カテゴリー「Music Talk」の59件の記事

2019年6月 3日 (月)

もう一人のピアノマン

かすてら音楽夜話Vol.59

Fe0660

<駅のピアノ>K-7/DA16-50mm

以前このカテゴリーでビリー・ジョエルを取り上げました。ワタクシのジェネレーションでいうと、自分でピアノを弾いて歌う偉大なアーティストはやっぱりビリー・ジョエルなんです。1977年にアルバム『Stranger』に収録された「Just The Way You Are/素顔のままで」でグラミー賞最優秀楽曲省(Song Of The Year)と最優秀レコード賞(Record Of The Year)をダブル受賞。それからは飛ぶ鳥を落とす勢いで売れました。

日本でいうと、原田真二とかいましたね。

でも、それ以前から現在まで活躍してきた偉大な歌うピアニストがいます。Elton Johnです。なんたって、ワタクシが初めて購入した洋楽のEPシングルは「Crocodile Rock」なんです。当時、どういうわけか近所の電気屋でレコードを販売していました。よく考えると、そこでよくぞ洋楽のシングルを売っていたなと思います。

余談になりますが、「クロコダイル・ロック」はビルボードのシングルチャート1位を獲得していますが、その後この電気屋でRasberriesの「I Wanna Be With You(明日を生きよう)」(ビルボード16位)なんてものまで置いてあったんですから、電気屋の主人、相当な洋楽ファンだったのではないかと。

Images5

<当時の風貌>

で、当時は洋楽を紹介するテレビ番組はほぼありませんでした。すでにビッグな存在のすでに解散してしまったビートルズの映像などはありましたが、エルトン・ジョンの情報はもっぱらラジオでした。楽曲はすごくいいなと思って、レコードを購入したのですが、そこで初めてエルトンの風貌に触れたわけです。

何だこりゃ、ですよ。その後、二度とエルトンのレコードを購入することはなかったんですが、曲は凄いですよね。で、この人、なんか変だなと思ったら両性愛者だったんですね。わかりやすくいうと、両刀遣いです。あの、フレディ・マーキュリーと一緒ですわな。1984年にはドイツ人女性と結婚してます(その後離婚)。そして、2005年には同姓結婚してます。

風貌からすると、若くしてすでに禿げ上がっていますがその後植毛手術し、視力矯正にも成功しているようです。

フレディ・マーキュリーはエイズで死んでしまいましたが、エルトンは元気ですね。でも、友人をだいぶエイズで亡くしているようで、1992年以降、シングルの全収益を自ら設立したエイズ基金に寄付しているそうです。

ビリー・ジョエルが「ピアノマン」なら、エルトン・ジョンは元祖「ロケットマン」です。では、お聴きください。

 

んー、トランプ氏、北の委員長とエルトンをどこかで結び付けているのかもしれません。あるいは、まったく知らないか。ともかく、ビリー・ジョエルよりもビルボード1位獲得曲が多く、音楽性もより深いです。エルトン・ジョンがデビューしたのは1969年ですが、ビリー・ジョエルは1971年。メジャーになったのはもちろんエルトンがずっと先です。でも、二人の歳の差はたったの2年。エルトン・ジョン、1947年生まれ。沢木耕太郎と同い年ですね。ビリー・ジョエル、1949年生まれ。

この二人、長年ジョイントツアーもやっていました。

ちなみに、イギリスではナイトに叙勲されてます。両刀遣いだけど。

| | コメント (4)

2019年5月16日 (木)

元祖ガールズバンド

かすてら音楽夜話Vol.58

Hs0236

<香港の広告>K-7/DA21mm

いきなりのローラの登場でございます。といっても、あまり本文とは関係ございません。

できたら、香港の女人街の「下着」の画像でもあればよかったんですが、手持ちではありませんでした。ま、下着の画像ならワタクシの洗濯物なんかがありますがあまりにも風情がありません。ともかく、今回は下着がキーワードです。

ガールズバンド、もはや昨今ではジェンダーがどうこういう時代ではありませんが、SHISHAMOとかチャットモンチー(どちらもよく知りません)、古くはプリンセスプリンセス、SHOW-YAあたりが日本では最初に出てきた女性だけのバンドでしょうか。

