カテゴリー「Music Talk」の40件の記事

2017年4月30日 (日)

一世を風靡した男性デュオ

かすてら音楽夜話Vol.40

ホール&オーツを覚えておいででしょうか。

1980年代から1990年代にかけて大ブレイクしたアメリカの男性デュオです。実際のレコードデビューは1972年になりまして、初の全米チャート1位は1977年の「Rich Girl」です。

その後、1981年の「Kiss On My List」を皮切りに5曲のナンバーワンヒットを生み出しました。

デュオとはいうもののバンド形式です。メンバーはDaryl HallとJohn Oates。背の高くてヒゲのないのが、ダリル・ホール。背が低くてヒゲのある方がジョン・オーツです。彼らは現在も細々とではありますが活動していて、背の高さは変わらないものの、ヒゲのあるなしは逆転してしまいましたが。

ワタクシとしては1979年の『X-Static』から入っていったのですが、そのあとにブレイクし、ヒット曲がでることは嬉しいものの、それまで持っていた都会的なセンスの良さがスポイルされ、万人向けの曲に変わっていってしまったのが少し寂しかったです。

YouTubeの映像ですが、当時流行ったプロモーションビデオです。実際には演奏してなくて、音源はアルバムそのもの。アルバム『X-Static』のオープニングナンバーですね。シングルカットはされていません。

なんといっても、プロデュースがDavid Fosterです。あの「After The Love Has Gone」の作者ですよ。都会的でかっこいいですよね。一連のヒット曲のようなウェットさはありません。

さて、彼らをライヴで見る機会が訪れるとは考えてもいなかったのですが、1998年に来日し、日本人アーティストとの競演の形ではありましたが、武道館で見ることができました。

そのとき競演した日本人とはSing Like Talkingで、声量が日本人とは比べものになりませんでした。Sing Like Talkingのヴォーカル、佐藤竹善の使っていたマイクをジョンのコーラスに使うと、ジョンの声がやたらと響き渡ったのです。つまり、佐藤竹善とダリルの声の釣り合いを取るために、佐藤のマイクのボリュームをかなり上げたのですね。やはりアメリカ人はパワーありますよ。

一応デュオなんで、ジョン・オーツの曲でジョンがリードヴォーカルを取る曲もあるんですが、シングルカットされたのはすべてダリル・ホールの曲です。いい味出しているんですけどね。

ともあれ、男性デュオとしてはSimon & Garfunkel以降でもっとも成功した人たちですね。売り上げだけではサイモン&ガーファンクルを越えてるかもしれません。

☆毎日ネタ探しです。10回に1回は音楽話をやります。まあ、つきあってくださいませ。

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2017年4月 9日 (日)

さあ、頑張ろうぜ

かすてら音楽夜話Vol.39

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今年エレファントカシマシがデビュー30周年だそうです。

先月あたりのエレカシのメディアへの露出はすさまじく、なんで?と思っていたら、30周年だったんですね。

ワタクシ的にはデビューから注目していたバンドではありません。でも何となく知っていました。

1997年、「今宵の月のように」がテレビドラマの主題歌に使われます。2007年、「俺たちの明日」がCMとタイアップ。ぐっと身近な存在に近づいてきたように思います。

彼らはデビューこそ、30年ですが、結成となると高校時代に遡りますので、それ以上のキャリアがあるんですね。

そしてメンバー中3人が中1からのつきあい。よくぞここまで継続してくれたものです。

彼らの危機はデビュー時のエピックに契約を切られたこと。それ以上だったのがヴォーカルの宮本浩次(みやもとひろじ・通称ミヤジ)が突発性難聴を患いしばらく活動休止に追い込まれてしまったことではないでしょうか。

それも乗り越え頑張ってる。素晴らしいです。

メディアではミヤジの受け答えが凄く特徴的で、司会者などにかなりいじられることもあります。でも、いい人だなと伝わってきます。

ワタクシ、デビュー以来の佐野元春ファンなんですが、元春もメディアに対して煙を巻くような言動があります。仕事抜きだったら、わたしゃ元春よりもミヤジの方がつきあって行きやすい感じがします。

