セカンドブログ本格運用です

当ブログ、Cafe de Castellaですが、容量が95%までに到達しまして、年頭の予告通り、今後の海外・国内の旅に関する記事は新ブログ、Cafe de Castella Annexに掲載することにいたします。

そして「かすてら音楽夜話」に関しては容量が一杯になるまでこちらで記事を書いていくつもりでおります。

どちらのブログも今後とも宜しくお願いいたします。

さて、セカンドブログですが、PC版ですとココログとは見た目が大きく変わってます。なんといっても画像が大きく表示できます。そして、容量は毎月300MBまでアップロードが可能。と、いうことはほぼ無制限に近く、これまで以上に画像をアップロードできるということになります。

その代わり、特定の記事をトップ固定といったことができず、トラックバック機能がありません。また、PC版ではコメント欄にリンクがつけられません。スマホではできるのですが。

また、自分自身でもサイドバー設定などいまいちわかってない部分がありますので、これから少しずつカスタマイズしていく感じですかね。

Bcc0581

いずれにせよ、どちらのブログも今後ともご贔屓に。

しつこいようですが、新ブログ(セカンドブログ)は

Cafe de Castella Annex

です。叱咤激励から冷やかし、なんでも結構ですので、遊びにいらしてくださいませ。

店主敬白

この記事は当面トップに表示させておきます。最新記事はこの下から始まります。

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2026年1月 3日 (土)

カバーでナンバーワン

かすてら音楽夜話Vol.219

あけましておめでとうございます。

かすてら音楽夜話、本年も頑張っていきますので、よろしくお願いします。引き続き、ご愛顧のほどを。

さて、新年1発目は、カバー曲なのに1位を取っちゃったいくつかをご紹介します。

では、こちらをお聴きください。

I Love Rock'n Roll

 

おなじみ、「I Love Rock'n Roll」なんですが、なんか違和感が。男性ヴォーカルだし。

つうのも、これぞこの曲のオリジナルで、イギリスのバンド、The Arrows(アローズ)が1975年にリリースしたシングルなのであります。作者は、Alan Merril(アラン・メリル、ベース、ヴォーカル)とJake Hooker(ジェイク・フッカー、ギター)名義になってますが、実際にはメリルが書いたものです。

なんで共作名義にしたのかというと、メリルの借金返済のためだといわれています。

音源は同じものですが、演奏シーンが入った映像付きのものはこちら

いやあ、スリーピースバンドながら、十分イカしてますよね。

Joan Jett & The Blackhearts(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ)がなんでこの曲をカバーしたかというと、The Runaways(ランナウェイズ)がイギリス公演中、テレビでアローズの演奏を見たのがきっかけだったようです。アローズはイギリスでテレビ番組を持っていたんですね。なお、ランナウェイズは本国アメリカよりも日本をはじめとする外国のほうが人気がありました。

それで、ランナウェイズでカバーするつもりが却下され、ジョーン・ジェットが新たに結成したバンドで演奏し、1981年にBillboard Hot 100(シングルチャート)で7週間1位という、偉業を成し遂げたのです。年間チャートでっも3位でした。

 

ジェット姐さんのヴァージョンはこちら。映像はTop Popという番組用のものみたいですが、音源はオリジナルを使用してます。また、アローズの原曲に忠実なアレンジをしてますね。なお、彼女たちの次のシングル、「Crimson And Clover」も実はカバー曲なのでした。

近年のジェット姐さんの映像もありましたが、タトゥは入ってるわ、声は力がないわで、やっぱ昔のほうがいいですよね。

なお、アローズはイギリスを拠点にしていたバンドながら、メリルとフッカーはアメリカ人です。

なお、メリルは音楽一家で、母親が著名なジャズシンガーのHelen Merril(ヘレン・メリル)です。この人の経歴も変わっていてアローズ結成以前は来日し、天下のナベプロに所属し活動をしていたようです。ウォッカ・コリンズというバンドも組んでいて、筆者は今はなき日清パワーステーションでのイベントでライヴを見たことがあります。残念なことですが、2020年にコロナでお亡くなりになってます。69歳でした。

ま、ジェット姐さんにはこの曲を紹介してもらったことに感謝ですかね。

Everytime You Go Away

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イギリスのブルーアイドソウルシンガー、Paul Young(ポール・ヤング)が1985年にリリースしたシングルで、ビルボード1位、ビルボードアダルトコンテンポラリー部門1位、キャッシュボックス1位、ビルボード年間チャート11位という、ヤングの最大のヒット曲です。

オリジナルはDaryl Hall & John Oates(ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ホール&オーツ)が1980年にリリースしたアルバム『Voices』(邦題『モダン・ヴォイス』)に収録された曲で、シングルカットはされていません。

ヤングのヴァージョンもオリジナルに近いものがありますが、演奏にシンセサイザーや電子ピアノを使っていて、個人的には違和感を覚えます。

 

こちらが、ホール&オーツ版。彼らもヨーロッパ系のアメリカ人ながら、ブルーアイドソウルを得意としていました。まあ、その後、『Voices』以降、シングルカットされた曲が続けて1位になるなど、デュオとしてはSimon & Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)に肩を並べるようなところまで行ってしまいましたが。

個人的には聴きなれたホール&オーツのほうが、好きですねえ。

ところで、ホール&オーツにもカバー曲があって、同じく『Voices』収録の「You've Lost That Lovin' Feelin'」(邦題「ふられた気持ち」)です。オリジナルはThe Righteous Brothers(ライチャスブラザース)の1964年のヒットで、ビルボード1位、年間チャート5位でした。ホール&オーツ版はシングルカットされ、12位まで上昇。これがきっかけでもないのでしょうが、次のシングル「Kiss On My List」が1位となり、快進撃につながるのでした。

Without You

 

こちら、Hurry Nilson(ハリー・二ルソン、日本では二ルソン)Mariah Carey(マライア・キャリー)のヒットで有名な「Without You」のオリジナルヴァージョンです。

特に、ニルソンのカバーは1971年にリリースされ、4週連続のビルボード1位、年間チャート4位となりました。ちなみに、マライア版は3位ですが、イギリスで1位となり、世界的ヒットとなったようです。知らんけど。

このオリジナルを作ったのが、イギリスはウェールズ出身のバンド、Badfinger(バッドフィンガー)でした。1970年、アルバム『No Dice』に収録された曲で、シングルカットはされていません。

作者はバンドメンバーのPete Ham(ピート・ハム)とTom Evans(トム・エヴァンズ)です。なんと彼らはビートルズが作ったApple Record所属でした。

バッドフィンガーは悲劇のバンドともいえ、詐欺師まがいのマネージャーと契約し、ワーナーと契約するものの、そのマネージャーが悪徳でワーナー側から支払われる巨額な金額をすべて自分の会社に入るようにし、バンドへはわずかな月給を支払うようなことを行っていました。そのため、金銭的に行き詰ったハムは自殺してしまいます。

その後、バンドは解散し、1978年に再結成します。しかし、「Without You」の利権をめぐり、エヴァンズがメンバーと対立し、法廷闘争になりますが、それに疲れたエヴァンズも1983年に自殺してしまいます。これで、完全にバッドフィンガーは終焉を迎えました。

考えようによっては「Without You」も罪作りな曲なんですねえ。

Got My Mind Set On You

 

なんと、George Harrison(ジョージ・ハリスン)の「Got My Mind Set On You」もカバー曲だったのです。

1987年にリリースされ、ビルボード1位、1988年の年間チャート3位でした。

オリジナルはJames Ray(ジェームス・レイ)というリズム&ブルースシンガーが1962年にリリースしたシングルのB面で、作者はRudy Clark(ルディ・クラーク)という人です。

この曲はジョージの最後のナンバーワンヒットであるばかりでなく、ビートルズのメンバーとしても現在のところ最後の1位獲得曲になります。つまり、これ以降、リンゴもポールも1位を取っていないということになります。

この曲が収録されたアルバム『Cloud 9』には、Jeff Lynne(ジェフ・リン、元ELO)が参加していて、これがきっかけとなって、覆面バンドのTraveling Wilburys(トラベリング・ウィルベリーズ)が結成されたのでした(メンバーはジョージ、リン、ロイ・オービソン、ボブ・ディラン、トム・ペティ)。

◇◇◇

その他にも、Shocking Blue(ショッキング・ブルー)「Venus」(ビルボード1位)をカバーしたBananarama(バナナラマ)も1位だったり。Little Eva(リトル・エヴァ)「Locomotion」(ビルボード1位)をGrand Funk(グランドファンク)がカバーし、これも1位。「Locomotion」に関しては世界中でカバーされ、フランスのシルヴィー・バルタンも本国で1位。日本では伊東ゆかり(当時はオリコンがなく、チャート不明)、ゴールデンハーフもカバーしてます。

