カテゴリー「Music Talk」の52件の記事

2018年7月14日 (土)

覆面スーパーグループ

かすてら音楽夜話Vol.52

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<リバプール>K-7/DA16-50mm

ここはマシューストリートではありませんが、近くにある「Hard Days Night Hotel」あたりです。柱にビートルズの4人の肖像があります。

リバプールの空港はジョン・レノンの名前が冠されています。もう一人のリードヴォーカリスト、ポール・マッカートニーがやはりジョンと二分する人気があるでしょう。ニューヨークで暗殺されてしまったジョンのカリスマ性と、70歳を超えてニューアルバムをリリースするポールの大衆性はやはり人々を惹きつけますかね。

だが、忘れちゃいけない第3の人物がジョージ・ハリスンです。ビートルズのリードギタリストで「Something」(ビルボード週間シングルチャート1位獲得曲)や「Here Comes The Sun」の作曲者です。ジョンとポールのはざまに隠れなかなか日の目を見ない男ですね。

とはいえ、ビートルズにインドを持ち込んだのもジョージです。それがなければ、1960年代後半のビートルズはまったく違ったものになっていたでしょう。

さて、ここに紹介するのは、Traveling Wilburysというバンドです。

ほぼ全員がウィルベリーという姓を持ち、サングラス着用という覆面状態でアルバムをリリースしましたが、すぐに誰だかわかりますね。

初めのリードヴォーカルはジョージ・ハリスン。次のリードヴォーカルがロイ・オービソン(「Pretty Woman」の人です)。コーラスはボブ・ディラン(いわずと知れたノーベル文学賞受賞者)、ジェフ・リン(ELO)、スライドギターをトム・ぺティが弾いていますね。

ま、全員がギタリストであり、曲を作り、歌も歌うのですが、ファーストアルバム『Traveling Wilburys Vol.1』がリリースされたのが1988年で30年前です。

その年、ロイ・オービソンが急逝。ジョージも2001年に病死。トム・ぺティも昨年亡くなりました。

今後こんなグループが登場するでしょうか。

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2018年6月13日 (水)

青の時代

かすてら音楽夜話Vol.51

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<青い扉>MZ-3/FA35mm

前のエントリーでリバーサルのモロッコを紹介してみようと、つぶやきました。2010年にメインカメラをデジイチにし、その後はリバーサルどころかフィルム自体も壊滅状態です。

リバーサルフィルムというのはスライド用に作られたフィルムで、現像するとほぼ見たままの色がフィルムにでます。いわゆる印画紙に焼いた写真はフィルムの状態では色が反転しています。そのためネガティブフィルムと呼ばれています。

まあ、そんな蘊蓄はどうでもいいのですが、リバーサルで撮るとネガカラーよりも色が断然強く出るのです。そのために、10年年以上前の写真にこだわるブロガーはリバーサルを愛用していたのですね。

つーことで、今回紹介するのはモロッコの中でも「青」が特に印象的なシャウエンというところです。

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<シャウエンの街角>MZ-3/FA35mm

シャウエンとは正式にはChef Chaouenという、山の中にある小都市です。地元民も「Chef」は省略してます。

ここの旧市街は城壁に囲まれていて、そこにある住居をはじめとした建築物はほとんど青く着色されているんです。スペインの白壁の街とかはありますが、世界を見渡しても青はなかなかありません。

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<青いギャラリー>MZ-3/FA35mm

ね、どうすか?行ってみたくなったでしょ。リバーサルは特に強烈な日差しの下で色合いが特に強く出るような気がします。ま、それはデジタルカメラでも同じですけど。

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<シャウエンの少年>GR DIGITAL

デジタルで撮るとこんな具合。やや薄めです。まあ、GR DIGITALの特性かもしれません。今度機会があったら、デジイチでも撮ってみたいですが。

この頃のカメラはあまり機能が高くありませんでしたが、露出をピンポイントに絞ることで、ピントもピシッと決まったような気がします。

でも、画像のスキャンにやたらと時間がかかるので、もう戻ることはないでしょう。それにリバーサルフィルムは1本1000円程度します。頑張って撮っても37カットきり。それに現像代を合わせるとやはり1000円以上するわけで、フィルムを20本、30本と持参すれば、下手な航空券分くらい出ちゃうわけですよ。

