セカンドブログ本格運用です

当ブログ、Cafe de Castellaですが、容量が95%までに到達しまして、年頭の予告通り、今後の海外・国内の旅に関する記事は新ブログ、Cafe de Castella Annexに掲載することにいたします。

そして「かすてら音楽夜話」に関しては容量が一杯になるまでこちらで記事を書いていくつもりでおります。

どちらのブログも今後とも宜しくお願いいたします。

さて、セカンドブログですが、PC版ですとココログとは見た目が大きく変わってます。なんといっても画像が大きく表示できます。そして、容量は毎月300MBまでアップロードが可能。と、いうことはほぼ無制限に近く、これまで以上に画像をアップロードできるということになります。

その代わり、特定の記事をトップ固定といったことができず、トラックバック機能がありません。また、PC版ではコメント欄にリンクがつけられません。スマホではできるのですが。

また、自分自身でもサイドバー設定などいまいちわかってない部分がありますので、これから少しずつカスタマイズしていく感じですかね。

Bcc0581

いずれにせよ、どちらのブログも今後ともご贔屓に。

しつこいようですが、新ブログ(セカンドブログ)は

Cafe de Castella Annex

です。叱咤激励から冷やかし、なんでも結構ですので、遊びにいらしてくださいませ。

店主敬白

この記事は当面トップに表示させておきます。最新記事はこの下から始まります。

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2024年4月 6日 (土)

浜田省吾 X 和田アキ子

かすてら音楽夜話Vol.187

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愛奴というグループを経て、ソロとしてデビューした浜省こと浜田省吾。

地道にライヴ活動を続けるものの、ヒット曲に恵まれず、ようやくオリコンチャートに入ってきたのが、この曲でした。

 

そう、日清カップヌードルのCM曲、「風を感じて」(作詞:三浦徳子 作曲:浜田省吾 編曲:水谷公生 *シングル盤のクレジット、1979年)でした。

これで、初のオリコンシングル25位を記録しております。

ただ、当時の浜省は、CMタイアップの話が持ち上がるものの、ことごとく話が没になるので、相当嫌気がさしていたみたいです。と、いうところに舞い込んだのが、カップヌードルであったとのこと。そのため、歌詞については自身で書くことを拒否し、あの三浦さんの出番となったわけです。しかし、実際には浜省自身が歌詞に手直しをして三浦さんの言葉はごくわずかであるという話も。

そればかりではないのですが、これ以外にヒット曲がなかったまま武道館ライヴを行いブレイクの兆しが表れるまでの時代をご本人は黒歴史みたいに感じることもあるようで、浜田省吾公式YouTubeチャンネルでよくぞ、この映像が取り上げられていたと思う次第です。わずか1分20秒という短さではありますが。

それでも、「風を感じて」は5枚目のアルバム『君が人生の時…』に収録されています。

さて、それ以前に収支の取れないライヴと売れないシングルという状態の浜省は、当時所属していたホリプロの歌手に曲を提供することで、生活を補っていました。と、いうか、実際にはホリプロからの給料支給で、著作権放棄という条件で曲を作っていたのだとワタクシは推測しますが、どうなんでしょうねえ。

1979年には歌手として致命的な欠陥を持つ能瀬慶子に5曲もの提供を行い、「裸足でヤングラブ」は作詞まで行うという無理を強いられました。こちらの記事は「ホリプロとハマショー」をご参照ください。

それ以前に曲を提供したのが、ゴッド姉ちゃん(当時の俗称)こと、和田アキ子でした。

 

和田アキ子、28枚目のシングル、「ダンス・ウィズ・ミー」(作詞:千家和也 作曲:浜田省吾 編曲:高田弘、1976年)でした。

おお、さすがは歌が上手い。これなら、歌唱指導もいらず、浜省はただ曲提供をするだけで、和田さんとも顔をあわす必要もありませんね。残念なことに、wikiには売り上げ枚数とかオリコン何位とかの表記がありません。でも、同タイトルのアルバムまでリリースされているので、これは浜省としてはホリプロからのかなりのプッシュがあったものを思われます。

ちなみに、和田アキ子は芸歴が長いですが、オリコン1位がなく、アルバムに至っては25位が最高なんだとか。代表曲は思い浮かびますが、その他のヒット曲となるとあまり思い浮かばないという感じですね。

こちら、アレンジがチープな感じがしますが、よーく聴くと浜田省吾のテイストが宿っております。

そして。

 

ドラマ「翔べ!必殺うらごろし」のテーマ、「愛して」(作詞作曲:浜田省吾 編曲:井上鑑、1978年)でした。

とはいえ、シングルとしてはB面で、A面は「ひとり酔い」という曲で、こちらは柳ジョージが手掛けています。和田さん、このドラマに出演していたようです。

この曲も浜田テイストが出ています。と、いうよりもタイトルを「愛を眠らせて」(1979年)と変更し、作詞も三浦徳子さんに依頼した6枚目のシングルなのですね。この時期、浜省は曲は作れるが歌詞が書けないという状況にあったとのこと。では、和田アキ子への提供は何だったんだということになりますが。まあ、提供はしたものの、納得はいってなかったんでしょうね。

ちなみに、この次のシングルが「風を感じて」となります。

和田アキ子の「愛して」ですが、いまひとつノリが悪いような。やはり、浜田省吾の曲は浜田省吾にしか歌えないのかも。

また、山口百恵や榊原郁恵にも曲を提供していますが、いずれもアルバム収録にとどまり、シングルは皆無でした。

かすてら音楽夜話では「お題」を募集しております。コメントからヒントを頂けることもありますので、よろしくお願いしますね。バナーのクリックもヨロシクでございますよ。

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2024年3月30日 (土)