ただの女性グループなどはアイドル的なものを含め、古くから活躍していますが、女性だけですべての楽器を演奏するバンドは意外に少ないです。

では、元祖とも呼べるバンドはやっぱりアメリカの出身。The Runawaysではないかと思います。1975年に結成され、1979年まで続いたグループです。結成当時平均年齢が16歳とのことですから、全員還暦過ぎてます。アメリカ出身なんですが本国では成功したといえず、どういうわけか日本で売れに売れました。

なぜ?それは衣装が下着だったからではないでしょうか。日本公演も行って、たぶん日本のテレビ番組にも出演したはずです。当時の中高生(男子)たちは、親に隠れてテレビをつけたり、あるいは見たいのに見れなかったりしたのではないでしょうか。

ま、たまたま、YouTubeを検索したら、あったんですよ。公式チャンネルが。では、ご覧ください。

 

ということで、彼女たちの唯一の(日本での)ヒット曲、「Cherry Bomb」でございました。

いやあ、あれですね。ワタクシ、彼女たち全員が下着姿だと思い込んでいたんですね。下着というか、コルセットとガーターベルトだけという衣装はヴォーカルのCherie Currie(シェリー・カリー)だけなんすね。あとは、普通だわ。それにさ、今見ると全然過激でも何でもないですよね。でも、40年以上前はこれでも過激だったんですね。

ま、彼女たちは短命に終わりましたが、その後、The Go-Go's、The Bunglesなどが成功を収めることになります。たぶん、The Runawaysがいなければ、女性だけでロックバンドをやるという人たちは1980年代にあらわれなかったかもしれません。

ただ、彼女たちもその後はある程度成功を収めています。

ヴォーカルのシェリー・カリーはその後ソロに転向し女優としても映画に出演しています。

ギターのLita Ford(リタ・フォード)もソロに転向し、ハードロック・ヘビーメタル系の活動を行いました。ソロですから歌も歌うんですね。YouTubeでは髪の長いほうのギターで中間部でソロを弾いています。

もう一人のギター、Joan Jett(ジョーン・ジェット)が最も成功した人ですね。YouTubeでは髪の短い一番左のポジションの人で、The Runawaysではリズムギター担当です。彼女は男性3人と組んだ、Joan Jett & The BlackHertsで1982年にシングル「I Love Rock 'n Roll」でビルボードの週間シングルチャート1位を獲得しています。

さて、ネタのない日々があと2か月以上続きます。引き続きリクエスト募集してますわ。

| | コメント (0)

2019年5月 5日 (日)

風貌は変わっても

かすてら音楽夜話Vol.57

Bko3300424

<若き時代>EM10/ED14-42mm

人間若い頃はいいですよね。見かけもいいし、ピチピチしてます。若さには誰も文句はつけられません。

Bko3290350

<年を重ねて>EM10/ED14-42mm

でも、年を重ねていくと味が出てくるものです。人生の機微みたいなものも身に着けて、世の中をうまく渡り歩くすべを知っています。

☆画像はバンコクの庶民の皆さんを登場させました。そのあたりすんませんです。

何がいいたいのかというと、まあ、本日の出来事を聞いてくださいませ。

本日某所に法事に行ったのですね。もうン10年ぶりに会う親戚の皆さんもいたくらいで、その風貌の変化に驚愕したというわけです。でも、名乗られなくても全員わかりましたが。

今の天皇などは生まれた時からテレビカメラがあって、60年近くそのお姿をマスコミに追いかけられ、我々視聴者が見届けているわけです。こういう例は個人として日本初ですよね。

同じく、若い頃からテレビカメラ、もしくはカメラで報道され続けられているのが、芸能関係の人々。人気歌舞伎役者の子供などはこれからそういう運命をたどっていくものと思われます。これに近い存在は実名を出してしまいますが黒柳徹子女史でございます。この人なんかは日本のテレビ史と一体化していて、しかもほぼ毎日テレビに出続けていますから、若い頃と現在を見比べてもすぐにわかりますね。同じような人には財津一郎とか伊東四朗、吉永小百合などがあげられますが、黒柳さんにはかないません。

甲斐よしひろという人がいます。YouTubeから引っ張ってきましたが、公式サイトのものではないので、いつか削除されてしまうかもしれません。1989年のものといいますので、今から30年前の甲斐よしひろです。

