カテゴリー「01d China」の17件の記事

2021年4月30日 (金)

ついに高山病の症状が出た

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(9)

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<沱沱河沿の食堂>P-30/SMC A28mm

悪夢のような一夜が明けました。眠れるのかと思いましたが、疲れていて適度な睡眠は取れたようです。前日の夕食もこの建物で済ませましたが、ツアー一行が入ると、キャパシティが足りないようで、ガイドの李さんと陳さんが手伝うような状態です。

味がどうこうの問題ではなく、栄養補給といった状態です。それでも、ここには卵がありました。

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<長江第一橋>P-30/SMC A28mm

この、沱沱河沿は長江の最上流部にあたり、ここより上流には橋がないことから「長江第一橋」がかかってました。

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<この日のバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドからのガイドは昨日で終わり、この日からは尹さんという漢民族の男性がガイドとなります。この人が結構な曲者だったのですが。

そして、バスも交代です。三菱製ではありますがいつ製造されたのかわからないオンボロぶりです。そして、暖房が入らず、車内でもモコモコに着込むことになりましたが、馬力はあるので距離は稼げました。

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<雁石坪の住人>P-30/SMC A28mm

バスが最初に止まったのは雁石坪というところで、チベット族のテントがありました。近くにはヤクの糞が乾かされていました。

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<長江>P-30/SMC A28mm

このあたりは標高4500メートルあたりをキープしてました。チベット高原のちょうど真ん中くらいで、平原状態です。長江の最上流部もこの程度の幅がありました。

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<絶景>P-30/SMC A28mm

この日は太陽が昇ってからは天気が良く、車窓も飽きません。

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<事故現場>P-30/SMC A28mm

しかし、こういう場面は結構目撃しました。

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<唐古拉山口>P-30/SMC A28mm

それほどの山道を登ってきた感じはなかったのですが、なだらかな上り坂がずっと続いていたのでしょうか。唐古拉山口に到着しました。標高5231メートルと、この旅での最高地点となります。あとは下るのみ。山を越したかもしれません。

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<唐古拉山>P-30/SMC A50mm

この山も軽く7000メートルくらいあるのかもしれません。

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<アムドの食堂>P-30/SMC A28mm

バスは一気に高度を下げてアムド(安多)の町に入りました。ここで昼食です。

店は尹さんが「衛生状態のいい店をわたしが選びます」といい、見つけたのが四川料理の店です。ということは彼の嗜好が反映されるということで、この後一切、ムスリムの店には寄り付かなかったのでした。

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<昼食>P-30/SMC A28mm

ここは標高3900メートルということで、普段とあまり変わらない内容の麺料理とヤク肉のおかずですが、火の通りもよくなったのか味は良かったです。

標高も下がったということで、社長がビールを注文しました。しかしこの後再び、4000メートル台に復帰し、社長の体調は悪化しました。彼はこの後、チベット自治区を離れるまで一切のアルコール類を口にしませんでした。

メンバーの中にはすっかり体調が悪くなり、食事にも出てこずにバスで休む人も出始めました。

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<チベットの空>P-30/SMC A28mm

この後は快調に飛ばし、ナチュ(那曲)には18:00という明るい時間に到着しました。これも、オンボロだがエンジンの調子のいいバスのおかげかも。

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<今夜の宿>P-30/SMC A28mm

同室のHさんとほとんど何もないナチュの町歩きをしたところ、今度はこちらが体調悪化です。軽い頭痛が続きました。Hさんも同じだといいます。

夕食は食べに行ったものの、明らかに不味く体調も関係するのかもしれません。

近くのテーブルに西洋人のグループがいましたが、彼らは盛大に飲み食いし、生ぬるいビールもがぶ飲みしておりました。これは体格の差なのか、奴らが鈍感なのか。

部屋ではHさんともどもゴロゴロと横になったままで、カロリーメイトなどを齧りながら、そのまま眠ることとなりました。このホテルもお湯が出ず、入浴はしませんでした。

続きます。

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2021年4月23日 (金)

最高地点更新中

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(8)

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<新しいバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドでは食事はホテルではなく近くの食堂で出されました。食事を終えてホテルに戻ると、大型のバスが止まっていました。

チベット族のローカルガイド、呉さんは前日で終了し、この日からは童(トン)さんというローカルガイドが同行することになります。ガイドとドライバー、バスはセットなので、乗り物も変わりました。

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<荒涼とした風景は続く>P-30/SMC A50mm

バスは大型化しましたが、いかんせん中国製のバスで、座席の間が狭くシートも小さめでした。とはいえ、マイクロバスのようにすし詰めではなくなり、ひとりがワンボックスを使えるようになりました。正しい姿勢で座るというよりも、かなり崩したような格好で座れば、少しはリラックスできる感じです。

