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2011年8月30日 (火)

ブッダの洞窟

ええ、いきなりインド4日目に突入です。このあたりの経緯および体調の悪化具合は追々書いていきますので、何かのご参考までに。

ブッダガヤに到着し、ひとまず宿を決める。その宿はゲストハウスみたいなもので、客用にミネラルウォーターなんぞ置いていないもので、買い出しに出た。そこで捕まったんですよ。日本人ハンターに。要するに客引きですが。誠に鮮やかな日本語であれこれと世話を焼いてくる。「明日、ブッダの修行した山とブッダに乳粥をあげたスジャータの村に行きませんか?」というのが、殺し文句になった。

やはりどうかしていたのだと思う。だが、この時点では体調は特に悪化していない。やはり、日本人はブッダに関連するものに弱いんだろうと思う。ブッダの山とスジャータの村というのは、「地球の歩き方」にも載っているが、当初は行くつもりもなかった。だが、ブッダガヤには列車の関係で3泊するのだ。時間は有り余っている。ということで、応じてしまったのである。

…というわけで、このラカン(ブッダガヤ、ラカンで検索するとぞろぞろ出てきます)という男のバイクの後ろに乗って、前正覚山へ。かなり長い間乗っていたような気もするが、20分くらいだろうか。

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<前正覚山>K7/DA15

ラカンはブッダについて詳しい男で、ブッダが悟りを開く前のゴータマ・シッダールタ時代にナーランダやラージギルで修行したあと、この山の小さな洞窟で修行したとの説明があった。

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<修行する仏陀の像>K7/DA15

その洞窟に入ると、やはり修行者なのか僧侶なのかよくわからない男がいた。山の入口で線香とろうそくを買い、像に供える。ついでにドネーションもというのが、彼らの言い分である。

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<修行者>K7/DA15

我々が出ていくと洞窟にいた男たちも出てきた。そして、「バクシーシ」とつぶやく。なにやらねだろうとしているのである。この男の背後にある旗のようなものは、ブッダが悟りを開いた時に身体から出てきた光の色だという。同じ仏教国のタイやミャンマー、ラオスなどでは見かけたことのない飾りである。だが、インドとネパールではこれがたくさんあった。チベットには行ったことがあるのだが、このようなものがあったかは記憶がない。

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<ダライ・ラマの写真>K7/DA15

そして、近くにある祠の中を覗くと、ダライ・ラマの写真が飾られていた。そう、ダライ・ラマは同じインドのダラムシャラーに亡命政府を作っている。そして、毎年ブッダガヤにもやってくるそうだ。その時には、人口6万人というブッダガヤの町が10万人の巡礼であふれるそうである。ダライ・ラマとともに中国から逃れてきたチベット人たちが、この洞窟のあるところに自分たちの祠を建てたとしても、不思議ではない。とはいえ、あの修行者も線香とろうそくを売る売店の人たちも見事なインド顔なのだが。

ついでにいうと、ブッダガヤにはいまだにチベット人たちのキャンプがある。とはいえ、ブッダガヤで日本語を器用に使いこなす人たちはチベット系ではなくインド人。ゲストハウスや土産物屋もインド人で、ブッダガヤの利権はすべてインド人が握っているように見えた。

ここまでバイクで来たので、あまり感じなかったが、かなりの暑さだ。今雨季のはずなのに、ほとんど雨が降らないという。ラカンに連れられての観光はまだ続く。

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2011年8月28日 (日)

Poorva Express乗車記

インド到着3日目にコルカタからブッダガヤに向かう。列車予約は前にも書いたが、cleartripのサイトで済ませた。8:20の出発だから、7:00に宿を出ても余裕で間に合うはずだが、泊まった宿の朝食はまだ用意ができていない。

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<アンバサダーの後部座席から>GR DIGITAL

コルカタはかつての英領インド帝国の首都であり、それはやがてデリーへと遷都されるが、インドの鉄道はコルカタから建設が始まった。インドの鉄道のゼロkmポストはコルカタにある。正確にいうとフーグリー川の対岸にあるハウラー駅がその起点なのである。

一応コルカタ市内にもシアルダーという駅があり、ここからもちろん急行などが発着している。この移動のためにいろいろ調べたのだが、シアルダーからは夜行が出ていた。夜行も考えようによっては到着後即行動ができるなどのメリットもあるが、眠っている間の盗難とか異様に早い時間の到着などもあって、やはりハウラーから行くことにした。

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<ハウラー駅>K7/FA35

到着してみるとかなりすさまじい勢いのあるところで、タクシーを降りたばっかりなのに、早くもタクシーの客引きが現れたりする。構内の案内所でプリントアウトしたチケットを見せ、発着番線をきく。電光掲示板もあったがよくわからなかったのだ。

