カテゴリー「Music Talk」の45件の記事

2017年7月29日 (土)

旅のための準備

かすてら音楽夜話Vol.45

Il1035

<メコン>K-7/DA15mm

画像はタイじゃないんですが、パクセーあたりのメコンです。

荷物はあとパッキングするだけとなりました。順調すぎて恐いくらいです。

旅をすることに何ら疑問はないのですが、最近の20代、30代あたりは、旅に出ずに居住地の近辺でじっとしていて、その日の暮らしの中で何か楽しいことがあればそれでよしとする傾向があるようです。

「いい年して旅なんかしやがって」みたいにたぶんこちらのことを思っているんでしょう。

まあ、いわせておきましょう。

就職のセミナーあたりでも、何もしない人とある程度のスパンを持って旅をしてきた人、どちらを採用するかというと、旅行業界あたりでは旅の経験を持っている人を取ると話したそうで、すると学生から「えー」という声が上がったそうです。

何人も旅に出ろと過激なことは申しませんが、せめて好きなところに出掛けるくらいは冷めた目でなく、ごく普通に見守っていて頂きたいです。

週明けから行ってきます。

さて今回はタイだけです。もしかしたら1回くらい国境を越えることもあるかもしれません。でもすぐに戻りますね。

スクムビットさん曰く「今回は冒険心があまりないね」。バンコクを基点に他の国を回ってくることも考えましたが、イサーンも久しぶりなので。考えてみれば、長旅でタイだけを回るというのも初めてです。

他の地域は次年度以降。そのとき世界はどう変わっているかですね。また、自分の環境もどう変わっているか。

ともかく、佐野元春の「国のための準備」という曲を旅立ちの景気づけにさせて頂きます。

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2017年7月11日 (火)

明日に向かって走れ

かすてら音楽夜話Vol.44

Lp0021

<バンコク>K-7/DA21mm

ここのところ人の退職話を耳にします。

ワタクシもビジネス上の半ばパワハラめいたプレッシャーを受けることもあり、何度やめてやると思ったことでしょう。

ま、それはともかく、長年夢に見た長期のバックパッカー生活、そして長期の旅に向かわれる人もいるわけでして。ちょっと羨ましかったりします。

きくところによると、カオサンで憧れのバックパッカー生活のあと、インドに飛び、サドゥーと交流したり、ブッダの足跡を追ったりするそうです。

In0649

<ヴァラナシー>K-7/FA50mm

そしてネパールでは山間部を歩き、ヒマラヤと一体化する。

戻ってくるのは3ヶ月後だとか。

In1087

<ポカラ>K-7/DA21mm

でもまたしばらくしたら、旅立たれるそうで。

この曲のように、難関に立ち向かってください。

ということで、エレファントカシマシ、「明日に向かって走れ」でした。

エレカシ最大のヒット曲「今宵の月のように」を含むアルバム『明日に向かって走れ-月夜の歌』のオープニングを飾る曲です。

ミヤジ、若い。20年前ですから。

ええ、ワタクシがことあるごとにエレファントカシマシやら宮本浩次やら呟いているものですから、ブログのコメンテーターのある人はファンになってしまったそうです。

「桜の花、舞い上がる道を」じゃなくてすいません。ワタクシ的には「翳りゆく部屋」がベストだと思っているんですが。

6年前のインド・ネパール国境を越えたスノウリという何もないところでの記事「スノウリの退屈」で「翳りゆく部屋」を取り上げました。でも、エレカシのオフィシャルYouTubeの映像でもなく、かなり著作権にうるさいと思われる松任谷由実の原曲でもあることからか、貼った映像は削除されてしまいました。

