セカンドブログ本格運用です

当ブログ、Cafe de Castellaですが、容量が95%までに到達しまして、年頭の予告通り、今後の海外・国内の旅に関する記事は新ブログ、Cafe de Castella Annexに掲載することにいたします。

そして「かすてら音楽夜話」に関しては容量が一杯になるまでこちらで記事を書いていくつもりでおります。

どちらのブログも今後とも宜しくお願いいたします。

さて、セカンドブログですが、PC版ですとココログとは見た目が大きく変わってます。なんといっても画像が大きく表示できます。そして、容量は毎月300MBまでアップロードが可能。と、いうことはほぼ無制限に近く、これまで以上に画像をアップロードできるということになります。

その代わり、特定の記事をトップ固定といったことができず、トラックバック機能がありません。また、PC版ではコメント欄にリンクがつけられません。スマホではできるのですが。

また、自分自身でもサイドバー設定などいまいちわかってない部分がありますので、これから少しずつカスタマイズしていく感じですかね。

Bcc0581

いずれにせよ、どちらのブログも今後ともご贔屓に。

しつこいようですが、新ブログ(セカンドブログ)は

Cafe de Castella Annex

です。叱咤激励から冷やかし、なんでも結構ですので、遊びにいらしてくださいませ。

店主敬白

この記事は当面トップに表示させておきます。最新記事はこの下から始まります。

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2024年10月 3日 (木)

クセがすごいんじゃ!

かすてら音楽夜話Vol.198

久々、和もの、J-Popでお送りいたします。

今回は歌い方に特徴のある…というか千鳥のノブ風に「クセがすごい」「クセが強い」方たちを3組紹介したいと思います。

まず、誰もが思いつくのがヒロミ・ゴーあたりでしょうが、そういうメジャーでだれもが知っている人じゃありません。ま、ワタクシが選ぶのですから、ぐっと知られていない人たちになりますね。

第3位

 

GRAPEVINE(グレイプヴァイン)の「羽根」(作詞:田中和将 作曲:西川弘剛)でした。1999年のサードアルバム『Here』からのシングルカットで、6枚目のシングル。オリコンシングルチャート20位ですが、GRAPEVINEのシングルでは最も売り上げの良かった作品です。

GRAPEVINEというグループ名の由来ですが、アメリカのヒット曲「I Heard It Throug The Grapevine」(邦題「悲しい噂」)からとられております。同シングルはGradis Knight & The Pips版がビルボード2位、Marvin Gay版が1位になっております。単語名自体は「ブドウのつる」という意味です。

そして、GRAPEVINEは1993年に活動を始め、1997年にメジャーデビューし、現在に至っております。コンスタントにアルバムをリリースしていて、現在までにその数28枚。

1997年あたりですと、音楽産業もかなり活発な時代で、競争も激しかったと思いますが、割と簡単にデビューできたというか、レコード会社も豊富な予算があった時代ですね。それでも、現在まで生き残っていますので、実力はバンドといえます。

さて、メンバーですが、田中和将(ヴォーカル、ギター)、西川弘剛(ギター)、亀井亨(ドラムス)のスリーピースバンドです。デビュー時からアルバム『Here』までの期間は西原誠(ベース)が在籍していましたが、ジストニアのため脱退。なお、西原はリーダーでした。

現在はサポートとしてベースとキーボードが入ります。

曲の大半を田中が作詞し、作曲は西川と亀井、田中が担当しますが、メインのライターはドラムの亀井が担当するというちょっと変則的なバンドですね。そして、田中の作詞はなかなか奥が深く、文学的であるという評価を受けています。

その田中のヴォーカルがこちら。曲にしてみると、その文学的な言葉がどちらかというと日本語のようには聴こえないという不思議さです。いわば、癖が強いんですね。

個人的には『Here』収録のラストナンバー、「南行き」という作品がお気に入りなんですが、彼らのYouTubeには上がってませんでした。こちら、さらに言葉が難解というか意味不明なところもあり、それでもノリで引っ張っていくような印象の曲です。コーラスにHicksvill(ヒックスビル)の真城めぐみが入っていて、さらにグルーブ感を出しているんですが。なお、彼らの曲はやっぱり難しく、わたしゃカラオケで大失敗したことがあります。やはり、ヴァインの曲は田中にしか歌いこなせないような気がします。

第2位

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第2位はポップス部門ということで、今回取り上げる中では最も知名度のあると思われる堂島孝平です。

彼は1995年のデビューでやはりレコード会社に豊富な予算があった時代のデビュー組ですね。ですが、現在も生き残っていて、音楽バラエティ「堂本兄弟」(番組はすでに終了)のバンドメンバーであったり、NHK「SONGS」ではバックでギターやハーモニカを演奏する姿も見ることができます。

まあ、それだけのキャリアがありながら、ヒット曲というものは「こち亀」のオープニングテーマ「葛飾ラプソディ」くらいしかないような。あと、チョコラBBのCM曲なんかもあったかな。

ですが、堂島氏はなかなかのポップセンスを持ち合わせていて、パソコン通信の音楽系会議室では話題になっていた人なんですよね。

そして、1998年の年の瀬にワタクシも渋公(渋谷公会堂、現在のLINE CUBE SHIBUYA、CCレモンホールを経てこの名前になったそう。かつては1964年の東京オリンピックの重量挙げ会場だったそうですが)に足を運んでみましたが、見事に90%が若い女性で、男性客は女性の連れくらいでした。それでも、単独で来ている男性客もちょっとはいました。なんとなくアイドルっぽい感じはありましたね。

 

映像は1997年1月リリースの6枚目のシングル、「ロンサムパレード」(作詞作曲:堂島孝平 編曲:中山務・堂島孝平)です。サードアルバム『トゥインクル』の1曲目ですね。

どうです。地声じゃないけど、ファルセットでもないという。なかなか喉に負担のかかりそうな歌い方です。癖が強いですねえ。え?わからない?では、こちらはどうです?

 

デビューシングルの「俺はどこへ行く」(作詞作曲:堂島孝平 編曲:太田要)でした。声が素のままです。

きくところによると、かつてはブルーハーツにあこがれるロック少年で一人称も「俺」を使っていたのですが、見た目とのギャップがあり、試行錯誤を重ねて「ロンサムパレード」のような変態的な歌い方にチェンジしたようです。

まあ、「俺はどこへ行く」も曲調やスピード感などその後の堂島孝平となんら変わらないと思いますが、歌い方を変えて成功に至ったのだと思います。実際、素のままではないほうが彼には合っていると思いますね。

第1位

 

ラストを飾るのはcanna(カンナ)という二人組です。デュオというよりは、二人組です。

映像は2000年の日本武道館ですが、彼らの力だけでいきなり武道館は無理で、これはTokyo FMの企画(アースデイコンサート)でして、メインは18年ぶりのステージとなる竹内まりやなんです。このライヴ、行きましたもん。

さて、cannaですが、メインのヴォーカルが谷中たかし、映像の人ですね。そして、相方がキーボードとコーラス(曲によってはヴォーカルを担当)の周水(しゅうすい)です。

ま、今回は谷中氏のヴォーカルについてなんですが、相方についてもちょっと触れておきます。現在もcannaとして活動していますが、活動量は絶対的に少なくなってます。と、いうのも周水氏がスマイルカンパニーの代表取締役社長だからですね。さんざんバッシングされたジャニー氏の問題で、スマイルカンパニーと業務提携していた松尾潔にクビをいい渡したのが周水なんです。本名、小杉周水。ジャニーズエンターテイメント及びスマイルカンパニーの元社長、小杉理宇造氏のご子息になります。cannaじたいもスマイルカンパニー所属です。ま、そうなりますよね。

彼らは1998年、Bounce Record(タワーレコードのレーベル)からインディーズデビューを果たし、翌年メジャーデビューします。タワレコのリコメンドなどにもなっていたと思います。親の七光りはあまりなかったと思いますが、「ちょっとよろしくね」くらいはあったんじゃないかなと思いますね。

でもまあ、売れなかったですね。アップした映像は8枚目のシングル「あぜ道」(作詞:谷中たかし・新井洋平 作曲:canna 編曲:重実徹)で、オリコン74位でした。セカンドアルバム『新世界』にも収録されています。

谷中氏の歌い方、声の強弱を発声のみならず、マイクを近づけたり離したり(あるいは顔をマイクに近づくまたは遠ざかる)して行うんです。それに、なんともねちっこい歌い方です。