日本限定ヒットの洋楽

かすてら音楽夜話Vol.186

日本は昔からタイでいうファラン(欧米系の外国人で非アフリカ系の人々)に憧れる傾向があるようです。

まあ、彼らは日本と異質な文化と価値観を持った人たちです。ですが、「尊王攘夷」「生麦事件」や「鬼畜米英何するものぞ」の時代から1945年8月15日を境に、憧れがどーんと反動のように広がりました。「ギブミーチョコレート」から「ビートルズ」、そして現在までそれが延々と繰り返されてきたわけです。

と、前置きはここまで。

音楽の世界ではエルビスからビートルズなどの典型的な欧米のヒット曲も日本に紹介されてきたわけですが、今回紹介するのはアメリカのビルボードやイギリスのNME誌、ミュージックウィーク誌等のチャートにはまったくチャートインもせずに、なぜかオリコンシングルチャートやオリコン洋楽チャートに入ってきた、いわば日本限定のスマッシュヒット曲をふたつほど紹介したいと思います。

年代ごとに。まずはこちら。

 

Tanya Tucker(タニヤ・タッカーの「Hello, Mr. Sunshine」(「ハロー・ミスター・サンシャイン」)でした。

おそらくですが、50代後半以上の方ならどこかで聴いたことのある曲なのではないでしょうか。

こちら、味の素AGFのインスタントコーヒー、「マキシム」のCM曲なのでした。このCMにはアメリカの俳優、カーク・ダグラス(マイケル・ダグラスの親父さん)を起用し、1975年から1983年までCM出演していたとのことです。曲自体はそれほど長くは使われなかったと思われますが、少なくとも1975年には放送されていたものと思われます。

余談ですが、カーク・ダグラスって出演当時59歳で、なんと103歳でお亡くなりになるという長寿の人でした。

さて、これを歌ったタニヤ・タッカーですが、1958年生まれのカントリー歌手です。そして、現在も活動中みたいで、アメリカではかなり知名度がある人ですね。それにしても、17歳でカントリーですよ。アメリカ中南部あたりはカントリーの人気がかなりあって、おそらくですが、当時はカントリー界のアイドル的な存在だったんでしょうね。

そして、この曲がアメリカでヒットもしなかった理由ですが、シングルとしてリリースされたのは日本だけだったからです

タニヤ・タッカーのデビューは1972年のシングル「Delta Dawn」(邦題「デルタの夜明け」)ですが、ビルボードHot100(シングルチャート)で72位、カントリーチャートで6位というものでした。ですが、翌年同曲を競作でリリースしたHelen Reddy(ヘレン・レディ)がシングルチャートで1位を獲得しています。

とはいえ、タニヤさんも「Hello, Mr. Sunshine」までに6曲をカントリーチャートの1位に送り込んでいます。また、1976年リリースの『Here's Some Love』というアルバムでもついにカントリーチャートの1位を獲得しました。

このアルバムは全10曲が収録されているのですが、なんと日本盤だけに「Hello, Mr. Sunshine」がB面の1曲目として入っているのですね。もちろん、あちら盤にはなしです。おそらくは「Hello, Mr. Sunshine」だけがカントリーっぽくないという理由で、アメリカ盤には入ってないんでしょう。

クレジットを見てみると、作詞がVeto Galati Jr.、作曲がMick Stewartとなっています。おそらく、この人物を検索してもwikiでは出てこないはずです。そして、この人物はあのかまやつひろし(当時の名称)なのでした。

 

つうことで、ムッシュのライヴ音声(のみ)ですが貴重な「Hello, Mr. Sunshine」も付け加えておきます。もしかしたら、こちら削除の可能性があるので、聴くならば今のうちですよ。

さて、次はこちらのデュオです。

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…といってもわからないでしょうねえ。

双子のデュオ、Alessi(アレッシーまたはAlessi Brothers)です。1953年生まれのBillyとBobbyのデュオなんですが、違いがよくわかりません。ま、分かったところで、どうでもいいことなんですが。

ちなみに、アメリカのチャートでは1977年の「Oh, Lori」がキャッシュボックス84位、1982年の「Put Away Your Love」がビルボード71位、キャッシュボックス79位という寂しいものです。ただし、「Oh, Lori」だけはなぜかイギリスのチャートで8位を記録しております。

ですが、1976年にあのカーペンターズのいたA&Mからデビューし、一時はクインシー・ジョーンズの傘下にもあり、期待度は大きかったのですね。まあ、実際に聴いてみるとかなりのクオリティで、なんかもったいないような気もします。

さて、日本でちょっとだけヒットしたのはこちらの曲です。

 

1977年のシングル、「All For A Reason」(邦題「ただ愛のために」)でした。

結構AORの要素が入っていて、個人的にはいい曲だなと思うんですが、本国アメリカではチャートインせず。オーストラリアで69位、オランダで22位、南アフリカで17位という結果に沈んでおります。

さて、日本ではこの曲は「Janzen」というアパレルメーカーのCM曲に採用されました。それは、タニヤ・タッカーとも被る年代。私事ですが、ジャンセンのサマージャケットなんぞを購入した覚えがありますが、ひとえに、この曲とCMの影響があったと思います。

さて、そんなアレッシーですが、英語版wikiによりますと、ポール・マッカートニー、デビー・ギブソン、フランキー・ヴァリ、オリビア・ニュートン・ジョン、クリストファー・クロスらの面々に曲を提供したり、編曲、プロデュースをしたとあります。

また、映画「ゴーストバスターズ」、「メインイヴェント」などの劇中歌にヴォーカルで参加したとの記述も。ピーター・フランプトンやリック・スプリングフィールドが曲をカバーしたそうです。

途中20年ほどのブランクがありますが、これまで11枚のアルバムもリリースしてました。まあ、売れないんですが。

それでも評価してくれる同業者は結構いるということで、なんとか生き残ってますね。

近年の映像がこちら。

 

一応近年といっても13年前のものだそうです。ここからわかることは、兄弟、担当楽器がキーボードとギターであるということ。

曲は二人で作っていて、別の曲の映像ではメインのヴォーカルが入れ替わっているものもあります。そのあたりの担当はどうやって決めているんだろうと思ったりして。

つうことで、今回は本国でヒットしない日本限定のヒット曲でした。

こういうのまだありますかね。ちなみに、ダニエル・ブーンの「Beautiful Sunday」は英米どちらもチャートインしてます。他に情報モトム!