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<リトルギャング>MZ-3/FA35mm

あの頃、よくぞブログが続いたもの。ともかく、ここシャウエン、こんな素敵なところなのに、世界遺産じゃありません。おそらくは歴史的建造物がほぼないからでしょう。

そんなシャウエンにぴったりの曲がこちら。

もともとはKinKi Kids(堂本剛&堂本光一)がリリースした曲ですね。バラエティ番組「LOVE LOVEあいしてる」のテーマソング「全部抱きしめて」とのカップリングの両A面ですが、堂本剛主演のドラマ「青の時代」の主題歌でもあります。

それを作ったのが映像の「canna」というデュオです。KinKi Kidsのリリースが1998年。cannaのメジャーデビューが1999年。つまりはデビュー前に提供された曲のセルフカバーということになります。

cannaの二人ですが、メインのヴォーカルが谷中たかし。キーボードとバックコーラスが周水。デビュー前の青田買いなんですが、これには秘密があります。周水の父親が小杉理宇造といい、現在ジャニーズエンターテイメントの代表取締役です。

小杉氏は長年山下達郎のバックアップなどをしていて、山下の所属するアルファムーンレーベルやスマイルカンパニーの代表などを務めていました。スマイルカンパニーとジャニーズ事務所がつながったわけです。ちなみにKinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」は作曲山下達郎です。

周水ですが、ステージでもサングラスなんですが、別に格好をつけているわけでもなく、眼に障害があるらしいです。日光に弱いとかの。ま、そんなわけで苦労もしているし、誤解や偏見もあったようですね。

KinKi Kidsもジャニーズ事務所の中ではかなり音楽性が高く、歌も上手いんですが、cannaと比べるとかすんじゃいますね。cannaの二人は数年で活動休止しましたが、数年前から活動再開しているようです。

ジャニーズ事務所もスマイルカンパニーもかなり著作権にはうるさく、YouTubeでは所属のタレントやミュージシャンのものがすぐに消されますね。でも、この映像はcannaが自分たちで上げたものですから大丈夫ですね。

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2018年5月23日 (水)

カラオケ

かすてら音楽夜話Vol.50

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<タイカラオケ>GR DIGITAL

このカテゴリーもめでたく50回。

画像はいつかのマラコーでございます。ここはあまり知られていないことなんですが、料理のレベルも結構いけてます。

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<パッタイシーウー>SX730HS

ひとり分にしては多めです。値段もちょっと値上がりしましたが、カラオケスナックですからまあ、妥当かもしれません。なにしろ、タイフェス帰りでまともな昼食、夕食を食べていないのです。

どこに厨房があるのかわかりませんが料理人の腕はいいです。

ま、こんな感じで最近はオフのたびにマラコーに連れられて行くのですが、タイ語ができなくてもカタカナタイ語の曲さえ歌えなくても、楽しんでます。

ま、ワタクシができるのはPUNCHの「ラウ・コン・トン・フェーン・ペン・カン」の♪Na Na Na Na~というコーラス部分だけですけど。

マラコーのシステムはタイ語の曲以外はDAMの通信カラオケを導入しています。タイ語の曲はおそらくグラミーなどのレーベルからダウンロードした曲をパソコンを介して流しているみたいです。なので、タイ語の曲を歌いたい人は、直接曲名を告げる、メモを渡す、スマホを見せるなどの方法で意思を店員に告げることになります。

そして、ここが重要なんですが、マラコーはカラオケスナックなので、流れる曲は常にひとつだけです。人が歌う曲を真剣に聴いているかどうかは別にして、数少ない聴衆を前にして歌うことになりますね。

沢木耕太郎と井上陽水の対談で、「最近カラオケでプロ顔負けの人もいるけど、その力が武道館なり東京ドームなりで発揮できるかどうかがプロとの違いだね」という発言がありました。いきなりスケールは小さくなりますが、マラコーで歌の上手い人はそこらのカラオケボックスで上手に歌う人より数倍は上手いということになりますね。

昔のカラオケは映像も歌詞も出ない、本物のオケでございました。曲なんかヒット曲と演歌ばかりという状態です。ま、おじさんの余興みたいなものでしたね。

それがレーザーディスクの登場とともにすそ野が広がりました。カラオケメーカーも努力を重ね、通信システムを導入し、カラオケボックスを登場させ、老若男女が楽しめるものとなったのです。

