カテゴリー「01d China」の26件の記事

2022年6月12日 (日)

ラサ最終日、ジョカン寺など

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(18)

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<ポタラ宮殿>P-30/A28mm

ジャマリンカから文化宮へと移動しました。ラサ市民の憩いの場のようなところでしたが、ポタラ宮が目の前に見えます。

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<観光的記念撮影>P-30/A28mm

市民の憩いの場と書きましたが、ほぼ漢民族向けのところであろうと思いました。このようなチベットの民族衣装は外国人観光客向けかもしれませんが、他の省からやってきた漢民族向けでもあるでしょう。

それにしても、お上りさん状態。ちなみに、ここで写っている人の中には体調を崩していた人も含まれますが、状態は回復しているようでした。

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<キオスクの売り子>P-30/A28mm

売店の売り子も漢民族です。ここで社長とHさんがポラロイドを取り出し、彼女らを写して写真を進呈しているシーン。

もう30年経っていますが、「チェキ」などを使って現在も使える手段だなと思いました。ま、荷物になるので個人的にはやらないと思いますが。

この後、新華書店を見つけ、チベット自治区と青海省の地形図を購入することができました。これまた、現代では「スパイ行為」として摘発されちゃうかもしれません。でも、Google Mapでもラサの詳細は分かりますけど。ただし、中国国内では通常の手段では閲覧不可です。

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<ジョカン寺>P-30/A28mm

このあと、ジョカン寺に移動しました。これがラサでの最後の観光です。

こちらも寺院の破壊が目立ち、修復の大工仕事を僧侶が行っていたりしました。

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<少年僧>P-30/A28mm

通りかかりの少年にモデルになってもらいました。

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<屋上より>P-30/A28mm

ラサの寺院は個人的には内部よりも屋上の装飾が素晴らしく、当時のカメラではどうしても屋内よりも外を撮るようになります。

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<バルコルの眺め>P-30/A28mm

夕刻ながらも人通りは多いです。ジョカン寺はバルコルの中心ですし。文化宮などとは違う、チベット人の世界ですね。

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<チベット音楽演奏者たち>P-30/A28mm

このあと、バルコルを散歩してホテルに戻ることになります。

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<五体投地>P-30/A28mm

こんな人物もいました。

五体投地と書きましたが、一方通行のバルコルで、人の進む方向とはなぜか逆を向いていました。

☆さらに、続きますが、これでラサは終了。


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2022年5月19日 (木)

ラサ最終日、ジャマリンカ

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(17)

ほぼ5か月ぶりのエントリーです。

ラサ最終日の午後、ホテルで休憩をはさんで出かけたのがこちら。休憩というのは、やっぱり高地であるため、ある程度高度順化してきたとはいえ、中国サイドが必要と判断したのだと思います。

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<吊り橋>P-30/A50mm

ラサに流れるキチュ川。中国名はラサ川になります。ここにはジャマリンカという中州があり、この吊り橋を渡っていきます。これがなかなかスリリングでした。

もっとも観光名所ではなく、もっぱら市民の憩いの場のようでした。

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<タルチョ>P-30/A50mm

チベット文字で何やら書かれております。色も青・白・赤・緑・黄と定められているそうです。

こちらに来たのは単にこの橋を渡ってもらいたいためらしく、次に向かいます。ちなみに通行料1元でした。

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<キチュ川>P-30/A28mm

標高3000メートルを超えるところながら、川幅は結構ありました。

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<ポタラ宮殿>P-30/A50mm

ポタラ宮も結構近いです。この日は晴れていてよかったです。

*約5か月振りのエントリーとなりました。あと数回の記事を予定してます。早いところ終わらせたいんですけどね。モタモタしているうちに、30年前の出来事になってしまいました。


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2021年12月21日 (火)

デプン寺でおっさん軍団と戦う

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(16)

