カテゴリー「05b Tunisia」の7件の記事

2022年1月 8日 (土)

チュニジアのクルマ

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<チュニジア国旗>MZ-3/FA35mm

チュニジアは自動車生産国ではないので、ぼぼヨーロッパのメーカーのクルマが走っております。といってもやはり多いのは旧宗主国のフランスのメーカーが多いですかね。

つうことで、なんとなく撮っていったのですが古ぼけたクルマばかりです。絵になるかなと思って。

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<ルノーだと思う>MZ-3/FA35mm

後ろに荷室のついたもの。今でいうとルノーのカングーという車種にでもなるのか。

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<モノクロ版>GR1s/GR28mm

こちらのほうが雰囲気出ますかね。

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<婚礼仕様>MZ-3/FA35mm

プジョーですね。当時としては比較的新しい車種ではないかと。

たすき掛けになっている花飾りのようなものは、新婚さんを乗せていくものと思われます。それにしても雑だね。

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<廃車ではありません>GR1s/GR28mm

いったいいつ洗ったのかというもの。前のバンパーも今にも取れそうですが。ワイパーを動かした形跡があるので、駐車中なんでしょう。ひし形のロゴはルノーですね。

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<縦列駐車>MZ-3/FA35mm

絶対くっついているでしょというパーキング方法。ヨーロッパ式とでもいうのですかね。出れないときはぶつけて前後の車を動かすともいわれますが。ホントかね?

平坦なところではギアをニュートラルに入れて、パーキングブレーキを入れない状態で、人が押して動かせるようにしておくというような話もききましたが。

某国では数メートルの移動にわざわざエンジンをかけずに、自分で押して移動するシーンを見たことがありますけど。

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<ライト欠落>GR1s/GR28mm

これも廃車ではないと思います。昼間走ればいいんだろみたいな。おそらく、当時撮影した中では最も古いクルマ。プジョーのピックアップトラックですね。

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<スース旧市街>GR1s/GR28mm

幅が2メートル半くらいのところで、当然すれ違い不可。1枚目と同じルノーですね。片側に寄せているのはこの家のクルマということなんでしょうけど。後ろから来たクルマは通り抜けできませんね。

そもそも、こんなところを通りたくないですけど。ヨーロッパの旧市街もこんなところが多いんじゃないかな。「水曜どうでしょう」でもそんなシーンがありました。

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<ナンバープレート>MZ-3/FA35mm

算用数字とアラビア文字が混在。数字もアラビア数字(こちらがオリジナル)で書いてあると何が何だか分からなくなりますが。

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<バス>MZ-3/FA35mm

路線バスだったか長距離バスだったか…。

気になるのは鶴のマークですが、もしかしてJALかな。どこかの空港で使っていたおさがりですかね。

いずれにせよ、日本航空はチュニジアには乗り入れてないですし、当時も現在もアフリカには飛んでないはず。でも、「沈まぬ太陽」にあるように60年代、70年代はアフリカに路線を持っていたんですよね。

果たして、電気と騒いでいるヨーロッパのメーカーはこのような国でその自動車を売るのでしょうかね。インフラは整ってないですが、砂漠でソーラー発電は十分にできそうだけど。

 
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2021年12月29日 (水)

世界遺産を眺めながらのメシ

2009年のチュニジアより。

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<エルジェムの闘技場>MZ-3/FA35mm

チュニジアのスースとスファックスの間の内陸部にエルジェムという小さな都市があります。ツワモノはチュニスから日帰りしてしまうようですが、わたしゃ、スファックスからルアージュという乗り合いのワゴンで日帰りしました。ま、タイでいうロットゥみたいなものです<ルアージュ。

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<闘技場内部>MZ-3/Sigma20mm

闘技場ということはもちろんローマ時代のもので、ローマにあるコロッセオ同様、剣闘士(グラディエイター)同士の戦い、あるいは剣闘士と猛獣との戦いが見世物として行われたところです。

