カテゴリー「Midnight Express」の30件の記事

2018年3月10日 (土)

同樂旅社に潜入してみる

深夜特急の足跡を追うVol.30

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<Kafe Golde Apple>KP/DA21mm

 さらに歩いていくと、かなり安そうな旅館が見つかった。同楽旅社、とあるからには華僑が経営する宿なのだろうが、どこか当たり前の旅社とは異なる奇妙な雰囲気が漂っている。それは広い前庭の奥に建っているということもあったが、なにより一階がバーになっているということが大きかった。
(沢木耕太郎「深夜特急」娼婦たちと野郎どもから引用)

もう何度も書いていますが、沢木耕太郎氏はペナンで同楽旅社という宿に長期滞在しました。2013年に訪れた時、ここを何とか探し当てたかったのですが、無理でした。「深夜特急」の中で、ジョージタウンのフェリー乗り場から、ここにたどり着くまでの記述から推測したところでは、チュリア通りとシントラ通りあたりの周辺なのではと勝手に思っていたのですね。

その後ネット検索すると、Tune Hotelの向かいに名前を変えて今もあるということでしたので、またしてもペナンに行く動機のひとつとなったのです。

うーん、ここか。

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<裏側>KP/DA21mm

ともあれ、現在は宿としての営業はすでに終わっていますので、とりあえず周囲を観察します。

入口側の外壁は塗りなおされていましたが、脇はこんな感じです。

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<一部トタン外壁>KP/DA21mm

1996年放送の「劇的紀行・深夜特急」でも、ここが舞台になっていまして、その時の外壁の色は白でした。

沢木氏は2階の「通りに面した部屋」に泊まったとあります。部屋にいると前庭にいた若者が沢木氏を呼ぶという記述がありますので、1枚目の画像のアーチの上にある部屋を使用していたようです。

部屋にはシャワーもトイレもなく、共同のものを使っていたようです。劇的紀行・深夜特急でもこのトタンの部分から突き出たところが水場のようになっていましたので、ここにマンデールーム(浴室)とトイレがあったのでしょう。

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<タイガー小瓶>i Phone5c

宿がラングーン通りにあったものでしたから、この前は何度も通りました。

夕刻を過ぎると前庭は真っ暗です。暗い中女性の話し声も聞こえます。ご存知の通り、沢木氏の時代の同楽旅社はバーと宿という形態ではあったものの、実態は娼館でした。

その後、宿は廃業になりバーとしてのみ生き残って来たようです。でも、実態は変わらないみたいですね。

まあ、眺めているだけではしょうがないので、寝釈迦寺院の帰りに立ち寄ってみました。ビールの小瓶が17リンギットです。フードコートの倍の価格です。

 
内部は真っ暗でして、どちらにせよあやしげなので、カメラはバッグにしまってスマホだけを頼りにしばらく滞在しました。
 
すると、撮影に気づいた女性が近寄ってきて、やんわりと注意します。ここで働いているのはベトナム女性が多いとのことです。ここらで退散しますか。
 
女性たちと意気投合すれば、2階に行けるはずです。第3の旅でペナンを訪れるはずのkimcafeさんにあとはお任せしましょう。カラオケもあるみたいですよ!

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2018年1月10日 (水)

チュラロンコン大学のフードコート

深夜特急の足跡を追うVol.29

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<チュラロンコン大学>KP/DA18-50mm

バンコクに舞い戻りました。バンコクには4泊することになります。前半のバンコクではタマサート大学に行ったので、チュラロンコン大学に行くことにします。

深夜特急の中で、沢木耕太郎氏はシープラヤー通りのタイ人向け旅社に泊まりしばしば、チュラロンコン大学の学生食堂で食事をしたという記述がみられます。

宿のあるプロンポンからサヤームに出ます。サヤームスクエアを抜けると校舎が見えてきます。2015年の年頭、やはりチュラ大の学生食堂に向かったことがあります。その時はあまりにも学生食堂にこだわりすぎて、大学の中ほどにある門から入り込もうとしましたが、ほぼすべての門が閉まっていてミッション・インポシブルだったのです。

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<フードコート>KP/DA18-50mm

門を入り、すぐに購買部のようなところにたどり着きました。なんか普段着の人たちが買い物をしています。学生向けのはずですが、ほかで買うよりちょっと安いからか、いろいろな人が利用しています。

そこを抜け階段を降りるとすぐにフードコートにたどり着きました。ここも一般人であふれかえっています。購買部もフードコートもいってみれば業者が入っていますから、たくさん売れれば細かいことはいわないですね。マイペンライでございます。