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<集まる犬>P-30/A28mm

ラサ3日目。郊外にあるデプン寺へ足をのばしました。

当時は市内から結構離れたところにあると思っていましたが、wikiの記述によればラサ西郊5kmとのことです。

バスが到着するとともに犬が群れをなして集まってきました。昔作っていたHPの記述では「野良犬」としていましたが、寺院で餌をあげていることは間違いないでしょう。チベット仏教は日本と同じく大乗仏教の一派であると思いますが、上座部仏教と同じく殺生の禁を守っていますね。

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<斜面の建物>P-30/A28mm

山の麓にある寺院ですが、決して平坦ということもなく、坂を上っていきます。

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<ようやく到着>P-30/A28mm

本殿に到着です。しかし、かなりの距離を登ってきました。心拍数が高くなり息も切れるので、一休みですね。

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<岩絵>P-30/A50mm

ここにも岩絵があることが確認できました。鳥葬場であるのかは未確認ですが、まあそうでしょうね。

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<記念撮影>P-30/A28mm

ちなみに左端の人物は監視役のガイド、陳さんです。監視役といっても名目上のことであり、彼もしっかりとカメラを抱えてきてました。観光気分ということは表情に出しませんが、楽しんでいたはずです。また、陳さんは3人のガイドの中でも一番あか抜けていたので、ラサ市内のチベット人からの土産攻撃でも、外国人(日本人)と思われて、英語で話しかけられておりました。

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<建物内部の仏画>P-30/A28mm

珍しく内部の写真が残ってました。例によって、社長とHさんが袖の下を渡し、それに乗ったのです。

残りのフィルムを計算して大丈夫と判断したのですね。また、この時点でデプン寺にいる外国人観光客が我々だけだったので、余計な気遣いなしとも判断したのでしょう。

ここ、デプン寺も文化大革命の影響によって、内部もかなり破壊されていたとのことです。修復中ということで、足場が組まれていました。

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<大工仕事>P-30/A28mm

その通りで、修復作業の木材を加工する人がいました。作務衣のようなものを着てますが、ちらりとその下に特徴ある色の袈裟を着ているのが見えました。修復作業も僧侶が行うのでした。

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<こちらもお仕事中>P-30/A28mm

さらに奥の部屋でもっと細かい修復作業を行っていた僧侶が手招きしました。すかさず社長が撮っていたビデオを送料に見せて歓迎されます。

いい雰囲気になっていたと思っていたら、いつの間にかやってきていた年配者の男性ばかりの日本人観光客集団がぞろぞろと入ってきては、部屋があふれかえってしまいました。「お前らは呼んでいない」ということなのか、さきほど手招きをしていた僧侶の機嫌が豹変してしまい、我々もあおりを食って追い出されてしまいました。なんとも残念です。

実はこの集団は同じ拉薩飯店に泊まっていたのです。その日の朝、ロビーが人であふれ、座るところもあまりなかったのですが、席を譲ってあげても(相手は年上ですからね)、一切の礼はなく仲間内で好き勝手をやっているというのが見て取れたのでした。

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<厨房のドンモ>P-30/A50mm

デプン寺を出る前に厨房を通りかかり、撮らせてもらったものです。バター茶を作る撹拌機ですね。

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<絨毯づくり>P-30/A50mm

観光が終わり、尹さんの土産攻撃の一環で寺の下にある絨毯工場に立ち寄ります。

すると、デプン寺にいたあの集団がまたしても現れたのでした。

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<糸紡ぎ>P-30/A28mm

おっさんたちは時間があまり取れなかったのか、リーダーらしき男性が働く女性に飴玉をひとつずつ渡すと、さっさと出て行ったのでした。

まったく、同胞としても気分が悪いです。この集団にも中国側のガイドがいると思われますが、こういうことをやっているとガイドにリベートも入らず、相当印象が悪くなるはずですね。ともかく、不快をまき散らす連中でした。

続きます。

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2021年12月11日 (土)

ノルブリンカとパルコル散策

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(15)