お題、いつでも募集しております。コメントもよろしくお願いします。そういうところからヒントが湧くんですよ。バナーのクリックも頼んますね。

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2024年3月23日 (土)

エレキ歌謡でゴーゥ!

かすてら音楽夜話Vol.185

ミケポスカフェでの音楽談義第4弾(最終回)。

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トーマスさんが持ち込まれた音源がこちら。

おお、知っている曲が6つしかない!

つうことで、トーマスさんのDJタイムです。

 

西郷輝彦、「恋のGT」(作詞作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄)でした。

西郷さんの22枚目のシングル、「西銀座五番街」(米山/重松、クレジット同じ)のB面曲で1966年1月のリリース。それまで、西郷さんには「星娘」というヒットシングルがありましたが、こちら、代表曲である「星のフラメンコ」よりも早いリリースです。

1966年という年ですが、The Beatles(ビートルズ)が来日を果たしていますけど、「恋のGT」のほうがちょっと早いです。それ以前にロックの分野に革命を起こしたといってよい、ビートルズの影響はあると思いますが、「エレキ」を日本のお茶の間にまで知らしめたのはやはりThe Ventures(ベンチャーズ)でしょう。そして、寺内タケシや加山雄三らが出てきたわけで、その流れをいち早く歌謡界も取り入れたというものですね。

エレキを前面に押し出し、公道非公認レースっぽいHot Rodな歌詞なんですが、やはりどこかドメスティックでちょっとダサい。

では、この曲を書いた米山正夫という人は何者と調べてみました。クラウンレコード創設時に専属契約をしたレジェンドでもあり、なんと、美空ひばりの「リンゴ追分」の作曲者でした。米山氏の葬儀ではひばりさんが弔辞を読んだそうで。

まあ、戦前から活躍した人で、満州で働き、シベリア抑留も経験したとあります。B面ではありますが、そんなレジェンドが作詞までしているということは、西郷さんを売り出すには「わしがやったろ」ということなんではないかと。

西郷さん、比較的時の話題に乗らされちゃうタイプなのか、メキシコオリンピックの1年前にはやはり米山先生の「悲しいソンブレロ」(「この雨の中を」のB面)をリリースしてますし、1973年には「ローリングストーンズは来なかった」(作詞作曲編曲:藤本卓也、こちらはA面)なんて曲もリリースしてました。(注)ストーンズは来日が決定していたものの、イギリスでのミック・ジャガーの麻薬不法所持による逮捕を受け、来日が中止になりました。

まあ、これだけ色物っぽい曲を乱発すれば御三家といえども役者への路線変更も仕方ないのかと。

ちなみに、御三家の本格的歌手で2度のレコード大賞受賞者の橋幸夫にも「ゼッケンNo.1スタートだ」とか「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」などのリズム歌謡、「メキシカンロック」というメインストリームをちょっと外した楽曲があるのですが、そこはやはり抜群の歌唱力と安定感があるためか、西郷さんのようにはなりませんでした。

お次はこちらです。

 

美樹克彦「6番のロック」(作詞:星野哲郎 作曲編曲:北原じゅん)でした。

美樹さん、高校在学中の1965年、17歳時の曲です。当時はアイドル歌手的な位置づけだったようです。それにしては、もはやベテラン風な歌の上手さですね。

この方、本名の目方誠名義で子役として70本近い映画出演をしていて、すでに中学時代に歌のレッスンを受け、デビューしているのです。その後、改名して再デビューし、この曲が3枚目のシングルなのでした。

それでも「函館の女」の星野さんと「骨まで愛して」の北原さんですから、どことなく演歌チックになっていくのもわからないではないです。ちなみに、城卓也の「骨まで愛して」は学生の時に中古屋で格安で見つけて買いました。今なら、いくらかな?

3曲目はこちら。

 

ザ・トーイズで、「お宮さん」「じょんがらゴーゴー」のメドレーでした。

ザ・トーイズ、情報がとても少ないんですが、リードヴォーカルはなんとインドネシア人ということです。バックの演奏は日本人らしいのですが。後半の「じょんがらゴーゴー」ではあまり違和感がないんですが、「お宮さん」の日本語がちょっと癖があります。

ちなみに、「お宮さん」とは「貫一・お宮」の「金色夜叉」なんですが、インドネシア人にとっては「じょんがらゴーゴー」のほうが覚えやすかったと思われます。

グループの成立からして謎なんですが、当時のキャバレーなどでは箱バンと呼ばれる専属バンドが入り、ほぼ真剣に聴いている人がいない中、毎晩演奏を重ねていたと思います。その箱バンには少なからず外国人もいたようで、フィリピンあたりからの出稼ぎが主力だったようです。

まあ、そんな中にインドネシア人のシンガーもいて、芸能事務所の目に留まった可能性はありますね。

バンコクのタニヤの某カラオケ店になぜか1970年代から1980年代の日本の楽曲だけを、ギターとリズムボックスで担当する人がいましたが、この人も日本で箱バンのギター弾きだった可能性はありますね。

箱バン出身なのか不明なところはありますが、ジェイク・H・コンセプシオンというフィリピン人のサックスプレイヤーも長年日本で活躍し、松原みきの「真夜中のドア」をはじめとするあまたの楽曲で印象的なサックスソロを披露していました。

今回のYouTubeはお借りしたところがバラバラですが、GSiloveyouというアカウントの方で、トーマスさんご持参の『エレキ歌謡 ア・ゴーゴー』の楽曲ならばすべてアップされているような。ただし、他のサイトへの埋め込み不可となっていたため、別のものをお借りしました。ザ・トーイズもそろっているはずです。