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<モノクロヴァージョン>GR1s/GR28mm

ここが世界遺産となっています。

当時はフィルムカメラをメインで使っていましたが、コンパクトカメラとしてレンズが優れているRICOHのGR1sというカメラにモノクロフィルムを詰めて持っていきました。

今では大したことはない性能だと思いますが、コンパクトカメラなんだけど、初心者向けの一眼レフのレンズセットと同じくらいの価格はしましたね。

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<なかなかに暑い>MZ-3/FA35mm

闘技場のグラウンドレベルや観客席は日を遮るものがなく、真夏のアフリカなのでかなり堪えます。

では、そろそろ昼めしにしますか。

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<昼食>GR DIGITAL

エルジェムは小さなところで、闘技場以外これといったものがありません。闘技場を出ると一番最初に見つけたレストランに入りました。

結構絶好のロケーションなのであえて店内ではなくわずかに日よけが設けられたテラス席に座りました。水だけは注文したものです。パンとオリーブは自動的に付いてくるものですね。中央にある皿は「ハリサ」というもので、チュニジアでは最もスパイシーなペーストです。これをパンにつけたりします。食事にはなくてはならないものですね。

オレンジは初めからテーブルにあったもので、食べると料金が発生しますね。

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<プロシュット>GR DIGITAL

頼んだのはこれだけ。羊肉の串焼きで、トルコではケバブになりますね。モロッコでも同じマグレブの国なので「プロシュット」で通じますね。

串1本では少なそうですが、暑いのでこれで十分でした。

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<食事中の眺め>MZ-3/Sigma20mm

座席からはこんな具合。闘技場はあるし、ラクダ(もちろん観光用)もいるし、ムスリムの伝統的な服装をした女性も通りかかる。

これ以上のシチュエーションはないでしょう。この1枚がこの年のベストショットだと思います<自画自賛。

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<落書き>GR DIGITAL

さて、闘技場ですが剣闘士や猛獣の待機する地下のスペースに行くと、こんなものを見つけました。しっかりと彫られてしまったアラビア文字のイタズラです。この他にアルファベットのものもありました。

他の国でも見かけましたね。さすがに当時は緩かったようです。今このような行為をしたら逮捕ですよ。それに、係員が見逃してもSNSで上げられちゃいますので、そのうちだれがやったかわかるでしょう。

 
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2021年12月23日 (木)

タバルカのHôtel Novelty

2009年のチュニジア。

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<ヨットハーバー>MZ-3/FA35mm

チュニスからタバルカに移動しました。タバルカはアルジェリア近くにある海沿いの都市で、結構な数のヨットも停泊しているような、リゾートでもあります。

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<ビーチ>MZ-3/Sigma20mm

少し離れたところには砂浜もあって、イスラム圏としては珍しく海水浴客もいるほどです。ま、さすがに肌をあらわにしているのは男性ばかりでしたが。

ジャスミン革命後、イスラム原理主義者が台頭してきてチュニスではテロもあったくらいなので、現在こうした光景が見ることができるかは不明ですが。

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<シングルベッド>GR DIGITAL

ここで2泊したのがHôtel Noveltyでした。もちろん、飛び込みです。旧フランス領ですからフランス語が通じます。もっとも、わたしゃ話せませんけど。ホテルではなく「オテル」という発音になりますね。

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<客室>GR DIGITAL

ガイドブックによると、1泊42ディナール。当時のレートで、1ディナールが73円くらい。1泊3000円くらいのところですね。

ちなみに、空港やホテル、銀行で両替してもほとんど変わりがありませんでした。今は暴落していて1ディナールが40円くらいですね。

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<洗面室>GR DIGITAL

通されたのは2階の部屋でした。タバルカは小さな都市でバスターミナルから一番近いところ。特に決め手はありませんでした。なお、周辺には同ランクのホテルが数か所あったようです。

ベッドは狭かったですが、部屋は適度に広く、ノンエアコンでしたが日光も直射しないので過ごしやすかったですね。

バスタブはなく、カーテンで仕切られたところにシャワーがありました。トイレは洋式です。モロッコではアラブ式というところもありましたが、チュニジアで泊まったホテルはすべて洋式トイレでした。