まだ、朝食を食べたばかりなので構内を歩き回ります。

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<健康器具>KP/DA18-50mm

ここも一般人が使っています。まあ、大学生は授業もあるでしょうから、まるで姿が見えません。

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<学生>KP/DA50-200mm

おお、やっと学生がいました。ここは普通に木製のテーブルと椅子が置いてあるスペースです。大学生になっても、基本、白シャツと黒のパンツかスカートですから、高校生くらいにしか見えませんね。

でも、この人たちはタイの最難関大学に入る頭脳があるのですね。また、そこまでたどり着くには相当な投資が必要なわけで、この人たちは良家のお坊ちゃんやお嬢さんでもあるわけです。

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<掲示板?>KP/DA50-200mm

こういうものもありました。何気に英語で書かれていますよ。

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<マンゴージュース>i Phone5c

フードコートに戻りますが、まだ腹がすかないので、カップに果物を入れたものを直接ミキサーにかける店でジュースにしてもらいました。20バーツと確かに安いです。

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<食事中>KP/DA18-50mm

そのうち授業が終わったのでしょうか、学生たちが繰り出してきます。

それにしても、エリートは辛いですね。夏でも、長袖のシャツです。女子は半袖ブラウスなのでちょっとは楽かもしれません。

沢木氏はここで食事をしていると、隣の学生に話しかけられたそうです。当時起こっていた民主化要求デモの影響でしょうか、反日的な批判をされたようです。沢木氏がドンムアン空港で100円玉と1バーツ硬貨を交換したキャン君も大学生でしたが、ほとんど英語は話せなかったようです。タイ語ができない沢木氏に英語で政治の話をする。やはりエリートですね。

当時の民主化要求デモはチュラロンコン大学の学生やタマサート大学の学生が、権力と戦い、それを迎え撃ったのが職業学校の学生だったようです。

これを現代に置き換えてみると、どうでしょう。いわゆる赤シャツ派と黄シャツ派のことです。おそらく、この学生たちは持っている利権を維持する黄色い方に加担するでしょう。

今日のコンタイ

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<モタサイ信号待ち>KP/DA18-50mm

ちょっとわかりにくいと思いますが、これは歩道橋の真下なんです。停止線より少し前に出た状態。つまり、普通の位置で信号待ちをすると太陽がまともに当たって暑いですよね。

少しでも涼しいところで信号待ちをするという、タイ人ならではの思考の一つです。

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2017年8月31日 (木)

タマサート大学に潜入

深夜特急の足跡を追うVol.28

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<チャオプラヤー川>KP/DA18-50mm

バンコク3日目のことです。当初はパックローン市場に行くつもりでしたが、チャオプラヤー・エクスプレスボートが通常ならば停船するはずの船着き場に止まらず、ター・チャーンというところで降りることになりました。

オレンジ船なんですが、明らかにオレンジ船の運行ルートと異なり、ター・チャーンの前は対岸のワット・アルンに止まりました。通常であれば、ワット・ポー近くのター・ティアンというところのはずです。

この理由はおそらく、プミポン前国王の弔問と関係しているようです。ター・チャーンはワット・プラケーオと王宮に近いです。ター・チャーンで降りると黒服の人たちでごった返していました。

さて、どうするか。ラッキーなことに少し歩いたところにタマサート大学があるのです。ここで、「劇的紀行・深夜特急'96」のロケをしていました。それは、大沢たかおが学食で食事をするというシーンですがほんの一瞬です。

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<タマサート大学>KP/DA18-50mm

原作では沢木耕太郎氏はタマサート大学ではなくライバルのチュラロンコーン大学で学生に混じりよく食事をしたという記述があります。

沢木氏はシープラヤー通りのタイ人向けの旅社らしきところに長逗留していました。一方、大沢たかおらはカオサンがベースでしたので、学生に混じって食事をするシーンは近くのタマサート大学が都合がよったと考えられます。

いくら20年以上前のタイでも撮影には許可がいるでしょうが、割と簡単にできたのではないかと思います。あるいは、無許可でビデオをまわした可能性もあります。それくらいあっけなく大学に入り込めるのは当時も今も同じです。

マハラートの門から入ると、整然としたキャンパスが続きます。さらに奥の方に行くと、東屋やベンチも現れます。外の空気に触れながら自習をすることもできます。もちろん学生が多いのですが、近所のオッサンなども涼を取っていたりします。

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<吹き抜けの一角>KP/DA18-50mm

吹き抜けのような一角にテーブルと椅子が並ぶところに出ました。ここで自習や談笑する学生もいます。数名は食事をしています。食事を提供するようなところはありませんが、ありませんが、食べ物の匂いが漂ってきます。

大沢たかおもこんなテーブルで食事をしていました。

さらに歩くと、食堂らしきところに出ました。

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<フードコート>KP/DA18-50mm

おお、これです。学生食堂には違いありませんが、画像の右側にはいくつかの店があり、ここで口頭注文してセルフでテーブルに運び食べることができます。では、ワタクシも。

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<バミーナーム>GR DIGITAL

無難にバミーの全部のせにしてみました。30バーツと格安です。国立大学に通う学生向けなのでこの値段ですかね。でも、タマサート大学は超エリート校で、金持ちでないとここまで辿り着けないです。

