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2008年12月25日 (木)

メコンデルタへ

ちょっと早いのですが、いよいよ次の旅が迫ってきました。それに備え、昨日はヨドバシでフィルムを購入してきました。ちょっと迷ったのですが、内訳は、Kodak E100VS12本、Kodak EBX5本、Fuji Neopan Acros3本、計20本です。

当初はE100VS16本、プラスアルファだったのですが、E100VSの8本パックが見あたらず、ちょっと残念な選択です。またしても、フィルム売り場の縮小だ。夏の旅ではFujiのRVP100(これがプロ仕様では最も安い)だったのですが、現地の気候は雨季ではないので、最もビビッドに色の出そうなE100VSということで。プロ仕様ではないEBX(Elitechrome Extracolor)は、主にサブカメラのGR1s用に考えてます。こちらを一通り撮って余るようなら、MZ-3にも使おうかと。モノクロはあくまでも予備。

持参するカメラは、夏の時と同じく、一眼レフのMZ-3、単焦点コンパクトのGR1s、そして、コンパクトデジタルのGR DIGITALというラインナップ。ただし、MZ-3用のレンズは、35mm、50mm、77mm limitedにします。広角はなしですが、その代わりとなるのが、GR1s。28mm搭載で、香港の時と同じような使い方となりそうです。修理され生き返ったGR1s。一眼レフ用交換レンズにもひけをとらないというGRレンズの実力を発揮できるかどうか。35mmはデフォルトだし、ここのところ50mmもよく使っている。そして、メコンデルタをおそらくクルーズする時などに、77mmリミは役立つでしょう。

カメラとレンズのみの話が長くなりましたが、行き先は前にも申し上げた通り、ベトナムです。成田-ホーチミンの単純往復。27日夜出発で、年明け7日早朝帰国予定。現地滞在は9泊。すでに、宿はこちらで手配しました。具体的にはここでは明らかにしませんが、ホーチミンとその周辺、メコンデルタということでご了解くださいませ。

中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジアそしてベトナムへと流れる大河、メコン。前回の旅では、ミャンマーとカンボジアには足跡を記しませんでしたが、今回の旅はその続きのような位置づけかも。まあ、ちょっと強引なんですが。

さ、明日あたりから荷造りかな。でも、年賀状も書かなくちゃ。それでは、2008年のエントリーは、これで最後…あ、でも、条件が良ければ、現地レポートもあるかも。それでは、ちょっと早いですが、皆さん良いお年を。

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2008年12月23日 (火)

メコンを見に行く

ルアンパバーンに到着したものの、体調が優れなかった。着いてすぐに、昼食を取ったものの、麺料理だというのに半分も食べることができなかった。宿を取ったゲストハウスではちょうど無料の夕食が提供される日であったが、これをキャンセルし、絶食する。

その夜。体調は最悪となった。多少熱もあるようだった。絶食しているにもかかわらず、何度もトイレに足を運ぶ。宿を取ったのは日本人にはかなり有名なゲストハウスである。ここに泊まることを楽しみにしてきたのだが、泊まり客の日本人旅行者とコミュニケーションを取るどころではなく、このままでは迷惑をかけるだけなので、結局宿を変わることにした。情けない。

体調は結局、ルアンパバーンにいる間少し良くなったくらいである。朝食は消化の良さそうなものを毎日取ることにしたが、昼食は抜いた。まともなレストランに通ったのは、最後の日くらい。これが効いたのか、ルアンパバーンを去る日にはすっかり回復していた。ま、そんな理由で、ここのところ、食べ物関係のアップがないのであるが、いつかまとめてアップしようかと考えている。

体調が悪くなったのは、すし詰めのバスに長時間かかったとか、ソンテウで移動してきたといった単純なことではなさそうである。これまでたまった疲労がルアンパバーンでついに限界に来たということなんだろうと思うことにした。体調は今ひとつだったが、毎日出歩く。調子が悪くなったら、部屋に戻って休めばいい。そんな感じだった。

Mk1538

<メコン川>MZ-3/50mm/RVP100

そんなわけで、本格的な町歩きは2日目から。この旅で3度目となるメコン川へ。最初は、タイ・ラオス国境のチェンコーンとフアイサイの間を船で渡った。ルアンパバーンよりは上流となる。2度目は雲南省の景洪にて。フアイサイよりもさらに上流。この時は、ほとんど雨という状況でメコンのほとりにいたものの、ただそれだけ。

ルアンパバーンで見たメコンは川幅500mほどだったろうか。むしろ、上流のフアイサイの方が、広く感じられたものである。ただし、雨季のこの時は水をかなりたたえていて、乾季に訪れた時とは表情を変えていた。

Mk1539

<スローボート>GR1s/T-MAX100

ラオスにおける水上交通としては、スピードボートがあまりにも有名だが、スローボートもあります。フアイサイからは1泊2日でルアンパバーンに到着するはず。なお、ルアンパバーン市街に近いこのエリアにはスピードボートはやってこないので、静かなものです。

Mk1541

<渡し船>MZ-3/50mm/RVP100

ルアンパバーンは内陸にあるものの、メコンとの接点は数多く、船なしには語れないだろう。寺院などに行くと、ボートレース用の船が格納されていたりする。また、最近はトラックに主役の座を奪われてしまった感もあるが、メコンがあってこその物資の流れもある。

また、ルアンパバーンは、メコンだけではなく、カーン川も流れている。まさに水に囲まれた世界遺産なのである。そのカーン川は、自分の到着前氾濫したらしい。場所は、カーン川が右カーブしているあたりで、ルアンパバーンで最も低いあたりではなかろうか。ここを通りかかると、泥土を除去する作業が行われていたり、川にせり出したレストランなどは完全に水浸しであった。それでも、滞在中水位が低くなり、そのレストランも再営業に向けて復旧中だったりしたのだが。

