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2010年5月30日 (日)

ケロアンのグラン・モスク

ケロアンの市内観光は2日目の朝から行った。ケロアンの主な名所は共通入場券になっているが、ケロアンのメディナの入り口にある観光案内所ではなぜかこれを購入することができない。購入することができるのは、メディナの外れや、メディナ外にあるグラン・モスクやシディ・サハブ霊廟、貯水池に面した観光案内所のみである。

前日の昼過ぎに到着した身としては、初めのうちはロケハンを兼ねたメディナの散歩となるのがいいだろうと思ったのである。

前日のうちにモスクまでは何とか行くことができ、あまり迷わずに到着することができた。

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<グラン・モスク>MZ-3/20mm/RVP100

まだ朝早いモスクではごく一部の観光客がいるのみである。グラン・モスクという名前の通り、かなり広いモスクである。ケロアンはイスラム教にとっての聖地のひとつである。アラブの北アフリカ進出の拠点となったため、メッカ、メディナに次ぐ第三の聖地であると認められている。

つまり非ムスリムにとっては唯一訪れることのできるイスラム教の聖地なのである。

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<ミナレット>MZ-3/20mm/RVP100

グラン・モスクというのはもちろん通称で、正式名称はシディ・ウクバ・モスク。北アフリカにおける布教の拠点として建設された。観光客はもちろん、ミフラーブのある祈りの場には足を踏み入れることはできないが、その一部を垣間見ることができる。

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<日時計>MZ-3/35mm/RVP100

モスクの中庭の中央でこんなものを見つけた。かなり高いミナレットがあるにしても、広い中庭ではここだけは影がささないと思われる。アラブは理科系の学問が発達したところである。いささかクラシックだが、寸分の狂いのないものと思われる。しかし、アラビア文字が読めない身にとっては、どこを表示しているものかわからないのが残念である。

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2010年5月25日 (火)

ケロアンのスークにて

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<メディナのスーク>GR1s/Neopan Acros

ケロアンはメディナの中心街がチュニスやスースなどに比べて小規模だ。そこにあるスークもあっという間に終わってしまう。他の都市では結構込み入った作りになっているというのに。

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<衣料品店>GR1s/Neopan Acros

なので、あっという間に通り過ぎてしまう。冷やかし甲斐がない。そんなときに声をかけてきた男がいた。

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<菓子店の青年>GR DIGITAL

菓子店の青年であった。声をかけるとガラスケースを指さし、「食べてみないか?」というではないか。

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<マクロウド>GR DIGITAL

もちろん、快くいただいた。これは、ケロアン名物のマクロウドという菓子である。ナツメヤシの実デイツをベースにしたもので、かなり甘い。表面上アルコールがないことになっているイスラム世界では甘いものは子供や女性だけのものではなく、おっさんもじいさんも大好きなのである。

モロッコのワルザザードという砂漠の一歩手前の都市郊外で砂漠の民の食事を体験したことがある。それは、ミント茶と干したデイツだけというものだったが、カロリーは十分。まあまあ腹は満ちました。

あの青年の心意気をかって、マクロウドを買ってもよかったのですが、実は歯が溶けそうになるくらい甘いものは苦手なんですね。味見で失礼といった話でした。

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2010年5月19日 (水)

シェムリアップのお勧めレストランPart2、ワインで乾杯

久々アンコール遺跡の話。とはいえ、レストランの紹介です。

以前も紹介した「アモック」レストラン。ここにワインがおいてあることを確認し、やはり大晦日はここに行くことにしました。アジアではビールがあればいい方ですが、まさかカンボジアでワインを飲めるなんて少し前までは考えられませんでしたから。

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<シャンパン>GR DIGITAL

やあ、また来たよと人なつっこい女性マネージャーに手を振り、席に案内してもらいます。すかさず置かれたのが、シャンパン。これは大晦日のサービス。そこでおもむろに、ワインリストを見て、みみっちいけども一番安い25ドルくらいのオーストラリアワインをオーダー。すると、マネージャーは「一人でそんなに飲めますか?」と驚きを隠さないのだったが、まあ問題ないので大丈夫と胸を張る。