4月、別に転勤とかではありませんが、個人的にはかなり環境が変わりました。また今年もキツイ1年になりそうなんですが、エレカシに倣って頑張っていきたいと思います。

映像的には2007年頃、10年前、40歳のエレカシ(全員同級生)です。こうしてみると、ミヤジは変わらないですね。

オレも老け込んでいる場合じゃないです。さあ、頑張ろ。

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2015年6月20日 (土)

世界のポスト・プリミティブ編

かすてら音楽夜話Vol.38

ちょっと昔の写真を眺めていたら、いろいろな国のポストがでてきました。「いろいろな国」とはいえ、わたしゃ限られた国への渡航を繰り返していますので、それほどバリエーションがあるわけでもありませんが。

まあ、それでも行ってみましょう。

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<インドネシア・ロンボク島>GR DIGITAL

ポストとも何とも書かれていないシロモノです。これで果たして集配に来るのか非常に不安になりますが、一応ポストです。でも、インドネシアから手紙を出したことないんですよね。

形が独特で、色遣いがもっと地味であれば何かの祠にも見えてしまいます。

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<ミャンマー・ヤンゴン>GR DIGITAL

こちらはヤンゴンのポストです。日本と同じ赤のものですが、現地語だけの表記ですね。まあ、日本のポストも英語などいっさい使われていませんが。

これまた、きちんと集配に来るのか非常に不安がつきまとうようなシロモノです。

やっぱりミャンマーでも手紙を投函したことはないのですが、どんなもんでしょうか。

そのような怪しげな感じがある場合、郵便局に行きそこで切手を購入してその場で投函するというのが、一番だと思います。ごく普通の店で切手を購入した場合、きっちりその額の切手があるとは限らないし、あったとしても数枚の切手を貼らなくてはならず、住所が隠れてしまう可能性があるからです。

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<モロッコ・マラケシュ>MZ-3/FA28-105mm

壁と一体化したポストです。壁のペイントがポストに垂れてきています。モロッコはフランスが一時期支配したことがあり、フランス語で「ポステ」とあります。モロッコは英語よりもフランス語の方が通じます。とはいえ、フランス語はできませんが(一応第二外国語で取りましたが、何か?)。

ポストというと、「Please Mr. Postman」という曲があります。ビートルズもカーペンターズもカバーしているのですが、オリジナルはアメリカ、モータウン系のアフリカ系女子のコーラスグループ、マーベレッツ(Marvelettes)です。

この曲でビルボード1位を獲得。その後、ビートルズがカバーししばらくしてからカーペンターズもカバーしましたが、オリジナルの方があまり知られてないという曲でしょうか。

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2015年6月 2日 (火)

いい加減に見えて50年

かすてら音楽夜話Vol.37

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<ロンドン>K-7/DA16-50mm

ロンドンのべーカー街。こんなショップがありました。店名はThe Rolling Stonesの「It's Only Rock'n Roll(But I Like It)」から来ています。

ストーンズは1963年のデビュー。ビートルズよりも1年遅れでメンバーも彼らよりちょっと若いです。とはいえすでにほとんどが70歳を超えていますが、なんと現在もワールドツアーの真っ最中です。

ヴォーカルのミック・ジャガー、ギターのキース・リチャーズ、ドラムスのチャーリー・ワッツがデビュー以来不動のメンバーです。もうひとりのギター、ロン・ウッドがミック・テイラーに替わり1975年に加入しています。

オリジナルメンバーで、初期のギター、ブライアン・ジョーンズは1969年に脱退し、後任にミック・テイラーが加入。しかし、ブライアンは程なくして自宅のプールで溺死体となって発見されるというスキャンダラスな結末を迎えます。また、もうひとりのオリジナルメンバーでベースのビル・ワイマンは1991年に方向性の違いから脱退しています。現在のストーンズにはベース担当が不在で、ライヴではサポートメンバーが担当しています。