いうまでもなく甲斐バンドの甲斐よしひろ。1953年生まれですから36歳くらいの映像ですね。デビューは1974年、21歳の時です。おそらくその時のデータですが、Wikipediaによると、身長165cm、体重48kgとあります。ものすごく痩せていたんですね。ワタクシはその翌年のセカンドシングル「裏切りの街角」を演奏するのをテレビ番組で見た記憶があります。すごく刺々しい感じがしました。

YouTubeの映像ですが、1989年は甲斐バンドが解散している時期で、ソロの映像です。すでにデビューから15年経過していますが、ほっそりしていますね。

甲斐バンドは数回解散と再結成をしていて、解散している間にも甲斐よしひろはソロプロジェクトを継続しています。当時のロック、ニューミュージック系アーティストは極力テレビの歌番組には出ない傾向がありますが、TVKなどの純粋にライヴ映像を流す番組には甲斐バンド、甲斐よしひろのソロプロジェクトは登場していたようです。

先ほどの黒柳徹子ほどじゃありませんが、ぽつぽつテレビで流れていたと。でも、そのソロプロジェクトをやっているあたりから甲斐さん、だんだんとふくよかになってきたんですね。

Https___imgixproxyn8sjp_content_pic_2016

最近の甲斐よしひろです。もう顔がパンパン。村上龍かと思ったぜ。最近はサングラス着用が当たり前みたいになってきまして、ちょっぴりおばさんっぽい感じも。

ビジュアルをある程度重視する世界ですから、昔のイメージを維持することも大事ですね。ま、あんなに突き刺さるようだった甲斐さんも今年66歳ですから、しょうがないやね。わたしゃ、10年ぶりにアルバムをリリースした時の浜田省吾の白髪にも衝撃を受けましたが。その他はイメージ変わんないもんな。

スキンヘッドになってしまったビリー・ジョエルとか本当にツルッパゲになってしまったジェームス・テイラーなんかよりいいんじゃね。ホント、外国人の風貌の変化はとんでもないですからね。

そんな甲斐さんですがなんとデビュー45周年です。最近は本業では目立ってないようですが、そのうち活動再開してくれるでしょう。

なんかひどいことを書いてしまったようですが、芸能生活はこういうことも大事ってことで。ファンのヤン水君、ペンタのPさん、すんません。次、マラコー行ったら「安奈」は無理でも「Hero」歌わせていただきます。

| | コメント (2)

2018年10月28日 (日)

ホテルと戦う

かすてら音楽夜話Vol.56

Sl1910

<キャンディ湖>KP/DA18-50mm

ダンブッラからキャンディに到着いたしました。街の中心に湖(人造湖らしい)があってスリランカの中では落ち着いた都市です。

ダンブッラから乗ったバスは何とか座席を確保しましたが、次のバススタンドからものすごい混雑となりました。やれやれです。

トゥクトゥクで予約したホテルに行きますが、様子が変です。マネージャーらしき男性が出てきて、予約の入金がされていない(ハッカーが介在しているとか)などといいます。しょうがないので、改めてクレジットカードで2泊することにしました。

Sl1880

<ホテルフロント部分>PowerShot

持参のパソコンにメールソフトを入れてきました。実際には受信はできても送信ができない不具合が生じましたので、使えません。ただ、このホテルの予約のメールがあり、何かあった場合、ここをクリックするという箇所がありました。

するとネットにつながり、ネット上で詳細をAgodaに送るということになりました。

Sl1882

<セミダブルベッド>PowerShot

それと同時にAgodaにはクレームの電話を入れます。こちらは音声対応ですが、ある程度のところまで行くのですが、そこで切れてしまいます。通話先は東京とシンガポールのようでした。

Sl1884

<ベッド脇>PowerShot

電話はあきらめました。simの通話分もなくなってしまったようです。

Sl1886

<浴室>PowerShot

翌日Agodaからメールが届きました。余分に支払った分に関してはクレジットカードの領収書かホテルの領収書があれば対応するとのことでした。当然ですね。

ただ、現状ではメール送信ができないので、これは日本に戻ってからやることになります。二つの領収書はデジカメで写真を撮っておきました。

その日の夕方、日本人客がチェックインしました。その方はホテル側が英語ができないと判断して、自分のところに連れてきたのです。やはり、Agodaで予約した方で、自分と同じ二重払いを強いられていました。

