Joan Jett & The Blackhearts(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ)がなんでこの曲をカバーしたかというと、The Runaways(ランナウェイズ)がイギリス公演中、テレビでアローズの演奏を見たのがきっかけだったようです。アローズはイギリスでテレビ番組を持っていたんですね。なお、ランナウェイズは本国アメリカよりも日本をはじめとする外国のほうが人気がありました。
それで、ランナウェイズでカバーするつもりが却下され、ジョーン・ジェットが新たに結成したバンドで演奏し、1981年にBillboard Hot 100(シングルチャート)で7週間1位という、偉業を成し遂げたのです。年間チャートでっも3位でした。
ジェット姐さんのヴァージョンはこちら。映像はTop Popという番組用のものみたいですが、音源はオリジナルを使用してます。また、アローズの原曲に忠実なアレンジをしてますね。なお、彼女たちの次のシングル、「Crimson And Clover」も実はカバー曲なのでした。
ところで、ホール&オーツにもカバー曲があって、同じく『Voices』収録の「You've Lost That Lovin' Feelin'」(邦題「ふられた気持ち」)です。オリジナルはThe Righteous Brothers(ライチャスブラザース)の1964年のヒットで、ビルボード1位、年間チャート5位でした。ホール&オーツ版はシングルカットされ、12位まで上昇。これがきっかけでもないのでしょうが、次のシングル「Kiss On My List」が1位となり、快進撃につながるのでした。
ポルナレフのディスコグラフィについてはフランス語版wikiよりも英語版のほうが詳しいのですね。なお、この「Gloria」のカップリングのB面が「Je Suis Un Homme」(I'm A Manの意味)というものですが、前述の露出騒ぎで、ポルナレフが同性愛者であるとの誤解を受け、コンサートでステージに上がった客から暴行されたことにショックを受けたことに対し、「自分(ポルナレフ)は異性愛者、ノーマルである」ということを伝えるものだったそうで。
余談 Laura Branigan(ローラ・ブラニガン)という人も、1982年のシングル、「Gloria」というビルボード2位となるヒットがありますが、この曲もイタリア人が書いた曲のカバーで、歌詞は英語に直されてます。なお、ブラニガンさん、2004年にお亡くなりになっています。
いきなりの、Bee Gees(ビージーズ)、「You Should Be Dancing」でございました。
今回のテーマとして、男性でありながら裏声、ファルセットで歌うヒトにスポットを当てたいと思います。
この、ビージーズの映像、おそらくはライヴでありながら、口の動きがシンクロせず、もともとの音源を使用しております。「You Shoul Be Dancing」の映像はいくつものヴァージョンがあるのですが、これを持ってきたのは、ギブ4兄弟の末弟、Andy Gibb(アンディ・ギブ)も加わっての映像上でのパフォーマンスがレアかなと思ったからです。残念なことに、生き残っているのは長男のリードヴォーカル、Barry Gibb(バリー・ギブ)だけです。
この曲がリリースされたのは、1976年6月。Billboard Hot 100(ビルボードシングルチャート)で1週間、1位を獲得しました。これが、3回目の1位獲得曲ですが、バリーが本格的にファルセットに挑んでヒットした最初の曲ということになります。
これに味を占めたわけではないのでしょうが、以降、ビージーズはほとんどファルセットの曲を出し続けます。6曲連続ナンバーワンのうち、最初の「How Deep Is Your Love」(邦題「愛はきらめきの中に」)以外、全部がファルセットですね。味を占めたとでも申しましょうかね。
末弟のアンディも(アメリカでの)デビュー作、「I Just Want To Be Your Everything」(邦題「恋のときめき」)でファルセットを披露しているんですが、それもそのはずで作者がバリーですし、バリーがバックコーラスも担当しています。1977年4月のリリースで、返り咲きを含む3週1位を獲得。以降の2曲のシングルも連続で1位(3曲目の「Shadow Dancing」は年間チャートでも1位)ですし、おそらくはルックスも相まって、ビージーズより人気があったのではないでしょうか。
さて、ビージーズは1977年の映画「Saturday Night Fever」(サタデーナイトフィーバー、主演、ジョン・トラボルタ)のサウンドトラックにより、キャリアの頂点を極めることになります。サウンドトラックにはビージーズ関連の曲が8曲収録。うち、ビージーズが演奏するものが6曲。ナンバーワンヒットとなった曲が4曲(それ以前に1位を獲得した曲を含めると6曲)。という、サウンドトラックとしては異例の対比っとアルバムとなり、全世界で4000万枚が売れたとのことです。ただし、アンディ名義の曲は収録されませんでした。
