カテゴリー「03c Nepal」の15件の記事

2021年9月10日 (金)

隔離されるならここにして

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<パシュパティナート>K-7/DA21mm

現在日本に入国する場合、成田到着でも千葉の某ホテル、羽田でも横浜の某ホテルに隔離という情報をつかんでおります。ま、そこだけではないと思うんですけど、割と長い距離を移動させられるんですね。

それで隔離期間が終わったら元の空港に戻されて解散となるそうです。そこからの交通手段は鉄道やバスが使えるのかどうかはよくわかりません。これ、千葉市や横浜市に自宅があっても容赦なく空港に戻るんですよね。決まりですから。

…てなことを想定し、我々が他国に入国した場合、こんなところをキボンヌ。

ネパール

アジアの場合、ほとんど陸路入国は閉ざされていると仮定して、空路では入れるのはカトマンズのトリブバン国際空港です。

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<フェワ湖>K-7/FA35mm

バスでカトマンズから6~8時間はかかるという問題はありますが、ここはぜひとも大気汚染が進み、盆地でスモッグがたまるというカトマンズではなく、空気の澄んだポカラにしてもらいましょうかね。

なんたってガラ空きのホテルがどーんとあるんですから。

それも、ひとり1部屋なんて密なことをせずに、ひとりワンフロアでどうでしょう。お食事も部屋ではなくて部屋前のテラスでマチャプチャレでも眺めながら思いっきりひとりで味わってもらうのですね。

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<湖畔のバーガー>GR DIGITAL

食事だって各国対応です。ほぼ。

ネパール料理は当然ですが、インド料理も大丈夫。日本語のできる調理人もいるくらいなので、当然ながら日本食も大丈夫。

それに、昔からファランの皆さんが好む場所ですから洋食もOK。特にイタリアンがこのところ進出してきてますし。一時期に比べると中国や韓国料理も増えてきてます。

レストランも閑古鳥が鳴いているはずですから、この人たちに弁当を作ってもらえますね。

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<チベット難民のおばあさん>K-7/FA35mm

ま、難点といえばまるで現地の人と全く交われないということがありますが。

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<カトマンズの雑踏>K-7/DA21mm

そして、隔離期間が終わったら、カトマンズに戻るんですよ。規則ですから。

トリブバン国際空港で解散?そんなめんどくさいことはしたがらないでしょうから(←ものすごい偏見です)タメルかジョッチェンで解放です。あとはご自由に旅をお楽しみください。あ、陸路の出国はダメですよ。なんてね。

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2021年8月24日 (火)

「天国ホテル」の明暗

これまでに「天国」を名乗るホテルに2か所ほど泊ったことがあります。

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<ルンビニ>K-7/DA21mm

ひとつはインド・ネパール国境のスノウリでヴァラナシのPトラベルというぼったくりツアー会社と提携している安宿で、国境を越えたネパール側にありました。

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<UDタウン>KP/DA18-50mm

もうひとつは、タイのウドンタニーです。もともとは米軍相手の安宿をリノベーションしたところだったようです。

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<ぼろぼろのシングルルーム>GR DIGITAL

Pトラベルはヴァラナシーからポカラまでのバスを運行するとのことで、そのオプションとしてルンビニも付いてました。実態としてはヴァラナシーからインド側のスノウリ(国境の両側が同じ名前の町です)までバンで人を運び、ネパール側で1泊させ、翌朝民間のバスを使ってポカラまでというものでした。

全額払えば宿泊料もタダ、もちろん交通費もかからないというものでしたが。

ワタクシの場合は翌日ルンビニに行くと告げてありましたが、当然連絡は行っておらず、現地での交渉です。ルンビニまで往復のバスでもあるのかと思いましたが、そんなものはなくマルチスズキのアルトのチャーターとなりました。

バンに同乗していた日本人学生と韓国人と同じ部屋を割り当てられましたが、2泊することになるので別の部屋を希望すると100ルピー追加され、上記の画像の部屋に放り込まれました。

ちなみに、facebookでこの画像をアップしたら、旅のカリスマ、蔵前仁一氏からコメントが付き、コルカタのモダンロッジあたりと変わらない、30数年前とほとんど変わらない貴重な部屋だといわれました。