彼らのにはYouTubeチャンネルがあるのですが、ライヴ映像がメインで、アルバム収録曲などは上がっておりません。実はセカンドアルバム『新世界』の「Survival Game」なんて曲が谷中氏の歌いっぷりが際立っているのですけど。曲中でブルース・リーまで披露してくれますけどね。

さて、ここで取り上げた3組、わたしゃアルバムもほぼ持っているし、ライヴにも行きました。ま、しょっちゅう聴きこんでいるわけじゃないんですが。たまにはクセの強いものもいいんじゃないすかね。耳もほぐしてやらないと。

かすてら音楽夜話、198回まで来ましたねえ。一応、200回目は「これ」というのを決めているんですけど、今回もそれ以前の記事にしてもコメントをお待ちしております。ヒントをくださいね。下記のバナーもクリックお願いします。

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2024年9月21日 (土)

追悼、J.D.サウザー

かすてら音楽夜話Vol.197

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J.D.サウザー(本名、John David Souther)が今月17日に亡くなりました。

J.D.サウザーといえば、この曲。

彼の唯一のTop10ヒット、「You're Only Lonely」でした。

この曲は1979年8月のリリースで、じわじわとチャートを挙げ、12月の半ばから3週間ビルボードHot100(シングルチャート)で7位を保ちました。そして、アダルト・コンテンポラリーチャートでは1位になっています。

チャート7位ながら、1980年度の年間シングルチャートでは57位。

曲調はおとなしめでありながら、やはりインパクトのある曲なんでしょう。現在でも主にテレビ東京などの番組ではかなりつかわれる頻度が高い曲です。

おそらくは1980年代に学生だったり、社会人になって間もない人にとってはかなり思い出深いものがある曲でしょう。ワタクシもそうです。

このシングルが収録されたアルバム『You're Only Lonely」はビルボードHot200(アルバムチャート)で41位ですが、彼のアルバムでは最も売れました。

さて、彼の経歴を簡単に語ると、1945年11月にデトロイトで生まれ、ミュージシャンを目指して1960年代にLAに移住。そこで出会うのが3歳年下で同郷のGlenn Frey(グレン・フライ)でした。ふたり意気投合してデュオ、Longbranch Pennywhistle(ロングブランチ・ペニーウィッスル)を結成します。住居もシェアしていたようで、同じアパートにはJackson Browne(ジャクソン・ブラウン)も住んでいたようです。

その後、デュオは解消し、フライがやっていたLinda Ronstard(リンダ・ロンシュタット)のバックバンドがEagles(イーグルス)へと発展するのですが、イーグルス契約するAsylum(アサイラム)にはいち早くJ.D.サウザーがいたとのことです。つまり、もうJDも契約済みだったと。

しかし、J.D.サウザーは結構腰の重い人というか裏方に徹するようなタイプらしく、自分の名前を関したソロデビューアルバムをリリースした後は、Chris Hilman(クリス・ヒルマン、ex The Byirds)、Richie Furay(リッチー・フューレイ、ex Buffalo Springfield)とバンドを組み2枚アルバムをリリースした後は、またもや裏方に戻ってしまいます。

ですが、彼はやはりイーグルスとの縁が深く、イーグルスには楽曲提供をしたり、バックコーラスを務めました。そんな中で、共作ではあるものの、3曲のナンバーワンヒットを提供しました。すなわち、「Best Of My Love」(邦題「我が愛の至上」1974年)、「New Kid In Town」(1976年)、「Heartache Tonight」(1979年)です。

 

JD自身が歌う「New Kid In Town」。実は「隠れたイーグルス」などともいわれていました。グレン・フライの没後、まだJDが元気なうちにイーグルスに加わっていたならば…なんて想像もしてしまいます。

でも、やっぱり、孤高の人なんでしょうね。グレンの作り上げたイーグルスというものには遠慮もあっただろうし、グレンという人物がどういうものなのか、表も裏も知り尽くしていたのだと思いますね。

個人的には「Best Of My Love」が収録されたアルバム『On The Border』での提供曲、「James Dean」が結構好きなんですが。

また、彼はアサイラム人脈もあるのでしょうが、リンダ・ロンシュタットにも曲提供しております。

アルバム『Prisnor In Disguise』(1975年)収録のラストナンバー、「Silver Blue」で曲を提供するとともに、デュエットしています。んー、やはり裏方なんですねえ。

また、彼女のアルバム『Living In The U.S.A.』(1978年)に収録された「White Rhythm And Blues」もJDの提供です。

 

このアルバム、LP時代にほぼリアルタイムで購入したので、思い出深いですねえ。JDもセルフカバーしていてアルバム『You're Only Lonely』に収録されています。JDヴァージョンはYouTubeでは違法アップロードっぽいので、リンダのヴァージョンにさせていただきました。

なお、リンダとは交際していたという情報もありました。

それにしても、アメリカという国は長寿国ではなさそう。日本で同世代というと、タモリや吉永小百合ですからね。

ともかくご冥福をお祈りいたします。Rest In Peace.

かすてら音楽夜話ではヒントを頂けるようなコメントやリクエストを募集中です。いやー、今回は洋楽がかなり続いたので、和物で行きたかったんですけどねえ。次回は和物で。下記のバナーもクリックしておくんなせい。

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2024年9月17日 (火)

ラズベリーズの光と影(4)

かすてら音楽夜話Vol.196

ミケポスカフェでの音楽談義の続き、ラズベリーズの4回目。

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ラズベリーズの4枚目のアルバムにして、スタジオ収録盤の最終作となる作品です。

題名が『Starting Over』、1974年9月のリリースで前作『Side 3』から1年置いての作品となりました。Billboard Hot 200(アルバムチャート)では、143位。

2枚のシングルが含まれていて、「Overntight Sensetion(Hit Record) c/w Hands On You」がBillboard Hot 100(シングルチャート)で18位。これは、「I Wanna Be With You」以来となるTop 20入りしたスマッシュヒットになりました。次作の「Cruising Music c/w Party's Over」は残念ながらチャートインしませんでした。

売上的には下位に沈んだアルバムながら、Rolling Stone誌は『Starting Over』を1974年度の最優秀ロックアルバムに選んだほどです。また、クレジットはないものの、John Lennonがアルバム収録にかかわったともいわれています。なお、レノンはラズベリーズのファンであり、ツアーTシャツを着用していた写真が撮られているのだとか。評論家筋ではエリック・カルメンはどちらかというとPaul McCartneyに比較されてはいたのですが。

『Starting Over』と名付けられたアルバムはほかにもありまして、レノンの遺作となったアレ、もしかしてこのセッションからいただいた?なあんてね。

・メンバー交代

このアルバムより、ベースとドラムスが交代しました。

Scott McCarl:Bass, Vocal
Michael McBride:Drums, Vocals(故人)

トップ画像では右側のふたりです。ロン毛がスコット。長いもみあげがマイケルです。

スコット・マッカールは左利きのベーシストで、元々、プロデューサーのジミー・アイナーが目をつけていた人物らしいです。曲も作り、自作曲ではリードヴォーカルも担当するのは前任者のデヴィッド・スモーリーと同じです。

マイケル・マクブライドはエリックとウォーリーが組んでいたバンド、サイラス・エリーのドラマーで旧知の仲です。前任者のジム・ボンファンティと違い、曲作りにも参加しています。

メンバー交代ですが、前作のツアー中にメンバー間の関係がぎくしゃくしてきたと、ライナーノートの解説の八木誠さんは書いています。まず、脱退を決めたのはベースのデイヴだということで、それに同調したジムがやはり辞めていったとのことです。

前回の記事では「総論としてロック色を強く押し出していこうとした」と書きましたが、音楽性の相違があったということなんですかねえ。やっぱり、辞めたふたりはオハイオの匂いを残したソフト系の音がよかったと、心にはあったのでしょうか。

・作者とリードヴォーカル

このアルバムから共作が復活しました。また、これまでのアルバムでは共作といってもすべてエリックが関わってきましたが、初めてエリックが関わらない曲も収録されています。

エリックひとりの作品が4曲。もちろん、リードヴォーカルはエリックです。

ウォリーとスコットの作品が1曲ずつで、もちろんリードヴォーカルは作者になります。

エリックとスコットの共作が3曲で、エリックのリードヴォーカルが1曲、スコットのリードヴォーカルが2曲。

エリックとマイケルの共作が1曲で、リードヴォーカルはエリック。

ウォリーとスコットの作品が1曲で、リードヴォーカルはウォリーとスコットです。

アルバム11曲収録というのも初めてで、最も収録数の多いものとなりました。

アルバムを通して聴くと、前作『Side 3』の延長線上にあるというか、さらにロック色が強化されたような感じですね。

では、曲を聴いて振り返ってみます。

 