こういう値段でもあることから、ワタクシのように明らかに学生でない人間もここで食事をしています。…というか、誰も気にしません。

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<拡大>GR DIGITAL

フードコートなので、テーブルには麺用の調味料4種は置いてありません。店の近くに用意されていますので、写真を撮る段階で唐辛子なども投入されたあとです。

具は、魚肉のルークチンと、豚肉のルークチン。かまぼこ風の魚のつみれ、おこし風の米の加工品、モヤシなどの野菜です。豚肉のルークチンは挽き肉を固めたような感じで、粗挽きのルークチンといった感じです。値段の割りに具だくさんで、割と美味かったです。

でも、量は少ないですね。

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<フードコートに集う人々>i Phone5c

もちろん学生はいますが、よく見ると黒服の人が多いです。タイの大学生は上は白のワイシャツと校章入りのネクタイ、下は黒のスラックスと決まっています。女子は白のブラウスとなり下は黒のスカートで、校章入りのベルトを巻きます。

学生が私服で大学に来ても授業を受けられないくらい、この制服は徹底しています。従って上下黒服は一般人で、王宮に弔問に行く人たちですね。

その他普段着の人もいます。タマサート大学の「学生向け食堂」には違いありませんが、近所の人にとっては便利なフードコートですね。

それから、「劇的紀行・深夜特急」の映像を見ると、大沢たかおが食事をしているのは木製のテーブルでした。先ほどの吹き抜けのところですね。大々的にロケをすると面倒なので、吹き抜けのところにスタッフと俳優を待機させ、フードコートから食事を運んで撮影したのかもしれません。

今日のコンタイ

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<チャオプラヤー・エクスプレスボートの料金係>KP/DA18-50mm

数年前はオレンジ色のポロシャツでしたが、また制服が変更になったようです。制服が変更になっても、小銭の入った金属の筒を鳴らしながら人々の間を回るので、すぐにわかりますね。

ちなみにサートーンの乗り場では事前にチケットを売るようになりましたが、船内ではこの人の検札を受ける必要があります。チケットといってもバスのやつと同じです。金属の筒を開いてチケットに切れ目を入れます。これまたバスと同じです。

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2017年7月20日 (木)

香港の沢木氏ダイジェスト

深夜特急の足跡を追うVol.27

ますますネタがなくなってきました。枯渇の一歩手前です。

古い写真でひとつひねり出しました。

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<ロールスロイス>K-7/DA21mm

香港はその面積の割りにロールスロイスなど、希少な超高級車が頻繁に目撃できるところです。人口比にして台数がかなり多いらしいです。それだけ破格の金持ちがたくさんいるかららしいですが、中国が介入してきてその構図は変化が出てきましたかね。

余談です。やはり超高級車を製造するイタリアですが、街中でフェラーリ、ランボルギーニ、マセラッティなどほとんど見かけることはありません。

で、こういうクルマが止まっているところは、泣く子も黙るペニンシュラなんです。

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<ペニンシュラ>K-7/FA50mm

何たってホテルという名称がつきません。「The Peninsula」。ただそれだけです。不遜すぎます。

シンガポールのラッフルズもペナンのイースタン&オリエンタルもホーチミンのマジェスティックも「ホテル」が付くんですよ。「ホテル」が付かなくとも、バンコクのマンダリン・オリエンタルなんかは複数の言葉で名称が成り立ってます。同じようなところはバンコクのスコータイだけかも。「The」も付きませんね。

さて、ここで沢木氏はレセプションに近づき香港の地図をもらいました。一応、「フリー?ただ?」ときいたところが旅の第一歩である香港ともいえましょう。

1年以上もの長旅に出るのに、ガイドブックがありません。あるのはアジアやヨーロッパの地図が数枚。ま、考えてみれば、当時のガイドブックは使い物にならないし、それも全部用意するとなると、とんでもない荷物になりますから、至極当然ですね。

さて、ここはロビーでアフタヌーンティを頂くことができます。ワタクシも不遜にも頂いたことがあるのです。凄く前だったので、値段は忘れました。今なら数千円単位するんじゃないでしょうか。もったいない。

そのロビーにいると、オーケストラがバロック音楽などを流します。CDなどの効果音ではなく、ロビー上部にあるテラスのようなところで実際に楽器を持った人たちが演奏をしているのです。アフタヌーンティを頂くところからは見えませんが、ある角度からは手の動きなどがわずかに見て取れます。

