セカンドブログ本格運用です

当ブログ、Cafe de Castellaですが、容量が95%までに到達しまして、年頭の予告通り、今後の海外・国内の旅に関する記事は新ブログ、Cafe de Castella Annexに掲載することにいたします。

そして「かすてら音楽夜話」に関しては容量が一杯になるまでこちらで記事を書いていくつもりでおります。

どちらのブログも今後とも宜しくお願いいたします。

さて、セカンドブログですが、PC版ですとココログとは見た目が大きく変わってます。なんといっても画像が大きく表示できます。そして、容量は毎月300MBまでアップロードが可能。と、いうことはほぼ無制限に近く、これまで以上に画像をアップロードできるということになります。

その代わり、特定の記事をトップ固定といったことができず、トラックバック機能がありません。また、PC版ではコメント欄にリンクがつけられません。スマホではできるのですが。

また、自分自身でもサイドバー設定などいまいちわかってない部分がありますので、これから少しずつカスタマイズしていく感じですかね。

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いずれにせよ、どちらのブログも今後ともご贔屓に。

しつこいようですが、新ブログ(セカンドブログ)は

Cafe de Castella Annex

です。叱咤激励から冷やかし、なんでも結構ですので、遊びにいらしてくださいませ。

店主敬白

この記事は当面トップに表示させておきます。最新記事はこの下から始まります。

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2026年5月 4日 (月)

リンダ~!

かすてら音楽夜話Vol.226

早くも1年の1/3が終わってしまいました。月日の経つのは早いもんでございます。

ま、そんな間にも日々こちらのコンテンツについては深く思いを巡らせてきました。

てなわけで、5月の第一弾は、「人命がタイトルに入る曲」その"L"でございます。

Billy Joel/All For Leyna

 

Billy Joel(ビリー・ジョエル)の通算7作目のアルバム『Glass Houses』(1980年)収録曲、「All For Leyna」でした。もちろん、作者はビリー本人です。

アルバム『Glass Houses』はビルボードアルバムチャート(Hot 200)で6週連続の1位で、ビリーも翌年のグラミー賞最優秀ロックヴォーカルアワードを受賞しております。年間チャートでは4位でした。つまりは、相当売れたアルバムです。

こちらから、ビリー初のシングル1位、「It's Still Rock And Roll To Me」(邦題「ロックンロールが最高さ」)も生まれております。

そして、この曲はイギリスで最初にシングルカットされ、全英シングル40位にチャートインしました。アメリカでもシングルになる予定でしたが、「You May Be Right」(邦題「ガラスのニューヨーク」、7位)に変更されています。

ま、ガラスの割れる効果音で始まるノリのいい曲に比べ、マイナーコードの「All For Leyna」では、アメリカ人が好むのはやはり「You May Be Right」になるでしょう。

5作目のアルバム『The Stranger』~『52nd Street』(邦題『ニューヨーク52番街』)の流れとはややテイストを変え、どちらかというとロック寄りにシフトしたのが、『Glass Houses』でした。アルバムではゲストミュージシャンをほぼ使わずに、バンドスタイルで収録を進めています。

また、「All For Leyna」のプロモーションビデオですが、オリジナルと違ってヴォーカル部分を差し替えているとのことです。

まあ、ロック寄りといってもピアニストでもあるビリーが書く曲ですから、「バンドサウンドに乗せたややアップテンポな曲が多いアルバム」といったところに落ち着くのではないでしょうか。

このあとのアルバム『The Nylon Curtain』ではピアニストにとって致命傷といえる指の骨折を経験し、どちらかというと内省的な作品になっていきます。また、その次の『An Innocent Man』ではうってかわってポップに回帰するんですがね。

ビリー・ジョエルも人の名前を付けた曲の多い人です。ただ、ボズ・スキャッグスと違って、すべてが女性の名前ということもなく、男性の名前が付く曲も書いてますね。

◆◆◆

"L"の付く人名、Styxの「Lorelei」とか、Jim Croceの全米1位、「Bad, Bad Leroy Brown」(邦題「リロイ・ブラウンは悪い奴」)などもありますが、ここでは割愛させてもらいます。

なんといっても筆者としてはここは「リンダ」にこだわっていきたいです。

てな、ことで。

The Beach Boys/Lady Lynda

 

The Beach Boys(ビーチボーイズ)が1979年にリリースしたアルバム『LA(Light Album)』収録の「Lady Lynda」(邦題「秋風のリンダ」)でございます。

ビーチボーイズの経歴は省略しますが、ホットロッド、サーフィン、ビーチなどをテーマにしていた絶頂期から10余年、完全に混迷期に入り込んだ作品ですね。

「Lady Lynda」はクレジット上はメンバーがかかわって作られていますが、巨匠、J.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」のメロディが基になっています。

ただ、イギリスではチャート6位を記録していて、日本のラジオでもよくかかっておりました。本国アメリカではシングルカットされていません。

このアルバムからは歌詞の一部が日本語である「Sumahama」(邦題「思い出のスマハマ」)も収録されています。これもまた、当時のラジオで流れていたものです。

まあ、どちらも、ビーチボーイズらしさが欠乏していて、ほとんどインパクトがありません。

そのためでしょうか、アルバム自体はかろうじて100位にチャートインという、かつての絶頂を知る世代からしたら、目を覆いたくなる作品だったのではないでしょうか。

その後のビーチボーイズですが、1988年に映画「カクテル」(主演:トム・クルーズ)の主題歌、「Kokomo」が22年ぶりのチャート1位となりました。かなりの部分、トム・クルーズの影響が大きいと思いますが。まあ、復活は復活です。

また、2012年リリースのアルバム『That's Why God Made The Radio』(邦題『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ~』)が36年ぶりのTop10入り(3位)を記録しています。

とはいえ、その後メンバーの死去などにより、今のところ最後のアルバムリリースとなっております。

The Blue Hearts/リンダリンダ

 

1987年のThe Blue Hearts(ブルーハーツ)のデビュー曲、「リンダリンダ」です。

作詞作曲は甲本ヒロトです。

シングルヴァージョンはレコード会社の方針により、外部のアレンジャーとして、シーナ&ザ・ロケッツの浅田孟を招聘したのですが、アルルバムヴァージョンはブルーハーツ自身が担当してます。メンバーは外部アレンジャーを良しとしなかったようです。

それでも、オリコンシングルチャート38位ですから、デビュー曲としては相当インパクトがあったと思いますね。

なお、お借りしたYouTube映像はいつか削除される可能性があります。と、いうのも、公式に上がっているものもあるのですが、著作権法で保護されているので、こちらに貼り付けられません。

そちらのリンクはこちら

その後の彼らは「情熱の薔薇」でオリコン1位を獲得し、アルバム2枚も1位を獲得。

解散後もなぜか甲本ヒロトと真島昌利は、The High Lows~ザ・クロマニヨンズで切っても切れない縁になっているのは周知の通りです。

アン・ルイス/リンダ

 

1980年リリースのアン・ルイスのシングル「リンダ」でした。

作者はもちろん竹内まりや。この曲はアン・ルイスが桑名正博との結婚のために提供(プレゼント)したものです。なお、「リンダ」というのはアン・ルイスのミドルネームです。

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竹内まりやも翌年のアルバム『Portrait』でセルフカバー(シングルカットせず)しております。で、アン・ルイスのヴァージョンなんですが、冒頭のジングルめいたもの以外、かなり出来がいいです。なんでかなと思ったら、アレンジに山下達郎が一枚噛んでいたんですね。まりやのセルフカバーも、アレンジャーは山下達郎で、アン・ルイスのオリジナルにかなり寄せた作りになってます。もちろん、完成度はセルフカバーのほうですが、アン・ルイスのオリジナルも捨てがたいです。

正式なクレジットは編曲:ブラッド・ショット、谷口陽一、山下達郎となっています。

ここ、AIに尋ねてみたんですが、「共同編曲者:多くの場合、谷口陽一とともにブラッド・ショット/谷口陽一名義でクレジットされています。」では、谷口陽一とは?「アン・ルイスのプロデューサー、編曲家、ミュージシャン」などと出ました。ブラッド・ショットという特定の人名が出てこなかったので、もしかしたらバンド形態の名前かもしれません。

そして、山下達郎は「リンダ」収録のアルバム『リンダ』の前作『Pink Pussy Cat』では楽曲提供は1曲のみでしたが、アレンジャーとして椎名和夫とともにほぼ全面的に関わっているので、シングル「リンダ」からのフィードバックを竹内まりやのセルフカバーに生かした可能性はありますね。

なお、山下・竹内の結婚は1982年ですが、1980~1981年頃には生活を共にしていたという話もあり、1981年の『Portrait』でかなり大っぴらに竹内の作品に顔を出すようになり、結婚後は全面的にバックアップ並びにプロデュースするようになりました。

それと相反するように、アン・ルイスは桑名と別れ、ロックシンガーのような路線をたどっていくのですが。

なお、竹内まりやも公式YouTubeチャンネルを開設してますが、「リンダ」は上がってません。

◆◆◆

そういえば、PANTAにも「ルイーズ」なんて曲があったような。

次回は「M」または他のネタを書きます。下記のバナークリック、フォローもよろしくお願いします。

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2026年4月17日 (金)

