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2011年12月30日 (金)

フィレンツェ通信

旅の報告第2弾です。

フィレンツェ1日目(シエナから移動した日)は、おとなしくフィレンツェの歩ける範囲をちょこっと観光しました。

2日目の昨日はルッカとブラートという地方都市に行ってきました。ルッカは以前も訪れているんですが、よかったです。ブラートはフィレンツェから北に20kmほど行ったところにあり、ルッカとフィレンツェと鉄道で結ばれています。

そして、今日はレオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ故郷ヴィンチに行ってきました。行き方はエンポリまで鉄道であとはバス(プルマン)です。

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<回転木馬のサンタクロース>K7/DA21

フィレンツェ6日間なのですが、フィレンツェ観光をする上ではこんなに日数は必要ありません。こんなに滞在するのは、フィレンツェから足を延ばしてトスカーナの小都市観光をすためです。そのうち、3つを極めたと。

なのですが、バス待ち1時間とか、鉄道との接続がよくなかったりします。いや、今日なんかはエンポリ到着と同時刻でヴィンチまでのバスがあったようなんですが、こちらに暮らしていない身にとってはまずは、バスチケットをどこで買うかから始まります。なので必然的にそのバスには乗れないことになります。なので、1時間は待つ。戻りの時にも、レストランから出てきたら、バス停に青いプルマンがいて、「劇的紀行・深夜特急」の大沢たかおみたいに走って追いかけたのですが、行ってしまい、また1時間待ちましたです。

夏とかだったら、いいのですが、じっとしているとやはり寒く、特に足下が冷えます。なので、行けるところとはいっても、鉄道でアクセスのよいところか、フィレンツェに近いところかなあと方針変更になりそうです。なので、ピエンツァとモンテプルチャーノはなくなりそうです。またいつか夏に来なくては。

それにしても、アジアとは違うなあと思います。食事ひとつにしても、店員とアイコンタクトを取って席に呼び注文。支払いもアイコンタクトを取って、支払いの意志を告げ、伝票を持ってきてもらい、確認の上また店員を呼び、現金かクレジットカードを渡す。これだけでもかなりの時間がかかりますね。ま、アジアも同じなんですが、まず店員が客のことをよく覚えていて、勘定の計算に時間がかからなかったり、料理が出てくるのが早かったりしますよね。

あと、今の時期だったら、絶対的に東南アジアは暖かいので、半袖シャツ1枚とサンダルで過ごせるので気楽ですよね。今のわたしなんざ、上半身で行くと、下着のシャツ、シャツ、セーター、上着のコートですよ。夜はこれにマフラーが入ります。いやあ、部屋はかなり暖房が効いていて暖かいんですけどね。そのため、洗濯物なんかすぐに乾きますけどね。

とりあえず、今日はこのあたりで。「フィレンツェ通信」続編はあると思います。

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2011年12月27日 (火)

クリスマスなんて大嫌いだ

フィレンツェに来ています。これまでの経緯を記しておきます。

2日目。シエナまでのバスチケットを探しに、ローマのティブルティーナというところにある、バス会社まで行ってきました。だが、25日はバスがないということで、テルミニに引き返し、鉄道でフィレンツェまでのチケットを確保。その後、バチカンなどに行ってきました。

3日目。フィレンツェまでは順調。さて、フィレンツェ・サンタマリア・ノベッラ駅横にある、SITA社のバスに乗ろうと思いそこに向かうと、なんと閉鎖されていました。貼り紙のイタリア語から推測するに、クリスマスのため全便運休とのこと。

いやあ、ティブルティーナでバスがないことから早く気づくべきだったのです。ヨーロッパのクリスマスの恐ろしさを。しょうがないので、タクシーで150ユーロ払い、シエナまでやってきました。もっとも、フィレンツェからエンポリ乗り換えの普通列車でシエナまで来ることも可能でしたが。それに、もっと早く気づいていれば、ローマからフィレンツェまで行かずに、キウージ経由シエナ行き
という列車もあったのですねえ。

