カテゴリー「Midnight Express」の27件の記事

2017年8月31日 (木)

タマサート大学に潜入

深夜特急の足跡を追うVol.27

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<チャオプラヤー川>KP/DA18-50mm

バンコク3日目のことです。当初はパックローン市場に行くつもりでしたが、チャオプラヤー・エクスプレスボートが通常ならば停船するはずの船着き場に止まらず、ター・チャーンというところで降りることになりました。

オレンジ船なんですが、明らかにオレンジ船の運行ルートと異なり、ター・チャーンの前は対岸のワット・アルンに止まりました。通常であれば、ワット・ポー近くのター・ティアンというところのはずです。

この理由はおそらく、プミポン前国王の弔問と関係しているようです。ター・チャーンはワット・プラケーオと王宮に近いです。ター・チャーンで降りると黒服の人たちでごった返していました。

さて、どうするか。ラッキーなことに少し歩いたところにタマサート大学があるのです。ここで、「劇的紀行・深夜特急'96」のロケをしていました。それは、大沢たかおが学食で食事をするというシーンですがほんの一瞬です。

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<タマサート大学>KP/DA18-50mm

原作では沢木耕太郎氏はタマサート大学ではなくライバルのチュラロンコーン大学で学生に混じりよく食事をしたという記述があります。

沢木氏はシープラヤー通りのタイ人向けの旅社らしきところに長逗留していました。一方、大沢たかおらはカオサンがベースでしたので、学生に混じって食事をするシーンは近くのタマサート大学が都合がよったと考えられます。

いくら20年以上前のタイでも撮影には許可がいるでしょうが、割と簡単にできたのではないかと思います。あるいは、無許可でビデオをまわした可能性もあります。それくらいあっけなく大学に入り込めるのは当時も今も同じです。

マハラートの門から入ると、整然としたキャンパスが続きます。さらに奥の方に行くと、東屋やベンチも現れます。外の空気に触れながら自習をすることもできます。もちろん学生が多いのですが、近所のオッサンなども涼を取っていたりします。

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<吹き抜けの一角>KP/DA18-50mm

吹き抜けのような一角にテーブルと椅子が並ぶところに出ました。ここで自習や談笑する学生もいます。数名は食事をしています。食事を提供するようなところはありませんが、ありませんが、食べ物の匂いが漂ってきます。

大沢たかおもこんなテーブルで食事をしていました。

さらに歩くと、食堂らしきところに出ました。

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<フードコート>KP/DA18-50mm

おお、これです。学生食堂には違いありませんが、画像の右側にはいくつかの店があり、ここで口頭注文してセルフでテーブルに運び食べることができます。では、ワタクシも。

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<バミーナーム>GR DIGITAL

無難にバミーの全部のせにしてみました。30バーツと格安です。国立大学に通う学生向けなのでこの値段ですかね。でも、タマサート大学は超エリート校で、金持ちでないとここまで辿り着けないです。

こういう値段でもあることから、ワタクシのように明らかに学生でない人間もここで食事をしています。…というか、誰も気にしません。

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<拡大>GR DIGITAL

フードコートなので、テーブルには麺用の調味料4種は置いてありません。店の近くに用意されていますので、写真を撮る段階で唐辛子なども投入されたあとです。

具は、魚肉のルークチンと、豚肉のルークチン。かまぼこ風の魚のつみれ、おこし風の米の加工品、モヤシなどの野菜です。豚肉のルークチンは挽き肉を固めたような感じで、粗挽きのルークチンといった感じです。値段の割りに具だくさんで、割と美味かったです。

でも、量は少ないですね。

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<フードコートに集う人々>i Phone5c

もちろん学生はいますが、よく見ると黒服の人が多いです。タイの大学生は上は白のワイシャツと校章入りのネクタイ、下は黒のスラックスと決まっています。女子は白のブラウスとなり下は黒のスカートで、校章入りのベルトを巻きます。

学生が私服で大学に来ても授業を受けられないくらい、この制服は徹底しています。従って上下黒服は一般人で、王宮に弔問に行く人たちですね。

その他普段着の人もいます。タマサート大学の「学生向け食堂」には違いありませんが、近所の人にとっては便利なフードコートですね。

それから、「劇的紀行・深夜特急」の映像を見ると、大沢たかおが食事をしているのは木製のテーブルでした。先ほどの吹き抜けのところですね。大々的にロケをすると面倒なので、吹き抜けのところにスタッフと俳優を待機させ、フードコートから食事を運んで撮影したのかもしれません。

今日のコンタイ

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<チャオプラヤー・エクスプレスボートの料金係>KP/DA18-50mm

数年前はオレンジ色のポロシャツでしたが、また制服が変更になったようです。制服が変更になっても、小銭の入った金属の筒を鳴らしながら人々の間を回るので、すぐにわかりますね。