つーことで、リンクをつけておきます。これならたぶん大丈夫。

ところでミヤジは幼少時に東京少年合唱団に所属していて、当時からかなりの歌い手だったらしく、レコードをリリースしているんです。

その他、中国茶に凝るあまり、中国語会話をラジオで習い、中国や台湾に出向き急須をコレクションする傾倒ぶりもあります。

古墳や古地図が好きで、江戸時代そのものみたいな生活をするあまり、火鉢に囲まれて暖を取っていたら、一酸化中毒になっていたとか。

信用していた人に有り金すべて(30円だけ通帳には残っていたとか)持ち逃げされ、高級マンションを引き払い、愛車のポルシェを売り払う羽目になったりと、エピソードには事欠かない人物です。

でも、この人はいつでも前向きですね。そういうところはワタクシも見ならいたいです。でも、実生活や仕事では無理そうなので、せめて旅に関しては前向きでいたいです。

なんだかとりとめのない文になってしまいましたが、これからの自由人生活を思いっきり楽しんでくださいませ。

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2017年6月22日 (木)

実はゾロアスター教徒

かすてら音楽夜話Vol.43

Ck1093

<クンバコーナム>K-/DA16-50mm

インドといえば良くも悪くも個性的でねっとりとした情熱で人間関係を迫られる国です。

ま、どちらかというと、アーリア人主体の北インドの方がその傾向が強く、タミル・ドラビダ人主体の南インドの方がその傾向が薄まります。タミル・ドラビダ人は先住民で、アーリア人は中央アジアからやって来た人たちです。ヨーロッパ系ともいわれますね。

アーリア人がヒンドゥ文化を花開かせたことは間違いなく、南インドも現在はヒンドゥ主体なんですがヒンドゥの神々の成り立ちや構成、関係なども北とは異なっています。

また、ヒンドゥ以外にもインドには別の宗教もあって、たとえインド人の1%という構成であっても1000万人以上の信者がいることになります。ムスリムはけっこう多数派ですが、シク教、ジャイナ教、ゾロアスター教(パールーシー)などなど。

シクのおぢさんなどはもうお馴染み。ジャイナ教徒は完全菜食で厳しい戒律を守るためにかなり裕福でないと信者でいられないとか。

ゾロアスター教徒。この人たちばかりは出会ったことがありません。なんでもムンバイのあるところには「沈黙の塔」があって、亡くなったゾロアスター教徒はここで鳥葬されるそうです。あの、タタ財閥の創始者はゾロアスター教徒だったそうですよ。

つうことで、いきなりQueenなんですが、若いですね。

フレディ・マーキュリー。もう亡くなって26年です。享年45歳。

クイーンのデビュー当時は日本の女子にかなりの人気があり、まさかフレディがゲイ(つーか両刀遣い)であるとは誰も知らなかったのでは。

映像で見ると、ドラムスのロジャー・テイラーと人気を二分するようなところがありますね。

ギターのブライアン・メイはギターを自作してしまうような人で、超絶なテクニックが売り物です。

ベースのジョン・ディーコンはいかにも地味です。このプロモーションビデオでもひとりだけセーターなんか着ています。

ちなみにライブ映像的に見えますが音源はアルバムからで彼らは演技をしているだけです。

フレディはボーカルだけじゃなくキーボード担当でもあるのですね。でもまあ、ほぼ彼の歌がないと成立しないバンドですから、途中でマイクを持って楽器から離れてしまいますね。

そのフレディなんですが、出身地はアフリカのザンジバル。現在のタンザニアです。タンガニーカ(大陸部)とザンジバル(島)が一緒になった国です。で、両親がペルシャ系インド人でゾロアスター教徒です。ちなみにビリー・ジョエルに「ザンジバル」という曲があります。

両親のルーツはグジャラート州にあって、父親の仕事の関係でザンジバル(当時イギリス領)で生まれたそうです。その後ムンバイの全寮制のイギリス式寄宿学校で学びましたが、ザンジバルで革命が起こりイギリスに移住したそうです。

本名ファルーク・バルサラ。

YouTubeの映像の頃は髪もほど長く、さほど肉体を誇示するようなものではありませんでしたが、後年レザースーツやタイツを着用し、タンクトップや上半身裸などの衣装に変わっていきました。髪も思いっきり短くし、アルバム『The Game』の頃、「あ、なんか前のイメージと違う」と気づいたものです。