カップ麺のCMソング

かすてら音楽夜話Vol.225

先日、横浜みなとみらい地区にある「カップヌードルミュージアム」に行ってまいりました。まあ、いろいろとオモロイ展示物がありましたが、個人的には歴代CMソングというものにノータッチであったということが残念です。

ちなみに、関西、大阪の池田にもカップヌードルミュージアムがあり、横浜よりは規模が小さくなるようですが、CM曲が流れるんだとか。でも、ネット情報なので、真偽のほどは不明。

じゃあ、わしがちょっと取り上げてみようかというのが、今回のコンセプトです。

では、行ってみましょう。

◆◆◆

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浜省、痛恨の闇に葬りたい曲

 

浜田省吾「風を感じて」(1979年)でした。

浜田省吾の初のオリコンシングルチャート入り(25位)のシングルになります。そして、初めての…というかそれ以降CMタイアップが一切なく、生涯唯一のタイアップ作品になります。

浜省の名誉にかけて補足しますと、それまでにアルバムチャートではランクインしております。そして、ドラマのタイアップはありまして、1992年のドラマ、「愛という名のもとに」の主題歌として「悲しみは雪のように」を再録したものが、生涯唯一のオリコンシングル1位を獲得しております。

そんな、初のチャートインした曲をなぜに闇に葬りたいのかといいますと…。

公式には作者クレジットは、作詞:三浦徳子(みうら・よしこ)となっています。作曲はもちろん、浜田省吾で、シングル盤のアレンジは水谷公生です。

それまでにも、浜田のもとにはCM曲の依頼がいくつか来ていたらしいですが、いずれも没になり嫌気がさしていたそうです。また、日清食品のタイアップということで、日清食品がスポンサーをつとめる音楽番組に出演するという規約があったそうで、それが一番辛かったとのこと。そんな経緯から浜田は2001年のNHKの番組に出演するまで一切テレビには出ませんでした。

そうしたことから、この曲の歌詞を書くのを拒否していて、そこで三浦さんの出番となったようです。それでも、三浦さんの歌詞には浜田による手直しが入っているのだとか。

また、1979年は2枚のアルバムをリリースした年で、かなり本人はきつかったようです。ちなみに、「風を感じて」は『君が人生の時…』というアルバムに収録されていますが、その前作『Mind Screen』では浜田本人が歌詞を書けなくなるというイップスのような症状に陥り、職業作詞家と組んで書かれたものが収録されています。その中で三浦さんとも1曲組んでますね。

ともかく、この時代以前はギター1本抱えてライヴを積み重ねていった時期で、長い下積み期間であったといえましょう。そんな中で初めてといっていいヒットが生まれたものの、この時代のことは「なかったことにしたい」と自虐的に語っているくらいです。それでも、現在までSONY所属のままであり、廃盤が一切なく、CDショップで見つけるのは難しいでしょうが、浜田のコンサートでは必ず全アルバムが販売されております。

幸い、YouTubeにも、ショートではありますが、本人のチャンネルでこうして発信されているわけですし、ライヴヴァージョンのシングル(オリコン45位)ものちに発売されているのですから、なんだかんだいってこの曲も大事にされているんじゃないすかね。曲も、聴けば浜田省吾のメロディだなということがよくわかりますし。

余談ですが、ブレイク前の浜田は同じプロダクション(ホリプロ)所属の歌手に曲を提供することで食いつないでいたことがあります。むしろ、消したいのはそのあたりのものではないでしょうかね。山口百恵に和田アキ子、極めつけは日本一音程が取れなかったともいわれる能瀬恵子に提供した4曲で、このあたりをセルフカバーで聴いてみたいというのはワタクシだけではないと思いますが。

カップヌードルとのタイアップ曲は、他にもハウンドドッグ「ff(フォルテシモ)」や大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」などなど、あるようですが、どうもCMで聴いた記憶がありません。

◆◆◆

覆面バンドでオリコン2位

 

2曲目は、The Timers(ザ・タイマーズ)「デイドリーム・ビリーバー」です。

アメリカのバンドThe Monkeys(モンキーズ)の1967年リリースのシングルのカバー曲になります。ちなみに、モンキーズのオリジナルはビルボード、キャッシュボックスともに1位を獲得してます。

ザ・タイマーズは覆面バンドで、公式的にはリードヴォーカルがZerryが忌野清志郎に似た人物などとされてますが、忌野自身であることはすでに明らかです。バンド結成の経緯は、RCサクセションのカバーアルバム、『Covers』が所属の東芝EMIから発売中止になったことが発端ですね。

東芝は原子力発電を手掛けるメーカーで、『Covers』収録の「Love Me Tender」が反原発を思わせる内容だったため、発売中止になったと思われます。同アルバムは古巣である、Kittyからリリースされましたが、ラジオのFM東京(現在はTokyo FM)がオンエアを自粛したため、ザ・タイマーズを結成しゲリラライヴを行ったり、フジテレビでオンエア中にFM東京を批判するなど、物議をかもしました。とはいえ、ザ・タイマーズも東芝EMI所属ではあったんですけど。

そういう動きを見せながらも、デビューシングル、「デイドリーム・ビリーバー」はエースコックの「スーパーカップ」とのタイアップを行い、オリコン2位となりました。

過激な演出をされながらも裏ではみんなが支えあっていた、いい時代だったのかもしれません。余談になりますが、同じような時代、現首相と蓮舫氏が同じテレビ番組に出演していたんですよね。そんなもの?多分違うけど。

なお、ザ・タイマーズ消滅以降もサントリーやセブンイレブンのCM曲として「デイドリーム・ビリーバー」は使われております。

◆◆◆

とか何とかいっても、耳に残るのはこれなんでは?

 

と、いうことで、懐かしの石立鉄男ヴァージョンでお送りしました。エースコック、わかめラーメンでございます。

現在でも柳沢慎吾ヴァージョン、ゆうちゃみヴァージョンが流れています。曲は同じですが、シンガーはちょっと違うような気がします。

作者は誰かwikiでも記載がなかったので、AIに頼ると、小杉保夫という名前が出てきました。主に、CMやアニメ関係の曲を担当しているようです。

でも、わたしゃ、このお名前に心当たりがありまして、それは、松原みき「倖せにボンソワール」という曲の作曲を担当されていたからです。こちらの作詞はまたまたの三浦徳子さん。また、郷ひろみ「お嫁サンバ」も三浦さんと組んでヒットを飛ばしてますね。そのほか、小松政夫の「しらけ鳥音頭」なども手掛けております。

「わかめラーメン」の作詞については不明ですが、広告会社のコピーライターあたりかと。この短い曲、印税契約していたらものすごい収入になっていたであろうと思いますが、1曲いくらというものだったんじゃないすかね。

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2026年4月 4日 (土)

洋楽少な目、邦楽多めな「K」

かすてら音楽夜話Vol.224

タイトルに人名が入る曲をアルファベット順に紹介する企画をやってます。"I"が見つからなかったので、今回の"K"で10回目。終わりの"X"までまだ15回もありますねえ。欠番もありそうですけど。

てなことで、始めたいと思います。

洋楽編

Culture Club

 

1983年リリースのCulture Club(カルチャークラブ)の「Karma Chameleon」(邦題「カーマは気まぐれ」)でした。カルチャークラブはイギリスのバンドです。

彼らの唯一の全米1位(Billboard Hot 100)獲得曲(1984年)ですが、全英1位獲得曲でもあります。それだけでなく、20か国で1位になったという、世界的ヒットですね。

曲はヴォーカルのBoy George(ボーイ・ジョージ、芸名)が中心となり、メンバーでアイデアを出し合い、完成させたものだったようです。当初のタイトル(人名)は「カーマ」ではなく、「カメオ(Cameo)」になる予定だったそうですが。

そうなると、サビの「カーマ」の繰り返しができないことになりますが。

また、この曲に限らず、ボーイ・ジョージ自体が、性別あいまいな雰囲気を打ち出していましたが、わかる人にはわかりますね。ゲイであるということが。これに影響を受けたわけでもありませんが、SHAZNAのヴォーカルIZAM氏も女装で歌っていましたが。ま、もっともSHAZNAがブレイクしたのは1997年とずっと後のことで、こういうスタイルもだいぶ認知されてきたころだったと思います。

あちらの業界、セクシャリティに関してはかなり昔から怪しげな人はいましたが、やはり時代なのか表立って公表するという人はいなかったはずです。あの、Freddie Mercury(フレディ・マーキュリー)でさえ、存命中はひた隠しにしていたほどですから。さらにはBay City Rollersのヴォーカル、Leslie McKeown(レスリー・マッコーエン)も同様です。

そんなところを打ち破って、ボーイ・ジョージは自らのルックスとファッションで堂々と現れたわけです。

ま、「カマ、カマ、カマ、カマ~」と続くサビ、子供にも印象的だったようですが、もっと年齢が上がると「オカ〇はオメーだろ」と内心思っていたことでしょう。時代ですねえ。現在は思っていても口に出せませんがね。

その他、Simon & Gurfunkelに「Kathy's Song」という曲があるようですが、詳しく知らないので、パスいたします。

★★★

邦楽編

意外と見つかるのが、邦楽だったりします。

それこそ、演歌からJ Popまで。

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門あさ美

 