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<Poorva Express>K7/FA35

我らがプールヴァ・エクスプレスもちゃんとやってきた。インドの鉄道は遅れるというが、始発駅に限ってはそんなこともなさそうだ。さて、ここからが問題。座席指定のチケットを持っていても、自分の乗る車両がまだどこなのかわからない。

チケットには自分の乗る車両番号が書いてある。さらに、自分の乗るクラス、個室からエアコンなし座席車まで、これが記号化されているので、到着した列車の車体に書いてあるこの二つを覚えて素早く読み取らなくてはならない。自分の場合は行き過ぎたらしく、ホームを戻ることになった。それはインドの鉄道に乗り慣れたインド人にしても同じことで、ここからあわてて移動が始まる。つまり、車両の編成などは特に決まっていないのだ。しかも、インドの列車は20両はあろうかという編成なので大変だ。

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<乗車名簿>K7/FA35

さて、自分が乗るのは上から2番目のエアコン付き2段寝台(A/C 2-Tier Sleeper、略称2A)である。そのA1車というのが自分の車両。これに、座席順が書いてある。インドの場合、予約が取れなくても、キャンセル待ちで予約を入れることができる。キャンセル待ち上位の場合、当日になってみて座席が取れているかも知れないからだ。そのためにこんなシステムがあるのだが、名前と性別はともかく、年齢まで記されているのはちょっと。

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<座席>GR DIGITAL

作りはこんな感じ。座席指定部分は上下の寝台4人分なので、非常にゆったりしています。通路を挟み、進行方向にやはり二段寝台があります。こちらコンパートメントタイプですが、ドアはなくカーテンが閉まるだけ。大概は上段席の人も昼間はこちらに、腰掛けますね。誰にも干渉されたくない場合は通路を挟んだところを取るのがいいかも知れない。ただし寝台は少し狭いかも。

cleartripでも、差席をどこにするか選ぶことができます。

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<トイレ>GR DIGITAL

トイレも使ってみました。以前デリー・グワリオールのシャタプディ・エクスプレス(首都急行、座席車)とムガールサライ(ヴァラナシー近郊)・ツンドラ(アグラ近郊)の夜行(列車名不明、2A)を利用したことがありますが、1車両に2つあるトイレのひとつは洋式だったと思うのですが、プールヴァ・エクスプレスはどちらもインド式。どちらも紙はなく、使用済みの紙を流してはいけません。詰まります。

さて、乗り心地ですが、スピードはさほど出なかったものの、ほとんど揺れがありませんでした。このあたり、世界一広い軌道を使っているインドなのかも知れません。とはいえ、以前載った時にはかなり揺れを感じたので、保線がかなり改善されているのかも知れません。何にしろ、ほとんどがPC枕木というコンクリート製のものだったから。

また、窓も以前はかなり色が付いていて、外の景色を写真に撮る気も起きませんでしたが、かなり薄い色の着色ガラスでした。ガヤ到着も予定の14:50。遅れがない。素晴らしい。

ちなみに乗客は2Aということで、かなり裕福な層と思われます。ま、日本人の目にはそこらのインド人と変わりがないようにも見えますが、怪しげな人はいませんでした。

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2011年8月27日 (土)

This Is India

なかなか次に進まず、やきもきしている方もいるかも知れませんが、これでコルカタ最後です。まあ、観光らしいことはやっていないのですが、コルカタの宿のことです。

タイ航空でコルカタ到着日付が変わった午前0:45。空港の銀行とおぼしき両替所では1JPYに対するインドルピーのレートが0.5となっていました。これは最近の円高に対してもかなりレートが悪いんですが、まあ空港なんだからこんなものかと思い、両替するとそこから手数料が引かれ、11年前に来た時よりもひどいことになってしまいました。しかも、銀行なのにレシートをくれない。これもインドなんだろうなあ。

プリペイドタクシー料金を払ったものの、妙な白タクに引っかかりそいつの連れて行った宿を断るのに時間がかかり、本来の宿到着は午前2時を回っていました。門は閉められ、警備員がようやく開けてくれる。

一応部屋は狭かったものの、テレビにエアコン、冷蔵庫もあり、シャワーとトイレもきちんとしています。こんな時間に到着するので、念のためにスワンナプームでミネラルウォーターを100バーツで泣く泣く購入しましたが、フリーのミネラルウォーターも供えられていて、その横には電気式のポットもあります。まあこんな時間なので、これを翌日使用したと思ってください。

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<ベッド前のスペース>GR DIGITAL

ま、こんな感じです。悪くないですよね。ところが、ポットを使おうとすると、だめなんです。

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<コンセントの形状が合わない>K7/FA35

インドのコンセントはいくつか形状はあるんですが、だいたいは丸い3本の金属が突き出た形です。下二つの穴だけに二つの金属が突き出たものを差し込んで作動する場合もありますが、これは見事に形状が合わない。