さて、「恋のGT」と「6番のロック」は、かつてトーマスさんがやっていたバンド、「知子のロック」の結成に何かしらのインスピレーションをもたらしたようです。「ルートRockで待ってなよ」というデビュー曲がありますが、イントロ前のクルマの走行音は「恋のGT」から、サビの「1・2・3・4・5…6(Rock)!」というカウントは「6番のロック」から。グループ名もそうですよね。(間違っていたら、すいません。ご教示くださいませ)

その他、「キイハンター」のテーマ曲、野際陽子さんの「非情のライセンス」、実際に聴き返してみるとちょっと音程に難ありで、エンディングテーマとして5年も流れていたのがすごいです。

そして、ワタクシの推しはこちら。

 

沖山優司の「東京キケン野郎」(作詞作曲編曲:沖山優司、1981年)でした。

沖山氏はいうまでもなくJuicy Fruitesのオリジナルメンバーでベース担当です。先ほどのGSiloveyouさんのところにはオリジナル音源がアップされてますが、前述の理由によりこちらのライヴ映像をお借りしました。

演奏はジューシーフルーツでイリアさんがキーボードに回り、ベースは不在。この曲はザ・ぼんちに提供したセルフカバーなんだそうです。

惜しむらくは、おさむちゃんの「東京キケン野郎」も聴いてみたかったですが、アップされてませんでした。

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最後においしいいちごタルトとコーヒーをいただき、約4時間にわたる試聴タイムはお開きとなったのでした。また、やりましょう。レア盤探しときますね。

お題募集中です。コメントなどから何らかのヒントもいただけると思いますので、よろしゅうお願いします。また、下記のバナーもクリックしていただけると、「こりゃまた泣けてくる」でございますよ。んではまた。

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2024年3月14日 (木)

追悼、Eric Carmen~「さよならはいわないで」

かすてら音楽夜話Vol.184

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月曜日、facebookのRaspberris(ラズベリーズ)のページに奥さんの名義で発表になったEric Carmen(エリック・カルメン)の訃報には、少なからずショックを受けました。

もう半世紀以上前のことですが、「TBS今週のベストテン」(TBSラジオ)から「I Wanna Be With You」(邦題「明日を生きよう」1972年、サードシングル)のイントロが流れた瞬間から、ラズベリーズのファンになっていました。

初めて購入したシングル盤(もちろんレコードです。EPの45回転)は当然「I Wanna Be With You」でした。A面はもちろん、B面の「Goin’ Nowhere Tonight」(こちらはベースのDavid Smallyの曲)も繰り返し聴いたものです。

その後、「Let's Pretend」(1973年、5枚目のシングル)は友人が購入し、続く6枚目のシングル「Tonight」(1973年)はワタクシが購入しました。

 

映像は再結成時のもの。2004年か2005年のものだと思います。風貌は30年以上経ってますが、歌と演奏はいうことなしです。

何しろ、メディアへの登場はラジオに限られ、それもレコード媒体だけという時代。演奏の映像などもなく、レコードを買ってジャケット写真にまたシビレるという時代です。

もちろん、テレビに海外のミュージシャンの映像が流れるなんてことは、すでに解散していたビートルズやエルビス、そしてなぜかトム・ジョーンズくらいだった時代。写真を見かけるのも「明星」や「平凡」、あるいは学習雑誌にちらっとあるかどうかでしたね。「明星」や「平凡」は今になってみればなんてことないんですが、対象となる読者は高校生以上みたいなところもあり、たまに外国映画の女優の「パイオツカイデー」な写真も載っていたりで、買うのも結構勇気がいりました。もちろん、立ち読みなんて無理です。

さて、そんなラズベリーズも「Tonight」のあとは不発が続き、そんなワタクシも受験勉強に突入していくわけです。その間に、ラズベリーズはメンバーチェンジをしたものの、ついに解散の憂き目にあいます。

さて、受験も終わり、無事に高校に入学した直後にリリースされたのが、エリックのソロデビューシングル「All By Myself」(1975年)でした。ラズベリーズのころのパワーポップ(ちなみにそのころこの言葉はありませんでした)は影を潜め、若き頃より教育を受けたピアノにラフマニノフのメロディをオマージュして作り上げた曲です。ラズベリーズを含め自身最高位となるビルボード2位、キャッシュボックス1位を獲得した7分にもわたる大作です。

<2024/03/22追記>
何を勘違いしていたのか1年ずれていました。1975年は長嶋ジャイアンツの1年目で、もうひとりのアイドルである長嶋茂雄の動向が気になっていたのです。負け続けるジャイアンツ。それでも、机に向かうふりをしてラジオのナイター中継を聴いてましたね。結果はセリーグ6位。かつ、まさかの赤ヘル旋風に気が気でなく、洋楽ははるか彼方へ。
それでも、エリック・カルメンがソロになってヒット曲を出したということは頭に入っていたと思います。

 

これはなかなかのレア映像。「All By Myself」はオリジナルが7分ですので、短いシングルversionとラジオで流すRadio Edit版も制作されました。

ですが、ラフマニノフの著作権がアメリカでは切れていたものの、アメリカ以外ではまだ生きていたことが判明しため、ラフマニノフ財団に印税の12%を支払ったとのことです。

さて、そのころ、まだワタクシは邦楽・洋楽を問わず音源の情報は相変わらずラジオでした。小学生の時に購入した簡易型のレコードプレイヤー(外部出力端子なし)はすでに壊れ、カセットテープのモノラル録音ができるラジカセを持っているだけ(これまた外部入力端子なし)でした。

そして、エリック・カルメンは徐々に売れなくなっていくのですが、チェックだけはしていました。

アルバイトしてようやく購入した一番安い一体型のステレオをようやく手にし、エリック・カルメンの3枚目のアルバム『Change Of Heart』(1978年)を1年以上遅れて購入。やがて就職し、時代はCDの時代に突入すると、お金が比較的自由に使えるにもかかわらず、旧作の再発はCDではなかなかしてくれません。

