Welcome To Cafe de Castella

Cafe de Castellaにようこそおいでくださいました。

当ブログですが、旅に関するもろもろと、音楽話を中心に記事にしております。

Ck2123

旅に関してですが、本来であれば海外に出た時の超マクロ的な観点から、人物や食べ物、交通機関など個人的に気になる様々なことをレポしたものとなっております。しかし、このコロナ禍においては、渡航もままなりませんので、ご近所グルメや国内ミニトリップなども取り上げつつあります。

音楽に関してですが、「かすてら音楽夜話」と題して、自分が聴いて大好きだったり、思い入れのある曲や演者・作者について好き放題に語っております。現在、過去ログを修正し、新たな映像を付け直しているところです。

もともと、旧Nifty Serveの某会議室(旅系のFworldと音楽系のFbeat)で夜な夜な投稿しておりました。

ブログはやや時代遅れの発信場所だとは思いますが、書き手と読者のやり取りに醍醐味を感じます。

非常に垣根の低いブログでございます。感じるところがありましたら、♡(イイね)をクリック。さらには、コメントを頂けると、筆者は飛び上がって喜ぶ所在でございます。

古い記事であっても、読者の方からの反応があると書き手にとってはやりがいが出ますので、よろしくお願いいたします。

↓最新記事はこの下から始まります。

| | | コメント (0)

2021年5月 6日 (木)

銚子電鉄に乗ってみた

Cido076

<JR銚子駅>OMD10/ED14-42mm

JR総武本線の終点、銚子駅です。JRとしてはどん詰まりの駅ですが、さらに私鉄の銚子電気鉄道が外川まで6.4kmを運行してます。

鹿島神宮の後にここまでやってきました。宿も銚子に取りまして、魚介料理の夕食を楽しみにしてますが、早めにやってきたのは、明るい時間に銚子電鉄に乗るという目的もありました。

では、切符を購入して終点の外川までを往復しようと思ったのですが、切符売り場が見つかりません。学生の時にサークル活動でここに来て、銚子電鉄にも乗ったはずですが、その時の記憶は全く残っておりません。

案内所のようなところで訊ねると、改札を入って銚子電鉄の車内で切符を買うのだということです。改札はそのまま通ってよいとのこと。でも、直前に電車が出たとのことで、30分以上の時間待ちです。

Cidc123

<ホームのモニュメント>PowerShot

自動改札ではない有人の改札で銚子電鉄に乗るという旨を告げ、銚子電鉄のホームへ。しかし、この21世紀に改札をスルーできる駅があるとは。しかも、銚子電鉄はSUICAもPASMOも使えないんです。これは、相当経営が逼迫していますね。自動券売機もないのですから。

Cido085

<どこかで見たような>OMD10/ED14-42mm

銚子電鉄のホームは総武線・成田線の発着するホームのはずれに、切れ目を入れるような形でちょこんと存在しました。JRから(へ)の乗り換え客のために、非接触型のSUICAとPASMO用のタッチパネルが置かれています。でも、銚子電鉄は定期券を持つ客以外は車内でチケットを購入するんですね。

しばらくすると電車がやってきました。2両編成です。なんか見たことがある電車だなと思ったら、京王井の頭線の車両じゃないですか。懐かしすぎる。

…というのは、乗車時の感想で、実際は伊予鉄道から譲渡された車両だそうです。でも、その車両はもともと京王電鉄京王線のグリーンに塗装されていたもので、台車は1067mmに付け替えられたものだそうです。雰囲気と塗装が井の頭線を彷彿とさせたのでしょうか。でも、京王線の緑の各駅だったらちょくちょく利用していたので、もしかしたら乗ったことのある車両という可能性もありますね。

Cido086

<1日乗車券>OMD10/ED14-42mm

2両編成ですが、基本ワンマン運転です。車両の前後にバスのような料金箱があります。乗り込んで先頭車両の席を確保しようと歩いていると、女性の車掌に呼び止められ切符を購入しました。

銚子ー外川の料金が350円です。「外川まで往復で」と告げると、700円の1日乗車券を売ってくれました。一応乗り放題ということになります。実際には主要駅に観光的なものがないので、実質的な往復切符ということになりますか。

Cido087

<外川方面の先頭車両>OMD10/ED14-42mm

つり革もありますが、通勤時間帯でも満員になることはなさそうです。この時は適度に人が乗ってましたが、全員座れていました。

Cido089

<レトロ調>OMD10/ED14-42mm

このようなホーロー看板をどうやって見つけてきたのか。まあ、経営努力なんでしょう。

路線バスにあるような料金表示だけが現代とマッチします。

Cido092

<中吊り広告>OMD10/ED14-42mm

この「絶対にあきらめない」というのが銚子電鉄のキーワードみたいです。

そして、駅名には別に愛称がついてました。銚子駅が「絶対にあきらめない 銚子」で、終点の外川が「ありがとう 外川」でした。秀逸なのが本社のある本銚子駅が「上り調子 本調子 京葉東和薬品 本銚子」というのと、笠上黒生(かさがみくろはえ)駅が「髪毛黒生」でした。ダジャレ好きなのかもしれません。

Cido090

<レトロ看板>OMD10/ED14-42mm

それにしても、レトロな看板を掲げていますが、スポンサー料は頂いていないはず。逆にかつてカルピスで肝油を作っていたのかということを学習しますね。

Cido095

<外川駅>OMD10/ED14-42mm

終点です。銚子電鉄には乗り鉄以上に訳のわからない人が乗り込んでますし、この駅にも何をするわけでもないおじいさんが待合室にたたずんでました。

Cido098

<かつての車両>OMD10/ED14-42mm

外川駅の引き込み線に留置してある車両です。こちらも伊予鉄道からのもののようです。古色蒼然として見えますが、2010年まで現役だったようです。

Cido103

<銚子駅の掲示板>OMD10/ED14-42mm

「(非)電子掲示板」とは、ここでも遊び心が発揮されています。ちなみに、中央のポスターは銚子電鉄の制作した映画です。

 