フレディの病状が公表され、たぶんその翌日には死去が発表されたと思います。いやまあ、天才の命は短いですよね。

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2017年6月 7日 (水)

京都から来た凄い奴ら

かすてら音楽夜話Vol.42

Mt2058

<タイスキ>GR DIGITAL

ガンボという料理をご存じでしょうか。

アメリカのケイジャン料理で、ごった煮というような意味があるようです。その他ジャンバラヤとかもケイジャン料理のようです。↑↑↑つーことで強引な画像。

アメリカ滞在メキシコの行き帰りのみというワタクシがいうのもなんですが、日本の文化はもはやアメリカに追随してまして、料理も違和感ないでしょう。でも、ニューオリンズとかナッシュビルとかテキサスなどアメリカ南部って、フランス領だったり、スペイン領だったり、メキシコ領だったりしました。ルイジアナなんてブルボン家の土地というところから名付けられたわけですよ。

そんなわけで、本当の意味のアメリカ南部は我々が知る平均的なアメリカとはだいぶ違うでしょう。ガンボも見た目は悪いですがとてつもなく美味しいかもしれません。

ここまでは前振りです。

Bo Gumbosというバンドをご存じでしょうか。今では存在しないバンドです。

料理のガンボとアメリカ南部のロックンローラー、Bo Diddleyから命名されました。それだけ、泥臭い音楽を展開するバンドでした。

これ、ワタクシがもっとも気に入っている彼らの曲です。

ヴォーカル&ギター、どんと(久富隆司)。ピアノ、Dr.Kyon(川上恭生)。ベース、永井利允、ドラムス、岡地明。

どんとはローザ・ルクセンブルグというバンドに永井とともに参加していました。ローザ・ルクセンブルグが解散となり岡地と大学の先輩であるDr.Kyonを加えたのがボ・ガンボスです。

どんとの通っていた大学、なんと国立京都大学。Dr.Kyonはそれまでテレビ制作会社の社員だったそうで、思い切った転身をしたものです。京都府出身者はいませんが、京都という風土、こういう人たちも輩出するんですね。東大生でここまでぶち切れている奴らはいないと思いますよ。

ここでの白眉はなんといっても、Dr.Kyonの生ピアノです。ピアノひとつでここまで演奏できるテクを持ったミュージシャンもそうそういません。

Dr.Kyonですが、鍵盤楽器だけじゃなく、ギターやマンドリンもできてしまうマルチプレイヤーです。ボ・ガンボスが解散後は佐野元春のバックバンド、The Hobo King Bandに参加し、マルチプレイヤーぶりを発揮しました。

どんともあのような風貌ですが京大時代は相撲部に在籍していたこともあったとか。かなり体格がいいです。Dr.Kyonはさらにどんとを上回る長身です。190cm近くあるんじゃないかな。

この「魚ごっこ」はデビューアルバムに収録されていますが、憧れのボー・ディドレーと競演を果たしています。でも、こういうスタイルを継続して行くのはかなりしんどいようで、たったの6年で解散しています。

その解散から5年、2000年の1月にどんとはハワイで脳内出血のため客死しています。37歳でした。

ボ・ガンボスよ永遠なれ。

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2017年5月21日 (日)

恋する惑星

かすてら音楽夜話Vol.41

Hs0058

<チョンキンマンション>K-7/DA21mm

古い話になりますが、香港を初めて訪れたのは1994年ですから、二回り以上昔のことになります。

そのときは香港から昆明に飛び、シーサンパンナと大理を回るツアーに参加したのです。香港には行き帰りとも1泊ずつしました。帰りの便は午後でした。ツアーだったので空港へのアクセスなど考える必要もなく、昼近くまで暇です。