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<ノルブリンカ入口>P-30/A28mm

セラ寺の後は、市内に戻りダライラマの離宮であったノルブリンカへ。

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<ノルブリンカ>P-30/A28mm

ここも内部は撮影禁止でした。寺院と違い、係が監視しているので、袖の下は通用しません。

しかし、立派な寝室やバスルームがあり、チベット動乱以前の時代にしてはかなり豪華なつくりであったと思えました。やはり、当時のダライラマの権威や力は絶対的なものであったと思われました。

ということで、建物の写真はこれくらいです。しかも、このあと、現地ガイドの尹さんは2軒も土産物店に案内する始末です。

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<パルコル>P-30/A28mm

夕食をホテルではなく、外で取ることになりました。場所は八角街とも呼ばれるパルコルというところです。

ラサの中心街でここにはジョカン寺があり、巡礼や物売りなども多くにぎわったところです。なお、パルコルは中心の環状巡礼路という意味を持つとのことです。

バスは店の前に付けてくれましたが、食後にパルコルを散策しようということになりました。これが結構大変でしたが。

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<喜捨を受けるラマ僧>P-30/A28mm

ジョカン寺が中心にあり、巡礼路は一方通行です。それも、マニ車を回すときと同じくの右回りでした。

ラサにこれだけ人がいたのかというくらいです。なにしろ、1週間くらい人口希薄なところを回ってきたわけで、人混みというものに遠ざかっておりました。でも、このような散策ができたのも西寧以来ですからありがたかったです。

とはいえ、はぐれるのが恐いので皆つかず離れずでした。個人旅行でしたらそんな心配はいらないのですが。

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<皆さん同じ方向へ>P-30/A28mm

やはり逆行する人はいませんね。

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<五体投地>P-30/A28mm

こちら、ジョカン寺の入口です。これが人生初の五体投地を目撃した瞬間ですね。

大部分の人はここで五体投地を始めますが、巡礼の中には五体投地をしながらやってきた人もいるわけで、画像の左端にいる二人は着ているものがボロボロに擦り切れていました

ジョカン寺にはまた改めて来ることになります。

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<康のパフォーマンス>P-30/A28mm

バスに戻るように回っていくと、康(カム)と呼ばれる一般のチベット人とは異なるやや異形の人たちが何やらやろうとしていました。結局それは謎なのですが、これを取り巻くように見ているのは普通のチベット人です。

Wikiで調べると、カムというのはチベット東部から四川省と雲南省にまたがる地域の名称ですね。そして、カム地方の人々は長年中国政府ともかつてのチベット政府ともちょっとしたいざこざを起こしていたようです。独自の文化を貫き通そうとする人たちなのでしょうかね。

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<土産攻撃>P-30/A50mm

バスに戻るとチベットのおばさんたちがバスを取り巻いておりました。ハンドメイドの土産を買わそうという試みです。やっぱり現金収入は大事なんすね。

続きます。

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2021年12月 4日 (土)

セラ寺と鳥葬

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(14)

不定期更新。

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<セラ寺>P-30/A28mm

ラサ到着2日目(実質初日)午前はポタラ宮殿を見学しました。せいぜい2時間という短さでしたが、ある程度高地順化していたとはいえ、今となってはこのくらいが妥当だったかもしれません。

だいぶ降りてきたといっても、ラサは富士山頂と同じくらいの標高があります。ポタラ宮殿の階段を上るだけでも、平地では考えられないくらい息が切れました。

そのため、いったんホテルに引き上げ、昼食を取り、休養してからこちらにやってきたのですね。

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<門の装飾>P-30/A28mm

この内部でも袖の下をラマ僧に渡して、社長はビデオを撮りまくり、Hさんは写真を撮りまくりました。ワタクシはフィルムの節約もありほとんど撮っておりません。ストロボも持参していたんですけどね。今思えばもったいないことをしました。

現代ではど素人でも高感度写真は撮れるし、残りの枚数など気にする人もいないでしょう。大いに袖の下を渡してチベット人のために使ってもらいたいものです。

内部は様々な仏像が並んでいて、ヤクのバターの灯明の匂いが鼻を刺激します。また、こっそりとダライラマ14世の写真も飾られているところもありました。当時も今も、禁止されたことですが、この当時はおおらかで僧も公安や党の幹部などが見えていないところでは隠そうともしませんでした。