動画も撮ってきたので見てください。

続きます。

| | | コメント (2)

2021年5月 3日 (月)

フィンガー5とイアン・ギラン

かすてら音楽夜話Vol.113

 

突然でしたが、フィンガー5の「学園天国」(作詞:阿久悠 作編曲:井上忠夫)でした。

「学園天国」はのちにカバーされた小泉今日子ヴァージョンもありますが、冒頭の「♪ヘ~イ、ヘイ、ヘイ、ヘ~イ、ヘイ!」のぶっ飛び方は、とてもじゃありませんが、晃くんにはかないません。

フィンガー5というグループ名からわかるように、アメリカのJackson 5(ジャクソン5、のちのジャクソンズ)に倣った、元祖沖縄アイドルの兄弟グループです。

Finger5

ま、晃くんと書きましたが、今年還暦でございます。それにしてもリリース時12歳で小学生。声変わり前なのか、それにしても異様なハイトーンでございます。そして、歌のうまさは天才的ですし、「ガキのくせしてサングラスかよ」っちゅうイメージなので、非常に鼻につく存在として見えた方も多いのではないでしょうか。ま、ジャクソンファイヴのMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)的な立ち位置の人です。

こちらの「学園天国」ですが、1974年のリリースで、オリコンシングルチャートは2位まで上がった曲です。それ以前にも、「個人授業」(阿久悠・都倉俊一作品)と「恋のダイヤル6700」(阿久悠・井上忠夫作品)が連続の1位を獲得していて、当時のトップスターですね。現在であれば妹の妙子さん(11歳で小学生)も含め、夜の番組には出演できないことになりますが。

で、印象的な冒頭の「♪ヘ~イ…」なんですが、もとになった曲があります。

 

Gary U.S. Bondsの「New Orleans」(Frank J. Guida-Joseph F. Royster)でした。

1960年のリリースでビルボードの6位を記録したヒット曲です。

この方、1961年にビルボード1位を獲得したことがあるのですが、それ以降はヒットに恵まれず、突如1981年に復活しビルボードのチャートにも顔を出すという復活を遂げたことがあります。

この曲の冒頭の「♪Hey~」を井上忠夫がいただいたのですね。リスペクトした表現ですと、Gary U.S. Bondsをオマージュして「学園天国」で使ったということになります。なにしろ、元ブルーコメッツですから、1960年の曲くらいコレクションしていたと思いますよ。

どちらの「ヘイ」も作詞じゃないのかという話も出てくるでしょう。ですが、職業作詞家の阿久悠さんはそんな下世話な言葉を書かないでしょう。まずは、阿久悠氏が詞先で井上忠夫氏にバトンタッチし、井上氏が曲を作りますが、アレンジも担当した井上氏が「そうだ、あれがあった!」と「New Orleans」を引っ張り出してきたのだと考えます。それを阿久悠氏がOKを出し、インパクトのある曲となったのですね。

この手法、筒美京平氏のやり方にも似ています。

で、「New Orleans」の冒頭の「♪Hey~」ですが、フィンガー5と比べるとやや控えめな感じがします。これは、井上氏が晃のハイトーンを生かして、Gary U.S. Bondsよりも強調した感じに仕上げたのでしょう。

さて、「学園天国」から7年後、イギリスで「New Orleans」をカバーしたバンドがいました。

 

Gillan(ギラン)の「New Orleans」でした。1981年のUKチャートで17位と、ハードロックとしては異例のシングルヒットを記録しています。

ヴォーカリストのIan Gillan(イアン・ギラン)はDeep Purple(ディープパープル)のヴォーカリストです。

Iang

この曲の冒頭の「♪Hey~」なんですが、フィンガー5の「学園天国」に近いものがあるように思えてなりません。ま、Gary U.S. Bondsのヴァージョンをハードロックやメタル寄りにアレンジすればこんな風になるという話もありそうですけど。

イアン・ギランはパープル時代も含めて何度も来日していて、その際にフィンガー5の演奏をテレビで見たとか、はたまた、レコード収集していた、中古レコード屋で偶然見つけたなどの可能性がなくはないですね。

ディープパープルの来日としては1973年で、「学園天国」リリース前です。ですが、Ian Gillan BandとGillanとしては1977年、1978年、1981年に来日してます。

その時にレコ屋を漁るイアン・ギランの図というのもなんか夢があるじゃないすか。

日本人アーティストというと洋楽のパクリという話も出ますけど、逆パターンがあってもいいんじゃね?

★この記事は、昨日facebookにアップされた元「知子のロック」のトーマスさん(すずき銀座さん)の記事からインスパイアされて書きました。トーマスさん、ありがとうございます。

★引き続き、リクエスト等ありましたらお願いいたします。高評価の「いいね」とコメントもいただけるととても嬉しいです。

| | | コメント (4)

2021年5月 2日 (日)

日野市民のアシ

日野オートプラザの続きです。

Jp0192

<展示車両>PowerShot

大昔のことですが、日野市に住んでいたことがあります。

日野市には日野自動車の本社があります。かつては工場があり、ここでクルマを生産する工場がありました。前の記事で、日野自動車がルノー4CVという乗用車を生産していたことを書きました。