そして、このバスには窓に黒いフィルムが貼ってありました。当時日本では高級車を中心にして、ウィンドウに黒いフィルムを貼って乗員のプライバシーを守るという「流行り」があったのですが、これをそっくりオンボロバスでも真似たのです。

ちょっとした余談です。窓のフィルムや濃い色のガラスはサングラスと一緒で、夜は安全を保障できないというものでした。すなわち危険なのです。それに、フィルムを貼ると、プロにでも任せない限り気泡ができてしまい、非常にイケてないのです。

現在の安全基準では濃い色のガラスは乗用車の場合、後部ドアのウィンドウとリアガラスのみとされています。それに、色は濃く見えるものの、ドライバーからは夜でも見える程度に濃さが抑えられているのです。

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<長江上流部>P-30/SMC A50mm

この日は青海省とチベット自治区の省境あたりまで行く予定です。つまり、ようやくチベット高原に入っていくわけです。

ゴルムドからはしばらく、なだらかな登り道が続きます。

中国製バスは窓にフィルムも貼ってあって見た目は新しそうなのですが、勾配のきつい坂に差し掛かると、めっきりとスピードを落とし、平坦な道で追い抜いて行った何十年も前に生産されたいすゞ製ボンネットトラックに、どんどん抜かれていくという次第でした。

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<泉>P-30/SMC A28mm

1時間おきくらいに休憩を取りました。このあたりになると町はずれも何もなく、滅多に人家などはないので、どこでもよかったのですが。

何度目かの休憩では工場のようなところにバスが止まりました。そこは、水の湧くところで、その水をボトル詰めしてミネラルウォーターを生産しているのでした。ここで、我々はミネラルウォーターのペットボトルを分けてもらいました。

バスには助手が同乗していましたが、ドライバーともどもいかにも昔の典型的な中国人でした。すなわち、ヒマワリの種などを食べ散らかし、そのゴミやペットボトルを窓から平気で捨てたりしてました。そして、大声の会話。

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<崑崙山の麓>P-30/SMC A28mm

やがて、崑崙山が見えてきてその手前で昼食タイムとなりました。

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<定番の昼食>P-30/SMC A28mm

またしてもイスラム食堂に入ります。出てきたものは、前日同様の三泡台と乾麺らしきものを茹でたものです。すでに標高は富士山を超え、高度計によると3950メートルになります。このくらいになると、水の沸点も低くなり乾麺が完璧に煮込まれていないような状態になります。それでも、米を炊くよりはいいのではないでしょうか。

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<調理場>P-30/SMC A28mm

調理場をのぞくと特殊なものを使用していました。ここではガスではなく灯油のコンロが使用されていました。都市ガスはもちろんプロパンガスのボンベも配達できないようなところだからでしょう。

灯油のコンロから中華料理を作るような高い熱量を引き出すために、ふいごのようなものを使って灯油を噴出させる道具が使われていたのです。それ自体は問題ありませんが、厨房だけでなく食事をするテーブル付近まで灯油の匂いが充満しているのです。気分も悪くなってくるので、お茶と丼を持ち外で食べるという始末でした。

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<かすかに見える氷河>P-30/SMC A50mm

このあたりから天気はめまぐるしく変化します。崑崙山を観察すると小さな氷河の末端が見えました。ただし、見えたのはこのあたりだけでした。

これから通っていくルートは「青蔵公路」と呼ばれます。中国が国の威信をかけて通したルートですね。

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<崑崙山口>P-30/SMC A28mm

先ほどの食堂から上り詰めたところが崑崙山口になります。「山口」というのが「峠」の意味になります。ここは標高4676メートル。風が吹きすさび、目も開けられないような具合です。

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<道班の集団>P-30/SMC A28mm

この青蔵公路には道路補修をする労働者が働いています。道沿いに飯場のような仮住まいを建て、そこで生活しながら道路を直していくのです。ここで、我々の中では「社長」と呼ばれるSさんがポラロイド写真をあげたようです。

その後、走っていくところどころで道班の労働者に出会うのですが、我々のバスには当時30代の女性が乗っていて、その姿をウィンドウ越しに見た彼らは「ヒューッ」という歓声をあげていました。まるで強制労働のようですがもしかしたら実際に罪を犯し、ここで働かされている集団なのかもしれません。

青蔵公路は陸路でチベットに物資を運ぶ唯一のルートで、荷物満載のトラックが通ることと、雪や道路凍結などで一般の道よりも痛みが激しいはずです。

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<風火山口>P-30/SMC A28mm

天気はめまぐるしく変化し、雪までちらつく始末です。ちなみに、この日の服装は下着もシャツも長袖で、さらにセーターを着こんで、一番上にスキー用のジャケットを用意しました。