ちなみにサートーンの乗り場では事前にチケットを売るようになりましたが、船内ではこの人の検札を受ける必要があります。チケットといってもバスのやつと同じです。金属の筒を開いてチケットに切れ目を入れます。これまたバスと同じです。

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2017年7月20日 (木)

香港の沢木氏ダイジェスト

深夜特急の足跡を追うVol.26

ますますネタがなくなってきました。枯渇の一歩手前です。

古い写真でひとつひねり出しました。

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<ロールスロイス>K-7/DA21mm

香港はその面積の割りにロールスロイスなど、希少な超高級車が頻繁に目撃できるところです。人口比にして台数がかなり多いらしいです。それだけ破格の金持ちがたくさんいるかららしいですが、中国が介入してきてその構図は変化が出てきましたかね。

余談です。やはり超高級車を製造するイタリアですが、街中でフェラーリ、ランボルギーニ、マセラッティなどほとんど見かけることはありません。

で、こういうクルマが止まっているところは、泣く子も黙るペニンシュラなんです。

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<ペニンシュラ>K-7/FA50mm

何たってホテルという名称がつきません。「The Peninsula」。ただそれだけです。不遜すぎます。

シンガポールのラッフルズもペナンのイースタン&オリエンタルもホーチミンのマジェスティックも「ホテル」が付くんですよ。「ホテル」が付かなくとも、バンコクのマンダリン・オリエンタルなんかは複数の言葉で名称が成り立ってます。同じようなところはバンコクのスコータイだけかも。「The」も付きませんね。

さて、ここで沢木氏はレセプションに近づき香港の地図をもらいました。一応、「フリー?ただ?」ときいたところが旅の第一歩である香港ともいえましょう。

1年以上もの長旅に出るのに、ガイドブックがありません。あるのはアジアやヨーロッパの地図が数枚。ま、考えてみれば、当時のガイドブックは使い物にならないし、それも全部用意するとなると、とんでもない荷物になりますから、至極当然ですね。

さて、ここはロビーでアフタヌーンティを頂くことができます。ワタクシも不遜にも頂いたことがあるのです。凄く前だったので、値段は忘れました。今なら数千円単位するんじゃないでしょうか。もったいない。

そのロビーにいると、オーケストラがバロック音楽などを流します。CDなどの効果音ではなく、ロビー上部にあるテラスのようなところで実際に楽器を持った人たちが演奏をしているのです。アフタヌーンティを頂くところからは見えませんが、ある角度からは手の動きなどがわずかに見て取れます。

いやー、なんて不遜なところなんでしょう。泊まってみたいけど、絶対泊まらないでしょう。

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<YMCA>K-7/DA21mm

こちらは、そのペニンシュラの隣にあるYMCAです。重慶マンションに1泊した沢木氏はここで1泊の値段をきき、どうしようかと思っていると、欧米系のバックパッカーから部屋をシェアしないかと提案されます。

でも、結局は泊まることはありませんでした。

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<YMCAのレセプション>K-7/DA21mm

YMCAと名乗りながらも、相当なホテルです。おそらく世界各地にあるYMCAの中でも最も高額なのではないかと思います。

YMCAはかつて油麻地にもありました。そちらの方がこの尖沙咀のYMCAより安く、手軽に利用できました。ワタクシも2度ほど利用したことがあります。でも、そちらはYMCAであることをやめて、普通のホテルに変わり名称も変更されています。

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<路上で文字を書く人>K-7/DA21mm

重慶マンションのあたりには、路上にチョークで美しい文字を書く物乞いがいたそうです。

ここは香港島の巨大歩道橋の一角です。もちろん直接文字を書いてしまったら、排除されてしまう可能性があり、この人はシートの上で文字を書いています。

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<廟街>K-7/FA50mm

沢木氏はここに偶然入り込み、入り浸ることになります。大沢たかおもロケをしていました。沢木氏の時代は香港のガイドブックには「危険なので行くべきではない」などと書いてあったそうです。

まあ、まともに取材していない証拠ですね。当時は健在であった九龍城の方が無法地帯で黒社会の人たちが跋扈していたはず。

沢木氏はおそらく1ヶ月以上香港に滞在していたようですが、新界方面には行かなかったようです。

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<アバディーン>K-7/DA21mm

そのかわり、香港島の香港仔に行き、水上生活者の子供たちと遊んだりしました。今は再開発され、面影もありません。

26歳でしたから、毎日が発見、毎日が驚きだったんでしょうね。

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2016年12月15日 (木)

Hotel Majestic Saigon

深夜特急の足跡を追うVol.25 番外編

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<憧れのドンコイ通り1番地>K-7/DA50-200mm

サイゴンで最後に泊まったのはここでした。通常宿の予約ははじめの方から埋めていくんですが、今回ばかりはここが最初です。

それはなぜってもうおわかりでしょうが、沢木耕太郎氏が泊まったからです。

 しかし、外観はさほど立派なものではなかったが、中に入るとロビーはクラシックな雰囲気で満たされていた。天井からはシャンデリアが下がり、木製の自動ピアノがショパンを演奏している。レセプションにいる女性はアオザイを着ており、柔らかい物腰でチェックインの手続きをしてくれた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