4CVによって、乗用車作りのノウハウを学んだ日野自動車は自社生産による乗用車も生産するようになったのです。

Contessac

<日野コンテッサ>*画像はネットで拾いました

それがこのクルマ、日野コンテッサ(Hino Contessa)です。

かつて、日野市に住んでいたことがあると書きましたが、当時の自宅周辺にはこのコンテッサが結構たくさんありました。

現在で例えれば、広島市民、県民のクルマはマツダが強いというようなものでしょうか。ともかく、1960年代の日野市では愛されたクルマといえます。

当然、日野オートプラザにもコンテッサは展示されております。

Jp0171

<初期型コンテッサセダン>PowerShot

丸目二灯のコンテッサの面構えです。*正面からの画像はあるにはありますが、ボケがひどく割愛させてください。

Jp0174

<リア>PowerShot

この初期型ですが、900ccという排気量です。そして、現在の乗用車ではトランクにあたる部分、後端部にスリットが入っているのがお判りでしょうか。

このクルマもまた、エンジンがリアに積まれていたのです。ルノー4CVから技術を導入したわけですので、リアエンジン・リアドライブ(RR)となるのは当然でしょう。

また、この時代、乗用車といえば箱形のセダンが当たり前で、ハッチバックとかワゴン、ひいてはSUVなんてものはないのです。

ハッチバックやワゴンの形のものは商用車で、SUVに近いものは三菱ジープ(これまたノックダウン生産)しか存在しませんでした。

Jp0183

<コンテッサクーペ>PowerShot

その後、エンジンは1300ccに拡大されたようです。こちらの丸目四灯の面構えは、クーペタイプでドアは2枚です。

Jp0185

<リア>PowerShot

ピカピカに磨き上げられた、やや丸みを帯びたスタイル。なかなかスタイリッシュだとは思いませんか。

ちなみに、セダンはコラムシフトで前席はベンチシートになってました。クーペはフロアシフトです。前席も運転席と助手席が分かれたシートです。

そして、コンテッサから5人が乗車できるようになりました。

Jp0187

<日本GP出場車>PowerShot

こちらセダンタイプですが、日本グランプリに出場したクルマです。

当時は日本GPといっても、F1が日本に来たわけではなく、主に市販車の改造車が戦っていたのです。

Jp0189

<リア>PowerShot

カーナンバー付きのこのクルマ、エンジンを大幅に拡大しているはずです。と、いっても現代のヤリスやノート、マツダ2、フィットの市販車のほうが早いとは思います。

改造車の証として、バックギアに入れたときに光る後退灯がありません。無駄なものは省くのがレースの常識です。でも、ハンドルとかの改造はなく、コラムシフトのままでしたけど。

Jp0182

<これもコンテッサ>PowerShot

こちらは、コンテッサ900スプリントというクルマで、海外のモーターショーで参考出品されたものです。

Jp0178

<リア>PowerShot

流線形に近いボディはイタリアのミケロッティのデザインです。もっとも、コンテッサクーペもミケロッティに依頼してますが。

海外の展示のため、左ハンドルでした。エンジンも改良を受け、150km/hを出したといわれてます。

ただし、このクルマはとうとう市販されることはありませんでした。当然ながら、日野市でも走ってなかったです。

今では武骨なトラックメーカー、堤真一とリリー・フランキーが「トントントントン、日野の2トン」などとかましてますけど、昔は素敵な時代があったんです。

しかし、その後はトヨタの傘下に入り1967年に乗用車生産は終了し、バス・トラックメーカーに特化しました。ただし、トヨタのパブリカとカリーナを作っていた時期もありました。

もうすこし、続きます。

| | | コメント (0)

2021年4月30日 (金)

ついに高山病の症状が出た

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(9)

Tb354

<沱沱河沿の食堂>P-30/SMC A28mm

悪夢のような一夜が明けました。眠れるのかと思いましたが、疲れていて適度な睡眠は取れたようです。前日の夕食もこの建物で済ませましたが、ツアー一行が入ると、キャパシティが足りないようで、ガイドの李さんと陳さんが手伝うような状態です。

味がどうこうの問題ではなく、栄養補給といった状態です。それでも、ここには卵がありました。

Tb357

<長江第一橋>P-30/SMC A28mm

この、沱沱河沿は長江の最上流部にあたり、ここより上流には橋がないことから「長江第一橋」がかかってました。

Tb359

<この日のバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドからのガイドは昨日で終わり、この日からは尹さんという漢民族の男性がガイドとなります。この人が結構な曲者だったのですが。

そして、バスも交代です。三菱製ではありますがいつ製造されたのかわからないオンボロぶりです。そして、暖房が入らず、車内でもモコモコに着込むことになりましたが、馬力はあるので距離は稼げました。

Tb368

<雁石坪の住人>P-30/SMC A28mm

バスが最初に止まったのは雁石坪というところで、チベット族のテントがありました。近くにはヤクの糞が乾かされていました。

Tb371

<長江>P-30/SMC A28mm

このあたりは標高4500メートルあたりをキープしてました。チベット高原のちょうど真ん中くらいで、平原状態です。長江の最上流部もこの程度の幅がありました。

Tb374

<絶景>P-30/SMC A28mm

この日は太陽が昇ってからは天気が良く、車窓も飽きません。

Tb376

<事故現場>P-30/SMC A28mm

しかし、こういう場面は結構目撃しました。

Tb378

<唐古拉山口>P-30/SMC A28mm

それほどの山道を登ってきた感じはなかったのですが、なだらかな上り坂がずっと続いていたのでしょうか。唐古拉山口に到着しました。標高5231メートルと、この旅での最高地点となります。あとは下るのみ。山を越したかもしれません。

Tb382

<唐古拉山>P-30/SMC A50mm

この山も軽く7000メートルくらいあるのかもしれません。

Tb388

<アムドの食堂>P-30/SMC A28mm

バスは一気に高度を下げてアムド(安多)の町に入りました。ここで昼食です。

店は尹さんが「衛生状態のいい店をわたしが選びます」といい、見つけたのが四川料理の店です。ということは彼の嗜好が反映されるということで、この後一切、ムスリムの店には寄り付かなかったのでした。