曲は「Overnight Sensation(Hit Record)」でした。エリックの作品です。

チャート18位は何となくうなづけます。エリックのピアノから入り、サックスをフィーチャーし、重厚なコーラスが曲を仕上げます。これは、以前のラズベリーズの雰囲気そのもので、一時離れていったファンがまた戻ってきたという絵が見えますね。

あれ?でも、なんか違う。あ、メンバー変わってんじゃん!みたいな違和感もあったのかどうか。今回アップはしませんが、YouTube上にはこの最終メンバーで「Go All The Way」を演奏する映像が上がっていまして、エリックはギターを持たず、マイクをスタンドごと振り回すようにヴォーカルに専念するものでした。しかも、エリックの衣装はざっくりと胸のあたりを見せるようなジャンプスーツ風なもので、これに酷似するのは…フレディ・マーキュリーです。

時系列で見てみると、クイーンが初めてアメリカツアー(Deep Purpleなどの前座)に登場したのが1974年。年末に近い頃のようです。と、いうことはすでにアメリカでも業界人はフレディのことはある程度知られていたとは思います。でも、なんか違和感がありますよね。

ともかく、この曲のコーラスにはクレジット表記がないものの、重低音パートが含まれていて、ジミー・アイナーが加わっているようです。

 

こちら、「Party's Over」。ウォリーの曲でリードヴォーカルも彼自身です。

たまには、エリックばかりではないものを取り上げようと思いましたが、ウォリーのヴォーカルでもかなり出来のいいものだと思います。なかなかにブルージィですし、マイケルのドラミングもいいですね。また、エリックはピアノでこれまでにない曲を弾いてますね。

マイケルのドラムですが、Bruce SpringsteenのE Street Bandのドラマー、Max Weinbergに影響を与え、アルバム『Darkness On The Edge Of Town』のドラムがマイケルの演奏に基づくと語っています。

 

続いての曲は「Cry」。エリックとスコットの共作で、リードヴォーカルはスコットです。

さすがに、ジミー・アイナーの秘蔵っ子で、デイヴとは完全にテイストが違いますね。この曲にはピアノ、アコースティックギターの演奏も含まれ、バンドの総力を挙げて収録した感があります。

『Starting Over』でのエリックが歌う曲は前作『Side 3』同様に、これまでのエリックのメロディラインをロックのアレンジを加えたもの、初めからロックテイストで作ってきたものなどに分けられます。彼にとっては朝飯前くらいのものですが、やはり、このアルバムを語る上ではウォリーとスコットのヴォーカル曲も聴いてもらわないと理解できないかなと思いまして、敢えて取り上げました。

 

さて、最後を飾るのはアルバムのラスト、「Starting Over」です。もちろん、エリックの作品でリードヴォーカルもエリックです。

エリックのピアノが大きくフィーチャーされていて、ブラスも入ってますね。デビューアルバム『Raspberries』の「Waiting」のように、エリックひとりで全部やっちまうのかと思わせますが、途中からコーラスとドラムも加わり、それほど独りよがりじゃないなと安心いたしました。

「Starting Over」って、「やり直し」とか「再出発」という意味なんですが、図らずもこれがラズベリーズの最後となってしまったのは皮肉なものです。

さて、このアルバム、レーベルのCapitolがこれまでさんざん金をかけてきたのに、ジャケットなどはまるでそっけないんです。裏ジャケットも表の写真を反転させただけ。

トーマスさん説によると、すでにエリックのソロデビューが決まっていて、それでもラズベリーズの契約期間がまだ残っているので、リリースしたのがこのアルバムだと。

エリックのソロデビューは1975年の11月。ラズベリーズとしてのツアーは1975年の春ごろまでだったそうで、準備期間とか考慮すると、トーマスさん説、当たっているような気も。

もし、そうであるとしたら、バンドから去っていったデイヴとジムの行動も何となく理解できるような。これに輪をかけてギターのウォリーまで去ってしまうと、バンド崩壊です。ウォリーとしてはエリックの曲であっても独自にギターフレーズを考え、自らのキャリアを優先させたのでしょう。2曲目で紹介した、「Party's Over」はデイヴとジムに対してのものだったともいいます。ちなみに、彼はのちにジミー・アイナーの協力の下、Fotomakerというバンドに加わりました。

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こういうことをやっていると、もう夕方近く。あ、こんなものまで。ありがとうございます。ちなみに、わたくしのハンドルネームはアトムの作者の登場人物…いや謎のキャラから頂いてます。

帰るころ、ものすごい雨が降りました。一部の電車は止まったんじゃないかな。これも、エリックが「勝手なことやりやがって」と下したものなんでしょうかね。

一応、カフェにあった「人間椅子」も聴いてみたんですけどねえ。また、やりましょう!

かすてら音楽夜話は200回に向かって(ものすごく遅く)歩んでおります。リクエストなども受け付けておりますので、今回の感想やご意見とともにコメントよろしくお願いします。バナーもクリックしてねん!

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2024年8月29日 (木)

ラズベリーズの光と影(3)

かすてら音楽夜話Vol.195

ミケポスカフェでの音楽談義、Raspberries(ラズベリーズ)の3回目。

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もうおわかりだと思いますが、今回はラズベリーズの3枚目のアルバム『Side 3』を取り上げます。

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このピザも美味しゅうございます。嬉しいなあ。

さて、『Side 3』の概要です。

リリースが1973年9月と、前作『Fresh』から1年置いての発売です。ただし、『Fresh』収録の「Let's Pretend」がシングルとしてリリースされたのが、1973年3月ですので、メンバーとしてもリスナーとしてもあまり休止期間を置かず、ずーっと活動していたような印象があります。

ビルボードHot200(アルバムチャート)はまさかの128位。

リリースしたシングルは、「Tonight c/w Hard To Get Over A Heartbreak」がビルボードHot100(シングルチャート)で69位。「I'm A Rocker c/w Money Down」が94位。「Ecstasy c/w Don't Want To Say Goodbye」はチャートインしませんでした(Cash Boxでは116位)。

3枚のシングルをリリースしてますが、「Ecstasy」のB面にデビューシングルの「Don't Want To Say Goodbye」を持ってくるなど、ちょっとした迷いも感じられます。

また、このアルバムからは共作がなくなり、エリックが4曲、デイヴが3曲、ウォリーが2曲という構成です。それぞれのリードヴォーカルは作者が務めております。

・アルバムがコケた理由

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このアルバム、変形ジャケットでして、ラズベリーパイがバスケットに収まっているような形です。再発された紙ジャケット仕様(リマスター版)のCDでも、サイズダウンしてはいますが、当時の形をそのまま再現しております。

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実に見事な型抜きで、Capitolとしても製作費を大いに使っていて、ラズベリーズへの期待度もかなりのものだったと思われます。

これ、実はレコードやCDを取り出すのに慎重さが必要でして、下手をするとジャケット自体を傷つけてしまう可能性もあるんです。もしかすると、当時の販売価格が他のLPレコードよりもちょっと高めだったりすると、ティーンエイジャーには手が出しにくい…なんて、可能性もあったかもしれません。<注:再発リマスター盤の紙ジャケット仕様CDの価格では3000円です。デビューアルバム『Raspberries』も同価格ですが、ラズベリーの香りがするステッカー入りですので、これはわかりますね。他の2枚は2600円です。>

そして、このアルバムは前の2枚と違って、とっつきにくいものだったのかもしれません。と、いうのは、「Tonight」や「Ecstasy」は「Go All The Way」~「I Wanna Be With You」の路線を踏襲してはいるものの、他の曲が明らかによりハードな曲調になっているのです。シングルとなった2曲も演奏がハード路線で、これまでの「ソフトロック」から本格的なロックへと転換したアルバムであるといえましょう。

ファンの大部分を占めていたティーンエイジャーの女子が求めるものとはだいぶずれてきたのではないかと思われます。でも、評論家筋からはおおむね好評だったようですが。

それでは、エリックが書いた曲について分析していこうと思います。

 

以前、再結成された時のversionで「Tonight」を紹介しましたので、オリジナルリマスター版でのサードシングル「Ecstasy」です。

作者はエリックで、もちろんリードヴォーカルもエリックです。この曲、「君に首ったけ」という邦題がついております。いくら何でも、原題のままではティーンエイジャーに悪影響が出るだろうと輸入元の東芝EMIが判断したのかなと思ったほどです。中学生の使う英和辞典にこの言葉があったかどうか。ない場合、親を含む年長者にきいて、きかれたほうも困る…なんてね。