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<レセプション>GR DIGITAL

わたしゃ、1泊9000円ちょっとなので思い切って予約しました。あ、でもAgodaのポイントもつけてですから、もうちょっと高いかもしれません。

そう、外観はあまり冴えない感じです。ペニンシュラやラッフルズよりは威圧感が少ないですね。でも、中は割といい感じです。チェックインすると、手続きをしてくれたアオザイ女性がそのまま部屋に案内してくれました。

タクシーを降り、キャリーバッグを持ってはいるのですが、すぐにベルボーイが荷物をキープします。荷物はあとから届けられました。

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<例のピアノ>GR DIGITAL

ショパンはかかっていなかったような。

パッケージツアーを使っていたときには格のあるホテルにも泊まった経験はあります。でも、格があって歴史もあるクラシックホテルにはあまり経験がありません。もちろん、個人旅行をするようになってからは、コストパフォーマンス重視ですから、せいぜいバンコクのセンターポイントくらいです。それも割安な時間帯を狙ってですね。

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<ベッド>GR DIGITAL

案内された部屋は2階でした(日本式に数えるなら3階)。開業は1925年とE&Oとかペニンシュラ、ラッフルズよりは新しいですね。

でも、ベトナム戦争時代は各国のジャーナリストたちが宿泊し、歴史をかいま見たホテルですから、ペナン、シンガポール、香港の英国系コロニアルホテルよりも意味があるところかもしれません。

ここには旧館と新館があるのですが、旧館でした。沢木さんも旧館だったそうです。

扉を開けると、エントランスの小部屋があり、それと区切られたかたちでベッドルームがある。そこには木製の大きな机が据え付けられており、布張りのソファーとテーブルもセットされている。テーブルの上には籠に入った果物とミネラル・ウォーターがのっていてマネージャーからの手紙が差し込まれている。床も木でできているが、歩くとギシギシというようなことはなく、きれいに磨き上げられている。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

んー、残念ながら「エントランスの小部屋」はなかったです。やっぱりマジェスティックで一番グレードの低い部屋ですね。それでも満足です。

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<フルーツ>GR DIGITAL

ランブータンとバナナは食べました。ま、昼食替わりということで。マネージャーからの手紙はありませんでしたね。そのかわりなんでしょうか、テレビをつけるとメッセージが流れました。これに取って代わっているんでしょうかね。

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<浴室>GR DIGITAL

広いです。この旅で初めてバスタブに湯を溜めてゆっくりと浸かりました。

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<ネーム入り>GR DIGITAL

これは土産になりますね。ミネラルウォーターはここにありました。トイレは当然シャワートイレです。

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<金の蛇口>GR DIGITAL

決して嫌味じゃないセンスです。洗面台も同様です。

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<クッキーと蘭>GR DIGITAL

ブンダウマムトムを食べて戻ると、ベッドメイキングされていて、こんなものが置いてありました。

沢木さんはサイゴン川に面したリバーサイドの部屋で、バルコニーが付いていたそうです。わたしゃ、プール側の部屋でバルコニーはありません。窓を開けるといきなり廊下で、ずっとカーテンをしていました。ま、ケチったから仕方ありません。

部屋にはもちろんWiFiがあります。というか、全館WiFi。大きな声ではいえませんが、パスワードがかかっていません。たぶんないと思いますが、WiFiのない宿に泊まった場合、マジェスティックのロビーに入り込めば、ネットにつながります。

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<プール>K-7/DA50-200mm

小さなプールです。ホテルの内側にあります。プールサイドにいても景色は見えず客室ばかりが見えることになります。ここにもバーがあるそうです。

朝食は「なし」にしました。食べたい場合はプラス20ドルだとか。予約段階で朝食付きにしてもよかったかな。でも、ローカル朝食の誘惑に負けました。単なるケチともいいますが。

今回客室まわりを紹介しましたが、続編もあります。

今日のベトナム人

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<マスク屋の姉さん>GR DIGITAL

ベンタイン市場の中で衣類専門の店です。かなり面白い柄のマスクを見つけたので購入したついでに撮らせてもらいました。

こうしてみると、ベトナム人はスリム系が多いですね。

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2016年11月12日 (土)

キムカフェで朝食

深夜特急の足跡を追うVol.24 番外編

ハノイに発つ朝、Kim Cafeに行くことにしました。朝食を食べようと思ったのです。B級グルメの巨匠、kimcafeさんにいわれたからではなく、これもまた深夜特急がらみなのです。