人前でライヴをやったことのない、門あさ美。二度目の登場です。

こちらの「Mr. K」(作詞作曲:門あさ美/編曲:大村雅朗)は1980年リリースのセカンドアルバム『Sachet』(サシェイ、フランス語で手提げかばんみたいな意味)に収録された曲になりますが、シングルカットはされておりません。

彼女、実に謎に満ちた人物で、ライヴはやらない、メディアに名ほとんど登場しないため、プライベートなことはほとんどわかっておりません。

同時に、プロモーションも行わないのですが、アルバムセールスは非常に好調で、『Sachet』はオリコン(アルバムチャート)で16位にランクしてます。

この時代、すでにニューミュージック(当時の造語)勢の勢いは下火になり、アイドルが逆襲を始めた頃と重なります。その後も、職業作家ではない大瀧詠一、財津和夫、井上陽水、ユーミン(呉田軽穂)までもがアイドル勢に曲を提供するようになりました。それにもかかわらず、門あさ美のアルバムは1985年の7枚目のアルバムまで10位前後にランクされたのですから、上質で洗練された大人のポップス(レーベルなどでは「ファッションミュージック」などと称しておりました)を書いて自ら歌う人として安定した人気がありました。

さて、この「ミスターK」なる人物、桑名正博であるとか、いくつか説はあるようですが、桑田佳祐であるというのが本命のようです。とはいえ、桑田氏と門あさ美、1955年生まれの同学年なんですがね。

もちろん、メディアに出ない門あさ美ですから、二人の接点はゼロでしょうね。想像上で書いた曲ですね。個人的には曲の内容と桑田氏の本質があまり合致しないような気もしますが。

門あさ美という人、メディアには出ないのに、なぜか写真集を出したことがあるんですね。これは、個人的な妄想ですが、門あさ美という人物は実在したのかどうかなんて考えてしまいます。数少ないテレビ出演では、やっぱりライヴ的なものはなく、本人が映し出されていても、曲はレコードの音源だったりしました。

何がいいたいかというと、曲作りはAという人物。レコーディング(ヴォーカル)はBという人物。ビジュアルはCという人物。…なんてね。

BUZZ

 

BUZZ(バズ)の「ケンとメリー~愛と風のように」でした。

どこかで聴いたことのある曲です。特にかなりのご年配の人にはおなじみの曲。

日産スカイライン(4代目)のCMソングになります。1972年リリースのこの曲、BUZZのデビューシングルで、オリコン(週間シングルチャート)で19位にランクインしました。

4代目スカイライン、通称「ケンとメリーのスカイライン」「ケンメリ」などといわれます。3代目スカイラインにラインナップされていた「GT-R」モデルが生産されず、暴走族の改造車が多かったというクルマでもありますが。

シングルとしては19位に終わりましたが、4代目スカイライン自体は1977年まで販売されていましたので、CM効果もあって印税も相当なものだったのではないかと思われます。でも、新人でしたから、1曲いくらでの契約だったのではないかと。

BUZZは小出博志(のちに佐伯博志名義での活動歴もあり)と東郷冒和のデュオになります。どちらが、メインヴォーカルなのかは不明ですが。BUZZとしての活動は1982年までで、2007年に活動を再開し、2015年にファイナルコンサートを開催しました。

1980年代にはコーラスなどで吉田拓郎、松任谷由実、松田聖子をサポートしました。松原みきにも「私は戻れない」と「ニートな午後3時」(いずれもアルバム『-Cupid-』収録)でコーラスを担当しています。

この曲のクレジットは作詞:山中弘光・高橋信之/作曲:高橋信之/編曲:高橋信之となっています。高橋信之という人物ですが、あの高橋幸宏の兄で、小出・東郷ともに高橋信之と関りがありました。

小出は高橋のバンドに参加したことがありました。東郷は高橋幸宏と立教中学で同級生でバンドを組んだこともあり、のちに東郷の姉と結婚してます。

そのような縁で高橋信之が二人をプロデュースし、BUZZを結成し、いきなりCM曲を担当することになりました。

曲調がNeil Young(ニール・ヤング)の「Heart Of Gold」(邦題「孤独の旅路」全米1位、1972年1月リリース)そっくりなんですが、ちょっとしたアイデアのいただきでしょうか。

もっと、似ているのが、山崎まさよしのカバー。

 

2007年の山崎のカバーアルバム『Cover All Ho!』に収録されています。クセ強め。

サザンオールスターズ

 

サザンオールスターズの1982年のアルバム『Nude Man』収録のオープニングナンバー、「DJコービーの伝説」でした。

これを入れるかどうか、悩んだところですが、DJコービーとは小林克也のことだとのことで、”K”に決定です。

サザンについても、あまり詳しくないので、詳細は省かせていただきます。曲の感じはいいすね。

★★★

この他、演歌では藤圭子「圭子の夢は夜開く」(オリコン1位)などもありますが。

予告通り、4月に記事を上げることができましたです。今月なんとかもうひとつ記事を書ければいいですが。コメントもお待ちしています。

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2026年3月11日 (水)

ライヴ音源のヒットシングル

かすてら音楽夜話Vol.223

ライヴレコーディングというもの、通常はアルバムなどで売れるものがたまにあります。

Cheap Trick(チープトリック)『Cheap Trick At Budokan』とか、The Band『The Last Waltz』、伝説の『Woodstock』オリジナルサウンドトラックなどなど。

ですが、これらも稀有な例です。ましてや、その中の音源をシングルカットしちゃって、しかもそこそこヒットするというのは、さらに希少価値があると思います。

そこで、今回はそんな曲を3つほど取り上げました。

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Billy Joel「Say Goodbye To Hollywood」

 

1981年リリースのBilly Joel(ビリー・ジョエル)のシングル、「Say Goodbye To Hollywood」(邦題「さよならハリウッド」)でした。

もともとのヴァージョンは1976年リリースの『Turnstiles』(邦題『ニューヨーク物語』Billboard Hot 200、122位)収録で、同アルバム収録の「I've Loved These Days」のB面としてリリースされた曲です。その後、イギリスなどで、改めてシングルカットされていますが、チャート圏外に終わりました。

その後の1981年にライヴアルバム『Songs In The Attick』がリリースされます。アルバムはビルボードアルバムチャートで8位。そして、「Say Goodbye To Hollywood」はファーストシングルとしてリリースされ、ビルボードシングルチャートで17位というスマッシュヒットを記録しました。続く「She's Got A Way」も23位を記録しました。

こちらのライヴヴァージョンは前年1980年にミルウォーキーアリーナでの公演を収録したものです。

さて、ビリー・ジョエルというと、典型的なニューヨーカーというイメージですが、レコード会社とのトラブルによって、ニューヨークを離れ、1972年にロサンゼルスに移住していました。ビリーの初期のヒット曲「Piano Man」も西海岸での収録だったのですね。

しかし、ロスでの日々は失望を抱えたものだったようで、1975年にニューヨークに戻っています。そのような思いが、この曲や「New York State Of Mind」(邦題「ニューヨークの想い」)などにも表れています。

ビリー・ジョエルの『Songs In The Attick』の収録曲はほとんどが西海岸時代の不遇だったころの作品です。そして、かつてはシングルとしてリリースしたものの、まるでチャートに入らず、それらをライヴレコーディングするとともに、シングルカットする。ビリー・ジョエルの執念のようなものがついに実を結んだということでしょうか。

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The Rolling Stones「Going To A Go Go」

 

The Rolling Stones(ローリングストーンズ)がアルバム『Tatto You』(邦題『刺青の男』、ビルボード1位)を引っ提げての、USツアーでのライヴレコーディングが、1982年リリースの『Still Life』でした。

この時のセットリストでは、オープニングが「Take The A Train」(「A列車で行こう」デューク・エリントン楽団)のイントロから「Under My Thumb」で始まり、「The Star-Spangled Banner」(アメリカ国歌、ジミ・ヘンドリックスのウッドストックで披露したヴァージョン)で終わるという流れになっていますが、アルバムの最初と最後は同じ構成になっています。

その『Still Life』からのファーストシングルが、「Going To A Go Go」だったわけですが、作者はSmokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)とThe Miracles(ミラクルズ)のメンバーで、彼らが1965年にリリースした曲のカバーになります。

ストーンズは意外にもカバー曲をよく収録するバンドで、デビュー直後のシングルはほとんどがカバー曲でしたし、アルバム『It's Only Rock'n Roll』では「Ain't Too Proud To Beg」(17位)、アルバム『Dirty Work』では「Harlem Shuffle」(5位)というカバー曲のシングルもリリースしています。また、アルバムに往年のブルースやソウルのヒット曲のカバーを入れていたりもするほど。

ストーンズの始まりはアフリカ系アメリカ人のカバーから入っていて、彼らに対するリスペクトもあったと思います。のちの『Dirty Work』の頃はMick Jagger(ミック・ジャガー)とKeith Richards(キース・リチャーズ)の関係が良くなかったので、カバー曲を持ってきたという事情もあったと思いますが。

でなところでの、ミラクルズのナンバー、「Going To A Go Go」ですが、チャートでは25位に沈んでおります。ですが、臨場感がすごいです。収録はメリーランド州ラーゴでの公演のものです。