まあ、もう遅いけど。シエナの25日は街が死んだようになっていて、店もほとんどやっていないばかりか、観光都市のくせにすべての観光スポットが休みという有様でした。いくつかのレストランはやっていたのですが、頼みのチャオまでやっていません。かろうじてあいていた、エノテカでキャンティクラシコのフルボトルを購入し、パニーニ2つこしらえてもらい、部屋で食べました。

そして、26日。シエナに来たのも、ここからバスのある世界遺産の町、ピエンツァに行くつもりだったのですが、またしてもバスがありません。なんと、26日は、聖ステファーノの日ということで、休日だったのです。しょうがないので、シエナ観光しましたけど。

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<雨のローマ>K7/DA21

フィレンツェ、やはり観光都市です。冬にもかかわらず、たくさんの観光客がいる。宿は、Agodaで取った二つ星ながらすこぶる快適なところで、部屋は少し狭いながら、かなり落ち着けるところですね。

今日、シエナからフィレンツェに来る前に、ピエンツァに立ち寄ってこようかとも思ったのですが、荷物預けの際に貴重品を入れ替えるとか、めんどくさいものが出てきそうなので、また別の機会にします。もしかしたら、フィレンツェでの6日間のうちにリベンジするかもしれませんが、バスを2回乗り継ぐので、「将来また」ということになるかもしれません。

今、軽く昼飯を食べ、水の大きなボトルを2本仕入れました。大晦日と元旦で店が閉まってしまう可能性があるためですが、ちょっと危惧しすぎなのかもしれません。とりあえずこのあと、花のドゥオモにでも挨拶してこようかとも思います。

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2011年12月24日 (土)

ローマ通信

皆様ボンジョルノ。

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<テルミニ構内>GR DIGITAL

ローマに到着しました。朝7時半に家を出て、成田14時発。ローマ到着18時ちょい過ぎ。荷物のピックアップもあり、19:38のレオナルド・エクスプレスでテルミニへ。そこからちょっと歩いて、モデナ通りにある宿にチェックイン。

時差が8時間ありますからね。2年ぷりとはいえ、ヨーロッパまでの道のりは長いです。ちょっと眠って、起きたら現地時間5時過ぎくらいだったので、やるなら今しかないと更新なんぞしています。

それにしても、Agodaでみつけたこの宿、建物の中にあって、入口がオープンではありませんでした。入口でベルを押して、ドアを解錠してもらい、年代物のエレベーターに乗って、たどり着くという。朝食なんかも、特定の部屋でなくて自室に持ってきてくれるらしいです。朝食用の部屋を作る余裕がなかったんだろうけど。当然、快適なWiFiを備えています。

今日は、明日のシエナ行きのバスチケットでも調べてこようかと思っていますが、ティボリにも行ってみようかとも思います。昨日のフィウミチーノ到着時のアナウンスでは気温10度とのとで、寒さは感じませんでした。

ではまた。

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2011年12月21日 (水)

錦糸町ソウルフル&ファンキーナイト

かすてら音楽夜話Vol.27

ヤムの会(仮称)2回目が土曜日に行われました。なんと場所は錦糸町でうちからは2時間コースとなるんですが、今回もディープな世界に誘い込まれましたです。

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<JR錦糸町駅>GR DIGITAL

錦糸町初めてでしたけど、この駅ビル、「テルミナ」っつーネーミングだそうで。今度自分が出かけるところで似たような名前のところがあるんだけど、雰囲気は大違いですね。

時間に余裕を持って到着した割には、お店の住所近辺で場所を探し回りました。ほとんど多国籍ビルと化したところで、その中にある唯一まともな飲食店だったのですが、雰囲気はかなり怪しかったです。

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<タイカラオケ>GR DIGITAL

もう料理が出てくる前から、こんな歌を歌ってしまうおぢさんもいたくらいで。ちなみに、この女性がPUNCHというタイのシンガーで、歌っていたのは毎度おなじみ、kimcafeさん。この映像を元に、登場するチャオプラヤー川の渡し船の場所を突き止めてしまうくらい、ディープな方です。あ、今回もお土産ありがとうございました。