いやー、なんて不遜なところなんでしょう。泊まってみたいけど、絶対泊まらないでしょう。

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<YMCA>K-7/DA21mm

こちらは、そのペニンシュラの隣にあるYMCAです。重慶マンションに1泊した沢木氏はここで1泊の値段をきき、どうしようかと思っていると、欧米系のバックパッカーから部屋をシェアしないかと提案されます。

でも、結局は泊まることはありませんでした。

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<YMCAのレセプション>K-7/DA21mm

YMCAと名乗りながらも、相当なホテルです。おそらく世界各地にあるYMCAの中でも最も高額なのではないかと思います。

YMCAはかつて油麻地にもありました。そちらの方がこの尖沙咀のYMCAより安く、手軽に利用できました。ワタクシも2度ほど利用したことがあります。でも、そちらはYMCAであることをやめて、普通のホテルに変わり名称も変更されています。

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<路上で文字を書く人>K-7/DA21mm

重慶マンションのあたりには、路上にチョークで美しい文字を書く物乞いがいたそうです。

ここは香港島の巨大歩道橋の一角です。もちろん直接文字を書いてしまったら、排除されてしまう可能性があり、この人はシートの上で文字を書いています。

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<廟街>K-7/FA50mm

沢木氏はここに偶然入り込み、入り浸ることになります。大沢たかおもロケをしていました。沢木氏の時代は香港のガイドブックには「危険なので行くべきではない」などと書いてあったそうです。

まあ、まともに取材していない証拠ですね。当時は健在であった九龍城の方が無法地帯で黒社会の人たちが跋扈していたはず。

沢木氏はおそらく1ヶ月以上香港に滞在していたようですが、新界方面には行かなかったようです。

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<アバディーン>K-7/DA21mm

そのかわり、香港島の香港仔に行き、水上生活者の子供たちと遊んだりしました。今は再開発され、面影もありません。

26歳でしたから、毎日が発見、毎日が驚きだったんでしょうね。

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2016年12月23日 (金)

エムバーに行ってみた

深夜特急の足跡を追うVol.26 番外編

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<ホテルマジェスティック>GR DIGITAL

いよいよ旅レポ最終回です。

沢木耕太郎氏はマジェスティックの屋上にあるバーをよく訪れていました。ということで、ワタクシも潜入いたします。

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<エムバー>GR DIGITAL

 ホテルの部屋に戻り、シャワーを浴びてから、屋上のテラスに出た。そこは屋根のあるバー・カウンターとオープン・エアーの部分に分かれており、オープン・エアーのステージではラテンのバンドによる生演奏が行われていた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

沢木さんが毎日のように訪れたのは、「ブリーズスカイバー」でした。そちらは旧館にあり、上がってみるとレストランっぽい感じでした。すでに予約客でいっぱいで、あまり気軽に利用できそうになく、もうひとつある新館のエムバーに行ってみました。

 席は前日と同じくオープン・エアーのサイゴン河を見下ろせるところに坐った。何を呑もうかと考えていると、ボーイが持ってきてくれたメニューの中に「ミス・サイゴン」という名のカクテルがあるのが眼に留まった。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

場所は異なるのですが、雰囲気はとても似ています。ワタクシもサイゴン川が見下ろせるところに座りました。

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<サイゴン川>i Phone5c

高めの椅子に丸いテーブルです。後ろからは日本語が聞こえます。こうしたところで酒を飲む、いいですね。値段とかはあまり気にしないようにしました。おそらく東京のバーで飲むよりは安いかと。

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<ミスサイゴン>GR DIGITAL

頼んだのはミスサイゴンです。皮付きのピーナッツ付きです。

 出てきたミス・サイゴンは、スピリッツにライムを絞り込み、甘みを加えるために何らかのリキュールを数滴たらしたものだった。しかし、そのリキュールが何なのかは、私の粗雑な舌では識別できなかった。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

そう、ワタクシもわかりませんでした。しかしそんなことはどうでもいいじゃありませんか。夜風に吹かれ、気分はいいです。

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<ジャックダニエル>GR DIGITAL

2杯目はバーボンを頂きます。これまたいいですね。

合計380,000ドンです。でも、サイン払いですよ。一回これやってみたかったんですよね。

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<ホー・チ・ミン・は何思う>GR DIGITAL

長々とレポートしてきたインドシナ横断旅もこれで終了です。まだまだあるんですが、いつの日かまた披露していきたいと思います。

それにしても、ベトナムの発展、ホー・チ・ミンは想像できていたでしょうか。いや、ベトナムだけでなく、カンボジアも凄いことになっています。タイはこのあと国王崩御でまた展開が変わりそうですね。

御拝読ありがとうございました。このあと間をおくことなく、台湾南部の現地レポを開始予定です。こちらもよろしくです。

今日のベトナム人

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<達筆>K-7/DA50-200mm

今やベトナムはアルファベットと記号による表記になっていますが、その昔は中国の支配ということもあり、漢字を使用していました。また、チュノムという漢字を組み合わせた独特の文字を使用していた時代もありました。