このホテルはヤバイ。明らかに日本人が泣き寝入りをすることで、日本人を狙い撃ちしていますね。その日本人宿泊客こそ、名古屋のOさんでした。名古屋のOさんはパソコンも現地対応できるスマホも持参していないので、自分の対応策をお知らせしました。

日本に戻り、領収書を添付したメールをAgodaに送ります。最初の予約はキャンセル扱いで返金され、現地払いとの差額も返金するという内容でした。

9月分のクレジットカードの明細に返金のマイナスマークがついていました。これにて一件落着ですが、ふざけた話でした。

このホテル、「Victory Hotel Kandy」といいます。コロンボ通りにあり、夜遅くまでアルコール類を提供するバーレストランを併設しています。Agodaもここと連絡が取れなくなったとか申しておりました。絶対予約してはいけません。

でもキャンディは市街地にあまりホテルがないんだよな。

この曲を聴いてホテルと戦う気持ちを高めました。20年くらい前の映像ですが、もっと古く感じますね。

今日のスリランカン

Sl1558

<不明の人物>KP/DA18-50mm

ダンブッラ石窟寺院への石段入口付近で出会った人物。あるものをねだられ、あげるとこの笑顔です。

帰りもまた呼び止められました。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年7月31日 (火)

お待たせしました、旅立ち宣言

かすてら音楽夜話Vol.55

Ck1996

<夜明け>K-7/DA16-50mm

つーことで、いよいよ明日です。夜が明けたら成田にいますよ。

といって、体調今までで最悪です。先々週新宿までたどり着いたものの、そこから咳が止まらなくなって欠勤いたしました。その風邪が治りきってないです。

かといってキャンセルするのも悔しいし。とりあえずは現地で薬を飲みながらゆるゆるやりますわ。遺跡巡りもトゥクトゥクチャーターの可能性が出てきましたね。

とりあえずはバンコクで元気をつける!成田まで行ってしまって、飛行機に乗り込んでしまえばこっちのものです。

ええ、明日だというのに、まだパッキングが完成してません。いつものことですが。

とりあえずは無理のない範囲で現地報告も入れますね。宿はすべて予約しました。スリランカと後半のタイではsimを購入いたします。この間連絡手段はスマホのメールだけです。旅用のPCにメールソフトを入れたんですが、ソフトが古いせいか「危険」というアラートが出る始末です。そういうことなんで、よろしくです。

持参のカメラは夏でたくさん撮ることを考え、PENTAX KP+DA18-50mm+DA50-200mm。それと、スナップ、メシ用のPowerShotでございます。

とりあえず、こんな歌を持ってきました。20年以上前のミヤジとエレカシです。

なんか後半暴れてるんですが、曲はいいですよね。石くんのスライドギターってのも珍しい。

ま、とりあえず、この続きはバンコク&スリランカでしようぜ。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2018年7月26日 (木)

今夜はVanHalen

かすてら音楽夜話Vol.54

In0667

<ガンガー>K-7/FA77mm

画像は内容と全く関係ありません。7年前のヴァラナシーです。

暑さも少し和らいできたかな。日本印度化計画なんて曲もありますが。これはまたいつか。

さて、今回はVan Halen(ヴァン・ヘイレン)を取り上げます。ハードロック関連でKISSを取り上げたんですが、思わず筒美京平大先生まで出てくる始末で、中途半端ではあったので。

まずはお聴きください。

アメリカのバンドです。デビューは1978年ですから今年で結成40周年。おめでとうございます。

オリジナルメンバーはDavid Lee Ross(Vo)、Edward Van Halen(G/Key)、Michel Anthony(B)、Alex Van Halen(Ds)の4人です。

デビュー曲は「You Really Got Me」というイギリスのバンドキンクスのカバーでした。新人ながらに大音量、派手なアクション、ギターのエディの超絶テクと勢いはとどまらず、デビュー6年目の1984年にリリースした『1984』(ここからキーボードも導入)でビルボード週間アルバムチャート2位まで上り詰めました。ここからシングルカットされた「Jump」がビルボード週間シングルチャート1位となっています。

名前に人名が付くバンド。結構アメリカには多いです。J.Geils Band(リーダーの名前)、Steve Miller Band(リーダーの名前、ボズ・スキャッグスが一時在籍)、Fleetwood Mac(ミック・フリートウッドとジョン・マクビーから。ややこしいことにPeter Green's Fleetwood Macと名乗っていたことも)、そして、Bon Jobiね。

