東芝は原子力発電を手掛けるメーカーで、『Covers』収録の「Love Me Tender」が反原発を思わせる内容だったため、発売中止になったと思われます。同アルバムは古巣である、Kittyからリリースされましたが、ラジオのFM東京(現在はTokyo FM)がオンエアを自粛したため、ザ・タイマーズを結成しゲリラライヴを行ったり、フジテレビでオンエア中にFM東京を批判するなど、物議をかもしました。とはいえ、ザ・タイマーズも東芝EMI所属ではあったんですけど。
あちらの業界、セクシャリティに関してはかなり昔から怪しげな人はいましたが、やはり時代なのか表立って公表するという人はいなかったはずです。あの、Freddie Mercury(フレディ・マーキュリー)でさえ、存命中はひた隠しにしていたほどですから。さらにはBay City Rollersのヴォーカル、Leslie McKeown(レスリー・マッコーエン)も同様です。
1981年リリースのBilly Joel(ビリー・ジョエル)のシングル、「Say Goodbye To Hollywood」(邦題「さよならハリウッド」)でした。
もともとのヴァージョンは1976年リリースの『Turnstiles』(邦題『ニューヨーク物語』Billboard Hot 200、122位)収録で、同アルバム収録の「I've Loved These Days」のB面としてリリースされた曲です。その後、イギリスなどで、改めてシングルカットされていますが、チャート圏外に終わりました。
その後の1981年にライヴアルバム『Songs In The Attick』がリリースされます。アルバムはビルボードアルバムチャートで8位。そして、「Say Goodbye To Hollywood」はファーストシングルとしてリリースされ、ビルボードシングルチャートで17位というスマッシュヒットを記録しました。続く「She's Got A Way」も23位を記録しました。
しかし、ロスでの日々は失望を抱えたものだったようで、1975年にニューヨークに戻っています。そのような思いが、この曲や「New York State Of Mind」(邦題「ニューヨークの想い」)などにも表れています。
ビリー・ジョエルの『Songs In The Attick』の収録曲はほとんどが西海岸時代の不遇だったころの作品です。そして、かつてはシングルとしてリリースしたものの、まるでチャートに入らず、それらをライヴレコーディングするとともに、シングルカットする。ビリー・ジョエルの執念のようなものがついに実を結んだということでしょうか。
The Rolling Stones「Going To A Go Go」
The Rolling Stones(ローリングストーンズ)がアルバム『Tatto You』(邦題『刺青の男』、ビルボード1位)を引っ提げての、USツアーでのライヴレコーディングが、1982年リリースの『Still Life』でした。
この時のセットリストでは、オープニングが「Take The A Train」(「A列車で行こう」デューク・エリントン楽団)のイントロから「Under My Thumb」で始まり、「The Star-Spangled Banner」(アメリカ国歌、ジミ・ヘンドリックスのウッドストックで披露したヴァージョン)で終わるという流れになっていますが、アルバムの最初と最後は同じ構成になっています。
その『Still Life』からのファーストシングルが、「Going To A Go Go」だったわけですが、作者はSmokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)とThe Miracles(ミラクルズ)のメンバーで、彼らが1965年にリリースした曲のカバーになります。
ストーンズは意外にもカバー曲をよく収録するバンドで、デビュー直後のシングルはほとんどがカバー曲でしたし、アルバム『It's Only Rock'n Roll』では「Ain't Too Proud To Beg」(17位)、アルバム『Dirty Work』では「Harlem Shuffle」(5位)というカバー曲のシングルもリリースしています。また、アルバムに往年のブルースやソウルのヒット曲のカバーを入れていたりもするほど。
でなところでの、ミラクルズのナンバー、「Going To A Go Go」ですが、チャートでは25位に沈んでおります。ですが、臨場感がすごいです。収録はメリーランド州ラーゴでの公演のものです。
なお、ストーンズは各年代でライヴアルバムをリリースしています。70年代に『Get Yer Ya-Ya's Out』、『Love You Live』、90年代に『Flashpoint』、『Stripped』、『No Security』、2000年代に『Live Licks』、『Shine A Light』という具合で、ブートも含めれば誰よりも多くのライヴ盤をリリースしていますね。さすがは史上最高のライヴバンドです。
Peter Frampton「Show Me The Way」
最後に紹介するのは、Peter Frampton(ピーター・フランプトン)の「Show Me The Way」です。
1976年リリースのシングルで、6位となるヒットになりました。続く「Baby, I Love Your Way」も同じくライヴ盤で12位。その次のシングルもライヴ盤の「Do You Feel Like We Do」も10位という、フランプトン大ブレイクの年となりましたが、この3曲が収録された『Frampton Comes Alive!』というライヴアルバムはなんと、10週連続の1位です。ライヴアルバムとしてはほぼありえない大成功を収めたのですね。