なお、ストーンズは各年代でライヴアルバムをリリースしています。70年代に『Get Yer Ya-Ya's Out』、『Love You Live』、90年代に『Flashpoint』、『Stripped』、『No Security』、2000年代に『Live Licks』、『Shine A Light』という具合で、ブートも含めれば誰よりも多くのライヴ盤をリリースしていますね。さすがは史上最高のライヴバンドです。

Peter Frampton「Show Me The Way」

 

最後に紹介するのは、Peter Frampton(ピーター・フランプトン)「Show Me The Way」です。

1976年リリースのシングルで、6位となるヒットになりました。続く「Baby, I Love Your Way」も同じくライヴ盤で12位。その次のシングルもライヴ盤の「Do You Feel Like We Do」も10位という、フランプトン大ブレイクの年となりましたが、この3曲が収録された『Frampton Comes Alive!』というライヴアルバムはなんと、10週連続の1位です。ライヴアルバムとしてはほぼありえない大成功を収めたのですね。

ちなみに、映像はアメリカのテレビ番組らしいのですが、フランプトンの公式チャンネルのオリジナルヴァージョンでは音声だけなので、こちらを持ってきました。演奏時間などもほぼ同じですし、もしかしたらテレビでは音声のみ元の音源を使っているのかも。

ともあれ、フランプトンがトーキングモジュレーター(トークボックス)を使い、ホースをくわえて演奏しているところを見ていただきたいです。

ピーター・フランプトン(イギリス出身)という人、わずか16歳でデビューし、Small Faces(スモールフェイセズ)を脱退したSteve Marriotto(スティーブ・マリオット)とHumble Pie(ハンブルパイ)を結成したものの、1972年に音楽性の違いからソロになります。

そこから地道にほかのバンドのサポートなどもやりながらライヴで実力を積み上げてきた人で、ついに『Farampton Comes Alive!』で花開いたといっていいでしょう。

ちなみに、『Frampton Comes Alive!』からリリースされた3曲のうち、「Show Me The Way」と「Baby, I Love Your Way」は前年のスタジオアルバム『Frampton』にも収録され、シングルカットもされていますが、チャート圏外でした。ただし、アルバムは32位というアメリカで初のヒットを記録したところから、じわじわとフランプトン旋風が起きていたのかもしれません。

その次のアルバム『I'm In You』も2位に入り、同名のシングルも自己最高の2位を記録します。

その後、Bee Gees(ビージーズ)らが企画した映画「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』にも出演したものの、映画は失敗。サウンドトラックは5位になったものの、フランプトンが関係する楽曲はチャート圏外に終わりました。ただし、Earth, Wind & Fire(アースウィンドアンドファイア)がリリースした「Got To Get You Into My Life」は9位を記録してます。

それ以降は目立った活躍もなく、あれだけ豊富な頭髪も残り少なくなって一気に枯れた印象があります。しかし、2006年のインストアルバム『Fingerprints』(129位、ただし、トーキングモジュレーターは使用している)が第49回グラミー賞で、最優秀ポップ・インストゥルメントアルバムに選ばれました。

近年は病気のため活動が減っています。

◆◆◆

一方日本国内ではライヴ盤ってシングルがほぼありませんね。

相当昔のエレックレコード、泉谷しげる「春夏秋冬」なんてところくらいじゃないすかね。RCサクセションの「雨上がりの夜空に」は久保講堂ライヴのアルバム『Rhapsody』で知られるようになりましたが、シングルヴァージョンはスタジオ録音でした。

他にはあるかな?

かすてら音楽夜話ではコメント募集中です。バナークリックにもご協力お願いいたします。なお、次回の更新は諸事情により、4月になります。

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2026年2月25日 (水)

「J」まつりだヨ、全員集合

かすてら音楽夜話Vol.222

人名がタイトルに入る曲、今回は「I」をスルー(見つけられず)しまして、「J」でございます。

「J」はかなりたくさんありまして、すべては無理ですので、ワタクシの好むところを中心に紹介していきます。

まずは、洋楽から。

James Dean/Eagles

 

Eagles(イーグルス)のサードアルバム、『On The Border』からのシングルカット、「James Dean」(ジェームス・ディーン、1974年)でございます。

作者は、Don Henley(ドン・ヘンリー)、Glenn Frey(グレン・フライ)、J.D. Souther(J.D.サウザー)、Jackson Browne(ジャクソン・ブラウン)となっています。のちにヘンリーが語ったところでは、ほとんどの部分を作ったのは、ジャクソン・ブラウンだとのことです。

リードヴォーカルはフライ。この時のラインナップですが、初期メンバー、フライ、ヘンリー、Bernie Leadon(バーニー・レドン)、Randy Meisnor(ランディ・マイズナー)のみ。ギターのDon Felder(ドン・フェルダー)はこのアルバムからメンバーに加わっていますが、この曲には参加しておりません。ギターソロはレドンになります。

ジェームス・ディーン、「エデンの東」、「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」の主演俳優で、自動車事故でわずか24歳で亡くなっていますね。もちろん、タイトル通り、彼のことを歌っている曲です。歌詞に「生きるには早すぎ、死ぬには若すぎ」というものがありますが、まさにその通り。

当時ジェームス・ディーンが生きていたとしても、43歳ですからね。彼より年長の、「キャラハン刑事」は現在も存命でバリバリやってますし。

ところで、ジェームス・ディーンの映画ですが、存命中に公開されたのは「エデンの東」だけで、「理由なき反抗」も「ジャイアンツ」も没後に公開されたものです。日本などではこれらすべてが没後に公開されたとのことです。

こうもなりますと、ジェームス・ディーンは反抗する若者、怒れる若者のアイコンと化し、その後も数十年にわたってヤングジェネレーションの象徴になっていくのでした。

てなことで、この曲はBillborad Hot 100(ビルボードのシングルチャート)の77位というマイナーヒットになっております。それでも、イーグルスの公式チャンネルではライヴヴァージョンも上がっています(音声のみ)。その他にも、テレビショーや様々な会場でのライブもありますね。いずれも、音声のみですが、ほぼ原曲に忠実で、さすがのクオリティです。

また、違法アップロード版も。こちら、ドン・フェルダーも参加し、全員がサングラスをかけているというもの。ジェームス・ディーンに扮しているんでしょうか。レドンとフェルダーの共演というのもレアです。ただ、音声は原曲を使っているみたいですね。

さて、リンクは付けませんが、日本でもジェームス・ディーンの影響は強く、横浜銀蝿のJohnny氏が「ジェームス・ディーンのように」という曲でソロデビューしてますね。作詞作曲はご本人です。結構売れていて、オリコン週間チャートでは3位、年間チャートでは16位(1982年)だったそうです。

Jolene/Olivia Newton-John

 

日本で1970年代に一大ブームを起こしたOlivia Newton-John(オリビア・ニュートンージョン)のヒット曲、「Jolene」(ジョリーン)です。

とはいえ、この曲がシングルカットされたのは日本とオーストラリアのみで、オリコン週間チャート11位(洋楽チャートではなく、総合チャートというのはある意味かなり売れた)、オーストラリアで29位です。

もともとは、1976年のアルバム『Come On Over』(邦題『水のなかの妖精』、ビルボードHot 200で13位)のオープニングナンバーです。アメリカ・イギリスではシングルカットされておりません。

それ以前の1974~1975年にかけてアルバムが2連続の1位、シングル「I Honestly Love You」、「Have You Never Been Melow」(邦題「そよ風の誘惑」)がやはり連続の1位、「Please Mr. Please」が3位というブレイクを果たしたものの、それ以降は徐々に低迷期に入っていた頃なんですが、日本では絶大的に人気があったんですね。

ま、オリビアは曲を作らない生粋のシンガーでしたので、いかにいい曲に巡り合えるかが課題でもあったわけですが。と、いうことで、この曲を書いたのはこの人です。

Ms0062

Dolly Parton(ドリー・パートン)なのでした。御年、めでたく80歳を迎えました。キャリアが長く、10歳で子役デビュー、13歳でレコーディングを行い、最初はカントリー畑で活躍していましたが、この「ジョリーン」(1973年)で初のHot 100チャートイン(60位)を果たします。

その後、1980年の映画「9 To 5」のサウンドトラックの表題曲が1位を獲得した人です。カントリーチャートでもあまたの1位を取っていて、「ジョリーン」もそのうちのひとつ。

 

てなことで、ドリー・パートン、ただの「パイオツカイデー」なオバサンじゃないんですよ。

おそらくですが、アメリカ人が想う「ジョリーン」といえば、オリビアじゃなくて、ドリー・パートンなんだろうと思います。

Hey Jude/The Beatles

 

もうこれは、説明いらずでしょう。

The Beatles(ビートルズ)「Hey Jude」です。1968年の英米チャート1位、年間チャート1位。週間チャートで1位を取れなかったのは日本(5位)とフランス(2位)だけというとんでもない曲ですね。

この頃、John Lennon(ジョン・レノン)はオノ・ヨーコと交際を始め、前妻と別居を始めます。そこで、Paul McCartney(ポール・マッカートニー)がジョンの長男、Julian(ジュリアン・レノン)を慰めるために書いた曲です。ま、ライターはあくまでもレノン-マッカートニー名義なんすけど。