なお、この写真はガイドの李さんによると、「インドからの密輸品」ということでした。ヒマラヤを超えてやってきたものですね。

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<この屋上へ>P-30/A28mm

いったん外に出てこの建物の屋上に上がります。この程度であれば息が切れることはありません。

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<屋上より>P-30/A28mm

こうしてみるとセラ寺もいろいろな建物があります。我々が見学できたのはそのごく一部ということになります。

実はこの時代、文化大革命時の宗教への迫害行為により、寺院もかなり破壊され、僧もようやく戻ってきたというところでした。一部の見学というのもある程度仕方がないことだったのかもしれません。

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<タンカのような壁画>P-30/A28mm

チベットの寺院は屋根などが正面から見た姿と違って見えます。真鍮製だと思いますが、黄金色に輝く装飾もきれいです。

そして、屋上に上ることによって未公開部分であった曼荼羅風の装飾がなされた寺院内部の壁も確認できたのですね。

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<屋上からでしか見れない眺め>P-30/A28mm

ツアーの形式ではあるものの、他の団体は来ておらず、比較的自由に回ることができました。

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<岩絵>P-30/A50mm

屋上からはこのようなものも目に入ります。

曼荼羅風の岩絵が描かれています。この右側は鳥葬場になっています。当然ながらこの日は葬儀は行われていません。

ゾロアスター教も鳥葬を行いますが、異教徒には鳥葬場(沈黙の党)の場所すら明らかにしておりません。おそらくですが、チベット仏教でも鳥葬がある場合は見せてくれないと思われます。

この日はラッキーだったのかもしれません。

★前回の記事より2か月経ってしまいました。あと数回ですので、以降コンスタントに出していきます。

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2021年10月 9日 (土)

ポタラ宮殿

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(13)

1992年のチベット、再開いたします。

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<ポタラ宮殿>P-30/A28mm

青蔵公路を走破し8日目にしてチベット自治区の区都、ラサ入りしました。その翌日いよいよラサの観光になりました。

ようやく低地に降りてきたといっても、富士山頂並みの標高です。宿泊していた拉薩飯店は当時Holiday Innと提携していましたが、部屋には酸素吸入器がありました。

道中具合の悪そうなメンバーもいましたが、結局酸素を補給する人はいませんでした。今ならちょっぴりでも吸って試してみるところです。

さて、画像はポタラ宮の正面ですが、我々が入ったのは裏からでした。

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<修復中の裏側>P-30/A28mm

ラサに入ったものの、ツアー一行の移動は陀陀河沿からはるばる乗ってきた暖房もない、三菱ふそうのおんぼろバスのままでした。とはいえ、もう寒さに震えることもないのでそれほど問題はないのでした。

バスは裏につくと、チベット人労働者が働く脇を進みます。平らな土地ではそれほど問題ありませんが、この程度の坂道でも標高のため息が切れるのでした。

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<漢字表記>P-30/A28mm

さて、ポタラ宮の内部は赤宮と白宮に分かれてます。これは外壁の色合いの違いで、建設時期が異なっています。

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<赤宮とラサ市街>P-30/A28mm

ポタラ宮の内部には数えきれないくらいの部屋がありますが、公開されているのはごく一部でした。

そして、内部は撮影禁止でした。それでも、いかにも中国といったところですが、監視の僧侶に撮影料を渡すと撮影許可が出ました。ま、そこまでして撮りたくないというか、当時の撮影感度はとても低く、外付けのストロボを使用してもあまりよく写らないだろうと自主的に判断して撮りませんでした。