部屋のコンセントはすべてこの形なのに、ポットのコンセントだけが合っていない。日本から持ってきているアダプターはあるものの、三つ又状のものってないので、まさにお手上げ状態。だからといってポットがまるっきり新品というわけでもなく、使った形跡はある。んー、まさによくわからん。これまたインドなのか。

インドにおける常識ってものは、我々日本人の想像を遙かに超えるところがあって、なんかぶっ飛んでいるんですよね。たとえば、列車のトイレですが、鍵は中から閂状のものを閉め、その上でかちっと回すダブルロックをします。しかし、これがドアの外側にもあって、回すと連動して外側のものも回ってしまう。初めて見た時にはびっくりしましたね。開けようとすると中からまた閉めるし。

また、公衆トイレは外に鍵があって中には鍵がないとか。安宿のドアは南京錠で閉めるが、外から閉じこめられる可能性があるとか、わからないことだらけでした。文章で書くとほとんど伝わらないでしょうけど、kimcafeさんなら、よくおわかりかと。

ちなみに、宿は一応WiFi無料でしたが、客室ではできずに、レストラン周辺で行う必要がありました。やや微弱で結局はネットカフェに行きましたが。そのネットカフェでも、パスポートを提示し、Webカメラで顔やパスポートの記載事項などを撮られました。こんなの初めてですが。

はい、これでコルカタ終了です。次回からはブッダガヤです。

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2011年8月24日 (水)

市場に行ってみたんだけど

海外旅行に慣れきってしまっているためか、荷物の準備はぎりぎりまでやらず、前夜にどかっとやってしまう方です。んなもので、時々忘れ物があったりしますが、今回ばかりは困りました。

目覚まし時計を忘れたんですね。デジタルのやつ。G-SHOCKのアラームは4つくらいまで設定できるものの、音が小さすぎて役に立ちません。今まで寝過ごしてひどいことになったことはないのですが、やはりこれがないと落ち着かないので、市場まで行ってきました。

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<コルカタ、ニューマーケット>K7/DA21

サダルからメインの通りへ。あれが市場だなとわかるくらいのところで早速話しかけてきた男がいました。しかも日本語で。だいたいこういう連中の考えは、うまいこと仲良くなって自分の知り合いの店でシルクやアクセサリーなどの土産物を買わせようということです。

一人目を何とか振り切っても、新たにまた日本語つかいが現れます。それにしても日本語が上手い。聞いて覚えたらしい。みんな例外なくこちらの年齢を聞いてきます。まあインド人は必ずといっていいほど名前と年齢と職業を聞きたがりますけど。このあたりはカーストと関係するのかも知れません(名前で職業がわかる)。なのでこちらも調査してみると老けて見えても20代前半あたり。「ワタシノカノジョ、ニホンジンネ」といい、一緒に写っているプリクラ(なんか化石のような言葉)とか写真を見せたがります。

ま、それで信頼を得ようというのでしょうけど。で、そいつのボスみたいなやはり日本語つかいで日本人と結婚しているという男に、目覚まし時計を売っているところを教えてもらいました。

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<インド製目覚まし時計>K7/FA35

こいつなんですけどね。値切って240ルピー。ちょっと見た目にはいい感じもするかも知れませんが、かなりでかいですよ。裏はこんな感じ。

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<まるでおもちゃ>K7/FA35

いやもう、こんなものしかないんだもんなあ。それでもアラーム音はけっこうでかくて、ピピッ、ピピッとデジタル風のものです。左の拡声器みたいなところから音が出るんですね。それにしても、こんなちゃちな時計、今まで見たこともないぞ。やはり日本は工業大国なんだなあと思いますよ。たぶん240ルピー分の円でデジタル仕様のカレンダー、ライト付きの小型目覚まし時計が買えるはずですから。

一応よく見てみると、出っ張った部分が基盤ですね。で、この時計、きちっと立てていないと遅れるんです。それも1分や2分じゃなくて、何時間も。パワー不足かなと思い、日本から持参した日本製乾電池に入れ替えてみましたが、変わりません。これがわかったので、これ以降は2枚目の写真みたいに置くようにしましたが。

よほど旅の途中で捨ててきてやろうかと思いましたが、結局日本まで持ち帰りました。誰か欲しい人いますか?ま、捨てなかったのは、コルカタでこうなので旅の途中でよりよいものは見つかる可能性が低いということです。

また、持参のG-SHOCKなんですが、ワールドタイム対応ながらに、どういうわけかネパールの時間帯が入っていないんですね。前持っていたやつはあったと思うんですが。インドとネパールの間には15分の時差があります。ネパールの方が15分早い。時計がネパールに対応しないので、国境を越えても時差の修正はできず、ここから15分早いと換算し行動しました。ああ、めんどくさい。

