カテゴリー「Vehicle」の87件の記事

2009年12月13日 (日)

車窓に思う~Desperado

かすてら音楽夜話Vol.19

スファックスからスースへとまたしても移動。結局バス便が見つけられず、同じルートで味わいがないものの、鉄道を使う。料金6.95ディナールの2等席である。

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<スファックスに到着した列車>MZ-3/50mm/RVP100

トズール発チュニス行きの列車である。スファックス駅のプラットフォームにはずらりと乗客が並んでいたが、同じくらいの人数が降りたようで、無事座席を確保することができた。

チュニスからの列車では途中で空調が弱まってしまったが、乗り込んだ車両はその時よりもやや程度がよく、空調もばっちりだし、窓にもブラインドがかかってなかった。

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<乾いた風景>MZ-3/50mm/RVP100

チュニジアの南部はすべてがサハラというわけではないが、温帯とステップ気候の中間くらいだろうか。赤い大地にオリーブ、ウチワサボテンや竜舌蘭に似た植物が確認できる。

こうした風景を見ているうちに思い出したのが、大沢たかお主演で一昔前に放送された、「劇的紀行・深夜特急」のシーンである。

おそらくアジア編からシルクロード編に入る最後のシーンだったと思うが、パキスタンかイランあたりでヒッチしたトラックから不意に降ろされて途方に暮れる場面。それとともに「Desperado(ならず者)」が流れる。いうまでもなく、Eaglesの代表曲なのだが、ドラマで使われたのはLinda Ronstadtのヴァージョン。これが、乾いた大地にとてもよく合っていた。

というわけで、YouTubeのリンダ・ロンシュタットヴァージョンを持ってきてみました。ちゃんとバックもイーグルス。それも、ランディ・マイズナーとバーニー・リードンが在籍していた時のもの。これ、削除されてしまう可能性があるので、けっこう貴重かもしれない。

イーグルスの「Desperado」は、ドン・ヘンリーがリードヴォーカル。全盛時代じゃなかったものの、今から数年前、友人に誘われ、東京ドーム公演を見に行ったな。本家イーグルスが、リンダにカバーを許可したのはもちろん、イーグルスがリンダ・ロンシュタットのバックバンドとしてキャリアをスタートさせたから。デビューしたてのイーグルスはウエストコーストというよりアメリカ南部のカントリーロック寄りのバンドだったのだが、バーニーの脱退、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュの加入などにより次第にロック色を強め、それがアルバム『Hotel California』に結実させた。

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<スースに到着>MZ-3/50mm/RVP100

ま、車窓を眺めつつ、イーグルスの「ならず者」を聴いていたということもありますが、ともかく列車は無事スースに到着。さあ、これから宿探しである。

Postscript 大沢たかおのあのシーンも探してみたのですが、なかったです。エンドロールに被さるようでなかなかよかったんだけど。

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2009年11月17日 (火)

ルアージュ

スファックスから世界遺産にもなっている円形闘技場で知られるエル・ジェムへの往復はルアージュを利用することとなった。ルアージュとはチュニジア独自の乗り物で、役割的にはモロッコにおけるグランタクシーのようなものだ。

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<タバルカにて>MZ-3/20mm/RVP100

モロッコのグランタクシーは、旧式のメルセデスやプジョーなどの大型セダンを使い、後席に4名、助手席に2名の客を乗せ、基本的に近距離にある都市間を結ぶ乗り合いタクシーである。「この角を曲がったところが、自分の家だからちょっとそこ曲がってよ」ということはできず、基本的にグランタクシーのたまり場から目的地のグランタクシーのたまり場までを走る。ただし、任意の場所で降ろしてもらうことはできる。

ルアージュはごらんの通り、ミニバンを使う。基本的な役割はほぼモロッコと同様。こちらもまた詰め込まれるのかなと思ってある程度の覚悟を決めていたが、座席数以上人を詰め込むということはなかった。

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<ルアージュ内部>GR DIGITAL

ただ、定員が10名以上であるため、客の集まりはけっこう時間がかかる。また、スファックスのルアージュステーションではチケット売り場があり、レシートのようなチケットを持って、ルアージュのドライバーにこれを見せて乗り込む。はじめはこれがよくわからなかった。乗り込む人の観察をしていて、チケットが必要だということがわかったのだ。