水の流れは和ませるものがある。この旅のすべてがメコンと関わるものではないが、メコンを中心にして移動していることについては、ある程度こだわりを持ってきたつもりである。かなり先のことになると思うが、さらに下流でもまたメコンと再会することになるのだ。

Postscript ルアンパバーンでは、体調最悪だったものの、撮った本数は最も多いようで、なかなかスキャンが追いつきません。また、次の旅に備えることもあるので、とりあえずは夏の旅の記事更新は年内はこれまでとさせて頂きます。他の記事は上げると思いますが。とりあえずは、年明けに再開します。

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2008年12月22日 (月)

ソンテウに乗って世界遺産へ

ノーンキャウの朝。山深いためか、薄暗い感じである。前の日、ウドムサイからこちらに移動。夕食前には、やや寒気がしていた。その時は気候のせいだと思っていた。アルコールは控え、早めに眠る。ゲストハウスのレストランで食事。

Mk1442

<巨大パンケーキ>GR DIGITAL

前の日からやはりルアンパバーンに行こうと思っていた。この日も移動となるため、比較的消化の良さそうなものと考え、コーヒーとパンケーキとする。しかし、でてきたのはこんなやつ。バナナ入りだが、練乳がたっぷりとかかっている。ものすごく甘い。胸焼けがしそうだ。

そのまま朝の散歩に行く。といっても、宿の前の未舗装の道を歩くだけ。

Mk1450

<朝のノーンキャウ>MZ-3/35mm/RVP100

あちこちで朝餉の支度が始まっている。画像を見る限りでは閑散としているようだが、朝の活気は感じられた。

一通り歩き、引き返す。宿の前のバスチケット売り場がようやく開いていた。ルアンパバーンまでのチケットを購入。40,000キープ。出発は9:00だとか。ひとまず、部屋に戻り、支度をする。

チェックアウトし、すぐ前でバスを待つ。まだバスの姿は見えないが、声をかけられた。ドライバーらしい。ルアンパバーンに行くというと、指さされたのは、バスではなく、ソンテウであった。

Mk1452

<ルアンパバーン行き「バス」>GR DIGITAL

ドライバーは、荷物を受け取ると屋根に登り、そこに荷物を置いた。まだ、数多くの荷物は載せられていないが、バックパックはブルーシートで幾重にもくるまれて、ひどいことにはならないようであった。まあ、一番大事なフィルムは、スーパーのレジ袋に包んだ上に、防水の袋に入れてある。さらには、バックパックにはやはり防水のザックカバーを掛けているので、よほどのことがない限り、ひどいことにはならないだろうなと何となく思った。

さて、次は座席である。荷台の座席では結構しんどいことになるかと思っていたが、ドライバーが指定したのは、キャビンであった。すでにルアンパバーンに行くラオス青年が先客でいたが、彼が中央に寄り、右の座席を手に入れることができた。ラッキーである。

バスならぬソンテウは、出発時間前に走り出した。だが、しばらくはノーンキャウのメインストリートを行き来するのみで、どうやら客を待っているようでもあった。ようやく出発したのは、ほぼ定刻くらい。はじめは、あまり客のいないソンテウであったが、小さな集落のはずれあたりに、ぽつぽつ乗客がいて、何度も乗り降りがあるのだが、ほぼ満席でルアンパバーンまで行くこととなった。

客が多い時には、大人は荷台の出っ張りに足をかけ、手で幌のステーを捕まりながら走る。小さな子供はキャビンの後ろに乗り込んだほどである。もう座席の余裕はないが、小さな子供だからできることである。

パークモンからは、国道1号線に別れを告げ、国道13号線へ(間違っているかもしれませんが)。この道はほとんどアップダウンがなく、カーブもきつくなかった。従って、人員満載のソンテウでも結構なスピードが出るのだ。

やがて、パークウー洞窟、バーン・サンハイなど懐かしい地名が標識に現れる。ルアンパバーンはもう近い。ルアンパバーンの北方面バスターミナルには13:00頃に到着。なんと、4時間という早さであった。

Mk1456

<ルアンパバーン北方面バスターミナル>GR DIGITAL

ここから、乗り合いのトゥクトゥクで市街へ。ようやくこの旅のハイライトが訪れることとなる。

Mk1461

<ルアンパバーン>MZ-3/35mm/RVP100

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2008年12月20日 (土)

ノーンキャウを歩く

ルアンパバーンの奥座敷とも呼ばれるノーンキャウ。ウドムサイからバスで4時間。ルアンパバーンからバスで4時間半だが、ボートを使うという手もある。ルアンパバーンが萩であるならば、ノーンキャウは津和野のような関係だろうか。とはいえ、ノーンキャウには有名な寺院もなければ、美しい町並みもない。あるのは、雄大な景色と素朴な人々の笑顔くらいだが。

Mk1433

<バンガロー>MZ-3/35mm/RVP100

ノーンキャウに到着し、バス停のすぐ目の前にあるセンダーオ・ゲストハウス(Seng Dao Guest House)に決めた。特に理由はなく、疲れていたのであまり歩きたくなかったことと、バスチケットを売るブースがすぐそばにあったからである。トイレ・シャワーつきで70,000キープ。だが、この時あまりキープを持っていなかったので、タイバーツで支払う。ウドムサイでは人民元も受け付けてもらえたが、ここではだめ。

客室はすべて独立したバンガローである。敷地内には、山羊なども出没するようなのどかなところである。竹と木で作られたバンガローには、小さなテラスもあり、ここで洗濯物なども干せる。しかし、山が迫ったノーンキャウの夕暮れは早く、気温もいくらか低めであった。テラスからはウー川と雄大な山を見ることができる。