これまた、ネパール用にアナログの自動巻時計というレトロなものを持って行く…はずだったんですが、忘れました。それにしても、カシオよ、西ヨーロッパ時間帯(標準時より1時間早い)に、いくつもの都市を入れるのはいいが、それをひとつ減らしてネパールもフォローしていただきたい。だいたい、アフガニスタンの時間帯なんかも入っているんだから、それくらいあってもいいじゃない。(カシオの名誉にかけてフォローしますが、パキスタンもミャンマーも入っています。ないのはネパールだけじゃないだろうか。)

そうそう、物売りの話ですが、聞くとほとんどがブッダガヤの出身でした。コミュニティもあるんだろうけど、ブッダガヤはインドで異様に日本人の旅行者の比率が多いところなので、日本語を覚えてしまう人が多いんでしょう。ちなみに、別の日本語学習中のインド人が語っていたことによると、日本語はヒンディ語と文法が近いんだそうです。ホンマカイナ。それでなくても、州が変わってしまうと言葉が通じなくなるインド。共通語としての英語も必須ですから、バイリンガル以上の人がいてもおかしくない。それも多数。

ついでにいうと、インド人の英語は発音はともかく、すごくわかりやすいです。まるで自分が英語のヒアリングが上達したかのようによくわかりますよ。コルカタのホテルでは宿泊客のインド人がフロントのインド人に英語でまくし立てるようにして文句をつけていました。「共通語なんだから、わかりやすく話す」ことが徹底しています。タイに出てきたら、宿のレセプションの男性の英語がひどくわかりにくかった。

このあたり、英語を母国語とする国の人たちは見習って欲しいです。それにしてもインドとインド人は恐るべしだな。

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2011年8月22日 (月)

まずはサダルを歩いてみようかね

深夜の到着にもかかわらず、まあ普通に起きることができました。まずは、地下鉄に乗ってカーリー寺院にでも行ってみるかと、チョーロンギー通りの位置をレセプションで訊ね、その通りに歩いてみると、なんかガイドブックで紹介されていたカフェがあり、すぐにレートのよい両替所が見つかり、ガイドブックで位置を確認すると紛れもなくそこは、サダルストリート。

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<案内標識>K7/DA21

それにしてもこんなに早く「聖地」に踏み入れることになるとは…。一応、宿はWiFiがあるところと決めていたのですが、地下鉄の駅にも近く便利そうなサダルの近くというのも、決め手だったわけです。

実はチョーロンギーというのは、二つあって、オベロイ・グランドやモイダン公園に面している、コルカタで一番繁華なメインストリートと、クルマがようやくすれ違えるくらいの狭い道もあったということがわかりました。メインのチョーロンギーは正式名称はインドの初代首相ネルーの名前が付いています。通りでも「Road」ですね。一方狭い方は「Lane」みたい。

ここで両替を終えると、泣きそうな顔をし赤ん坊を抱いている女性がやってきて、「この子のためにミルクを…」と物乞いします。そんな感じの人はもう何組かいる模様。

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<リキシャ>K7/DA21

コルカタ名物のリキシャも通りかかる。紛れもなく、日本の人力車から名付けられたもの。もっとも、インドでは「リクショウ」みたいに発音されるようですが、ここではオートリキシャもサイクルリキシャも「リキシャ」で通したいと思います。

コルカタのリキシャは人力で引っ張るもの。とはいえ、すでに新規免許は認可されず、やがて消えゆく運命。深夜特急では沢木さん、医大生、ダッカ行きの若者の3人で1ルピーずつ出し合い、これに3人乗りして妙なところに出かけるんですね。

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<路上生活者>K7/DA21

もちろん路上で生活している人もいます。蔵前仁一の「ゴーゴーインド」などの写真を見ていると、昔のサダルはやはり汚かったと思えます。ひとつの通りなのにもちろん舗装されていません。道は泥だらけ。

でも、ここに初めて足を踏み入れてみて、それほどでもないなと感じました。何しろ、全部でないにしろ、舗装されているし、悪臭はしないし、そんなに路上生活者が多いわけでもない。むしろ、初めてナポリ駅前に降り立った時の方がショックが大きかったです。そこはゴミが散乱し、訳のわからん奴らがうろついていて、構内のマクドナルドでは残り物を手に入れようとする老人などもいたくらいで、こりゃインドに来てしまったみたいだなと思ったほどですから。

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<路上チャイ屋>K7/DA21

一応素焼きのカップを撮してみました。チャイはここでは飲んでいないです。インドから戻りkimcafeさんのコルカタを見ていたら、ここ登場していましたね。やはりkimcafeさんはただ者じゃありません。