1960年代から70年代にかけて、ブライアンの謎の死や、ミック、キースらの度重なる薬物や麻薬関連の逮捕や摘発で、バンドがここまで長続きするとは誰も思わなかったのではないでしょうか。ともかく当時はスキャンダラスで、酒、ドラッグ、女が絡む絵に描いたようなロック・ライフを送っていたと思われていました。

特にキースの麻薬依存は深刻で、歯は抜け落ち、ジャンキー一歩手前だったといわれています。しかし、1977年の摘発で深刻な懲役必至といわれたところから本格的な治療を始め、麻薬から手を引くことに成功しました。

YouTubeの映像ですが、1978年、アルバム『Some Girls』ツアーからのものです。ちょうどキースの麻薬摘発直後ということになり、その頃のストーンズは台頭してきたロンドンのニューウェーブであるパンクに次第に追いやられてしまうだろうと見られていました。

そこで起死回生の『Some Girls』(邦題:女たち)をリリース。「ストーンズはまだ終わってはいない」から、「世界最強のロックバンド」へとその地位を確立させたのでした。

映像ではキースとロンがそれぞれギターソロを担当しますが、最初のソロがキース、次がロンとなっています。前回紹介した、イーグルスのギターと異なり、格別テクニックがあるというわけではありませんが、存在感は圧倒的ですし、ギターだけでなくドラムとベースのリズムを含めた音のうねりが最高ですね。ストーンズファンはこれにやられてしまうんです。

チャーリーは真面目に淡々とスティックを振り続けます。残ったビル・ワイマンですが、ベースを立てて構え、飄々とリズムを刻んでいます。まるで存在感がありません。ですが、このベースラインがなくてはストーンズは成り立たないのです。

ストーンズは1990年に待望の初来日を果たします。残念ながら、ワタクシがライヴを見に行けたのは1998年のことで、ビル・ワイマンはすでにステージにはいませんでした。ま、東京ドームだったので音響的によくなかったのであまり関係なかったかもしれませんが。ベストメンバーを見たかったです。

最後に見たのは10年くらい前でしたかね。それでも、還暦前後でありながら、2時間のステージをきっちりこなすのは驚異的でした。2時間とはいえ、これをほぼ毎日やっているんですから、とんでもないし、若手のばりばりのバンドだってこんなことはできません。

結成50年をとっくに過ぎ未だ現役。ミックとキースは知り合ってから60年以上というとんでもなさです。彼らはどこまで転がり続けるんでしょうか。できれば永久であって欲しいです。

余談
ホントにネタ切れです。

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2015年5月31日 (日)

陰の功労者

かすてら音楽夜話Vol.36

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<ローマ>K-7/DA21mm

ご存じ「ホテル・カリフォルニア」はイーグルスの不滅の名曲です。だとしたら、その名前を頂いてしまおうという人もいるわけで、ローマはテルミニ近くにそのホテルも存在しました。

イーグルスは一度解散してしまいましたが、1994年に再結成され、スタジオ録音のアルバムリリースが極端に少ないものの、コンサートツアーも行うなどして、現在も活動中です。

最大のヒット曲となる「Hotel California」は1977年のリリース。38年前のこととなります。

元々はリンダ・ロンシュタットのバックバンドから派生したグループで、初期はカントリーロック風の作品が多かったのです。それは、バーニー・レドンというバンジョーやマンドリン、スティール・ギターを使いこなすマルチプレイヤーがいたためです。そのレドンの紹介でギタリストのドン・フェルダーが加入し、イーグルスはロック色を強めていきます。

しかし、バンドの主導権を握るグレン・フライとドン・ヘンリーとの関係が悪化し、レドンは脱退し、後任にはジョー・ウォルシュが加入します。このことでイーグルスはハードロック路線に傾いていくことになります。

YouTubeの映像いかがだったでしょうか。ヴォーカリストはドラムのドン・ヘンリー。もうひとりの主要メンバーであるグレン・フライは12弦のアコースティックギターを担当していますが、なんといっても印象的であるのは、映像の右側でギターを担当するドン・フェルダーとジョー・ウォルシュではないでしょうか。

印象的なイントロはドン・フェルダーによるもの。彼はダブルネックのギターを弾いています。イントロは上の12弦でつま弾き、ギターソロは下の6弦で弾いています。後半のギターソロとウォルシュとの掛け合いが素晴らしいです。