ただし、この作りは蚊を呼び寄せるようで、ベッドの上には蚊帳がつるされていた。また、朝晩とも結構冷え込む。乾季はさらに寒さを感じるかもしれない。

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<橋と山>GR1s/T-MAX100

夕暮れ迫るノーンキャウを散歩する。ウー川には立派なコンクリート製の橋が架かる。これも国道1号線。水面からは意外なほど高く、これならどんなに水量が増えようとも、橋が流されることはないだろう。

ノーンキャウの町はバス停を中心に未舗装のメインストリートがあり、民家が並ぶ。橋を渡ったところにも、ゲストハウスやレストランを中心に民家があるといった具合で、非常にシンプルである。一通り歩くともうおしまい。

Mk1426

<ウー川>MZ-3/35mm/RVP100

ウー川は、意外に流れが早い。さらには、雨季の雨を集めかなりの水量である。川べりには何とか降りていくことができたが、ラオスの河川はどこでもそうなのか、崖のような感じで急激に落ち込んでいくため、それ以上は近づけなかった。さらには、足元がぬかるんでいるし。

結局、ノーンキャウには1泊だけしたのみ。雄大な自然は心を和ませるが、ただそれだけなのである。ここにゆっくりいてもいいのだが、まだ先のある身。ウドムサイでのんびりしてしまったので、翌日にはルアンパバーンに行くことにした。

しかし、ノーンキャウの奥にはムアンゴイという、さらに小さな町があり、ボートかソンテウで行ける。ただ、そちらに行くともっとゆるゆるしてしまいそうだが。また、ノーンキャウで自転車を借りることができれば、国道1号線をパークモン方面に進むと、いくつかの村があり、ボートレースの練習風景などを眺めることができる。バスから眺めただけだが、ここには外国人にも不足のなさそうなレストランがあった。山に囲まれたあたりだが、道は意外にもフラットなので、苦労することもなさそうだ。誰か行ってみませんか?

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2008年12月19日 (金)

山道で立ち往生

ウドムサイの次にはノーンキャウに向かうことにした。ノーンキャウはメコンの支流ウー川上流にあるいわば、ルアンパバーンの奥座敷的なひっそりとした町。近年欧米人に人気が高く、今年発行の地球の歩き方にもようやく登場したところなのである。ならば、話の種に行ってみようと思った。

ウドムサイで情報を集める。宿のオヤジ曰く、「数日前までノーンキャウは浸水していた」。確かに、雲南での豪雨は凄いものであった。雲南とは少し離れているものの、ラオスでも相当な雨が降ったことであろう。ましてや、その下流となると影響はあると考えられる。ネットカフェに行ってみると、ノーンキャウではなかったものの、ルアンパバーンで浸水騒ぎがあったとか、ヴィエンチャンでメコンがあふれたという情報が飛び込んでくる。オヤジの話では「今は大丈夫」とのことなので、それを信じて行くことを決めた。

次はアクセスである。ウドムサイの観光案内所で調べると、毎朝9:00にノーンキャウ行きのバスがあるという。でも、それだけ。また、ここではツーリスト専用のミニバスなどはないようだった。そこでバスターミナルに行ってみると、チケットは当日の購入で事前には手に入れられない。

さて、当日朝、早めにバスターミナルへ。チケットも無事購入。ノーンキャウの表示の出ている乗り場に行くと、萩原流行を若くしたような男が荷物を受け取り、バスではなく4列シートのワゴン車のトランクに荷物を収納する。そして、客に一声かけると、一番若そうな二人連れの男性が一番後ろの窮屈な部分に移動。空いた席に座る。ドライバーは萩原流行似であった。

すでにほとんどの座席が埋まっていたが、ワゴンはまだ客待ちをしていた。やがて、鉈を腰に差した民族衣装のモン族の家族4名が姿を見せる。絶対に乗れないと思ったが、三人掛けの席にひとり分のスペースを作り、ワゴンは出発時間前に身動きの取れないすし詰め状態で出発した。

ワゴンは給油し、山道を進む。やがて、モン族の子供の顔色が青くなった。乗り物酔いらしい。子供は父親に抱かれ、席を移る。母親の姿が見えないと思ったら、彼女も酔ったらしく、シートの間の床に座り込んでいた。とある集落を通過した時に、ぬかるみがあり、全員降りて車体を軽くし、これを脱出する。この時わかったのだが、助手席にいた青年は助手なのであった。

Mk1399

<ぬかるみ脱出>GR DIGITAL

さらに山道は続く。ウドムサイを除いては国道1号線もほとんどがこんな感じなのである。さすがに、寝台バスよりはスピードが出たが、さらにカーブはきつくなり、強引に4名並んだシートはワゴンの傾く方にものすごく重量がかかる。窓際にいた自分はかなりの重みを受け止めたことになるか。

Mk1397

<車内>GR DIGITAL

すし詰めの車内ではさらに凄いことが起きていた。モン族の男性(おそらく父親の弟か何かだろう)が、備え付けられたビニール袋を握りしめ、苦しそうな表情を浮かべていた。それも我慢の限界だったらしく、とあるきついカーブでついに嘔吐する。彼は自分の隣。上の画像の黒い服の男性だ。彼は、前のラオス青年に声をかけ、強引に席を移り、窓を開けて吐き続けた。

出発して2時間ほどたった頃、ワゴンは何もない山道で不意に止まる。全員降りろとの指示。なんと、パンクであった。スペアタイヤを取りだし、タイヤ交換。しかし、ジャッキを下ろすと空気が入っていないことが判明。スペアタイヤまでパンクしていたのである。なんてこった。

Mk1401

<パンク>GR DIGITAL

このワゴンはエアージャッキまで備えているのに、そんなこともわからなかったなんて。こんな時ラオス人の乗客たちは「しょうがない」というような微笑を浮かべ、路肩にシートを敷き昼寝をしたり、持参した弁当を食べるような悠長さである。