モロッコの場合はたまり場で行き先を連呼していれば、座席に余裕のあるグランタクシーに案内され、やがて係が現金を徴収にやってくる。違いはこのあたりだろうか。ただし例外もあり、エル・ジェムからの帰りはチケット売り場はあったものの、料金はドライバーに支払うようにといわれた。ま、ケースバイケースである。

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<スファックスにて>MZ-3/35mm/RVP100

ルアージュは基本的に白い車体だが、赤や青、黄色のラインが入っている。一定の都市間を結ぶ際の色が決められているのだろうと思う。そして、どこにも行き先の表示がないように思える。とにかくフロントグラスなどにも表示はない。ルアージュステーションではおそらく方面別に区分けされているのだろうが、そこはアラビア語の世界、よくわからない。

それでも、チュニジア人は親切なので、きけば案内してくれるだろう。

このルアージュもエアコンはない。渋滞にはまるとかなり暑いのだが、たいていは国道やハイウェイをかっ飛ばしていくので、走行中はそれほどの暑さは感じない。汗ばんだシャツも乾いてしまうほどなのだから、それはそれで暑いのだろうけど。

ルアージュはこの時を含めて3回利用した。特に、ケロアンでバスが見つからず、チュニスまで乗ったクルマはなんと1時間20分でチュニスに着いてしまった。絶対にバスよりも速い。グランタクシーもそれなりのセダンなので速いことは速いが、何しろ居住空間が息苦しい。苦行を積むような乗り物なのだが、ルアージュはそれほどのことはないので、利用する価値はあると思う。また、チュニスからジェルバ島までなどというとてつもなく長距離を走るものもある。慣れてくると便利な乗り物なのかもしれない。

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2009年11月14日 (土)

南へ

オフは終わった。明けて翌日、朝食の場でとんびさんに別れを告げ、一路南へ行く。行く方法はバス、ルアージュ、鉄道とあるが、是非とも鉄道に乗ってみたかった。まだこのあとの予定は決めていないものの、とりあえずは鉄道でスファックスに行ってみることにした。

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<チュニス鉄道駅>MZ-3/50mm/RVP100

宿をチェックアウトし、ここまでは歩く。近いので問題ないし、前日に下見をしておいた。時刻表ももらっておいた。

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<チケット売り場>GR DIGITAL

9:40発のトズール行き。トズールは鉄道で行けるチュニジア最果ての地ともいえる。スファックスまで2等で12.5ディナール。ちょっと並んだものの、問題なくチケットを手に入れる。近郊線に関してはまた別の窓口がある。では、早速構内へ。

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<プラットフォーム>MZ-3/50mm/RVP100

改札があり、チケットチェックをされてから構内へ。さらにプラットフォーム手前にも係がいて再チェックされる。すでに入線していたこの列車なのかと思ったら、そうではなかった。さらに待って、別の列車がやってきた。

チケットには乗車する号車番号と座席番号が書いてあるが、2等は基本的に自由席なのであった。どのあたりに乗るかわからなかったので、中程にいた。列車が入ってくるとグリッシーニ売りに席を案内された。しょうがないのでひとつ購入する。

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<車内>GR DIGITAL

グリッシーニとはイタリアでパン代わりに食べられる棒状の食品である。案内料として1.0ディナールグリッシーニ売りには払ったが、まるで問題なく空いていたので悔しい思いをした。

座席は向きの変えられないタイプで、車両の中央から半分にわけられて、すべて車両の中央方向を向いていた。中央の通路を挟み、2席ずつが並ぶ。窓にはブラインドがかけられ、あまり車窓を楽しむようにはできていない。

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<検札>GR DIGITAL

列車は5分ほど送れて出発した。チュニスにはたくさんの乗客がいたが、まだ少し空席があった。チュニスからしばらくはゆっくりした走りである。しばらくすると検札が現れる。

一応、車両にはエアコンがついていた。窓の開かない作りなのでこれは当然だろう。しばらくすると隣に乗客が座るようになり、やがて満席に。しばらくまどろむと、スース。チュニスから150km弱南に下ってきたわけだが、もはや太陽の輝きはチュニスと比べものにならないくらいぎらぎらしたように感じる。

スースでは半分くらいの乗客が降りたが、それ以上の乗客が乗り込んだ。そして、列車は方向を変え、元来たチュニス方面へと動いていく。「なんだ」と思ったが、スースはローマのテルミニのような行き止まりの構造だったのだ。