ワタクシ的には当時毎月の飲み会はほぼカラオケボックスでした。ま、それだけカラオケ好きが多かったというのもありますが、ボックスが普及したからこそ、それまで隠れていた歌の好きな人が現れてきたというのはありますね。また、歌ってそれがとても気持ちいいことに気づくというかそういう現象も起こったといえます。

その後パソコンが普及しまして、当時のNiftyserveのパソコン通信、Fbeat(音楽フォーラム)では何回かカラオケオフをやりました。なんとですよ、カラオケのために大阪や新潟からやって来るメンバーもいたほどです。

Fkaraokeなんかにも出入りしていまして、ここでは縛りのあるカラオケをやりました。縛りというのは「佐野元春限定」なんてやつです。佐野元春しか歌っちゃいけないというルール。当時いくら通信のカラオケが充実してきたといっても、あるミュージシャンの全曲が網羅されているわけではありませんでした。新宿のパセラという店では、DAMだけでなくJOYSOUNDなどほぼすべての会社の通信システムを取り入れた凄い店でしたが、それでもない曲がありまして、ではどうするかというと、自宅でヴォイスキャンセラーをいう機械を通し、バックのサウンドだけにしたトラックをMDなどに仕込んで、それをカラオケにつなぐのです。映像と歌詞は出ませんがこんなこともやっていました。

それから幾星霜。ワタクシの周囲にはカラオケを楽しむ人は激減し、10年ぶりくらいでマラコーに遭遇したのであります。

タイ語はできませんが楽しんでおります。kimcafeさんやじんさんの合間にちょこっとエレカシなど歌ってしまう。ま、これの発展形が昨年夏のバンコクのAtessaともいえるのですが。

最近キイが低くなってきまして、エレカシは正直辛いです。でも、エレカシ以外でもなんとか自分のキイに合うようなやつを試行錯誤中です。70年代の曲は歌いやすいですね。身に染みてますし。最近は「危険なふたり」なんかもやっちまった。

kimcafeさんは今のところ不在ですし、だれかカラオケ行きませんか?

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2018年5月18日 (金)

西城秀樹とYMCA

かすてら音楽夜話Vol.49

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<尖沙咀のYMCA>K-7/DA21mm

これまでYMCAには何回か泊まったことがあります。香港、油麻地のYMCA International Guest Houseには2回ほど泊まりました。でも、ここはその後、YMCAであることをやめ、普通のホテルになってしまいました。

次がリバプールのYMCAです。油麻地のYMCAはほぼホテルと同様なんですが、リバプールのYMCAは当然ドミトリーありです。部屋は4人用で二段ベッドが2つありました。この部屋をひとり用として利用することもでき、そこに2泊しました。

YMCAとはYoung Men's Christian Associationのことで、キリスト教青年会の宿泊施設ということになります。青年会ではあるもののもちろん女性にも開放されています。

その逆にYWCAというものもあり、こちらも男性に開放されているところもありますね。わが母校の近くにはYWCAがあり、宿泊施設はありませんでしたが、たまに食堂に行きましたね。今でもやっているんだろうか。

では、何をいいたいかというと、先日お亡くなりになった西城秀樹の代表曲ともいえる「Young Man(Y.M.C.A)」のことです。

もともとはアメリカのVillage Peopleというグループの「YMCA」という曲がオリジナルで、西城秀樹の曲はカバーということになります。

このグループ、なんとアメリカのゲイディスコでバックダンサーでアメリカ先住民の格好で踊るフェリペ・ローズがスカウトされ、リードヴォーカルに俳優でシンガーでもあったヴィクター・ウィリス(ポリスマン)を抜擢したとのことです。あとのメンバーは「ゲイのシンガーでマッチョルックの人」という広告を出し、グループ結成に至ったとのことです。

そして、YMCAにはドミトリーがありそこはゲイの巣窟であるということから「YMCA」はゲイのことというスラングになっていたそうです。西城秀樹は知っていたのかどうか。

現存する香港のYMCAですが、尖沙咀にほぼペニンシュラと並んでいます。あの沢木耕太郎氏がチョンキンマンションのゲストハウスに泊まっていたものの、ここはどうかと迷っているときにファランのバックパッカーから部屋をシェアしないかといわれたところです。その男性は「自分はゲイではない」と付け加えたそうで。

でも、ここはかなりの高級ホテルですね。

ヴィレッジ・ピープルですがどこまで本物のゲイ志向があったのかは不明ですが、メンバーの中にゲイの人物がいたともいわれています。ただし、あまりにもゲイのキャラクターを押し出すことで、ゲイの皆さんからはあまり評判はよろしくなかったともいわれています。ただし、世界的に売れましたね。

