カテゴリー「Sports」の6件の記事

2014年6月21日 (土)

ワールドカップの想い出

世の中ワールドカップ一色ですね。もちろんサッカーのFIFAワールドカップですが。ワールドカップ期間は6月あたりと決められているため、旅先での本戦の想い出ではありません。

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<発見のモニュメント>MZ-3/FA35mm

2001年の春、ポルトガルはエヴォラという地方都市におりました。エヴォラ大学という中世から続いている大学都市です。ここでアンコウを使った料理を堪能し、宿に戻りました。

ふと、テレビをつけると、サッカーの試合をやってました。あまり興味がなかったので、流す程度にしていました。試合が終わったようです。その瞬間、近くの部屋から大歓声が。なんだと、テレビをよく見ると、ポルトガルとオランダの試合だったようで、スコアまでは覚えていませんでしたが、ドロー、引き分けに終わったようです。

それでも、歓声が上がったということは、ポルトガルが有利に展開したということでしょう。どうやら、2002年のFIFAワールドカップ、日韓大会のヨーロッパ予選だったようです。本大会には、ポルトガルは出場し、オランダは予選敗退だったようです。

イギリスでも、ビッグ・ベンの対岸でシャッター押しを頼んだ男性がこちらの出身をきいてきて、「今度のワールドカップは日本でやるね」などといわれました。そのときは、「フットボール」という言葉が出たので、一瞬なんのことかわからなかったのですが。

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<草サッカー>K7/DA21mm

アジアのサッカー後進国、日本。コートジボワールに逆転負け。次のギリシア戦はスコアレスドローと、瀬戸際まで追い込まれました。予選最終戦はコロンビアが相手。

なんか、決勝トーナメントに進めないと、暴動でも起きそうな感じですが、ワタクシ的には次で日本代表が自分たちのやりたいサッカーを見せてくれればよいと思っています。ジーコジャパンのドイツ大会の時には、がっかりでしたけど。

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2009年3月30日 (月)

暴走バイクに出迎えられ

ようやくですが、年末年始の旅レポ開始します。

ベトナムに行こうと思ったのは、夏の旅の続きがしたくなったからかもしれない。まあ、続きというよりは、メコンの河口部を見たくなったのだ。

さて、ベトナム航空の共同運航便(機材は日本航空)でホーチミンのタンソンニャット国際空港に何とか到着した。それでもほとんど深夜である。何事もなくイミグレと税関を通過。両替を済ませる。このところの日本円の高騰でかなり得した気分である。

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<空港のディスプレイ>GR DIGITAL

宿に向かうためにタクシーを探す。だが見つからず、ようやく見つけたドライバーは30ドルもぼったくろうとする。しょうがないので、もう一度空港の建物に入り、プリペイドタクシーを利用しようとした。だが、係は「外で探すように」との一点張りで、らちがあかない。

もう一度、タクシー乗り場付近に行ってみる。そこには日本人の夫婦がいて、彼らもタクシーが捕まらずに困っているようであった。また声をかけてきたドライバーがいて、相場(80,000ドンくらい)よりも高かったものの、200,000ドンで手を打った。ただし、これで3名分ではなく、それぞれから200,000ドン取るのである。

もちろん、ベトナムでもタクシーはメーター制である。こんなに強気になっている訳はなんなのだと思っていたら、この日ベトナムとタイのサッカーの試合があり、引き分けたのだという。引き分けなんだが、これは意味のあることらしく、空港までやってくるタクシーはほとんどないとのことらしい。

これは帰国日に空港で出会った日本人に聞いたところでは、東南アジアのカップ戦、スズキカップでベトナムはタイにアウェーで勝ち、ホームでこの日引き分け初の優勝を決めたらしい。その日本人は空港からタクシーに乗ったものの、市内の中心で車が渋滞により動かなくなり、2時間我慢したものの、歩いて宿に向かったのだとか。

空港近くはこれが首都だとは思えないほどの暗さではあったが、順調に進む。やがてバイクが増えてくる。これは想定済みである。だが、交差点で信号待ちをするたびにバイクの数は増えていき、バイクに取り込まれるようになってしまった。それになんだか様子がおかしい。バイクに乗った連中は勤め帰りといったわけでもなく、旗などを掲げているし、ペットボトルの空瓶を二つ併せ持ち、それを叩いて騒いでいる。もちろん二人乗り、三人乗りは当たり前である。