さすがに上着は必要ないだろうと思いましたが、風が冷たくバスから出るときには羽織りました。

崑崙山口から数時間。風火山口に到着しました。標高5010メートルと一気に5000メートル越えです。実はこの峠はツアーの概要には記載がなく、びっくりしました。やはり風が強く、少々頭痛もしました。

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<青いケシ>P-30/SMC A28mm

しかし、こんなところにも植物が咲くのでした。さすがに、まばらでしたけど。

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<同室のHさん>P-30/SMC A28mm

それから数時間。すでに外は真っ暗です。絶望感がバスを支配するころ、町明かりが見えました。

本日の滞在場所である、沱沱河沿(トートーホーヤン)でした。到着したのは、交通旅社と呼ばれる簡易型の宿舎です。建物内にトイレはなく、外のトイレを使うことになります。もちろん、バスタブもシャワーもなしです。洗面所さえないというところで、部屋にはホーロー製の洗面器が置いてありました。

床はたたきの土間で、ベッドは鉄パイプ製で薄っぺらな布団と夏掛けのみ。机は物置と化しました。

部屋の電気を消すところがわからず、つけたまま眠ります。さらに、ありったけの服を着たまま眠りました。

さらには夜中に怒鳴りあう中国語とガラスの割れる音がきこえてきた次第です。

ここがこれまでで泊まった最悪の場所ですね。

続きます。

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2021年4月15日 (木)

清真食堂

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(7)

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<閑散としたホテル周辺>P-30/SMC A28mm

チャカは塩湖があるだけの町でまさに泊まるだけ。人口も少なそうでした。

この日はゴルムド(格爾木)まで行きます。ゴルムドは内陸にありますが、石油が出るため近年発展してきた新興都市となります。しかし、その道中は半砂漠のステップの中をひたすら移動するのみでした。

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<ラクダ>P-30/SMC A28mm

出発してすぐに道をラクダがふさいでました。これでも、飼育されたものだそうです。ラクダというとアラビアのイメージがありますが、こちらのフタコブラクダは中央アジアに多く生息しているそうです。

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<典型的なステップ>P-30/SMC A28mm

マイクロバスは淡々と進んでいきます。すると、バスの後方から「トイレ」の声が上がりました。

参加者の一人が高山病に効くという利尿剤を服用してしまったようで、ものすごくトイレに行きたかったようです。

これ以降、我々のトイレ休憩は町はずれの場所を選び、男女に分かれてバスからかなり離れたり、ちょっとした物陰のあるような地形の場所をトイレとすることになりました。

なんといってもまだ人民トイレの時代です。青海省のこの辺りではいまだにそんなトイレが健在なのではないでしょうか。

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<川も出現>P-30/SMC A28mm

ただひたすら走っているだけでしたが、車窓は変化があって飽きませんでした。

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<イスラム食堂>P-30/SMC A50mm

昼食時間になりました。到着したのはツーラン(都蘭)という町です。

世界共通の三日月のマークはムスリムのためのハラル食を出す食堂の意味になります。文字では中国では「清真」となりますね。

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<三泡台>P-30/SMC A28mm

このような小さな食堂なので、いきなり10数名の集団が現れると大変です。果たしてローカルガイドの呉さんが予約を取っていたかは不明ですが、携帯電話さえない時代で、この後も店を選んで適当に昼食とすることが当たり前だったので、行き当たりばったりだったと思われます。

我々の前に置かれたのは蓋つきの茶碗で、三泡台というお茶でした。お茶のほかに木の実や氷砂糖が入るもので、蓋をずらしてその隙間から飲むことになります。お茶がなくなると湯を継ぎ足してもらえます。そのたびに味が変わっていきます。

お茶というよりは梅干しのような木の実の味がしました。決して不味くはありません。

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<調理中>P-30/SMC A28mm

暇なので厨房を覗きます。うどんのような麺を指ではじいて湯に投入するタイプの麺料理です。

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<従業員>P-30/SMC A28mm

従業員総出で調理中のようでした。従業員は見たところ漢族と変わりなく、回族のようです。

思えばこのころの中国はかなり素朴で、日本人だからどうこうわだかまりもなく、非常に友好的でした。

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<ヤク肉の麺>P-30/SMC A28mm

麺が出来上がりました。ヤクの肉が使われていました。味はそれほど牛肉と変わりません。それにしても素朴な味です。

おかずは野菜のみ。軽く下味をつけて炒めたもののようです。非常に簡素な食事ですが、ハードな道のりではこれで十分です。

また、割り箸が使われていました。現在地球環境のことがなにかと話題になりますが、中国は肝炎が多いので、使い捨ての箸というものはそれを防ぐ上で有効なのです。

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<砂漠>P-30/SMC A50mm

昼食後は再び移動するのみです。今度は荒涼とした砂漠も現れました。

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<水が氾濫>P-30/SMC A28mm

と思えば、川が道路まで迫り、水のあふれているような箇所も現れます。実に変化に富んでいます。

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<中国将棋>P-30/SMC A28mm

こういうことを繰り返し、次のオアシスの村で休憩しました。ま、休憩といっても店などないので、そのあたりを歩いたりするくらいですが。また、長時間バスに乗っていてバスの振動から解放されることをありがたく思う程度ですかね。