壁には旅行者の怨念みたいな落書きが書き込まれ、蛇口からバケツに水を汲んでシャワーを浴びるというひどいところでした。一番閉口したのは風が通らないことで、停電(計画停電)もあって、暑くてたまりませんでした。こういうところにいると、絶対病気になりますね。

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<朝食>GR DIGITAL

スノウリは店もあまりないので、宿の食堂で味のないトーストなどを頼みます。これで45ルピー。

ま、考えてみれば激安ですよね。部屋も食事も。クルマのチャーター代は1300ルピーと高め。当時も現在も9掛けすればおよその日本円となります。でも、ネパールルピーは当然持ってなかったので国境の両替所で換えたものですけど、このレートがひどい。

結論からいうとルンビニはネパール国内からアクセスしたほうがいいと思います。ルンビニにはそこそこいい宿もありますし。

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<Hotel Paradise>GR DIGITAL

では、ウドンの天国はどうかというと、地方にしてはかなりのいい部類。飛び込みで1泊1300バーツでした。

部屋の前には1階だったこともあり、プールがあります。部屋からプールサイドに出れるという好条件ではありますが、そのプールサイドに人が行き来をするという悪条件でもありました。カーテンをあまり全開にしておけないという。

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<つまみは有料>GR DIGITAL

部屋も適度に広く、バンコクだったら倍の値段はしそうな感じです。

滞在中何も困ることがないです。ただ、かなり奥まったところにあり、路地には野犬がいました。あまり遅い時間に出入りはしたくないですね。

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<朝食付き>GR DIGITAL

無料の朝食が付きました。まったく至れり尽くせりです。

さて、スノウリの天国とウドンの天国、どちらを選ぶかというと、そりゃあ、ウドンですよね。

でも、ウドンをバスで発ってラオス国境のナコンパノムについたその夜、猛烈な腹痛に襲われました。

いろいろ考えたのですが、ウドンの天国で出された朝食の卵が半熟以下だったため、サルモネラ菌が死滅せずにそうなったと思います。この時まであまりタイの卵(というか日本以外の卵)の怖さを知らず、半分は自業自得ともいえますが。

なお、ウドンにはもっと中心地に大型の昔からあるホテルがあり、こういうところはかなりのディスカウント料金で泊まれるとか。

そういや、スペイン語版「天国」というところもあったかもしれない。

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2020年12月 8日 (火)

ギャコックの思ひ出

11月某日、秘かに行われたヤムの会です。東京の端っこに長らく居住してますが、曙橋というところに降り立ったのは初めてです。

ほぼオフィス街のようですが、本日はチベット料理なんです。結構ギャップがあります。

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<本日のメンバー>*画像はカルロスさんにお借りしました

チベット料理の「タシデレ」です。意味はチベット語の挨拶になりますか。

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<店内>PowerShot

調理場前です。中心にあるのが、かつてのチベット国旗ですね。現在チベットは中華人民共和国の自治区ということになってますが、チベット動乱以前は独立国家でした。

そして、ダライラマ14世がチベットを脱出し、インドのダラムサラにチベット亡命政府を建てております。ダライラマとともにチベットを脱出したチベット人も多く、ネパールとインドにも相当なチベット人が居住してます。…というのが基礎知識ですかね。

国旗を取り囲むように飾られている小旗が「タルチョ」という祈祷文の書かれたもので、峠や寺院などにはためいてますね。

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<これはプレモル>PowerShot

とりあえずは乾杯ですかね。チベットでは地ビールはあるでしょうけど、店主は確実に亡命チベット人のご子息でしょうから、ここにはありません。インド産ビールのKingfisherなら置いてあります。

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<チャン飲み比べセット>PowerShot

ビールじゃちょっとなという人にはこちらがあります。チャンというのはどぶろくみたいなものですね。さすがにこれは輸入じゃないでしょう。自家製でしょうか。左からオリジナル、ヨーグルト味、乳清味だそうですよ。

わたしゃ、ネパールのポカラでオリジナルを頂いたことがあります。ポカラにはチベット難民キャンプがあり、チベット人の人口比率も結構高いところです。

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<チーズのモモ>PowerShot

モモとはチベットの餃子みたいなものですね。ただ、チベット人がネパールにももたらして、今やネパール人も作ります。

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<牛肉のモモ>PowerShot

形が違いますが、餃子型がチベット系、小籠包のような形がネパール系といわれています。一般的には蒸したモモが多いですかね。別のネパール料理店ではタレにつけていただきましたが、ここタシデレでは何もなく、そのまま頂きます。でも、ジューシーで美味いですね。特に牛肉のモモには肉汁がたまっていて熱々で美味かったです。