映像はビートルズの公式チャンネルにあるものですが、レアものですね。ライヴであり、ベースのパートは入ってないです。なんとも長く、曲の始まりは50秒ほど経ってからです。終わりも果てしないですよね。この長さ、「Hotel California」や「All By Myself」に匹敵するんじゃないすかね。

もう、「J」から始まる人名って英語圏では多いですよね。ビートルズにも「Julia」という曲がありますし。Boz Scaggs(ボズ・スキャッグス)「Jojo」(ジョジョ)も。

スペイン語の人名になると、Paul Simon「Me And Julio Down By Schoolyard」(邦題「僕とフリオと校庭で」1972年)というスマッシュヒットがありますね。こちらは、ビルボード22位でした。

◆◆◆

Johnny Blue/RCサクセション

 

RCサクセションの1981年のアルバム『Blue』収録曲、「Johnny Blue」です。オリコン、アルバムチャートで12位ですが、シングルカットされた曲はありません。

作者は忌野清志郎・仲井戸麗市なんですが、もともとは古井戸「飲んだくれジョニー」(作詞作曲:仲井戸麗市、1975年)を発展させたものです。

 

だいぶ雰囲気が変わりますね。ちなみに、古井戸盤は加奈崎芳太郎がヴォーカルを担当してます。

『Blue』というアルバムはシングルカットされた曲が全くないのですが、ライヴでの定番、「ロックン・ロール・ショー」「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」や、ファンの間で聖地化された「多摩蘭坂」、CMに転用された「あの娘のレター」(歌詞のみ、メロディは「あの夏のGoGo」)がサントリーのCMで使用されたという、内容の濃いアルバムです。

ジョニーって、日本でもけっこう曲になっているんですね。次もそうです。

まぬけなJohnny/エレファントカシマシ

 

エレファントカシマシの2008年のアルバム『Starting Over』収録曲、「まぬけなJohnny」です。もちろん作者は宮本浩次で、アレンジがYANAGIMANとエレファントカシマシになります。

自虐ソングですね。ですが、宮本氏の人間性を鑑みると、実体験に基づく曲ではないと思われます。

しかしきっかけとなったと思われる、エピソードがひとつあります。それは、金銭管理を任せていた人物に財産を持ち逃げされた経験からでしょうか。マンションを引き払い、ポルシェ2台を処分したそうで。喪失感は相当なものだったと思いますね。

ちなみに、翌年のアルバム『昇れる太陽』ではその続編なのか「ジョニーの彷徨」という曲もありますね。

この曲を含むアルバム『Starting Over』ですが、シングル「俺たちの明日」、「笑顔の未来に」の他、珠玉の作品がこれでもかと続きます。すでに40代に入っていたエレカシの4人ですが、まだ円熟とはいわせないような尖った部分を見せるアルバムで、個人的にイチオシのアルバムです。

また、アリス「ジョニーの子守唄」(1976年、オリコン6位)という曲がありこの次の「チャンピオン」でオリコン1位をついに獲得しました。このあたりが、アリスのピークでしたね。

他にはめっちゃ古いけど「硝子のジョニー」(アイ・ジョージ)なんてのも。

内気なジュリエット/杉真理

 

杉真理の1983年のシングル、「内気なジュリエット」です。チャート不明ですが、とあるサイトでは88位とありました。

1982年の企画、Niagara Triangle Vol.2がらみなんでしょうが、コーラスは佐野元春が担当してます。

杉さん、アルバムでも『Sabrina』というタイトルのものがあり(オードリー・ヘップバーン主演映画「麗しのサブリナ」からと思われます)、わりと英語の人名関連が多いような。

杉さんは大ブレイクはしてないんですが、個人的には日本のポップス(シティポップではなく)のど真ん中、ポップスの基準になるような位置にあるヒトと思っています。「ポップス歌わせたら、やっぱり杉真理だよ」みたいな。そういった意味では、ベタな英語の名前でもてらいなく、どこかしっくりきます。

また、佐野元春にも「Juju」というシングル「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」(オリコン30位)のカップリングがありました。まさか、その後、「Juju」を名乗るシンガーが現れるとは。

ちなみに、YouTubeには杉さんのチャンネルがなく、今回アップしたものはいつ削除されてもおかしくありませんので、その点よろしくです。

女性名では「ジュリア」なんてのも邦楽ではいくつかありますね。

いや、まあ、今回はたくさんありすぎて大豊作でした。

<2026-02-26:追記と訂正を行いました>

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2026年2月 8日 (日)

ふたりのオタクが作った「H」から始まる人名の入る曲

かすてら音楽夜話Vol.221

久々、この企画やります。アルファベット順だと今回は"H"になります。

Ms0010

◆◆◆

The Diary Of Horace Wimp/Electric Light Orchestra

 

この曲は知っておりました。1979年リリースのElectric Light Orchestra(エレクトリック・ライト・オーケストラ、のちにELOと名乗る)8枚目のアルバム『Discovery』に収録された、「Diary Of Horace Wimp」(邦題「ホレスの日記」)という曲で、同アルバムからの2曲目のシングルです。

チャート成績は、全英8位。アメリカではシングル未発売あるいはチャートインせず。

ここに登場する「Horace」さんですが、弱虫(「Wimp」)な男性ですね。そのホレスさんの1週間を日記形式で語られていくという内容ですが、一応はラブソングに入るんでしょうねえ。

ELOは1972年から1986年までの間に最もビルボードTop40内にヒット曲を送り込んだことで、ギネス認定されているそうです。アルバム『Discovery』からも「Shine A Little Love」(英6位、米8位)、「Don't Bring Me Down」(英3位、米4位)、「Confusion」(英8位、米37位)、「Last Train To London」(イギリスでは「Confusion」との両A面、米39位)とシングルヒットを送り込みました。とはいえ、英米ともシングルでは1位を獲得しておりません。

ただ、「Diary Of Horace Wimp」以外の曲は、ディスコサウンドの影響を受けているともいわれています。アルバムタイトル『Discovery』も冗談でしょうが、メンバーが"Very disco."とコメントしたとかしないとか。

ELOはロックにクラシックの要素を取り込み、そのためにかつてはストリングスのメンバーも在籍していたほどのバンドです。つまりはメインストリームのロックバンドというより、ちょっと変わった、癖のある、従来のロックに飽き足りたファン向けのようなバンドでした。それも、ELOのリーダーでヴォーカリストのJeff Lynn(ジェフ・リン)のオタク傾向が徐々に花開いたものともいえましょう。

アルバム『Discovery』の前作あたりから、徐々にヒットが生まれ始め、いよいよ、商業路線に乗っかるかというような時期だったんでしょうねえ。この後、ELOはOlivia Newton-John(オリビア・ニュートン-ジョン)が主演するミュージカル映画「Xanadu」(ザナドゥ)のサウンドトラックに参加し、ポップの王道を歩んでいくことになりますが、あまりにもジェフ・リンひとりの動向に偏りがちで、バンドは解散してしまいます。

なんたって、曲作りからリードヴォーカル、ライヴでの前面に出るギターを担当していましたから。リンさん、解散後はソロを経て、覆面バンドTraveling Wilburys(トラベリング ウィルベリーズ)に参加し、2014年からはJeff Lynn's ELOを立ち上げております。

◆◆◆

Hollyann/Boston

 

さて、こちらはBoston(ボストン)の3作目のアルバム、『Third Stage』収録の「Hollyann」(ホリーアン)という曲です。

メロディアスなアコースティックギターが印象的な曲ですが、ボストンはテクニカルなプログレ系ロックバンドともいえ、重厚なギターサウンドのほうが有名です。

ですが、このバンドはリーダーでもあるTom Scholz(トム・ショルツ)がひとりで作り上げてきたプロジェクトともいえます。ショルツはマサチューセッツ工科大学出身のエンジニアで、ポラロイド社に努める傍ら、宅録で曲を作り始め、各社にデモテープを送り続けていたオタクでもありました。

ヴォーカリストBrad Delp(ブラッド・デルプ)だけはショルツが目をつけてスカウトしてきたようですが、ほかのメンバーはデビューに当たってライヴ活動をする必要があって、急遽集められたともいわれています。宅録のクオリティがすごすぎて、契約したレコード会社(Epic)も騙されるほどの出来でした。

デビューアルバム『Boston』がビルボード3位、2作目『Don't Look Back』が1位。ただし、この後レコード会社とのトラブルで8年もの間沈黙を貫くこととなります。アルバム『Third Stage』も1位となり、シングルカットされた「Amanda」(これも女性の名前が付いた曲です)が唯一の1位になりますが。

どうやら、「Amanda」と「Hollyann」は対になった曲ともいわれています。あまり深い意味はないと思いますが。

オタクでありながら、ボストンというバンドの形態になるとオタクの兆候を一切見せないショルツという人もある意味プロですねえ。

ま、日本で当てはめてみれば、大瀧詠一も山下達郎も立派なオタクですよね。夏のビーチのことをテーマにしていても、本人はそういうところに一切興味がなさそうだし。ちなみに、ユーミンはそういったシーズンスポーツやリゾートにも実体験があるので、オタクではないですね。

★★★

つうことで、"H"はたったの2曲です。また、予告しておきますと、"I"から始まる人名で曲になったものはどうやら、なさそうですので、欠番とさせていただきます。その分、"J"はめっちゃ多いです。日本の曲でもありそうです。

てなことで、お詫びではありませんが、レア曲を見つけましたので、お聴きください。

 

あの「サンデーモーニング」のスポーツ担当、唐橋ユミさんの「失くさないで、忘れないで」でした。こちら、「喝」なのか「あっぱれ」なのか。

唐橋さんというのもレア。ちなみに、この方、会津ほまれブランドの「ほまれ酒造」がご実家です。

そして、作者は作詞:売野雅勇/作曲:林哲司/編曲:船山基紀というラインナップでした。ちなみに、林哲司大先生、現在も菊池桃子などに曲提供してますね。

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2026年1月21日 (水)

1位じゃなくちゃダメですか?