そこでは中国将棋が行われていました。見入るガイドたちですが、現地のプレイヤーは見事に人民服姿です。

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<格爾木賓館>P-30/SMC A28mm

こんなことを繰り返しつつ、ゴルムドに到着しました。この日の宿です。ここはお湯が出た(それでも時間制)ので、2日ぶりとなる入浴ができました。

今なら、水でもシャワーを浴びちゃうと思いますが。

続きます。

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2021年4月10日 (土)

白い世界

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(6)

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<象皮山>P-30/SMC A28mm

青海湖や鳥島から本来のルートに戻り、昼食。ローカルガイドの呉さんだけは白酒(パイジュー、蒸留酒)をみんなに振舞おうとしていましたが、ほぼひとりで小瓶を飲んでおりました。平坦に見えるルートですが、標高は平均で3000メートルくらいになるので、酒に強そうな男性も自粛しているような状態でした。

食後、マイクロバスは象皮山というちょっとした峠に差し掛かります。「象皮」とはプラスティックのことだそうですが。

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<工事中>P-30/SMC A28mm

しかし、道は工事中でした。しばらくの立ち往生。時に通りかかるトラックはボンネットのある日本のISUZU製でした。当時もすごく懐かしいトラックだと思ってましたが、さらに20数年たっても、タイではこのタイプが現役なのでした。

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<少数民族と>P-30/SMC A28mm

ようやく道が通れるようになり、象皮山の頂上付近で民族衣装の親子が道端に立っておりました。なんでも、ヒッチハイクでどこかに出ようとしているようです。近くにはテントもあり、ここで放牧でもしているようです。

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<茶卡賓館>P-30/SMC A28mm

下り道になり、現れたのが茶卡(チャカ)という町でした。ここの茶卡賓館がこの日の宿です(*機種依存文字が入ってますので、以降は「チャカ」と表記いたします)。

やれやれ、終わったねと、同室のHさんと話していると、まだ観光があると呼びに来ます。お互いひどく疲れていたようです。

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<採塩所>P-30/SMC A28mm

マイクロバスが向かったのはチャカ塩湖でした。

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<トロッコで移動>P-30/SMC A28mm

この塩湖は塩分濃度が非常に強く、水中に生物がいません。青海湖も塩湖でしたが、湟魚という魚が生息していて、その料理は名物になるほどでしたが。

それでも塩湖まではやや距離があり、採塩用のトロッコに乗って移動します。我々と違う団体が前の車両に乗ります。きいてみると、香港から来たとのことでした。

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<チャカ塩湖>P-30/SMC A28mm

空気が奇麗なせいもあり、水が青く見えます。しかし、風はあるのに、波立たない感じです。

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<塩の結晶>P-30/SMC A28mm

トロッコの線路は湖の中央付近まで伸びていました。岸に近いところでは水が白く見えます。このあたりで早くも結晶になっているようでした。

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<水没した線路>P-30/SMC A28mm

線路の先端部はすでに水没していました。まあ、そんなに頑張らなくとも岸の部分で十分な塩が採れるはずです。

このあと、トロッコで戻りました。香港の団体とは手を振って別れましたが、そのあとは見かけることがありませんでした。いったいどこに泊まっていたのでしょうかね。

続きます。

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2021年4月 6日 (火)

青海湖

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(5)

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<日月山>P-30/SMC A50mm

湟中から湟源に立ち寄り、スイカを仕入れます。この道中はミネラルウォーターを販売しているようなところがないので、水分補給用も兼ねての買い物です。

さらに進むと次第に標高が上がってきます。ちなみに、このたびに備えたものではありませんでしたが高度計付きの腕時計をしていました。のちに、それでは計測できない高さにも到達することになるのですが。こちらの標高は約3500メートル。日月山というところです。

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<日亭>P-30/SMC A50mm

ここは2つの丘にそれぞれ祠のようなものがあり、唐の時代、文成公主という唐の皇女が吐蕃(当時チベットにあった統一王国)のソンツェン・ガンポ王に嫁ぐためにこの道を通り、ここで中国風の風俗を改め持っていた鏡を割ったという伝説のある場所でした。