胸糞が悪いのは大みそかの紅白にも出場した沖縄出身の某グループが当初は自身が作者であるとして、「ロコローション」というタイトルでオリコン1位を取ったものの、「Locomotion」の制作サイドからクレームが付き、作者がのちにGoffin-Kingに改められております。こいつら、CDシングルに収録していた「Orange Boat」という曲も自作だとしていましたが、ハリー・べラフォンテの側からもクレームがついて、彼の「Banana Boat」のカバーであると改められています。まったく、ふざけた野郎どもだよ。消えてほしい。

◇◇◇

また逢う日まで

日本の曲では尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」という曲のカバーです。阿久悠&筒美京平コンビの名曲で、レコード大賞、歌謡大賞のダブル受賞で、もちろんオリコン1位。なのに、年間チャートで3位。1位は「わたしの城下町」2位が「知床慕情」でした。

「ひとりの悲しみ」はヒットせず、阿久悠氏が詞を書き直し、尾崎に提供したものです。

 

「ひとりの悲しみ」、実はカラオケにあったりしますけど。また、『筒美京平 Golden History』(コロムビア盤)に収録されてます。このYouTubeは違法アップロードです。

もうひとつありますが、共有できないんですよね。リンク貼っておきます。町田義人氏のダイナミックな歌唱、尾崎氏とまた違っていいですわ。

下記のバナークリックもよろしくお願いします。コメントもお待ちしております。

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2025年12月21日 (日)

地名じゃないよ、人名だよ

かすてら音楽夜話Vol.218

アルファベット順にピックアップする人の名前がタイトルに入った曲シリーズです。

今回は"G"になりますが、これまた希少な名前なのかあまりないのですね。

Michel Polnareff「Gloria」

 

懐かしのMichel Polnareff(ミッシェル・ポルナレフ)、「Gloria」(邦題「忘れじのグロリア」)です。

1970年代前半に、なぜか日本で洋楽チャートに割って入ったフランス人シンガーソングライターです。お借りしたYouTubeの「Gloria」は音声のみで、映像は静止画になりますが、当時のポルナレフのイラストになりますか。もしかしたら、彼のアルバムのジャケ写だったのかもしれませんが。

ともかく、デカいサングラスとカーリーヘアが特徴で、一度見たら忘れることはできないでしょう。わたしゃ、拝見したことはないのですが、あるコンサートの宣伝ポスターでは、生尻を見せるは、局所を隠しての「アキラ100%状態」(by トーマスさん)だったとかで。まあ、一風変わった人なんでしょう。

さて、この「Gloria」、英語版wikiによれば、1970年にリリースされ、フランスで2位、ベルギーで7位という記録が残ってます。もちろん、日本でもリリースされましたが、1973年のリリースで、おそらくオリコン洋楽チャートで33位だったのではないかと思われます。そういや、サビの部分何となく覚えてます。ラジオのチャート番組などで流れてました。

ポルナレフのディスコグラフィについてはフランス語版wikiよりも英語版のほうが詳しいのですね。なお、この「Gloria」のカップリングのB面が「Je Suis Un Homme」(I'm A Manの意味)というものですが、前述の露出騒ぎで、ポルナレフが同性愛者であるとの誤解を受け、コンサートでステージに上がった客から暴行されたことにショックを受けたことに対し、「自分(ポルナレフ)は異性愛者、ノーマルである」ということを伝えるものだったそうで。

余談
Laura Branigan(ローラ・ブラニガン)という人も、1982年のシングル、「Gloria」というビルボード2位となるヒットがありますが、この曲もイタリア人が書いた曲のカバーで、歌詞は英語に直されてます。なお、ブラニガンさん、2004年にお亡くなりになっています。

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Boz Scaggs「Georgia」

 

またしても登場のボズさんです。

「Georgia」(ジョージア)なんて、絶対地名だろとわたしゃ思い込んでおりました。

 

アメリカ合衆国、ジョージア州。

あるいは。

 

旧ソ連を構成していた国、ジョージア。スターリンの出身地でもありますね。

もっとも、ボズさんが、この曲を書いた時には、少なくとも日本では「グルジア」と呼ばれていた国なので、これは違いますね。さらに詳しく読み取っていくと、ジョージア本国では「サカルトヴェロ」と称しているそうで。「グルジア」はロシア語読みで、英語に転じて「ジョージア」なんすね。

ま、ボズさんの歌を聴き取っていくと、ジョージアという女性であることがわかります。ジョージア州に対する郷土愛を歌う曲ではありません。

この「Georgia」という名前、数は少ないですが、女性の名前のようです。まあ、これまた、「ジョージア(曖昧さ回避)なんてとこから見つけたんですけどね。

ボズさん、比較的女性の名前が入った曲が多いようで。しかも、Georgiaと並ぶような珍名ともいえる「Jojo」なんて曲も。あ、ひとつ、ネタ飛ばしました。

「かすてら音楽夜話」年内の更新はこれで最後です。いろいろとお騒がせいたしました。2026年もよろしくです。ネタは一応あるので、年明けすぐにでも記事上げますね。バナークリックもよろしくお願いします。

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2025年12月 9日 (火)

裏声の男たち

かすてら音楽夜話Vol.217

 

いきなりの、Bee Gees(ビージーズ)、「You Should Be Dancing」でございました。

今回のテーマとして、男性でありながら裏声、ファルセットで歌うヒトにスポットを当てたいと思います。

この、ビージーズの映像、おそらくはライヴでありながら、口の動きがシンクロせず、もともとの音源を使用しております。「You Shoul Be Dancing」の映像はいくつものヴァージョンがあるのですが、これを持ってきたのは、ギブ4兄弟の末弟、Andy Gibb(アンディ・ギブ)も加わっての映像上でのパフォーマンスがレアかなと思ったからです。残念なことに、生き残っているのは長男のリードヴォーカル、Barry Gibb(バリー・ギブ)だけです。

この曲がリリースされたのは、1976年6月。Billboard Hot 100(ビルボードシングルチャート)で1週間、1位を獲得しました。これが、3回目の1位獲得曲ですが、バリーが本格的にファルセットに挑んでヒットした最初の曲ということになります。

これに味を占めたわけではないのでしょうが、以降、ビージーズはほとんどファルセットの曲を出し続けます。6曲連続ナンバーワンのうち、最初の「How Deep Is Your Love」(邦題「愛はきらめきの中に」)以外、全部がファルセットですね。味を占めたとでも申しましょうかね。

末弟のアンディも(アメリカでの)デビュー作、「I Just Want To Be Your Everything」(邦題「恋のときめき」)でファルセットを披露しているんですが、それもそのはずで作者がバリーですし、バリーがバックコーラスも担当しています。1977年4月のリリースで、返り咲きを含む3週1位を獲得。以降の2曲のシングルも連続で1位(3曲目の「Shadow Dancing」は年間チャートでも1位)ですし、おそらくはルックスも相まって、ビージーズより人気があったのではないでしょうか。

さて、ビージーズは1977年の映画「Saturday Night Fever」(サタデーナイトフィーバー、主演、ジョン・トラボルタ)のサウンドトラックにより、キャリアの頂点を極めることになります。サウンドトラックにはビージーズ関連の曲が8曲収録。うち、ビージーズが演奏するものが6曲。ナンバーワンヒットとなった曲が4曲(それ以前に1位を獲得した曲を含めると6曲)。という、サウンドトラックとしては異例の対比っとアルバムとなり、全世界で4000万枚が売れたとのことです。ただし、アンディ名義の曲は収録されませんでした。

こちらも余談があります。実はトラボルタが躍るシーン、最初はビージーズの曲ではなかったとのこと。一部ではBoz Scaggs(ボズ・スキャッグス)の「Low Down」であったとの証言が英語版wikiでは記述がありますね。ボズ側が曲の使用を認めなかったそうですが。

髭面のファルセット、ある面ビジュアルなんかどうでもいいというのが、当時のアメリカですかね。

Philip Bailey

 

おなじみ、Earth, Wind & Fire「September」でございます。

これ、好きなんでアースの中で持ってきたんですけど、圧倒的な存在感を持つ、リーダーでリードヴォーカルのMaurice White(モーリス・ホワイト、故人)にスポットがどうしても当たってしまい、ファルセットの持ち主、Philip Bailey(フィリップ・ベイリー)にとっては映像上は影が薄く見えてしまいますね。

ビージーズのバリー・ギブをはじめとするファルセットを得意とするシンガーは地声でもヒット曲を持っているわけですが、フィリップ・ベイリーからファルセットを抜きにしたら、な~んも特徴のないヒトということになりますか。それだけ、ファルセットだけでやってきた人物でもあります。

そんな、フィリップ・ベイリーにもスポットが当たることになったのが、この曲です。

 

Philip Bailey & Phil Collins「Easy Lover」でした。

Phil Collins(フィル・コリンズ)はイギリスのバンド、Genesis(ジェネシス)のドラマーで、1980年代にソロとしても活躍した人です。ジェネシスとしてより、ソロのほうが稼ぎはよかったのではないかと思われますね。