しかし、何とか紙ジャケット仕様のCDが再発され、まだ手に入れていないものもあります。が、ラズベリーズはなんとかすべて手に入れ、あとはエリック・カルメンのソロ作を徐々に集めていこうかというところの訃報でありました。

さて、エリックを見送るのにふさわしい曲はこれでしょう。

 

ラズベリーズのデビューシングル(おそらく日本未発売)「Don't Want To Say Goodbye」(ビルボード86位)でした。作者はエリックとリードギターのWally Bryson(ウォリー・ブライソン)で、ふたりのツインヴォーカルです。

ソロとなってからはこんな曲も。

アルバム『Change Of Heart』の収録曲、「Heaven Can Wait」(1978年)でした。

<2024/03/22追記>
音楽評論家であり、いか天審査委員長でもあった萩原健太氏は、「なんか、こう、自称“硬派な”ロック・ファンとか、エリック・カルメンみたいな音楽をクサすよねー。先日も、とあるSNSでそういう書き込み見てものすごいムカつきました(笑)。まあ、その辺はもう個人的な考え方というか素養の問題なので、特にリアクションはしませんでしたが。ぼくの視点からすると、むしろエリック・カルメンが体現しているような音楽性をきちんと評価できなければ、特に英米の音楽地図を受け止められないと思います。」と書いております。(「」内は萩原氏の「Kenta's Nothing But Pop」より引用しました )

健太さんの個人的セレクト
(Raspberries編)

  1. Go All the Way / The Raspberries (1972 US #5)
  2. Waiting / The Raspberries (1972, from album “Raspberries”)
  3. Don't Want to Say Goodbye / The Raspberries (1972 US #86)
  4. I Wanna Be With You / The Raspberries (1972 US #16)
  5. Nobody Knows / The Raspberries (1972, from album “Fresh”)
  6. If You Change Your Mind / The Raspberries (1972, from album “Fresh”)
  7. Tonight / The Raspberries (1973 US #69)
  8. On the Beach / The Raspberries (1973, from album “Side 3”)
  9. Ecstasy / The Raspberries (1973, from album “Side 3”)
  10. Overnight Sensation / The Raspberries (1974 US #18)
  11. Cruisin Music / The Raspberries (1974, from album “Starting Over”)
  12. Starting Over / The Raspberries (1974, from album “Starting Over”)

(Eric Carmenソロ編)

  1. Haven't We Come a Long Way / Eric Carmen (1978)
  2. She Did It / Eric Carmen (1977)
  3. Last Night / Eric Carmen (1975)
  4. End of the World / Eric Carmen (1978)
  5. My Girl / Eric Carmen (1975)
  6. I Wanna Hear It from Your Lips / Eric Carmen (1985)
  7. Never Gonna Fall in Love Again / Eric Carmen (1975)
  8. Sleep with Me / Eric Carmen (1980)
  9. Hey Deanie / Eric Carmen (1978)
  10. Great Expectations / Eric Carmen (1975)
  11. Change of Heart / Eric Carmen (1978)
  12. All By Myself (Single Edit) / Eric Carmen (1975)

これまで、たくさんの曲を届けてくれてありがとう、エリック。安らかに。

また、過去にこんな記事も書いております。

「パワー・ポップの時代」
「ラフマニノフに魅せられた男」

併せて読んでいただけると幸いです。

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2024年3月 8日 (金)

天才・難波弘之のSense Of Wonder

かすてら音楽夜話Vol.183

ミケポスカフェでの音楽談義第3弾。

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今回ご本人の画像がなくて申し訳ありませんが、日本を代表するキーボーディスト、難波弘之氏のお話です。

難波さんというと山下達郎のバックアップメンバーで、おそらくずっとツアーには帯同しているのではないでしょうか。もちろん、達郎のキャリア中盤くらいまでは収録にも参加していました。

余談ですが、最近の達郎はコンピューターなどの機械を多用していて、難波さんが曲の収録に関わることは減ってますね。ほかのツアーメンバーもそうだけど。でも、ライヴには欠かせない人です。

さて、カフェには難波さんのソロデビューアルバム、『Sense Of Wonder』(1979年)を持参いたしました。まあ、これをお聴きください。

 

あれ?どこかで聴いたような。

そう、山下達郎が初めてマスメディアに登場した(MaxelカセットテープのCM)アルバム『Ride On Tine』(1980年)にも収録された「夏への扉」(作詞:吉田美奈子 作曲:山下達郎 編曲:難波弘之)です。

ちなみに、難波さんの「夏への扉」のほうがわずかながらこの世に先に出たのです。したがって、達郎版はセルフカバーということになります。達郎は提供曲を自分で歌ってしまうということをしない人で、「ハイティーンブギ」も「硝子の少年」も自らのアルバムには収録しておりません。ま、もしそれらが入っていたら、アルバムのトータル性が崩壊するような気もしますが。ただし、「サンデーソングブック」では達郎版の「硝子の少年」をひそかに流したことがあります。

つまり、唯一のセルフカバーということで、達郎自ら認めるいい曲であるとともに、お互いを認め合う難波さんとの関係性もあるのでしょう。

そして、いうまでもなく、難波versionのヴォーカルは難波さんなのですね。なんとも素朴な声ですよね。「演奏はいうことなし。ヴォーカルはアマチュアレベル、でもほっこり」なんですが、生粋のヴォーカリストではないので、そこは目をつぶりましょう。

ところで、このアルバムは全10曲入りで、すべてにSF小説のタイトルが付いているのです。

「夏への扉」はロバート・ハインラインのSF。物語には冷凍睡眠とタイムマシンが登場します。そして、歌詞に登場するピートは主人公の飼い猫で、リッキーは共同経営者の義理の娘なんです。小説の概要はこちらをご参照ください。無機質に見えるSFの世界ですが、かなり情感の入った作品ですね。なんと、曲中に猫の鳴き声も入ります。