Tb389

<昼食>P-30/SMC A28mm

ここは標高3900メートルということで、普段とあまり変わらない内容の麺料理とヤク肉のおかずですが、火の通りもよくなったのか味は良かったです。

標高も下がったということで、社長がビールを注文しました。しかしこの後再び、4000メートル台に復帰し、社長の体調は悪化しました。彼はこの後、チベット自治区を離れるまで一切のアルコール類を口にしませんでした。

メンバーの中にはすっかり体調が悪くなり、食事にも出てこずにバスで休む人も出始めました。

Tb394

<チベットの空>P-30/SMC A28mm

この後は快調に飛ばし、ナチュ(那曲)には18:00という明るい時間に到着しました。これも、オンボロだがエンジンの調子のいいバスのおかげかも。

Tb398

<今夜の宿>P-30/SMC A28mm

同室のHさんとほとんど何もないナチュの町歩きをしたところ、今度はこちらが体調悪化です。軽い頭痛が続きました。Hさんも同じだといいます。

夕食は食べに行ったものの、明らかに不味く体調も関係するのかもしれません。

近くのテーブルに西洋人のグループがいましたが、彼らは盛大に飲み食いし、生ぬるいビールもがぶ飲みしておりました。これは体格の差なのか、奴らが鈍感なのか。

部屋ではHさんともどもゴロゴロと横になったままで、カロリーメイトなどを齧りながら、そのまま眠ることとなりました。このホテルもお湯が出ず、入浴はしませんでした。

続きます。

| | | コメント (0)

2021年4月28日 (水)

タータンチェックの来襲

かすてら音楽夜話Vol.112

Baycityrollers

<Bay City Rollers>

ここのところ、わたしらより上の年代のミュージシャンがお亡くなりになるたび、記事に取り上げているんですが、元Bay City Rollersのリードヴォーカル、Leslie Mckeown(レスリー・マッコーエン、実際の発音はものすごく難しいと思われます)が亡くなりました。

とはいえ、ここではただの追悼記事にはなりません。

Lesliem

この方でございます。享年65歳。

ベイシティローラーズの結成は結構古く、ベースとドラムのロングミュア兄弟によって1965年に結成されたバンドが元になってます。その後、1968年にベイシティローラーズと改名し、メンバーチェンジを重ねながら1971年にデビューします。

 

彼らの代表的なヒットソング、「Saturday Night」(Bill Martin-Phil Coulter)でした。

1975年のリリース作品で、1976年の年明けにビルボード1位を獲得します。

ベイシティローラーズがアメリカ進出を始め、日本にもその噂が届くとともに日本でもシングルやアルバムが発売されました。特にティーン層の女子、すなわち、中高生あたりには絶大な人気が出たものです。当時は「ビートルズの再来」などといわれたものです。

同時期にQueenも日本で紹介されたころで、ビジュアル面などから同じように人気が出たのですが、ベイシティローラーズにはかなわなかったですね。音楽的な評価は別にしてですが。

さて、この映像は1976年ものもので、冒頭、アメリカの狩野英孝ことKCが紹介してます。また、この映像では最年長であったベースのAlan Longmuir(アラン・ロングミュア)が脱退し、その後釜としてわずか17歳のIan Mitchell(イアン・ミッチェル)がリズムギターとして参加してます。レスリーの右側の小柄な人です。

さて、この曲の特徴として、イントロと曲間で「S・A・T・U・R・D・A・Y、Night!」とメンバーで入れるチャントがあります。おそらく、英語圏の楽曲でこのような形を取るものはそれまでになかったものかと思います。いわば、ベイシティローラーズとプロデューサーの発明です。サビの最後もレスリーが「サ・サ・サ、サタデナァ~ィト」と歌ってます。これも画期的です。

と、褒めたところなんですが、実はレスリーは二代目のリードヴォーカルでして、その前任者はNobby Clark(ノビー・クラーク)といいます。

Nobbiec

実は「Saturday Night」は、ノビー在籍時に制作されたテイクのヴォーカル部分をそっくり入れ替えたものなんですね。

 

ノビーのヴォーカルヴァージョンでした。演奏は全く同じです。

違いはレスリーとノビーの声だけ。リリースは1973年でイギリスのみ。UKチャートにも全く入らなかったそうです。

強いていえばレスリーのほうが甘い感じが出ている程度ですかね。

ベイシティローラーズはスコットランドのローカルグループでしたが、UKチャートの常連になるまでは相当な戦略があったと思われます。ノビー在籍時にもUKチャートのトップ10に入る楽曲もありましたが、5歳若いレスリーを起用し、1975年に「Bye Bye Baby」(Four Seasonsのカバー)と「Give A Little Love」の2曲をUKチャートの1位に送り込み、アメリカに進出したのです。

ノビー在籍時の「Saturday Night」のジャケットを見ても、ロングミュア兄弟とノビーは確認できますが、あとの二人もEric Faulkner(エリック・フォークナー、リードギター)とStuart Woody Wood(スチュアート・ウッディ・ウッド、リズムギターのちベース)ではありませんし。

このように、アメリカ進出ということを狙う意味ですが、それはマーケットの違いです。特にベイシティローラーズはマーケットを意識し、若いメンバーを揃え、「売れる」ことを目指したのですね。ビジネスですから。

これを置き換えて説明すると、K Popの面々がいい例です。彼らが日本にやってきて、日本語の歌詞の曲までリリースするのはやっぱり韓国と日本の人口規模の違いがあります。いくら韓国で売れてもたかが知れてます。

スコットランドで売れるより、イギリス全土、果てはアメリカと。ABBAなんかもそうじゃないですか。スウェーデンの人口規模とアメリカでは段違いですしね。

さて、ベイシティローラーズはその後そこそこのヒットを飛ばしますが、やがてレスリーが脱退し、バンドは崩壊状態となります。その後、メンバーが新しいグループ(例としてロゼッタストーンなど)を結成したり、残ったメンバーが「Rollers」と改名してバンドを続けますが、1981年に活動が終わります。