そのふたりがタッグを組み、1984年にリリースしたのが、この曲でした。

ビルボードでは2位に終わりましたが、もうひとつの当時権威のあったチャート、Cash Boxでは1位を取ってます。

曲を聴くと、フィリップさん無理して声を裏返しているようには見えないんですよね。ナチュラルにキイが高いので、ちょっと頑張ればああいうヴォーカルスタイルができたということなんでしょうか。

もともと、アメリカのアフリカ系シンガーはファルセットを押し出してきた人たち(Smokey Robinson、Temptationsなど)も多かったという傾向はあります。もっとも、アースはMotown(モータウン)とは一線を画してきたグループではあるのですが。

Leo Sayer

 

Leo Sayer(レオ・セイヤー)の「You Make Me Feel Like Dancing」(邦題「恋の魔法使い」)でした。

レオ・セイヤーといいますと、毎年この時期に思い浮かぶのが、John Lennon(ジョン・レノン)の狙撃事件です。結局ジョンは狂信的なファンに撃たれて亡くなるのですが。

45年前の12月8日(日本時間は9日、すなわち本日)のことです。当時、ジョンは主夫生活から脱却しアルバム『Double Fantasy』をリリース。その最初のシングルが「Starting Over」だったわけで、ジョンの死後、「Starting Over」はあれよあれよという間にチャート1位に上り詰めたのです。

その割を食ったのがレオ・セイヤーだったわけです。彼のシングル、「More Than I Can Say」(邦題「星影のバラード」)はKenny Rogers(ケニー・ロジャース)の「Lady」に続いての2位でした。しかし、「Starting Over」が「More Than I Can Say」を飛び越しての1位獲得で、レオの3回目の1位獲得はできなかったのです。

さて、「You Make Me Feel Like Dancing」は1976年リリースで、レオ・セイヤーとしてもアメリカで初のヒットとなり、1位も獲得しました。当時の「サタデーナイトフィーバー」前夜といいますか、ディスコの波が徐々に来ていたのではないでしょうか。ファルセットの曲でもありますし。

ちなみに、レオは地声で次のシングル、「When I Need You」(邦題「はるかなる想い」)でも1位を取っています。

新田一郎

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邦楽ファンの皆さん、お待たせいたしました。最後は新田一郎さんです。

 

ファーストソロアルバム『一番 クールが熱い』収録の「サンライズ・サンセット」(作詞:宮下康仁 作編曲:新田一郎)でした。この曲はソロになってのファーストシングル「Not For Sale」との両A面でした。チャート成績は不明です(スペクトラム、新田一郎ともwikiでは不明)。

新田さんもファルセットにスポットを当てられる人ですかね。とはいえ、Spectrum(スペクトラム)時代にも地声での曲もあるんです。

2025年の初めのころからスペクトラムの「F・L・Y」(作詞:Mabo 作編曲:スペクトラム)という曲がTikTokでバズり始め、とうとう、Victorでも公式ビデオを作るという奇跡が起こりました。解散の1981年から44年。これに関連して、新田一郎個人の楽曲も併せて公式ビデオができたということになります。(注:Maboというのは篠塚満由美氏のことです)

新田氏は17歳で渡辺プロダクションにスカウトされ、トランペットプレイヤーとして裏方の道を歩んできました。奈良出身なので、ナベプロの常道として、東京の赤城台高校に転校するのですが、(おそらく)仕事が忙しすぎて中退。ナベプロのスターのバックで裏方に徹してきたのですが、自分も表舞台でやりたいと、Horn Spectrum(ホーン・スペクトラム)を結成し、それが発展して歌って踊れるエンターテイメントバンド、スペクトラムを結成することになります。

事務所もキャンディーズのマネージャーであった大里氏のアミューズに移籍し、初期のアミューズを支えてきた功労者ということになります。(キャンディーズのバックに新田氏も起用されていた)

8人編成のスペクトラムですが、新田氏の指導はかなりスパルタ的で、加入当時19歳のギタリスト西氏には、ストロークだけを何時間も練習させ、腱鞘炎寸前まで追い込んだとか。また、当時大学生であった今野氏にもリハーサルの繰り返しはキツイものがあったようです。それがあってこそ、高度なパフォーマンスを保てたともいえますが。

 

ちゅうことで、やっぱり新田さんのファルセットといえば、この曲ですかね。スーパーリミックス版の「In The Spece」でした。

ちなみに、このリミックス版はスペクトラム解散後に現役のトロンボーン奏者でありながらVictorのエンジニアにもなっていた、吉田氏が手掛けたものです。

なお、筆者もそうですが、スペクトラムのファンはたとえ、もう当時のように踊れなくなっていたとしても、スペクトラムの復活を待ち望んでいると思います。今のところ、新田氏を除いて全員が現役のミュージシャンですし。新田氏は芸能プロダクションの社長業のほうが、忙しいのでしょうか。

新田さんはアースでいえば、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリー、そしてホーンセクションすべてをやりたかったのかもしれませんね。かすかな希望をもって、スペクトラムの本当の最後を見届けたいと思います。新曲はいらないぜ。

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2025年11月22日 (土)

ABBAの「F」と地名の曲

かすてら音楽夜話Vol.216

"F"のつく人名がタイトルに入る曲。

まあ、いろいろ探したんですけどねえ。ワタクシが思いつくのはこれだけ。

 

ちゅうことで、ABBA(アバ)「Fernando」(1976年、邦題「悲しきフェルナンド」)でございました。

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実はこの曲はABBAのヴォーカルのひとり、Anni-Frid Lyngstad(アンニ-フリーダ・リングスタッド、中央左、1945年生まれ)のソロアルバム用に書かれたものでした。作者は、Benny Anderson(ベニー・アンダーソン、左、1946年生まれ、主にキーボード)とBjörn Ulvaeus(ビョルン・ウルバース、右、1945年生まれ、主にギター)、作詞家であったStig Anderson(スティッグ・アンダーソン)です。

なお、スウェーデンの発音では「Anderson」は「アンデション」という発音が近いそうですが。

そのフリーダのスウェーデン語盤は国内で9週1位を取ったそうで。

そして、同年、歌詞を英語に直し、ABBAとして、再リリースされましたが、これもビルボードで13位、キャッシュボックスで10位だったものの、ヨーロッパ諸国では軒並み1位連発で、悪くても4位という大ヒットになります。ABBAとしてはイントロからのリードヴォーカルはフリーだが担当してますが、すぐにもうひとりのヴォーカル、Agnetha Fältskog(アグネッタ・フォルツコグ、中央右、1950年生まれ)が加わり、デュエットによるいつものABBAサウンドとなっております。

西ヨーロッパ各国の人口は国単位では大したことはありませんが、これがまとまるとそれなりの人口規模となり、すべての売り上げは1000万枚にも上るとか。

なお、フリーダ盤(スウェーデン語)のフェルナンドさんはABBA行きつけのバーにいたバーテンダーの名前から思いついたそうです。内容は最愛の人を失った傷心のフェルナンドを励ますような感じだったそうで。

一方、ABBAの英語盤は単に翻訳したものではなく、メキシコ革命後の二人の退役軍人が昔を回想するというものに書き換えられました。

さて、ABBAですが、グループ内カップルとしても有名です。フリーダとベニー、アグネッタとビョルンという組み合わせでしたが、のちにどちらも離婚しております。Fleetwood Mac(フリートウッドマック)もそうだよな。両グループとも、離婚後も活動を続けていますが、ABBAは活動をそれほど長く継続できなかったですね。マックは鉄仮面のごとく、なんでもなかったかのようにずっとやってましたが。

そして、2021年、アルバム『Voyage』をリリースし、ビルボード2位、イギリスチャート1位という快挙を遂げます。完全復活というわけでもないようですが、アバターによる「ABBA Voyage」という劇場がロンドンにできたそうで。別のベストアルバム『ABBA Gold』は総売り上げ3000万枚といいますから、ABBAは人気ありますよね。

さて、"F"から始まる名前自体が英語圏ではほぼ珍しく、他にあったら教えてほしいものです。同じようなことは、”Q”や"X"、"Z"についてもあり得ます。さて、どうしようか。

これだけでは物足りないでしょうから、というわけではありませんが、突如思いついたのが、「地名の入る曲」です。ま、紹介するのは"F"じゃないんですけど。これなら、日本であろうが、アジアであろうが、取り上げられますね。

んでは、同じくABBAのこの曲をお聴きください。

 

1974年リリースの「Waterloo」(邦題「恋のウォータールー)でした。作者は「Fernando」と同じく、ベニーとビョルン、アンダーソンさんでした。

この曲は同年に国内の音楽コンテストでこの曲で優勝し、ユーロヴィジョン・ソングコンテストにスウェーデン代表として出場することになる曲です。出場の直前にはドイツ語盤もリリース。

そして、ユーロヴィジョンでは見事に優勝し、フランス語盤もリリースされます。

この曲でヨーロッパ諸国のチャートを席捲。ビルボードで6位、キャッシュボックスで10位、総売り上げは500万枚だといいます。

なお、この年のユーロヴィジョンはイギリスのブライトンで開催されたのですが、イギリスの審査員がつけたポイントがなんと、ゼロ。イギリス代表のOlivia Newton-John(オリビア・ニュートンージョン)を勝たせるためだったといいます。