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<Hotel Maria>K7/DA21

サダルは安宿街でも知られていて、このホテル・マリアはかつては日本人宿として、有名でした。今でもそんな日本人がいるのかどうか。

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<Hotel Paragon>K7/DA21

こちらも、日本人宿。今でも「地球の歩き方」に載っていて、料金はドミトリーで120ルピー。比較的まともな食事1回分くらいですか。シングル200ルピー、シャワーがつくと400ルピーくらいみたいです。

またここにはかつて救世軍、サルベーションアーミー経営の赤い楯という、宿もありましたが、今は存在しません。

また、コルカタはインドの出入口ということもあってか、東洋人のバックパッカーをかなり目撃しました。それも年端もいかないような大学生くらいのやつがかなりいます。ここ近年あまり見ることのなかった年齢層です。韓国人多いです。やはりインドには若いうちに行く…んだろうねえ。いったいそのうちの何人がまたインドにやってくるかですね。10%もいないと思うんだけどね。

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2011年8月20日 (土)

コルカタの二つのホテル

深夜特急の足跡を追うVol.1

では旅のレポートを始めます。まあ今回かなり重なるということで、やはりこんなテーマからはじめるのが適当かと。年末年始ののマレー半島の旅では「沢木耕太郎の足跡を追う」というシリーズをやっていましたが、今回からは「劇的紀行・深夜特急」のドラマも含めて、「深夜特急の足跡を追う」というシリーズにしてみたいと思います。

これを思いついた時には「こりゃいいや」みたいに思っていたのですが、検索してみると同じようなことをやっているブログもあったりして。まあ、あまり気にしないでいってみましょう。

 その時、ターンテーブルに私のザックが出てきた。ちょうどいいタイミングだった。私は、では、と言ってその場から離れようとした。ところが一瞬早く彼が言った。

「できたら、同じホテルに泊めてくれませんか」

(中略)

「泊まるところ、決まってないの?」

 背後で声がした。しかも、また日本語だ。振り返ると、やはり私たちと同じくらいの年格好の若者が立っている。がっちりした体格の、ラフな格好をした日本人だった。

(中略)

「だったら、僕のホテルに来るといい」

(沢木耕太郎「深夜特急」から引用)

こんな感じで、カルカッタ(当時の名称)に到着した沢木耕太郎は、ダッカ行きの若者に誘われるまま、カルカッタの最高級ホテル、オベロイ・グランドに泊まることになります。

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<The Oberoi Grand>K7/DA21

てなわけで、ちょっくら行ってみましたよ。一応わたしゃ日本人なんで、覗くことくらいは簡単だなと思っていましたが、なんと、入口で荷物をX線にかけるというセキュリティチェックがありました。とはいえ、そこらの物売りのおっさんなどが入ろうとしても、門前払いなんでしょうけど。

セキュリティチェックを終えると、そこは物静かなロビー。ま、ここでお茶でも(チャイではなくてイングリッシュティーね)飲んでくればよかったんでしょうが、しつこい物売りから逃れ、しばしぼーっとしてしまったわけです。こんな謎の日本人がソファーに座ってメモなど取っていても、さすがにオベロイの従業員はぶしつけな態度を取ることもなく、暖かく無視してくれました。

 残された私たちはサダル・ストリートへと歩きはじめた。これからどうするつもりなのかと訊ねてきた医大生に、サダル・ストリートという安宿街へ行くつもりだと告げると、当然のことのように肩を並べてきてしまったのだ。

(中略)

 救世軍の門を覗き込んだが、先ほどのヒッピーの姿は見えなかった。どうやらベッドにありつけたらしい。それではこちらの番だ。しかし、医大生も泊まれるところとなると見当がつかない。私がどこから当たったものか迷っていると、医大生が言った。

「ここはどうだろう」

 彼が指さしたところは、救世軍の向かいの小綺麗なホテルだった。

(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

そこは、サダルストリートに唯一あるまともなホテル。リットン・ホテルです。当時の価格ツインで73ルピー。オベロイは400~500ルピーらしかったです。

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<リットン・ホテル>K7/DA21

ここは、Agodaにはのっかってきませんが、アップル・ワールドでは予約可能。よっぽどここにしてしまおうかとも考えたのですが、宿でネットができるという魅力に勝てず、やめました。一応アップルの価格では1泊1万円近くしたような。でもやっぱり、当時としては沢木さんはかなり金を持っていたバックパッカーだったのではないかと思います。

沢木さんの場合は知り合った医大生が翌日にカトマンズに発ってしまったので、さらに別の安宿を探そうとフロントで訊ねたところ、半額でツインの部屋を使うことができたようです。彼はここを拠点にカルカッタに半月ほど滞在した模様です。