ま、おそらく中国系の老人、えらく達筆です。ハノイの文廟にて。

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2016年12月15日 (木)

Hotel Majestic Saigon

深夜特急の足跡を追うVol.25 番外編

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<憧れのドンコイ通り1番地>K-7/DA50-200mm

サイゴンで最後に泊まったのはここでした。通常宿の予約ははじめの方から埋めていくんですが、今回ばかりはここが最初です。

それはなぜってもうおわかりでしょうが、沢木耕太郎氏が泊まったからです。

 しかし、外観はさほど立派なものではなかったが、中に入るとロビーはクラシックな雰囲気で満たされていた。天井からはシャンデリアが下がり、木製の自動ピアノがショパンを演奏している。レセプションにいる女性はアオザイを着ており、柔らかい物腰でチェックインの手続きをしてくれた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

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<レセプション>GR DIGITAL

わたしゃ、1泊9000円ちょっとなので思い切って予約しました。あ、でもAgodaのポイントもつけてですから、もうちょっと高いかもしれません。

そう、外観はあまり冴えない感じです。ペニンシュラやラッフルズよりは威圧感が少ないですね。でも、中は割といい感じです。チェックインすると、手続きをしてくれたアオザイ女性がそのまま部屋に案内してくれました。

タクシーを降り、キャリーバッグを持ってはいるのですが、すぐにベルボーイが荷物をキープします。荷物はあとから届けられました。

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<例のピアノ>GR DIGITAL

ショパンはかかっていなかったような。

パッケージツアーを使っていたときには格のあるホテルにも泊まった経験はあります。でも、格があって歴史もあるクラシックホテルにはあまり経験がありません。もちろん、個人旅行をするようになってからは、コストパフォーマンス重視ですから、せいぜいバンコクのセンターポイントくらいです。それも割安な時間帯を狙ってですね。

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<ベッド>GR DIGITAL

案内された部屋は2階でした(日本式に数えるなら3階)。開業は1925年とE&Oとかペニンシュラ、ラッフルズよりは新しいですね。

でも、ベトナム戦争時代は各国のジャーナリストたちが宿泊し、歴史をかいま見たホテルですから、ペナン、シンガポール、香港の英国系コロニアルホテルよりも意味があるところかもしれません。

ここには旧館と新館があるのですが、旧館でした。沢木さんも旧館だったそうです。

扉を開けると、エントランスの小部屋があり、それと区切られたかたちでベッドルームがある。そこには木製の大きな机が据え付けられており、布張りのソファーとテーブルもセットされている。テーブルの上には籠に入った果物とミネラル・ウォーターがのっていてマネージャーからの手紙が差し込まれている。床も木でできているが、歩くとギシギシというようなことはなく、きれいに磨き上げられている。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

んー、残念ながら「エントランスの小部屋」はなかったです。やっぱりマジェスティックで一番グレードの低い部屋ですね。それでも満足です。

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<フルーツ>GR DIGITAL

ランブータンとバナナは食べました。ま、昼食替わりということで。マネージャーからの手紙はありませんでしたね。そのかわりなんでしょうか、テレビをつけるとメッセージが流れました。これに取って代わっているんでしょうかね。

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<浴室>GR DIGITAL

広いです。この旅で初めてバスタブに湯を溜めてゆっくりと浸かりました。

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<ネーム入り>GR DIGITAL

これは土産になりますね。ミネラルウォーターはここにありました。トイレは当然シャワートイレです。

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<金の蛇口>GR DIGITAL

決して嫌味じゃないセンスです。洗面台も同様です。

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<クッキーと蘭>GR DIGITAL

ブンダウマムトムを食べて戻ると、ベッドメイキングされていて、こんなものが置いてありました。

沢木さんはサイゴン川に面したリバーサイドの部屋で、バルコニーが付いていたそうです。わたしゃ、プール側の部屋でバルコニーはありません。窓を開けるといきなり廊下で、ずっとカーテンをしていました。ま、ケチったから仕方ありません。

部屋にはもちろんWiFiがあります。というか、全館WiFi。大きな声ではいえませんが、パスワードがかかっていません。たぶんないと思いますが、WiFiのない宿に泊まった場合、マジェスティックのロビーに入り込めば、ネットにつながります。

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<プール>K-7/DA50-200mm

小さなプールです。ホテルの内側にあります。プールサイドにいても景色は見えず客室ばかりが見えることになります。ここにもバーがあるそうです。

朝食は「なし」にしました。食べたい場合はプラス20ドルだとか。予約段階で朝食付きにしてもよかったかな。でも、ローカル朝食の誘惑に負けました。単なるケチともいいますが。