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<レストラン>GR DIGITAL

朝食も付きます。食べるのは食堂というにはもったいなさすぎるほどの気分が豊かになるような場所でした。

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<朝食>GR DIGITAL

提供されるのはカフェオレとパンだけなんですけどね。コーヒーとミルクもたっぷりと用意されるので、申し分ありません。

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<屋上のテラス>GR DIGITAL

こうしたところもあって、すぐさま洗濯物をここに干します。

昼過ぎに干して、結構暑いので夕方に取り込もうと思っておりました。ですが、ここの鍵を閉められてしまったんです。

フロントのマネージャーに伝えますが、「ボスが鍵を持っているけど、外出している」とのことで、取り込みは翌朝となりました。しっかりと乾いていたので、まあよかったのですが。

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<二重窓>GR1s*モノクロームです

このホテルの唯一の欠点がこれ。

部屋の窓はこれだけ。暑い国特有の日よけ用の扉付きです。日光が直射しないので、そのまま開けておきたいところなんですが、向かいが民家でした。向かいの洗濯物を干しているあたりに、人の出入りがあるんだよな。子供もいるみたいだし。

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<結局>GR DIGITAL

昼間から扉だけ閉めることとなりました。これだと、あまり外気が入ってこなくなって、涼しくありません。かといって、汗だくになるようなこともなかったのですが。

タバルカ、小さなところで他に何があるわけでもありませんが、なんとなくまた行ってみてもいいかな。

★神田沙也加さんの突然死にはかなりショックを受けました。合掌。

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2021年12月18日 (土)

指導者の肖像画のある国

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<チュニス旧市街>MZ-3/Sigma20mm

チュニジアを旅したのは2019年のこと。当時の周辺諸国の政治体制を振り返ってみると、エジプトはムバラク大統領の長期政権。リビアはカダフィの体制。アルジェリアは謎に包まれた国で確か外務省から注意喚起が出ていたように思います。

モロッコの立憲君主制と並んで、チュニジアは比較的民主的な国と思われておりました。

ま、その後ジャスミン革命が起きてベン・アリは国を追われる身となるのですが。

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<チュニスのバスターミナル>GR DIGITAL

バスでタバルカというチュニジア西部かつアルジェリア国境近くの都市に出かけるため、バスターミナルに出向くとこのようなものが掲げられていました。

チュニジア国旗とともに写っている人物の巨大ポスターです。この人物こそ、ベン・アリ大統領なのでした。

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<タバルカ>MZ-3/FA35mm

1987年の大統領就任以来、4選を果たしていた人物です。

ワタクシが帰国後、またしても大統領選挙を控えていたためにこうしたものがあったのかと思ったくらいです。

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<ケロアン>MZ-3/Sigma20mm

チュニスにいるときはほとんど気にしてなかったんですよね。でも、地方都市に行くほど、巨大な肖像画が多くなっていったような気がしました。

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<ケロアンその2>MZ-3/FA35mm

結局次の大統領選挙ではベン・アリは5選を果たしました。なんと得票率89.62%とのこと。このあたりから眉唾ものだということがわかるような気がします。

でも、旅の途中では人々も穏やかだし、警察官に不当な目にあったこともないし、安定したいい国だとは思っていたんですけどね。

このような人物像が街の至る所にある国は、シリアがそうでした。1996年のことで、まだ親父のほうのアサド大統領が健在だったころ。

かつてのソ連、社会主義体制でしたが、マルクスとレーニンの肖像画はたくさんあったものの、ゴルバチョフのものは皆無でした。中国でも指導者のものは見かけてないです。毛沢東はあったけどね。

タイやカンボジアでは国王(または前国王)の肖像はたくさんありますけど、直接の指導者じゃないからな。タイのプミポン前国王はやや指導者っぽい一面もあったけどね。

そのうち大陸では首をやや傾けた指導者の顔だらけになっていくのかもしれませんぜ。わたしゃ、2015年に深圳に行ってきましたが、そういうものは見かけなかったです。でも、近いうちに香港やマカオでも登場しちゃうんじゃないかと。