それでもかつての栄光を諦められないのでしょうか、特に日本でベイシティローラーズ名義のライヴを行ったりしました。また、レスリー名義のベイシティローラーズ、イアン名義のベイシティローラーズなども活動していたようです。

そんな彼らにぴったりな曲がこちら。

 

1976年リリースの「Yesterday's Hero」(Harry Vanda-George Young)でした。ビルボードのチャートでは54位です。

元々はオーストラリアのJohn Paul Youngという人の曲です。その後のベイシティローラーズのことを予言しているような曲ですけど。これ、レスリーのヴォーカルもこれまでと違い、大人っぽいんですけどね。

そして、このテレビ用ライヴではイアン脱退後に参加したギタリスト、Pat McGlynn(パット・マッグリン)が画面の一番左で演奏してます。

ベイシティローラーズで残念だったのはバンド内にエリックとウッディの二人のソングライターがいたにもかかわらず、外注の曲やカバー曲がほとんどであったことですかね。売れるがために方向性が右往左往したともいえます。

それでも、ビルボード1位と数曲のTop10があるのだから、成功者であることには違いありません。

★引き続き、リクエストやご要望をお待ちしております。いいねとコメントもいただけるととても嬉しいです。

| | | コメント (4)

2021年4月26日 (月)

時空を超えて日野ルノーに会いに行く

Jp0160

<日野オートプラザ>PowerShot

ある日、JAF(日本自動車連盟)の会報誌を眺めていたら、自動車博物館の記事がありました。それに載っていたのが、日野オートプラザです。

博物館でありながら企業がやっているということで、入場料はありません。ただし、昨今の事情で予約を入れて、1時間限定の見学となります。場所も自宅から比較的近いので、前日でしたが電話予約し、オープンの10時から一番乗りでした。

ほかの見学者はいなくて、博物館独占です。

4cv

<日野ルノー>*こちらはネットから拾いました

日野自動車というと今やバス・トラックのメーカーですが、かつては乗用車も生産していたんですね。

とりわけ、日野ルノーと呼ばれるかつてのルノー公団(フランスの国営企業)の「4CV」という車種を日野自動車はノックダウン生産(部品を輸入し組み立てること)していたんです。4CVが世に出たのは1950年代のことで、日野自動車はその後ノックダウンではなく完全に部品から4CVを作ることができるようになったのです(これをライセンス生産といいます)。

それから十余年、この日野ルノーが我が家にやってきたんです。そう、父親が中古車を買ったんですね。もっとも、相当なオンボロだったようで、それはごく短い期間でしたけど。

Jp0164

<フロント>PowerShot

画像がぼけていてすいませんね。コンデジは室内であってもファインダーがないのでピントの確認が甘くなります。逆光だと見づらいし。

このボンネット部分が膨らんだ形状ですが、この下にはエンジンがありません。

Jp0167

<リア>PowerShot

エンジンはこの部分にあります。現代のクルマでいうとトランクにあたる部分。つまりはエンジンを背中に背負って走っているようなものです。

今や日本の乗用車では絶滅したリアエンジン車ですが、フォルクスワーゲンのビートル(カブトムシ)、ポルシェなどがこの形をかたくなに守っています。ま、60年以上前の設計ですから、昔は相対的にエンジンが大きかったともいえますね。

それに、この時代は後輪駆動、つまり「RR」レイアウトが採用されております。この点もビートルやポルシェと同様です。RRですと、全長の割には室内を広くレイアウトできたそうです。その代わり、ボンネット下のトランク部分が狭いという欠点もありました。

Jp0166

<サイド>PowerShot

ドアの形状が独特です。観音開きならぬ、逆観音開き。つまり、中央のドアヒンジを共用して前後のドアが合わさるように開きます。

そして、前のドアウィンドウの三角窓。家庭にもエアコンのない時代ですから、クルマにエアコンがないのは当たり前。三角窓を少し開けると、ベンチレーターの役目を果たします。

現代のクルマですが、開かない小さな三角窓があることをご存じでしょうか。ドアミラーの死角をなくすために設けられたものです。

後ろのドアウィンドウですが、前後にスライドさせるやり方です。前のサイドウィンドウは懐かしのくるくる回すタイプです。

Jp0169

<タイヤ>PowerShot

日野オートプラザに展示してあるクルマはドアが開かずウィンドウも閉まったままなので、内部の画像が撮りにくいです。撮るには撮りましたが、お見せできません。偏光フィルターがあるといいのですが。

トランスミッションは床から延びるいわゆるフロアシフト式で、3速(3MT)。この時代、ステアリングコラムから延びるコラムシフトがほとんどでしたから、先進的ではあったのかもしれません。もともとフランスのクルマだし。

主要諸元
全長:3663mm 全幅:1430mm 全高:1440mm 車両重量:640kg
エンジン形式:水冷直列4気筒 総排気量:748cc 最高出力:21PS

現代なら軽自動車並みのサイズです。でも、存在感があって大きく見えます。出力は昔の表示で、今に換算すれば「全然走らねー」ことになりますが、日本の高速道路の当時の最高時速、100km/hには対応していたそうで。

また、形式はわかりませんがクラシックな外観にもかかわらず、四輪独立懸架のサスペンションだそうです。

ヤフオクなどを見ると、価格も載ってますから現在でもオーナーは数名いるみたいですね。

また、日野ルノーを見ることのできる場所は、日野オートサロンだけかと思いましたが、なんとトヨタ博物館に展示されているみたいです。愛知県だけど。

日野オートプラザ

まだまだいろいろな展示がありましたので、あと数回記事にします。不定期ですが。

| | | コメント (0)