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<キムカフェ>K-7/DA50-200mm

「えっ?沢木耕太郎は深夜特急でベトナムに行ってないじゃん」との指摘が聞こえてきそうです。だから番外編。沢木さんは「深夜特急」の続編ともいえる「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」という著書があり、ファングーラオ界隈に泊まり、キムトラベル(当時はキムカフェ)のツアーとオープンバスツアーに参加しているのです。

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<メニュー>GR DIGITAL

旅行会社がキムトラベルと改称しても、付属のカフェはそのままキムカフェを名乗っています。ちなみにシンカフェはシンツーリストに改称しました。カフェ部門はどこかへ消えてしまったようです。

キムカフェの従業員は店番のおじさんと若い娘でした。他に客はいません。一応メニューを開きこれらを朝食にします。

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<カフェスア>GR DIGITAL

やはり起きたあとは苦みの強いホットですね。ここもアルミフィルターが活躍です。それにしても大型のポットまで付いてきました。必要ないですが。

でも、ここのコーヒーは本当に少しだけでした。その点は残念です。

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<オムレツ>GR DIGITAL

チーズオムレツにしたら、チーズは別添えでした。それにバゲットです。特に感動する味じゃありませんね。ファランの皆さんはこういう料理で一安心なんでしょうけど。これもミッションの辛さですよ。

合計68,000ドンです。しっかりツーリスト価格です。

さて、ここからが本題です。

 七時、バックパッカーの溜まり場であるファングーラオ通りにある安ホテルを出て、角をひとつ曲がっただけの距離にあるキムカフェに向かった。七時半に出発ということだったので、隣のレストランで食事をしながら待つことにしたのだ。
 キムカフェの事務所にバックパックを置かせてもらい、隣のレストランでオムレツとパンとリプトンティーを頼んだ。
(中略)
 ようやくオムレツとパンが出てきたときには出発の五分前になっていた。私は早めに金を払うと、バゲットとコッペパンの中間の形をしたパンにナイフで切れ目を入れ、そこにオムレツをはさみ、チリソースをかけた。いつでもそれを手に飛び出せるような態勢を整えたのだ。幸い、最後の一口を食べ終わったところにバスが横づけされたので、ほとんど一番にバスへ乗り込むことができた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

旅行会社のキムカフェ,つまり今のキムトラベルの隣のレストランといえば、ここしかございません。そしてオムレツとパンです。パンの形も合ってますね。まあ、ワタクシはリプトンティー(ベトナムでは紅茶をこう呼ぶらしいです)ではなく、ベトナムコーヒーにしたのですが。

この描写はホーチミンからハノイへのオープンツアーバスに乗り込むところなんですが、その数ヶ月前、カントーまでの1泊2日のツアーにもキムカフェで申し込んでいます。そのときも、ここで紅茶を飲みながら待っていたようです。

間違いないですね。やった!

また番外編があるかもしれません。

今日のベトナム人

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<アイスクリーム屋>K-7/DA50-200mm

統一会堂前で営業していた屋台のアイスクリーム屋。購入してからお願いしてこちらから撮らせてもらいました。

でも、視線をはずすんだよな。カメラ目線の来ない民族、それは中国人であることが多いんですが。中国人はカメラ目線よりもキメのポーズに集中していることが多いです。

まあ、遙か昔、ベトナムがフランスに植民地化される前は半分中国みたいなものでしたが。

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2016年6月11日 (土)

ベラビスタホテルを探す

深夜特急の足跡を追うVol.23

沢木耕太郎氏は香港で金宮招待所(実際は金屋招待所)に偶然滞在していました。ある日、日帰りか1泊の予定でマカオにも滞在することになります。

 メイン・ストリートらしき道をさらに真っすぐ行けば、マカオで最も繁華な一帯に出そうだということはわかっていたが、私は南湾街を左に折れてみた。道の向こうに小高い丘が見えたからだ。丘に登ってそう広くもなさそうなマカオを眺め渡してみたいと思った。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

この丘はペンニャの丘のことです。丘の頂点にはペンニャ教会があり、南欧風の街並みが続きます。

以前の訪問でペンニャ教会を訪れたことがあり、このあたりの眺めは覚えているのです。また、「深夜特急」には当時の地図が付いていて(正式な地図ではなく編集で付け加えられたもの)、沢木氏が投宿したベラビスタホテルあたりには、現在のガイドブックではリビエラホテル・マカオというものがありました。

このあたりを確認しようと思ったのです。

 洋館に魅かれて坂を登ったり下ったりしているうちに、とりわけ古めかしい三階建ての家の前に出てきた。どうやら、それは普通の住宅ではなく、ホテルらしい。
 ベラ・ビスタ・ホテル。いかにも格式のありそうな雰囲気を漂わせている。私には無縁のホテルだ、と通りすぎて、まてよ、と思った。別に、入ってみるだけのことに金を取ろうとは言わないだろうから、内部の造りだけでも見学していったらどうだろう。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