ともかく、ここ以降は伝統的な中国風の建物はなくなっていきました。

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<ヤクの群れ>P-30/SMC A50mm

途中放牧されたヤクが道をふさいでいてしばらく立ち往生です。ただし、野生種ではなく家畜として飼われているものです。いよいよ、チベット世界に入ってきた感じです。

標高は徐々に下がります。このツアーでは、高山病を防ぐためアップダウンのあるルートを選んでいるとのことでした。

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<青海湖>P-30/SMC A50mm

道はアップダウンのない平坦なところになりました。道沿いに見えるのは中国最大の塩湖である清海湖です。

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<この日の宿>P-30/SMC A28mm

到着したのは共和という町でした。清海湖帳房賓館というところです。「帳房」とはチベット族のテントのことですが、さすがに客室はテントの形をしたコテージになってました。

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<チベット族のショー>P-30/SMC A50mm

夕食後、チベット族の踊りを見ないかとホテル側から提案を受けました。個人的には前日からの腹痛と腹具合が悪く、できるだけ消化のいいものを食べてさっさと休みたかったのですが、交渉の結果15元のところ10元でいいことになったのでお付き合いしました。

なお、このショーが用意されたのは我々以外にEC(当時まだEUは成立してませんでした)からの視察団とそれを案内する中国共産党の下級幹部がここに泊まっていたからです。ショーの踊り手は全員ホテルの従業員でした。

それが終わり部屋に引き上げましたが、ドアの内鍵がなく(鍵は従業員によって開けられます)、ランプ類も玉切れしていました。バスルームもあるのですが、お湯は出ませんでした。

これは、お湯の供給をEC視察団にすべて回したことが考えられます。ランプ類もそちらに回したのでしょう。

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<清海湖畔>P-30/SMC A28mm

翌朝、清海湖畔へ。さすがに波もたつ大きな湖です。

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<鳥島>P-30/SMC A50mm

清海湖にはインドあたりから渡り鳥が飛来していてその鳥のコロニーが「鳥島」と名付けられています。もっとも、この時期はほとんど鳥がいませんでしたが。

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<傍若無人な連中>P-30/SMC A50mm

その鳥島付近は鉄柵と有刺鉄線で奥に入っていけないようにしてあるのですが、我々がおとなしくその前で鳥のいない鳥島を眺めていると、無人のはずの湖岸方面からがやがやとやってくる一団がありました。

よく見ると、前夜一緒だったEC視察団と付き添いの共産党諸氏だったのです。うーん、なんだかな。

続きます。

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2021年4月 1日 (木)

チベット世界の入口

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(4)

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<マイクロバス>P-30/SMC A28mm

ツアー3日目。この日から陸路でラサを目指すことになります。移動はすべてバスです。

この場合、現地ガイド(日本語ガイド)とドライバー、バスがセットになります。西寧からはTOYOTA COASTERというマイクロバスで、最終的にゴルムド(格爾木)まで行くことになります。この日は青海湖の共和という町まで行きます。

10名ちょっとという小規模なツアーでしたが、マイクロバスは荷物の収容場所がバスの後部座席を使い、なおかつ中国側の人間も加わるため、補助席も使用することになりました。

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<クンプム寺>P-30/SMC A50mm

西寧はものすごい豪雨でその中をチベット寺院のある湟中に向かいます。ここはチベット仏教最大の宗派、ゲルク派の宗祖、ツォンパカの出身地です。ここにあるクンプム寺(中国名、塔爾寺<タール寺>)は面積では中国最大のチベット仏教寺院なのでした。

雨は小やみになりかけていて、ぬかるみの道を徒歩で寺院に向かいました。

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<マニ車>P-30/SMC A50mm

内部は撮影禁止といわれ、建物を中心に撮っていきますが雨のため枚数は少なくなります。ここで人生初めてマニ車に遭遇することになりました。

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<お経の印刷>P-30/SMC A28mm

唯一屋内で撮れた写真ですが、これはポラロイド写真を進呈したので可能になりました。そこで刷られたお経もいただくことができました。まあ、印刷といっても版木に墨をつけてという版画のような感じです。これをずっと繰り返す単純作業ですね。

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<馬に乗る現地の人民>P-30/SMC A28mm

戻りは雨がやみました。それほど観光に時間をかけたわけではないのですが、この湟中で昼食となります。

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<手作業の鍋づくり>P-30/SMC P28mm

寺院の門前町になりますかね。いろいろな店がありました。カメラを向けるとこの有様です。

中国人というと写真好きというのが定番ですが、田舎に行くと赤の他人に写真なんか撮られたくないという人は結構います。

続きます。

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2021年3月29日 (月)

西寧のモスクと道教寺院

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(3)