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<スファックス到着>MZ-3/50mm/RVP100

スースを過ぎるとエアコンの効きが悪くなった。それだけ暑いということか。円形闘技場で有名なエル・ジェムを過ぎ、あとわずか。ここはまたあとで来るつもりである。

列車は約30分遅れでスファックスに到着した。ちなみに、チュニジアの鉄道は、北部の路線はヨーロッパと同じ標準軌道なのだが、その他の路線はタイやマレーシアと同じメーターゲージなのである。道理でスピードが出ないわけだ。半分サウナみたいな車両からようやく開放される。乗客もどっと降りた。チュニスから約250km。さすがに暑い。これから宿探しである。

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2009年10月24日 (土)

遺跡へGO

チュニス滞在通算4日目。この日は、かねてから手配していたブラ・レジアとドゥッガという遺跡に行く。当然ひとりでは割高となるので、同じ時期にチュニジアを訪れていた「とんびさん」と同行するのだ。

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<ツアー車とドライバー>MZ-3/50mm/RVP100

ツアーを手配したのは、チュニスの旅行社、TRAVEL SUN。ここには日本人が経営しているので、日本語のメールで手配を依頼した。どうしても行きたかったのは、ドゥッガだけだったのだが、自動的にブラ・レジアもセットになって付いてくるのだ。

とんびさんはこの前日深夜にチュニス入りしていて、同じホテルに宿泊している。あらかじめ、手紙を書いておいて、フロントに託していた。だが、心配は杞憂に終わり、その日の朝食の場でミートに成功。これから長いオフが始まる。

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<高速道路>MZ-3/50mm/RVP100

ドライバーはもちろんチュニジア人で、アラビア語とフランス語だけだったらどうしようかと思っていたが、綺麗な英語を話した。時折車窓のガイドも行う。「右は病院、左は墓場」などといって笑わしてくれた。

手配車はトヨタの4WDだったが、途中から高速道に入り、さらには一般道に入っても快適なドライブであった。ちなみに、チュニジアの高速道では最高時速が110km/hに設定されている。

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<ブラ・レジア遺跡>MZ-3/35mm/RVP100

最初にブラ・レジア。昼食を挟んで午後からはドゥッガの観光となる。ツアー料金に入場料とカメラチケット、昼食代が含まれる。

ブラ・レジアはヌミディア王国の首都であり、ローマと近づきカルタゴの領土を徐々に獲得。その後、カエサルに反対の立場を取った王の時代に滅ぼされその後ローマの属州となった。そのために、ここにはローマの遺跡がある。

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<ドゥッガ遺跡>MZ-3/35mm/RVP100

ドゥッガもヌミディア王国の都市のひとつ。ブラ・レジアとともにローマの一部となったが、遺跡の保存状態はかなりよく、世界遺産になっている。遺跡規模はチュニジア随一か。

ともかく、圧倒的な青空で、この日は最も写真を撮った日ではなかったか。丸1日戸外にいたため、日焼けが一段と進んだ。これからしばらくは遺跡シリーズが続きます。おつきあいくださいませ。

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2009年10月17日 (土)

チュニス新市街

チュニスの新市街はメディナに比べるとのっぺりしている。それでもランドマーク的なものはあるのでいくつかを紹介してみようか。

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<時計塔>MZ-3/35mm/RVP100

チュニス新市街の東のはずれにあるのがこの時計塔。周辺はロータリーになっていて、交通量もなかなかのもの。空港からやって来るとここがチュニス市街の始まりとなるような感じだ。ここからチュニスのメインストリート、ハビブ・ブルギバ通りが始まる。

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<国立劇場>MZ-3/20mm/RVP100

ハビブ・ブルギバ通り中程。ちなみに、宿はここの目の前のエル・ハナ・インターナショナルという巨大ホテルでした。ここで厳かなオペラなどが上演されることもあるのだろうが、どういう訳か週末の夜は劇場の前でフリーのコンサートが大音量で催され、こちら側に面した部屋ではうるさくてかなわなかった。

コンサートといっても、DJつきのヒップホップ風のものだったりして、いやホント悩まされたです。

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<カテドラル>MZ-3/20mm/RVP100

ハビブ・ブルギバ通りの西のはずれ。チュニジアにもあるカテドラル。何度か前を通ったものの、堅く門を閉ざしていて、中には入れず。ちょうど前を通っているのはメトロと呼ばれる、路面電車。