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<政府綜部>K-7/DA21mm

かつてのポルトガル総督府。同じ建物を中国政府が利用しています。この通りを進むとペンニャの丘の麓にたどり着きます。

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<三階建ての洋館>K-7/DA21mm

丘への道からすぐに見上げると薄いクリーム色に塗られた建物が出現します。条件はぴったり。

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<ベラビスタホテル跡>K-7/DA21mm

現在は使われていないようです。営業は1999年まで。つまりはマカオが中国に返還されたときまでです。

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<領事の住居>K-7/DA15mm

普通ならば取り壊されるところでしょうが、なんと、ポルトガル領事が住居にしているとのことです。

現在はまったく入り込める余地がありません。でも入ると、崖沿いの庭園からマカオの海が眺められるはずです。

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<ベラビスタホテル>K-7/DA21mm

当時の宿泊料金、値切って40パタカ、約2400円だそうです。

謎として、あれだけ安宿にこだわった沢木氏が、別の安宿に行かなかったことがあります。今でも重慶大廈並みの安宿はあるんですが。

もしかすると、フェリーターミナルでホテル込みのチケットを購入し、ここに来たのかも。当時でも、重厚な造りではあったものの、ベッドの下ではゴキブリが蠢くという記述もありますから。

実は以前にペンニャの丘を訪ねたとき、この建物が気になっていたのですね。「あれはもしかして…」と。でも、旅に「深夜特急」を持参しなかったし、何回も読み返してみて、ここだろうなと思っていたのです。

けっこう達成感ありますね。

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2016年6月 5日 (日)

賽の踊り

深夜特急の足跡を追うVol.22

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<グランド・リスボア>K-7/DA21mm

いよいよマカオのカジノです。3日間通って見ましたが、初日は一銭も賭けずに様子を探りました。

マカオには無数のカジノがありますが、マカオ半島に滞在しているのならば、リスボアの周辺にかたまっています。あと、ちょっと離れてポンテ16。あとはコロアネ島とタイパ島の間の埋め立て地、「コタイ地区」にあります。

また、沢木耕太郎が勝負してほとんどツキのなかった船上カジノはすでにありません。

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<ポンテ16>K-7/DA21mm

船上カジノがあったあたりが、このポンテ16近くと推測します。

バクチをやるのですが、スロットマシンから、ブラックジャック、ルーレット、バカラとありますが、やっぱりわかりやすい大小に挑戦します。

沢木さんの時代は近所の主婦が10パタカを握りしめて帰って行くなどという描写もあります。ですが、今やカジノはマカオの生命線でもあり、あのラスベガスを抜いてしまった一大産業なのです。

最低掛け金というものがあり、ワタクシが見たものでは100~300パタカとなっていました(スロットマシンを除く)。リスボアの入口近くが100の台が並んでいます。グランドリスボアは300でした。

さらに上階に行けば、そんなものでは済まない掛け金の台があるに違いありません。

資金は1000HKDです。現金乱れ飛びという描写もありましたが、基本的にチップを使います。ただ、最初に入っていくときはディーラーに札を出してチップと交換してもらえます。写真撮影現金です。以前はカメラチェックもありましたが、なくなりました。

翌日、500のチップから挑戦します。基本大か小に張っていきます。ぞろ目はほとんど出ません。ねらい打ちなんてとんでもありません。勘の勝負ですが、出る目がけっこう不自然なんです。連続して大とか、交互とか。大に100を賭けて勝っても倍になって帰ってくるだけ。やっと1000になっても、すぐにツキがなくなります。この日はチップが綺麗になくなって、やめました。

そしてまた次の日。再び500からスタート。ずっと張らずにたまに様子見で賭けないこともありました。

と、突然、最低掛け金が200に上がったんです。しょうがないから200でやりましたよ。これはなんとかしのぎ、長い時間をかけてようやく1000になったところで終了。プラスマイナスゼロ。

やはり場が熱くなって、盛り上がってきた台では意表をついた目を出すことがあります。やっぱり資金があればなあ。これもすぐには出さずにちょっとタイミングをずらして出ます。

それにしても普段着の中国人、3晩とも目撃した人がいました。かなりの金を持っていて、台を掛け持ちしていたりして、数ヶ所に複数のチップを置きます。これがけっこう当たってしまうんだな。

あれ、資金洗浄ということにも使えますね。今回は沢木さんも挑戦したリスボアで大小をやるという目的でしたが、次に行ったら、また通ってしまいそうです。

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2016年1月20日 (水)

廟街の大型屋台

深夜特急の足跡を追うVol.21

沢木さんは熱に浮かされたように中環のミッドレベルを歩き回ったあと、金宮招待所にいったん戻ってからネイザンロード(彌敦道)を北上し、ジョーダンロード(佐敦道)を左折し港まで出たようです。