ほとんど映像に出てこなかったベースのランディ・マイズナーですが、映像のツアーの最中にバンドを脱退しています。それも、リーダーであるフライとヘンリーとの間の軋轢なんだそうで、絶頂期にありながら、こうしたことが起きてしまうのですね。

実は「Hotel California」はほとんどの部分をドン・フェルダーが作曲したといわれています。作詞はドン・ヘンリーとされていますが、曲のクレジットはヘンリー、フライ、フェルダーの順になっています。グレン・フライは歌詞のアイディアを出しただけだそうですが、こんなところからバンドの状態が健全でなくなっていくのですね。

再結成時にドン・フェルダーはバンドに参加していましたが、結局はフライによって解雇され、法廷闘争となったそうです。

実は2004年に彼らが来日したとき、東京ドームに見に行ったのです。この時のメンバーはランディ・マイズナーに替わってティモシー・B・シュミットでしたが、ドン・フェルダーの姿がありませんでした。この時点では「不参加」という発表で、フェルダーのパートはサポートメンバーが完コピでつとめていました。この時すでに解雇されていたのですね。

きっちり見たかったな。

さて、「ホテル・カリフォルニア」の歌詞にはいつでもチェックアウトできるが、決して逃れられないという意味のところがあります。われわれ旅人もどこかに「ホテル・カリフォルニア」を抱えているんでしょうね。

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2015年4月10日 (金)

駅のピアノマン

かすてら音楽夜話Vol.35

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<刻印機>K-7/DA16-50mm

フランスの駅です。チケットを購入して、まずすることはこの機械にチケットを通すこと。日付や時刻がスタンプされます。これを怠ると、検札でばれて罰金を食らうことになります。

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<パリ北駅>K-7/DA16-50mm

パリの巨大な駅の構内です。と、どこからかピアノのメロディが流れてきます。時にはたどたどしい演奏であることもあり、音源をたどっていくと、実際にピアノを演奏しているところに遭遇しました。

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<バックパッカー兼ピアニスト>K-7/DA16-50mm

レンヌに到着して、チケット情報を得ようと駅の構内を探っていると、なかなかの名演奏をしている青年がいたのです。

パリにもピアノがあったし、ユーストンにもありました。イタリアには置いてなかったと思いますが、駅のピアノは誰にでも開放されているものらしいです。

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<巧いだろ?>K-7/DA16-50mm

駅のピアノはアップライト型です。いくら経済好調とはいえ、さすがにグランドピアノを置くことはないようです。リバプールでは駅ではなかったけど、ショッピングモールのようなところにやはりピアノがあって、やはり誰かが弾いていましたね。

どうせならば、ショパンくらいの演奏を聴かせて頂きたかったですが。この若いときのビリー・ジョエルもキレキレですね。何たって、まだ毛髪がたっぷりありますし。

ビリー・ジョエルはニューヨーク出身ですが、西海岸に拠点を移し、活動を行っていた時期があります。この曲はその時期の作品で、ニューヨークへの思いを曲にしたものです。

今世紀になってから、ビリー・ジョエルはレコーディングアーティストとしてからの引退を発表する傍ら、やはりピアニスト系ミュージシャンである、エルトン・ジョンとのジョイントコンサートなども行っていました。

また一方で、クラッシック音楽への転向も目指していましたが、近年これといった情報もなく、寂しい限りです。

やはりビリー・ジョエルはPops/Rock系の一般人を相手にした活動の方が合っていると思いますけどね。

本日、画像の取り込みの遅れにより、ちょっと違うネタでアップしました。でも、そろそろ旅行ネタも尽きてくる頃ではあります。

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2014年10月25日 (土)

マシューストリート

かすてら音楽夜話Vol.34

リバプール、ライムストリート駅に近い小径、マシューストリート。どうということのない狭い通りです。

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<マシューストリート>K-7/DA16-50mm

狭い通りにはライヴハウスがたくさん。リバプールは海に面してはいませんが、マージー川が流れ、港湾都市として国内外から物資や情報が入ってきたのです。そうしてアメリカからソウルとビートが入ってきました。