2021年4月23日 (金)

最高地点更新中

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(8)

Tb293

<新しいバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドでは食事はホテルではなく近くの食堂で出されました。食事を終えてホテルに戻ると、大型のバスが止まっていました。

チベット族のローカルガイド、呉さんは前日で終了し、この日からは童(トン)さんというローカルガイドが同行することになります。ガイドとドライバー、バスはセットなので、乗り物も変わりました。

Tb301

<荒涼とした風景は続く>P-30/SMC A50mm

バスは大型化しましたが、いかんせん中国製のバスで、座席の間が狭くシートも小さめでした。とはいえ、マイクロバスのようにすし詰めではなくなり、ひとりがワンボックスを使えるようになりました。正しい姿勢で座るというよりも、かなり崩したような格好で座れば、少しはリラックスできる感じです。

そして、このバスには窓に黒いフィルムが貼ってありました。当時日本では高級車を中心にして、ウィンドウに黒いフィルムを貼って乗員のプライバシーを守るという「流行り」があったのですが、これをそっくりオンボロバスでも真似たのです。

ちょっとした余談です。窓のフィルムや濃い色のガラスはサングラスと一緒で、夜は安全を保障できないというものでした。すなわち危険なのです。それに、フィルムを貼ると、プロにでも任せない限り気泡ができてしまい、非常にイケてないのです。

現在の安全基準では濃い色のガラスは乗用車の場合、後部ドアのウィンドウとリアガラスのみとされています。それに、色は濃く見えるものの、ドライバーからは夜でも見える程度に濃さが抑えられているのです。

Tb305

<長江上流部>P-30/SMC A50mm

この日は青海省とチベット自治区の省境あたりまで行く予定です。つまり、ようやくチベット高原に入っていくわけです。

ゴルムドからはしばらく、なだらかな登り道が続きます。

中国製バスは窓にフィルムも貼ってあって見た目は新しそうなのですが、勾配のきつい坂に差し掛かると、めっきりとスピードを落とし、平坦な道で追い抜いて行った何十年も前に生産されたいすゞ製ボンネットトラックに、どんどん抜かれていくという次第でした。

Tb310

<泉>P-30/SMC A28mm

1時間おきくらいに休憩を取りました。このあたりになると町はずれも何もなく、滅多に人家などはないので、どこでもよかったのですが。

何度目かの休憩では工場のようなところにバスが止まりました。そこは、水の湧くところで、その水をボトル詰めしてミネラルウォーターを生産しているのでした。ここで、我々はミネラルウォーターのペットボトルを分けてもらいました。

バスには助手が同乗していましたが、ドライバーともどもいかにも昔の典型的な中国人でした。すなわち、ヒマワリの種などを食べ散らかし、そのゴミやペットボトルを窓から平気で捨てたりしてました。そして、大声の会話。

Tb322

<崑崙山の麓>P-30/SMC A28mm

やがて、崑崙山が見えてきてその手前で昼食タイムとなりました。

Tb321

<定番の昼食>P-30/SMC A28mm

またしてもイスラム食堂に入ります。出てきたものは、前日同様の三泡台と乾麺らしきものを茹でたものです。すでに標高は富士山を超え、高度計によると3950メートルになります。このくらいになると、水の沸点も低くなり乾麺が完璧に煮込まれていないような状態になります。それでも、米を炊くよりはいいのではないでしょうか。

Tb320

<調理場>P-30/SMC A28mm

調理場をのぞくと特殊なものを使用していました。ここではガスではなく灯油のコンロが使用されていました。都市ガスはもちろんプロパンガスのボンベも配達できないようなところだからでしょう。

灯油のコンロから中華料理を作るような高い熱量を引き出すために、ふいごのようなものを使って灯油を噴出させる道具が使われていたのです。それ自体は問題ありませんが、厨房だけでなく食事をするテーブル付近まで灯油の匂いが充満しているのです。気分も悪くなってくるので、お茶と丼を持ち外で食べるという始末でした。

Tb316

<かすかに見える氷河>P-30/SMC A50mm

このあたりから天気はめまぐるしく変化します。崑崙山を観察すると小さな氷河の末端が見えました。ただし、見えたのはこのあたりだけでした。

これから通っていくルートは「青蔵公路」と呼ばれます。中国が国の威信をかけて通したルートですね。

Tb328

<崑崙山口>P-30/SMC A28mm

先ほどの食堂から上り詰めたところが崑崙山口になります。「山口」というのが「峠」の意味になります。ここは標高4676メートル。風が吹きすさび、目も開けられないような具合です。

Tb331

<道班の集団>P-30/SMC A28mm

この青蔵公路には道路補修をする労働者が働いています。道沿いに飯場のような仮住まいを建て、そこで生活しながら道路を直していくのです。ここで、我々の中では「社長」と呼ばれるSさんがポラロイド写真をあげたようです。

その後、走っていくところどころで道班の労働者に出会うのですが、我々のバスには当時30代の女性が乗っていて、その姿をウィンドウ越しに見た彼らは「ヒューッ」という歓声をあげていました。まるで強制労働のようですがもしかしたら実際に罪を犯し、ここで働かされている集団なのかもしれません。

青蔵公路は陸路でチベットに物資を運ぶ唯一のルートで、荷物満載のトラックが通ることと、雪や道路凍結などで一般の道よりも痛みが激しいはずです。

Tb348

<風火山口>P-30/SMC A28mm

天気はめまぐるしく変化し、雪までちらつく始末です。ちなみに、この日の服装は下着もシャツも長袖で、さらにセーターを着こんで、一番上にスキー用のジャケットを用意しました。