今回客室まわりを紹介しましたが、続編もあります。

今日のベトナム人

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<マスク屋の姉さん>GR DIGITAL

ベンタイン市場の中で衣類専門の店です。かなり面白い柄のマスクを見つけたので購入したついでに撮らせてもらいました。

こうしてみると、ベトナム人はスリム系が多いですね。

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2016年11月12日 (土)

キムカフェで朝食

深夜特急の足跡を追うVol.24 番外編

ハノイに発つ朝、Kim Cafeに行くことにしました。朝食を食べようと思ったのです。B級グルメの巨匠、kimcafeさんにいわれたからではなく、これもまた深夜特急がらみなのです。

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<キムカフェ>K-7/DA50-200mm

「えっ?沢木耕太郎は深夜特急でベトナムに行ってないじゃん」との指摘が聞こえてきそうです。だから番外編。沢木さんは「深夜特急」の続編ともいえる「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」という著書があり、ファングーラオ界隈に泊まり、キムトラベル(当時はキムカフェ)のツアーとオープンバスツアーに参加しているのです。

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<メニュー>GR DIGITAL

旅行会社がキムトラベルと改称しても、付属のカフェはそのままキムカフェを名乗っています。ちなみにシンカフェはシンツーリストに改称しました。カフェ部門はどこかへ消えてしまったようです。

キムカフェの従業員は店番のおじさんと若い娘でした。他に客はいません。一応メニューを開きこれらを朝食にします。

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<カフェスア>GR DIGITAL

やはり起きたあとは苦みの強いホットですね。ここもアルミフィルターが活躍です。それにしても大型のポットまで付いてきました。必要ないですが。

でも、ここのコーヒーは本当に少しだけでした。その点は残念です。

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<オムレツ>GR DIGITAL

チーズオムレツにしたら、チーズは別添えでした。それにバゲットです。特に感動する味じゃありませんね。ファランの皆さんはこういう料理で一安心なんでしょうけど。これもミッションの辛さですよ。

合計68,000ドンです。しっかりツーリスト価格です。

さて、ここからが本題です。

 七時、バックパッカーの溜まり場であるファングーラオ通りにある安ホテルを出て、角をひとつ曲がっただけの距離にあるキムカフェに向かった。七時半に出発ということだったので、隣のレストランで食事をしながら待つことにしたのだ。
 キムカフェの事務所にバックパックを置かせてもらい、隣のレストランでオムレツとパンとリプトンティーを頼んだ。
(中略)
 ようやくオムレツとパンが出てきたときには出発の五分前になっていた。私は早めに金を払うと、バゲットとコッペパンの中間の形をしたパンにナイフで切れ目を入れ、そこにオムレツをはさみ、チリソースをかけた。いつでもそれを手に飛び出せるような態勢を整えたのだ。幸い、最後の一口を食べ終わったところにバスが横づけされたので、ほとんど一番にバスへ乗り込むことができた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

旅行会社のキムカフェ,つまり今のキムトラベルの隣のレストランといえば、ここしかございません。そしてオムレツとパンです。パンの形も合ってますね。まあ、ワタクシはリプトンティー(ベトナムでは紅茶をこう呼ぶらしいです)ではなく、ベトナムコーヒーにしたのですが。

この描写はホーチミンからハノイへのオープンツアーバスに乗り込むところなんですが、その数ヶ月前、カントーまでの1泊2日のツアーにもキムカフェで申し込んでいます。そのときも、ここで紅茶を飲みながら待っていたようです。

間違いないですね。やった!

また番外編があるかもしれません。

今日のベトナム人

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<アイスクリーム屋>K-7/DA50-200mm

統一会堂前で営業していた屋台のアイスクリーム屋。購入してからお願いしてこちらから撮らせてもらいました。

でも、視線をはずすんだよな。カメラ目線の来ない民族、それは中国人であることが多いんですが。中国人はカメラ目線よりもキメのポーズに集中していることが多いです。

まあ、遙か昔、ベトナムがフランスに植民地化される前は半分中国みたいなものでしたが。

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2016年6月11日 (土)

ベラビスタホテルを探す

深夜特急の足跡を追うVol.23

沢木耕太郎氏は香港で金宮招待所(実際は金屋招待所)に偶然滞在していました。ある日、日帰りか1泊の予定でマカオにも滞在することになります。

 メイン・ストリートらしき道をさらに真っすぐ行けば、マカオで最も繁華な一帯に出そうだということはわかっていたが、私は南湾街を左に折れてみた。道の向こうに小高い丘が見えたからだ。丘に登ってそう広くもなさそうなマカオを眺め渡してみたいと思った。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

この丘はペンニャの丘のことです。丘の頂点にはペンニャ教会があり、南欧風の街並みが続きます。

以前の訪問でペンニャ教会を訪れたことがあり、このあたりの眺めは覚えているのです。また、「深夜特急」には当時の地図が付いていて(正式な地図ではなく編集で付け加えられたもの)、沢木氏が投宿したベラビスタホテルあたりには、現在のガイドブックではリビエラホテル・マカオというものがありました。