結局、ドライバーと助手は通りかかったクルマを止め、タイヤを抱き、次の町へと修理に向かう。立ち往生3時間。おそらく、次の町パークモンまで往復2時間、修理に1時間といったところではなかろうか。この間に、前に座っていた二人組はバスを離脱し、歩いて目的地に向かって行った。

灼熱の太陽とまでは行かないものの、日陰はなく、たまににわか雨も降る。そんな自分は、後ろにいた二人組のはからいで、彼らの弁当をちょっと頂くことになった。「一緒に食べよう」という仕草の嬉しかったこと。ラオス人は優しい。その弁当だが、携帯用のティップカオにカオニャオを詰め、別の容器にはピンカイが入っていた。ちょっとつまんだだけだが、美味しかったことはいうまでもない。

やがてドライバーと助手が戻り、タイヤ交換。今度は何事もなく、パークモンに到着。弁当を分けてくれた二人はここで降りる。吐くもののなくなったモン族たちも落ち着いたようである。助手が知っている限りの英語で「あと15分でノーンキャウに着く」という。結局、4時間の道のりを7時間かかってしまった。

ノーンキャウは水害の跡もなく、のどかなところであった。宿を決め、ウー川に架かる橋を歩いていると、バイクが止まり、乗っていた男性が振り向く。それは、こざっぱりとした服に着替えた萩原流行似のドライバーなのであった。もう、水浴びなどしたんだろうなあ。さらに、ここからさらに遠くまで行くソンテウが追い越していく。通り過ぎるソンテウから声がかかり、見るとモン族の人たちが手を振っていた。

ラオスでもっとも印象に残る出来事を綴ってみました。ラオスでの公共交通機関を利用したのはこの時と、ルアンパバーンに向かう時だけ。どちらも印象的でしたが。

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2008年12月17日 (水)

ウドムサイ点描

ウドムサイを語るというほどではないが、話はどうしても市場に落ち着きそうである。ウドムサイには比較的大きな市場がある。それは、ルアンパバーンと比較しても遜色はなさそうである。

Mk1292

<品定め>MZ-3/35mm/RVP100

市場は生活必需品の物資と食料品および食べ物屋台にセクションが分かれる。2階建ての建物には食料品以外のものが並び、品揃えもかなりバラエティに富んでいる。そうした市場の規模からいうと、ヴィエンチャンのタラート・サオ(モーニングマーケット)に次ぐくらいの大きさかもしれない。しかし、圧倒的なのは中国製品であり、ラオスの物流にはウドムサイの中央を縦貫する国道1号線を日夜走り続ける中国からのトラックの恩恵をなしには語れないということになりそうだ。

Mk1301

<食べ物屋台>MZ-3/35mm/RVP100

一方、食料品と食べ物屋台は階段を下りた低い位置にある別棟となり、ここにも屋根はあるものの、壁がない構造である。食べ物の匂いを逃すためであると思える。ここは、食料品と屋台が渾然一体となっていて、あまり明確なセクションがない感じだ。野菜、肉、加工食品などの合間に、屋台が点在しているといった方がいいのか。

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<カイソーン元大統領像>MZ-3/35mm/RVP100

町の中心にはラオスのどこにでもあるともいえる、カイソーン元大統領の銅像がある。もともとはインドシナ共産党の指導者であり、首相と大統領に就任している。ラオスは社会主義国となっているものの、比較的政治色が薄まった国であると感じる。そうした国では強大な指導者の像や肖像画が国中にあふれているものだが、ラオスに限っては今や故人となったカイソーンの像くらいしかない。むしろ、いにしえのルアンパバーン王国の国王の像などの方が多いと思う。

Mk1315

<旧市場跡>MZ-3/35mm/RVP100

実は、ウドムサイの市場は新しいものである。かつては小さな市場があったが、今はソンテウ乗り場などに転用されている。それでも、このエリアの中には食べ物屋台がある。ただし、土埃の中なので、あまり衛生的ではないかも。このあたりでは、個人の物々交換なども行われているかもしれない。とにかく、ものを持った人が多い。

Mk1317

<お米の国>MZ-3/35mm/RVP100

新市場と旧市場跡以外は、ほとんど一般の民家である。それがメインストリートの国道1号線に面しているものであったとしても、特に変わりはない。米、おそらくもち米をたらいに移し替えている女性がしていることは、昼食や夕食の支度の下準備なのだろうか。

とにかく、観光的な要素のないウドムサイなので、これといった写真は少ない。だが、日常生活の一環をここでは観察できたような気もする。

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2008年12月16日 (火)

ウドムサイでの少数民族

ウドムサイの宿でくつろいでいた時、宿の主人が呟いた一言。「このあたりではラオス人は半分くらいだな。あとの半分は中国人みたいなものだ」というものがあった。ラオス北部も少数民族の宝庫。資料によれば、カム族約60%、モン族約14%、ルー族約10%となっていて、ラオ族の方が少数派となる。また、ラオス政府はラオスに住む少数民族をひとくくりにしていて、それを高地ラオ、中高地ラオ、低地ラオ、と区分している。カム族は中高地ラオ、モン族は高地ラオ、ルー族は低地ラオである。

主人によるラオス人とはこの政府区分に従ったもののように思える。

Mk1279

<買い出しに来た少数民族>MZ-3/35mm/RVP100

確かに、ラオスでは雲南のように圧倒的な漢民族と比べると少数民族の見分けがしにくいように思える。常に民族衣装でも着ていればわかるのだが、顔つきなどからは判断しかねると思う。

この写真を撮った時の状況はよく覚えていない。民族衣装と独特のヘアスタイル。そうした姿に、とっさにシャッターを切ったのだろう。それにしても、声をかけた記憶がないが、よく立ち止まってくれたものである。

Mk1318

<農産物を売りに来た少数民族>MZ-3/35mm/RVP100

ウドムサイは30分も歩けば町の端から端まで行けてしまうくらいの規模である。暇なので、ボーテン側に歩いてみたら、農産物を背負った少数民族が山から下りてきたところであった。点在する家に立ち寄り、声をかけるが軒並み断られていたような感じであった。彼らも現金収入が欲しいのだろう。