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<ワイン>GR DIGITAL

マネージャーが運んできてテイスティング…と行きたいところでしたが、やはりワインはそれほど出るものではなさそうで、ソムリエナイフの使い方がぎこちない。よほど自分がやろうかと思いましたが、そこは我慢。結構いい状態で、美味しくいただけました。

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<エビサラダ>GR DIGITAL

頼んだ料理はニューイヤースペシャルとでもいうような特別料理。確か、24ドルですべて込み。間違いなくこれらを一品ずつ頼むよりもお得な料金設定でした。まずは、エビサラダ。もちろん、トンレサップ湖のエビでしょう。淡水性のエビだったものの、ほとんど海のものと違和感なく食べることができました。

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<エビ春巻き>GR DIGITAL

これもまた美味しい。この揚げ春巻きはベトナム風にライスペーパーを使ってます。タイやラオスでは小麦粉で作った皮なんだけど。カンボジアはポルポト政権が打倒された時、ベトナムの支援を受けた政権ができあがっているので、ベトナム人も多く居住しています。なので、ベトナムの食の影響もかなりあると思われます。

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<エビの揚げ物>GR DIGITAL

もはや、エビづくしの感が。それにしても、こんな大きいエビもトンレサップ湖で捕れるのか。こちらもまたイセエビのような食感が。カンボジア、侮れん。

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<鶏肉スライスと野菜>GR DIGITAL

一応、鶏肉と書いたものの、カモかアヒルなのかもしれない。濃い味の肉と淡泊な野菜のコンビネーション。ここの料理人は間違いなくフランス料理を学んだ人なんだろうなと思う。従来のカンボジア料理の域を超えているし。

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<デザート>GR DIGITAL

パイナップルの飴かけでした。普通アラカルトで頼むよりも2品くらい多い感じ。これにエスプレッソをつけて、2009年の最後の食事が終了した。満足、満足。

しめて、49ドルでしたが、クレジットカードがきくので、助かりました。おそらくこのたびで一番お金を使ったものだったなー。

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2010年5月16日 (日)

バンコクはどうなってしまうのか

このブログを始めて少したった頃、バンコクで無血クーデターが起きた。国軍による反タクシン行動。その後、タクシン元首相はその地位を追われ、国外逃亡することになる。

あれから4年。2007年の年頭、ミャンマーの帰りにバンコクに立ち寄った。そのときは何も気にせず、アユタヤなどで遊び2泊して帰ったのだが、12月の年の瀬にバンコクでは爆弾テロが起こっていた。国王の誕生日が12月のためか、国王カラーのイエローのシャツを着る人々がものすごく目立った。

2008年にはタイ・ラオス・中国への旅を行った。バンコクが基点である。旅を無事に終え、日本に戻ると、タクシン元首相を支援する赤シャツ姿の人たちがスワンナプーム国際空港を占拠するという事件が起きた。それでも死者が出ることはなかったのだが。

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<エラワン・プーム>MZ-3/35mm/RVP100

スクムビット通りとラーチャダムリ通りの交差点にある、エラワン・プームには様々な御利益があり、たくさんの人々が訪れる。だが、このあたりは今や反政府組織が占拠している箇所である。ここだけではない。すぐ近くのセントラル・ワールド近辺、国立競技場付近、ルンビニー公園あたりも占拠されている。

それにしても、治安部隊かタクシン派かどちらが実弾を使い始めたのかわからないが、ここまでくると泥沼化である。

バンコクは東南アジアの基点であきれるほど歩き回った。もはやどこも行き尽くした感があるのだが、こんな事態になってくるといつ行くことができるのかという鬱積がたまる。とはいえ、当分はこのあたりに近づかない方が良さそうである。今年の候補のひとつであった、マレー半島縦断はなしだな。

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2010年5月 9日 (日)

下世話なユーミンがイイ

かすてら音楽夜話Vol.23

満を持してのユーミンネタです。今や教科書にも載るほどのユーミンの曲ですが、やはりキャリアが長いです。デビューは1972年ですが、中学生くらいから麻布のキャンティに出入りしていて、そこに出入りしていた音楽業界人とのコネクションから詞や曲の提供を行っていたので実質40年以上のキャリアがあるといえます。

代表曲に「卒業写真」、「春よ来い」等々枚挙にはきりがありませんが、マイクあるいはピアノに向かって真摯に歌い上げるユーミンというのがある種のイメージかもしれません。