一応ここにはバーとレストランがあり、酒が飲めてビーフステーキを食べることができます。インドで普通に旅していると、アルコールと牛肉(豚肉も)と出会う確率が極めて低くなります。自分の場合は結局インド滞在中はノンアルコールということになりました。

カルカッタでの「深夜特急」の記述ではモイダン公園でピーナッツを投げ入れるとドブネズミが乱舞するという場所もありましたが、探すのも骨だったもので、この程度でしょうか。ダッカ行きの若者にインド式洗礼を受けさせてもらう娼家というのもありますが、こちらはさらにハードルが高いので、もちろんありません。

ま、とりあえず一発目のレポートはこれくらいで。カテゴリーにMidnight Expressというものを作りました。沢木耕太郎のみならず、大沢たかおの登場するシーンもあわせてレポする予定です。

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2011年8月17日 (水)

インド・ネパール旅の概要

今朝成田に無事到着。昼過ぎに帰宅いたしました。今まで画像の整理をしていたのですが、ほんのちょっとだけでもかなりの時間がかかってしまいました。こちら暑いですね。バンコクの方が涼しいし、コルカタあたりとあまり変わらない感じです。

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<ヒンドゥの神々のブロマイド>GR DIGITAL

一応、旅の日程などを報告します。

  • 07/29 成田-バンコク-コルカタ~コルカタ泊(移動のみ)
  • 07/30 コルカタ泊(コルカタ観光)
  • 07/31 コルカタ-ガヤ-ブッダガヤ~ブッダガヤ泊(ブッダガヤ観光)
  • 08/01 ブッダガヤ泊(ブッダガヤ観光)
  • 08/02 ブッダガヤ泊(ブッダガヤ観光)
  • 08/03 ブッダガヤ-ガヤ-ヴァラナシー~ヴァラナシー泊(移動のみ)
  • 08/04 ヴァラナシー泊(ヴァラナシー観光)
  • 08/05 ヴァラナシー泊(サルナート観光)
  • 08/06 ヴァラナシー泊(ヴァラナシー観光)
  • 08/07 ヴァラナシー泊(ヴァラナシー観光)
  • 08/08 ヴァラナシー-スノウリ~スノウリ泊(移動のみ、インド・ネパール国境越え)
  • 08/09 スノウリ泊(ルンビニ観光)
  • 08/10 スノウリ-ポカラ~ポカラ泊(移動のみ)
  • 08/11 ポカラ泊(ポカラ観光)
  • 08/12 ポカラ-カトマンズ~カトマンズ泊(カトマンズ観光)
  • 08/13 カトマンズ泊(カトマンズ観光)
  • 08/14 カトマンズ-バンコク~バンコク泊(移動のみ)
  • 08/15 バンコク泊(バタヤ観光)
  • 08/16 バンコク-(機内泊、ダムヌン・サドゥアク観光)
  • 08/17 -成田

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<カトマンズ>K7/DA15

この旅を始めるきっかけとなったのは、「地球の歩き方」に載っていたヴァラナシーからネパールへと向かうツアーバスがあるとわかったからです。これを契機として、コルカタから辿っていくと仏教とヒンドゥの聖地をなぞるようなルートができあがり、「よし、行くぞ!」となったわけです。

インドの都市間の移動手段として鉄道とバスがありますが、ヴァラナシーからのツアーバスを除き、なかなか予約ができない。予約も1日がかりみたいな、感じもしていたのです。窓口にに並ぶことになるんだろうなと。ですが、出発直前にインドの鉄道をインターネットで予約できることがわかり、わずかな時間で移動手段が確保できてしまい、こちらの苦労はなくなりました。

ところが、考えもしなかった現地での体調不良。一度ラオスでダウンしたことはありますが、それ以外はせいぜい軽い下痢や風邪くらいで、これまでやってきた身としては、ちょっとショックでした。まあそれもインドが与えてくれた試練だと思い、ツアーバスの都合でヴァラナシー滞在を1日延ばし、その分休養に充てることができました。

それ以外は、ほぼ順調に日程を消化でき、よかったです。

ただ、インドという国は何事もすんなり行かないところがあって、そんな自分の前に立ちはだかったのが、金儲け(小銭儲け)目的の観光従事者、つまりはリキシャワーラーや自称ガイドです。自分の旅のスタイルは、ゆっくり時間をかけて「これ」という被写体を探しながら、歩き回ることです。しかし、こういう連中が現れると、定番コースしか回れないし、ほとんどぴったりつきまとってくるので、レンズ交換ができず、かなりのフラストレーションがたまりました。

まあそれも、インドだけであって、ネパールに入るとけっこう自分の時間も持てました。また、もう一つの予想外は、雨でした。3年前のタイ・ラオス・中国の旅で雨季の中でもそれほどひどいことにならず回ることができたことで、ある程度の心構えができていたのですが、3年前以上の雨で、あまり観光にならなかったところもありました。