「半分くらいが中国人」。市場を覗くとほとんどの商品は中国製品。同じように中国行きのバスがあったルアンナムターでは、中国人経営のレストラン、ホテルなどがあり、中国人も中国語を声高に話すという異国の中のコロニーを作っているように見えたものである。ウドムサイでは中国人経営の宿はあったが、レストランは見つけられず、中国語は聞かれなかったように思う。

これは、ウドムサイでは中国人がここに定住していて、家の中以外では中国語を話さないことなのだろうか。だが、ルアンパバーンでもヴィエンチャンでも中国製品は市場にあふれ、料理も楽しめる。ラオスのかなりの部分に中国が進出していることだけは事実である。

Postscript ホームページでメコン流域の旅についての旅行記を作成しています。週末ようやく、更新しました。「雨の中の水かけ祭り」。雲南のモンハン/ガンランパでの出来事を記述しています。よかったらこちらもご覧ください。

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2008年12月13日 (土)

僧侶とプー・タートの丘

Mk1259

<僧侶たち>MZ-3/35mm/RVP100

国道1号線と4号線の交差するウドムサイは交通の要所である。中国、ベトナム、メコンを経てタイへとつながるルートがある。また空港もあり、ラオスでは重要なポイントのひとつである。だが、それだけの町で、観光資源のようなものは何もない。

ウドムサイに到着し、とあるゲストハウスに旅装を解く。その足で町を一回りしてしまえば、あとはすることがないが、休養も兼ねて2泊することにした。そんなときに若い僧侶の一団に出会い、思わずシャッターを切る。

雲南でも上座部仏教の寺院と僧侶はもちろん存在するのだが、このように気軽に出歩く僧侶を見かけたことはなかった気がする。

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<托鉢>GR DIGITAL

朝食を食べに出た際に托鉢に遭遇する。ルアンパバーンでは托鉢はどんどんと進行していき、差し上げる在家は必死になって食べ物を差し出さなくてはならないほど。受け取る僧侶も早足でほとんど立ち止まることなく進んでいく。

しかし、ウドムサイでは住民も僧侶もそれほどたくさんいないためか、悠長な感じがした。上の写真の僧侶たちも次にやってくる喜捨する人を待っているかのようである。僧侶が歩道に向かって立ち止まっている姿などルアンパバーンでは決して見ることのできない光景なのだ。

Mk1345

<プー・タート>MZ-3/35mm/RVP100

数少ない観光資源のひとつ、プー・タートの丘に登る。比較的平坦なウドムサイの中にあって、ここはひときわ小高い丘である。町の様子は手に取るようにわかる。丘の上にはプー・タートと呼ばれる仏塔があった。その近くには僧坊らしいものもある。だがあまり僧侶の姿は見かけない。

Mk1347

<ラオス式おみくじ>MZ-3/35mm/RVP100

仏塔の入り口には小さな小屋があった。番号の書かれた下駄箱のようなものがあり、紙片が入っている。どうもおみくじのようである。しかし、管理人不在で確かめるすべもなかった。

Mk1354

<プー・タート>MZ-3/20mm/RVP100

ウドムサイでは比較的天気は安定していた。たまにスコールが来たが、30分もすると止んでしまい、それほど傘の世話になることはなかった。しかし、一点の曇りもない青空とは違う。いつ崩れてしまってもおかしくないような不安定さだ。それでも、ウドムサイではこれまでの雲南とは違う色が出るだろうなとファインダー越しに覗きながら思っていた。

冒頭の写真のようなイメージが夏の旅では思い浮かぶ。雲南ではまるで出なかった色がここにある。いいぞと思った。

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2008年12月12日 (金)

ウドムサイまでの4つの交通手段

いよいよ雲南をあとに。ラオス入りしウドムサイを目指す。モンラーからはウドムサイ直行のバスがあるはずだが、チケットは「没有」なので、見つけた交通手段の乗り継ぎで行くことになるな。ちょっとしたチャレンジである。

まずは中国・ラオス国境まで。中国側国境はモーハン。モンラーからは景洪から到着するバスターミナルと別の南站というバスターミナルがあり、宿からは1km弱とはいえ、重いバックパックを担いで歩いていく。入り口では荷物検査あり。モーハンまで17元。うち1元が保険料。ミニバスである。だが、モーハンまでは頻発しているのでそれほどの心配はいらない。

Mk1224

<モーハン・ボーテン国境地帯>MZ-3/50mm/RVP100

モーハンのイミグレーション。出国カードとパスポートを提出するのみ。簡単に通過すると、出口ではトゥクトゥクが待ちかまえている。中国人ともラオス人とも判断のつかない女性2名が先客だが、あと2、3名乗れるかというところで出発。

ここ数日降り続いた豪雨で未舗装の山道はかなりぬかるんでいた。大型のバスとトラックが立ち往生していて、渋滞が発生。上の写真はトゥクトゥクの客席から後方(中国側)を撮したもの。左側のツートーンのオート三輪がトゥクトゥクである。ガンランパのトゥクトゥクに似ているが、座席は向かい合わせの乗り合いタイプである。右はシーローだがモーハンのイミグレーションではその時姿を見かけなかった。トゥクトゥクは5.0元である。

ラオス側イミグレーション、ボーテン。非常に多くの人間が通過している。中にはパスポートの束を抱えた人もいて、個人旅行者は後回しになりそうだ。また、出入国カードをもらおうと窓口に尋ねるとこれを理解しない係もいるので、注意が必要である。

Mk1226

<軽ワゴンで出発>GR DIGITAL

ボーテンからはルアンナムターとウドムサイに公共バスがあるはず。もっとも、ソンテウだという話もあるが。しかし、そのようなものは見つからずどうしようかと思っていると、中国人旅行者に話しかけられた。