メトロは4路線あり、いずれもこんな緑の車体。料金は距離に応じたシステム。結局は乗る機会がなかった。ただ、チュニス滞在中はこのあたりにいたので、何度も見かけたが。

ちなみに、このカテドラルの写真は、アクセントが欲しかったので、メトロが通りかかるまで待ってシャッターを押したものです。

また、ハビブ・ブルギバ通りはこのカテドラルで終わり、中央分離帯のない対面交通のフランス通りと名前を変え、メディナに至る。

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2009年9月21日 (月)

チュニスの郊外電車

カルタゴ遺跡やシディ・ブ・サイドに行くにはTGMと呼ばれる、郊外電車が便利だ。チュニスの東はずれにある、チュニス・マリン駅からTGMは、出ている。終点のラ・マルサ駅まで1時間程度。カルタゴ遺跡までは30分弱といったところ。

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<チュニス・マリン駅>MZ-3/35mm/EBX

車両は確か2両編成くらいで、車両の中を区切り1等席がわずかに作られている。だが、そんなに混んでいないので、2等で十分。チュニス・マリン駅からカルタージュ・ハンニバル駅まで0.65ディナール。

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<TGM車内>GR DIGITAL

車内はノンエアコンで結構暑い。かなりくたびれた感じなのだが、これはチュニジアで唯一の電車なのである。

TGMの路線はチュニジアで初めて敷設された鉄道で標準軌を使っている。その割には速度は出ないのだが。

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<カルタージュ・ハンニバル駅>MZ-3/35mm/EBX

また、日本と異なり、電車は右側通行である。この点戸惑うこともあるかもしれない。

カルタゴ遺跡、シディ・ブ・サイドの他にも大型フェリーの発着するラ・グレットや別荘地のラ・マルサなど沿線に見所もある。ラ・マルサから少し足を伸ばせば、ガマルタという、リゾート地も。

もし、チュニスに滞在することがあったら、TGMに乗って、1日過ごすことも楽しいかもしれない。

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2009年7月 9日 (木)

お椀の船

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<ブンタウにて>MZ-3/35mm/E100VS

それを目撃したのは、ブンタウの小さな湾でのことだった。まるでおとぎ話のようにたらいのような船に乗った男が一生懸命に漕いでこちらに近づいてくる。さすがに、直進性が悪く、必死な感じがした。

一寸法師はお椀の船に乗って冒険に乗り出すのだが、現実社会でこんなものを見るとは。網を積んで作業に使うとか、養殖した貝などを取り込むのに都合がいいとか、理由があるんだろうが、とても大海に乗り出すものとは思えない。

それにしても、こういうものを見るとは。侮れないな、ベトナム。

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2009年7月 5日 (日)

クリーク・クルージング

年末年始の旅に戻ります。

旅の最終日、深夜には成田行きの飛行機に乗るというのに、やはりシンカフェのツアーに参加していた。やはりメコンデルタを巡るツアーで、ミトーあたりの島巡りである。

このツアーは、今までで一番参加者の国籍がバラエティに富んでいた。欧米からのバックパッカーのみならず、中国人、ベトナム人の家族も参加している。中には明らかに家族旅行という風体の人たちもいたくらいである。

そんな中でメコンの中州を巡り、メシを食べ、終盤にさしかかる。そして、手こぎのボートに乗り換えての、クリークのクルージングである。それまでは、50人程度は乗れそうな船だったのだが、さすがに狭いクリークでは手こぎのボートしか手段がないようである。

ここでは中国人の家族と一緒になった。

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<クリークへ>MZ-3/50mm/E100VS

まるでジャングルのようなクリーク。木が空まで覆っている。自分たちのボートが一番最初に出発した。これはなかなか気分がよい。

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<地元民>MZ-3/50mm/E100VS

クリークには意外にもたくさんの手こぎボートが行き交っている。狭いクリークなので、すれ違う相手の姿もばっちり。ボートは、二人のこぎ手が前後に乗り込んでいた。

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<乗り込んできた子供>MZ-3/50mm/E100VS

このあたりでは毎日ツアーがあることがわかっているのだろう。すれ違う船にいた子供は、勢いをつけてこちらに乗り込んできたと思うと、すぐに自分の船に戻っていった。単なる遊びなのだろうが、ちょっとしたサービスである。