さて、ここでのタイトル、ウォータールーですが、あの「ワーテルローの戦い」のワーテルロー(現在ベルギー領)なのでした。ちなみに、ナポレオンがワーテルローの戦いで決定的な敗北を喫したのですが、ワーテルロー自体は戦いの地ではなく、イギリス軍の陣地があったのがワーテルローであったということだそうで。

イギリスもよほど感慨深かったものがあるのか、ロンドンのターミナル駅に「Waterloo」の名前を付けたのでした。

地名も、カリフォルニアとかニューヨークとかまあまああるんですけど、できたらマイナーなところも探してみたいです。

"G"はまあ、あるでしょう。

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2025年11月 9日 (日)

Eから始まる人名の曲はビートルズの謎に満ちたコレ

かすてら音楽夜話Vol.215

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今回の"E"で始まる人名の曲。

1曲目はThe Beatles(ビートルズ)「Eleanor Rigby(エリノア・リグビー)」(1966年)です。

わたしゃ、ビートルズの出身地であるイギリスのリバプールに行ったことがあるのですが、彼らがデビュー前にギグをやっていた、マシューストリートのキャバーンクラブにほど近い場所にベンチに腰掛ける女性像がありました。

これが、エリノア・リグビーさんでございます。

 

YouTubeの音声ですがリマスター版です。リマスターされていないものもビートルズの公式チャンネルにありまして、アニメではありますが、映像も付いています。英語字幕も付くのですが、ポールの声とシンクロしないという、気持ち悪さで、リマスター版をお借りいたしました。

ビートルズのお約束ということで、作者クレジットはLennon-McCartney(レノン-マッカートニー)ということになっていますが、メロディはポールが作り、ジョン、ジョージ、リンゴに詞のアイデアを求めたとのこと。ですが、ポールによれば詞の8割は自分で書いたとのことです。なかば、放置された曲ともいえます。

そして、この曲は「Yellow Submarin(イエローサブマリン)」と両A面でシングルとしてリリースされました。イギリスのチャートでは1位でしたが、ビルボードでは11位に沈んだという珍しい曲です。ま、地味ですからね。ちなみに、「イエローサブマリン」はビルボード2位でした。

ちなみに、当時の集計方法では両A面であってもチャートはそれぞれに集計されていたそうです。のちの大ヒットとなるキャロル・キングの「It's Too Late」は「I Feel The Earth Move」との両A面で、彼女は2曲のナンバーワンヒットを持つとカウントされております。

演奏はすべてストリングスで、ビートルズのメンバーは誰もかかわっていません。コーラスにジョンとジョージは参加してますが、リンゴはまるで参加してないという曲です。ま、リンゴは「イエローサブマリン」のリードヴォーカルだからいいことにしたのかどうか。

さて、冒頭の画像、エリノア・リグビー像ですが、イギリスのエンターテイナー、トミー・スティール氏が制作し、1982年に設置されたものだそうです。マシューストリートにはジョンの銅像もあります。

エリノアさん、ポールが思いついた架空の孤独で報われない老女という設定です。しかし、1980年代にリバプールのセントピーターズ教会の墓地で、エリノア・リグビーという人物の墓が見つかったそうです。そして、その近くには「マッケンジー」という名前が刻まれた墓も見つかったとのこと(歌詞に"Father Mckenzie"マッケンジー神父も登場する)。この教会は初めてジョンとポールが出会ったところだそうで。現在は観光名所になっているそうです。リバプール滞在時にこれを知っていたら、探してでも行ったと思いますが。惜しい。

ポール自身は墓のことは知らなかったといっているようですが、偶然にしてはできすぎなような。ちなみに、実在したエリノアさん、19世紀末の生まれで第二次大戦のころに亡くなっているので、老婆ということはないようです。

2曲目も出自がすごい。

 

Styx(スティクス)の大ヒットアルバム『Cornerstone』(1979年)収録の「Eddie」(エディ)でした。

James Young(ジェームス・ヤング、ギタリスト)が唯一提供した曲で、リードヴォーカルもJY(メインのヴォーカリストがDennis DeYoungという名前だったためか、イニシャルで呼ばれていた可能性があります)です。

アメリカ人ってリードヴォーカルであってもギターソロをバリバリ弾いてしまうような力技が見受けられるんですが、「エディ」でもJYはギターシンセサイザーのソロを弾きまくってますね。

そして、このエディとはあのEdward Kennedy(エドワード・ケネディ)のことなんだそうで。もっとも、ケネディ氏は「エディ」ではなく、「テッド」と呼ばれることが多かったそうですが。

ここでは、1980年のアメリカ大統領選挙に出馬するのを思いとどまらせるという、曲のようです。

ケネディ氏は民主党の大統領候補者に立候補し、現職大統領のジミー・カーター氏に敗れるのですが。

ちなみに、ジェームス・ヤングがどちらの党の支持者であるかは不明です。おそらくはシカゴ出身であるから、民主党支持者で、かつてスキャンダルを起こしたケネディ氏は支持できなかったと推測しますがね。

3曲目はマイケルの1位を阻んだ曲

 

Dexys Midnitht Runners(ディキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ)「Come On Eileen」(カモンアイリーン)でした。

イギリスのバンドですね。1982年にイギリスでリリース。翌1983年にアメリカでも発売され、マイケル・ジャクソンの「Billy Jean」と「Beat It」の間に割って入ったビルボード1位獲得曲ということになります。

この曲以外、アメリカでは86位にチャートインした曲があるだけで、アメリカでは究極の一発屋ということになりますかね。

映像を見ると、時代ですかね。イギリスのニューウェイブという感じがいたします。

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2025年10月24日 (金)

Dの人名曲はイーグルスとショーン・キャシディ

かすてら音楽夜話Vol.214

Donhenry

サボっていたわけではありませんが、個人的事情で記事を上げられませんでした。すんまへん。

さて、今回は「Dから始まる人名がタイトルの曲」を行ってみたいと思います。

まずは、こちらをお聴きください。

 

はい、Eagles(イーグルス)の「Doolin-Dalton」でした。

作者はDon Henley(ドン・ヘンリー)、Glenn Frey(グレン・フライ)、JD Souther(JD サウザー)、Jackson Browne(ジャクソン・ブラウン)で、ヴォーカルはヘンリーとフライになります。

こちら、シングルでも何でもないアルバム収録曲なんですが、イーグルスのセカンドアルバム『Desperado』(邦題『ならず者』、1973年)のオープニングナンバーであり、アルバムラストでも「Doolin-Dalton/Desperado」としてリプライズされております。

さて、アルバム『Desperado』ですが、コンセプトアルバムで、アメリカ西部開拓時代のギャング団をテーマにしています。

"Doolin-Dalton"とは、そのギャング団の代表者の名称です。Bill Doolin(ビル・ドゥーリン)とBill Dalton(ビル・ダルトン)のふたりですね。もちろん、その他にもメンバーはいた模様で、結局この人たちは、保安官との銃撃戦でなくなっています。ほかのメンバーも1人を除いて全員殺害されたという、悲惨な生涯でした。

さて、アルバム『Desperado』ですが、Bilboard Hot 200(週間アルバムチャート)で41位が最高位で、1973年の年間チャートで64位という、イーグルスにしてはほぼ売れなかったものといっていいでしょう。ただし、のちにダブルプラチナ(200万枚)認定されています。これは、のちの彼らの活躍で年月をかけて達成されたものだと思います。

シングルヒットも「Outlaw Man」のBilboard Hot 100で59位が最高で、もう1曲のシングル、「Tequila Sunrise」はチャート圏外でした。

ほぼ、イーグルスのコンサートでの定番、「Desperado」も「Tequila Sunrise」も含まれたアルバムながらこの有様です。ただし、名曲ぞろいということで、「Desperado」などは、多くのミュージシャンにカバーされています。そのカバーの中で、最も好きなのが、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のヴァージョンでして、テレビ版「深夜特急」(「劇的紀行 深夜特急」というタイトルで、大沢たかお主演)でテヘランへ向かう道の途中でヒッチしたクルマから降ろされた大沢たかおが、途方に暮れるシーンで流されたものです。

ともかく、この時代のイーグルスはよかったですよね。でも、現在もメンバーで生き残っているのはドン・ヘンリーひとりです(2名脱退、その後1名死亡。残ったフライも死亡。バーニーのみ生存)。

ところで、イーグルスは「Doolin-Dalton」のような、実在する人物をタイトルに持ってきた曲があと2つあります。時期不明ですが、こちらも取り上げる予定ですので、ご期待のほどを。

もう1曲はこちら。お聴きください。

 

Shaun Cassidy(ショーン・キャシディ)の「Hey Deanie」でした。

こちら、セカンドアルバム『Born Late』(1977年)からのシングルカットで、Bilboard Hot 100で7位を記録しています。年末のシングルにもかかわらず、翌1978年の年間チャートでも68位と健闘しています。アルバム『Born Late』もHot 200で6位、翌年の年間チャートでも58位でした。

