらぶらとレイクサイドまで裏道の住宅街のようなところを歩いて戻ってきた。観光客や客引きとは無縁の生活の場である。ここは住民のライフスタイルを目撃することもできる。

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<ネパール式揺りかご>Eos1000s/28-105mm/SRS

通りから人々の家は丸見え。ネパールの幼児たちはこんな揺りかごで遊んでいる。しばらく歩くと1軒の商店があった。

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<公認の店?>Eos1000s/28-105mm/SRS

もうおわかりかどうか。ガンジャを売る店です。ただの住宅街なのに、ぽつんとこれが存在しているということは、それなりの需要があるということでしょうか。蔵前仁一氏などによるとインドやネパールは法律上麻薬類は禁止ということになっているが、ガバメント・ショップなるものがあり、そこでは堂々とこれらが売られているとのこと。それが、ポカラにもあったのだ。

まあ、ヒンドゥ教の宗教行事には欠かせないものだともいわれているし、法律解釈のフレキシブルさもよくわかりませんが、ツーリストが入り込むものではないでしょうね。

そんなものかと宿へ歩き出した時に、聞こえてきたのが日本の豆腐売りのようなラッパを鳴らす音。自転車に乗った男が近づいてくる。男は自転車を止めて売り物を見せてくれた。

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<売り物>Eos1000s/28-105mm/SRS

茶色い塊。そうなんです。あれです。自転車で住宅街を流しても商売が成り立つんでしょう。もちろん、買わなかったけど、考えさせられるものがありましたね。

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2007年6月27日 (水)

ネパール:新年の踊り

何を隠そう、初めての海外個人旅行がネパールなのである。この時は、友人を誘って出かけた。その年の大晦日はポカラで迎えた。ポカラでは、マチャプチャレというヒマラヤの一部を望むことができる。とはいえ、滞在していたレイクサイドではけっこう間近に見えるものの、ペワ湖のあたりまで出るとマチャプチャレが隠れてしまったり、陽が高くなると雲が出てきて山が隠れてしまうこともあった。

せっかく来ているのだからと、新年はサランコットの丘から初日の出を見ようということになった。しかも、ここは、ポカラの街では見ることのできないアンナプルナなども望めるのだ。タクシーをチャーターして、丘へ。まだ真っ暗な中初日の出にそなえたが、次第に集まってくるのは圧倒的な日本人旅行者とごく一部のインド人観光客くらいだった。

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<マチャプチャレ>Eos1000s/28-105mm/SRS

手持ち、スローシャッター、高倍率撮影。ほとんどピントが来ていません。しかも、日付と時刻まで入っているし。一応、リバーサルを使っていたのですが、ほとんどメモ替わりですね。なお、この時は現在のMZ-3ではなく、Eosの一番安い機種を使っていました。しかも、一眼レフでありながら、交換レンズなしのズーム一本勝負。今なら考えられない。ちなみに、Eos1000sはすでに廃盤になっていたかな。後継機種がEos Kissです。

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