彼らもウドムサイまで行くのだが、人数待ちしている。自分を入れてもあと2名足りないらしく、しばらくここで客待ちする。ここには大型のワゴンなどが数台客待ちしていた。結局続く旅行者が現れることはなかったのだが、なぜか四駆のピックアップトラックと軽ワゴンに分乗し出発。しばらくは道もよく、これなら快適にウドムサイまでいけると思ったあたりで、ワゴンはストップし、ドライバーが連れて行ってくれたのは昆明からやって来た寝台バスであった。ワゴンの料金は8.0元。

Mk1234

<寝台バス>GR DIGITAL

バスはここで休憩中だったらしく、やがてやってきたドライバーに英語で交渉。OKがでて、のることができた。バスには助手も乗り込み、彼に料金を払う。ウドムサイまでは40元で交渉成立。

このバスはルアンパバーン行きでウドムサイで翌日も見かけたので毎日1便が走っているようだ。また、ヴィエンチャン行きもあるはずなので、こちらも見かけたと思う。ともかく、荷物を持ち込み、空いた席へ。空いているのは最後列のみ。

Mk1229

<寝台バス内部>GR DIGITAL

このバスはすべての座席がフラットなスペースとなっている。ひとり分のスペースはマット1枚のみで、それぞれに掛け布団と枕がつく。上の写真で右手に女性が見えるが、彼女の隣にも1名分のスペースがある。だが、大部分の乗客は2名分の料金を払い、自分の環境をほどよく確保していたようだ。

自分の占めた最後列は、5名分のマットが敷かれていた。右手に見える素足は自分と同時に乗り込んだラオス人青年のもの。払った40元は、モンラー-ウドムサイ間の公定料金が32元というのに比べるとかなりの割高だが、助手が2名分の料金を徴収したということを考えれば、納得はいく。なお、寝台は2段式となっていて、この上にもしっかりと乗客はいた。また、それでも満席にはなっていないようで、途中数ヶ所で乗客を拾っている。

おそらく到着したのはボーテンの町中だったのではなかろうか。ここまでは道もよかったのだが、走り出してみると、凹凸が激しい路面となり、マットに横になっていると身体が浮き上がってしまうような感覚になってしまった。前の方にいたラオス人女性は、小さく開けた窓からしきりに顔を出し、何度も吐いていた。このあたりの三半規管の感覚だが、日本人にはどうということはないような揺れでも、ラオス人にはかなり辛いものらしく、乗り物酔いをする人はかなり多い。

道はやがて山道へ。さらに揺れが激しくなる。しかも、狭い道幅と急カーブの連続で、まったくスピードが出ない。きちんと座っていたものの、激しい上下動に頭を数度上の寝台にぶつけるため、またも姿勢変換である。今度は、再びマットに横になったものの、手すりをつかんで、ある程度揺れに身体を任せた。ようやくしっくり来る。

Mk1236

<不気味な土産>GR DIGITAL

そんな中、最初の休憩。何もない山道だが、路肩には簡単な小屋が何軒も並び、果物なども売られていた。しかし、小屋の軒先にはビニールに入れた蛇ともタウナギとも区別のつかないものがぶら下がり、これを乗客がよく買っていく。

バスはそれからもう一度止まった。ドライバーと助手が工具を持って後方に回ったので、何かの修理だったようだ。これはすぐに終わり、ようやくといった具合で大きな町に到着する。隣のラオス青年に確かめるとウドムサイとのことで、ようやくバスを降りることとなった。

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<ウドムサイ>MZ-3/50mm/RVP100

ウドムサイ。天気は晴れ上がりいい感じである。それにしても、疲れたので予定を変更し、2泊することにこの時決めた。

Postscript ようやくラオスに再突入です。このあたりでようやく半分くらいの日程を消化。なので、もう年内にすべてのアップは無理です。次の旅が迫っているところですが、それに関係なく、このメコンの旅を優先したいと思います。

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2008年12月 9日 (火)

辺境に生きる

雲南のほぼ最南端にあるモンラー。ラオスとの国境まで約50kmというところにある辺境の町である。町の作りは中央の大通りを中心に市街が形成され、そこからやや離れたところにモーハンまで伸びるハイウェイがある。その周辺部がおそらく少数民族の住むエリアであろう。

観光地としては望天樹という自然公園もあるが、市街には何もなく、移住した漢民族の住むエリアが広がるばかり。それでも市街を散策し、市場を冷やかしてもみた。ここではモンラーで撮った写真をランダムにピックアップしてみる。

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<市場の番人>MZ-3/35mm/RVP100

昼下がりの市場。大半の売り物は片づいてしまい、わずかに生きたままの鶏やアヒルが籠に入れられて売られていた。だが、なぜかこの雄の鶏だけは足を紐でつながれたまま、籠の上にちょこんと乗っている。まるで、店番のようでもある。

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<酒の量り売り>MZ-3/35mm/RVP100

酒屋がないわけではなかろうが、酒の量り売りがあった。右手のものはコーリャン酒とあり、中国ならではのもの。ちなみに、中国ではコウジカビではなくクモノスカビを媒介として酒造りを行う。そのために独特の風味があるという。また、上の写真だが、カメラを見せて撮ってもいいかと確認したものです。売り手のおじさんと兄ちゃんはカメラから顔を背けている。見てくれたらよかったんだけどな。

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<足踏みミシン>MZ-3/35mm/RVP100

前のエントリーで泣き出した子供のいたところにミシンで縫い物や修繕を行う一角があった。ずらりと並ぶミシンも壮観だったが、アップで撮ってみる。使い込まれてはいるが、施された装飾も美しく、ミシン自体も磨き込まれている。今や、日本では足踏みミシンなど見かけることもないが、これはカメラにたとえると完全にマニュアル式のもの。ミシンの由来通り機械としての美しさがある。