彼らは弟のエディと兄のアレックスのヴァン・ヘイレン兄弟から。兄弟の生まれはオランダでのちにアメリカに移住した音楽一家ということです。兄がギター、弟がドラムセットを手に入れたそうですが、エディがドラムの借金返済のためアルバイトに励んでいるうちにアレックスがドラムに手を出してめきめき上達してしまい、そのまま楽器交換となったとか。

それがなければ、エディのライトハンド奏法もなかったわけで。そして兄弟そろって進学したカレッジでデイヴとアンソニーをバンドに引きずり込み、メンバーがそろったわけです。

デイヴはあのアクションと歌唱力ですかね。長髪の金髪をなびかせてシャウトする姿に、それまでのヘビーメタル/ハードロック系にはなかったセクシーさが取り入れられました。バンド全体のビジュアルもばっちりです。

アンソニーはバーボンのジャックダニエルが好きだそうで、ビデオでもジャックダニエル仕様のベースを弾いています。

バンドはこの頃が絶頂でしたかね。ワタクシも『1984』だけは購入しています。なのに、デイヴがソロ活動専念のために脱退。後任にはギターも弾けるサミー・ヘイガーが加入しています。ま、そのあと遂にビルボード週間アルバムチャート1位も獲得するんですが。サミーの時代はビジュアルが今ひとつだな。でも、アメリカ人はそのあたりあまり気にかけないみたいですが。

ま、ヴォーカルはバンドの顔ですから、いってみればストーンズのミック・ジャガーが脱退し別のヴォーカルが入ってもそれはストーンズではないでしょう。

その後サミーも脱退と加入を繰り返し、現在はデイヴが復帰しました。その代わり、ベースのアンソニーは脱退し、ベースはエディの息子のウォルフガングが担当しています。デイヴの髪もだいぶ寂しくなりましたが。

この曲、シングルカットされましたが、大ヒットには至っていません。でも、TVKの「ライブ帝国」などに曲が使用されています。

ワタクシ告白すれば、ヘビメタ系、ハードロック系はいまいちとっつきにくかったんです。ドロドロしているし、うるさいしで。ま、若かったからですかね。Van Halenを見ていると、メロディもしっかりしているし、歌も上手い。そしてビジュアルが面白いです。ま、スコーピオンズとかZZ Topとかディープパープルあたりにはいかないと思いますけど、聖飢魔ⅡもLed Zeppelinもきっちり受け入れています。

さて、昨日スリランカのETAっていう、アメリカのESTAのようなものをゲットしました。ちょっとめんどくさかったです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年7月21日 (土)

セクシャルバイオレットNo.1とKISSの関係

かすてら音楽夜話Vol.53

Ck2473

<コバラムビーチ>K-7/DA16-50mm

画像は本文にほぼ関係ありません。なんたって暑いもので、できるだけ爽やかそうなイメージを出したかったんです。でも、インドです。

さて、今回のエントリーですが、コンセプトとしては、以前おりんぴあさんから頂いたコメントで、いつかハードロックかヘビメタを取り上げましょうと予告していて、色々探していたんです。

レッドツェッペリン、ディープパープル、日本でいえば聖飢魔Ⅱなどなど。でも、インパクトや人気度からいったらKISSだろうということで、KISSの映像を探していたら、いいものに出会いました。

でも、その前にこちらをお聴きください。

ご存知でしょうが、桑名正博の唯一のオリコン週間シングルチャート1位獲得曲です。

実はカネボウ化粧品とのCMタイアップ曲でもあります。今から30年以上前、春と秋に化粧品会社の資生堂とカネボウからそれぞれ女性向けの新製品が発表され、CMタイアップがお約束でした。

タイアップされればその曲はほぼ売れることになっているんです。例を挙げれば「時間よ止まれ」(矢沢永吉)、「君の瞳は10000ボルト」(堀内孝雄)「Mr.サマータイム」(サーカス)「不思議なピーチパイ」(竹内まりや)などなど。