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<ギャコック>PowerShot

そして、本日のメイン。ギャコックです。チベットの鍋料理。肉に肉団子、野菜がぎっしり入ってます。

これは1日2組限定だそうです。なので、予約を取ってもらいました。ま、仕込みも大変なんでしょうね。ギャコック用の鍋が2つしかないという説もありますが。

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<熱々>PowerShot

今回5名だったのですが、それでも頑張って食べて何とか完食しました。

腹いっぱいですね。具がなくなったら店主がご飯を勧めます。残ったスープにご飯を入れておじやのようにするとのことです。こちらも、スープにしっかりとダシが出ていて、美味かったですよ。

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<ツァンパケーキ>PowerShot

そして、デザートです。ツァンパというのはチンコー麦(大麦の一種)の粉を炒ったものです。ツァンパにバター茶を混ぜたものが、チベット人の主食となります。そのツァンパから作ったデザートですね。それほど粉っぽくなくむしろ美味かったです。

タシデレ

チベットは高地ですから、コメは作れません。で、先ほどのギャコックに戻るのですが、チベットでは満足に野菜もほとんど作れないでしょう。肉はヤク肉を利用するのでしょうけど。

もう、ふた昔前にチベットに行ったことがあるのですが、ギャコックはありませんでした。というか、チベットには外国人はツアーの形でしか入ることができないので、庶民的なところでの食事というものが不可能なんです。食べたものといえば、チベット風にアレンジした中華みたいな感じでした。モモはあったと思いますが。

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<マチャプチャレ>EOS10s/EF28-105mm

これまたふた昔ほど前、でもチベット訪問から数年後のネパールはポカラでのこと。

ワタクシにしては珍しく、職場の友人を誘い、念願のネパールに行ったんです。訪れたのは冬で、ヒマラヤがよく見えました。

泊まっていたゲストハウスからすぐ近くにチベット系の食堂があり、そこでギャコックのことを知りました。

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<ポカラのギャコック>Nikon AF600

ギャコックの話をきき、食べたいなと思いましたが、オーダーしてすぐにはできないとのことです。ここでも、仕込みに時間がかかるようです。

後日の午前中にこの食堂に赴き、予約を入れ、その夜ようやく食べることができました。鍋の大きさはタシデレと同じくらいでしたでしょう。内容もほぼ同じ。これをふたりで食べきってしまうのですから、当時の満腹中枢は実にいい加減なものだったかわかると思います。しかも、ギャコック以外にも何か頼んでいたような記憶がありますね。

不鮮明な写真ですが、これは銀塩フィルムを使ったもので、コンパクトカメラだったからですね。当時デジカメはかろうじて出ていました。実は所有していましたが、撮れる枚数が少なかったので、長旅では使い物になりません。なんといってもカードの16メガバイトあたりで、そのカードもかなりの高額でした。また、バックアップするストレージもない状態ですしね。

フィルム代もバカにならないので、1シーン1カット。今のように撮り直したり、角度を変えて数カット撮るようなことはできません。

このギャコック、確か日本円で500円もしなかったんじゃないかと思います。今はそれじゃきかないと思いますが。

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2018年6月30日 (土)

なんでもないところで普通の料理(4)

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<ボダナート>K-7/DA15mm

ネタがないのでまたまたこのシリーズ。

今回はカトマンズのボダナートから。郊外にある大ストゥーパのあるところです。

火葬場のガート、パシュパティナートからタクシーでやってきました。昔は入場料なんてものはなかったのですが、今はきちんと入域料を取ります。パシュパティナートもそれがあるんですが、あそこには茶屋以外ものを食べることのできるところがありません。

ボダナートでストゥーパを見たら、昼食には程よい時間でした。

入域料は取るんですが、ここにはホテルもあるくらいで、当然食堂もあります。それも、ストゥーパの周りに。どうせならば、ストゥーパを見ながら食事をしましょう。

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<ラッシー>GR DIGITAL

入ったのはごく普通のカフェ。備品や調度品はネパールっぽいんですが、できる料理はかなり西洋風に特化されていました。まあ、ここを選んだのは屋上でストゥーパを眺めながら食事ができるからですから、そのくらい我慢しましょう。