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<The Beatlesのブロンズ像>K-7/DA16-50mm

そうした音楽が発達する下地があったわけですね。ビートルズの4人もこのマシューストリートにある、キャバーン・クラブなどで演奏を重ね、世界に進出していったのです。

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<キャバーン・クラブ>K-7/DA16-50mm

ここがキャバーン・クラブ。ですが、この店は一度閉鎖され、現在の場所にビートルズ解散後に再建されたものです。

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<出演者名を刻んだ煉瓦>K-7/DA16-50mm

キャバーン・クラブの向かいにはキャバーン・パブという演奏を聴ける店があり、入口近くの煉瓦には古くからの出演者名が刻み込まれています。ストラングラーズ、スコーピオンズなどが確認できます。

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<煉瓦>K-7/DA16-50mm

おお、ようやくジミ・ヘンドリックスの名前を見つけました。ビートルズと同時期に活躍していた人はこのくらいでしょうか。

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<ジョン・レノン像>K-7/DA16-50mm

やはり、ビートルズの顔なのかひとりジョンだけが、ブロンズとなって壁にもたれかかっていました。もうひとりの顔、ポールの像はありません。ちなみに、ビートルズの4人は全員リバプール出身です。

1980年に狂信的なファンに銃で撃たれてなくなりやがて34年。また、リバプールの空港がジョン・レノンという名前であることなどから、やはりマシューストリートにはジョン・レノンなんでしょうね。

早朝にもかかわらず、観光客がやってきてはジョンと一緒に記念撮影していきます。いずれも高齢者で、よく考えればビートルズのメンバーたちもそんな年齢。ちなみに、リバプールには「ビートルズ・ストーリー」という彼らの奇跡を記したパビリオンとリバプール時代のビートルズの足跡を追う「マジカル・ミステリー・ツアー」があります。

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<エリナー・リグビー像>K-7/DA16-50mm

ビートルズのシングル「エリナー・リグビー」に登場する架空の老女がこの人。場所はマシューストリートからは外れてますが、すぐです。なんでこの人物だけがブロンズ化されているかわからないのですが。

ともかく、リバプールにはビートルズ関連のものが何気なくあります。エリナー・リグビー像の向かいにはエリナー・リグビーホテルとか、マッカートニー・ホテルもありました。

マシューストリートのすぐ近くにはHard Days Night Hotelがあり、よほど泊まってやろうかと思いましたが、高額すぎてやめました。そのかわり、ビートルズ・ショップに対抗してかハードデイズナイト・ホテル直営のビートルズグッズ販売所ができていました。

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<ここで土産を>K-7/DA16-50mm

ここで絵はがきを大量に仕込んできました。Tシャツなどはサイズが合いません。マグなどの小物はかさばるとの理由で。それにしてもジョージ・ハリスンのところだけ感じが違うのが気になる。

メンバー4名中2人が既に亡くなったビートルズ。再結成はあり得ませんね。もっとも、自分もビートルズが活動中はほとんど何も知らないも同然で、中学生になってFM放送を聴き始めてから意識するようになりました。

でも、世界の音楽シーンに革命を起こした4人は今でも偉大です。

<路上ライヴ>

最後に、夕方近くに再び出向いてみたら、ジョンを意識していそうな男性が弾き語りをしていました。若そうに見えたけど結構いってそうにも感じます。K-7で撮ったので、YouTubeにアップするにはデータが大きく、時間がかかりました。

<2014/10/26追記>
リンゴ・スターだけはデビュー前のハンブルグ公演後にビートルズに加入したので、キャバーン・クラブでの演奏にはそれほど加わってなかったかもしれません。それまでのドラマーはピート・ベストといい、解雇されました。

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2014年6月28日 (土)