現在のジョーダンロードが海にぶつかるのは、エアポートエクスプレスの九龍駅よりも先ですから、かなりの距離を歩いたと思われそうですが、このあたりの地形は埋め立て地だと推測します。現在の油麻地に埠頭はなく、海岸線もだいぶ手前にあったと思われます。

そこから帰りは油麻地あたりに出て、廟街にぶつかることになります。

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<廟街の鳥居風の門>K-7/FA77mm

当時まともなガイドブックはなく、廟街という存在もまったく知られていなかったはずです。もちろん「地球の歩き方」が創刊されたのはずっと後です。とはいえ、「深夜特急」が新聞連載されたのが旅から戻って10年くらい経ってからですから、ほぼ同時期に廟街を日本に紹介することになったようです。

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<居眠りする古書店の主人>K-7/DA21mm

廟街は露店が建ち並ぶところですが、夕方からテントが歩道を占め、どうにか人の行き来ができる道がテントの間にできあがります。

それらのテントはほとんどが衣料品や雑貨です。沢木さんははじめにここに遭遇して、ぶっ飛んだようです。

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<ヒスイ屋台>K-7/DA21mm

また、占いだけをやるブースもありました。ワタクシが訪れたときにはあいにくと小雨で、「香港的美空雲雀」などの芸人は出ていませんでした。

そんな合間に食べ物の屋台や食堂もあります。成り立ちがテントでありながら、水道設備と調理場を持つけっこう大きな常設の屋台を大牌檔(機種依存文字です。「木」へんに「當」)と呼びます。一応、香港の行政に許可を受けて営業するもので、メニューだけは一般の酒楼(レストラン)と変わらないものを頼むことができます。

沢木さんはその大牌檔でチャーシュー飯を食べたようです。ではワタクシも頂いてみましょう。2度目だけど。

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<定番の生力>GR DIGITAL

入ったのは「得記海鮮大牌檔」というところで、これまた2度目。隣にも同じような大牌檔があるのですが、出される料理や衛生状態、混み具合などから自主的に判断してこちらにしました。

メニューも壁に書いてあったりしますが、写真付きのものがあり、これならば指さしで大丈夫です。まずは定番のサンミゲル(生力)です。600mlくらいの中瓶なんですが、ボトル部分がずんぐりしていて、日本のメーカーの中瓶とは形状が違いますね。

それにしても、なぜ、フィリピンのビールが香港ではメジャーなんでしょうね。誰か知っていたら教えてください。また、近年の大陸中国人の進出のためか、青島もありました。

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<白灼蝦>GR DIGITAL

まずはエビのシンプルな塩ゆでです。殻をはずし醤油につけて食べるだけです。20~30尾はありました。ここに来たというのは、記事を書くためというのもありますが、やはりひとりだとまともなレストランには入ることができないからです。

中華料理はスケールメリットのある料理で、人数が増えるほどたくさんの種類のものをほどよく食べることができます。ひとりや二人だと、金はかかるは、食べ残すはでメリットがないのです。でも、ここならば、低料金でほどよい量が食べられます。(もっとも、近年のレストランでは二人用の「二人世界」なんてセットもありますが。)

エビですが、料金もあって、大酒楼のエビよりも落ちますかね。どんどん殻がたまってくるんです。でも、殻用の皿はありませんし、食べ終わったときのお茶を入れたフィンガーボウルも用意されません。せいぜいテーブルの上にあるトイレットペーパーで手をぬぐう程度です。

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<チキンポット>GR DIGITAL

ポットには煲仔という文字を当てます(機種依存文字です。「保」が上で「火」が下)。近くには煲仔飯という、土鍋の炊き込みご飯の店がありますが、こちらは鉄の鍋でした。

ほどよくレバーも入りますが、肉の部分はほとんど骨付きでした。その他ネギと白菜が入ります。食べにくいんですよ。手もべとべとになるし。豚肉や牛肉のポットもあるので、そちらならば小骨もないでしょう。

「ご飯はいらないの?」ときかれましたが、もうこれで腹一杯です。料金180HKD。安いですね。

ちなみに前回のメニューはこれ

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2016年1月10日 (日)

陸羽茶室に潜り込む

深夜特急の足跡を追うVol.20

今回ワタクシが旅先を香港・マカオにしたのは、深夜特急探索隊としてのミッションを帯びていたからです。ま、そればかりじゃないんですけどね。

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<陸羽茶室>K-7/DA21mm

ということで、昼食はここで飲茶です。問題となるのは、お茶の代金だけで32HKDという、高額な設定の老舗で、人気があるためひとりで果たして入店できるのかということです。

 彼が案内してくれたのは、陸羽茶室という広東料理の老舗だった。しかし、その名店は、調度こそ重厚だったが、サービスには妙に格式ばったところがなく、実質一本槍なのがいっそ気持よかった。ディナーはまた別なのだろうが、近くの商店主やサラリーマンで満員になる昼は、メニューといってもザラ紙に印刷された品書きが出てくるだけだ。客はそこに自分たちの食べたい物の数を書き入れていく。(後略)
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