でも、やはり楽曲がよくなければ売れず低迷する曲もごくたまにありました。

桑名正博ですが出自はファニーカンパニーというバンドのギター&ヴォーカルです。東のキャロル、西のファニカンといわれたそうですが、なんとですね、彼は大阪の廻船問屋の跡取り息子だったんですよ。高校中退後はアメリカ放浪していたそうです。やー、自分がそうなら、跡を継ぐまで旅行しまくりますけど。ま、そんなせいもあってか金に困らずあまりプロ意識がなかったようです。そんなわけで、キャロルの矢沢永吉などには随分と差を付けられてしまいましたが、この曲で少しは肩を並べる寸前まで行ったかもしれません。

それにしても難しい曲ですね。歌唱力が必要です。桑名正博は自分で曲も作りますが、この時期のロック歌謡時代は作曲が筒美京平御大。歌詞は松本隆に依頼していました。歌詞も文学的ですもんね。

筒美京平はいわずと知れたヒットメーカーです。「ブルー・ライト・ヨコハマ」(1960年代)、「魅せられて」(1970年代)、「スニーカーぶる~す」(1980年代)などなど2010年代に至るまでオリコン週間シングルチャートTop10の売り上げを記録しています。2000年代まではチャート1位を必ず取っていたという、日本最強の職業作曲家です。また、シンガーの性別、年齢を問わないマルチぶりです。

そんなスーパーな人なんですが、「セクシャルバイオレットNo.1」のサビ、これはどこかで聴いたような。

そこでKISSの登場です。

1979年のKISSのスマッシュヒットです。

イントロのギターフレーズが「セクシャルバイオレットNo.1」のサビとそっくりではありませんか。ちなみに、どちらも、1979年のリリースですが、KISSの方が若干早いです。

京平さん、思わずやっちゃいましたかね。でも、このくらい許してもらえるかな。

もし、KISSが存在しなければ、聖飢魔Ⅱもコンセプト的にこの世に誕生してないかも。KISSのステージ右側でリードギターを弾くのは、エース・フューレイといいますが、聖飢魔Ⅱのリードギターもステージ右側にいて、「エース清水」を名乗っています。

KISSはリードヴォーカル&リズムギターのポール・スタンレーとベースのジーン・シモンズ以外、メンバーチェンジし現在も活動中です。もうかなりのご高齢ですが、メイクっていいですよね。メイクなしの時代もあったけど。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年7月14日 (土)

覆面スーパーグループ

かすてら音楽夜話Vol.52

Fe1711

<リバプール>K-7/DA16-50mm

ここはマシューストリートではありませんが、近くにある「Hard Days Night Hotel」あたりです。柱にビートルズの4人の肖像があります。

リバプールの空港はジョン・レノンの名前が冠されています。もう一人のリードヴォーカリスト、ポール・マッカートニーがやはりジョンと二分する人気があるでしょう。ニューヨークで暗殺されてしまったジョンのカリスマ性と、70歳を超えてニューアルバムをリリースするポールの大衆性はやはり人々を惹きつけますかね。

だが、忘れちゃいけない第3の人物がジョージ・ハリスンです。ビートルズのリードギタリストで「Something」(ビルボード週間シングルチャート1位獲得曲)や「Here Comes The Sun」の作曲者です。ジョンとポールのはざまに隠れなかなか日の目を見ない男ですね。

とはいえ、ビートルズにインドを持ち込んだのもジョージです。それがなければ、1960年代後半のビートルズはまったく違ったものになっていたでしょう。

さて、ここに紹介するのは、Traveling Wilburysというバンドです。

ほぼ全員がウィルベリーという姓を持ち、サングラス着用という覆面状態でアルバムをリリースしましたが、すぐに誰だかわかりますね。

初めのリードヴォーカルはジョージ・ハリスン。次のリードヴォーカルがロイ・オービソン(「Pretty Woman」の人です)。コーラスはボブ・ディラン(いわずと知れたノーベル文学賞受賞者)、ジェフ・リン(ELO)、スライドギターをトム・ぺティが弾いていますね。

ま、全員がギタリストであり、曲を作り、歌も歌うのですが、ファーストアルバム『Traveling Wilburys Vol.1』がリリースされたのが1988年で30年前です。

その年、ロイ・オービソンが急逝。ジョージも2001年に病死。トム・ぺティも昨年亡くなりました。

今後こんなグループが登場するでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月13日 (水)