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<翌日の街角にて>MZ-3/35mm/E100VS

この連中はベトナムの優勝に触発されて、出てきたらしい。市街の中心部に進むに連れて、ますますバイクが増えてくる。いずれも、勝利に酔いしれている。

それでも何とか、宿まで到着した。しかし、部屋の窓を通しても通りの騒ぎはいつまでも聞こえてくる。この喧噪に迎えられ、ベトナムに到着したのだ。もちろん、翌朝も通りの騒音で目を覚ました。まあ、馬鹿騒ぎは終わっていたのであるが。

Postscript スキャンはまだまだあります。とりあえず初レポートはこれで。ちなみに、メインカメラのMZ-3にはE100VSを使用。サブのGR1sに2本ほどEBXを使用したあと、Neopan Acrosに切り替えました。フィルムが足りなくなり、MZ-3にも2本ほどEBXを使いました。そして、GR DIGITALは、食事や室内で活躍。といった具合でした。

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2008年11月18日 (火)

Olympic A Go Go

ご存知、北京オリンピックは自分の旅の期間まるまる行われている。開会式は、中国にとって縁起のいい数字8にちなみ、2008年8月8日午後8時より行われた。その時間はとあるレストランにいたのだが、従業員全員がテレビの前に勢揃いして開会式を見出す。何とか会計をすませて、宿に戻ってきたが、狭いフロントに黒山の人だかりであった。ここでも、開会式を見る人があふれていた。んー、部屋にテレビはあるはずなのだが。

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<テレビでの開会式>GR DIGITAL

国の威信をかけたオリンピック。今回ばかりは、中国国内の少数民族問題を内包し、いっそう政治色の強いオリンピックであった感が強い。オリンピック中継は連日報道されていた。自分が中国にいる間に北島康介が金メダルを獲得したはずなのだが、そのシーンを見かけることはなかった。自分が見た範囲ではテロップが流れたのみである。それはたまたまなんだろうが。唯一見かけた日本人選手の活躍は、バドミントンのオグシオが中国ペアに敗れるシーンだけであった。

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<スローガン>GR1s/T-MAX100

国の威信をかけたオリンピックにしては比較的地味なスローガン。だが、町のあちこちにこういったものがあった。

もちろん、国民の関心も高い。宿のテレビは中国各地の放送が入るようになっていて、これをチェックしてみると、すべてがオリンピック中継というわけでもない。まったく関係のない放送を続ける局もあったことはあった。また、開会式の間は町から人気がなくなるかとも思っていたが、出歩く人もかなりいた。関係ないという人もいたことに、ある程度ほっとした。

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<オリンピック仕様のジャージ>GR DIGITAL

その後も旅を続け、ラオスに出てもオリンピック中継をやっていた。ラオスは中国に比べると放送局も少ないものの、いまや衛星放送を誰もが受信できる時代。受信料を払うとか専属の局と契約するとか、そういった煩雑な手続きはいっさいないのだろう。そうした面では日本よりも進んでいると感じる。

もちろん、ラオスの放送局もオリンピック中継を流していただろうが、ウドムサイで「今日本がサッカーをやっている」と言われ眺めた画面は、中国の放送であった。その後極端に情報が少なくなったものの、ネットカフェなどでチェックをしつつ旅を続けたのであった。同じアジアで行われているオリンピックであったが、まったく自宅で見ることなく終了してしまい、まるで遠いところで行われている一大イベントなのだと強く感じた。

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2007年7月13日 (金)

続ローラン・ギャロス

テニスのフレンチ・オープン会場、ローラン・ギャロスにはいくつかのコートがあります。このうち決勝が行われるのは、フィリップ・シャトリエ・コート。元国際テニス連盟会長の名前を冠したコートです。もちろん、スタジアム付きで、ここだけは公開されていません。ただし、スタンドの途中までは登ることができて、覗き窓のようなところからはコートの一部がちらりと見えます。ここができたのは、1995年のことなので、ボルグやレンドルはプレーしていません。