この作詞をした吉田美奈子氏は難波さんの意図をよく理解して書き下ろしたものだと思います。難波さんのクレジットはアレンジとヴォーカル、各種キーボードなんですが、間違いなくプロデュースもしています。達郎は美奈子さんの言葉にメロディをつけただけ。間違いなく「詞先」の曲です。

さて、難波さん、実は演奏活動以前に母校学習院の中学3年にしてSF短編「青銅色の死」で安倍能成文学賞(初等科から大学までのすべての学習院生対象の文学賞)を受賞し、音楽活動と並行してSF作品も書いているSF作家でもあるのですね。ハヤカワ文庫、コバルト文庫にも著作があるようです。

そして、アルバムタイトル、の"sense of wonder"とは、SF用語で、「作品に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、不思議な心理的感覚の概念」なんだそうです。

こうしたことを理解したうえで、もう一度「夏への扉」を聴くと、難波さんのハインラインへの思いとリスペクトも感じられ、ヴォーカルがどうしたなどとは、気にならなくなります。

残念ながら今のところ、YouTubeには『Sense Of Wonder』の収録曲は「夏への扉」以外は上がっておりません。難波さんがのちに組むバンド、「センス・オブ・ワンダー」の楽曲はありますが、このアルバムとは関係ありません。

もし、このアルバムを手にすることがあれば、「虎よ!虎よ!」(作詞:亜蘭知子 作曲:長戸大幸 編曲:難波弘之)という曲も特筆ものです。打って変わっての力強いヴォーカルはゲストの織田哲郎でして、ちょこっと、Led Zeppelinの「Whole Lotta Love」(邦題「胸いっぱいの愛を」)が入ってます。

そして、トップ画像はアルバム『Sense Of Wonder』のジャケットの一部なんですが、これは手塚治虫の手によるもので、ライナーノートを中島梓(SF作家名は栗本薫)が書いてます。ワタクシの所有しているアルバムは廉価版なので、ライナーノートは省略されてました。

こんなものを見つけました。

 

娘さんとのコラボです。

音楽一家なんですね。難波さんの父はアコーディオン奏者で母は声楽家です。残念ながら、母親のDNAは難波さんには受け継がれなかったようですが、娘の玲里さんにはしっかりと受け継がれていますね。隔世遺伝。

難波さんの時代ですとヤマハが青田買いしてネム音楽院あたりにスカウトされそうなものですが、どうやらこの方にはその必要はなかったようです。それだけ、若くして天才的だったということですかね。

☆音楽談義はもうひとつやります!

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2024年3月 2日 (土)

台湾の中の日本

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<PowerShot>

台北車站の地下街で食事をした時の1カットです。

殺風景な地下街にこのようなダルマが飾られていました。いや、ダルマというよりダルマを描いた提灯ですかね。両目がすでに黒くなってますけどね。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

こちらは台南の赤嵌楼。まるで、絵馬のように見えるお札を入場者がかけていくところです。

もちろん、お札にはかけていった人の言葉が書いてあり、「願掛け」の意味合いがありそうです。先ほどのダルマ提灯のすぐ先にも同じようなものがありました。間違いなく、日本の慣習が取り入れられたものと思います。

これが第二次大戦前、つまり日本の統治時代からあったのかどうかはわかりません。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

こちらも台南の神農老街、それも夜です。

「てるてる坊主」のようにも見えますが、ちょっと違う。しかも夜なので、不気味な雰囲気が漂っています。

この界隈は台湾人にとってもどこか懐かしいものがあるレトロなスポットとして知られているのですが、清酒の醸造所があったりとどことなく日本と通じるものは間違いなくあります。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

こちらは虎尾という地方都市です。

台湾に残る製糖所の中で唯一、ナローゲージの貨物車が原料のサトウキビを運び込むところ。

その製糖所の向かいにある路地です。まぎれもなく神社にある鳥居ですね。でも、古いものではなさそうな。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

こちらは、反対側からの眺めです。わずか20メートルほどの違和感です。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

何やら結び付けてあります。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

「虎尾〇街百蔵祭」と読めます。〇の表記はどうしても判読できませんでした。

その下には手書きの文字で人名と思えるものがありますね。一応、この黄色い帯状のものは黒いストライプが入っていて地名とゆかりのある虎をイメージしているようです。

タイガーエア台湾の女性アテンダントも文字の入ってないこのような帯状のものを腰に巻いていました。さすがに男性は普通のベルトでしたが。

これらがもともと中華圏の文化としてあったのかどうかはよくわかりません。ですが、少なくとも中国本土や香港、マカオ、マレーシアなどでは見たことがありません。

ダルマも絵馬もてるてる坊主もおみくじを結びつけるようなこの帯も台湾だけで遭遇しました。ま、いずれも「モドキ」なんですが。それだけ、台湾は日本と親和性のある地域ともいえます。最近のアニメの影響もあるのかな。

さて、これにて2023年5月の台湾レポは終わらせていただきます。アップは少ないわりに長くかかりました。

重要なお知らせ

年頭の記事でも予告していたのですが、2.0ギガバイトのブログ容量が95%までに達しております。

そこで、以降の旅に関する記事は新ブログ「Cafe de Castella Annex」(←クリックお願いします)にて、展開させていただきます。ブックマークされている方は新ブログも追加でブックマークをお願いいたします。

新ブログ、ぼちぼちと自己紹介的な記事(過去記事の焼き直し)を上げておりますが、ほぼ宣伝なしでやってますので、知名度ゼロです。後日、こちらCafe de Castellaにはトップ記事で正式なアナウンスメントを置こうと思ってますが、よろしくお願いします。実はサイドバーにはこっそりとリンクを貼っておりました。facebookにもひっそりとリンクをつけていたんですけどね。