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<帰還>MZ-3/50mm/E100VS

わずか数kmのクルージングだったが、なかなか迫力があった。真っ先に到着したので、大きな船の上から今通ってきたクリークを眺める。後続のボートが到着する。先頭にいたベトナム人カップルは、こんなポーズを取ってくれるほどのサービスである。

まあ、それにしても、ツアーでまったく個人旅行者がいないというのも初めてである。ちょっと身の置き場に困ったけど。

そそ、夏の旅行記、バンビエンまでたどり着きました。山の中のリトルカオサン田舎道を徒歩での2編です。よろしかったらどうぞ。

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2009年6月11日 (木)

チョロンへ

再びのホーチミン。たいした疲れもないが、この日は市内を歩くことにする。宿泊していたのは何かと便利なファングーラオ通りなのだが、このそばのチャンフンダオ通りをまっすぐ歩けば、チョロンに出る。

とはいえ、限られた時間しかないツーリストはバスに乗るのである。幸い、ベンタイン市場向井にはバスターミナルがあり、1番のバスがチョロンまで連れて行ってくれる。しかも始発だ。これは乗るしかない。

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<チョロンバスターミナル>MZ-3/35mm/E100VS

ホーチミン市内を走るバスは他に黄緑の車体にグリーンのラインが入っているものもある。だが、このチョロン行きは白地にブルーのラインである。乗り込んでみるとエアコンが入っている。条件的にはバンコクよりもいいじゃないかと思う。

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<車掌>GR DIGITAL

料金は車掌が徴収に来る。料金は一律3,000ドン。約16円という安さ。バスの車掌はおおむね女性のようで、バンコクのようにコインの入った筒を鳴らして近づくという下世話さはない。性格もマイルドみたいなのがいい。

ところで、この料金沢木耕太郎が同じようにこのバスを利用した時と変わっていない。それから5年くらいはたっているだろうがまだキープしている。

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<検札係>GR DIGITAL

バスが発車すると青いシャツの男性が乗客の間を回り出した。何かと思ったら、検札なのであった。車掌に料金を払うと小さなチケットをくれるので、捨てないように。検札係は次のバス停で降りていったので、ランダムに検札が行われるようである。もちろん、ない場合もある。

余談だが、ギリシアのバスの検札はすごいです。長距離バスでも行われるのですが、快適に走っていた道の途中で不意にバスが止まり、実に険しい表情のおじさんが乗り込んで全員にチケットのチェックを行います。そして、検札が澄むとまた途中のどこかで降りていってしまう。あれも、なんなんだろうなと思うほど。

さて、バスは20分ほどでチョロンのバスターミナルに到着。バスターミナル付近も車窓からどことなくわくわく感が見て取れますが。

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2009年6月 8日 (月)

メコンのフェリーと国道1号線

カントーからホーチミンまではちょっとした手違いではあったが、タクシー利用となってしまった。この間はメーター料金ではなく、事前に決めてあった値段で行く。要するにチャーターである。

カントーからホーチミンまでは国道1号線を使う。そうしたルートなのだが、カントー郊外からヴィンロン方面へはフェリー利用となる。メコンの後江には橋が架かっていないのである。

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<メコン>MZ-3/50mm/E100VS

川には何艘ものフェリーが行き来している。ここを横切るのは15分程度の航海だが、はっきりいって待ち時間の方が長いくらいだ。それだけの交通量があるといえよう。フェリーにはクルマだけではなく、おびただしい数のバイクも搭載されている。

川を渡ると再び国道1号線。やがてヴィンロン。そして枝分かれしたメコンの前江が待ちかまえる。この部分かなり近代的な橋ができている。ホーチミンから下ってきた時には前江もボートでクルージングしたため、ここを渡るのは初めてということになる。

やがてホーチミンの文字が標識にも見えてくる。交通量はさらに増え、渋滞もしばしばである。かつての国道1号線はベトナムの幹線道路とはいえ、所々穴も開いているような状況だったらしい。現在はそれはさすがになく、タイの国道並みに舗装されていて快適だ。

ただしそこはアジアの国で、橋の継ぎ目などは日本では考えられないくらいの段差となっていて、クルマはスローダウンすることもしばしばである。

ホーチミンに戻った時には日もとっぷりと暮れていた。快適だと思っていた移動だったが、さすがに疲れた。これが、バスだったらと思うと…。ここから、再びのホーチミンの3日間が始まった。

それにしても、メコンという川はなかなか橋が架けにくいものなんだろうか。メコンの後江にも、橋が建設中ののような話も聞いたが。

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