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<クラブサンドイッチ>GR DIGITAL

カトマンズは観光に訪れる外国人が多いので、この程度のものを作るのはどうということはありません。

まず最初に欧米人向けに彼らが日常的に食べることのできるものを作るようになりました。

日本人もかなり訪れていたので、次に作るのは日本料理。といっても、丼物とか生姜焼き定食あたりですね。欧米人向けが軽食ってところですが、日本人向けはかなり重たい食事になってしまいます。

最近では日本人よりも韓国人や中国人が多いので、ビビンバやチヂミ、中華風定食の店が多いようです。

なんといっても、ネパールはインドとともに訪れる長期滞在者が多いので、平気で外国料理を作るネパールで故郷の味に近いものを食べたくなるようです。なんといっても、インドではほぼどこでもインド料理ですから。例外はヴァラナシーくらいで、あとのところは毎日カレーですね。

それに結構ネパール人の作る外国料理はレベルが高いんです。日本風料理でいえば、バンコクの次くらいですかね。バンコクではまともな漬物や味噌汁が当たり前にできますが、カトマンズでは漬物は酢漬けみたいな感じです。料理自体は拮抗してるかな。

さて、2018FIFAワールドカップ、日本はグループリーグを僅差で勝ち抜けましたね。次戦は世界ランク3位のベルギーだって。

でも、恐れることはありません。古い話ですが2002年の日韓共同開催の時、日本はグループリーグでベルギーとドローだったのです。もうあとはありません。1発勝負です。果たして、日本はベスト16の壁を打ち破れるか。アジア代表唯一のベスト16進出国ですから、頑張れ。韓国だって世界ランク1位のドイツに勝ったではありませんか。

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2018年6月 5日 (火)

本格ネパール料理

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<カトマンズの路上市場>K-7/DA21mm

ネパールを最後に旅して早7年。思えば、たったの6日間だったのですね。スノウリ-ポカラ-カトマンズと2泊ずつ。

この市場には肉がないようですが、もちろん肉も登場するのがネパール料理です。

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<ネパール国旗>GR DIGITAL

3月新大久保にてとある集まりがありました。指定された場所に出向くと、建物の2階にネパール国旗が掲げられていました。

入口近くは売店になっていて、スパイスのにおいが充満しています。

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<おしぼり>GR DIGITAL

ソルマリという店です。ウェイターから調理人まですべてネパール人という店です。客も半分くらいはネパール人です。

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<前菜の野菜>GR DIGITAL

何やらゴマのようなものがまぶされていますが、大根の漬物みたいなものです。こんなもの、ネパールでは食べたことがありません。ほのかにスパイシーです。

インドではやっぱり各種スパイスを使う料理なんですが、極端に言い切ってしまうと何を食べてもマサラの味がします。でも、ここの料理は決してマサラだけではない味がしました。

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<チウラと野菜>GR DIGITAL

チウラというのは手前の干した米です。米を炊いてつぶし、天日干しするのではないでしょうか。それに、豆などをスパイスをまぶし、一緒に味わいます。これも、ネパール本国のツーリスティックなレストランでは出てこないですね。

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<羊のモツ>GR DIGITAL

羊というと臭そうです。しかも内蔵です。でも、スパイスに漬けこんでじっくりと炒めたもので、独特のにおいはありませんでした。しみじみと美味いですよ。ビールに合います。

インド料理は北でも南でもビールに合うものはほぼないと思っていますが、ネパール料理は違いますね。

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<シェクワ>GR DIGITAL

焼き鳥みたいなものですね。上が鶏肉で下が羊でしたかね。これまた美味いです。

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<モモその1>GR DIGITAL

モモとは具を皮で包んだものです。蒸したモモは食べたことがありますが、これはさらにタレがかかっています。熱々です。もうたまらん。

ちなみに、丸く包むモモはネパール人のモモです。

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<モモその2>GR DIGITAL

こちら、チベット人のモモ。チベット人は餃子のような形でモモを作ります。右のタレに付けて食べますが、ネパール式、チベット式とも甲乙つけがたいですね。

この店、これらの料理をかなりの低額で提供しています。お勘定でびっくりしました。

ま、場所が新大久保ということで、帰り道は山手線沿いを歩きます。途中マラコーがありますので、当然立ち寄っていくことになりますね。

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2018年4月27日 (金)