また、バブル期には億単位の金をかけた豪華なステージを演出し、リリースするアルバムはいずれもミリオンセラー。「中産階級の夢が届きそうな」シチュエーションを曲に取り入れ、OLたちの絶対的な支持を集めました。マスコミからは「恋愛の教祖」などと呼ばれ、イメージ的にも「タカビーだ」などといわれてもいました。

実家が八王子で今も営業している呉服屋で、立教女学院から多摩美へ。中学生の分際で麻布の高級イタリアンレストランに出入りするくらいですから、もうばりばりのお嬢様な訳です。ま、そんな感じなので、自分もリリースされるアルバムは購入しつつも、ちょっと距離を置いて見ていたわけですね。

そのころ、熱狂的なユーミンファンの友人から、「ユーミンのコンサートに行けなくなったのでチケットを譲る」という話が舞い込み、行くことにしました。そこでのユーミンは、とても気さくでステージに差し出された手にはほとんど握手を返し、遠くから振られた手に対しては投げキスをするという具合。ステージ構成も抜群で、「これはまた見たいな」と、いっぺんで彼女のファンになってしまった。

おそらく、長年のファンもこんな感じでユーミンの魅力に取り込まれていったのだと思います。そこで紹介するのは、「ルージュの伝言」。荒井由実時代の最初のヒット曲です。ジルバ風に振り付けて踊る貴重なユーミンとムッシュかまやつのからみが何とも時代を感じさせます。コーラス隊の振り付けも同様です。演奏はTIN PAN ALEY。TBSの「セブンスターショー」という番組からのものらしいです。

いかがでしょう。二人のからみではまったく迷惑そうな顔つきのユーミンが印象的なんですが、実はユーミンのデビュー曲「返事はいらない」はかまやつひろしがプロデュースしたのですね。ベストテン番組には出ないことになっているユーミンですが、ここではおそらく振り付け師による動きも取り入れています。こういうコミカルな演技ができるということは、ベストテン番組に出ても十分にやっていける天性のエンターテイナーであることの証明なのではないかと思います。ムッシュとのからみで音程がはずれてしまうのは、笑いをこらえているのではないかと想像します。

そして、もう一つ。

寺岡呼人、ゆず、桜井和寿とのコラボレーション。「DESTINY」でした。

何でも寺岡は長年のユーミンファンでこの企画をかなえるのが夢だったようです。OLの夢をかなえるイメージでもありながら、「安いサンダル」を履いていたがため、思いを遂げられなかったとか、スキー場に行くのに夜行列車に乗る(「ロッジで待つクリスマス」)など、意外に庶民的な一面も見せてくれるユーミンです。

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2010年5月 5日 (水)

デビュー30周年、1980年の佐野元春

かすてら音楽夜話Vol.22

今年で佐野元春がデビューから30年を迎えました。10年前の20周年の時にはアルバムもリリースされ、武道館でライヴも行われたのですが、今回はない模様。地味ですね。それにしてももうそんなに経ってしまったのか。

佐野元春は学生時代アマチュアとしてポプコンなどに出場をしていたが、デビューの機会に恵まれなかった。いや、話はあったらしいのだがスカウトした側と本人との見解の相違で話はご破算になった。それでいったんは身を引き、広告代理店につとめるようになったのだが、ある時元春のデモテープがとあるディレクターの耳にとまり、24歳という遅咲きのデビューを果たしたのである。

デビューシングル「アンジェリーナ」、デビューアルバム『Back To The Street』をリリースするものの、まったく売れず、結局は地道なライヴ活動により実績を積み上げることで徐々に人気を獲得していった。その後のことは割愛する。

元春はデビューしたといっても、自分のバンドを持たず、レコーディングはスタジオミュージシャン、バンドのメンバーは寄せ集めで元春が思うようなサウンドを再現できなかったらしい。それでも、一度レコーディングで出会ったことのある伊藤銀次に声をかけ、徐々に実力のあるメンバーが集まってきた。それが初期のThe Heartlandである。