敗退しちゃいましたが

かすてら音楽夜話Vol.33

FIFA2014ブラジルワールドカップ、日本は勝ち点1の最下位でグループリーグ敗退です。残念ですが、受け入れましょう。

それよりもアジア勢すべてが未勝利とは。これも受け入れましょう。でも、寂しいですね。

さて、NHKのワールドカップテーマ曲は椎名林檎の「NIPPON」なんですが、朝っぱらから、耳について離れないという方も、多いのではないでしょうか。最近では、化粧品のCMに出ていたり、NHKの朝ドラのテーマソング「カーネーション」などを歌っていたりと、メジャーかつ王道的な道を歩んでいるように見えます。

ですが、そのデビューは衝撃的でした。

何たって、あなた、たった二十歳ですよ。バックに亀田誠治がついていたとしても、とんでもない完成度です。ファーストアルバム『無罪モラトリアム』から楽曲は自作。当時流行っていた「渋谷系」とは相容れないような、「新宿系自作自演屋」と称していました。

「歌舞伎町の女王」はセカンドシングルなんですが、これで色物っぽく、見られているような評価もありました。また、タイトルが、扇情的でこれもますます、そっち系の評価を高めていく感じでしたね。

まあ、これは狙っていたことなんでしょう。しかし、彼女はこれを力でねじ伏せていく。デビューアルバム、『無罪モラトリアム』に続く、『勝訴ストリップ』が見事にオリコン1位を獲得。

出産、離婚を経てソロ活動の封印。東京事変としての活動後、再びのソロ復帰。そして今に至ります。

ワタクシ、実はほとんど更新してない、音楽サイトもやってまして、そこで、『無罪モラトリアム』のレビューも取り上げています。もしよかったら、これを読んで、気になるようなら、聴いてみてくださいませ。

さて、日本がいなくなった、決勝トーナメントですが、「NIPPON」が、かかりまくるんだろうなあ。でも、本来の椎名林檎が戻ってきたような感じがして、ちょっと嬉しくもあります。

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2014年1月 6日 (月)

想い出にさよなら

かすてら音楽夜話Vol.32

その日、ヤンゴンの空港にいました。これからバンコクへのフライトです。搭乗できるようになり、乗り込みます。ちょうど機体の出入り口に新聞が置いてあって、いつもならば見向きもしませんが、バンコク発行の読売新聞があったので、1部もらって席に着きます。ちなみに、読売は大手新聞の中でもバンコクで印刷しているので、好き嫌いは別にして一番早い日本のニュースが読めるんです。他の社は、日本で印刷したものを送っているらしい。

早速読売に目を通すと、ヘッドラインに大瀧詠一の訃報が目に入りました。なんてこった。

大瀧詠一(「大瀧」はライターとしての名前、シンガー/アーティストとしては「大滝詠一」となります)との出会いは、父親が運転するクルマのラジオから流れてきた「ナイアガラ音頭」でした。なんだ、これはと思ったものです。ちなみに、「ナイアガラ音頭」はアルバム『Niagara Triangle Vol.1』に収録されていて、リード・ヴォーカルは大滝詠一ではなく布谷文夫。もちろんあとで知りました。

大瀧=ナイアガラ、わかりますよね。元々大瀧詠一ははっぴいえんどのオリジナルメンバーで、リードヴォーカルとギター担当。他のメンバーは、鈴木茂(リードギター)、細野晴臣(ベース)、松本隆(ドラムス)という構成。はっぴいえんども評価は高いもののそれほど売れたわけでもなく、解散後ソロになってからの大瀧詠一も異様に売れませんでした。それでも福生に自宅兼スタジオを構え、実験的な作品を作り出していったのです。

そして月日が流れて1981年、初めて聴いて心をぐっと引き寄せられるイントロの「君は天然色」がメディアに流れはじめます。アルバム『A Long Vacation』、有無をいわせず購入に向かいましたねえ。これは売れた。発売当時は塩化ビニールのLPレコードだったのですが、その後のCD化に伴い、ソニーレコードの栄えあるシリアルナンバー1がついたほどです。それにしても、あの「ナイアガラ音頭」の人なのかと。

食えない時代に実験的な試作を重ねた結実ですね。その後も佐野元春・杉真理と『Niagara Triangle Vol.2』のコンピレーションアルバム、松田聖子をはじめとして森進一から小林旭に至るまでの楽曲提供など一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