もともと、こういうコンセプト、寄せ集めですから、メンバーの入れ替わりも激しいです。今でも活動しているみたいですが、それぞれのキャラクターはアメリカ先住民とGI以外は何回も入れ替わっているようです。まだ活動はしているようです。

さて、西城秀樹氏、肉体を駆使するアクションを売り物にし、ユーミンからは「胸毛」のことを「ギャランドゥ」などと揶揄されてます。でも、まさか新御三家の中で最も早くお亡くなりになるとは。

ちなみにヒロミ・ゴーにも「哀愁のカサブランカ」(バーティ・ヒギンズの「Casablanca」、もちろんハンフリー・ボガートのあの映画のこと)をカバーしています。ワム!の「ケアレス・ウィスパー」なんか西城秀樹もカバーし、カバーの競作もありました。野口五郎は洋楽カバーはないみたいですが。

ともあれ、合掌。

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2018年5月 2日 (水)

35年ぶりの再結成

かすてら音楽夜話Vol.48

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<ブライトン>K-7/DA16-50mm

画像はあまり関係ありません。何しろわたしゃ北欧には行ったことがございませんので。

1970年代半ばから1980年代初めごろにかけて、一世を風靡するというか世界的にも有名なバンドがありました。その名を、ABBAといいます。

出身はスウェーデン。1974年のユーロビジョン・ソングコンテスト優勝をきっかけに「Waterloo」(放題・恋のウォータールー)がヒットし、ヨーロッパでは知られる存在となりました。ちなみに、ウォータールーとはイングランドにある駅名ですが、ナポレオン軍が対仏同盟軍に大敗した地名、「ワーテルロー」のことでもありますね。

しかし、世界的に知られるようになったのがこの曲です。

この曲をCafe de Castellaにやって来る人でまず知らない人はいないでしょう。このあと、「Take A Chance On Me」、「Chiquitia」、「Thank You For The Music」などのヒットを立て続けにリリースします。

この人たちは男女ふたりずつの4人編成ですが、もともとは男性二人のデュオでした。ギターのビヨルンとキーボードのベニーで「ビヨルン&ベニー」といいました。ま、そこに女性陣が加わった形になりますが、ブロンドの女性がアグネッタ、赤毛がアンニ=フリッド(フリーダ)です。

そこでたまたま、頭文字を男性を挟むように並べたところABBAとなったと。なお、グループのロゴとしては最初のBはひっくり返っています。

アグネッタとビヨルン、ベニーとフリーダはその後正式に結婚に至りますが、後年ともに離婚しています。

ともかく「Dancing Queen」以降は出す曲ほとんどが大ヒットでして、飛ぶ鳥を落とす勢いだったわけですよ。ところがそれぞれの離婚と相前後してグループとしての活動を終了したのが1983年です。

普通はここで終わってしまいますがなんと、この度35年ぶりに新曲をリリースするそうです。ちなみにフリーダは1945年生まれの今年73歳。ビヨルンも同じ。ベニーは72歳。アグネッタは68歳です。アグネッタ以外、沢木耕太郎氏よりも年上ですわ。

まあ、Fleetwood Macみたいにメンバー間で夫婦が2組もいて、それぞれのちに離婚してもグループはいまだに続いているという例もありますが。

ABBAが世界的に受けたのはみてもお分かりの通り、カリスマ性やビジュアルじゃないですよね。やはり、曲の親しみやすさと明るいムードなんじゃないすかね。

そもそも彼らはスウェーデン人であるわけで、オリジナルとしてはスウェーデン語のアルバムを出していたはずです。でも、英語版をリリースし、それを世界中で売りまくりました。おそらく、非英語圏のミュージシャンでここまで英語の曲をヒットさせた人ってほぼいないでしょうね。

タイのミュージシャンたちも英語あるいは日本語で「売る」ためにリリースなんかしたら、その後火がついて、オリジナルのタイ語版もマーケットが拡大するんでは。テレサ・テン商法あるいはアグネス・チャン商法。おあとがよろしいようで。

それにしてもびっくりしたっす。

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2018年4月 2日 (月)