さて、残りの5%があるのですが、以降は「かすてら音楽夜話」のみに絞って記事を書いていこうと思いますので、こちらもお忘れなきようよろしくお願いします。それもいっぱいになったら、新ブログで音楽の記事を書きますわ。でも、あと数年は大丈夫だと思います。

3月吉日 ヒョウちゃん

相変わらずですが、バナークリックもお忘れなく。

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2024年2月28日 (水)

フレンチポップス

かすてら音楽夜話Vol.182

引き続きのミケポスカフェでの音楽談義第二弾です。

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カフェにお邪魔しますと、みつけちゃいましたよ、このようなCD。

トップから右回りにジム・クロウチ、トム・ウェイツ、そしてミッシェル・ポルナレフです。

今回はミッシェル・ポルナレフをはじめとするフランスのポップスの話です。シャンソンではございません。

Michel Polnareff

ワタクシが洋楽を聴くようになったのは小学校高学年の頃です。少ないお小遣いの中から今は亡きメーカー、AIWAのポケットサイズのAMラジオを買い、NHK以外で受信状態のいい(954KHz)TBSをよく聴くようになりました。

土曜の夜には「ヤングタウンTOKYO」という公開収録番組があり、主に生ライヴとトークで構成される番組でした。当時デビューしたての小林麻美(現在は田辺エージェンシー社長夫人)が人気があり、若手女性アイドルとまだ二人組だったオフコースなどがよく出演していました。司会は桂三枝(現在の桂文枝)でしたねえ。

そして、日曜の午前には「TBS今週のベストテン」という番組があり、洋楽vs邦楽のベストテン対決をサイコロを振って勝ったほうが長く流れるというちょっと変わった番組でした。洋楽担当が宮内鎮雄で邦楽担当が久米宏でした。

邦楽ではチューリップの「心の旅」が強く、洋楽では何といってもカーペンターズが強かったですね。

さて、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、ウィングス、エルトン・ジョンなどに交じって異色の存在だったのがミッシェル・ポルナレフなのでした。

 

ミッシェル・ポルナレフの「Tout, tout pour ma chérie」(邦題「シェリーに口づけ」1969年)でした。

この曲は今でもテレビ番組でよく使われております。特にTOKYO MX「5時に夢中」では毎回最初のCM前に流れております。

当初はB面曲でしたが、1971年にA面として再発され、日本国内で40万枚の売り上げがあったといいます。そして、オリコンのシングルチャートで6位を記録しています。ところが、この曲は本国フランスでもチャートインしておりません。なぜか日本では売れたのでした。

それにしてもインパクトのあるカーリーヘアにでかいサングラス。こりゃ、一目ですぐにミッシェル・ポルナレフとわかりますね。そして、彼は公演のポスターに自らの生尻をさらすということをやってのけます。その後さらにエスカレートし、股間を帽子だけで隠したポスターも作られました。まさに「アキラ100%を半世紀早くやっていた」(by トーマスさん)ことになります。

ちなみにThe Runawaysのヴォーカル、シェリー・カリーが下着姿で歌うのはもう少し後のこと。

ところで、邦題なんですが「シェリー」は人名ではなく「口づけ」も関係ないんですね。原題を英語訳すると「All, all for my darling」となるそうで、「すべてを僕の愛しい人に」といったところだそうで。

 

こちら、「Holidays」(邦題「愛の休日」1972年)でした。

「TBS今週のベストテン」では「シェリーに口づけ」は直接聴いていませんでしたが、この曲はよく流れました。フランスで4位、日本でまたもオリコン6位というヒットです。

ポルナレフの曲はタイトルだけはなぜか英語のままというものが結構あることをミケポスカフェのオーナーさんのCDで知りました。

ポルナレフのでかいサングラスは、白内障を患っていたからともいわれております。また、父親がウクライナ系ユダヤ人でのちにフランスに移住したという人でした。そんなポルナレフも1944年生まれですので、今年で80歳ですよ。こういうインパクトのある人は今後出てくるでしょうかね。

Danièle Vidal

 

ダニエル・ビダルという人、1952年生まれでシャルル・アズナブールにスカウトされ1969年にデビュー。生まれは旧フランス領のモロッコだそうですが、アラブやベルベルの血は入ってないようです。

かなり日本とかかわりの深い人で、デビューシングルの「天使の落書き」から日本でもリリースされオリコン12位のヒットを記録しています。

個人的には曲よりもサンスターの歯磨きだったかのCM「♪透き通ってるってホントかな」のフレーズが印象的でした。残念ながらYouTubeにはこれが見当たらず、定番ともいえる「Les Champs-Élysées」(邦題「オー・シャンゼリゼ」1971年)を持ってきましたが、こちらもオリコン78位です。

オリジナルはイギリスのサイケバンドJason Crestの「Waterloo Road」にフランス語の詞を付けたものです。

日本とのかかわりが深い彼女ですが、なんと「チャコとヘルスエンジェル」のメンバーと結婚していて(のちに離婚)、日本在住経験もあり、かなり日本語が堪能になったようです。

こんな映像を貼っておきます。

 

何度も来日しているようです。ちなみに、2019年のもの。異様に若くないすか?