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<豚の喉肉のヤム>GR DIGITAL

歌い放題、飲み放題で料理4品。ヤム・ママー、ラープ、トムヤムクンとこれ。このヤム、ヤム・コー・ムー・ヤーンはラープの次、トムヤムクンの前に登場。これは美味しかったです。タイのガイドブックで見ていて、いつか頼んでみたいなと思いつつも、タイ語は読めないし、それらしきメニューもなかなかなかったので、先日が初体験。

手前にかすかに見えるタレが激辛とのことでしたが、むしろスパイシーで美味しい。

このメニューだけでなくて、ヤム・ママーはパクチーなどのハーブが効いているし、ラープも作りたてでミンチ肉という概念をぶち破る味だし、トムヤムクンもどーんと火鍋で今まで味わったトムヤムクンよりもずっと上品な味でしたねえ。

シェフのブンナックさん、これらを日本人向けの味にしないところが、いいんですよ。そして、サーブしていただいた、ミユキ嬢もまたナイスな個性でした。

何だよ、それだけかいと思われる方、お楽しみはこれからです。

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<昔懐かし看板>GR DIGITAL

2時間楽しみ、2次会へ。かめちゃんの「70年代、80年代が楽しめる場所」というのはここではない。でも、こんな看板が残る錦糸町。水原弘と由美かおるにもお目にかかりたかったなあ。

2次会は、先ほどの店からもすぐのLIVEHOUSE38。ここで、毎晩ソウルフルでファンキーなナンバーがかかっているわけです。席に案内されるまでのしばしの間に聞こえてきたのは、KC & The Sunshine Bandの「Shake Your Booty」。その次がABBAの「Dancing Queen」だったかな。

男女のヴォーカルとギター、ベース、キーボード、ドラムの5人編成のフェアリーテイルSPというバンドのようです。それにしてもレパートリーが広い。

それにしても客層が…。もう我々の年代どころではなく、明らかに還暦以上の人も混じっている感じ。それがみんな踊る踊る。ほとんどのナンバーは、70年代後半から80年代前半の英語によるRock/Popsばかり。これ、ちょうど自分が一番洋楽にはまりこんでいた頃のものばかりで、よかったですよー。もう、人をうならせるような、ビルボード1位曲ばかりではなく、トップ10からトップ20あたりの「知る人ぞ知る」ような曲がずらずら出てきます。

それにしてもこのバンド、ちょっと気になるし、このライヴハウスもいいなあ。いやあ、近くにこんなところがあれば、行くんだけどなあ。

今度はこんな曲もやってください。

それにしてもヤムの会、奥が深い。頂き物もありまして、ほんとにありがとうございました。次は、新橋の歌謡バー、期待してますぜ。

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2011年12月18日 (日)

ボダナートの謎の儀式

昨日、都内某所にて「ヤムの会(仮称)」2回目が行われました。軽い疲労感が残っていますが、報告はまた後日。

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<ボダナート>K7/FA35

大ストゥーパでは外壁の塗り替え作業が行われています。それはバケツに入れた塗料をぶちまけるだけですが、確実に白くなっていく。

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<マニ車>K7/DA21

ストゥーパの周りでは相変わらずマニ車を回す人が絶えません。1日何回転するものなのでしょうか。経文が入ったマニ車の効能は誰にでもあるものなのでしょうか。

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<ストゥーパ正面にて>K7/DA21

ストゥーパ上段へと続く入り口前にて、女性が何かを並べ始めました。

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<続々と並ぶ>K7/DA21

そして続々と同じものが並べられていきます。

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<勢揃い>K7/DA21

終わったようです。それにしてもいったい何なのでしょうか。

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<生糸>K7/DA21

はじめは、食べ物か何かかと思っていたのですが、生糸でした。

さて、ここからは想像の世界。ネパールでは腕に生糸を何重にも巻き付ける習慣があるようです。ラオスでもあったと思うのですが。

今ではあまり見かけなくなってしまいましたが、チベット人の行商おばさんなどは、この糸から作ったと思われるカラフルな腕飾りを売り歩いていました。またしても13年前の話になってしまいますが、ちょうどJリーグが始まった頃で、「ミサンガ」に似ていました。おばさんたちは「フレンドシップ」などと呼んでいたようですが。

このあとの行方も見届けたかったのですが、時間のない旅人にはそんな余裕がないのでした。さて、次はスワヤンブナート。

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2011年12月14日 (水)