新天地へ

かすてら音楽夜話Vol.47

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<買っちゃいました>GR DIGITAL

本日異動先に初出勤いたしました。通勤時間1時間半くらいでしたね。なんといっても6年ぶりとなる電車通勤。ま、利用する某私鉄が30年かけて複々線化を完成させ、所要時間も短くなり混雑もやや解消という具合で、そんなに苦痛じゃなかったです。乗り継ぐJRも座れるかもしれないくらいの乗車率で、座れなかったとしてもたったの10分くらいですから。

ま、そういうこともありますので、アナログウォッチを購入いたしました。これまで使っていたワールドタイム仕様のG SHOCK、まだまだ元気ですけど、その前に持っていたソーラーのG SHOCKは5年くらいで液晶がかすれ始め1回修理したもののすぐに同様の症状が出ましたから、そろそろ限界かということもあります。

でも、このアナログ時計もソーラー(CITIZENではeco-driveというらしい)かつ電波受信なんです。しかもワールドタイムですからどこにでも持ち出せますぜ。

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<GR DIGITAL後継機>GR DIGITAL

これも購入しました。なんたって、メシおよびスナップ専用のサブ機、GR DIGITALは12年使い続け、明らかな故障はないもののオートフォーカスに時間がかかるようになり、全く撮れないショットも増えてきたんです。

当初は小型ミラーレスのダブルズームとか考えていましたが、それでは荷物が増えすぎるということで、コンデジのズームタイプにいたしました。GR DIGITALは35mm換算で焦点距離28mmの単焦点でした(デジタルズーム4倍というのがあったですが、画質が落ちます)。

今度のこれは35mm換算で24~960mmという40倍ズームです。これで人もバンバン撮れますね。でまた、最短で1cmのマクロ撮影が可能なので、メシ写真もばっちりです。

ともかく、退勤後は都心を通過するので、これまで抑えてきた物欲が噴出しそうで怖いです。音楽CDやDVD、服に本ととどまることがなさそうです。

でも、初出勤の本日は疲れまくって戻ってきました。仕事に使いそうな文具を100均で購入したくぐらいでした。

 

なんだかワタクシの物欲ばかり語ってしまいましたが、新しい環境になったすべての人に捧げるこの1曲。

エレファントカシマシの「四月の風」、日比谷野音でのライヴヴァージョンでした。

エレカシは1994年の7枚目のアルバム、『東京の空』を最後に所属のepicから契約解除されます。それでも、地道に下北沢などでライヴ活動をつづけ、2年後、ポニーキャニオンから『ココロに花を』でメジャーに戻ってきます。

その先行シングルとして4月に発売されたのが、「悲しみの果て/四月の風」の両A面だったのです。どうしても、曲のイメージとして「悲しみの果て」ばかりが取り上げられがちですが、エレカシをポニーキャニオンに売り込んだ「Rockin' On」編集部の顔ぶれは「四月の風」をプッシュしていたようです。

というのも、『ココロに花を』の元になったデモテープがあり、その中の「四月の風」は粗削りなレゲエみたいにきこえます。後半のメロディはかなり違っていますが、ミヤジの中では未完成だったとのことです。そのデモテープですが、エレカシのデビュー25周年ヴァージョンでアルバムにカップリングされています。

ともかく、入学、就職、転勤、退職された皆さん、四月は「♪何かが起こりそうな気がする」でしょ。一緒に頑張りましょう。

 

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2018年3月26日 (月)

かすてら音楽夜話Vol.46

Ck2085

<カニャークマリ>K-7/DA16-50mm

年度替わりですね。

入学、就職とこれから環境が変わる人も多いと思います。

なんと、管理人もまたそのひとりでございます。といっても、いきなり自由人になるということでもなく、異動することになりました。

ここしばらくの温かさに、かつてない桜の早咲き。環境が変わる人にとっては4月こそが桜真っ盛りであることがふさわしいのでしょうが、そこまで待っているとすべて散ってしまいそうな感じです。この曲のように。

約10年前のエレファントカシマシでした。

この曲はアルバム『Starating Over』には収録されず、そのあとの『昇れる太陽』に収録されました。『Starting Over』の発売が2008年1月。『Starting Over』からのシングル「俺たちの明日」と「笑顔の未来へ」は2007年11月と2008年1月発売で、なぜか「桜の花、舞い上がる道を」は2008年3月発売なのですが、1年後のアルバムに収録されたということです。