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<店内>K-7/DA21mm

予約もせずに突入してみました。ここは創業1933年。歴史のあるところです。ですが、現在はオーナーが替わり、味が落ちたという話も。とはいえ、沢木さんが落馬州(「深夜特急」では鞍馬州と記載)の国境展望台に一緒に出掛けた張君と翌日会食したところです。

当時はターバンを巻いたインド人のドアマンがいたようです。今もインド顔のドアマンはいましたが、ターバンは巻いていませんでした。インド人かどうかもちょっとわからないです。店内大混雑です。「ひとり」と指を立てると、「ちょっと待って」とレジ横の椅子に待つよう指示されました。それから10分ほどでご案内です。

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<お茶は普洱>i Phone5c

お茶はもちろん香港でもっともよく飲まれている普洱(機種依存文字です。さんずいに「耳」、いわゆるプーアール茶、広東語ではポーレイ)にします。

 茶はポットに入ってくる。茶碗は小ぶりで、はじめ飲むときには熱湯の入った容器で洗ってから使う。ポットはふたを開けておけば何回でも注ぎ足してくれ、何十杯でも飲むことができる。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

確かに、分厚いメニューはなく(頼めば出すそうですが)、ザラ紙があるだけです。想像力を働かせて、豉汁蒸肉排(機種依存文字です。「豆」へんに「支」)、山竹牛肉球、蒸蘿蔔糕(機種依存文字です。「米」へんに「羔」)を選び、紙に記入してウェイターに渡します。

今では飲茶もオーダーシート式ですが、陸羽でも10:00以前は駅弁売りスタイルでテーブルを回るそうです。

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<湯葉巻き牛肉シュウマイ>GR DIGITAL

まずやってきたのがこれ。蒸籠に入って熱々です。それにお茶と合うんだな。美味いです。画像は2個だけですが、ひとつ食べてしまったあとです。腹減っていたもので。

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<豚肉スペアリブトウチー蒸し>GR DIGITAL

お皿だけのようですが、蒸籠でやって来ます。これまた熱々。トウチーというのが調味料のひとつで黒大豆を発酵させたものが原料だそうで。トウチーはたぶん初めて味わうものでしたが、この料理に関しては想像通りでした。少しだけ骨がありましたが、美味いです。

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<蒸しダイコン餅>GR DIGITAL

これまた想像通りの料理でしたが、味わうのが初めてです。中国ハムとエビが入っていました。かなりジューシーで美味しかったです。

ちなみに焼いたダイコン餅もあるそうですが、そちらはハイカロリーです。

老舗であり、料金も高く、香港人が気軽に立ち寄る店ではないようです。この時間帯は観光客が半分くらいを占めていたようですが、朝などは常連客が2階に通されるそうで。その常連というのが、企業家や高給取りのビジネスマンのようです。

 点心を四種、野菜と肉の炒め物、魚の油煮、中国式ヌードル、中国式パイ。料理の名前はわからないが、とにかく満足するまで食べて、二人で二十ドル、千二百円にしかすぎないのだ。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

と、このように書いている沢木氏ですが、1HKDが60円だったのですね。香港が高度成長を遂げるのがこのずっと後ですから、張君はカリフォルニア留学してアメリカ資本の銀行に勤めているくらいなので、当時としても相当なエリートだったと思われます。

ちなみに気になる料金は194.7HKDでございました。また、この店では2002年に金銭トラブルで客が中国から来たヒットマンに暗殺されています。その18番テーブル(常連はいつもの席につく)は撤去されていないそうで、ここに座りたがる地元の人はいないそうです。何も知らない観光客がよくそこに案内されるそうで。オレじゃないだろうな。

この話は後日知りました。

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2015年3月30日 (月)

大沢たかお、バンコクの宿

深夜特急の足跡を追うVol.19

「劇的紀行・深夜特急」で大沢たかおがドンムアン空港で出会ったタイ人の大学生に連れてこられた宿があります。そこでは結局原作のように、ボーイたちに「レディいらないか」攻撃に遭い、すぐにカオサンに行ってしまうという設定でしたが。

ここは映像でばっちり映っていて、「Suriwongse Hotel」と読めるのです。大学生によればこの界隈の名前は「パッポン。日本の店がたくさんあるよ」とのこと。

ま、そんなわけでシーロムあたりに実在するホテルだと思っていました。この旅のために「歩き方・バンコク」を購入したと報告しましたが、そこに掲載されていました。おまけにシーロム界隈の屋台の紹介とともに、パッポンやタニヤの拡大図まであり、スリウォン・ホテルの場所までばっちり載っていたのですね。