このあたりを確認しようと思ったのです。

 洋館に魅かれて坂を登ったり下ったりしているうちに、とりわけ古めかしい三階建ての家の前に出てきた。どうやら、それは普通の住宅ではなく、ホテルらしい。
 ベラ・ビスタ・ホテル。いかにも格式のありそうな雰囲気を漂わせている。私には無縁のホテルだ、と通りすぎて、まてよ、と思った。別に、入ってみるだけのことに金を取ろうとは言わないだろうから、内部の造りだけでも見学していったらどうだろう。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

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<政府綜部>K-7/DA21mm

かつてのポルトガル総督府。同じ建物を中国政府が利用しています。この通りを進むとペンニャの丘の麓にたどり着きます。

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<三階建ての洋館>K-7/DA21mm

丘への道からすぐに見上げると薄いクリーム色に塗られた建物が出現します。条件はぴったり。

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<ベラビスタホテル跡>K-7/DA21mm

現在は使われていないようです。営業は1999年まで。つまりはマカオが中国に返還されたときまでです。

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<領事の住居>K-7/DA15mm

普通ならば取り壊されるところでしょうが、なんと、ポルトガル領事が住居にしているとのことです。

現在はまったく入り込める余地がありません。でも入ると、崖沿いの庭園からマカオの海が眺められるはずです。

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<ベラビスタホテル>K-7/DA21mm

当時の宿泊料金、値切って40パタカ、約2400円だそうです。

謎として、あれだけ安宿にこだわった沢木氏が、別の安宿に行かなかったことがあります。今でも重慶大廈並みの安宿はあるんですが。

もしかすると、フェリーターミナルでホテル込みのチケットを購入し、ここに来たのかも。当時でも、重厚な造りではあったものの、ベッドの下ではゴキブリが蠢くという記述もありますから。

実は以前にペンニャの丘を訪ねたとき、この建物が気になっていたのですね。「あれはもしかして…」と。でも、旅に「深夜特急」を持参しなかったし、何回も読み返してみて、ここだろうなと思っていたのです。

けっこう達成感ありますね。

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2016年6月 5日 (日)

賽の踊り

深夜特急の足跡を追うVol.22

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<グランド・リスボア>K-7/DA21mm

いよいよマカオのカジノです。3日間通って見ましたが、初日は一銭も賭けずに様子を探りました。

マカオには無数のカジノがありますが、マカオ半島に滞在しているのならば、リスボアの周辺にかたまっています。あと、ちょっと離れてポンテ16。あとはコロアネ島とタイパ島の間の埋め立て地、「コタイ地区」にあります。

また、沢木耕太郎が勝負してほとんどツキのなかった船上カジノはすでにありません。

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<ポンテ16>K-7/DA21mm

船上カジノがあったあたりが、このポンテ16近くと推測します。

バクチをやるのですが、スロットマシンから、ブラックジャック、ルーレット、バカラとありますが、やっぱりわかりやすい大小に挑戦します。

沢木さんの時代は近所の主婦が10パタカを握りしめて帰って行くなどという描写もあります。ですが、今やカジノはマカオの生命線でもあり、あのラスベガスを抜いてしまった一大産業なのです。

最低掛け金というものがあり、ワタクシが見たものでは100~300パタカとなっていました(スロットマシンを除く)。リスボアの入口近くが100の台が並んでいます。グランドリスボアは300でした。

さらに上階に行けば、そんなものでは済まない掛け金の台があるに違いありません。

資金は1000HKDです。現金乱れ飛びという描写もありましたが、基本的にチップを使います。ただ、最初に入っていくときはディーラーに札を出してチップと交換してもらえます。写真撮影現金です。以前はカメラチェックもありましたが、なくなりました。

翌日、500のチップから挑戦します。基本大か小に張っていきます。ぞろ目はほとんど出ません。ねらい打ちなんてとんでもありません。勘の勝負ですが、出る目がけっこう不自然なんです。連続して大とか、交互とか。大に100を賭けて勝っても倍になって帰ってくるだけ。やっと1000になっても、すぐにツキがなくなります。この日はチップが綺麗になくなって、やめました。

そしてまた次の日。再び500からスタート。ずっと張らずにたまに様子見で賭けないこともありました。

と、突然、最低掛け金が200に上がったんです。しょうがないから200でやりましたよ。これはなんとかしのぎ、長い時間をかけてようやく1000になったところで終了。プラスマイナスゼロ。

やはり場が熱くなって、盛り上がってきた台では意表をついた目を出すことがあります。やっぱり資金があればなあ。これもすぐには出さずにちょっとタイミングをずらして出ます。