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<フィリップ・シャトリエ・コート>MZ3/35mm/Fujicolor Superia100

ここに隣接するコートが、スザンヌ・ランラン・コート。スザンヌ・ランランとは1920年代に活躍したフランス人女子選手。フレンチとウィンブルドンシングルスとダブルス6勝ずつ。つまり、24タイトルも取っています。ここには、スタンド部分に入場可能でした。

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<スザンヌ・ランラン・コート>MZ3/35mm/Fujicolor Superia100

正面のレリーフがスザンヌ・ランランです。その他、No1コートも、入場可能。まあ、これらがスタンドを持つ重要な選手が登場するコートですね。しかし、大会の本戦はシングルスで128選手つまり1回戦では64試合行われるため、これらのコートだけでは大会運営ができません。さらに付け加えると、シングルスには男女双方があり、これに加えてそれぞれのダブルスとミックス・ダブルスの試合もあります。そのため、スタンドのないただの番号だけが振られたコートも存在します。こんなところでは、大会のない日でもジュニアたちが練習していました。

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2007年7月10日 (火)

ローラン・ギャロス

テニスのウィンブルドン選手権が終わったところで、本日はテニスの話題です。といっても、その前に行われたフレンチ・オープンの会場、ローラン・ギャロスを訪れた時の話。1ヶ月くらい前にアップすればよかったかな。

ローラン・ギャロスとはフランスの飛行家の名前で、地中海横断飛行に成功などの業績をたたえ、現在の全仏オープン会場の名前に命名されたものである。同じく飛行家のサン・テグジュペリよりも一世代前の方ですね。

ここは、パリ郊外のブローニュの森の中にあり、地下鉄10号線Porte D'Auteuilから徒歩10分程度。ここにはテニス博物館が併設され、料金7.5ユーロ。会場内を歩くだけなら料金はいりません。全仏オープンを行ういくつかのスタジアムにも入ることができます。

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<四銃士とデビスカップのモニュメント>MZ3/35mm/Fujicolor Superia100

センターコート前にあるのが、フランス四銃士と彼らによって獲得されたデビスカップのモニュメント。四銃士とはジャン・ボロトラ、ジャック・ブルニョン、アンリ・コシェ、ルネ・ラコステの4人。彼らの活躍によって、1927-1932年の間フランスはデビスカップ6連覇を達成しています。もちろん、四大トーナメントでも多数のタイトルを獲得しています。

博物館内は歴代優勝者の写真パネル(モノクロ)や彼らの使ったウェアやラケット、シューズなどの他、パソコンを使ったゲームやクイズ、その他の資料がありました。

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2006年10月27日 (金)

かすてら音楽夜話Vol1:日本シリーズと浜田省吾

今年の日本シリーズが終わりました。4勝1敗で日本ハムのシリーズ制覇。日本ハムは、東映時代以来44年ぶりの日本一。今シーズン限りで引退を表明している新庄選手が最後の打席に向かう時に見せた涙は、正直言って驚いた。

新庄は引退するが、中日に目を向けてみると、バント職人の名を持つ、川相昌弘選手も引退。この人の場合は、読売で引退を決めていたのに、原監督(前の時ね)が首脳陣から切られたのを期に、引退を撤回し、中日に移籍した。

ところで、バッターが打席に向かう時にかかるテーマソングがありますが、川相の場合は、浜田省吾の「Baseball Kid's Rock」。ちっとも下品じゃないですね。

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この曲は浜田省吾13作目のアルバム『誰がために鐘は鳴る』に収録されています。その2曲目がこれ。全盛期を過ぎたプロ野球選手をテーマにした曲ですが、浜田省吾自身も野球少年だったようです。ダウンタウンの「ごっつええ感じ」に良く出てくる、浜省だらけの野球大会ってのもわかる気がするな。

現在浜田省吾は全国をツアー中。On The Road2006-2007 My First Love Is Rock'n Rollと題し、ホール中心の公演です。今年いっぱいは地方都市をまわり、年が明けてからはいよいよ首都圏や京阪神にも登場予定。ああ、行きたい。

それにしても、中日はまた負けちゃいましたね。

ようやく、このブログでも音楽に関して語ることができましたが、こういう話大好きです。なので、たまには書きたいと思っています。

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