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2008年12月 7日 (日)

青空と笑顔と泣き顔と

いよいよ雲南をあとにする。だがこの日の目的地はモンラーまで。それはなぜか。モンラーからラオスのウドムサイまで国際バスが早朝に出ているからなのである。そんなわけで、バスに乗りモンラーへ。特にモンラーではやることもないが、こんな時に限って悔しいばかりの青空である。

モンラーではバスターミナルの真向かいにあるホテルに投宿する。相変わらずの星なしホテルだが、清潔度では景洪を上回り、設備もいうことはなかった。その後、バスターミナルに舞い戻り、ウドムサイ行きを予約しようとするが、答えは「没有」であった。

モンラーに来た意味がなくなってしまうが、まあ仕方ない。そういえば、宿の裏手には市場があった。そこに行ってみる。モンラーの市場も昼下がりでほとんどの商品はなくなっていたが、わずかに残ったものを売る人たちがいて、その合間を子供たちが遊び回っている。

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<三人組>GR DIGITAL

その中の子供に声をかけて写真を撮らせてもらう。はじめ、何となくスナップ的にカメラを構え、彼らを撮していた。それに気づいた子供たちが、カメラの背面を見せろと迫る。今や、辺境と呼ばれる場所に行っても、デジタルカメラの存在は誰でも知っている。カメラのモニターを見ることで写り具合を確認するなんて行為も当たり前のことだ。

あいにくとスナップをしたカメラはモノクロを詰めたGR1sだったので、あらためてGR DIGITALで撮り直す。もちろん、モニターを見せる。おそらく、それを見た彼らの笑顔は、実際に撮った写真よりも素晴らしいものだったろう。

Mk1156

<笑顔>GR DIGITAL

今度は積極的にこちらから被写体を見つける。それまでの様子を見ていたらしい子供たちが、集まってくる。来るものは拒まずである。今度は、GR DIGITALで先に撮り、モニターを見せてから、MZ-3でもう1枚ということを行った。皆いい笑顔である。

調子に乗って、さらに市場の裏手にも行ってみた。そこでは、ミシンで何かの修繕を行うような仕事が行われていて、興味深くそれを見守る。

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<泣き顔>MZ-3/35mm/RVP100

そこにも、子供がいた。まだよちよち歩きの赤ん坊といってもよい年齢。いろいろ声をかけ笑顔になってくれるよう働きかけたが、とうとう泣き出してしまった。その瞬間の1枚。

何もないモンラーではあるが、この日はそれまでの鬱憤を晴らすようにいい写真が撮れたと思う。これだけでも、遠くシーサンパンナまで足を運んでよかったと感じた瞬間である。

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2008年12月 6日 (土)

景洪のカフェと茶芸館

景洪の曼聴路にはいくつかのカフェを名乗る店がある。中国としては珍しいことなのではなかろうか。景洪でのカフェはベトナムのように旅行会社を兼ねているようで、ツアーなどのアレンジもできる。

そうした目的を持ってカフェ通いをしていたのだが、結局はいいツアーがなく、単なる喫茶店やレストラン代わりとして利用することとなった。

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<バンナカフェの朝食セット>GR DIGITAL

メイメイカフェ(美美珈琲屋)は宿の向かいにあり、景洪に到着したときにツアーの情報があるかと思い、ついでに夕食を取った。この店が一番景洪では外国人観光客が多かったと思う。そのツアー内容というと、トレッキングなどが主体で、景洪から地方を回るものは扱っていないようであった。

ガイドブックによると景洪では旅行会社がたくさんあり、食事の最中にもツアーの客引きが盛んだとあるが、そのようなことは全くなかった。訪れた季節がよくなかったからかもしれない。また、メイメイカフェはかなりあっさりしていて、注文をききに来た店員がもう一品どうかなと考えている最中にあっさりと引き下がってしまうようなところだった。

そんなこともあり、あまりいい印象がなく、翌日朝食を取りにいったのは、バンナカフェ(版納珈琲)であった。メイメイカフェはまだ閉まっていたが、ここは朝早くからやっているようである。店員も顔つきからすると少数民族のようで、フレンドリーである。朝食セットは洋式と中国式があり、後者を選ぶ。

スープ麺にカットフルーツ、コーヒーまたはお茶、卵。それがすべてである。ただ、料金を変えることなく、カットフルーツはフルーツシェイクに、卵は調理方法が選べる。麺はさほど美味しいものではなく、あっさりとしたものであったが、雰囲気がよかったのでほとんど毎日のように通う。

ある時、ここで休んでいると、ツアー帰りのようなヨーロッパ系の顔のおばさんが、タクシーで中国人と戻ってきた。相当な雨だったらしく、途中で長靴を買い込んだらしい。店でスニーカーに履き替えていた。ここは、ガイドブックによるとCITS(国営の旅行代理店)の窓口になっているらしい。ツアーを利用するとしたら、ここがいいだろうと思ったが、すでに日程は残り少なく、確かめることはしなかった。

このカフェでは比較的本格的なコーヒーを味わえる。雲南省もシーサンパンナもコーヒーを産出し、雲南コーヒーとかバンナコーヒーなどと呼ばれている。だが、また茶の産地でもあり、カフェとは別にたくさんの茶芸館もあるのだ。

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<茶芸館>GR1s/T-MAX100

よく見ると景洪茶城などとある。そのエリアだけはひときわ茶芸館が多く、こちらは中国人がよく利用している。カフェに外国人旅行者が集まる理由はもちろん、英語が通じるからである。一方茶芸館は中国語オンリーの世界で、旅行情報も皆無である。

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<茶の書体各種>MZ-3/35mm/RVP100

それだけ、景洪ではお茶が中国人のライフスタイルと結びつけられ、人々に愛されているのだろうと思う。むしろ、ゆったりするのはこのような茶芸館に入り、茶を味わうことの方がいいのかもしれない。