元春にとって幸運だったのは、デビュー間もなくテレビ神奈川の「ファイティング'80」という番組に準レギュラーのような形で出演することができたことである。だが、上記のようなバンド状況だったため、司会の宇崎竜童にさんざん酷評されたとのことだ。映像はその「ファイティング'80」から。ただし、すでにバンドはThe Heartlandになっている。曲は「夜のスウィンガー」。シングルカットされた曲ではないが、デビューアルバムの『Back To The Street』のオープニングナンバー。ファンにとっては一番最初に聴くはずの曲だ。

どうです。決して美味いとはいえないが、迫力とかがむしゃらさが伝わってくると思います。イントロで元春、滑って転んでいますね。そして、眼が据わっています。それに、言葉をこれでもかと詰め込む、楽譜には納めきれない独特のテイストがあります。こういうものは絶対にカバーできないはず。

この頃は、レコーディング中、ヴォーカルのパートと関係ないところでも、声を張り上げて歌ってしまい、その音がレコーディングしているマイクに入ってしまい、何度か録り直しをしたとのエピソードがあります。今では考えられないパワーがあったのですね。

ちらっと写る、伊藤銀次(G)、古田たかし(D)、ダディ柴田(Sax)の若い頃も貴重か。

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2010年5月 3日 (月)

涙のサンダーロード/Bruce Springsteen

かすてら音楽夜話Vol.21

世の中ゴールデンウィークまっただ中ですが、ひたすら休養に努めています。そんなわけでスキャンもできず、困った時の音楽話です。

今回紹介するのは、ブルース・スプリングスティーン。「Born In The USA」の人です。デビューは古く、1973年。だいたいイーグルスあたりと被る年代ですが、ボスの方が若干若い。出身も東海岸のニュージャージーなのでイーグルスのテイストとは異なります(もっともイーグルスのメンバーは全員が西海岸出身ではなく、ロスに出てきて身を立てた)。

イーグルスと違うのはブルースが典型的なブルーカラー出身であること。ここにアップするのに、いろいろとYouTubeの映像を見比べましたが、気づいたことがいくつか。

日本を代表するロックシンガーに、佐野元春と浜田省吾がいますが、どちらもブルース・スプリングスティーンの影響をもろに受けていることですね。

デビュー年と年齢順に浜田省吾から例を挙げると、そのファッションです。両袖を取り去ったネルシャツ。Tシャツもビルドアップしたような肉体を強調するようなぴっちりしたものを着用する。とはいえ、音楽性はかなり異なりますね。浜田省吾はその見かけよりもはるかにメロディアスな曲を作ります。

一方の佐野元春ですが、デビューした頃、来日したアメリカの評論家が「ブルース・スプリングスティーンの弟」と評したくらい、音楽スタイルが似ている。例えばブルースの「Jungle Land」と元春の「Heart Beat」、「Rock & Roll Night」などは酷似しているといってもいいだろう。とはいえ、歌っている内容はかなり異なると思うが。また、これはわざとではないだろうが、両者ともに音程が一定しない。もちろんレコーディングされた曲においてはそんなことはないのだが、ライヴではこれがもろにでやすい。とはいえ、それが迫力を生んでいるのですが。これは今確認したばかりですが、ライヴで元春が感極まって行う「両膝スライディング」もとっくにブルースが取り入れていたのですね。映像では、おまけにEストリートバンドのクラレンス・クレモンズとあんなこともしているし。

では、お聴きください。曲は「Thunder Road」(涙のサンダーロード)。

ということで、パリでのライヴ。やはり観客は英語がわかる人が少ないみたいですね。骨太で汗のにおいのするイメージですが、ナイーブで繊細なところも見せてくれます。

さて自分自身のブルース体験ですが、1980年のアルバム『The River』(初の1位獲得アルバム)あたりからだろうか。とはいえ、なかなか自由になるお金のない時代。アルバムを揃えるようになったのは最近という。

その後、1984年の『Born In The USA』が全世界で2000万枚というセールスをあげ、一躍アメリカの顔となったのだが、この星条旗をモチーフにしたアルバムジャケットから「強いアメリカ」のようなイメージを持たれ、かなり誤解を受けたようです。彼はネオコンでもなんでもなく、第43代アメリカ大統領ブッシュ(息子)の再選に対して反キャンペーンを取るほどの民主党支持者なのであった。

いやあ、それにしてもやはり若いですね。ちなみに、ボスは昨年還暦を迎えたようです。

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