その割を食ったのがレオ・セイヤーだったわけです。彼のシングル、「More Than I Can Say」(邦題「星影のバラード」)はKenny Rogers(ケニー・ロジャース)の「Lady」に続いての2位でした。しかし、「Starting Over」が「More Than I Can Say」を飛び越しての1位獲得で、レオの3回目の1位獲得はできなかったのです。
さて、「You Make Me Feel Like Dancing」は1976年リリースで、レオ・セイヤーとしてもアメリカで初のヒットとなり、1位も獲得しました。当時の「サタデーナイトフィーバー」前夜といいますか、ディスコの波が徐々に来ていたのではないでしょうか。ファルセットの曲でもありますし。
ちなみに、レオは地声で次のシングル、「When I Need You」(邦題「はるかなる想い」)でも1位を取っています。
新田一郎
邦楽ファンの皆さん、お待たせいたしました。最後は新田一郎さんです。
ファーストソロアルバム『一番 クールが熱い』収録の「サンライズ・サンセット」(作詞:宮下康仁 作編曲:新田一郎)でした。この曲はソロになってのファーストシングル「Not For Sale」との両A面でした。チャート成績は不明です(スペクトラム、新田一郎ともwikiでは不明)。
さて、アルバム『Desperado』ですが、Bilboard Hot 200(週間アルバムチャート)で41位が最高位で、1973年の年間チャートで64位という、イーグルスにしてはほぼ売れなかったものといっていいでしょう。ただし、のちにダブルプラチナ(200万枚)認定されています。これは、のちの彼らの活躍で年月をかけて達成されたものだと思います。
シングルヒットも「Outlaw Man」のBilboard Hot 100で59位が最高で、もう1曲のシングル、「Tequila Sunrise」はチャート圏外でした。
ま、これくらいはいいすかね。個性だから。ちなみに正確なタイトル表記は…「優しい雨のように」を覚えてますか? と、なります。ちなみに、このアルバムにはセルフライナーノートのようなものが付いていて、「優しい雨のように」という曲はThe Bandのアルバム『Islands』の「Right As Rain」という曲ですね。このあたり、馬場俊英のルーツ的なものが見えるかも。
『Over The Mountain』ですが、シングルが1枚のみ。ですが、馬場俊英が一番やりたい音楽を自分の主導権を持って表現したかったアルバムだったのではないでしょうか。
『もうすぐゴング』では、会社側に主導権を握られ、おそらく馬場俊英の個性がだいぶ抑えられたものを、『Down The River』ではかなり馬場俊英が主導権を握るようにはなったものの、まだまだと思って、短期間で思いっきりやりたいことをぶつけたのが『Over The Mountain』だったのではないでしょうか。
YouTubeの映像は2012年のもので、この時すでに70歳を超えております。この映像ではマイクを持って歌っているだけですが、もちろんギターを弾いて歌いますし、在米ユダヤ人をモチーフにした映画「The Jazz Singer」にも主演するという、いわばアメリカのスーパースターのひとりであります。11曲をTop10に送り込み、うち3曲がビルボード1位です。
彼自身の活動は1967年から始まっていますが、アルバムリリースは1971年から。それまでの実績というものがほとんどありませんでしたが、ファーストアルバム『Himself』はアメリカでもリリースされ、いきなり9位になります。その後のアルバムは1972年の『Back To Front』が48位、1973年の『I'm A Writer, Not A Finger』が101位と低空飛行に沈みましたが、イギリスではそれぞれ5位、1位、2位という具合に売れました。
この曲はアルバム『Stargazer』(1983年)収録で、シングルカットはされていません。杉さんも日本のロック・ポップスの男性シンガーとしてはかなり微妙な立ち位置の人で、結果的には売れませんでしたが、いい曲を書いていますし、B面扱いだったり、単なるアルバム収録の数合わせ的な曲提供も多いものの、光るものを見せていますね。例:竹内まりや(大学の後輩)「Hold On」、「磁気嵐」、石川さゆり「ウイスキーがお好きでしょ」、Hi Fi Set「素直になりたい」などなど。
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