この曲の作者はEric Carmen(エリック・カルメン)です。彼自身も1978年の3枚目のアルバム『Change Of Heart』でセルフカバーしていて、シングル「Change Of Heart」のB面になっています。

さて、ショーン・キャシディという人、当時のアメリカではアイドル的な扱いでした。1977年にデビューし、アルバム『Shaun Cassidy』はHot 200で3位を記録し、プラチナ認定(100万枚)されています。シングルでもPhil Spector(フィル・スペクター)らの「Da Doo Ron Ron」がHot 100で1位、やはりエリック・カルメンの「That's Rock'n' Roll」(邦題「すてきなロックンロール」。エリック・カルメンのほうが1976年にデビューアルバムで収録していて、キャシディがカバーしたことになります)が3位という人気ぶりでした。

また、1978年の第20回グラミー賞では最優秀新人賞にノミネートされています。ただし、この時は10週連続1位という当時の記録(「You Light Up My Life」)を持つDebby Boonにかっさわられております。

キャシディという名前、異母兄にDavid Cassidyという人がいて、彼もThe Partridge Familyとして、1970年に「I Think I Love You」(邦題「悲しき初恋」)が1位を獲得しています。

ほとんど、将来が約束されたようなショーン・キャシディでしたが、1980年代に入ると、人気が低迷し、舞台俳優などに転向しました。

 

エリック・カルメンのヴァージョンもどうぞ。

セルフカバーの定番として、提供したショーン・キャシディのものより、音に厚みを持たせてますね。

Ms0028

この「Hey Deanie」という曲、エリック・カルメンが「草原の輝き」という映画を見て書いたそうです。主人公の女性が「ディニー」でナタリー・ウッドが演じております。

この記事に何かを感じた方は、ぜひともコメントくださいませ。次回からはできるだけ記事を上げるようにします。また、バナーのクリックもよろしくお願いします。

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2025年9月 9日 (火)

ボズさん、やばくね?

かすてら音楽夜話Vol.213

今回も、引き続き、ミケポスカフェでの音楽話より。

今回登場するのは、Boz Scaggs(ボズ・スキャッグス)です。二度目の登場で、「TOTOの生みの親」という記事を上げております。

ま、その時の焼き直し的な記事になりますが、ご容赦のほどを。

Ms0057

ボズといえば、「We're All Alone」がどうしても出てきてしまい、AORの人みたいに思われがちですが、あちらではWhite Soul、あるいはBue-Eyed Soulにも分類されるほど、黒っぽいヴォーカリストとして評価されています。

また、ビルボード Hot 200(週間アルバムチャート)で最高位2位のヒットアルバム『Silk Degrees』で、のちのTOTOのメンバーをバックに起用し、洗練された音作りもしてきました。

さて、今回取り上げるのは上記の画像、9枚目のアルバム『Middle Man』(1980年)です。

やばいジャケット写真

女性の足に頭を乗せたボズがたばこの煙を吐き出すというジャケ写でございます。このアルバム、見開き状態になっていまして、もう半分を開くと、女性は足を開いていましてね、それが光る(テカる)ような素材のレオタードなんですよ。そして、網タイツも穿いていると。女性の顔などは写っていないのですが、どうやらバニースタイルのようです。そして、やけにほっそりしていて、大人体系ではなく、どうもローティーンではないか…なんてことが、一部では囁かれておりました。

ま、45年も前のことですから、当時はコンプライアンスもなく、そのまま通っちゃったんでしょう。ちなみに、『Middle Man』は現在もこのまんま発売されております。ちなみに、当時のボズは36歳(1944年生まれ)。Middle Manというからには「中年」という意味かと思ったら、「仲介人」という面白くもなんともない意味になるそうで。

こうしたちょいヤバジャケットですが、Scorpions(スコーピオンズ)の『Virgin Killer』(少女ヌード)は現在は差し替えになり、『Love Drive』(リムジンの後席で女性の胸についたガムを引きはがそうとしている男性の図)はそのままです。Nirvana(ニルヴァーナ)の『Nevermind』(泳ぐ生後4か月の男児の生殖器が写りこんでいる)はのちにモデル本人からの訴えがあったようで。

ま、いろいろありますわ。Queenの「Bicycle Race/Fat Bottmed Girl」(両A面シングル)のジャケ写もですし、プロモビデオはもっとすごくて、YouTubeでは年齢制限かけられてますね。

Eric Carmen(エリック・カルメン)の4枚目、『Tonight You Are Mine』も想像力を働かせれば…ちなみに、差し替えなしですが、現在市場に出回ってません。

ま、それはさておき、『Middle Man』もなかなかの出来です。

アルバム『Middle Man』より

 

さて、こちらは、「You Can Have Me Anytime」という曲です。作者はDavid Foster(デビッド・フォスター)とボズ。映像はプロモーションビデオですね。音源はアルバムのものです。

この曲、シングルにはなっていないのですが、日本限定のシングルになっているはずです。邦題が「トワイライト・ハイウェイ」といいまして、TOYOTA Cresta(トヨタ クレスタ)というクルマのCM曲でした。

なにしろ、世界のトヨタですからね、「ここはボズさん、ひとつアレみたいな曲でお願いします」なんてやり取りがあったのではないでしょうか。もちろん「アレ」とは、「We're All Alone」のことです。

プロモーションビデオではバックの演奏はうまく合わせてあって、実際に(音源で)演奏している人物とは違いますね。エレピはデビッド・フォスターではありませんし、ドラムもJeff Porcaro(ジェフ・ポーカロ)ではなく、もちろんベースもDavid Hungate(デビッド・ハンゲイト)ではありません。

そして、ギターを担当するのは「ゴーストバスターズ」のRay Parker Jr.(レイ・パーカーJr)と印象的なギターソロがCarlos Santana(カルロス・サンタナ)なんですね。これらの差し替え、おそらくは肖像権みたいなことも関係しているのかと。すでに、TOTOはスーパースターですし、レイ・パーカーjr.は自身のグループ、Raydio(レイディオ)でヒット連発でしたから。

また、このアルバムではやはり、TOTOのギター、Steve Lukather(スティーブ・ルカサー)もほとんどの曲を弾いていたのですが、「You Can Have Me Anytime」ではどうしてもサンタナのギターが必要だったのでしょう。

 

これまた、シングルにならなかった「Angel You」という曲です。作者は同じくフォスターとボズです。

こちら、印象的なバックコーラスが、Rosemary Butler(ローズマリー・バトラー)という人で、角川映画「汚れた英雄」の主題歌を歌った人です。オリコン洋楽チャートで11週間1位を続けたので、覚えている人も多いかと。

 

最後に紹介するのは、「Breakdown Dead Ahead」という曲で、ビルボード Hot 100(週間シングルチャート)最高位15位、キャッシュボックスで12位という、『Middle Man』からのシングルカットで一番ヒットした曲です。

こうしたノリが、AORとは一線を画していると思います。個人的にはアルバムで最も好きな曲です。

もちろん、映像はプロモビデオで、演奏は本人とは別の方が演じてますね。コーラスの女性はわからないですが。

ギターはルカサーとレイ・パーカーJr.で、ベースはハンゲイト、ピアノがフォスター、ドラムのみRick Marotta(リック・マロッタ)に変更されてます。

この後、ボズは長らく沈黙の時代に入ってしまうのですね。若かりし頃、ヨーロッパの街角でギターの弾き語りをしながら、日銭を稼いでいたくらいですから、バックパッカーでもやってたのか…でも、相当売れた人ですから、それはないか。

話は変わりまして。

御三家の一人であった橋幸夫さんがお亡くなりになりました。

これで、残された御三家は舟木一夫さんだけになりました。

 

もちろん、2度のレコード大賞受賞者で、追悼ニュースなどでは「いつでも夢を」、「霧氷」(以上レコード大賞受賞曲)やデビュー曲の「潮来傘」で報道されたりしました。

ワタクシ的にはこの世に「リズム歌謡」というものを大衆のレベルにまで知らしめた人として、評価したいと思います。

寺内タケシや加山雄三、その後のGSなどもありますが、茶の間のじいさんばあさんまで、エレキを親しみやすくしてくれた人なんですね。何しろ、クレージー映画でも植木等氏が「♪炎のように 燃えようよ」と鼻歌を口ずさんでいたくらいでして。

その後の「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」、「恋のメキシカンロック」など、ねちっこくリズム歌謡の曲をリリースします。このあたり、レコード大賞を二度も取れば「え、ちょっと勘弁してよ」などと拒否もされると思うんですが、いやな顔ひとつせずに、一介のシンガーであり続けた人です。

認知症を患いながらも、夢グループの一員として何度もマスコミに顔を出してくれたというのは、さすがのプロ根性だと思います。

謹んで、お悔やみを申し上げます。安らかに。

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次回も、音楽談義よりを予定しております。

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2025年8月22日 (金)