もっと調べてみましたら、「歓喜」「有頂天」「無我夢中」という意味もあるので、邦題もあながち間違ってませんね。ともあれ、エリックもちょっと困ったタイトルを付けてくれたものです。これ、英語圏でも紛らわしいと思われたのではないでしょうか。

さて、曲ですが、メロディラインに関してはこれまでのエリックの曲調です。これをバックの演奏でハードロックっぽく持って行った1曲ですね。バックではウォリーのギターは常にうなっていますし、ジムのドラムもいつもに増して激しいです。アレンジはラズベリーズ名義ですが、大いにウォリーが貢献している曲ですねえ。

同じことは「Tonight」にもいえます。エリックとしてはいつもの曲を持ってきたといえますが、バンドの総論としてこの路線で行こうということなんでしょうね。

この曲のカップリングがまた「Don't Want To Say Goodbye」になったのは、「Tonight」のB面が「Hard To Get Over A Heartbreak」がデイヴの曲であること。セカンドシングルの「I'm A Rocker」のB面、「Money Down」がウォリーの曲ということで、できるだけ均等に扱おうということではないかと推測します。

 

セカンドシングル、「I'm A Rocker」です。作者、リードヴォーカルともエリックです。

この曲はアレンジも何も、元からこれまでのラズベリーズとは異なる、ハード路線で作ってきた曲といえましょう。

おそらくはこれまでのファンの大部分を占めていたと思われるティーンエイジャーの女子よりは、男性のほうに受けが良かった曲ではないかと思います。

新たなファン層を獲得したともいえますが、離れていったファンも多かったのではないかと推測しますね。

そして、最後はこちら。

 

『Side 3』のエリックの曲で、唯一シングルにならなかった、「On The Beach」です。

転調に次ぐ転調。マイナーコードからメジャーコード、そしてマイナーコードへ。

なんか日本のGSがやってそうな曲調で、解説の八木誠さんもどこか歌謡曲っぽいと書いております。

今回、ミケポスカフェでも是非ともトーマスさんに聴いてほしいと用意してきた曲でして、いかがだったでしょうか。

ともかく、これまでのラズベリーズにはない、特異な曲で、海岸に波が打ち付ける音やカモメの鳴き声も効果音として入っています。まあ、オハイオには海はないのですが、エリー湖はあります。相当でかい湖ですので、波も立つでしょうし、カモメもいるかもしれません。まあ、歌詞には「Sea」、「海」という単語が入ってはおりますが。

さて、『Side 3』ですが、デイヴの曲3曲のうち、2曲はやっぱりハードな曲。ウォリーの2曲のうち、1曲はなかなかブルージィな曲となっています。

ミケポスカフェでもアルバムを発売順にほぼ通して聴いていただきましたが、『Side 3』は明らかにこれまでのラズベリーズとは違うねという感想を頂きました。

★1か月ものブランク、すんまへん。新ブログで旅のレポートを続けていたものですので。一応、そちらもひと段落つきましたので、できれば「かすてら音楽夜話」も月2くらいのペースでアップしていきたいなと思います。もう、お分かりかと思いますが、次回もラズベリーズです。また、ご意見ご感想、お待ちしております。そうしたところから筆者にとってのいいインスピレーションが浮かぶ可能性が高いので、よろしくお願いいたします。下記のバナーもクリックよろしくです。

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2024年7月28日 (日)

ラズベリーズの光と影(2)

かすてら音楽夜話Vol.194

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ミケポスカフェでの音楽談義、ラズベリーズの2回目です。

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つうことで、セカンドアルバム『Fresh』を取り上げます。売れたということもありますが、やはり最もラズベリーズらしいアルバムです。それに、ここでファンになったということもありますし、一番好きなアルバムですね。

リリースが1972年11月。ビルボードHot200(アルバムチャート)で36位。彼らのアルバムで最も最上位にチャートインした作品となっています。

アルバムからは3枚のシングルがリリースされ、「I Wanna Be With You」(c/w「Goin' Nowhere Tonigt」)がビルボードHot100(シングルチャート)で16位。「Drivin' Around」(c/w「Might As Well」)はチャートインせず。「Let's Pretend」(c/w「Every Way I Can」)がシングルチャートで35位にチャートインしております。

また、このアルバムから担当楽器をエリックとデイヴの間で変更しました。つまり、エリックがベースからリズムギターへ。デイヴがリズムギターからベースへとなってます。

・短いスパンでのリリース

デビューアルバムが1972年の4月リリース。シングル「Go All The Way」が同年7月のリリースで、そんな短期間でフルアルバムを出せるのかという疑問。

まあ、当時はいい意味での音源の乱発。売れるものはどんどんやっちまおうという傾向があるにはあったと思います。これは邦楽アーティストの話ですが、ユーミンが半年に1枚アルバムを出していたのは、「わたしは子供がいませんが、母乳のようにあふれてくる才能を音にしている」なんて発言があったような、なかったような。

さて、このアルバムですが使用スタジオがあのThe Beatlesが使用していたロンドンのAbbey Road StudioとニューヨークのRecord Plant Studioなんです。そして、ファーストアルバム『Raspberries』はすべてアビーロードで収録されております。それだけ、Capitol側の期待も大きかったということですが、そんなに短期でロンドンに二回行くのかどうか。

個人的には、アビーロードでかなりの数を収録していて、それも次のアルバム(つまり『Fresh』)に生かすつもりがあったのではないかと思いますね。そして、曲の追加及び、より重厚さを出すためニューヨークで仕上げを行ったというところじゃないかと推測します。そうでなけりゃ、無理でしょう。

・担当楽器の変更について

エリックとデイヴの楽器交代ですが、ひとつは見栄え。やはりリードヴォーカルがセンターでギターを弾いているほうが絵になります。

実は、ラズベリーズの初期メンバーがベースで、この方が脱退後、ウォリーのギターを生かすためには、エリックがベースに回るしかないという状況で、デビューにこぎつけたのですね。もちろん、新たに加わったデイヴはリズムギターです。

とりあえず、このラインナップでデビューアルバムは収録したのもの、エリックがピアノに回るときはベースが不在となるため、再び楽器交換が行われたと推測します。

ラズベリーズはデビュー直後からアメリカのテレビ番組(ライヴ中継を含む)に出演しますが、現在YouTubeに上がっているライヴ映像では、エリックはリズムギターかピアノを担当し、デイヴがベースを担当するもののみを見ることができます。結局人前で演奏するときはこのアルバムのラインナップでやっていたと考えられます。

まあ、そうなると、『Fresh』の中の数曲はエリックがベースでデイヴがリズムギターである可能性はあるわけですが、アルバムクレジットはそこまで複雑にしたくなかったんでしょうね。

ちなみに、ラズベリーズの曲にはストリングスやパーカッション、ブラスも入っていたりしますが、このあたりの詳細なクレジットは記載されておりません。

・作者とリードヴォーカル

全10曲中エリックの作品が4曲。デイヴの作品が1曲。ウォリーの作品が1曲。エリックとデイヴの共作が4曲。

リードヴォーカルはエリックが6曲。デイヴが3曲。ウォリーが1曲となっています。

より、エリックの比重が高まっていったアルバムといえましょうか。また、デイヴの存在感も少し高まっていて、ウォリーがやや下がるという構成ですね。

アルバムからリリースされたシングルでもB面ではデイヴが2曲、ウォリーが1曲、リードヴォーカルを担当しています。

個人的には「I Wanna Be With You c/w Goin' Nowhere Tonight」のシングルを少ないお小遣いで買ったので、特にこちらには思い入れがありますね。まあ、当時は再生装置(簡易型ステレオのレコードプレイヤー)がひどかったのと、耳がまったく肥えてなかったので、エリックとデイヴの声の違いがわからなかったのですけどね。

アルバム全体としては「I Wanna Be With You」は別格として、おとなしめの曲が多いです。当時少なくとも日本では「Power Pop」という言葉はなく、ラズベリーズは「ソフトロック」なんて分類のされ方をしていましたね。まさに、ソフトロックのアルバムです。とはいえ、息の合ったコーラスは健在。

前振りが長くなりました。かつて取り上げた曲も多いので、今回はまだ取り上げていない名曲を紹介させていただきます。

 