そこから地道にほかのバンドのサポートなどもやりながらライヴで実力を積み上げてきた人で、ついに『Farampton Comes Alive!』で花開いたといっていいでしょう。
ちなみに、『Frampton Comes Alive!』からリリースされた3曲のうち、「Show Me The Way」と「Baby, I Love Your Way」は前年のスタジオアルバム『Frampton』にも収録され、シングルカットもされていますが、チャート圏外でした。ただし、アルバムは32位というアメリカで初のヒットを記録したところから、じわじわとフランプトン旋風が起きていたのかもしれません。
その次のアルバム『I'm In You』も2位に入り、同名のシングルも自己最高の2位を記録します。
その後、Bee Gees(ビージーズ)らが企画した映画「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』にも出演したものの、映画は失敗。サウンドトラックは5位になったものの、フランプトンが関係する楽曲はチャート圏外に終わりました。ただし、Earth, Wind & Fire(アースウィンドアンドファイア)がリリースした「Got To Get You Into My Life」は9位を記録してます。
てなことで、この曲はBillborad Hot 100(ビルボードのシングルチャート)の77位というマイナーヒットになっております。それでも、イーグルスの公式チャンネルではライヴヴァージョンも上がっています(音声のみ)。その他にも、テレビショーや様々な会場でのライブもありますね。いずれも、音声のみですが、ほぼ原曲に忠実で、さすがのクオリティです。
もともとは、1976年のアルバム『Come On Over』(邦題『水のなかの妖精』、ビルボードHot 200で13位)のオープニングナンバーです。アメリカ・イギリスではシングルカットされておりません。
それ以前の1974~1975年にかけてアルバムが2連続の1位、シングル「I Honestly Love You」、「Have You Never Been Melow」(邦題「そよ風の誘惑」)がやはり連続の1位、「Please Mr. Please」が3位というブレイクを果たしたものの、それ以降は徐々に低迷期に入っていた頃なんですが、日本では絶大的に人気があったんですね。
ELOは1972年から1986年までの間に最もビルボードTop40内にヒット曲を送り込んだことで、ギネス認定されているそうです。アルバム『Discovery』からも「Shine A Little Love」(英6位、米8位)、「Don't Bring Me Down」(英3位、米4位)、「Confusion」(英8位、米37位)、「Last Train To London」(イギリスでは「Confusion」との両A面、米39位)とシングルヒットを送り込みました。とはいえ、英米ともシングルでは1位を獲得しておりません。
ただ、「Diary Of Horace Wimp」以外の曲は、ディスコサウンドの影響を受けているともいわれています。アルバムタイトル『Discovery』も冗談でしょうが、メンバーが"Very disco."とコメントしたとかしないとか。
Bossは民主党支持者でありながら、1984年のアメリカ大統領選挙で「Born In The U.S.A.」を共和党陣営がキャンペーンソングとして採用しそうになったことがあります。やはり、星条旗のイメージなんでしょうか。でも、アメリカ人なんだから英語はわかるはずでしょう。ああいった政治家たち(ブレーンも含む)は、曲なんか聴いてないんでしょうね。確か、トランプも使おうとしたように思いますが。
ところで、Bossのシングル最高位は同アルバムの先行シングル、「Dancing In The Dark」で2位に終わりました。
「Born In The U.S.A.」は9位に終わりましたが、アメリカだけの売り上げで300万枚、トリプルプラチナム認定というすごいことになりました。
また、アルバム『Bon In The U.S.A.』も当然ビルボードHot200で1位だし、1984年の年間チャートは28位に終わったものの、翌1985年の年間チャートでは見事に1位になり、また1986年の年間チャートでも16位となってます。売り上げは驚異の1700万枚。全世界で3000万枚というモンスターアルバムとなったのでした。
Joan Jett & The Blackhearts(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ)がなんでこの曲をカバーしたかというと、The Runaways(ランナウェイズ)がイギリス公演中、テレビでアローズの演奏を見たのがきっかけだったようです。アローズはイギリスでテレビ番組を持っていたんですね。なお、ランナウェイズは本国アメリカよりも日本をはじめとする外国のほうが人気がありました。
それで、ランナウェイズでカバーするつもりが却下され、ジョーン・ジェットが新たに結成したバンドで演奏し、1981年にBillboard Hot 100(シングルチャート)で7週間1位という、偉業を成し遂げたのです。年間チャートでっも3位でした。