それにしても普段着の中国人、3晩とも目撃した人がいました。かなりの金を持っていて、台を掛け持ちしていたりして、数ヶ所に複数のチップを置きます。これがけっこう当たってしまうんだな。

あれ、資金洗浄ということにも使えますね。今回は沢木さんも挑戦したリスボアで大小をやるという目的でしたが、次に行ったら、また通ってしまいそうです。

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2016年1月20日 (水)

廟街の大型屋台

深夜特急の足跡を追うVol.21

沢木さんは熱に浮かされたように中環のミッドレベルを歩き回ったあと、金宮招待所にいったん戻ってからネイザンロード(彌敦道)を北上し、ジョーダンロード(佐敦道)を左折し港まで出たようです。

現在のジョーダンロードが海にぶつかるのは、エアポートエクスプレスの九龍駅よりも先ですから、かなりの距離を歩いたと思われそうですが、このあたりの地形は埋め立て地だと推測します。現在の油麻地に埠頭はなく、海岸線もだいぶ手前にあったと思われます。

そこから帰りは油麻地あたりに出て、廟街にぶつかることになります。

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<廟街の鳥居風の門>K-7/FA77mm

当時まともなガイドブックはなく、廟街という存在もまったく知られていなかったはずです。もちろん「地球の歩き方」が創刊されたのはずっと後です。とはいえ、「深夜特急」が新聞連載されたのが旅から戻って10年くらい経ってからですから、ほぼ同時期に廟街を日本に紹介することになったようです。

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<居眠りする古書店の主人>K-7/DA21mm

廟街は露店が建ち並ぶところですが、夕方からテントが歩道を占め、どうにか人の行き来ができる道がテントの間にできあがります。

それらのテントはほとんどが衣料品や雑貨です。沢木さんははじめにここに遭遇して、ぶっ飛んだようです。

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<ヒスイ屋台>K-7/DA21mm

また、占いだけをやるブースもありました。ワタクシが訪れたときにはあいにくと小雨で、「香港的美空雲雀」などの芸人は出ていませんでした。

そんな合間に食べ物の屋台や食堂もあります。成り立ちがテントでありながら、水道設備と調理場を持つけっこう大きな常設の屋台を大牌檔(機種依存文字です。「木」へんに「當」)と呼びます。一応、香港の行政に許可を受けて営業するもので、メニューだけは一般の酒楼(レストラン)と変わらないものを頼むことができます。

沢木さんはその大牌檔でチャーシュー飯を食べたようです。ではワタクシも頂いてみましょう。2度目だけど。

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<定番の生力>GR DIGITAL

入ったのは「得記海鮮大牌檔」というところで、これまた2度目。隣にも同じような大牌檔があるのですが、出される料理や衛生状態、混み具合などから自主的に判断してこちらにしました。

メニューも壁に書いてあったりしますが、写真付きのものがあり、これならば指さしで大丈夫です。まずは定番のサンミゲル(生力)です。600mlくらいの中瓶なんですが、ボトル部分がずんぐりしていて、日本のメーカーの中瓶とは形状が違いますね。

それにしても、なぜ、フィリピンのビールが香港ではメジャーなんでしょうね。誰か知っていたら教えてください。また、近年の大陸中国人の進出のためか、青島もありました。

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<白灼蝦>GR DIGITAL

まずはエビのシンプルな塩ゆでです。殻をはずし醤油につけて食べるだけです。20~30尾はありました。ここに来たというのは、記事を書くためというのもありますが、やはりひとりだとまともなレストランには入ることができないからです。

中華料理はスケールメリットのある料理で、人数が増えるほどたくさんの種類のものをほどよく食べることができます。ひとりや二人だと、金はかかるは、食べ残すはでメリットがないのです。でも、ここならば、低料金でほどよい量が食べられます。(もっとも、近年のレストランでは二人用の「二人世界」なんてセットもありますが。)

エビですが、料金もあって、大酒楼のエビよりも落ちますかね。どんどん殻がたまってくるんです。でも、殻用の皿はありませんし、食べ終わったときのお茶を入れたフィンガーボウルも用意されません。せいぜいテーブルの上にあるトイレットペーパーで手をぬぐう程度です。

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<チキンポット>GR DIGITAL

ポットには煲仔という文字を当てます(機種依存文字です。「保」が上で「火」が下)。近くには煲仔飯という、土鍋の炊き込みご飯の店がありますが、こちらは鉄の鍋でした。

ほどよくレバーも入りますが、肉の部分はほとんど骨付きでした。その他ネギと白菜が入ります。食べにくいんですよ。手もべとべとになるし。豚肉や牛肉のポットもあるので、そちらならば小骨もないでしょう。

「ご飯はいらないの?」ときかれましたが、もうこれで腹一杯です。料金180HKD。安いですね。

ちなみに前回のメニューはこれ

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