かすてら音楽夜話Vol.220

今回取り上げるのは、メジャーもメジャー、それどころかレジェンドともいえる人物ながら、シングルカットされた楽曲がチャート1位を獲得していないケースでございます。

ヒットチャート、それは選挙と同じく、民意が反映した結果だとは思いますが、勢いに乗って売れてしまったものの、それ以降鳴かず飛ばず、一発屋に終わるみたいな例も。また、日本に限っていえば楽曲の良しあしを問わず、「握手会」に乗せられて結果売れたみたいなものも。

1位獲得という偉業を成し遂げても、楽曲も人物も忘れ去られるよりは、今回取り上げる人たちは、末永く記憶に刻まれていますので、どちらが幸せなのかは明白です。

Bruce Springsteen

Brucespringsteen

アメリカという国を音楽で象徴したようなのが、Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン、愛称「Boss」)です。

 

なんといっても、Bossといえば、この曲、「Born In The U.S.A.」です。1984年10月のリリースで、ビルボードHot100で9位、キャッシュボックスでは8位でした。

同年リリースのアルバム『Born In The U.S.A.』からの3曲目のシングルカットになります。

アルバムもシングルも星条旗が描かれ、いかにも愛国歌かのように思えるのですが、曲の内容はベトナムからの帰還兵の疎外感を歌っています。

Bossは民主党支持者でありながら、1984年のアメリカ大統領選挙で「Born In The U.S.A.」を共和党陣営がキャンペーンソングとして採用しそうになったことがあります。やはり、星条旗のイメージなんでしょうか。でも、アメリカ人なんだから英語はわかるはずでしょう。ああいった政治家たち(ブレーンも含む)は、曲なんか聴いてないんでしょうね。確か、トランプも使おうとしたように思いますが。

ところで、Bossのシングル最高位は同アルバムの先行シングル、「Dancing In The Dark」で2位に終わりました。

もともと、スプリングスティーンという人は、ライヴ重視であり、クオリティの高いアルバムをリリースしていて、あまりシングル曲にはこだわりを持っていなかったようです。ですが、プロデューサーの一人でもある、John Landau(ジョン・ランドー)にシングルの重要性を説かれ、このアルバムからは7枚のシングルがリリースされています。

「Born In The U.S.A.」は9位に終わりましたが、アメリカだけの売り上げで300万枚、トリプルプラチナム認定というすごいことになりました。

また、アルバム『Bon In The U.S.A.』も当然ビルボードHot200で1位だし、1984年の年間チャートは28位に終わったものの、翌1985年の年間チャートでは見事に1位になり、また1986年の年間チャートでも16位となってます。売り上げは驚異の1700万枚。全世界で3000万枚というモンスターアルバムとなったのでした。

★★★

佐野元春

Motoharu

一方、オリコンシングルチャートでいうと、佐野元春も1位を獲得してないアーティストの一人です。

 

映像は1997年11月リリースのシングル、「Young Forever」でした。チャート上は39位に沈んでおります。

言い訳がましく補足をすれば、もっと前の映像を使いたかったんですよね。1980年代の曲とか。その点、映像管理に権利が絡むのか、佐野元春氏のオフィシャルYouTubeチャンネルでは取り上げてないんです。

ただ、この曲はアルバム『The Barn』(オリコン17位)収録で、アルバム全体をウッドストックのスタジオで収録しております。この時のバックバンドがまた豪華で、バンド名がThe Hobo King Band。

メンバーが、ギター(リード):佐橋佳幸。ギター(リズム):Dr. Kyon。ベース:井上富雄。キーボード:西本明。ドラムス:小田原豊。

佐野元春のシングルとしての最高位は「約束の橋」の4位になります。この曲は1989年にシングルとしてリリースされ、20位に終わったものの、ドラマの主題歌の採用されたため、1992年に再録されたものがリリースされ、4位になったものです。

シングルでは1位を取れなかったものの、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いがあったことも。アルバムチャートではニューヨーク録音の『Visitors』(1984年)と渡米前のベストアルバム『No Damege』(1983年)が1位になってます。

ただでさえ、芸能界どっぷりのアイドル系に割って入り、ベストアルバムで1位になるということが当時としては偉業ともいえますね。

また、コラボ作品の「時代遅れのRock'n'Roll Band」(2022年)がオリコンデジタルチャートで1位となり、NHKの紅白出演も果たしました。

◆◆◆

シングルチャートといっても、ビルボードとキャッシュボックスでは集計方法も異なりますし、メディアでの放送回数なども加味されたりで、一概に売り上げだけではないのですが。

日本の場合だと、一過性の人気がすぐにチャートに反映されるのはいいのですが、Book Offなどを見て回ると、山のように積み上げられ、1枚330円で売られているかつての人気作品もありますからね。その点は「1位じゃなくちゃダメですか?」っちゅうことになります。

逆に、1位を取るということはすごいことでもあり、The Beatles(ビートルズ)のメンバーが解散後に全員がシングル1位を獲得していたり。また、グループの超絶なヴォーカリストでも、ソロで1位を取れないなんてことも。Mick Jagger(ミック・ジャガー)やFreddie Mercury(フレディ・マーキュリー)など。Eagles(イーグルス)のDon Henley(ドン・ヘンリー)とGlenn Frey(グレン・フライ)もそのケースです。

結局はチャートだけでなく、いかに人々の心に深く印象が刻まれるかということなんでしょうね。

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2026年1月 3日 (土)

カバーでナンバーワン

かすてら音楽夜話Vol.219

あけましておめでとうございます。

かすてら音楽夜話、本年も頑張っていきますので、よろしくお願いします。引き続き、ご愛顧のほどを。

さて、新年1発目は、カバー曲なのに1位を取っちゃったいくつかをご紹介します。

では、こちらをお聴きください。

I Love Rock'n Roll

 

おなじみ、「I Love Rock'n Roll」なんですが、なんか違和感が。男性ヴォーカルだし。

つうのも、これぞこの曲のオリジナルで、イギリスのバンド、The Arrows(アローズ)が1975年にリリースしたシングルなのであります。作者は、Alan Merril(アラン・メリル、ベース、ヴォーカル)とJake Hooker(ジェイク・フッカー、ギター)名義になってますが、実際にはメリルが書いたものです。

なんで共作名義にしたのかというと、メリルの借金返済のためだといわれています。

音源は同じものですが、演奏シーンが入った映像付きのものはこちら

いやあ、スリーピースバンドながら、十分イカしてますよね。

Joan Jett & The Blackhearts(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ)がなんでこの曲をカバーしたかというと、The Runaways(ランナウェイズ)がイギリス公演中、テレビでアローズの演奏を見たのがきっかけだったようです。アローズはイギリスでテレビ番組を持っていたんですね。なお、ランナウェイズは本国アメリカよりも日本をはじめとする外国のほうが人気がありました。

それで、ランナウェイズでカバーするつもりが却下され、ジョーン・ジェットが新たに結成したバンドで演奏し、1981年にBillboard Hot 100(シングルチャート)で7週間1位という、偉業を成し遂げたのです。年間チャートでっも3位でした。

 

ジェット姐さんのヴァージョンはこちら。映像はTop Popという番組用のものみたいですが、音源はオリジナルを使用してます。また、アローズの原曲に忠実なアレンジをしてますね。なお、彼女たちの次のシングル、「Crimson And Clover」も実はカバー曲なのでした。

近年のジェット姐さんの映像もありましたが、タトゥは入ってるわ、声は力がないわで、やっぱ昔のほうがいいですよね。

なお、アローズはイギリスを拠点にしていたバンドながら、メリルとフッカーはアメリカ人です。

なお、メリルは音楽一家で、母親が著名なジャズシンガーのHelen Merril(ヘレン・メリル)です。この人の経歴も変わっていてアローズ結成以前は来日し、天下のナベプロに所属し活動をしていたようです。ウォッカ・コリンズというバンドも組んでいて、筆者は今はなき日清パワーステーションでのイベントでライヴを見たことがあります。残念なことですが、2020年にコロナでお亡くなりになってます。69歳でした。

ま、ジェット姐さんにはこの曲を紹介してもらったことに感謝ですかね。

Everytime You Go Away

Ms0061

 

イギリスのブルーアイドソウルシンガー、Paul Young(ポール・ヤング)が1985年にリリースしたシングルで、ビルボード1位、ビルボードアダルトコンテンポラリー部門1位、キャッシュボックス1位、ビルボード年間チャート11位という、ヤングの最大のヒット曲です。