初期の馬場俊英は詰めが甘いがいい感じ

かすてら音楽夜話Vol.212

月1更新を目指すCafe de Castellaでございます。カメの歩みっすね。

さて、今回はミケポスカフェで行われた音楽談義の続きから。

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今回取り上げるのはこの人、馬場俊英でございます。

ざっと、彼の経歴をば。

1967年3月生まれ。と、いうことは同学年に宮本浩次、斉藤和義、トータス松本、スガシカオらがいますが、デビューはぐっと遅く、1996年になります。契約はフォーライフでした。

アルバム『もうすぐゴング』(1997年)、『Down The River』(1998年)、『Over The Mountain』(1998年)とシングル7枚をリリースしますが、そこでフォーライフとの契約終了。

その後、インディーズに転じ、自主製作アルバム3枚をリリース後、2005年にフォーライフと再契約し、2007年の紅白歌合戦に初出場。

2008年、ワーナーに移籍。

2016年、ドリーミュージック移籍。現在に至る。

補足させてもらいますと、デビュー前はSon's Train(サンズトレイン)というインディーズバンドに在籍し、1989年11月4日に「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)に出場し、「雨にうたれていることを」という曲を演奏し、完奏しております。この時の(仮)イカ天Kingがカブキロックスで、挑戦者がサイバーニュウニュウでした。Son's Trainに関しては、受賞はなし。ゲスト審査員のつみきみほのコメントで、「歌はうまいと思ったけど、そこまで個性はないみたい」と評されております。

この映像なんですけどね、数年前にはYouTubeに上がっていたんですがね。現在は削除されてしまいました。

ま、この時からデビューまで7年かかっているんです。同じようにスガシカオもサラリーマンをやりながらデビューの機会をうかがっていたんですけどね。スガシカオの場合、タワーレコードのレーベルでインディーズデビュー後、無事にKITTYと契約し、事務所もオフィスオーガスタに所属し、メジャーデビュー後はラジオのヘビーローテーションになったり、「夜空ノムコウ」がSMAPに取り上げられたりと、一気に「ヒットチャートを駆け抜けろ」だったのでございます。

一方、馬場俊英のデビュー前は、ソロで地道に活動しつつ、佐藤聖子という人のライターをやっていたようです。wikiによれば、森口博子の「HOME TOWN」という曲の作曲もやってますね。

さて、ここまで長くかかりましたが、今回取り上げるのはデビューから3作目までの馬場俊英についてです。なんと、アルバム3枚、シングル7枚ともオリコンチャート圏外です。

馬場俊英を紹介してもらったのは、すでに末期に入っていたNiftyserve(現在の@nifty)のパソコン通信、音楽フォーラム(FBEAT)で知り合った方から。いいと感じた楽曲をお互いにMDなどに録音して送り付けるなんてことをやっていたのですが、その中に馬場俊英の曲が入っていたのです。

ちなみに、その方もワタクシが松原みきの良さを力説するもので、みきさんの全アルバムを中古屋でゲットする羽目になりました。神戸のJuntyさん、元気ですかあ~?

アルバム『もうすぐゴング』より

 

曲は3枚目のシングル、「明日はどっちだ」(作詞作曲:馬場俊英 編曲:水島康貴・馬場俊英)でした。

このアルバムはどちらかというと、バラード曲が多いのですが、テンポ早いのややロック調の曲です。

ちなみに、アルバムでは馬場俊英はヴォーカルとバックヴォーカルのみに専念していて、楽器はスタジオミュージシャンに委ねていますが、その面々がかなりのもの。ギター、松原正樹(「恋をするなら~ムーンライト ランデブー」のみ馬場俊英も担当)。ベース、伊藤広規、長岡道夫(SHOGUNのミッチー長岡)、小松秀行(かつて古内東子のサウンドプロデューサー)。ドラムス、青山純、島村英二、佐野康夫。などなど。

ちなみに、イントロの印象的なギターソロは、今堀恒夫という人が担当しています。

 

こちらは、シングルになっていない、「”優しい雨のように”を覚えていますか?」(作詞作曲:馬場俊英 編曲:松原正樹)です。

印象的なスティールギターははちみつぱいの駒沢裕城で、コーラスに佐藤聖子も参加しています。この曲、馬場俊英の特徴というか、乗ってくると発音がややあいまいになるところがあって、サビの「♪鳴りやまぬ雨音~」の青い文字の部分、「アマボート」に聴こえますね。前半、イントロ直後の「♪ゆっくりと針を~」もそうかな。

ま、これくらいはいいすかね。個性だから。ちなみに正確なタイトル表記は…「優しい雨のように」を覚えてますか? と、なります。ちなみに、このアルバムにはセルフライナーノートのようなものが付いていて、「優しい雨のように」という曲はThe Bandのアルバム『Islands』の「Right As Rain」という曲ですね。このあたり、馬場俊英のルーツ的なものが見えるかも。

さて、デビューシングルから約1年を要してリリースされたアルバム。これを用意周到というのかどうか。アルバム発売までに3枚のシングルをリリースしているので、その中にアルバム未収録曲もひとつありますが、5曲がアルバムにも収録され、そのうち2曲をアルバム用にMixしなおしてます。また、セカンドシングルの「100倍の微笑み」は実質的に木原龍太郎がプロデュースしたものといえましょう。

例のセルフライナーノートによると、デビュー前に10曲入りのデモテープをせっせと作り、いろいろなところに送り付けていたそうですから、かなりの曲のストックがあったことでしょう。その中でも、フォーライフ側主導で、売れそうな曲を取りそろえたというのがこのアルバムでしょう。

ただ、馬場俊英が目指していた方向と一致していたものかは微妙にずれがあったと思います。

アルバム『Down The River』より

全8曲入りのセカンドアルバムです。作詞、作曲、編曲ともすべて馬場俊英によるものです。

 

「ティラノサウルスの恋」(Horn Arrangement:馬場俊英・金子サスケ)。5枚目のシングルです。

アルバム中唯一ブラスセクションを入れた曲で、アレンジャーのひとり、金子サスケ氏はサックスプレイヤーです。ブラスは、サックス、トランペット、トロンボーンの3人編成で、個人的にはどことなくChicagoの初期がフィードバックしてくるような曲調です。一応、馬場俊英は全曲アレンジになってはいるのですが、デビュー2年目で京平さんや林哲司氏のように緻密に譜面で指示するというわけでもなさそうです。

正直なところ、クレジットに名前が載っていても印税が発生するわけでもなく、とりあえずは名前を載せておこうといった感じなんじゃないかと推測しますが。実際のところ、Co-produceともクレジットされている浦田恵司氏(プログラマー)あたりが、まとめたものかと。彼が、共同アレンジに関わった曲については、「Sound Architect」というクレジットが記されています。

「♪パソコンも無い Handy Phoneも無い テレビは映像(いろ)を失(な)くす」という歌詞はかつての実生活であったことかもしれません。1998年という時点ではPCもケータイもないという人はかなりおりました。とはいえ、この歌詞、斉藤和義の「ジユウニナリタイ」(1997年)の中にある「♪携帯電話はだから欲しくない」に先んじられているのですね。

とはいえ、わたしゃ、この曲のノリがかなり好きです。

 

「高速道路」。こちらも、推測するに馬場俊英のかなり昔の曲だと思います。

歌詞の「♪カセットももうあきて」なんてところ、カセットプレイヤー搭載のクルマが1998年当時メインストリームであったか。すでにMDが登場している時代ですね。CDチェンジャーもあったよな。また、歌詞が出身の寄居あたりの方言なんでしょうか。「♪お前も俺もこうなんか また違う感じで」と続きます。

思うに、ギター1本での弾き語り、つまり馬場俊英がアマチュア時代にずっとやっていたことを発展させて、バックの音を足していったような仕上がりですね。ここでのアレンジは馬場俊英単独です。

スローバラードではありますが、ロードムービー的な佳曲であります。

後半のコーラス、馬場俊英一人の多重録音ですが、「Ooh Baby Baby」のリフレイン、これがモロThe Miracles(ミラクルズ、モータウンの看板グループで、作者のスモーキー・ロビンソンもメンバーの一人)の「Ooh Baby Baby」(1965年)あるいは1978年のLinda Ronstadtの同曲のカバーそのもの。

実はこのアルバムにはすべて英語の副題がついてまして、「高速道路」は「Ooh Baby Baby」なのでございました。ちょっとねえ、このあたりだけもうちょっと慎重に作れなかったのかなという気はします。

でも、わたしゃ好みの曲です。

 

「愛する」(編曲:馬場俊英・浦田恵司)。6枚目のシングルです。

パソ通で送ってもらったのがこの曲でした。ひとえに、名曲といえます。もう、カラオケで自己陶酔したいときに歌うような曲。あるいは、歌に自信がある人が結婚式で新郎新婦に送るような曲ですわ。

8曲中7曲目になりますが、その次の「ミセス・ユー」という曲が続きまして、ここで愛をぶちまけたものの、結局はお相手は誰かの「ミセス」になっちまったというのは勘ぐりすぎなんでしょうか。