ジェット姐さんのヴァージョンはこちら。映像はTop Popという番組用のものみたいですが、音源はオリジナルを使用してます。また、アローズの原曲に忠実なアレンジをしてますね。なお、彼女たちの次のシングル、「Crimson And Clover」も実はカバー曲なのでした。
ところで、ホール&オーツにもカバー曲があって、同じく『Voices』収録の「You've Lost That Lovin' Feelin'」(邦題「ふられた気持ち」)です。オリジナルはThe Righteous Brothers(ライチャスブラザース)の1964年のヒットで、ビルボード1位、年間チャート5位でした。ホール&オーツ版はシングルカットされ、12位まで上昇。これがきっかけでもないのでしょうが、次のシングル「Kiss On My List」が1位となり、快進撃につながるのでした。
ポルナレフのディスコグラフィについてはフランス語版wikiよりも英語版のほうが詳しいのですね。なお、この「Gloria」のカップリングのB面が「Je Suis Un Homme」(I'm A Manの意味)というものですが、前述の露出騒ぎで、ポルナレフが同性愛者であるとの誤解を受け、コンサートでステージに上がった客から暴行されたことにショックを受けたことに対し、「自分(ポルナレフ)は異性愛者、ノーマルである」ということを伝えるものだったそうで。
余談 Laura Branigan(ローラ・ブラニガン)という人も、1982年のシングル、「Gloria」というビルボード2位となるヒットがありますが、この曲もイタリア人が書いた曲のカバーで、歌詞は英語に直されてます。なお、ブラニガンさん、2004年にお亡くなりになっています。
いきなりの、Bee Gees(ビージーズ)、「You Should Be Dancing」でございました。
今回のテーマとして、男性でありながら裏声、ファルセットで歌うヒトにスポットを当てたいと思います。
この、ビージーズの映像、おそらくはライヴでありながら、口の動きがシンクロせず、もともとの音源を使用しております。「You Shoul Be Dancing」の映像はいくつものヴァージョンがあるのですが、これを持ってきたのは、ギブ4兄弟の末弟、Andy Gibb(アンディ・ギブ)も加わっての映像上でのパフォーマンスがレアかなと思ったからです。残念なことに、生き残っているのは長男のリードヴォーカル、Barry Gibb(バリー・ギブ)だけです。
この曲がリリースされたのは、1976年6月。Billboard Hot 100(ビルボードシングルチャート)で1週間、1位を獲得しました。これが、3回目の1位獲得曲ですが、バリーが本格的にファルセットに挑んでヒットした最初の曲ということになります。
これに味を占めたわけではないのでしょうが、以降、ビージーズはほとんどファルセットの曲を出し続けます。6曲連続ナンバーワンのうち、最初の「How Deep Is Your Love」(邦題「愛はきらめきの中に」)以外、全部がファルセットですね。味を占めたとでも申しましょうかね。
末弟のアンディも(アメリカでの)デビュー作、「I Just Want To Be Your Everything」(邦題「恋のときめき」)でファルセットを披露しているんですが、それもそのはずで作者がバリーですし、バリーがバックコーラスも担当しています。1977年4月のリリースで、返り咲きを含む3週1位を獲得。以降の2曲のシングルも連続で1位(3曲目の「Shadow Dancing」は年間チャートでも1位)ですし、おそらくはルックスも相まって、ビージーズより人気があったのではないでしょうか。
さて、ビージーズは1977年の映画「Saturday Night Fever」(サタデーナイトフィーバー、主演、ジョン・トラボルタ)のサウンドトラックにより、キャリアの頂点を極めることになります。サウンドトラックにはビージーズ関連の曲が8曲収録。うち、ビージーズが演奏するものが6曲。ナンバーワンヒットとなった曲が4曲(それ以前に1位を獲得した曲を含めると6曲)。という、サウンドトラックとしては異例の対比っとアルバムとなり、全世界で4000万枚が売れたとのことです。ただし、アンディ名義の曲は収録されませんでした。
その割を食ったのがレオ・セイヤーだったわけです。彼のシングル、「More Than I Can Say」(邦題「星影のバラード」)はKenny Rogers(ケニー・ロジャース)の「Lady」に続いての2位でした。しかし、「Starting Over」が「More Than I Can Say」を飛び越しての1位獲得で、レオの3回目の1位獲得はできなかったのです。
さて、「You Make Me Feel Like Dancing」は1976年リリースで、レオ・セイヤーとしてもアメリカで初のヒットとなり、1位も獲得しました。当時の「サタデーナイトフィーバー」前夜といいますか、ディスコの波が徐々に来ていたのではないでしょうか。ファルセットの曲でもありますし。
ちなみに、レオは地声で次のシングル、「When I Need You」(邦題「はるかなる想い」)でも1位を取っています。
新田一郎
邦楽ファンの皆さん、お待たせいたしました。最後は新田一郎さんです。
ファーストソロアルバム『一番 クールが熱い』収録の「サンライズ・サンセット」(作詞:宮下康仁 作編曲:新田一郎)でした。この曲はソロになってのファーストシングル「Not For Sale」との両A面でした。チャート成績は不明です(スペクトラム、新田一郎ともwikiでは不明)。
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