その理由はよくわからないのですが、宮本浩次と対談した泉谷しげるもそのことを指摘しています。とにかく、それまでのエレカシになかった壮大な感じの曲に仕上がりました。

とはいえ、今現在の桜の咲きっぷりにはまさにピッタリでしょう。

さて、私事ですが、異動になるのは都内の某所です。ヒントとして、YouTubeの映像が収録された赤羽台団地(宮本浩次の居住していたところ)のある区になります。

めちゃくちゃ遠距離通勤になるんで、かなり不安ですね。でも、途中、地元の駅や新宿、池袋と通りますので、買い物やB級グルメも平日から楽しめちゃいます。そういう楽しみもなくちゃ、やっていけないですわ。

つーことで、近場にいらっしゃるkimcafeさん、trintrinさん、スクムビットさん(ヤムの会の主要メンバーですな)、よろしくお願いします。

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2017年7月29日 (土)

旅のための準備

かすてら音楽夜話Vol.45

Il1035

<メコン>K-7/DA15mm

画像はタイじゃないんですが、パクセーあたりのメコンです。

荷物はあとパッキングするだけとなりました。順調すぎて恐いくらいです。

旅をすることに何ら疑問はないのですが、最近の20代、30代あたりは、旅に出ずに居住地の近辺でじっとしていて、その日の暮らしの中で何か楽しいことがあればそれでよしとする傾向があるようです。

「いい年して旅なんかしやがって」みたいにたぶんこちらのことを思っているんでしょう。

まあ、いわせておきましょう。

就職のセミナーあたりでも、何もしない人とある程度のスパンを持って旅をしてきた人、どちらを採用するかというと、旅行業界あたりでは旅の経験を持っている人を取ると話したそうで、すると学生から「えー」という声が上がったそうです。

何人も旅に出ろと過激なことは申しませんが、せめて好きなところに出掛けるくらいは冷めた目でなく、ごく普通に見守っていて頂きたいです。

週明けから行ってきます。

さて今回はタイだけです。もしかしたら1回くらい国境を越えることもあるかもしれません。でもすぐに戻りますね。

スクムビットさん曰く「今回は冒険心があまりないね」。バンコクを基点に他の国を回ってくることも考えましたが、イサーンも久しぶりなので。考えてみれば、長旅でタイだけを回るというのも初めてです。

他の地域は次年度以降。そのとき世界はどう変わっているかですね。また、自分の環境もどう変わっているか。

ともかく、佐野元春の「国のための準備」という曲を旅立ちの景気づけにさせて頂きます。

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2017年7月11日 (火)

明日に向かって走れ

かすてら音楽夜話Vol.44

Lp0021

<バンコク>K-7/DA21mm

ここのところ人の退職話を耳にします。

ワタクシもビジネス上の半ばパワハラめいたプレッシャーを受けることもあり、何度やめてやると思ったことでしょう。

ま、それはともかく、長年夢に見た長期のバックパッカー生活、そして長期の旅に向かわれる人もいるわけでして。ちょっと羨ましかったりします。

きくところによると、カオサンで憧れのバックパッカー生活のあと、インドに飛び、サドゥーと交流したり、ブッダの足跡を追ったりするそうです。

In0649

<ヴァラナシー>K-7/FA50mm

そしてネパールでは山間部を歩き、ヒマラヤと一体化する。

戻ってくるのは3ヶ月後だとか。

In1087

<ポカラ>K-7/DA21mm

でもまたしばらくしたら、旅立たれるそうで。

この曲のように、難関に立ち向かってください。

ということで、エレファントカシマシ、「明日に向かって走れ」でした。

エレカシ最大のヒット曲「今宵の月のように」を含むアルバム『明日に向かって走れ-月夜の歌』のオープニングを飾る曲です。

ミヤジ、若い。20年前ですから。

ええ、ワタクシがことあるごとにエレファントカシマシやら宮本浩次やら呟いているものですから、ブログのコメンテーターのある人はファンになってしまったそうです。

「桜の花、舞い上がる道を」じゃなくてすいません。ワタクシ的には「翳りゆく部屋」がベストだと思っているんですが。

6年前のインド・ネパール国境を越えたスノウリという何もないところでの記事「スノウリの退屈」で「翳りゆく部屋」を取り上げました。でも、エレカシのオフィシャルYouTubeの映像でもなく、かなり著作権にうるさいと思われる松任谷由実の原曲でもあることからか、貼った映像は削除されてしまいました。