こりゃ行くしかないでしょう。

Lp1478

<朝のパッポン>K-7/DA21mm

見事にお店は閉店してます。って、歓楽街ですから。ファラン向けの店の前にあったテーブルには布製のコースターがそのまま置かれていました。

宿はスリウォン通り側にありました。

Lp1471

<看板>K-7/DA21mm

右手がスリウォン通りです。この路地を入っていきます。このあたりでメモなんぞを取っていると、怪しい人物が近づいてきて朝っぱらからその手のお誘いを仕掛けてきますが、ほとんどは詐欺みたいなものでしょう。無視して歩きます。

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<ここだ>K-7/DA21mm

映像ではかなりの規模のホテルに見えたのですが、小さいです。左側には併設された建物がありますが、なんと、ボーイズ・ゴーゴー・クラブだそうで。これは見事に映っていませんでしたね。

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<入口>K-7/DA21mm

実はWebサイトもあって、ホテル側のレートでは1泊1200バーツから。一番良い部屋は4900バーツとのことですが、眉唾物かも。旅行会社を通せばかなり安くなると思います。

Suriwongse Hotel
31/1, 33 Suriwong Rd.
Tel 0-2266-8257~60

このあと、カオサンに宿替えするのですが、そのときの宿はKhaosan Privacyとなっています。しかし、この宿はもう現在ありません。

メイキング映像を添付してみました。冒頭はスリウォン・ホテルだと思いますが、このシーンは本編には登場しません。その他興味深いシーンもあります。

とりあえず、バンコクでのミッション、ある程度果たせたかも。

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2015年1月13日 (火)

東屋の下で

深夜特急の足跡を追うVol.18 世界のミネラルウォーターVol.13

ターティアンまでやってきたのはワット・ポーを訪れるためでした。なんとですよ。入場料100バーツになっていました。一昔前、初めてここを訪れたときは、入場料20バーツでした。今から6年ほど前は50バーツに値上がり。それほどありがたいか、涅槃仏といったところです。

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<タイでもっとも有名なリクライニングブッダ>K-7/FA35mm

すごい混雑です。確かにバンコクでも有数の観光スポットではあるのですが、こんなに混んでいたというのは記憶にありません。ま、考えてみれば、混雑する乾季にバンコク有数の観光スポットを訪れたというのが久しくなかったです。

観光はしても、高額な入場料を取る場所を避けて、ひたすらマイナースポットを回っていたともいえます。観光客は圧倒的に欧米からのツアー客が多いです。いわゆるファランです。

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<靴の袋>K-7/FA35mm

この涅槃物の入る建物には裸足になる必要があるのですが(靴下可)、靴やサンダルを預からなくなってしまいました。各自でこんな袋に入れて、あとで袋だけ返却するのです。観光客が多すぎて、下駄箱が足りなくなってしまったのではと推測します。

そのかわり、この建物にはいるときのチケットチェックがなくなりました。と、いうことは、コンタイに紛れて入場し、○△見することも可能かと。よい子は真似してはいけません。

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<ミネラルウォーター付き>K-7/DA21mm

そして100バーツの見返りにか、ミネラルウォーターと交換できる紙片がチケットに付いていました。そこらのミネラルウォーターじゃなくて、ワット・ポー特製、入口の守り神と本堂の写真が印刷されたビアチャーン・ウォーターです。

冷たくていいんですけど、かさばるので、持参のペットボトルに注ぎ足しました。

まだ旅に出て最初の方だったので、思わず真面目に観光しそうになってしまいました。わざわざここに来たのは深夜特急のミッションなのです。

深夜特急のここの描写はかなり長く、引用するにはちょっと骨なので、簡略して書くと、以下のようになります。

ある日、ワット・ポーまでやって来ると、見知らぬ夫人から手招きされついて行ってみると、宗教的儀式が行われているところでした。そこで僧侶による「金撒き」が行われましたが、沢木さんはお金を拾うことができず、近くにいた女子学生4人組が差し出すお金をもらうことにし、しばし彼女らと英語を介して簡単なタイ語のレッスンをすることになります。

翌日もここで彼女らに会うという約束をし、沢木さんは再びワット・ポーに現れますが、女子学生は姿を見せず、日本語学校に通うサングラスの生地屋の男性と対峙するという下りです。

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<東屋>K-7/DA21mm

大沢たかお扮する「劇的紀行・深夜特急'96」でも、ワット・ポーはでてきて、金撒きやサングラスの男性は省略されているものの、こんな東屋の下で女子大生とタイ語のレッスンをすることになります。

お礼にサイトゥン(ビニール)入りのカフェ・イェーン5人分を買って戻ると、彼女たちは姿を消していたというオチです。

ただこれだけなんですけどね。ワタクシにとっては重要です。

涅槃仏の入る建物と本堂の間にはこのような東屋が3つくらいあります。特定することは難しかったですが、ここかなー。

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<これもタンブン>K-7/DA21mm

今度来るときには、タンブンしていきましょうかね。瓦に願い事を書いて、いずれ屋根に飾ってもらうというものです。入場料くらいだったらタンブンしてもいいや。

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