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<青海賓館>P-30/SMC A28mm

空港からのバスはそのまま西寧市内を進みました。空港の雰囲気からするととんでもない田舎という感じがしましたが、市の中心部に近づくと高層ビルもちらほら出現しました。

この日泊まる青海賓館に到着し、昼食を取ってそのままチェックインしました。このホテルはできてから間もないとのことですが、夕食後に部屋にいると、天井や壁がめくれあがっている個所もありました。すでにできてから10年は経ってますという雰囲気でした。

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<回族の女性>P-30/SMC A50mm

昼食後観光に向かいます。バスの車窓からは白い帽子を被った回族が目立ちました。

回族とは唐から元の時代に渡来したアラブ・ペルシャ系のムスリムと彼らと通婚した漢民族にあるといわれます。ムスリムと結婚する場合、非ムスリムは改宗する必要があります。長い年月の間に中東風の風貌は失われ、見た目は漢民族と変わりません。言語も中国語を話します。

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<東関清真大寺>P-30/SMC A28mm

最初に向かったのはこちら。中国語で「清真」というのはイスラムのことです。つまりはモスクですね。

建築は中華風ですね。これまで抱いていたモスクのイメージが覆されます。マラッカなどにある中国風のモスクと出会うのはずっと後になりますが。

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<内部の絨毯>P-30/SMC A28mm

こちらはモスク内の祈りのスペースです。建物内には入ることができないのですが、一部が開いていて覗くことができました。ひとつ前の画像の中庭にも白線で区切られたスペースが確認できますが、そちらも中に入ることができなかった人のための祈りのスペースです。

それにしてもこれほどの人が集まるのでしょうか。当時は旧ソ連ほど宗教に対する弾圧はあまり感じられませんでした。でも、社会主義国の宗教観は変化しますね。

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<回族と会話>P-30/SMC A28mm

こちらは中国語を学んでいるメンバーがモスクにいた回族と話し込んでいるところです。回族は男性ばかりでした。

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<北禅寺>P-30/SMC A28mm

続いて向かったのが北山にある道教寺院、北禅寺でした。

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<断崖の寺院>P-30/SMC A28mm

ひとつ前の画像で見えていたのはほんの入口で、目指すのはこのような断崖に建つところです。かなりの急勾配です。

これをひいひいいって登りきると、道士のおばさんがまちかまえていました。我々が写真を撮ろうとすると声を上げて注意するのでした。

しかし、ここで威力を発揮したのがポラロイド写真でした。メンバー中2名がポラロイドカメラを持参していました。その場で、おばさんを撮ってインスタント写真を進呈するとおばさんの表情が和み、その後の撮影についても問題なくなったほどです。

ポラロイドはその後もたびたび威力を発揮したものです。これは今でも外国人と仲良くなる手段のひとつですよね。

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<スパイス売り場>P-30/SMC A28mm

その後、水井巷市場で自由時間となりました。各自でぶらつきます。ですが、カメラで撮影をしまくる人物は怪しげに思われたのでしょうか。ワタクシには公安がやってきて質問をされそうになりましたが、唯一話せる文章の「我是日本人」とつぶやくと公安は離れていきました。

今なら、しっかりとパスポートチェックをしたはずです。

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<少年隊のポスター>P-30/SMC A28mm

市場の外れくらいに理髪店があり、窓にはポスターが貼られていました。よく見ると「少年隊」でした。すでに「仮面舞踏会」のデビューからはだいぶ経っていて、この時期はジャニーズのタレントがやや低調な時期でしたが。それにしても、香港経由あたりで流れてきたものでしょうかね。

続きます。

今日のナニコレ

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<ぽっぽ町田>PowerShot

先週ようやく確定申告を提出いたしました。我が管内は税務署じゃなくてここで行います。

郵送でもよかったんですが、直接行ってみましたよ。LINEアプリで予約を取りますが、それなしでも大丈夫みたいでした。来年はもっと早くやるかな。

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2021年3月26日 (金)

飛行機を見に来た人民たち

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(2)

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<北京首都空港再び>P-30/SMC A28mm

2日目。朝食後、西寧へ飛ぶため北京首都空港に移動しました。搭乗したのはこの機体で尾翼部分にエンジンのあるツポレフ(旧ソ連製)です。

これまで、中国国内は中国民航(正式には中国民用航空局、現在の中国国際航空)が中国国内外の航空業務を担ってきたのですが、民営分割化が行われました。wikiによれば、それは1987年ということになってますが、1987年と1988年に訪れた際にはすべての便がコードネーム「CA」のままでしたので、それ以降に運用されたと思われます。

今回西寧に向かう便は中国西北航空(コードネームWH)でした。なお、その後この会社は2002年に中国東方航空に統合されました。

中国も写真撮影の制限は旧ソ連同様あるはずですが、これまで空港内であっても咎められたことがありませんでした。しかし、この写真を撮っていると空港職員が声を荒らげます。幸いフィルム没収ということはありませんでしたが。