シングルになっていない、「If You Change Your Mind」リマスター版でした。作者はエリックで、もちろんリードヴォーカルもエリックです。

こちら、エリックのソングライターとしての才能を知らしめる1曲なのではと思います。

歌詞の「♪ If you change your mind」から始まるサビのリフレイン、微妙に音を半音上げたり下げたりしておりますが、これがなんとも日本人(少なくともワタクシには)に響くメロディラインだと思います。なんつーか、心の琴線に触れるというか。いやあ、ホント、シングルにならなかったのが惜しいです。

こういうメロディ、国境や人種を超えて、あるいはジェンダーも超えて、響きませんかね。エリックの得意分野ですよね。泣きのメロディライン、それも、「大泣き」ではなくて、ちょっとだけ心が痛むみたいなね。人なら誰にでもあるようなね。

 

こちら、シングルチャートインを逃した「Drivin' Around」という曲です。作者はエリックとデイヴの共作で、リードヴォーカルはもちろんエリックです。

いやあ、モロにBeach Boys(ビーチボーイズ)風なというか、彼らをオマージュするような1曲。ラズベリーズの音楽的ルーツはかなりすそ野が広くて、ビートルズからThe Whoあたりのちょっと年長者のサウンドを少しづつ取り入れていますよね。

これ、いい意味、パクリではなく、ラズベリーズがやったPet Soundsってなところでしょうか。日本でいうならば、スペクトラムがアースをやってみたとか、BOX(杉真理、松尾清憲ら)がリバプールサウンドをやってみたみたいな…。それでも、みんなオリジナリティがありますよね。

「Drivin' Around」にはひとり低音のコーラスが入ります。実はこれより先にエリックのソロデビューアルバム『Eric Carmen』の中ジャケットの裏(輸入盤で未リマスター)に"This album is dedicated to Ricky and the Tooth"とあり、幼少期と思われるリッキーさんと通称「出っ歯」のモノクロ写真があるんです。

そして、この「Drivin' Around」のクレジットに小さく"That's teeth on bass vocal"とあるのを後日気が付きました。

んー、「出っ歯」とは誰だと思い、検索をかけてみると、エリックのチャットにたどり着き、"Jimmy Teeth Ienner"をあるのを見つけましたよ。ま、リッキーさんは誰だか分らなかったのですけど。

そんな映像も。

 

つうことで、出っ歯で低音コーラス担当はプロデューサーのジミー・アイナーであることが判明しました。ちなみに、ジミーさん、最後までラズベリーズをプロデュースした人です。

映像の最後はめちゃくちゃですけど、どうやらテレビ用に作られたドキュメントらしいです。検索かけると「Let's Pretend」でも同じスタジオでのヴォーカルとコーラスの収録風景が上がってます。

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ブレイクタイム。

「それにしても、いま世界で一生懸命ラズベリーズのこと調べているのはヒョウさんだけですね」By トーマスさん。

That's right。その通りで、話はまだまだ続きますですー。

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2024年7月22日 (月)

ラズベリーズの光と影(1)

かすてら音楽夜話Vol.193

お久しぶりでございます。

先日、またしてもミケポスカフェさんにお邪魔し、音楽談義をしてまいりました。まあ、ワタクシの一方的な思い込みをきいてもらって、そこにお相手が何らかの反応をしていただくことを繰り返して、話が深まったような強引な納得の仕方ではあるのですけど。

もちろん、お相手とはミケポスカフェのオーナーさんとトーマスさんであります。

Jp1304

今回用意したのはこれらの音源です。

前回、思いっきりJ-POPに特化したので、洋楽で行ってみます。とはいえ、そうそうレア盤はないので、今年の3月にお亡くなりになったEric Carmen(エリック・カルメン)を偲びまして、Raspberries(ラズベリーズ)がリリースした4枚のアルバムから、思い入れと思い込みたっぷりな話をさせていただきました。

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毎回ありがとうございます。ホント、お食事が美味しいです。

こちら、夏にふさわしい「フルーツ冷麺」でございます。ホンマにさっぱりしていて、麺も十分な歯ごたえがありまして、普段は食さない1品、美味しゅうございました。

ほんなら、スタートいたしましょうか。でも、その前に予備知識を。

何度か書いていますが、メンバーから。

Eric Carmen(エリック・カルメン)1949年生まれ、故人
Wally Bryson(ウォリー・ブライソン)1949年生まれ
David Smalley(デヴィッド・スモーリー)1949年生まれ
Jim Bonfanti(ジム・ボンファンティ)1948年生まれ

一応、この4名がオリジナルメンバーです。

ラズベリーズはオハイオ州クリーブランドで結成されました。その母体となるバンドがクリーブランドのローカルバンド、The Choir(ザ・クワイア)とCyrus Erie(サイラス・エリー)です。

ザ・クワイアはローカルバンドながらルーレットレコードからリリースされた「It's Cold Outside」(1966年リリース、翌年再リリース)がビルボード68位のスマッシュヒットを持ち、クリーブランドでは最も人気のあるバンドでした。このバンドに、ウォリー、デイヴ、ジムが所属していました。ただ、このバンドのリーダーが抜けるとメンバーの入れ替わりが激しくなり、まずはウォリーが脱退します。一方のエリックはザ・クワイアのオーディションを受けたとも伝えられますが、メンバーに加わることはありませんでした。

そのエリックはのちにラズベリーズのメンバーとなるMichael McBride(マイケル・マクブライド)らが結成したサイラス・エリーに加入します(1967年)。そして、サイラス・エリーにはウォーリーが加入し、地元での人気を高めていくのです。

一方のザ・クワイアはデイヴがベトナムに徴兵のため分裂状態となりサイラス・エリーがクリーブランドのナンバーワンバンドにとって代わるのです。

しかし、サイラス・エリーもウォリーが脱退し、1970年頃にエリックとジムの間で新しいバンドについての話し合いが行われ、ラズベリーズの結成に至ったのでした。ただし、デイヴはまだベトナムに行っていたため、他の人物が加わっていました。しかし、その人物が脱退しベトナムから帰国したデイヴが加わり、デビューアルバム時のラインナップになっていきます。

デビューアルバム『Raspberries』

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リリースが1972年4月10日。

2曲のシングルがこのアルバムからカットされました。すなわち、デビューシングル「Don't Want To Say Goodbye」(Eric Carmen/Wally Bryson)がビルボードHot100(以下シングルチャート)で86位。セカンドシングル「Go All The Way」(Carmen/Bryson)がシングルチャート5位。なお、Cash Boxでのシングルチャートは4位、Record Worldのシングルチャートは3位です。1972年の年間チャートが33位ということですので、相当なヒット曲であると思います。

このアルバムでは、エリックとウォリーの共作が3曲。エリックの作品が2曲。ウォリーの曲が2曲。デイヴの曲が2曲となっています。

担当楽器のクレジットは、エリックがベースとピアノ。ウォリーがリードギター。デイヴがリズムギター。ジムがドラムスとなっています。

全員がコーラスを担当し、ジム以外の3人がリードヴォーカルを務めています。エリックのリードヴォーカルが4曲。ウォーリーが2曲。デイヴが2曲。あとの1曲はエリックとウォリー、ふたりのデュエットです。それが「Don't Want To Say Goodbye」です。

・なぜ、地味な曲がデビューシングルとなったのか

 

「Don't Want To Say Goodbye」でした。

日本版再発の紙ジャケット仕様にある、八木誠さんの解説によると、リリースは1972年2月とのことで、その時の邦題は「さよならは云わないで」となっていまして、アルバムリリース時には「さよならは言わないで」と改題されていました。

つまり、アルバムリリースよりも早い先行シングルだったのですね。

ラズベリーズはオハイオのローカルバンドではありましたが、エリックがプロデューサーであるJimmy Ienner(ジミー・アイナー、あるいはジミー・イエナー)にデモテープを送り、レコード会社の争奪戦の結果、Capitol(キャピトル)からデビューするのです。

ジミーにしてみればラズベリーズを売り出す計略みたいなものがあり、まずは様子見ということで、バンドの顔であるエリックとまだ発掘されてない名ギタリストのウォリーを前面に押し出して、この曲を敢えてシングルに選んだのではないかと思われます。英語版のwikiにも記述がありましたが、当の本人たちにもまさかこの曲で行くとは思ってもみなかったようです。しかも、5分という長さで、ラジオ局で流すには不向き。そして、曲の山場はラストのギターソロに伴うデュエットですので、かなり不利なんですが。カットされることもありますし。

ちなみに、B面はデイヴの「Rock & Roll Mama」(リードヴォーカルもデイヴ)がカップリングされました。

こちらのシングルジャケットはアルバムジャケットとほぼ同じです。写真はやや不鮮明ですが、間違いなく全員をプロデュースするものであると思います。バンドとしては全員が22~24歳という若さで、ビジュアルからしてもターゲットはティーンエイジャーの女子だったはずです。