オリジナルはDaryl Hall & John Oates(ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ホール&オーツ)が1980年にリリースしたアルバム『Voices』(邦題『モダン・ヴォイス』)に収録された曲で、シングルカットはされていません。

ヤングのヴァージョンもオリジナルに近いものがありますが、演奏にシンセサイザーや電子ピアノを使っていて、個人的には違和感を覚えます。

 

こちらが、ホール&オーツ版。彼らもヨーロッパ系のアメリカ人ながら、ブルーアイドソウルを得意としていました。まあ、その後、『Voices』以降、シングルカットされた曲が続けて1位になるなど、デュオとしてはSimon & Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)に肩を並べるようなところまで行ってしまいましたが。

個人的には聴きなれたホール&オーツのほうが、好きですねえ。

ところで、ホール&オーツにもカバー曲があって、同じく『Voices』収録の「You've Lost That Lovin' Feelin'」(邦題「ふられた気持ち」)です。オリジナルはThe Righteous Brothers(ライチャスブラザース)の1964年のヒットで、ビルボード1位、年間チャート5位でした。ホール&オーツ版はシングルカットされ、12位まで上昇。これがきっかけでもないのでしょうが、次のシングル「Kiss On My List」が1位となり、快進撃につながるのでした。

Without You

 

こちら、Hurry Nilson(ハリー・二ルソン、日本では二ルソン)Mariah Carey(マライア・キャリー)のヒットで有名な「Without You」のオリジナルヴァージョンです。

特に、ニルソンのカバーは1971年にリリースされ、4週連続のビルボード1位、年間チャート4位となりました。ちなみに、マライア版は3位ですが、イギリスで1位となり、世界的ヒットとなったようです。知らんけど。

このオリジナルを作ったのが、イギリスはウェールズ出身のバンド、Badfinger(バッドフィンガー)でした。1970年、アルバム『No Dice』に収録された曲で、シングルカットはされていません。

作者はバンドメンバーのPete Ham(ピート・ハム)とTom Evans(トム・エヴァンズ)です。なんと彼らはビートルズが作ったApple Record所属でした。

バッドフィンガーは悲劇のバンドともいえ、詐欺師まがいのマネージャーと契約し、ワーナーと契約するものの、そのマネージャーが悪徳でワーナー側から支払われる巨額な金額をすべて自分の会社に入るようにし、バンドへはわずかな月給を支払うようなことを行っていました。そのため、金銭的に行き詰ったハムは自殺してしまいます。

その後、バンドは解散し、1978年に再結成します。しかし、「Without You」の利権をめぐり、エヴァンズがメンバーと対立し、法廷闘争になりますが、それに疲れたエヴァンズも1983年に自殺してしまいます。これで、完全にバッドフィンガーは終焉を迎えました。

考えようによっては「Without You」も罪作りな曲なんですねえ。

Got My Mind Set On You

 

なんと、George Harrison(ジョージ・ハリスン)の「Got My Mind Set On You」もカバー曲だったのです。

1987年にリリースされ、ビルボード1位、1988年の年間チャート3位でした。

オリジナルはJames Ray(ジェームス・レイ)というリズム&ブルースシンガーが1962年にリリースしたシングルのB面で、作者はRudy Clark(ルディ・クラーク)という人です。

この曲はジョージの最後のナンバーワンヒットであるばかりでなく、ビートルズのメンバーとしても現在のところ最後の1位獲得曲になります。つまり、これ以降、リンゴもポールも1位を取っていないということになります。

この曲が収録されたアルバム『Cloud 9』には、Jeff Lynne(ジェフ・リン、元ELO)が参加していて、これがきっかけとなって、覆面バンドのTraveling Wilburys(トラベリング・ウィルベリーズ)が結成されたのでした(メンバーはジョージ、リン、ロイ・オービソン、ボブ・ディラン、トム・ペティ)。

◇◇◇

その他にも、Shocking Blue(ショッキング・ブルー)「Venus」(ビルボード1位)をカバーしたBananarama(バナナラマ)も1位だったり。Little Eva(リトル・エヴァ)「Locomotion」(ビルボード1位)をGrand Funk(グランドファンク)がカバーし、これも1位。「Locomotion」に関しては世界中でカバーされ、フランスのシルヴィー・バルタンも本国で1位。日本では伊東ゆかり(当時はオリコンがなく、チャート不明)、ゴールデンハーフもカバーしてます。

胸糞が悪いのは大みそかの紅白にも出場した沖縄出身の某グループが当初は自身が作者であるとして、「ロコローション」というタイトルでオリコン1位を取ったものの、「Locomotion」の制作サイドからクレームが付き、作者がのちにGoffin-Kingに改められております。こいつら、CDシングルに収録していた「Orange Boat」という曲も自作だとしていましたが、ハリー・べラフォンテの側からもクレームがついて、彼の「Banana Boat」のカバーであると改められています。まったく、ふざけた野郎どもだよ。消えてほしい。

◇◇◇

また逢う日まで

日本の曲では尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」という曲のカバーです。阿久悠&筒美京平コンビの名曲で、レコード大賞、歌謡大賞のダブル受賞で、もちろんオリコン1位。なのに、年間チャートで3位。1位は「わたしの城下町」2位が「知床慕情」でした。

「ひとりの悲しみ」はヒットせず、阿久悠氏が詞を書き直し、尾崎に提供したものです。

 

「ひとりの悲しみ」、実はカラオケにあったりしますけど。また、『筒美京平 Golden History』(コロムビア盤)に収録されてます。このYouTubeは違法アップロードです。

もうひとつありますが、共有できないんですよね。リンク貼っておきます。町田義人氏のダイナミックな歌唱、尾崎氏とまた違っていいですわ。

下記のバナークリックもよろしくお願いします。コメントもお待ちしております。

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2025年12月21日 (日)

地名じゃないよ、人名だよ

かすてら音楽夜話Vol.218

アルファベット順にピックアップする人の名前がタイトルに入った曲シリーズです。

今回は"G"になりますが、これまた希少な名前なのかあまりないのですね。

Michel Polnareff「Gloria」

 

懐かしのMichel Polnareff(ミッシェル・ポルナレフ)、「Gloria」(邦題「忘れじのグロリア」)です。

1970年代前半に、なぜか日本で洋楽チャートに割って入ったフランス人シンガーソングライターです。お借りしたYouTubeの「Gloria」は音声のみで、映像は静止画になりますが、当時のポルナレフのイラストになりますか。もしかしたら、彼のアルバムのジャケ写だったのかもしれませんが。

ともかく、デカいサングラスとカーリーヘアが特徴で、一度見たら忘れることはできないでしょう。わたしゃ、拝見したことはないのですが、あるコンサートの宣伝ポスターでは、生尻を見せるは、局所を隠しての「アキラ100%状態」(by トーマスさん)だったとかで。まあ、一風変わった人なんでしょう。

さて、この「Gloria」、英語版wikiによれば、1970年にリリースされ、フランスで2位、ベルギーで7位という記録が残ってます。もちろん、日本でもリリースされましたが、1973年のリリースで、おそらくオリコン洋楽チャートで33位だったのではないかと思われます。そういや、サビの部分何となく覚えてます。ラジオのチャート番組などで流れてました。

ポルナレフのディスコグラフィについてはフランス語版wikiよりも英語版のほうが詳しいのですね。なお、この「Gloria」のカップリングのB面が「Je Suis Un Homme」(I'm A Manの意味)というものですが、前述の露出騒ぎで、ポルナレフが同性愛者であるとの誤解を受け、コンサートでステージに上がった客から暴行されたことにショックを受けたことに対し、「自分(ポルナレフ)は異性愛者、ノーマルである」ということを伝えるものだったそうで。

余談
Laura Branigan(ローラ・ブラニガン)という人も、1982年のシングル、「Gloria」というビルボード2位となるヒットがありますが、この曲もイタリア人が書いた曲のカバーで、歌詞は英語に直されてます。なお、ブラニガンさん、2004年にお亡くなりになっています。

Ms0057

Boz Scaggs「Georgia」

 

またしても登場のボズさんです。

「Georgia」(ジョージア)なんて、絶対地名だろとわたしゃ思い込んでおりました。

 

アメリカ合衆国、ジョージア州。

あるいは。

 

旧ソ連を構成していた国、ジョージア。スターリンの出身地でもありますね。

もっとも、ボズさんが、この曲を書いた時には、少なくとも日本では「グルジア」と呼ばれていた国なので、これは違いますね。さらに詳しく読み取っていくと、ジョージア本国では「サカルトヴェロ」と称しているそうで。「グルジア」はロシア語読みで、英語に転じて「ジョージア」なんすね。

ま、ボズさんの歌を聴き取っていくと、ジョージアという女性であることがわかります。ジョージア州に対する郷土愛を歌う曲ではありません。

この「Georgia」という名前、数は少ないですが、女性の名前のようです。まあ、これまた、「ジョージア(曖昧さ回避)なんてとこから見つけたんですけどね。

ボズさん、比較的女性の名前が入った曲が多いようで。しかも、Georgiaと並ぶような珍名ともいえる「Jojo」なんて曲も。あ、ひとつ、ネタ飛ばしました。

「かすてら音楽夜話」年内の更新はこれで最後です。いろいろとお騒がせいたしました。2026年もよろしくです。ネタは一応あるので、年明けすぐにでも記事上げますね。バナークリックもよろしくお願いします。