目玉寺院

深夜特急の足深跡を追うVol.4

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<ボダナート>K7/DA21

パシュパティナートからまたしてもタクシー移動。メーター使わず言い値で200ネパールルピー。ただし、タメル地区からパシュパティナートほどの距離はない。と、いうことでやってきたのは、世界遺産登録物件の一つ、ボダナート。ここも、入域料金のようなものがあり、150ネパールルピーを払う。ただし、出入りはチケットを見せるだけで外との行き来は可能。

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<大ストゥーパ>K7/DA21

ここもやはり、13年前はただで見ることができた。ボダナートはカトマンズ市内からはずれたところで、ゲストハウスやホテルなどもあり、カトマンズのタメルとは違った雰囲気が味わえるかもしれない。

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<右回りに歩く>K7/DA21

ここは、大ストゥーパを中心にして、それを取り囲むようにして商店やまた別の寺院などが建ち並んでいる。もちろんレストランやホテルもある。

ボダナートはネパールというよりは、チベット系のエリアらしく、大ストゥーパの乗っている基壇の外壁にはびっしりとマニ車がある。チベット仏教の寺院では、右回りに参拝するのがデフォルトとなっていて、マニ車も右回転するように回す。

そういうところなので、五体投地をする人なども現れる。五体投地とは、地面に身を投げ出すようにまっすぐになり、再び立ち上がると指先の位置からまた、身を投げ出すことを繰り返し、身体の長さだけ前進するという巡礼の仕方である。これを行うと衣服と露出した肌がすり切れてしまうため、それを防止するカバーなどをつけている人もいる。

このときも五体投地をしそうな人はいたのだが、こちらのカメラを見つけると「撮れ」という感じで迫ってきたので、物乞いの雰囲気を感じ、それにはつきあわなかった。

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<タルチョ>K7/DA21

ネパールやチベットの宗教的なところ、交通の要所などにはこの色とりどりの薄い布が飾られている。これにはおそらくチベットの文字が使われていて、ありがたい言葉などが書かれているのではないだろうか。

晴れた空の元で見ると綺麗である。

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<タルチョとストゥーパ>K7/DA21

この仏塔には近くまで登ることができる。ただ、行けるのはそこまでであとは、歩いて眺めるしかない。それにしても、巨大なストゥーパである。

さて、沢木耕太郎の「深夜特急」には、ここの記述がないが、間違いなくここには来ただろう。そして、ドラマの「劇的紀行・深夜特」は、なぜかカルカッタとブッダガヤをとばして、カトマンズから始まる。オープニング直後のシーンはスワヤンブナートとボダナートでのロケである。

大沢たかおはスワヤンブナートではなぜかバックパックを担いであの長い石段を登っていたが、そんなやつはまずいない。ボダナートでは手ぶらだったけど。

あのドラマ、カトマンズではほとんど外に出たシーンがなくて、宿の中かタメル地区でのシーンばかりなのだ。なので、観光客が感じられる深夜特急の雰囲気はこの2箇所だけしかないので、貴重といえば貴重かも。

今回ちょっと強引だったかも。

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2011年12月10日 (土)

パシュパティナートの怪しい人たち

お久しぶりとなってしまったのは、新しいパソコンを導入するのに手間取っていたからです。まだ、ソフトなどを入れる必要もあるのですが、まあ行ってみます。

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<ハヌマン>K7/DA21

パシュパティナートは火葬場であるとともにヒンドゥ寺院でもあり、そういう点ではヴァラナシーとよく似ている。なので、かなり怪しい面々も集まってきます。

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<観光サドゥー>K7/DA21

サドゥーは何も所有せず修行に明け暮れる世捨て人とでもいうのでしょうか。特にヒンドゥの聖地によく現れますが、街中ではほとんど見かけるはずはありません。ですが、ヒンドゥの観光地ではサドゥーらしい格好をして観光客を待ち受け、写真などを撮らせて収入源にしている人もいます。これが観光サドゥーというものです。

わかりにくいのは聖地でもあり、観光地でもあるところに現れるこのような人物ですが、写真を撮らせた後にお金を要求してくるのが観光サドゥーであると思ってよいでしょう。この人物も「マニー」といってきました。