現在のようにデジカメになるとばっちり写せるでしょう。とはいえ、このやり方が現在でも通用するかは不明です。おそらくダメでしょう。

ちなみに、当時の中国は公安なども意外な緩さがあり、一線を越えなければかなり自由な撮影ができました。絶対現在のほうが厳しいでしょう。

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<白宮>P-30/A28mm

また、撮影料を渡して内部を撮る方法ですが、ほかの見学者がいると収拾がつかなくなる場合もありますね。

ラサにある別のスポットでもこの方法をよく使いましたが、ポタラ宮に比べ圧倒的に観光客が少ないので、そっちのほうが有効でした。

そして、内部にはヤクのバターから作った灯明が燃え盛り、異様な匂いに満ちてます。慣れの問題でしょうが、いささか気分はダウンしました。

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<空中トイレ>P-30/A50mm

有名な空中トイレがあるので覗いてみました。その時も使用可能なトイレでしたが、しゃがんだ下には遮るものがなく、そのまま排泄物が落下していくというものでした。

絶対写真を撮りたかったのですが、中国人観光客が使用中で、撮影ははばかられるのでした。

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<土産攻勢>P-30/A28mm

裏から入って正面から出るという不思議なルートで退出します。

なんか、観光は短時間で終わってしまった気もしますが、結構な時間をかけていたようです。

バスまでの道すがら、康(カム)と呼ばれるチベットの行商女性たちから土産を買わないかとしきりに誘われます。

当時、日本人は世界中に出て行ったはずですが、ここでは日本語では声をかけられずに、もっぱら英語でした。ツアーの監視役である陳さんは英語ガイドですが、「Where are you from?」と声を掛けられ、「From Tokyo」などと返していました。ま、陳さんが最もあか抜けていることもあります。ちなみに、日本語は全く理解できない人です。

しかし、最もしぶとい商売人は現地ガイドの尹さんでした。高額なタンカを欲しいという社長などを知り合いの店に案内し、そのリベートをしっかりと稼いでいるのでした。

チベットでガイドを数年やるだけでひと財産作れるとも言われていました。

続きます。

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2021年7月12日 (月)

ラサへ

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(12)

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<ダムシュン>P-30/SMC A28mm

ダムシュン(当雄)という町に着きました。ここで昼食となります。

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<調理中>P-30/SMC A28mm

例によってガイドの尹さんが選んだ店です。当雄達県飯店という素朴な店です。しかし、ここも灯油の匂いが充満するため、料理ができるまでは外で待ったりします。

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<外で待つ>P-30/SMC A28mm

現地の人も外で待っております。

この時の料理は写真は残っていませんが、メモによると「茄子の炒め物」、「ピーマンと肉の炒め物」、「冬瓜とキャベツの炒め物」、「きゅうりと卵の炒め物」、「いんげんと肉の炒め物」、「ジャガイモの煮物」、「乾麺の煮込み」でした。味はかなりいいです。さすがは味に貪欲な中国人ガイドです。

炒め物ばっかりですがひとつの鍋で短時間にできるものはどうしてもこうなりますね。料理はたくさんあるように感じられそうですが、小皿にちょっこっとずつです。大半の人が食欲もかなり落ちているのでこれでも十分でした。

また、どうしても高山病の症状が抜けない人はバスで横になっている始末です。

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<ニエンチェンタングラ山>P-30/SMC A28mm

バスは南下し最後の給油をしました。ここで見えてきたのがニエンチェンタングラ山でした。こう見えても7162メートルあるそうです。

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<民家>P-30/SMC A50mm

近くの民家にはおそらく魔除けらしいマークの入ったドアがありました。この辺りまで来ると遊牧ではなく農業を営んでいて定住生活をしています。

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<馬を引く男性>P-30/SMC A50mm

前日宿泊した那曲飯店にいたヨーロッパからの団体客はこのあたりで行われていた馬の祭りを見に来ていたそうです。すでに通りかかったときにはイベントは終わりかけのようでしたが、馬を引いて家に帰る人たちを何度も見かけました。