ツアーですからほとんど金を使わなくて、余った香港ドルで何かを買おうとしていました。そこで、ホテルの裏手にあったCDショップに行くと、なかなか心地よい女性ヴォーカルが流れてきて、店員にたずねると出してきたのが、王菲(フェイ・ウォン)の『胡思亂想(夢遊)』というアルバムでした。

迷わずに購入しましたが、帰ってパッケージを開けてみても写真はいっさい使われていませんでした。CDジャケットも繁体字のタイポグラフィのみで、シンガー王菲なる人物がどんな人なのかよくわかりませんでした。アルバムじたいは優れた出来で満足しましたが、まったく情報がありません。

その後、香港に関する雑誌などを購入し、王菲なる人物がどんな人なのかを探る迷宮に入り込みます。わかったことは北京出身の香港移住者で、以前は王靖雯(シャリー・ウォン、最後の文字は雨かんむりに文)の芸名で数枚のアルバムを出していたことがわかります。

そこですかさず近所のCDショップやタワーレコードなどに通い、アルバムを収集しました。合計7~8枚持っていると思います。

まさに尖沙咀の外れのCDショップで流れていたのがこの曲です。

購入当時はこの曲がクランベリーズのカバーであることや、映画「恋する惑星」(原題:重慶森林)の挿入歌であり、王菲自身もその映画に出演していることなど知りませんでした。

でもだんだんわかってきたんですけど。

Hs0143

<ミッドレベルエスカレーター>K-7/DA21mm

映画の舞台はチョンキンマンションで、中環にあるミッドレベルエスカレーターも登場します。

金城武もこのあたりからブレイクしましたね。

行き帰りたった2泊の香港でしたが、J-POPの曲を広東語でカバーする人たちもいることも発見しました。今はなき啓徳空港で、竹内まりやのカバーのカセットテープを発見したり。

王菲も中島みゆきのカバーをうたっていたりしますが。

その後王菲は活動が停滞していきました。でも、広東語のアルバムの売り上げ世界一らしいですよ。

あれだけのめり込んだのだから、耳で覚えてカラオケで歌えるようになっていたら、今つきあっている人脈も変わっていたでしょうね。

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2017年4月30日 (日)

一世を風靡した男性デュオ

かすてら音楽夜話Vol.40

ホール&オーツを覚えておいででしょうか。

1980年代から1990年代にかけて大ブレイクしたアメリカの男性デュオです。実際のレコードデビューは1972年になりまして、初の全米チャート1位は1977年の「Rich Girl」です。

その後、1981年の「Kiss On My List」を皮切りに5曲のナンバーワンヒットを生み出しました。

デュオとはいうもののバンド形式です。メンバーはDaryl HallとJohn Oates。背の高くてヒゲのないのが、ダリル・ホール。背が低くてヒゲのある方がジョン・オーツです。彼らは現在も細々とではありますが活動していて、背の高さは変わらないものの、ヒゲのあるなしは逆転してしまいましたが。

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<X-Static>

ワタクシとしては1979年の『X-Static』(邦題:モダン・ポップ)から入っていったのですが、そのあとにブレイクし、ヒット曲がでることは嬉しいものの、それまで持っていた都会的なセンスの良さがスポイルされ、万人向けの曲に変わっていってしまったのが少し寂しかったです。

YouTubeの映像ですが、当時流行ったプロモーションビデオです。実際には演奏してなくて、音源はアルバムそのもの。アルバム『X-Static』のオープニングナンバーですね。シングルカットはされていません。

なんといっても、プロデュースがDavid Fosterです。あの「After The Love Has Gone」の作者ですよ。都会的でかっこいいですよね。一連のヒット曲のようなウェットさはありません。

さて、彼らをライヴで見る機会が訪れるとは考えてもいなかったのですが、1998年に来日し、日本人アーティストとの競演の形ではありましたが、武道館で見ることができました。