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<ハヌマン男>K7/DA21

ネパールに限らず、猿は神としてもあがめられているのですが、特にネパールでは敬われています。この人物、こんな格好をしてこのあたりにたたずんでいたのですが、何をしたかったのかはよくわかりません。

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<本物のサドゥーか>K7/F

カトマンズではダルバール広場にも登場する観光サドゥーですが、こちらはどことなく本物っぽい。ヴァラナシーでは古い建物に大勢で住んでいるそうで、本物のサドゥーは滅多に姿を現さないそうです。

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<バラモンかも>K7/FA77

こんな人物もやってきます。果たしてサドゥーなのかバラモンなのか。額のティカがただ大きいだけなのかも。

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<バラモン>K7/FA77

火葬場の対岸のガートに数名座ってティカをつける役を担っているのがバラモン。ほとんど外見ではそこらの人と見分けがつかない。ヴァラナシーではバラモンに強引に誘われてティカをつけられてしまいましたが、ネパールでは非常にマイルドで観光客にティカ付けを言葉で誘うようなバラモンはいませんでした。

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2011年12月 4日 (日)

写真の撮れる火葬場、パシュパティナート

カトマンズに到着。残された時間はたったの1日。これだけでカトマンズの名所巡りをしなくてはならない。なので、カトマンズから距離のあるパタンとバクタプルは外し、世界遺産でもあるパシュパティナート、ボダナート、スワヤンブナートを回ることにした。今更けちけちしてもしょうがないので、すべてタクシー移動である。

宿を出たところで拾ったタクシーはメーターで行ってくれたものの、メーター料金の180ネパールルピーに対して200ネパールルピーを払うと「じゃあね」という感じで釣り銭はなしであった。

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<パシュパティナート>K7/DA21

ここはずっと以前からカトマンズ市内にある世界遺産のひとつなのだが、13年前は入場料なんてものはなかった。それが今や、500ネパールルピーというネパールにしてはかなり高額な入場料を取るようになっていた。

ここにはバグマティ川が流れ、ネパール最大のヒンドゥ寺院のあるところである。しかも、シヴァを祀る寺院なのである。寺院のエリアは非ヒンドゥの外国人は立ち入ることができず、対岸から眺めることになる。

ちょうど上の画像がわかりやすいが、寺院に向かって左側が火葬場となっている。寺院にはひっきりなしに死者が運ばれ、ガートで清められたあと火葬場で焼かれ、その後川に流されることになる。ヴァラナシーでは火葬風景はいっさい撮影禁止だったのだが、ここではまったくお咎めがない。

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<火葬風景>K7/FA77

やっていることはヴァラナシーと同じ。太い薪を井桁に組み、その上に死体をのせて藁を被せ、火をつける。あとは焼き場の職人が適当に処理してくれる仕組み。ヴァラナシーでは結局船の上からしか火葬風景を見ることができなかったが、ここではかなり近くでよく見ることができる。

もちろんここには13年前にも訪れているのだが、その時は冬だったこともあり、バグマティ川はかなり水量が減っていて、どんどん灰を流すために、川にはヘドロが溜まってしまいかなり汚い印象があった。しかも、そのそばでは食器を川の水で洗っていたりして。

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<焼き場の職人>K7/FA77

ヒンドゥ寺院には入ることができないが、火葬エリアには近づくことができる。そのすぐ上から眺めることにする。ほどよく焼き上がった(失礼)死体を竹で解体する作業。かなりの量の薪と藁を使っているので、大量の煙が上がる。写真はクリアに見えるものの、それは画像処理しているからで、実際にはかなり煙い。

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<何かを投入>K7/FA77

さらには別の職人が何かを投入する。ヴァラナシーではガンガーの水を振りかけるようだが。手には白い粉末が。確認したわけじゃないが、塩じゃなかろうか。

パシュパティナートは奥に行くとまた別の寺院が現れる。13年前には一度来たあと、カトマンズを発つ前日にまた来てみた。ここには食事をする場所がなく、かといって食べ物を持参すると猿が群がるというやっかいな場所。火葬風景だけでなく、いろいろなものが見られる。続編ありです。

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