ま、インド・ネパールともインフラがある程度整備されたためか、移動で障害になったことはありませんし、荷物も身体も水没することなくその点は救われました。

さて、今回持参のカメラは、PENTAX K-7(一眼レフ)とRICHO GR DIGITAL(コンデジ)。K-7のレンズとしては、DA15mmLimited、DA21mmLimited、FA35mm、FA77mmLimitedの4本。使用頻度としては、DA21>FA35>DA15>FA77という感じでしょうか。今回初めて、K-7にFA77リミをつけてみました。これは、ヴァラナシーなどでサドゥやバラモン、沐浴風景を撮るためでした。

レンズ4本にネットブックとかなりの重量でしたが、常に持ち歩いていたわけではないので、都市間の移動の時だけ気を遣いました。また、インドとネパールということで、キャリーバッグではなく、バックパックを2年ぶりに使いました。バックパックだったものの、PC持ち歩いても大丈夫だし、この地域でもかなりWiFiが入っているので、今やインターネットはどこに行っても必須という感じですかねえ。もっとも、出会った大学生などはスマホでネットは済ませているようで、自分らのようなブログ持ちでない限り、必要なくなるのかも。彼らはツイッターなんでしょうねえ。

ま、そんなわけで、とりあえず報告です。皆さんがコメントをつけてくれたので、旅もかなり前向きになることができました。

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2011年8月15日 (月)

バンコク通信

ワレバンコクニトウチャクセリ…って、今年2回目ですか。そんなわけで、無事バンコクです。

カトマンズもなかなかしたたかなところで、タクシー料金はほとんどメーターを使ってくれません。空港に向かうのにいくらくらい必要かと思ったのですが、宿のレセプションでバンを出してもらいこれがしかも無料、しかも久しぶりに日本人旅行者と話までできました。

バンコクへの便ではヒマラヤが見たいなと思い窓側をリクエストしようかと思っていたら、さっさと通路側を発券されてしまい、いざ乗り込んだら隣が来なくて3席独占状態。でも、ヒマラヤは厚い雲に覆われ見ることができませんでした。

それでもいいことは重なるもので、バンコクの宿ではなぜかアップグレードされていて、かなり広い部屋にしてもらいました。トイレも2つ、シャワーブースとバスタブがそれぞれあるという、とんでもない作りのところです。いわば、カルカッタに到着した沢木さんがダッカ行きの若者に誘われ、東北の医大生と一緒にオベロイ・グランドに泊まったかのような部屋なのかも。まあ、ベッドルームはひとつしかないのですけどね。

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<パシュパティナート>K7/DA21

今回の記事は前回に引き続き音楽で迫りたいと思っていたのですが、浜田省吾の「夏の終わり」という曲が出てこなくて(有名どころになるほど映像・画像のチェックはシビアです)、やむなく、「劇的紀行・深夜特急'97」のオープニングを使わせていただきました。

また、いくつかの旅先通信で画像をアップしていますが、どれもベストのものではありません。いいものは、帰国してからなので、そちらも楽しみにしていてくださいませ。

バンコクには2泊(レイトチェックアウトをするので、3泊分取ってありますが)しますが、今度はどこに行くか決めていません。先ほどものすごい豪雨でした。いい宿なんですが、BTSの駅までかなり歩きます。そのあたりでぶらぶらしていろということなんですかねえ。

それとも、プラ・クルアンのケースでも見つけろという啓示でもあるのか…。ま、ゆっくり考えます。

ともかく、水曜朝帰国します。これまでたくさんのコメントいただきありがとうございました。でも、まだ旅は続きます。

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2011年8月13日 (土)

カトマンズ通信

かすてら音楽夜話Vol.25

…と、いうわけでカトマンズ到着しました。今回は趣向を変えて、YouTubeからゴダイゴを持ってきてみましたよ。kimcafeさん、懐かしいでしょ。

あの、「Monkey Magic」「ガンダーラ」であまりにも有名なゴダイゴですが、こんな曲もあるんです。さらには、「ナマステ」とか。そして、彼らはなんとこの地カトマンズでライヴをやったことがあるそうで、その時はコンサート用の電力確保のために、カトマンズ市内の電気がすべてこちらに回されたとか(あくまでも噂ですよ)。

前回ネパールを訪れたときは、1998/1999年の年末年始でしたけど、カトマンズ市内では夕方17:00~19:00の2時間、一斉に停電していました。それでも一部のホテルや飲食店では自家発電機を回し、客がパニックにならないようにしていたものです。