さすがに上着は必要ないだろうと思いましたが、風が冷たくバスから出るときには羽織りました。

崑崙山口から数時間。風火山口に到着しました。標高5010メートルと一気に5000メートル越えです。実はこの峠はツアーの概要には記載がなく、びっくりしました。やはり風が強く、少々頭痛もしました。

Tb346

<青いケシ>P-30/SMC A28mm

しかし、こんなところにも植物が咲くのでした。さすがに、まばらでしたけど。

Tb351

<同室のHさん>P-30/SMC A28mm

それから数時間。すでに外は真っ暗です。絶望感がバスを支配するころ、町明かりが見えました。

本日の滞在場所である、沱沱河沿(トートーホーヤン)でした。到着したのは、交通旅社と呼ばれる簡易型の宿舎です。建物内にトイレはなく、外のトイレを使うことになります。もちろん、バスタブもシャワーもなしです。洗面所さえないというところで、部屋にはホーロー製の洗面器が置いてありました。

床はたたきの土間で、ベッドは鉄パイプ製で薄っぺらな布団と夏掛けのみ。机は物置と化しました。

部屋の電気を消すところがわからず、つけたまま眠ります。さらに、ありったけの服を着たまま眠りました。

さらには夜中に怒鳴りあう中国語とガラスの割れる音がきこえてきた次第です。

ここがこれまでで泊まった最悪の場所ですね。

続きます。

| | | コメント (0)

2021年4月20日 (火)

鹿島神宮の謎人形

Cido001

<鹿島神宮>OMD10/ED14-42mm

道の駅いたこから走ること15分程度。無事、鹿島神宮に到着いたしました。

本来ならば昨年9月末にこのエリアに来た時に回る予定だったんですが、勢いで大洗まで行ってしまったもので。

また、1月に来る予定だったんですが、緊急事態宣言の絡みで、ホテルが勝手にキャンセルされたため、4月になりました。

Cido003

<鳥居と幟>OMD10/ED14-42mm

こういうのは好きなんですね。重なる鳥居と幟。いかにして遠近感を出すかですが、まあ適当な写真でございます。

やっぱりカメラはしょっちゅういじってないと、撮り方も適当になるってことで。

Cido005

<楼門>OMD10/ED14-42mm

ここを抜けると境内になります。

Cido063

<アントラーズの必勝祈願>OMD10/ED14-42mm

こちら、サッカーJ1、鹿島アントラーズの必勝祈願です。ま、ワタクシの場合、地元にJ2、FC町田ゼルビアという、強いんだか弱いんだか年中浮き沈みの激しいチームがありますので、結果はチェックしております。試合も生で見たことがありますが。

Cido008

<絵馬>OMD10/ED14-42mm

無名の人々の願いがさらされる木片。ひとつひとつ見ていくと人生感じるようなものもありますけど。

Cido009

<藁人形>OMD10/ED14-42mm

ん?なんだこれは?

Cido010

<顔もあり>OMD10/ED14-42mm

紙で顔が描かれております。藁人形は10体ありまして、それぞれに表情も異なります。

Cido060

<別角度より>OMD10/ED14-42mm

人形に立ち居振る舞いもないのですが、姿がそれぞれ異なります。

Cido059

<何を想うのか>OMD10/ED14-42mm

人形には脇差を思わせるものが腰の部分に挟まれていました。

これは大助人形(おおすけにんぎょう)というもので、昨年6月に設置されたものだそうです。かれこれ10か月ほど経過してますから、一部修復されたりしているのかも。

鹿島神宮の行事もコロナの影響で、中止や内容の変更が続いています。ということで、コロナ終息を願い設置されたものだそうです。

もともとは鹿島の神と香取の神が東北を平定したとき加勢した兵の姿を表すそうで、今でも茨城県北部でこれを飾る風習があるとのことです。

以上は某新聞の記事の要約で、それによると8月18日にこれを燃やし、その灰を御手洗川に流すとありました。でも、コロナが終わらないので、燃やされたあと、二代目が設置されているのかも。

ともかく、大助人形が見られるのはコロナのあるうち…というのも、なんだかなあという気がします。

| | | コメント (0)

2021年4月16日 (金)

潮来のフォー

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.25

Cidc117

<道の駅いたこ>PowerShot

通称「マンボウ」が我が居住の都市に発令されたその日に出かけてきました。当然狙ってやったことではなく、こちらが計画した後に勝手に発令されたものです。

どうせ、ひとりで行動するし、移動も他人と接触しないマイカーですから問題あるめえ。

つーことで、はるばる茨城県です。ま、今回は2か所のスポットをメインにするつもりでしたが、「道の駅」のスタンプも集めることにしたので、最寄りのルートで道の駅があるところは立ち寄っていくつもりでした。

東関東自動車道の終点、潮来ICを降りるとすぐです。

Cidc111

<レストランおふくろ亭>PowerShot

ちょうど昼時に到着しました。なんとも馬鹿でかい道の駅です。駐車場は普通車281台という規模です。そんなに収容できてこのレストランで十分なのかというと、まあ何とかなりました。

カフェテリア形式で各自が総菜を選んでレジで精算するのですが、ワタクシが目を奪われたのがベトナムの麺、フォーでした。

Cidc112

<牛肉フォー>PowerShot

麺類はレジで改めて注文します。すると、呼び出し用の機械を渡されます。席はレジで精算後に各自で確保するとなってます。

地方に行くと、このような簡易的な店でもアクリル板が立ち、ソーシャルディスタンスに躍起になってますので、ひとりでも席は確保しやすいです。

呼び出しがあって「お好みでこれらをお使いください」とのことでしたが、ライムやトウガラシは用意されておりませんでした。その代わり、別皿のパクチーは結構な量があります。