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<仕事帰り>P-30/SMC A50mm

畑仕事帰りでしょうか。彼女たちはこちらに気づくとカメラのシャッターを押す仕草をして笑っていました。

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<畑>P-30/SMC A50mm

標高はかなり下がってきています。ラサまでも100kmを切る表示が出ました。

畑が見えてきたということは山間部ではなく平坦なところまでやってきたということです。

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<ヤルツァンポ川>P-30/SMC A50mm

もうほとんどラサという地点。この直前には軍用トラックの隊列を抜いていきました。トラックには兵士がたくさん乗っていましたが、ほとんどが漢民族でした。

やがてバスはラサ市内に入り、遠くにはポタラ宮殿も見えてきます。体調を崩してほとんど横になっていた夫婦は感極まって万歳するほど。

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<本日のお宿>P-30/SMC A28mm

ここに泊まりました。実は中心から離れていてチベット感の希薄なホテルです。

しかし、部屋には酸素吸入器などもあるのでした。

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2021年5月23日 (日)

チベット高原の遊牧民

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(11)

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<3つの塔>P-30/SMC A28mm

冬虫夏草売りとのやり取りのあと、しばらく進むと宗教的な意味合いのありそうな塔が現れました。

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<ヤクの角>P-30/SMC A28mm

塔の側に、おびただしいヤクの角が丸い形にまとめられていました。何か意味のあることでしょうが、わかりません。

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<石版>P-30/SMC A28mm

角の上にはチベット文字が刻まれた石板が置かれていました。

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<タルチョ>P-30/SMC A28mm

風雨にさらされたタルチョと呼ばれる布が渡されています。

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<遊牧民>P-30/SMC A28mm

近くのテントから遊牧民が近づいてきました。

冬虫夏草売りと違い、友好的です。表情を見ればわかりますね。

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<ヤクの糞>P-30/SMC A28mm

遊牧民のテントに近づくと、ヤクが放牧されていました。ヤクの糞が積み上げられていました。燃料にするのでしょう。

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<乾燥中>P-30/SMC A28mm

天日干しの糞です。

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<実演中>P-30/SMC A28mm

投石機をどのように扱うのかを見せてくれた女性です。観光慣れしているとは思えませんが、穏やかな人たちでした。

この後、バスはさらにラサに向かいます。

続く。

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2021年5月15日 (土)

高原の冬虫夏草売り

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(10)

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<ナチュの朝>P-30/SMC A28mm

一夜が明けてさわやかな朝です。

よく眠り、頭痛はおさまりました。前夜あまり美味いと感じなかった食事も普通に食べられるようになりました。

といってもホテルは中国世界なので朝は味のついていない白粥が中心です。これに、塩漬け卵や野菜をおかずとするのですが、中国経験の豊富なメンバーは桃屋の「ごはんですよ」とか、「大人のふりかけ」を用意してきていて、これを分けてもらって満足です。

出発待ちのメンバーの顔つきも緩んでいて、高山病症状が治まったのか、それとも出なかったのか。それでもいまだに、絶食に近くただバスに身をゆだねているメンバーも数名いましたが。

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<バスは進む>P-30/SMC A28mm

この日はついにラサ入りの予定です。といっても、相変わらず、観光の予定はなし。でも、車窓の眺めは抜群です。

それに、もうこれ以上標高が上がることもないというのが、一筋の希望でもありますね。

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<突如現れた地元民>P-30/SMC A28mm

道に突如現れた集団がいました。

ガイドの尹さんによると、冬虫夏草を売り歩くチベット族だとのこと。バスは止まり、我々も降ります。

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<リーダーの男性>P-30/SMC A28mm

彼らが持っていたのは紛れもなく冬虫夏草で、漢方薬として市場では高価に販売されているものです。

彼らは冬虫夏草を探してこれを乾燥させて売り歩くようです。ここではほとんど外国人は来ないので、漢民族相手の商売でしょう。ということは、それほど高額ではないようでした。

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<一家のようです>P-30/SMC A28mm

このあと、テント生活をしているチベット族とも遭遇するのですが、この冬虫夏草売りの家族らしい一団は独特の風貌でした。

長らくシャワーも使っていないような頭髪に服装。とてつもなく日焼けしています。

彼らに、社長のSさんとHさんがポラロイド写真を進呈したのですが、にこりともしませんでした。

チベット族の中でもカム(康)と呼ばれる独特の集団なのかもしれません。

結局、冬虫夏草を買ったのはガイドの尹さんと我々のガイドのNさんだけでした。

続きます。

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2021年4月30日 (金)