ま、それでも様々な規制はあるのかないのかといった感じで、とても緩やかに思いました。厳しくなってきたのは21世紀に入ってからでしょう。

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<黄河かも>P-30/SMC A50mm

今回飛ぶ西寧は青海省の省都になります。標高は2000メートルほど。最終的目的地のラサは富士山と同じくらいですが、途中のチベット高原では5000メートルを越す峠が2か所あり、宿泊地も4000メートル越えとなります。

アップダウンはあるものの、この西寧から徐々に高度に慣らしていくということになります。

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<西寧に近づく>P-30/SMC A50mm

北京を経ってからは見える景色は一面の雲海ばかりでしたが、西寧近くになり山が見え始めました。ちなみに左の窓側でしたので、撮ることができました。

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<西寧に到着>P-30/SMC A50mm

西寧に到着しました。すると空港に隣接するちょっとした丘に人民が鈴なりになってます。滑走路を飛行機が移動中も人民は飛行機の進行方向にぞろぞろと移動しました。

西寧の空港は改修が行われたばかりで、それまでは短い滑走路しかなかったためにプロペラ機しか発着できなかったそうです。改修によってジェット機もやってくるようになったので、こうして暇な人たちが見に来るようになったそうです。

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<現地ガイドと>P-30/SMC A28mm

我々は北京でスルーガイドの李さん(右から2人目)と一緒になりました。全行程一緒になります。

そして、西寧の空港で我々を待っていたのが呉さん(右)でした。呉さんはチベット族でなんと「地球の歩き方」を携帯していました。チベット族ではありますが民族衣装は着用していないので、一見田舎の中国人とあまり変わりません。

一番左の人物は中国国際旅行社(CITS)が派遣してきた監視役の陳さんです。監視役というのは、チベットという微妙なところを陸路で訪れるからでしょう。しかも、当時は外国人がこのルートを使うのは許可されていなかったためです。

陳さんは、空港到着時にはまだ来てなくて、この翌日から合流することになります。陳さんだけが日本語を話せず、本職は英語のガイドです。でも、しっかりとカメラを持ってきていました。彼も観光気分なのでした。

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2021年3月22日 (月)

陸路でチベット

西寧~ラサ、高山病と戦う旅からのエピソード(1)

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<様々な仏陀>K-7/FA35mm*イメージです

旅ネタが尽きておりますので、予告通りチベットについて連載いたします。

前提として

・前回の旧ソ連ウズベク共和国の旅から6年ほど経過しております。旅のテクニックはついてきましたが、相変わらず自分で手配して渡航するよりも、いかにして秘境を回るかということに主眼を置いておりました。したがって今回もツアーでございます。

・とはいえ、このツアーは大手旅行会社の主催によるものではなく、かつて参加した新疆ウイグル自治区のツアーで中国にはまってしまった参加者の企画を実現したものです。その方が旅行を重ねて人脈を築き、中国を専門とする添乗員を起用し、中国好きのメンバーに声をかけて実現したものでした。このツアー後も同様のツアーが数回組まれ、自分も4回ほど参加することになりました。

・またもや「昭和」に近い、1990年代初頭の時代ですので、当然ながらスマホはおろか携帯電話もデジカメもない時代のことです。

・また、カメラは一眼レフ1台にレンズ2本という体制です。幸いフィルムはフジのリバーサル10本とコダックのリバーサル6本、コダックのネガカラー1本(こちらは現地購入かもしれません)で、かなり枚数は増えました。今回も惜しんで撮りましたが、天気が良かったので使える写真は多いです。食事はほとんど撮ってませんが。また、カメラはオートフォーカスではなく、自分でピントを合わせる機種でした。この旅で、同室となった方がオートフォーカスのEOSを使用していて、それに触発されて帰国後オートフォーカス一眼レフを購入しました。

・知り合いも多いので登場人物は仮名にいたします。

・移動は北京-西寧とラサー成都、成都ー上海のみ航空機で、あとはすべてバスでした。

・ブログのカテゴリー上は「01d China」とさせていただきます。他意はありません。

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<北京首都空港>PENTAX P-30/SMC A50mm

強引に組み立てたツアーだからか、中国へのアクセスは、羽田から大阪国際空港に飛びます。当然ながら関空はできてませんでした。

国内線から国際線への乗り継ぎですが、名古屋から2名が参加ということで、羽田から伊丹まではオプションのような感じになり、預け荷物はスルーではなくいったん引き取ってから改めて預けなおすことになりました。

添乗員はNさんという女性で、中国語が堪能で中国人相手にも一歩も引かないという心強い方でした。また、新疆ウイグル自治区のツアーの時に参加していたHさんという男性もいまして、同室となります。