Cidc114

<拡大>PowerShot

デフォルト状態ではもやしと青ネギで表面が埋め尽くされ、麺が見えません。

メニュー上は「牛肉フォー」となっておりましたが、せめて「フォーボー」としてほしかったです。ちなみに、フォーガーもありました。

Cidc113

<パクチー>PowerShot

これだけ大量にあるんですが、あの独特の香りはなかったですね。地元の農家で品種改良したものでも作っているんだろうか。

Cidc116

<リフトアップ>PowerShot

麺はなんちゃってフォーではなく、きちんと米粉の平打ち麺です。

もっとも、ベトナムでは巨大ライスペーパーを半分乾燥させたものを切って、それをさっと茹でて出来上がりなんですが、そのあたりは大丈夫なんでしょうか。味はフォーそのものでしたから問題ないんでしょうね。

スープも透明感があって薄味で合格。

牛肉はハノイ式だとフォーボータイといって、半生の牛肉なんですがそうなるとクレームが来そうです。ということできっちりと火の入ったフォーボーチンでした。

これで500円です。道の駅クオリティとしては結構いいほうではないかと思います。

ちなみに、道の駅とか高速道のサービスエリアなどでは、無理くり名物料理を仕立て上げて意外なくらいの料金を取るところも少なくありません。そういう意味での「道の駅クオリティ」、まあ、自己判断ですけど、このフォーはいいんじゃないすかね。

道の駅いたこ

| | | コメント (0)

2021年4月15日 (木)

清真食堂

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(7)

Tb229

<閑散としたホテル周辺>P-30/SMC A28mm

チャカは塩湖があるだけの町でまさに泊まるだけ。人口も少なそうでした。

この日はゴルムド(格爾木)まで行きます。ゴルムドは内陸にありますが、石油が出るため近年発展してきた新興都市となります。しかし、その道中は半砂漠のステップの中をひたすら移動するのみでした。

Tb231

<ラクダ>P-30/SMC A28mm

出発してすぐに道をラクダがふさいでました。これでも、飼育されたものだそうです。ラクダというとアラビアのイメージがありますが、こちらのフタコブラクダは中央アジアに多く生息しているそうです。

Tb236

<典型的なステップ>P-30/SMC A28mm

マイクロバスは淡々と進んでいきます。すると、バスの後方から「トイレ」の声が上がりました。

参加者の一人が高山病に効くという利尿剤を服用してしまったようで、ものすごくトイレに行きたかったようです。

これ以降、我々のトイレ休憩は町はずれの場所を選び、男女に分かれてバスからかなり離れたり、ちょっとした物陰のあるような地形の場所をトイレとすることになりました。

なんといってもまだ人民トイレの時代です。青海省のこの辺りではいまだにそんなトイレが健在なのではないでしょうか。

Tb240

<川も出現>P-30/SMC A28mm

ただひたすら走っているだけでしたが、車窓は変化があって飽きませんでした。

Tb258

<イスラム食堂>P-30/SMC A50mm

昼食時間になりました。到着したのはツーラン(都蘭)という町です。

世界共通の三日月のマークはムスリムのためのハラル食を出す食堂の意味になります。文字では中国では「清真」となりますね。

Tb259

<三泡台>P-30/SMC A28mm

このような小さな食堂なので、いきなり10数名の集団が現れると大変です。果たしてローカルガイドの呉さんが予約を取っていたかは不明ですが、携帯電話さえない時代で、この後も店を選んで適当に昼食とすることが当たり前だったので、行き当たりばったりだったと思われます。

我々の前に置かれたのは蓋つきの茶碗で、三泡台というお茶でした。お茶のほかに木の実や氷砂糖が入るもので、蓋をずらしてその隙間から飲むことになります。お茶がなくなると湯を継ぎ足してもらえます。そのたびに味が変わっていきます。

お茶というよりは梅干しのような木の実の味がしました。決して不味くはありません。

Tb261

<調理中>P-30/SMC A28mm

暇なので厨房を覗きます。うどんのような麺を指ではじいて湯に投入するタイプの麺料理です。

Tb262

<従業員>P-30/SMC A28mm

従業員総出で調理中のようでした。従業員は見たところ漢族と変わりなく、回族のようです。

思えばこのころの中国はかなり素朴で、日本人だからどうこうわだかまりもなく、非常に友好的でした。

Tb263

<ヤク肉の麺>P-30/SMC A28mm

麺が出来上がりました。ヤクの肉が使われていました。味はそれほど牛肉と変わりません。それにしても素朴な味です。

おかずは野菜のみ。軽く下味をつけて炒めたもののようです。非常に簡素な食事ですが、ハードな道のりではこれで十分です。

また、割り箸が使われていました。現在地球環境のことがなにかと話題になりますが、中国は肝炎が多いので、使い捨ての箸というものはそれを防ぐ上で有効なのです。

Tb267

<砂漠>P-30/SMC A50mm

昼食後は再び移動するのみです。今度は荒涼とした砂漠も現れました。

Tb278

<水が氾濫>P-30/SMC A28mm

と思えば、川が道路まで迫り、水のあふれているような箇所も現れます。実に変化に富んでいます。

Tb283

<中国将棋>P-30/SMC A28mm

こういうことを繰り返し、次のオアシスの村で休憩しました。ま、休憩といっても店などないので、そのあたりを歩いたりするくらいですが。また、長時間バスに乗っていてバスの振動から解放されることをありがたく思う程度ですかね。

そこでは中国将棋が行われていました。見入るガイドたちですが、現地のプレイヤーは見事に人民服姿です。

Tb291

<格爾木賓館>P-30/SMC A28mm

こんなことを繰り返しつつ、ゴルムドに到着しました。この日の宿です。ここはお湯が出た(それでも時間制)ので、2日ぶりとなる入浴ができました。

今なら、水でもシャワーを浴びちゃうと思いますが。

続きます。

| | | コメント (0)

«コメダで世界に思いを巡らす