その後、アルバムがリリースされビルボードHot200(アルバムチャート)で51位となりました。ここでも、キャピトルはジャケットにラズベリーの香りの出るステッカーを貼り、売り出しに力を入れるのでした。ちなみに、日本版再発の紙ジャケット仕様CDにもステッカーが封入されています。

・計画通りにヒットするものの…

 

セカンドシングル、「Go All The Way」でした。リリースは1972年7月です。

こちら、ライヴ映像を持ってきました。なんといっても、ウォリーのギタープレイを見ていただきたいもので。

ウォリーは12弦と6弦がひとつに収まったいわゆるダブルネックのギブソンでプレイしています。デビューシングルと打って変わって、激しい曲調です。それでも中間部はエリックの得意とするバラード調で、うまく収まった1曲ですね。こちら、ラズベリーズ唯一のGold認定された曲です。

アルバムのクレジットではエリックとウォリーの共作となってますが、なぜか英語版wikiとラズベリーズ公式サイトではエリックだけの曲となっています。

個人的に考えますと、イントロとサビはウォリーが考え、中間部はエリックが作ったのではないかと思いますが。ただ、ウォリーがひとりで作った曲はそれほどハード寄りなロックではなく、結構おとなしい曲が多いのですね。ウォリーとしてはギターのフレーズに独特の味を出すという人で、これ以降の曲でも様々な自分以外に弾けないフレーズを作り出していきました。そのためのコードも考えたといいます。

そして、この曲ではこれまでのロックバンドになかった美しいコーラスも披露してます。同じアメリカのバンドで、ほぼ同時期のデビュー(それでもラズベリーズよりややデビューが遅い)であるEaglesにも近いものがあります。ですが、この頃のイーグルスはどちらかというとカントリーロックに近く、ラズベリーズのようなハードな演奏ではありませんでした。

この曲を含むラズベリーズのコーラスをお聴きになったオーナーさんとトーマスさん、「なんか似ていると思いましたが、Queenっぽいですね」とのご感想でした。「でも、クイーンのデビューは1973年」「じゃあ、クイーンが影響を受けている可能性はありますね」とのこと。確かにクイーンはコーラスに長けてますが、多重録音も使ってます。初期のラズベリーズはライヴでも全員のポジションにマイクがあるんですね。

ちなみに、こちらのカップリングはウォリーの作った「With You In My Life」(リードヴォーカルもウォリー)でした。

・キャピトルまたはジミーの戦略

 

エリックの曲でもちろんリードヴォーカルも担当する、「Waiting」でした。

その後のソロデビュー曲、「All By Myself」にも通じるようなエリックのバラードです。エリックのピアノとストリングスが入りますが、なんと、その他の楽器はなく、メンバーのコーラスもなし。

これ、バンドでありでしょうか。まあ、キャリアの長いバンドではヴォーカルの一切入らないインストナンバーがあったり、逆にヴォーカリストのみでほかのメンバーがかかわらない曲もあるでしょうが、デビューアルバムですよ。

もちろん、新人バンドでエリックが自らこれを入れようということはないと思います。おそらくは、エリックがジミーに送ったデモの中にこの曲か元になった曲があって、プロデューサーであるジミーがとりあえず録音だけしてみて、これをキャピトル側がアルバムに入れてしまったのではないかと思います。いや、入れてしまったというよりは意図的に入れた…後年のエリックのソロをもしかしたら意識していたものだったのかもしれませんね。

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さて、ここらでいったんブレイクしましょうか。

タコのサラダ…でしたよね…美味しゅうございます。

話は尽きず続編に続きます。

あー、今回だいぶ準備がかかってブランクがあいてしまいました。一応、ネタは尽きてはおりません。とはいえ、ヒントは欲しいですので、コメントやご意見ください。よろしくお願いします。また、下記のバナーもクリックお願いします。

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2024年6月18日 (火)

個性の異なるツインヴォーカル

かすてら音楽夜話Vol.192

今回は毛色の異なる二人のヴォーカリストを持つグループを取り上げました。

 

ご存じ、クリスタルキング、1979年のデビューシングル、「大都会」(作詞:田中昌之、山下美智夫、友永ゆかり 作曲:山下美智夫 編曲:船山基紀)です。

この曲は第10回世界歌謡祭のグランプリ曲であり、翌年にはオリコン1位を獲得し、6週連続1位をキープしたメガヒット曲でもありますね。ちなみに、この時期の世界歌謡祭の日本人のグランプリ曲ですが、「あんたのバラード」(第8回)、「夢想花」(第9回)と続き、受賞すれば必ずヒットするという路線上にありました。

グランプリ曲でのオリコン1位は小坂明子の「あなた」以来2組目で、110万枚の売り上げということで、ヤマハポピュラーソングコンテスト~世界歌謡祭出自の曲としては史上最高に売れたのではないでしょうか。

余談ですが、「大都会」がオリコン1位に輝いたころ(1980年2月)、わたしゃ冬合宿と称する「卒業生追い出し合宿」に参加するため、北海道の塩狩温泉というところにいたんです。その時、北海道の雪山の中でもTBSの「ザ・ベストテン」が放送されていて同期の連中の間ではクリスタルキングが話題になっていました。

ま、その頃はかなり洋楽志向で、ましてやテレビの歌謡番組に出る日本のミュージシャンはほぼ無視するような状態でしたので、この時が初のクリスタルキングでしたねえ。今思えば、もうちょっと遅い時間帯に放送されていた「夜のヒットスタジオ」とか、「サウンド・イン・S」などには松原みきもスペクトラムも出ていたんですけどねえ。

ともかく、イントロ後の「♪ああー、果てしない」の田中昌之の超ハイトーンヴォイスと、その後の「♪裏切りの言葉に」の吉崎勝正のぶっきらぼうであるような荒い感じの声との対比が強く印象に残りました。

吉崎氏のヴォーカル、低音に聴こえたものですが、今聴き返してみると、そうでもないですね。それはやはり、田中氏のハイトーンによるものが大きく、そういう印象を引きずっていたのだと思います。

続く「蜃気楼」も惜しいところで、オリコン2位。でも、16枚目のシングル「愛を取り戻せ!!」(オリコン53位)のほうが強く印象に残っているのではないでしょうか。それは、もちろん「北斗の拳」のテーマソングでもあり、チャート上は低いものの、超ロングヒットを続け、こちらもミリオン認定されていますからね。ちなみに、日本の日本レコード協会の「ゴールドディスク」認定では「着うた」も含まれるとのことです。

それにしても、個性のぶつかり合うふたりのヴォーカル、ここまでのグループやデュオはクリスタルキング以前も以降も現れていないと思いますね。

さて、クリスタルキングですが、現在は吉崎氏のソロプロジェクトで名前を使っているようです。一方の田中氏ですが、クリスタルキングからの脱退と再加入を繰り返していたようですが、事故でのどをやられ、以前のような声は出なくなっているとのこと。

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<Air Supply>

さて、世界に目を向けますと数多くのデュオまたはツインヴォーカルのバンドがあります。

その中でも個性が際立つのはオーストラリア出身のAir Supply(エア・サプライ)ではないでしょうか。

オーストラリア出身ということで、アメリカ進出は1980年頃。奇しくもクリスタルキングと活動時期が被ります。ま、ほとんど関係ないんだけど。

 

アメリカでのデビュー曲、「Lost In Love」(Graham Russell)でした。

この曲はビルボードHot100(シングルチャート)3位。なんとも無害な爽やかさが残る曲です。

ちなみに、画像の左が作者でもあるGraham Russell(グラハム・ラッセル、左利きのギター)で、右がRussell Hitchcock(ラッセル・ヒッチコック)です。どうも名前がややこしいです。

グラハム・ラッセルのほうが背が高く、中音域のパート。ラッセル・ヒッチコックは背が低く、高音のパートで、ほぼヴォーカルに専念する人のようです。

まあ、これはクリスタルキングと比べてなのでしょうが、どちらかというとハーモニーで聴かせるタイプですね。

この無害な毒をもたないグループは続く「All Out Of Love」も2位を獲得し、3曲目の「Every Women In The World」も5位。

 