つーことで、リンクをつけておきます。これならたぶん大丈夫。

ところでミヤジは幼少時に東京少年合唱団に所属していて、当時からかなりの歌い手だったらしく、レコードをリリースしているんです。

その他、中国茶に凝るあまり、中国語会話をラジオで習い、中国や台湾に出向き急須をコレクションする傾倒ぶりもあります。

古墳や古地図が好きで、江戸時代そのものみたいな生活をするあまり、火鉢に囲まれて暖を取っていたら、一酸化中毒になっていたとか。

信用していた人に有り金すべて(30円だけ通帳には残っていたとか)持ち逃げされ、高級マンションを引き払い、愛車のポルシェを売り払う羽目になったりと、エピソードには事欠かない人物です。

でも、この人はいつでも前向きですね。そういうところはワタクシも見ならいたいです。でも、実生活や仕事では無理そうなので、せめて旅に関しては前向きでいたいです。

なんだかとりとめのない文になってしまいましたが、これからの自由人生活を思いっきり楽しんでくださいませ。

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2017年6月22日 (木)

実はゾロアスター教徒

かすてら音楽夜話Vol.43

Ck1093

<クンバコーナム>K-/DA16-50mm

インドといえば良くも悪くも個性的でねっとりとした情熱で人間関係を迫られる国です。

ま、どちらかというと、アーリア人主体の北インドの方がその傾向が強く、タミル・ドラビダ人主体の南インドの方がその傾向が薄まります。タミル・ドラビダ人は先住民で、アーリア人は中央アジアからやって来た人たちです。ヨーロッパ系ともいわれますね。

アーリア人がヒンドゥ文化を花開かせたことは間違いなく、南インドも現在はヒンドゥ主体なんですがヒンドゥの神々の成り立ちや構成、関係なども北とは異なっています。

また、ヒンドゥ以外にもインドには別の宗教もあって、たとえインド人の1%という構成であっても1000万人以上の信者がいることになります。ムスリムはけっこう多数派ですが、シク教、ジャイナ教、ゾロアスター教(パールーシー)などなど。

シクのおぢさんなどはもうお馴染み。ジャイナ教徒は完全菜食で厳しい戒律を守るためにかなり裕福でないと信者でいられないとか。

ゾロアスター教徒。この人たちばかりは出会ったことがありません。なんでもムンバイのあるところには「沈黙の塔」があって、亡くなったゾロアスター教徒はここで鳥葬されるそうです。あの、タタ財閥の創始者はゾロアスター教徒だったそうですよ。

つうことで、いきなりQueenなんですが、若いですね。

フレディ・マーキュリー。もう亡くなって26年です。享年45歳。

クイーンのデビュー当時は日本の女子にかなりの人気があり、まさかフレディがゲイ(つーか両刀遣い)であるとは誰も知らなかったのでは。

映像で見ると、ドラムスのロジャー・テイラーと人気を二分するようなところがありますね。

ギターのブライアン・メイはギターを自作してしまうような人で、超絶なテクニックが売り物です。

ベースのジョン・ディーコンはいかにも地味です。このプロモーションビデオでもひとりだけセーターなんか着ています。

ちなみにライブ映像的に見えますが音源はアルバムからで彼らは演技をしているだけです。

フレディはボーカルだけじゃなくキーボード担当でもあるのですね。でもまあ、ほぼ彼の歌がないと成立しないバンドですから、途中でマイクを持って楽器から離れてしまいますね。

そのフレディなんですが、出身地はアフリカのザンジバル。現在のタンザニアです。タンガニーカ(大陸部)とザンジバル(島)が一緒になった国です。で、両親がペルシャ系インド人でゾロアスター教徒です。ちなみにビリー・ジョエルに「ザンジバル」という曲があります。

両親のルーツはグジャラート州にあって、父親の仕事の関係でザンジバル(当時イギリス領)で生まれたそうです。その後ムンバイの全寮制のイギリス式寄宿学校で学びましたが、ザンジバルで革命が起こりイギリスに移住したそうです。

本名ファルーク・バルサラ。

YouTubeの映像の頃は髪もほど長く、さほど肉体を誇示するようなものではありませんでしたが、後年レザースーツやタイツを着用し、タンクトップや上半身裸などの衣装に変わっていきました。髪も思いっきり短くし、アルバム『The Game』の頃、「あ、なんか前のイメージと違う」と気づいたものです。

フレディの病状が公表され、たぶんその翌日には死去が発表されたと思います。いやまあ、天才の命は短いですよね。

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