それはポカラでも同じで、時間は忘れましたが、やはり計画停電やっていました。今朝まで滞在していたポカラでは、昨日は停電なかったようですが、一昨日は2時間くらい電気が消えましたね。ま、そうはいっても、宿や飲食店ではまったく困らずネットもできました。ここ、カトマンズでも本日は停電する気配がありません。これももしかしたら1日おきだったりするのかもしれませんけど。ちなみに、その前にいたスノウリでは停電がしょっちゅうでした。インドもコルカタでは停電がなかったけど、ブッダガヤとヴァラナシーではかなり頻繁に起きていました。

フリーWiFiも安宿レベルでポカラとカトマンズでは確保されているし、信号まで見かけたから、いつの間にかインドよりもネパールの方が、進んでしまったのかもしれません。

さて、今朝のグリーンラインというバスに乗り、4時前にカトマンズ到着。途中雨は降りましたが、カトマンズは一瞬晴れ間もあり、ひどいことにはなりませんでした。でも、ここタメルでもサンダルで歩くと足が泥で汚れてしまいます。

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<タメル地区>K7/DA21

宿はかなり快適です。もうはじめから、WiFiのあるところを狙って泊まりました。グリーンラインの発着所からも徒歩10分くらいだし、ちょっと歩けばタクシーやテンプー(ネパール版のオートリキシャ)の乗り場があるので、明日の最後の観光や空港に行くのにも便利です。

近くで見てみたいのはダルバール広場、郊外の観光ポイントいくつかくらいで、パタンやバクタプルまで足を延ばす余裕がありません。もう体調は万全。いろいろ気遣っていただきありがとうございました。それでは、最後の観光(バンコクでもありかも)してきます。

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2011年8月10日 (水)

ポカラ通信

ども。喧噪のヴァラナシーからネパールにやってきました。

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<コルカタのタクシー>K7/DA21

インドからネパールへの国境越えとしては、沢木耕太郎が通過した、ラクソール・ビルガンジというのがあまりにも有名でしょうが、わたしゃ、ルンビニに行ってみたかったので、スノウリ(インド・ネパールとも名称同じ)というところを選びました。

ヴァラナシーからネパール行きのバスを走らせているポール・トラベルというところで手配し、2日間スノウリに滞在し、昨日ルンビニに行ってきました。今までは鉄道移動でかなり快適だったのですが、インドの道路事情は最悪もいいところで、国境通過の手続きを含めて、12時間以上かかりました。しかも、宿泊(含まれている)した宿がもう汚くて、史上最悪に近いものでした。でも、2泊してしまった。

で、ようやく今日スノウリを脱出。ところが、ローカルバスです。それでも、インドほどは道路事情もひどくないので、今こうしているところです。はい、現在ポカラ。宿にはWiFiがありませんが、すぐ近くにフリーWiFiのお店が見つかりました。結構ごろごろあるみたいです。でも、停電があるので気をつけなくては。

とりあえず、13年前にカトマンズ-ポカラは、陸路で通ってきているので、これでコルカタからカトマンズまでルートがつながりました。もう、あとはやることはなくて、のんびりします。ここに2泊し、カトマンズも2泊。そのあとバンコクです。カトマンズまでの快適バスの手配も済んだことだし、あとは好きにさせてもらいますぜ。今日はアルコール飲んじゃおうかなあ。

ではまた。

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2011年8月 7日 (日)

ヴァラナシ通信

やっと見つけました。日本語の打てるカフェ。

まったく報告できていなかったので、ここまでに至る大体のことを報告。

まずは、ブッダガヤ。ここではガイドに引っかかりました。ま、バイクで連れまわされ、いろいろと。ここでさらに体調悪化で、メシは半分くらいしか食べられませんでした。さらには嘔吐です。結局これはヴァラナシでようやく治りました。

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<ガンガー沐浴>

んで、ヴァラナシ。体調もあるので、駅に近い比較的高めの宿へ。翌日から宿の門で待ち構えているサイクルリキシャワーラーにつかまり、3日間いろいろ連れて行かれました。この後、ネパールに行くのですが、予定の日にはバスがなく、滞在を1日延ばすことにしました。その分ネパール滞在が1日減るのですが。

さて、体調ですが、90%回復といったところ。あまり刺激の強いものは控えるようにしています。要するに、中華料理とか日本料理とかで。インド料理は朝食には美味いやつを見つけ食っていますが、夕食の重いのは、昨日ようやく食べることができたくらいですね。

さて、今日やっと一人歩きができたのですが、発見がひとつ。あの、「劇的紀行・深夜特急」のヴァラナシの場面で出てきた「カミサマカウカ?」の少年、ムケが今は大人になって(しかも日本人の奥さんまでいる!)店をやっていることでしょうか。この話はまた後でしようと思います。

次の報告はまた当分無理そう。3、4日待っていただけれはよろしいかと。そのときは自分のネットブックで存分にできそうです。では、また。

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