そして、翌年の4曲目、「The One That You Love」(Grahamu Russell)でついに1位を獲得するのです。

この曲はほとんどの部分をラッセル・ヒッチコックが歌い、グラハム・ラッセルはコーラスとまさかのファルセットを一瞬かますというものでした。

ところで、彼らはClive Davis(クライヴ・デーヴィス)のArista(アリスタレコード)と契約し、「All Out Of Love」はグラハムとデーヴィスの共作であったり、外部発注の曲であったりもします。無害に見えるようでも戦略はしっかりとしていたということでしょうか。

その後のエア・サプライですが、アルバム『The One That You Love』からの「Sweet Dreams」と「Even The Nights Are Better」が5位を記録したのちは徐々に失速していきます。

まあ、同じようなタイプの曲で繰り返しリリースしていくのはやはり無理があったんでしょうね。やっぱ、飽きられますよ。

詳細はわからないのですが、現在はヴォーカルの二人だけのデュオに移行して細々と活動を続けているみたいです。

わたしゃ、アルバム買ったもんなあ。

近年の映像もあるのですが、ラッセル・ヒッチコック、似つかわしくないタトゥが腕などに入っておりました。んー、これだからあちらの人はようわからんです。

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2024年6月 1日 (土)

爆風スランプの40年

かすてら音楽夜話Vol.191

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5月26日の日曜日、ラオスフェスティバルが代々木公園イベント広場で行われました。

ラオスには何度か旅をしているので、当然イベントで売られている飲食物や物産には関心があるのですが、今回の目当てはこのふたりでした。そう、サンプラザ中野くん(2008年に旧芸名から「くん」を付け、改名、ヴォーカル)とパッパラー河合(ギター)です。

昨年のベトナムフェスティバルではGueenというQueenのコピーバンドの演奏を拝見させていただきました。それも貴重なんですが、かつて一世を風靡した爆風スランプのフロントマンが料金も取らないフリーコンサートをやってくれるとは。

でも、彼らはここ数年、ラオスフェスティバルには続けて出演しているようなのですね。今年の2024年にはラオスフェスティバルに加えて、6月2日(日)のベトナムフェスティバルにも出演するということなので、なんて太っ腹な人たちなんだろうと思いました。

爆風スランプのふたりと書きましたが、彼らは千葉県立東葛飾高校の同級生で大学進学後(中野氏が早稲田、河合氏が獨協)に「スーパースランプ」というバンドを組み、Eastwestというヤマハ主催のアマチュアバンドのコンテストに出場し、優秀グループ賞を獲得します。その時の最優秀グランプリを獲得した「爆風銃(バップガン)」のメンバーであったファンキー末吉(ドラムス)と江川ほーじん(ベース)と合体して爆風スランプが誕生したのです。

若かりし頃の彼らの映像があります。

 

爆風スランプはデビュー時のプロダクションが「オフィスすいか」でしたが、プロデュースを担当した新田一郎(ex.スペクトラム)の「代官山プロダクション」に移籍。映像は代官山プロダクション所属時のもので、当時所属していた天宮良とTopsも出演しています。

実はこの頃、バンドの方針を巡って社長の新田一郎と江川が対立し、結局江川はバンドを去ることになります。その江川の後任がTopsにいた和佐田達彦(バーべQ和佐田)となりました。このあたりのもめごとから爆風スランプは代官山プロダクションの親会社ともいえるアミューズに移籍することになります。

 

おなじみ、「Runner」(作詞:サンプラザ中野 作曲:Newファンキー末吉 編曲:爆風スランプ)でした。オリコンシングル6位で、かなりのロングヒット。映像はおそらく武道館公演のもので、これを最後に江川が脱退することになります。

この曲は陸上部の活動をテーマにしているものの、内実は去っていく江川の姿を中野が歌詞に反映したものといわれています。

ラオスフェスティバルのステージで、中野は「もう、30年以上皆さんの心に刷り込まれている曲」と発言していました。そのココロは「運動会で小学校1年生の時からかかっている曲」とのこと。

また、ラオスフェスティバルでは「♪走る、走る 俺たち」の部分をラオス語にして歌っておりました。ちなみに、中野氏はラオスで歌ったともいってました。河合はラオスには行ったことはないとのこと。

ベトナムフェスティバルではベトナム語でやるのでしょうかね。

 

「大きな玉ねぎの下で」(作詞:サンプラザ中野 作曲:嶋田陽一 編曲:久米大作)、オリコンシングル8位でした。

ラオスフェスティバルのセットリストでのオープニングナンバーでした。こちら、中野が窓から武道館を眺め、いつかあそこでコンサートをやりたいなと思っていたら、事務所から1年後武道館を予約したときかされ、作った曲です。

ちなみに、ラオスフェスティバルで、ちょこっとずつですが動画を撮ってきたので、よろしかったらご覧ください。結構長いです。

*映像ですが、申し立てがあり、現在閲覧できなくなってます。ご迷惑おかけしました。

実は中野氏と河合氏はこんな活動もやっています。

 

ま、実態は河合氏のソロプロジェクトみたいなものですが。

当時「王様」という人が流行らせた直訳ロックを河合氏がやってみたという感じですかね。Queenにかけて女王様。原曲を知っている人にはいたくよくわかるパロディですね。

これには続編があり、「踊る女王様」(ディスコヒット、EW&FやKCなど)「渚の女王様」(ヴェンチャーズ)の直訳ロックです。中野氏はゲストヴォーカルですかね。

ほぼ、違法アップロードですが、女王様でヒットします。

さて、爆風スランプはデビュー40周年なんだそうです。代々木の会場にも爆風スランプのTシャツを着た人たちがいて、40周年ライヴをやるそうですよ。おそらくですが、今回参加しなかった末吉氏と和佐田氏も参加するはず。ちなみに、江川氏は交通事故の後遺症のため、人前に出てくることはなさそうです。残念ですが。

こんかいわずか4曲でしたが、来年も出演してくれるならまた見に行ってもいいかな。いや、是非お願いしたいです。

なお、別館でのラオスフェスティバルの記事はこちら→「ラオスフェスティバルに行ってみた

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2024年5月16日 (木)

温故知新・Carole King

かすてら音楽夜話Vol.190

温故知新シリーズ、今回はこの人です。

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そう、Carole King(キャロル・キング)です。「King」という姓はライターネームで、出生名は異なります。

彼女は1942年生まれで、ニューヨークのブルックリンでユダヤ人の家系に誕生しました。大学でGerry Goffin(ジェリー・ゴーフィン)と出会い、妊娠しそのまま大学を中退します。ふたりは結婚し、それぞれ、社会人として働き始めますが、共同で曲を書き、夫婦のソングライターチームとしてヒット曲を提供し続けます。ちなみに、ゴーフィンもユダヤ系。エリック・カルメンもロシア移民のユダヤ系だそうで、前回のバリー・マンもそうだし、アメリカのユダヤ系、この業界には多そうですねえ。

曲作りのスタイルは、ジェリー・ゴーフィンが歌詞を書き、キャロル・キングが曲を作るというものでした。

最初の成功は1961年にThe Shirelles(シュレルズ)に提供した「Will You Love Me Tomorrow」とBobby Vee(ボビー・ヴィー)に提供した「Take Good Care Of My Baby」で、どちらもビルボードHot100(シングルチャート)の1位に輝いています。ちなみに、「Will You Love Me Tomorrow」はキング自身がセカンドアルバム『Tapestry』(邦題『つづれおり』)でセルフカバーしています。

しかし、ゴーフィン&キングの名前を世界的に知らしめたのは、この曲でしょう。

 

そう、Little Eva(リトル・エヴァ)に提供した「The Loco Motion」(1962年)ですね。この曲も当然、1位となり、そればかりか世界的にカバーされました。

同年にフランスではSylvie Vartan(シルヴィ・バルタン)、日本では伊東ゆかり。1963年にはあのThe Ventures(ベンチャーズ)までもがカバーしております。

リトル・エヴァですが、もともとはゴーフィンとキングの娘のベビーシッターだったそうで。当初、別のグループに提供するつもりで、子供をあやす歌がうまいリトル・エヴァにデモを歌わせたところ、これが抜群でそのままシングルになったとか。

映像はモノクロで不鮮明ですが、パンチの効いた歌声で、これは確実にヒットしますよね。ちなみに、この映像、あとで着色によるカラー化されたヴァージョンもYouTubeには上がっています。検索すれば、すぐに見つかります。

実は、のちにキャロル・キング自身もセルフカバーしているのですが、とてもリトル・エヴァにはかなわないという出来です。ちなみに、彼女はキャロル・キングより1歳若いのですが、2003年にお亡くなりになっています。

 