ついに高山病の症状が出た

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(9)

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<沱沱河沿の食堂>P-30/SMC A28mm

悪夢のような一夜が明けました。眠れるのかと思いましたが、疲れていて適度な睡眠は取れたようです。前日の夕食もこの建物で済ませましたが、ツアー一行が入ると、キャパシティが足りないようで、ガイドの李さんと陳さんが手伝うような状態です。

味がどうこうの問題ではなく、栄養補給といった状態です。それでも、ここには卵がありました。

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<長江第一橋>P-30/SMC A28mm

この、沱沱河沿は長江の最上流部にあたり、ここより上流には橋がないことから「長江第一橋」がかかってました。

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<この日のバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドからのガイドは昨日で終わり、この日からは尹さんという漢民族の男性がガイドとなります。この人が結構な曲者だったのですが。

そして、バスも交代です。三菱製ではありますがいつ製造されたのかわからないオンボロぶりです。そして、暖房が入らず、車内でもモコモコに着込むことになりましたが、馬力はあるので距離は稼げました。

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<雁石坪の住人>P-30/SMC A28mm

バスが最初に止まったのは雁石坪というところで、チベット族のテントがありました。近くにはヤクの糞が乾かされていました。

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<長江>P-30/SMC A28mm

このあたりは標高4500メートルあたりをキープしてました。チベット高原のちょうど真ん中くらいで、平原状態です。長江の最上流部もこの程度の幅がありました。

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<絶景>P-30/SMC A28mm

この日は太陽が昇ってからは天気が良く、車窓も飽きません。

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<事故現場>P-30/SMC A28mm

しかし、こういう場面は結構目撃しました。

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<唐古拉山口>P-30/SMC A28mm

それほどの山道を登ってきた感じはなかったのですが、なだらかな上り坂がずっと続いていたのでしょうか。唐古拉山口に到着しました。標高5231メートルと、この旅での最高地点となります。あとは下るのみ。山を越したかもしれません。

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<唐古拉山>P-30/SMC A50mm

この山も軽く7000メートルくらいあるのかもしれません。

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<アムドの食堂>P-30/SMC A28mm

バスは一気に高度を下げてアムド(安多)の町に入りました。ここで昼食です。

店は尹さんが「衛生状態のいい店をわたしが選びます」といい、見つけたのが四川料理の店です。ということは彼の嗜好が反映されるということで、この後一切、ムスリムの店には寄り付かなかったのでした。

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<昼食>P-30/SMC A28mm

ここは標高3900メートルということで、普段とあまり変わらない内容の麺料理とヤク肉のおかずですが、火の通りもよくなったのか味は良かったです。

標高も下がったということで、社長がビールを注文しました。しかしこの後再び、4000メートル台に復帰し、社長の体調は悪化しました。彼はこの後、チベット自治区を離れるまで一切のアルコール類を口にしませんでした。

メンバーの中にはすっかり体調が悪くなり、食事にも出てこずにバスで休む人も出始めました。

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<チベットの空>P-30/SMC A28mm

この後は快調に飛ばし、ナチュ(那曲)には18:00という明るい時間に到着しました。これも、オンボロだがエンジンの調子のいいバスのおかげかも。

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<今夜の宿>P-30/SMC A28mm

同室のHさんとほとんど何もないナチュの町歩きをしたところ、今度はこちらが体調悪化です。軽い頭痛が続きました。Hさんも同じだといいます。

夕食は食べに行ったものの、明らかに不味く体調も関係するのかもしれません。

近くのテーブルに西洋人のグループがいましたが、彼らは盛大に飲み食いし、生ぬるいビールもがぶ飲みしておりました。これは体格の差なのか、奴らが鈍感なのか。

部屋ではHさんともどもゴロゴロと横になったままで、カロリーメイトなどを齧りながら、そのまま眠ることとなりました。このホテルもお湯が出ず、入浴はしませんでした。

続きます。

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