そのとき競演した日本人とはSing Like Talkingで、声量が日本人とは比べものになりませんでした。Sing Like Talkingのヴォーカル、佐藤竹善の使っていたマイクをジョンのコーラスに使うと、ジョンの声がやたらと響き渡ったのです。つまり、佐藤竹善とダリルの声の釣り合いを取るために、佐藤のマイクのボリュームをかなり上げたのですね。やはりアメリカ人はパワーありますよ。

一応デュオなんで、ジョン・オーツの曲でジョンがリードヴォーカルを取る曲もあるんですが、シングルカットされたのはすべてダリル・ホールの曲です。いい味出しているんですけどね。

ともあれ、男性デュオとしてはSimon & Garfunkel以降でもっとも成功した人たちですね。売り上げだけではサイモン&ガーファンクルを越えてるかもしれません。

☆毎日ネタ探しです。10回に1回は音楽話をやります。まあ、つきあってくださいませ。

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2017年4月 9日 (日)

さあ、頑張ろうぜ

かすてら音楽夜話Vol.39

Yjimage

今年エレファントカシマシがデビュー30周年だそうです。

先月あたりのエレカシのメディアへの露出はすさまじく、なんで?と思っていたら、30周年だったんですね。

ワタクシ的にはデビューから注目していたバンドではありません。でも何となく知っていました。

1997年、「今宵の月のように」がテレビドラマの主題歌に使われます。2007年、「俺たちの明日」がCMとタイアップ。ぐっと身近な存在に近づいてきたように思います。

彼らはデビューこそ、30年ですが、結成となると高校時代に遡りますので、それ以上のキャリアがあるんですね。

そしてメンバー中3人が中1からのつきあい。よくぞここまで継続してくれたものです。

彼らの危機はデビュー時のエピックに契約を切られたこと。それ以上だったのがヴォーカルの宮本浩次(みやもとひろじ・通称ミヤジ)が突発性難聴を患いしばらく活動休止に追い込まれてしまったことではないでしょうか。

それも乗り越え頑張ってる。素晴らしいです。

メディアではミヤジの受け答えが凄く特徴的で、司会者などにかなりいじられることもあります。でも、いい人だなと伝わってきます。

ワタクシ、デビュー以来の佐野元春ファンなんですが、元春もメディアに対して煙を巻くような言動があります。仕事抜きだったら、わたしゃ元春よりもミヤジの方がつきあって行きやすい感じがします。

4月、別に転勤とかではありませんが、個人的にはかなり環境が変わりました。また今年もキツイ1年になりそうなんですが、エレカシに倣って頑張っていきたいと思います。

映像的には2007年頃、10年前、40歳のエレカシ(全員同級生)です。こうしてみると、ミヤジは変わらないですね。

オレも老け込んでいる場合じゃないです。さあ、頑張ろ。

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2015年6月20日 (土)

世界のポスト・プリミティブ編

かすてら音楽夜話Vol.38

ちょっと昔の写真を眺めていたら、いろいろな国のポストがでてきました。「いろいろな国」とはいえ、わたしゃ限られた国への渡航を繰り返していますので、それほどバリエーションがあるわけでもありませんが。

まあ、それでも行ってみましょう。

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<インドネシア・ロンボク島>GR DIGITAL

ポストとも何とも書かれていないシロモノです。これで果たして集配に来るのか非常に不安になりますが、一応ポストです。でも、インドネシアから手紙を出したことないんですよね。

形が独特で、色遣いがもっと地味であれば何かの祠にも見えてしまいます。

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<ミャンマー・ヤンゴン>GR DIGITAL

こちらはヤンゴンのポストです。日本と同じ赤のものですが、現地語だけの表記ですね。まあ、日本のポストも英語などいっさい使われていませんが。

これまた、きちんと集配に来るのか非常に不安がつきまとうようなシロモノです。

やっぱりミャンマーでも手紙を投函したことはないのですが、どんなもんでしょうか。

そのような怪しげな感じがある場合、郵便局に行きそこで切手を購入してその場で投函するというのが、一番だと思います。ごく普通の店で切手を購入した場合、きっちりその額の切手があるとは限らないし、あったとしても数枚の切手を貼らなくてはならず、住所が隠れてしまう可能性があるからです。