結局、こういうものはロクでもないことだということですね。

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2021年12月10日 (金)

北に地中海を望む

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<チュニス>MZ-3/Sigma20mm

地中海沿岸というと、イタリア、南フランス、スペインあたりを思い浮かべるでしょうか。タイトルの「北に…」ということはアフリカ大陸の地中海ということになります。このうち、実際に訪れたことのある地中海に面した国は、(古い順で)エジプト、モロッコ、チュニジアとなります。

とはいえ、エジプトの地中海沿いには行ってないし、モロッコはせいぜいがタンジェくらい。最も多く地中海に接したのはチュニジアということになります。

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<カルタゴ遺跡近くの地中海>MZ-3/Sigma20mm

首都チュニスからTGMと呼ばれる近郊電車で30分くらいのところに、世界遺産にも指定されたカルタゴ遺跡があります。最寄り駅のカルタージュ・ハンニバル駅から遺跡へ歩いていく途中にこのような海が広がります。

ナポリやモナコから見る地中海ほど超絶きれいとはいえませんが、それでも十分きれいだと思いませんか?

このあたり、遺跡といいましたが、実際には住宅地で普通の人々が生活するところで、沢木耕太郎がモナコのカジノで一勝負もできず(貸衣装代をケチった)モナコを長距離バスで去る時にちらりと眺めた地中海について「これはずるいじゃありませんか」と心の中で発した言葉が重なりました。

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<住宅地>MZ-3/FA35mm

これ、特別なリゾートというわけでもなく、普通の人が住む住宅です。環境がうらやましすぎる。

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<カルタゴ遺跡より>MZ-3/FA35mm

遺跡からもこのような具合で。

なお、遠くを船が通っていますが、もしかしたらイタリアやフランスに向かうフェリーなのかもしれません。

アフリカといってもヨーロッパは対岸で、古くから交流はあったはず。

★古い画像を整理していたら、チュニジアの未掲載画像がどっさりと出てきました。2009年夏の旅レポでチュニジアは紹介しているのですが、当時使っていたリバーサルフィルムの画像が解像度は低いものの、魅力的なものが多かったので(自画自賛ですが)、これまた不定期で記事を書いていくことにします。

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2011年7月10日 (日)

暑さの記憶

毎日暑い日が続きます。関東地方、梅雨明けしたそうですが、自分にしては暑さの感覚は梅雨明け前でも梅雨明けしてもあまり変わりありません。暑くてたまらないんですよ。

日本の都市部がヒートアイランド現象に見舞われるようになってどのくらい立つだろうか。真夏に軽井沢などに向かい、涼を取ろうと思ったところ、ここでも暑くてたまらなかった記憶がある。

その点海外に行くと、たとえ真夏で、それが熱帯地方でも木陰が涼しかったり、夜になると涼しくなったりすることが多いが、そうではなかった記憶から呼び戻そうと思う。

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<フィレンツェ>MZ-3/FA35

2001年夏のイタリア。ローマもフィレンツェもヴェネツィアも至る所で暑かった。だいたいが当時のイタリアはかなりの物価高で、かなりの倹約旅行を強いられた。泊まる宿はほとんどエアコンがなく、風がぴたりとやむと眠れたものではなかった。

移動も、当時のイタリア鉄道(fs)では、普通列車にはエアコンがなく、その中にいると暑くてだんだんとぼんやりしてくるような始末であった。

極めつけはペルーじゃ駅前にあった格安のホテルで、西日の差し込む角部屋は風が通り抜けなかった。それでも宿替えしたり、次の目的地に向かうようなことはせず、ここに3泊もしてしまった自分はなんて我慢強いんだろうと思ったくらいである。

地中海性気候ってものはさわやかなはずというのは、この年のイタリアには当てはまらなかった。多分異常気象だったんだろう。

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<シャウエン>MZ-3/FA35/RVP100

スペインアンダルシア地方も暑かった。夜になっても気温が下がらず、外に出てみると石畳が焼ける異様な匂いがした。

それよりもさらに暑さを感じたのは夏のモロッコである。間違いなく気温は40度を超えている。アルヘシラスからフェリーに乗り、モロッコのタンジェに到着する。船を下りるとスペインとは比べものにならない強烈な日差しにさらされることになった。