こちらは、1974年にアメリカのバンド、Grand Funk(グランドファンク)がカバーしたヴァージョンで、これまた1位を獲得しています。ビルボードによれば、Grand Funk Railroad時代を含めて、彼らの最大のヒットなんだそうです。

また、1973年には日本のゴールデンハーフが「ゴールデンハーフのロコモーション」名義でカバーしてます。こちらはかつて記事(カルトな王額カバーPart1)で取り上げてますので、気になる方はご参照ください。中古レコードでも持っております。

それにしても、同じ曲が異なるミュージシャンでそれぞれ1位を取るというのはほとんど例がないことと思います。

キングとゴーフィンは1968年に離婚し、ソングライターチームは消滅します。その直後、トリオのThe Cityをダニー・コーチマー、チャールズ・ラーキー(のち結婚)と結成しますが、アルバム1枚だけでグループは解散。

1970年にアルバム『Writer』でソロ活動を開始します(ほとんどの曲がゴーフィン・キング作)。そして、翌1971年の『Tapestry』がすごかった。このアルバムは15週連続ビルボードHot200(アルバムチャート)で1位を獲得し、約6年(306週)に渡って200位内にチャートインしたモンスター作品なんです。

先行シングル「It's Too Late」(作詞:Toni Stern)も5週、シングルチャート1位、カップリング曲の「I Feel The Earth Move」も両A面だったことから2曲がシングル1位として認定されています。

そして、James Taylor(ジェームス・テイラー)に提供した「You've Got A Friend」(邦題「きみの友達」)も『Tapestry』には収録され、テイラーのヴァージョンも1位を獲得しました。

翌年のグラミー賞では『Tapesty』が最優秀アルバム、「It's Too Late」が最優秀レコード(Record of the year、対象はアーティスト及びレコーディングにかかわった人物)、「You've Got A Friend」が最優秀楽曲(Song of the year、対象はソングライター)、キャロル・キングが最優秀女性ポップヴォーカルという4部門を受賞しました。

この4部門独占は前年のポール・サイモンの3部門(2部門はサイモン&ガーファンクル)を上回るもので、いまだにこの記録は破られておりません。ちなみに、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルもニューヨーク出身のユダヤ系です。

 

と、いうことで、「You've Got A Friend」でした。二人が共演しているという珍しいヴァージョンです。もっとも、ジェームスのアルバムでもキャロルのアルバムでもサポートし合っているのですが。

この曲も多くの人にカバーされ、日本ではピンクレディまでもがカバーしております。そして、松原みきもアルバム『Blue Eyes』(ジャズやスタンダード曲のカバーアルバム)に収録してます。

キャロル・キングのグラミー賞4部門受賞というのは自身のキャリアの最高潮なんでしょうねえ。こののち、1970年代にリリースされたアルバムはなんとか10位内をキープしていましたが、1980年代に入るとランク外も増えてきました。

とはいえ、まだまだ現役であり、1971年の奇跡のような出来事は忘れられません。

では、最後に彼女の歌声を聴いてお別れしましょう。

 

アルバム『Tapestry』収録の「(You Make Me Feel Like)A Natural Woman」、ビルボード8位でした。オリジナルはアレサ・フランクリンに提供した曲です。

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2024年5月 4日 (土)

温故知新・Barry Mann

かすてら音楽夜話Vol.189

お久しぶりでございます。

スランプとかネタ切れとかではなく、ちょっと旅に出ていたもので。ココログの容量が一杯になるまで、できれば月2回ペースで頑張っていこうと思いますので、今後とも宜しくお願いいたします。

さて、今回のネタはBarry Mann(バリー・マン)というお方。とはいえ、この方、日本語版のwikipedhiaにはページがございません。

簡単に紹介します。

1939年米国ニューヨーク生まれ。60年からプロのソングライターとして活動。同年ソロ歌手として『フー・プット・ザ・ボンプ』でデビュー。歌手では「シビレさせたのは誰」のヒットを放つが、ソングライターとして活躍する。ライチャス・ブラザーズの「ふられた気持」やアニマルズの「朝日のない街」など、60~80年代に多数のヒット曲をリンダ・ロンシュタットやドリー・パートンらに提供。代表アルバムはセルフ・リメイクの『ソウル&インスピレーション』。

2012/07/30 (2017/06/27更新) (CDジャーナル)

とのこと。

個人的にはほぼなじみがないのですが、知るきっかけになったのはこの曲でした。

 

そう、3月にお亡くなりになった、Eric Carmen(エリック・カルメン)の「On Broadway」だったのです。

こちら、1975年のソロデビューアルバム『Eric Carmen』(邦題『Sunrise』)に収録されています。

あのエリック・カルメンにしてはずいぶんと地味な曲だなと思っていたら、カバーだったのです。原曲はアメリカのアフリカ系コーラスグループ、The Drifters(ドリフターズ)の1963年のヒット曲でビルボード9位を記録しています。

作者はバリー・マンと奥さんのCynthia Weil(シンシア・ワイル)、ソングライターチームのJerry Leiber & Mike Stoller(ジェリー・レイバー&マイク・ストーラー)となっています。

エリックのカバーは比較的原曲に忠実で、持ち味であるポップな部分を敢えて抑えているような感じです。よほど、ドリフターズ、あるいはバリー・マンが好きだったと思われます。考えてみれば、1949年生まれのエリックにとっては14歳くらいの時で、クラッシックを勉強しながらも通俗的なこの曲にも惹かれつつあったことが想像できます。

その他、エリックにはFour Tops(フォートップス)がリリースした「Baby I Need Your Loving」という曲のカバーもあるので、多感な時代に影響を受けたものに、リスペクトがあるのだと思いますね。

さて、「On Broadway」ですが、さらにはNeil Young(ニール・ヤング)もアルバム『Freedom』(1989年)でカバーしてます。

 

より、ロック色の強いヴァージョンですね。

さすがは、ニール・ヤング、クラシックなアメリカの定番曲を見事に自分のものにしております。ちなみに、彼はカナダ人ですけど。

個人的に『Eric Carmen』と『Freedom』のふたつのアルバムを持っていたので、「On Broadway」はちょっと気になっていたのです。

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「On Broadway」を最も商業的に成功させたのは、この人、George Benson(ジョージ・ベンソン)でしょうか。

ベンソンはもともとはジャズ・フュージョン系のギタリストでしたが、ヴォーカルもイケるということで、70年代後半のフュージョンブームに乗って続々とアルバム・シングルをリリースします。

 

1978年のライヴアルバム『Weekend In L.A.』からのシングルカットで、ビルボード7位。リズム&ブルースのチャートでは2位を記録しました。ライヴのテイクがヒットしたというのはPeter Frampton(ピーター・フランプトン)の「Show Me The Way」(1976年、6位)以来でしょうかね。

ちなみに、現在のベンソンは顔も身体も2倍くらいに膨れ上がってます。フランプトンも髪の毛が後退してしまって…。ま、半世紀近く前の出来事ですから、仕方ないことなのかも。ま、エリック以外、みなさんご健在なのは何よりです。もちろん、バリー・マンも。

様々な「On Broadway」。これは、曲の素材が良いということで、どうにでも料理できるということでしょう。

「On Broadway」は『Eric Carmen』も『Freedom』も、リリースからだいぶ経ってから購入したのですが、すでにワタクシの琴線に触れていたバリー・マンの曲がありました。こちらです。

 

Daryl Hall & John Oates(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)の「You've Lost That Lovin' Feeling」(邦題「ふられた気持ち」)でした。

こちら、1980年のアルバム『Voices』(邦題『モダン・ヴォイス』)収録で、アルバムからの2曲目のシングルカットで、ビルボード12位を記録しております。

ちょうどこの頃、ホール&オーツにはまっておりまして、当然ながらヴァイナルのLPを購入いたしました。

曲の作者はバリー・マンとシンシア・ワイル、そしてPhil Spector(フィル・スペクター)となっています。オリジナルはThe Righteous Brothers(ライチャス・ブラザース)の1964年のシングルで、見事にビルボード1位を獲得しています。

クレジット関連ではフィル・スペクターの名前が加わってますが、彼がプロデュースした作品にはほぼ名前が載るので、本当にソングライティングの力があるのかはやや疑問が残ります。

さて、バリー・マンですが、1939年生まれで、今もご健在。ニューヨーク生まれで、ユダヤ系だそうです。奥さんのシンシア・ワイルは昨年お亡くなりになったそうです。

このように思わぬ形で曲が見つかることもあり、今後もクレジット関連はきちんと見ていくことと思います。

さて、温故知新シリーズ、主にカバー曲が多くなると思いますが、続編も考えております。

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