Mg0049

<モロッコ・マラケシュ>MZ-3/FA28-105mm

壁と一体化したポストです。壁のペイントがポストに垂れてきています。モロッコはフランスが一時期支配したことがあり、フランス語で「ポステ」とあります。モロッコは英語よりもフランス語の方が通じます。とはいえ、フランス語はできませんが(一応第二外国語で取りましたが、何か?)。

ポストというと、「Please Mr. Postman」という曲があります。ビートルズもカーペンターズもカバーしているのですが、オリジナルはアメリカ、モータウン系のアフリカ系女子のコーラスグループ、マーベレッツ(Marvelettes)です。

この曲でビルボード1位を獲得。その後、ビートルズがカバーししばらくしてからカーペンターズもカバーしましたが、オリジナルの方があまり知られてないという曲でしょうか。

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2015年6月 2日 (火)

いい加減に見えて50年

かすてら音楽夜話Vol.37

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<ロンドン>K-7/DA16-50mm

ロンドンのべーカー街。こんなショップがありました。店名はThe Rolling Stonesの「It's Only Rock'n Roll(But I Like It)」から来ています。

ストーンズは1963年のデビュー。ビートルズよりも1年遅れでメンバーも彼らよりちょっと若いです。とはいえすでにほとんどが70歳を超えていますが、なんと現在もワールドツアーの真っ最中です。

ヴォーカルのミック・ジャガー、ギターのキース・リチャーズ、ドラムスのチャーリー・ワッツがデビュー以来不動のメンバーです。もうひとりのギター、ロン・ウッドがミック・テイラーに替わり1975年に加入しています。

オリジナルメンバーで、初期のギター、ブライアン・ジョーンズは1969年に脱退し、後任にミック・テイラーが加入。しかし、ブライアンは程なくして自宅のプールで溺死体となって発見されるというスキャンダラスな結末を迎えます。また、もうひとりのオリジナルメンバーでベースのビル・ワイマンは1991年に方向性の違いから脱退しています。現在のストーンズにはベース担当が不在で、ライヴではサポートメンバーが担当しています。

1960年代から70年代にかけて、ブライアンの謎の死や、ミック、キースらの度重なる薬物や麻薬関連の逮捕や摘発で、バンドがここまで長続きするとは誰も思わなかったのではないでしょうか。ともかく当時はスキャンダラスで、酒、ドラッグ、女が絡む絵に描いたようなロック・ライフを送っていたと思われていました。

特にキースの麻薬依存は深刻で、歯は抜け落ち、ジャンキー一歩手前だったといわれています。しかし、1977年の摘発で深刻な懲役必至といわれたところから本格的な治療を始め、麻薬から手を引くことに成功しました。

YouTubeの映像ですが、1978年、アルバム『Some Girls』ツアーからのものです。ちょうどキースの麻薬摘発直後ということになり、その頃のストーンズは台頭してきたロンドンのニューウェーブであるパンクに次第に追いやられてしまうだろうと見られていました。

そこで起死回生の『Some Girls』(邦題:女たち)をリリース。「ストーンズはまだ終わってはいない」から、「世界最強のロックバンド」へとその地位を確立させたのでした。

映像ではキースとロンがそれぞれギターソロを担当しますが、最初のソロがキース、次がロンとなっています。前回紹介した、イーグルスのギターと異なり、格別テクニックがあるというわけではありませんが、存在感は圧倒的ですし、ギターだけでなくドラムとベースのリズムを含めた音のうねりが最高ですね。ストーンズファンはこれにやられてしまうんです。

チャーリーは真面目に淡々とスティックを振り続けます。残ったビル・ワイマンですが、ベースを立てて構え、飄々とリズムを刻んでいます。まるで存在感がありません。ですが、このベースラインがなくてはストーンズは成り立たないのです。