それから、グランタクシーにぎゅう詰めにされ、ティトゥアンに到着した。本来なら、その先にあるシャウエンまで行きたかったのだが、ここでギブアップ。宿はなかなか見つからず、非常に苦しい思いをしたのを覚えている。夜も気温が下がらなかったな。ティトゥアンはこの1日だけであきらめ、翌朝早々にシャウエンに向かった。

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<ドゥッガ遺跡>MZ-3/FA35/RVP100

チュニジアではチュニスやタバルカなどの都市部ではそんなに暑さを感じなかった。だが、ドゥッガ遺跡などのある中央部の乾燥したところでは、日差しを遮るものは何もなく、優に気温40度を超えていたと思う。こんなところを観光して回るのは遺跡好きの日本人くらいで、ほとんど客はいなかった。

その翌日、チュニジア南部に向かった。さらに日差しが強烈になったと思った。宿にもちろんエアコンはなく、寝苦しい夜が続いた。

まあこんなものですが、やはり日本の夏は暑いと思う。これをエアコンナシで乗り切れという方がどんな熱帯地方に行くよりも厳しいことだろうと思うが。

さて、インドの旅が近づいてきています。昨日ようやく旅行保険にネットで入り、到着地と出発地の宿を予約してきました。探すとまあまあ、宿にWiFiのあるところもあるようです。無理なようだったら、ネットカフェとなりますけど、現地レポはできそうです。

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2011年1月16日 (日)

ベン・アリ政権崩壊

チュニジアのベン・アリ政権が崩壊した。チュニジアを旅したのは記憶も新しい、2009年の夏。

チュニジアは北アフリカにあっては最も安定した国家だと思われてきた。ベン・アリ大統領(すでに前大統領だがここではそう書く)の前任者が、ハビブ・ブルギバという人物で、フランスから独立後王政を廃止し、自ら初代大統領に就任した。この政権が30年に及び、彼の退任後就任した二代目の大統領が、ベン・アリである。

しかし、彼ははじめのうちブルギバの多選に及ぶ悪影響を改革していたものの、いつの間にか政権に執着するようになり、憲法を改正してまで自らが大統領に選ばれるような工作を重ねる。自分が旅をした直後にその選挙は行われ、なんと90%近い支持率を集めて5選されたばかりだったのだが。

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<ベン・アリの巨大ポスター>MZ-3/FA35/RVP100

結局ベン・アリも27年に及ぶ長期政権を維持できなかったことになる。チュニジアには初代大統領ブルギバをたたえてか、チュニジア国内のどんな都市にもハビブ・ブルギバ通りがあるし、彼の故郷モナスティールにはブルギバの廟があるという。

ベン・アリはそこまでカリスマではなかったようだが、大統領選を前にしたこの巨大ポスターは、町のどこにでもあり、ツーリストであってもこの顔は忘れられないものとなっていたはずだ。

一方、旅行者としてはチュニジアが安定していて、なおかつローマ・カルタゴ時代の遺跡を多く抱え、魅力的なところだからこそ、ここに向かうのだと思う。おそらく、しばらくは安定までに時間がかかるだろうから、訪れておいて良かったなと思う。

地中海に面した北アフリカ諸国は、独裁者の国ともいえよう。エジプトのムバラク大統領は30年、リビアのカダフィは41年なのである。こんな巨大ポスターを見たのは、政権崩壊前の旧ソ連とシリアだけである。もっともソ連の時にはマルクスとレーニンであり、政権指導者ではなかった。シリアの時は現大統領の父親、前大統領のハーフェズ・アル・アサドのものだったが。

それにしても、ショックだ。まあ、最近ではほほえみの国として知られるタイでさえ、昨年のあの騒ぎがあったくらいなので、我々が旅行に出かけるところでも、どんなリスクが待ちかまえているとは限らない。それを肝に銘じて旅する覚悟も必要なのだろうと思った。

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