ともあれ、約30分に凝縮された佳曲が並ぶアルバムです。個人的には初期の三部作の中では一番自宅で回っているアルバムであります。

アルバム『Over The Mountain』より

これまた、全9曲入り(うちボーナストラック1曲)で、全曲を馬場俊英が作詞、作曲、編曲を手掛けてます。うち、共同アレンジが2曲あります。

そして、前作『Down The River』を5月にリリースして、同年の12月にリリースしたのがこのアルバムになります。何をそんなに急いでいたのでしょうか。

 

「汗(ミチ改め)~あの事件(ヤマ)越えて」でした。シングルにはなっておりません。

おそらく、初期の三部作の中で最もスピード感のある曲です。そして、バンドサウンド。Son's Train時代にやりたかったような曲なのかも。

そして、バックコーラスが馬場俊英以外、ギターの首藤高広氏、ベースの金森佳朗氏、ドラムの石川英一氏に加え、柴草玲氏が加わってます。佐藤聖子以外の人物がコーラスに起用されるのも初めてですし、柴草玲氏(女性キーボーディスト)はこのアルバムでもかなり顔を出すことになります。

「♪肴ならあぶったイカでいい」というのはかなり安直ですよね。八代亜紀かよ。このあたりも詰めが甘いんだよな。

でも、ここで紹介しているということは、やっぱりワタクシの好みなんですね。

 

「イヌとフリスビー」でした。こちらも、シングルになっておりません。と、いうか、全2作のアルバムからは3作ずつのシングルがリリースされていますが、このアルバムからは「どんなときだって幸せをさがしていた」という曲の1枚のみなんです。

この曲はまったくスピード感とは無縁で、草むらに寝っ転がって様々な思いを巡らせているようなことが綴られています。ましてや、大衆音楽の常道、「恋愛」「恋人」とも無縁で、強い主張もありません。

でも、この力抜け具合がいいと思います。

『Over The Mountain』ですが、シングルが1枚のみ。ですが、馬場俊英が一番やりたい音楽を自分の主導権を持って表現したかったアルバムだったのではないでしょうか。

『もうすぐゴング』では、会社側に主導権を握られ、おそらく馬場俊英の個性がだいぶ抑えられたものを、『Down The River』ではかなり馬場俊英が主導権を握るようにはなったものの、まだまだと思って、短期間で思いっきりやりたいことをぶつけたのが『Over The Mountain』だったのではないでしょうか。

その後、2000年にフォーライフとの契約が終了してしまいます。また、フォーライフで復活を果たすのですが、「報われない大人を応援する」ヒトみたいな曲が多くなってしまいました。ま、それが売れたのですが。会社側からも売れる曲を作れと迫られたのでしょうね。

個人的には再デビュー後のアルバムを3枚続けて聴くのはかなり辛いです。ですが、デビユーシテから契約を切られるまでのアルバムを3枚続けて聴くのは、全然問題なく、むしろ心地よいのです。

馬場俊英にも公式YouTubeチャンネルがあるのですが、なぜか、1996~2000年までの活動についての映像が取り上げられてないんです。ま、当時売れてないし、ライヴ映像もほぼないと思いますが、音声だけでもあるとありがたいのに。

音楽談義ではトーマスさんもちょっと好みだったとかで。

このあたりは、馬場俊英にとっての黒歴史なんでしょうかね。フォーライフでは、『Down The River』と『Over The Mountain』のCDの在庫はあるみたいですが、もう廃盤寸前でしょう。見つけたら、ゲット必須の貴重盤だと、思います。

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2025年7月27日 (日)

B級アイドルのレア音源

かすてら音楽夜話Vol.211

先日、ミケポスカフェにお邪魔してまいりました。これで、5回目の音楽談義となります。

Img_20250719120044436

用意した音源はこれらです。大いに盛り上がりましたが、今回取り上げるのは、画像右下の『秘密じゃないけど秘密 おしえてアイドルー東芝EMI編』からでございます。

このCD、もちろんかつての東芝EMI(その後東芝が撤退し、EMIミュージック・ジャパン。現ユニバーサル)から発売されたものですが、企画はブルース・インターアクションズという会社で、レーベル名をP-Vine(Pヴァイン)といいます。

その仕事は『昭和レジデンス』(青盤・赤盤)をはじめとする様々なミュージシャンによるコンピレーションや、マイナー世界のミュージシャンをいち早く取り上げ、インディーズデビューさせるようなことをやっております。特筆すべきは「知子のロック」というバンドを「えびす温泉」(バンド勝ち抜き番組)からデビューさせたことでしょう。

その、知子のロックのMC兼ベーシスト、トーマスさんとともに評価するというものです。あ、評価といってもただの雑談・バカ話です。

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今回もオーナーさんにおもてなしされまして、おいしいフルーツ冷麺をふるまってもらいました。

もちろん、オーナーさんもどんな音楽に対しても鋭い意見をお持ちの方で、会話に加わっていただきましたが、カフェの来客が頻繁にございまして、今回はあまりディープに関われなかったかなと。ま、とりあえず、行ってみましょう。

沢口靖子「Follow Me」

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さて、初めは「科捜研の女」沢口靖子でございます。

彼女が音源を残していたとはびっくりなんですが、シングル4枚、アルバム2枚をリリースしてます。大半が映画やドラマのタイアップです。

それでは、彼女のラストシングルとなった「Follow Me」(1988年)を聴いてもらいましょう。

 

まあ、お世辞にも靖子さんの歌は褒められたものではありませんが、オリコンシングルチャートで75位にランクインしております。

この曲はTBSドラマ、「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌でした。

そして、聴いていただければ、メロディの特徴、三連符の連続などからあの人が作者なのではと推測できます。その通りで、作曲は小室哲哉なのでした。どことなく、渡辺美里の「My Revolution」(1986年)を彷彿とさせますね。メロディには直接関係しませんが、作詞も川村真澄で、アレンジャーまでもが「My Revolution」と同じく、大村雅朗なのでした。いや、ホント、初期の小室サウンドですわ。

なお、ドラマ(見てないのでwikiで調べました)では靖子さんはロックンローラーを目指すバスガイドですが、音痴であったという設定です。ならば、納得です。

なお、TM Networkもこのドラマの主題歌を手掛けていて、「RESISTANCE」という曲がオリコン6位でした。この時代、まだTMはオリコン1位は獲得しておりません。それでも、ブレークした「Get Wild」(9位)よりも週間チャート上は上位にあった曲ですね。

KENJI & NAOKO「恋の滝のぼり」

ん?このユニット知らんなあ。ま、ジャケ写を見てもらいましょうか。

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はい、羽賀研二(当時は羽賀健二)と野沢直子でした。

こちらも、ドラマがらみ。テレビ東京系学園コメディ、「新・花の聖カトレア学園」からのシングルです。リリースは1986年で、ドラマの終盤になりますか。オリコンチャート入りは逃しているようです。ちなみに、羽賀は1985年3月までいいとも青年隊でした。

 

羽賀はドラマでは体育教師役だったらしく、野沢は授業をさぼって保健室に入り浸る女子高生役で、二人の保健室でのやりとりが人気コーナーだったようです。

ま、現在は羽賀元受刑者てなところですが、当時はそういうキャラじゃなくどうしちゃったんでしょうね。逆に当時からキワモノの役回りの野沢直子ですが、今なおブレずにキャラを貫き通して40年。さすがは舞台演出家の野沢那智の姪でありますね。

羽賀の当時のキャラだとモテ男といったところですが、歌は下手ですわ。

いいとも青年隊でもやや影の薄かった野々村真のほうが、今なお芸能界でやって行けてますからねー。羽賀さんwikiでも芸能活動についてはかなり省略された記述です。ちなみに、今回のCDは2000年にリリースされたものですので、まだ事件は起こしてないな。起こされた後だったら、未収録になっていたでしょう。

また、レーベル自体が消滅しているので、この音源はもう二度と世の中に現れることはないと思われます。まさに、レア音源。

坂上香織「グッドバイ・マイ・ラブ」

坂上香織、4枚目のシングルで、あのアン・ルイスのカバー曲になります。

 

もちろん、作家陣は作詞がなかにし礼、作曲が平尾昌晃です。演奏が打ち込みでやや単調なのですが、アレンジがSHOGUNにいた、大谷和夫になりますね。スタジオミュージシャンをもしかしたら一切使ってないので、製作費のかからない作品ともいえますね。

1989年のリリースで、彼女が中学3年、14歳(発売直後に15歳となる)の時のものです。歌はまあ、無難ですか。演奏と曲調がいまいちマッチしない中でわりと上手に歌い上げているのではないでしょうか。そして、最高位がオリコン22位で、本家のアン・ルイスがオリコン14位でしたので、大健闘だったのかも。

坂上香織という人、全部で5枚のシングルをリリースしているのですが、デビュー後3枚のシングルがすべてTop 10ヒットで、ラストシングルも50位だったという、B級にカテゴリーするには惜しい人でした。ですが、1990年にアイドル歌手としてのキャリアを終わらせ、女優に転向し、Vシネマ等のアダルト路線によく出演していたようです。