ストーンズは1990年に待望の初来日を果たします。残念ながら、ワタクシがライヴを見に行けたのは1998年のことで、ビル・ワイマンはすでにステージにはいませんでした。ま、東京ドームだったので音響的によくなかったのであまり関係なかったかもしれませんが。ベストメンバーを見たかったです。

最後に見たのは10年くらい前でしたかね。それでも、還暦前後でありながら、2時間のステージをきっちりこなすのは驚異的でした。2時間とはいえ、これをほぼ毎日やっているんですから、とんでもないし、若手のばりばりのバンドだってこんなことはできません。

結成50年をとっくに過ぎ未だ現役。ミックとキースは知り合ってから60年以上というとんでもなさです。彼らはどこまで転がり続けるんでしょうか。できれば永久であって欲しいです。

余談
ホントにネタ切れです。

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2015年5月31日 (日)

陰の功労者

かすてら音楽夜話Vol.36

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<ローマ>K-7/DA21mm

ご存じ「ホテル・カリフォルニア」はイーグルスの不滅の名曲です。だとしたら、その名前を頂いてしまおうという人もいるわけで、ローマはテルミニ近くにそのホテルも存在しました。

イーグルスは一度解散してしまいましたが、1994年に再結成され、スタジオ録音のアルバムリリースが極端に少ないものの、コンサートツアーも行うなどして、現在も活動中です。

最大のヒット曲となる「Hotel California」は1977年のリリース。38年前のこととなります。

元々はリンダ・ロンシュタットのバックバンドから派生したグループで、初期はカントリーロック風の作品が多かったのです。それは、バーニー・レドンというバンジョーやマンドリン、スティール・ギターを使いこなすマルチプレイヤーがいたためです。そのレドンの紹介でギタリストのドン・フェルダーが加入し、イーグルスはロック色を強めていきます。

しかし、バンドの主導権を握るグレン・フライとドン・ヘンリーとの関係が悪化し、レドンは脱退し、後任にはジョー・ウォルシュが加入します。このことでイーグルスはハードロック路線に傾いていくことになります。

YouTubeの映像いかがだったでしょうか。ヴォーカリストはドラムのドン・ヘンリー。もうひとりの主要メンバーであるグレン・フライは12弦のアコースティックギターを担当していますが、なんといっても印象的であるのは、映像の右側でギターを担当するドン・フェルダーとジョー・ウォルシュではないでしょうか。

印象的なイントロはドン・フェルダーによるもの。彼はダブルネックのギターを弾いています。イントロは上の12弦でつま弾き、ギターソロは下の6弦で弾いています。後半のギターソロとウォルシュとの掛け合いが素晴らしいです。

ほとんど映像に出てこなかったベースのランディ・マイズナーですが、映像のツアーの最中にバンドを脱退しています。それも、リーダーであるフライとヘンリーとの間の軋轢なんだそうで、絶頂期にありながら、こうしたことが起きてしまうのですね。

実は「Hotel California」はほとんどの部分をドン・フェルダーが作曲したといわれています。作詞はドン・ヘンリーとされていますが、曲のクレジットはヘンリー、フライ、フェルダーの順になっています。グレン・フライは歌詞のアイディアを出しただけだそうですが、こんなところからバンドの状態が健全でなくなっていくのですね。

再結成時にドン・フェルダーはバンドに参加していましたが、結局はフライによって解雇され、法廷闘争となったそうです。

実は2004年に彼らが来日したとき、東京ドームに見に行ったのです。この時のメンバーはランディ・マイズナーに替わってティモシー・B・シュミットでしたが、ドン・フェルダーの姿がありませんでした。この時点では「不参加」という発表で、フェルダーのパートはサポートメンバーが完コピでつとめていました。この時すでに解雇されていたのですね。

きっちり見たかったな。

さて、「ホテル・カリフォルニア」の歌詞にはいつでもチェックアウトできるが、決して逃れられないという意味のところがあります。われわれ旅人もどこかに「ホテル・カリフォルニア」を抱えているんでしょうね。

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