その後社会人となったワタクシは、大瀧さんのアルバム、関係するアルバムや書籍も買いあさり、いっぱしのナイアガラーとなったわけです。ちなみに、『Niagara Triangle Vol.1』では、山下達郎・伊藤銀次と組んでいます。山下達郎の説明は不用でしょうが、伊藤銀次はもう終わってしまう「笑っていいとも」のオープニングテーマ「ウキウキWatching」の作者で、ウルフルズのプロデュースや「イカ天」(三宅裕司のイカすバンド天国)の辛口審査員などもつとめました。

そうした関連する人たちもフォローしていましたねえ。今はなきNiftyserveのパソコン通信会議室、fbeatなどでも、「次に『Niagara Triangle Vol.3』をやるとしたら誰と組むか」などと激論を交わしたものです。

さて、追悼の曲は『Niagara Triangle Vol.1』から「幸せにさよなら」です。元々伊藤銀次の曲でアルバムでは伊藤銀次がリードヴォーカルを取っているんですが、シングルとしてもリリースされ、こちらを取り上げています。

こちらは、伊藤、山下、大滝と交互にヴォーカルを担当していくもので、けっこう気に入っています。

葬儀には元はっぴいえんどのメンバーも駆けつけ、棺を担いだとか。この人が日本のPops/Rockに与えた影響は多大なものがあるはず。今頃布谷さんと音頭のセッションを繰り広げているのかもしれませんね。

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2013年7月30日 (火)

浜田省吾で元気をもらおう

かすてら音楽夜話Vol.31

前回のエントリーでCCRを取り上げましたが、日本のロックの世界でかなりのメッセージ性を持つ人を登場させましょう。それは、浜田省吾です。

浜田省吾は1952年生まれ。なんと、昨年12月に還暦を迎えてしまいました。1975年、愛奴という、ロックともフォークともいえそうなグループでドラムスとしてデビュー。この時期同じ広島出身ということで(愛奴のメンバーも広島出身)、吉田拓郎の全国ツアーにバックバンドとして参加。しかし、音楽性の違いから愛奴を脱退し、翌年ソロデビュー。

長い下積みから無謀とも思われた武道館コンサートを成功させ、ようやく日が当たるようになってきました。ここでは、初のオリコンアルバムチャート1位に輝いた『J.Boy』から「A New Style War」を取り上げたいと思います。

これは、アルバム『J.Boy』のオープニングナンバーで、当時の東西冷戦、南北問題などを取り上げています。歌詞にある「飽食の北を支えている 飢えた南の痩せた土地」というフレーズがすべてを言い切っているような気がします。

『J.Boy』には「八月の歌」という曲も収録されていて、8月の広島…つまり原爆投下についても語られています。「おれ達が組み立てた車が アジアのどこかの街角で 焼かれるニュースを見た」という歌詞も鮮烈です。また、『Promised Land~約束の地』というアルバムでは、公害問題にも触れているし、ジャケットには核弾頭ミサイルが描かれています。

いやあ、社会派ですねえ。何が彼をここまでさせたのかというと、警察官であった父親が原爆投下後の広島市で被爆してしまったことが大きいのではないかと推測します。

まあ、こうした社会問題を鋭くえぐっていく姿だけが浜田省吾ではないのですが。そして、浜田省吾の曲は曲の主人公が社会人の管理職であったり、父親であったりと、年齢相応の歌い方をしています。わたしゃ、浜田のライヴには2回だけ行ったことがありますが、元気をもらって帰ってきました。

この前の日曜日、NHK-BSで12年ぶりのテレビ出演をしました。「浜田省吾ライブスペシャル~僕と彼女と週末に~」というものでしたが、うちはBS契約していないもので、見ることができませんでした。その12年前のものも確かNHK-BSで放送されたものの、地上波での再放送もあったと記憶しています。

んー、でも旅に出ちゃうんですよねえ。これ、録画している方がいたら、DVDにして、送ってくれないかなあ。

今回のYouTube、浜田省吾の公式チャンネルだから、削除されることはないと思います。

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