ま、曲はそれなりに売れたのかもしれませんが、本人も事務所としてもアイドル歌手としての限界を感じていたのかもしれません。

さて、このアルバムには秋元康&長渕剛が手掛けたつちやかおり「秘密じゃないけど秘密」とか、本田美奈子のモーニングコール「モーニング美奈子ール」(曲じゃないけど)、川島なお美「黄金海岸」なんてのも収録されています。

今回紹介したものはYouTubeにアップしてあったものでほぼ、違法アップロードでしょうから、そのうち削除されてしまうかも。

今回、音源はさらに持ち込みましたので、続編いくつかやります。

ご意見、リクエストお待ちしております。下記バナークリックで応援よろしくお願いします。

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2025年7月 4日 (金)

キャロラインとかキャンディとか

かすてら音楽夜話Vol.210

ほとんど月イチ状態となってきました、「かすてら音楽夜話」ですが、ブログ別館でこの3~4月に行ってきた旅レポを連載してますので、どうかご理解ください。

さて、今回は「Cから始まる人名の曲」です。候補はいっぱいあります。

1969年のNeil Diamond

 

こちら、Neil Diamond(ニール・ダイヤモンド)「Sweet Caroline」という曲です。1969年リリースで、ビルボード4位になった、ニール・ダイヤモンドの初のビッグヒットですね。

ニール・ダイヤモンド(1941年生まれ)はニューヨーク出身で、ユダヤ人の家庭に生まれ、1960年代から活動してきたシンガーソングライターです。

YouTubeの映像は2012年のもので、この時すでに70歳を超えております。この映像ではマイクを持って歌っているだけですが、もちろんギターを弾いて歌いますし、在米ユダヤ人をモチーフにした映画「The Jazz Singer」にも主演するという、いわばアメリカのスーパースターのひとりであります。11曲をTop10に送り込み、うち3曲がビルボード1位です。

さて、ニューヨークのユダヤ人ですが、音楽での成功者がかなり多いです。古くはキャロル・キング(彼女のことをモチーフにした「Oh! Carol」という曲もあり、作者はやはりユダヤ系であるニール・セダカでした)、サイモン&ガーファンクルの二人、ビリー・ジョエル、KISSのポール・スタンレーなどなど。

そして、「Sweet Caroline」のキャロラインさんですが、実在人物で、あのJFKの娘でオバマ政権下で駐日大使を務めたキャロライン・ケネディ氏なのだそうです。

アメリカとユダヤ人といいますと、現在の大統領がやたらとイスラエル寄りの姿勢を見せているのですが、ニューヨーク出身の音楽家たちはニール・ダイヤモンドのように、どちらかというと民主党寄りのリベラル派が多いのですね。そして、この曲は当時11歳であったキャロラインさんに触発されて作られましたが、2007年のキャロラインさんの50歳の誕生パーティでも、ニール・ダイヤモンドがこの曲を披露したとのこと。

ビルボードでは4位でしたが、ニール・ダイヤモンド自身初のTop10ヒットでもあり、映像では観客が曲に合わせて歌うなど、アメリカの高齢者にはかなり親しまれている曲なのだと思います。

ところで、この曲を探していると、なんと今でもニール・ダイヤモンドはツアーを行う予定だそうで、同じダイヤモンドでも田所豊さん(ダイヤモンド☆ユカイ)以上の活動を行っていますねえ。

1972年のGilbert O'Sullivan

 

こちら、Gilbert O'Sullivan(ギルバート・オサリバン)「Clair」という曲で、1972年のリリースで、ビルボード2位、イギリスのチャートでは1位になっています。

ギルバート・オサリバン(1946年生まれ)はアイルランド人で、のちにイギリスに移住し、シンガーソングライターになりました。本名はギルバートではありませんが、劇作家コンビであるギルバート&サリバンにちなんで名乗った芸名ということになります。

彼自身の活動は1967年から始まっていますが、アルバムリリースは1971年から。それまでの実績というものがほとんどありませんでしたが、ファーストアルバム『Himself』はアメリカでもリリースされ、いきなり9位になります。その後のアルバムは1972年の『Back To Front』が48位、1973年の『I'm A Writer, Not A Finger』が101位と低空飛行に沈みましたが、イギリスではそれぞれ5位、1位、2位という具合に売れました。

むしろ、1972年の「Alone Again(Naturally)」(アルバム未収録)が中断はあったもののビルボード1位を6週獲得し、この「Clair」につながっています。ちなみに、「Alone Again(Naturally)」はイギリスでは3位でした。1972年のビルボード年間チャートでは2位です。

さて、「Clair」ですが、曲の終わりに子供の笑い声が入っています。このことで、クレアという人が幼い少女であることがわかるのですが、オサリバン自身は曲の着想を友人のベビーシッターから受け取ったと話していて、笑い声の人物はプロデューサーであり、ハーモニカ演奏をしているゴードン・ミルズの当時3歳の娘だそうです。

どこか哀愁を感じさせる曲調、詞の内容から「Alone Again(Naturally)」を彷彿とさますね。

「Alone Again(Naturally)」もまた、”両親が亡くなってたったひとりになってしまった…”というものですので、非常に哀愁に満ちた曲であります。ただし、オサリバン自身に起こったことではなく、あくまでも曲の上のフィクションですが。それにしても、こうした曲を当時のアメリカ人が受け入れたというのもまた、面白いです。

1977年のBob Welch

Bobwelh

さて、今度はシングルにはなっていない曲から。

 

1977年リリースのBob Welch(ボブ・ウェルチ)のアルバム『French Kiss』収録の9曲目(B面3曲目)、「Carolene」です。

元々、このアルバムはボブ・ウェルチが活動していたParisというスリーピースバンドの3枚目となる予定でしたが、ウェルチ以外のメンバーがバンド活動を継続できなくなったため、急遽ウェルチのソロデビューアルバムとしてリリースされました。

アルバムは12位にチャートインし、プラチナム認定され、ウェルチのキャリアで最も成功したアルバムです。しかも、「Sentimental Lady」(ビルボード8位、Fleetwood Mac時代のリメイク)、「Ebony Eyes」(14位)、「Hot Love, Cold World」(31位)と3枚のシングルもヒットしました。

Fleetwood Mac(フリートウッドマック)のヴォーカリストでこれ以上の成功を収めたのは女性シンガーのSteivie Nicks(スティービー・ニックス)だけで、ウェルチの後任であり、マックの顔ともいえる、Lindsey Buckingham(リンジー・バッキンガム)でさえ、ソロではこれほどの成功を果たせませんでした。

ウェルチのマック時代、セールス的に売れなかったのはひとえに、ウェルチのオタク風な雰囲気がアメリカにそぐわなかったのでしょうかね。ちなみに、フリートウッドマックはイギリスのバンドで、ボブ・ウェルチは初めてのアメリカ人メンバーです。そして、ウェルチの加入により、それまでのブルースバンドからポップな方向にシフトし、現在のフリートウッドマックにつながっていくのですが、ウェルチの登場は早すぎたのでしょうか。ま、リンジーとスティービーの加入も大きかったわけですが、間違いなくウェルチがもたらしたものが現在のフリートウッドマックの基になっているのだと思います。

さて、フリートウッドマックとウェルチの関係性はウェルチの脱退後も良好で、ウェルチの公演にもドラムのMick Fleetwood(ミック・フリートウッド)、コーラスとしてスティービーが参加するというものでした。『French Kiss』や次の『Three Hearts』にも、マックのメンバーが参加しているほどでした。

そして、フリートウッドマックはロックの殿堂入りを果たすわけですが、ボブ・ウェルチは除外されてしまいました。そして、2012年に自ら命を絶ってしまいます。これは彼の脊椎の病気のためと伝えられています。

日本のCandy

まあ、有名なところでは原田真二の「キャンディ」があるのですが、個人的には杉ちゃま(スギちゃんではありません、杉真理)の「Oh Candy」(作詞作曲編曲:杉真理 ストリングスアレンジ:大谷和夫)を推したいです。

 

最後まで聴くとわかるのですが、アウトロがギルバート・オサリバンの「Clair」と同じで、杉さんが彼をオマージュあるいはリスペクトしていることがわかりますね。

この曲はアルバム『Stargazer』(1983年)収録で、シングルカットはされていません。杉さんも日本のロック・ポップスの男性シンガーとしてはかなり微妙な立ち位置の人で、結果的には売れませんでしたが、いい曲を書いていますし、B面扱いだったり、単なるアルバム収録の数合わせ的な曲提供も多いものの、光るものを見せていますね。例:竹内まりや(大学の後輩)「Hold On」、「磁気嵐」、石川さゆり「ウイスキーがお好きでしょ」、Hi Fi Set「素直になりたい」などなど。

さて、久しぶりということもあって今回は長文となりました。果たして、次の更新はいつになるでしょうか。予定では「Dから始まる人名の曲」でしょうかね。リクエストもお待ちしてます。バナークリックもよろしくお願いしますね。

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