ま、日本でもユーミンやまりやはカメラが入るとこんな感じだよね。

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ここでブレイク。ダニエル・ビダルがモロッコ生まれと関係しているわけではないのですが、ミケポスカフェのオーナさんお手製のタジンでございます。

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これまた美味しゅうございました。

「マダマダツヅクヨー」(Rolling Stones日本公演時のMic JaggerのMCより)

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2024年2月25日 (日)

自由か、それとも…

今回はカタい話を。

24日で、ロシアがウクライナに一方的に侵攻してから2年が経過しました。

NATO諸国およびEU各国では支援疲れみたいな声もきこえてきます。

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2年ほど前のことなんですが、代々木のとある店で、ウクライナ料理を食べる機会がありました。

それは予想を裏切る美味しさでございました。見てください、これ。この色鮮やかな料理はポテトサラダなんです。

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そして、ウクライナが発祥だというボルシチ。

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これはロールキャベツ。

このような美味しいものを食べているウクライナ。

戦争というものは必ずしも正義が勝つというわけではないんですね。ですが、狂気の指導者の下、理由もなく自由を侵され自国が戦火に見舞われるということを、ロシアと国境を接していない国でも自分たちに置き換えてみると、それはやはりあってはならないこと。まあ、日本は兵器は送ってないんでしょうが、物資等で支援はしていますね。最低限ながら。

そして困ったことに、今年はアメリカの大統領選挙があって、前大統領のあの人がもし返り咲いてしまったら、ウクライナ情勢だけでなくて日本を含む東アジアにもとんでもない火種がまかれる可能性があるんですよね。

また、世界中の指導者の一部がどうも内向きの政策を取っていって、どんどん世界の協調とは乖離していく傾向が見られます。

旧ソ連が崩壊して、東ヨーロッパの政権が民主化されてから30年余り。ツーリストの立場からすると、2010年くらいまでが安全にどの国にも行けたなという感覚です。

ウクライナに限らず、イスラエルとハマスというもうひとつの戦争が起きてしまったし、ミャンマーは相変わらずの軍事政権が続いてます。

中国もやや鎖国状態から脱したみたいですが、日本人へのビザ免除の15日間だけ滞在可能というのはどうなったのか。中国に詳しいZhenさんによれば、周辺国家から陸路入国はまずできないとか。つまり昔自分がやったように、ラオスから中国のシーサンパンナに入国するのはまず無理だと。マカオから中国の珠海なんてのも難しそう。

ま、アフリカ当たりでは報道されないところで紛争も起きているんでしょうけど。

にしても、ロシアのプーさん、しつこいですよね。ま、ゼレンスキーも同様で、クリミアを取り戻すまで戦うとかいってますが。こりゃ、どちらも国民が疲弊するわけだわ。

とにかく、ツーリストの立場からいわせてもらうと、「どこにでも安全に旅がしたい」これに尽きます。

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2024年2月22日 (木)

台湾の日式咖哩新事情

台湾に限らず、中華圏では中国料理を提供するレストランにひとりで入って料理を食べてくるというのは、かなりの難問です。要するに、ひと皿の量が尋常ではないことと、定食のようなものがないことに尽きますね。

と、いうことでひとり旅のツーリストが向かうことになるのが屋台飯だったりするのですが、屋台が都合よくあるわけでもなく、残る選択肢は魯肉飯などの小吃や麺料理、味気ないけどハンバーガーなどになりますが。

でも、夕食である程度腹を満たしたいときはある程度の量を食べたいですよね。

幸い台湾には日本の植民地時代に持ち込まれたカレーがあります。以前は色は黄色いもののスパイシーと真逆の、大昔の給食のようなカレーでしたが、どうも最近は変化してきたようです。

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<PowerShot>

台北車站北側に宿泊していた時のことです。このエリアは飲食店がかなり少なく、到着した日には地下街にあるところで安めの食事をしましたが、美味しくなかったです。それに、かなりすさんだ雰囲気で精神衛生上よろしくないので、翌日は台北車站の上階にある「微風美食街台北車站」というフードコートに出向きました。

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<PowerShot>

ここはフードコートといっても半分くらいはちゃんとした店が入ってます。特に日本食は大人気で席も埋まっているような状態です。

残りの半分は自分で席を確保し、店のブースでオーダーし、支払うフードコートです。その中にこんなカレー屋がありました。ちなみに「咖哩」という文字、日本語のフォントにはないのですが、中華圏ではよくつかわれる文字で、繁体字も簡体字も同じように出てきます。一応Google翻訳で出てきたものをコピーしました。

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<PowerShot>

頼んだのは豚肉のカレー。これで179元です。確かに色合いは昔ながらのカレーと違いますね。

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<PowerShot>

そして、スープも付きます。わかめスープでした。

このカレーですが、食べていると急激に辛くなってきました。なんだと思ったら中に赤い液体が隠れていたのですね。

セブン(日本の)でよく売られている辛味自慢の「蒙古タンタンメン」というカップ麺に付いている、辛味のエキスに似てます。唐辛子の辛さではなくて、人工的に辛さを作り出したものです。

この翌日、高雄まで移動することになるのですが、腹は下り気味でした。んー、こういうのはよくないね。

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<OM-D E-M10/ED14-42mm>

ところ変わって、台湾中部の斗六です。日本時代の建物が600メートル続く台湾最長の老街のある都市です。

ここの初日にも店探しに奔走いたしました。

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<PowerShot>

こんな店を見つけました。店頭のバイクはフードデリバリーのバイクのようです。

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<PowerShot>

ここはカレーの種類が多かったです。メニューにも日本語表記があったような。でも、日本人、ここを訪れるんでしょうかね。3泊しましたが、日本人はおろか外国人ツーリストはひとりも遭遇しませんでしたが。

カレーのディスプレイが素晴らしいですね。接客は若い女子が行い、前払いの165元でした。

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<PowerShot>

スープは味噌汁でした。

台湾は味噌汁がある程度浸透しているところで、ホテルの朝食でも味噌汁がよく出てきます。

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<PowerShot>

そしてドリンク付き。これは選べて、アイスティを付けてもらいました。オレンジジュースも選べますね。

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<PowerShot>

ビーフを選びました。ゴロゴロと肉塊が入ってます。そして、ニンジンとジャガイモも。

このカレーは安定の味です。日本のカレー屋で出しても合格の味です。もちろん、人工的な辛味成分はありません。美味いカレーです。

シェフは日本でカレーの修業をしたとか。間違いなく若い世代なので、昔ながらのカレーはありません。検索すると台湾語ですがかなりヒットしますので、台湾人にも評判はいいようです。

微笑咖哩 斗六店(facebook)

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