この、伊丹ー北京便に乗ってしまえば手続等は自分で行う必要がありません。

到着した北京首都空港ですが古びた感じです。空港の建物から飛行機へ直結のブリッジが付けられることもなく、タラップを降りてバスに乗ります。新空港はなんと、2019年に完成し運用が始まったそうで、まだまだ現役の空港です。

機体の表示でわかるでしょうが、時はバルセロナオリンピックの真っ最中でした。日本が獲得した金メダル3個(水泳の岩崎、柔道の古賀と吉田)はすでに取り終えた後でひどく盛り上がりに欠け、テレビの映るところでもオリンピック中継は見なかったと思います。

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<擁和宮>P-30/A50mm

我々が向かったのは北京に唯一あるラマ教寺院、擁和宮でした。このあと、メンバーの自己紹介を夕食時に行いましたが、いずれも中国好きで中国に複数回来ている人たちばかりでした。ちなみに、ワタクシは2回のみ。皆、旅慣れているというかツアー慣れしているものの、ひとりでは旅の手配もままならないとは思いますが、ツアーの日程とかホテルの状態などに関しては堂々とクレームを入れられるような人物が多かったです。

そういうメンツなので、ありきたりの天安門広場、故宮などは満足できないという配慮でしょう。

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<擁和宮>P-30/A50mm

チベット寺院ということでしたが、あまり建物の中には入らず、のちに気になるヤクバターの燈明の匂いは感じませんでした。

このあと、王府井(ワンフーチン)でフリータイムとなりますが、まだ両替をしていません。でも、用意のいいメンバーは使い残しの中国元の兌換券を用意して何やら購入していたようです。

ちなみに、兌換券(FEC、Foreign Exchange Certificate)とは、外国人旅行者に向けて両替時に渡される紙幣で、原則的には人民元と等価です。しかし、一般の商店などでは使用できず、ホテルや免税店などごく一部で使用できるシロモノです。このシステムは1995年まで継続されました。

とはいえ、FECは一般人民の一部には存在が知られていて、外国通貨に両替できることや、一般商店では手に入らない外国製品が手に入れられることから、闇両替がかなり前から行われていました。そのようなブラックマーケットにはどういうわけかウイグル人が多数かかわっていて、外国人が泊まるホテル前などでは「チェンジマネー?」といって近づいてくるウイグル男性が多数いたものです。

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<京倫飯店>P-30/A28mm

夕食後にホテルに移動します。翌日から過酷な旅が続くことになります。

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2009年7月11日 (土)

中国の憂鬱

この件はアップしようかちょっと悩んだが、やはりブロガーとして一言いっておこうと思う。

中国新彊ウイグル自治区の区都ウルムチで民族間の対立が起こった。発端はなんだったのだろうか、そのあたりはよくわからないが、ウイグル人の騒ぎに対して漢族が報復を行うという「またか」というような状況。

ここで取り上げたニュースとしても、昨年のチベットに続く中国内の民族対立なのである。新彊ウイグル自治区は、東トルキスタンとも呼ばれ、ウイグル人の住む地域である。だが、時折暴動があったという話も聞く。

ウルムチというウイグル語の名前を持つ区都だが、その実態はまったくの新興都市であり、このあたりで地下資源が発見されたところから、漢族が多く移り住んだ都市なのだ。カシュガル、トルファンなどの古都とは違うのだ。

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<ウルムチの街角にて>Pentax ME Super/28mm

新彊ウイグル自治区にはシルクロードを巡るツアーで2回ほど訪れたことがある。2回ともウルムチを訪れた。ウルムチとは美しい町との意味らしいが、まだ発展途上の埃っぽいところだなと思った。

その頃から、漢族はすでにウイグル人よりも多く住んでいたと思う。その一方で上海などで闇両替を行うのはウイグル人の青年だったりしたのだが。それでも、民族対立はツアー参加者には感じ取らせない雰囲気があったように思う。

すでにウルムチではさらなる報復をおそれ、町を脱出するウイグル人が続出しているとも聞く。また、ムスリムには大切な金曜日の礼拝を取りやめさせる命令が出たとも。

これからどうなるかわからないが、中国の中枢部は民族融和のような政策は取らないのではないだろうか。ともかく力で押さえ込む政策だろう。また、ひとつ、訪れることのできるいいところが、減ってしまったような感じがする。遠のいたということだろうか。

中国の辺境部が好きなのだが、思えば、昨年無理してシーサンパンナを訪れておいてよかったと思う。

上の画像ですが、一応リバーサル。このブログで初めてお見せするPentax ME Superという、カメラによるワンショット。初めて所有した一眼レフカメラ。解像度が低いのはフィルムの保存状態が悪いことと、以前のスキャナーでスキャンしたことによるもの。このあたり、もう一度スキャンし直して、色鮮やかだったら、たまにアップしてもいいかも。まあ、その頃の腕はひどいものですが。

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