青の時代

かすてら音楽夜話Vol.51

Im0900

<青い扉>MZ-3/FA35mm

前のエントリーでリバーサルのモロッコを紹介してみようと、つぶやきました。2010年にメインカメラをデジイチにし、その後はリバーサルどころかフィルム自体も壊滅状態です。

リバーサルフィルムというのはスライド用に作られたフィルムで、現像するとほぼ見たままの色がフィルムにでます。いわゆる印画紙に焼いた写真はフィルムの状態では色が反転しています。そのためネガティブフィルムと呼ばれています。

まあ、そんな蘊蓄はどうでもいいのですが、リバーサルで撮るとネガカラーよりも色が断然強く出るのです。そのために、10年年以上前の写真にこだわるブロガーはリバーサルを愛用していたのですね。

つーことで、今回紹介するのはモロッコの中でも「青」が特に印象的なシャウエンというところです。

Im0771

<シャウエンの街角>MZ-3/FA35mm

シャウエンとは正式にはChef Chaouenという、山の中にある小都市です。地元民も「Chef」は省略してます。

ここの旧市街は城壁に囲まれていて、そこにある住居をはじめとした建築物はほとんど青く着色されているんです。スペインの白壁の街とかはありますが、世界を見渡しても青はなかなかありません。

Im0828

<青いギャラリー>MZ-3/FA35mm

ね、どうすか?行ってみたくなったでしょ。リバーサルは特に強烈な日差しの下で色合いが特に強く出るような気がします。ま、それはデジタルカメラでも同じですけど。

Im0846

<シャウエンの少年>GR DIGITAL

デジタルで撮るとこんな具合。やや薄めです。まあ、GR DIGITALの特性かもしれません。今度機会があったら、デジイチでも撮ってみたいですが。

この頃のカメラはあまり機能が高くありませんでしたが、露出をピンポイントに絞ることで、ピントもピシッと決まったような気がします。

でも、画像のスキャンにやたらと時間がかかるので、もう戻ることはないでしょう。それにリバーサルフィルムは1本1000円程度します。頑張って撮っても37カットきり。それに現像代を合わせるとやはり1000円以上するわけで、フィルムを20本、30本と持参すれば、下手な航空券分くらい出ちゃうわけですよ。

Im0856

<リトルギャング>MZ-3/FA35mm

あの頃、よくぞブログが続いたもの。ともかく、ここシャウエン、こんな素敵なところなのに、世界遺産じゃありません。おそらくは歴史的建造物がほぼないからでしょう。

そんなシャウエンにぴったりの曲がこちら。

もともとはKinKi Kids(堂本剛&堂本光一)がリリースした曲ですね。バラエティ番組「LOVE LOVEあいしてる」のテーマソング「全部抱きしめて」とのカップリングの両A面ですが、堂本剛主演のドラマ「青の時代」の主題歌でもあります。

それを作ったのが映像の「canna」というデュオです。KinKi Kidsのリリースが1998年。cannaのメジャーデビューが1999年。つまりはデビュー前に提供された曲のセルフカバーということになります。

cannaの二人ですが、メインのヴォーカルが谷中たかし。キーボードとバックコーラスが周水。デビュー前の青田買いなんですが、これには秘密があります。周水の父親が小杉理宇造といい、現在ジャニーズエンターテイメントの代表取締役です。

小杉氏は長年山下達郎のバックアップなどをしていて、山下の所属するアルファムーンレーベルやスマイルカンパニーの代表などを務めていました。スマイルカンパニーとジャニーズ事務所がつながったわけです。ちなみにKinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」は作曲山下達郎です。

周水ですが、ステージでもサングラスなんですが、別に格好をつけているわけでもなく、眼に障害があるらしいです。日光に弱いとかの。ま、そんなわけで苦労もしているし、誤解や偏見もあったようですね。

KinKi Kidsもジャニーズ事務所の中ではかなり音楽性が高く、歌も上手いんですが、cannaと比べるとかすんじゃいますね。cannaの二人は数年で活動休止しましたが、数年前から活動再開しているようです。

ジャニーズ事務所もスマイルカンパニーもかなり著作権にはうるさく、YouTubeでは所属のタレントやミュージシャンのものがすぐに消されますね。でも、この映像はcannaが自分たちで上げたものですから大丈夫ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月23日 (水)