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2025年12月 9日 (火)

裏声の男たち

かすてら音楽夜話Vol.217

 

いきなりの、Bee Gees(ビージーズ)、「You Should Be Dancing」でございました。

今回のテーマとして、男性でありながら裏声、ファルセットで歌うヒトにスポットを当てたいと思います。

この、ビージーズの映像、おそらくはライヴでありながら、口の動きがシンクロせず、もともとの音源を使用しております。「You Shoul Be Dancing」の映像はいくつものヴァージョンがあるのですが、これを持ってきたのは、ギブ4兄弟の末弟、Andy Gibb(アンディ・ギブ)も加わっての映像上でのパフォーマンスがレアかなと思ったからです。残念なことに、生き残っているのは長男のリードヴォーカル、Barry Gibb(バリー・ギブ)だけです。

この曲がリリースされたのは、1976年6月。Billboard Hot 100(ビルボードシングルチャート)で1週間、1位を獲得しました。これが、3回目の1位獲得曲ですが、バリーが本格的にファルセットに挑んでヒットした最初の曲ということになります。

これに味を占めたわけではないのでしょうが、以降、ビージーズはほとんどファルセットの曲を出し続けます。6曲連続ナンバーワンのうち、最初の「How Deep Is Your Love」(邦題「愛はきらめきの中に」)以外、全部がファルセットですね。味を占めたとでも申しましょうかね。

末弟のアンディも(アメリカでの)デビュー作、「I Just Want To Be Your Everything」(邦題「恋のときめき」)でファルセットを披露しているんですが、それもそのはずで作者がバリーですし、バリーがバックコーラスも担当しています。1977年4月のリリースで、返り咲きを含む3週1位を獲得。以降の2曲のシングルも連続で1位(3曲目の「Shadow Dancing」は年間チャートでも1位)ですし、おそらくはルックスも相まって、ビージーズより人気があったのではないでしょうか。

さて、ビージーズは1977年の映画「Saturday Night Fever」(サタデーナイトフィーバー、主演、ジョン・トラボルタ)のサウンドトラックにより、キャリアの頂点を極めることになります。サウンドトラックにはビージーズ関連の曲が8曲収録。うち、ビージーズが演奏するものが6曲。ナンバーワンヒットとなった曲が4曲(それ以前に1位を獲得した曲を含めると6曲)。という、サウンドトラックとしては異例の対比っとアルバムとなり、全世界で4000万枚が売れたとのことです。ただし、アンディ名義の曲は収録されませんでした。

こちらも余談があります。実はトラボルタが躍るシーン、最初はビージーズの曲ではなかったとのこと。一部ではBoz Scaggs(ボズ・スキャッグス)の「Low Down」であったとの証言が英語版wikiでは記述がありますね。ボズ側が曲の使用を認めなかったそうですが。

髭面のファルセット、ある面ビジュアルなんかどうでもいいというのが、当時のアメリカですかね。

Philip Bailey

 

おなじみ、Earth, Wind & Fire「September」でございます。

これ、好きなんでアースの中で持ってきたんですけど、圧倒的な存在感を持つ、リーダーでリードヴォーカルのMaurice White(モーリス・ホワイト、故人)にスポットがどうしても当たってしまい、ファルセットの持ち主、Philip Bailey(フィリップ・ベイリー)にとっては映像上は影が薄く見えてしまいますね。

ビージーズのバリー・ギブをはじめとするファルセットを得意とするシンガーは地声でもヒット曲を持っているわけですが、フィリップ・ベイリーからファルセットを抜きにしたら、な~んも特徴のないヒトということになりますか。それだけ、ファルセットだけでやってきた人物でもあります。

そんな、フィリップ・ベイリーにもスポットが当たることになったのが、この曲です。

 

Philip Bailey & Phil Collins「Easy Lover」でした。

Phil Collins(フィル・コリンズ)はイギリスのバンド、Genesis(ジェネシス)のドラマーで、1980年代にソロとしても活躍した人です。ジェネシスとしてより、ソロのほうが稼ぎはよかったのではないかと思われますね。

そのふたりがタッグを組み、1984年にリリースしたのが、この曲でした。

ビルボードでは2位に終わりましたが、もうひとつの当時権威のあったチャート、Cash Boxでは1位を取ってます。

曲を聴くと、フィリップさん無理して声を裏返しているようには見えないんですよね。ナチュラルにキイが高いので、ちょっと頑張ればああいうヴォーカルスタイルができたということなんでしょうか。

もともと、アメリカのアフリカ系シンガーはファルセットを押し出してきた人たち(Smokey Robinson、Temptationsなど)も多かったという傾向はあります。もっとも、アースはMotown(モータウン)とは一線を画してきたグループではあるのですが。

Leo Sayer

 

Leo Sayer(レオ・セイヤー)の「You Make Me Feel Like Dancing」(邦題「恋の魔法使い」)でした。

レオ・セイヤーといいますと、毎年この時期に思い浮かぶのが、John Lennon(ジョン・レノン)の狙撃事件です。結局ジョンは狂信的なファンに撃たれて亡くなるのですが。

45年前の12月8日(日本時間は9日、すなわち本日)のことです。当時、ジョンは主夫生活から脱却しアルバム『Double Fantasy』をリリース。その最初のシングルが「Starting Over」だったわけで、ジョンの死後、「Starting Over」はあれよあれよという間にチャート1位に上り詰めたのです。

その割を食ったのがレオ・セイヤーだったわけです。彼のシングル、「More Than I Can Say」(邦題「星影のバラード」)はKenny Rogers(ケニー・ロジャース)の「Lady」に続いての2位でした。しかし、「Starting Over」が「More Than I Can Say」を飛び越しての1位獲得で、レオの3回目の1位獲得はできなかったのです。

さて、「You Make Me Feel Like Dancing」は1976年リリースで、レオ・セイヤーとしてもアメリカで初のヒットとなり、1位も獲得しました。当時の「サタデーナイトフィーバー」前夜といいますか、ディスコの波が徐々に来ていたのではないでしょうか。ファルセットの曲でもありますし。

ちなみに、レオは地声で次のシングル、「When I Need You」(邦題「はるかなる想い」)でも1位を取っています。

新田一郎

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邦楽ファンの皆さん、お待たせいたしました。最後は新田一郎さんです。

 

ファーストソロアルバム『一番 クールが熱い』収録の「サンライズ・サンセット」(作詞:宮下康仁 作編曲:新田一郎)でした。この曲はソロになってのファーストシングル「Not For Sale」との両A面でした。チャート成績は不明です(スペクトラム、新田一郎ともwikiでは不明)。

新田さんもファルセットにスポットを当てられる人ですかね。とはいえ、Spectrum(スペクトラム)時代にも地声での曲もあるんです。

2025年の初めのころからスペクトラムの「F・L・Y」(作詞:Mabo 作編曲:スペクトラム)という曲がTikTokでバズり始め、とうとう、Victorでも公式ビデオを作るという奇跡が起こりました。解散の1981年から44年。これに関連して、新田一郎個人の楽曲も併せて公式ビデオができたということになります。(注:Maboというのは篠塚満由美氏のことです)

新田氏は17歳で渡辺プロダクションにスカウトされ、トランペットプレイヤーとして裏方の道を歩んできました。奈良出身なので、ナベプロの常道として、東京の赤城台高校に転校するのですが、(おそらく)仕事が忙しすぎて中退。ナベプロのスターのバックで裏方に徹してきたのですが、自分も表舞台でやりたいと、Horn Spectrum(ホーン・スペクトラム)を結成し、それが発展して歌って踊れるエンターテイメントバンド、スペクトラムを結成することになります。

事務所もキャンディーズのマネージャーであった大里氏のアミューズに移籍し、初期のアミューズを支えてきた功労者ということになります。(キャンディーズのバックに新田氏も起用されていた)

8人編成のスペクトラムですが、新田氏の指導はかなりスパルタ的で、加入当時19歳のギタリスト西氏には、ストロークだけを何時間も練習させ、腱鞘炎寸前まで追い込んだとか。また、当時大学生であった今野氏にもリハーサルの繰り返しはキツイものがあったようです。それがあってこそ、高度なパフォーマンスを保てたともいえますが。

 

ちゅうことで、やっぱり新田さんのファルセットといえば、この曲ですかね。スーパーリミックス版の「In The Spece」でした。

ちなみに、このリミックス版はスペクトラム解散後に現役のトロンボーン奏者でありながらVictorのエンジニアにもなっていた、吉田氏が手掛けたものです。

なお、筆者もそうですが、スペクトラムのファンはたとえ、もう当時のように踊れなくなっていたとしても、スペクトラムの復活を待ち望んでいると思います。今のところ、新田氏を除いて全員が現役のミュージシャンですし。新田氏は芸能プロダクションの社長業のほうが、忙しいのでしょうか。

新田さんはアースでいえば、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリー、そしてホーンセクションすべてをやりたかったのかもしれませんね。かすかな希望をもって、スペクトラムの本当の最後を見届けたいと思います。新曲はいらないぜ。

久々、邦楽関連の記事を書くことができました。ご意見、コメントもお待ちしています。また、下記のバナーもクリックお願いします。

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