少なくとも、トレッキングをする目的がないのならば、景洪周辺へのアクセスはかなり頻発しているし、ツアーに乗ることなく自分で訪れることは可能である。まあ、それはある程度の時間が自由になることが必要条件なのであるが。

Postscript これで、景洪のエントリーは終了します。次はモンラー。再びラオスが近づきます。よろしくです。

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2008年12月 5日 (金)

雲南の麺料理・過橋米線

モンフンからバスで景洪に戻る。簡単な麺料理しか食べてなくしかも雨に濡れたため、温かいものを口に入れたかった。幸いバスはいつもと違う版納客運站(バンナ・バスターミナル)に着いたため、歩いていける米線の店に足を運ぶ。

米線とは正式には過橋米線といい、その昔科挙を目指した書生が勉学に励むため池の小島で学習していたが、そこに食事を運ぶと橋を渡るために料理がすっかり冷めてしまう。ある時、土鍋で煮込んだ鶏を運んだところ、鶏から出た脂で料理が冷めなかった。そこで、その料理に米線を入れて出し、書生はそれを食べて勉学に励んだ結果、科挙に合格したという逸話から来ている。過橋米線は雲南省の名物料理となった。

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<過橋米線>GR DIGITAL

ガイドブックに載っていた蒙自過橋園という24時間営業の店へ。紅焼牛肉米線の小を指さしでオーダー。これで5.0元。待つこと数分、やがて米線が運ばれてきた。スープは熱々。脂が浮いている。麺はあまり弾力がなく切れやすいような感じである。具は、牛肉にキノコ、そしてレモングラスが確認できるだろう。やはり狙い通り、食べると身体が温まった。

この麺はもちろん米からできた麺だが、ビーフンのような乾麺ではなく生麺らしい。そのために切れやすい感じがしたのだ。麺には弾力もないもののコシも少ないように感じる。また、この店の米線は「米銭」という表記なのであった。こういう例は中国にはいくつかあって、「麺」を「面」と書いてあったり。発音が同じとか表記を簡略したとかだろうと思うが。

米線は中国を離れる最後の食事としても食べている。それはモンラーの市場にあった店で、正直いって他の朝食にふさわしいものが見つからなかったせいでもあるが。

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<モンラーの米線>GR DIGITAL

メニューの名前はフォントにないので表記できないが、あぶり肉の米線ということになる。これの大が6.5元。白濁したスープには、無数の脂が浮いている。そして、ここではハーブではなくワケギのようなものが入り、よくソテーされた鶏肉がソースと絡められてのっている。もしかすると、これは鶏のレバーなのかもしれなかった。臭みはなく、正直いって景洪の米線よりも、美味しかった。

米線は別にシーサンパンナに行かなくても、雲南全域で味わえると思う。要するに省都の昆明、大理や世界遺産麗江などでも。ちなみに、この料理は英語名でも「Cross Bridge Rice Noodle」と呼ばれているらしい。探せば日本でも店があるようなのだ。味わうチャンスはあるだろう。

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2008年12月 3日 (水)

サンデーマーケット・売り物編

モンフンのサンデーマーケット続編です。

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<肉まん>MZ-3/35mm/RVP100

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<フルーツ>MZ-3/35mm/RVP100

モンフンのメインストリートに面した両側は商店となっているが、その前にはいくつかの露店が出ている。どちらかというとまばらな感じだが、これが午前中だったり天気がよかったりした場合、ここに露店がびっしりと立ち並ぶのではなかろうか。すなわち、それがモンフンのサンデーマーケットなのではなかろうか。あくまでも推測だが。

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<豆腐>MZ-3/50mm/RVP100

半ば水没しかかっている常設の市場にさしかかる雨を避けられる場所で、少数民族のおばちゃんが豆腐を売っていた。おばちゃんは頷くと「タオフー」と呟く。

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<野菜>MZ-3/50mm/RVP100

一方、常設の市場の中ではやはり売られているのは、野菜や肉、魚などである。この見事な色合いのトマトやピーマン、唐辛子を見よ。雲南の経済状況は決してよくないと思うが、この見事な農産物を見る限り、雲南も豊穣の大地であると思う。

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2008年12月 1日 (月)

補足します

たまたま自宅でなく某所で自分のブログを見ていたのですが、今まで乱用してきたモンフン、モンハイ、ダーモンロンなど「モン」のつく文字がすべて文字化けしていたことにようやく気づきました。

Cocolog_oekaki_2008_12_01_21_08

つたない文字で申し訳ありませんが、文字化けしていたのはこの文字です。「孟」に「力」を合わせた漢字ですが、実はATOKではこれが出てくるのです。このご時世ワープロはワードがメインとなっているのですが、文字入力にはATOKを使っていたのですね。

ホームページ作成ソフトなどではこの文字は文字化けしてしまいますが、ココログの作成画面ではしっかりと表示できていた(あくまでも自分の画面)ために、誰でも読めるものだと判断していたのです。これは完全な機種依存文字だったのですね。申し訳ありませんでした。

景洪を中心とするシーサンパンナではこの文字を付ける地名がたくさんでてきます。ガンランパのモンハン、景真八角亭のあるモンハイ、そしてサンデーマーケットのあるモンフン。そして、ラオスからバスで到着したモンラーなどです。この文字はタイ語・ラオス語のムアン(大きな集落)から来ているようです。

とりあえずは、ここ数日の記事については文字化けしたところはカッコ書きでカタカナ表記を取り入れました。それ以前の記事については申し訳ありませんが、訂正なしとさせて頂きます。今後については、カタカナ表記にしたいと思います。やあ、それにしてもやっかいな地名だ。

香港の記事についてもATOKにある機種依存文字かなり使っているな。ま、こちらはかなり前のことなので、ご勘弁を。

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