カラオケ

かすてら音楽夜話Vol.50

Yam173

<タイカラオケ>GR DIGITAL

このカテゴリーもめでたく50回。

画像はいつかのマラコーでございます。ここはあまり知られていないことなんですが、料理のレベルも結構いけてます。

Tf209

<パッタイシーウー>SX730HS

ひとり分にしては多めです。値段もちょっと値上がりしましたが、カラオケスナックですからまあ、妥当かもしれません。なにしろ、タイフェス帰りでまともな昼食、夕食を食べていないのです。

どこに厨房があるのかわかりませんが料理人の腕はいいです。

ま、こんな感じで最近はオフのたびにマラコーに連れられて行くのですが、タイ語ができなくてもカタカナタイ語の曲さえ歌えなくても、楽しんでます。

ま、ワタクシができるのはPUNCHの「ラウ・コン・トン・フェーン・ペン・カン」の♪Na Na Na Na~というコーラス部分だけですけど。

マラコーのシステムはタイ語の曲以外はDAMの通信カラオケを導入しています。タイ語の曲はおそらくグラミーなどのレーベルからダウンロードした曲をパソコンを介して流しているみたいです。なので、タイ語の曲を歌いたい人は、直接曲名を告げる、メモを渡す、スマホを見せるなどの方法で意思を店員に告げることになります。

そして、ここが重要なんですが、マラコーはカラオケスナックなので、流れる曲は常にひとつだけです。人が歌う曲を真剣に聴いているかどうかは別にして、数少ない聴衆を前にして歌うことになりますね。

沢木耕太郎と井上陽水の対談で、「最近カラオケでプロ顔負けの人もいるけど、その力が武道館なり東京ドームなりで発揮できるかどうかがプロとの違いだね」という発言がありました。いきなりスケールは小さくなりますが、マラコーで歌の上手い人はそこらのカラオケボックスで上手に歌う人より数倍は上手いということになりますね。

昔のカラオケは映像も歌詞も出ない、本物のオケでございました。曲なんかヒット曲と演歌ばかりという状態です。ま、おじさんの余興みたいなものでしたね。

それがレーザーディスクの登場とともにすそ野が広がりました。カラオケメーカーも努力を重ね、通信システムを導入し、カラオケボックスを登場させ、老若男女が楽しめるものとなったのです。

ワタクシ的には当時毎月の飲み会はほぼカラオケボックスでした。ま、それだけカラオケ好きが多かったというのもありますが、ボックスが普及したからこそ、それまで隠れていた歌の好きな人が現れてきたというのはありますね。また、歌ってそれがとても気持ちいいことに気づくというかそういう現象も起こったといえます。

その後パソコンが普及しまして、当時のNiftyserveのパソコン通信、Fbeat(音楽フォーラム)では何回かカラオケオフをやりました。なんとですよ、カラオケのために大阪や新潟からやって来るメンバーもいたほどです。

Fkaraokeなんかにも出入りしていまして、ここでは縛りのあるカラオケをやりました。縛りというのは「佐野元春限定」なんてやつです。佐野元春しか歌っちゃいけないというルール。当時いくら通信のカラオケが充実してきたといっても、あるミュージシャンの全曲が網羅されているわけではありませんでした。新宿のパセラという店では、DAMだけでなくJOYSOUNDなどほぼすべての会社の通信システムを取り入れた凄い店でしたが、それでもない曲がありまして、ではどうするかというと、自宅でヴォイスキャンセラーをいう機械を通し、バックのサウンドだけにしたトラックをMDなどに仕込んで、それをカラオケにつなぐのです。映像と歌詞は出ませんがこんなこともやっていました。

それから幾星霜。ワタクシの周囲にはカラオケを楽しむ人は激減し、10年ぶりくらいでマラコーに遭遇したのであります。

タイ語はできませんが楽しんでおります。kimcafeさんやじんさんの合間にちょこっとエレカシなど歌ってしまう。ま、これの発展形が昨年夏のバンコクのAtessaともいえるのですが。

最近キイが低くなってきまして、エレカシは正直辛いです。でも、エレカシ以外でもなんとか自分のキイに合うようなやつを試行錯誤中です。70年代の曲は歌いやすいですね。身に染みてますし。最近は「危険なふたり」なんかもやっちまった。

kimcafeさんは今のところ不在ですし、だれかカラオケ行きませんか?

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