ネパールに行くとしたら

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<パシュパティナート>K-7/DA15mm

いまだに行き先が決まりません。ま、それは今まで休めた期間が現在の勤め先で若干不明瞭なところがあるからですが。

もう少し経ったらはっきりすると思います。まあ、それまでは妄想で行ってみます。

これまでネパールには2度の訪問歴があります。最初は1998/1999年の年末年始でした。初めて海外に旅をしようと思ったとき、簡単に行けそうなツアーを選択しました。その時に選んだのがネパールだったのですが、人数が集まらずに不催行となりました。

その後もツアーをしばらく続け、数年後にインド・ネパールを申し込みます。こちらインドビザまで取ることができたのですがドタキャンがあってやっぱりツアー不成立でした。

ならば自分で行くしかあるまいと、初めて個人旅行を計画しました。それがネパールでした。ワタクシにしては珍しく職場の友人を誘い、弥次喜多道中で楽しいものでした。でも、ネパールまでのチケットは香港経由のキャセイ+ロイヤルネパール航空というものを神田の某旅行社で取ったので、結構高くつきましたね

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<ポカラ>K-7/DA21mm

その時はカトマンズ-ポカラ-カトマンズというルートです。ま、帰りの香港で1泊というものもありましたけど。

カトマンズだけでなくパタンとバクタプルも訪れています。まだ前国王の兄が国王だった時代で、マオイストの暗い影もほとんどなかった時代です。この時、香港に到着したものの、ロイヤルネパール航空機が香港までやってこなくて、空港のベンチにロイヤルネパール航空が支給した毛布で1泊したものです。

カトマンズ1泊のみ予約を入れましたが、ヘロヘロになって到着してみるときちんとホテルの出迎えがあって、泊まることができました。

そして2度目はコルカタからヴァラナシを経由し陸路でスノウリに出てポカラ経由でカトマンズまでというルートです。この時もコルカタのみホテルを予約。あとは飛び込みで宿を探すというものでした。

あまり時間がなかったことと、インドでひどい体調不良になったことでネパール入りがやや遅れ、ポカラもカトマンズも2泊ずつです。十分に回り切れませんでした。

その後、ネパールではカトマンズを中心とする大地震が起こり、旅をするどころではなくなってしまいましたが、今ではある程度回復しているでしょうね。

ネパールには直行便がないのでどこかで乗り継ぎますね。やっぱりバンコクでしょうね。それだったらタイ航空のストップオーバーを使うのが一番でしょうか。

スカイスキャナーとかイーツアーなどのチケットのネット販売では、オープンジョーは比較的取りやすいですが、ネパール2週間でタイ1週間とかのストップオーバーに関しては取りにくくなります。毎日新宿などを通りますから、H.I.S.あたりでチケットを取ることも可能ですね。

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<パシュパティナート>K-7/DA21mm

行くとなると、ポカラもまたまた行くでしょう。でも、カトマンズ周辺もじっくり行ってみたいですね。ジョムソンとかトレッキングパーミットのいる地域は時間がたっぷり取れてからにしましょうか。それに、季節的にあまりよくないし。

いちお、今のところの第2候補ですね。

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2017年5月10日 (水)

やっぱり雨季は見えないな

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<ポカラ>K-7/DA21mm

今から6年前の話です。2011年、震災のあった年、インドからネパールへと抜けました。

コルカタ-ブッダガヤ-ヴァラナシー-スノウリ-ポカラ-カトマンズというルートです。もう騙され続け、最後のだめ押しがスノウリ。それでも体調が回復したので、バスでポカラにたどり着きました。もともとバスしか移動手段はありませんが。地元のネパール人やチベット人が乗り合うローカルバスです。

けっこうキツイ移動でしたが、途中の眺めは素晴らしかったです。タライ平原から標高約800メートルのポカラへ。あまり大したことはないと思われそうですが、この間に山々が連なり、アップダウンを繰り返しながら徐々に標高を稼ぐ移動でした。

標高800メートルのポカラですが、実はカトマンズよりも標高が低いです。しかし、ここは標高6000~8000メートルのヒマラヤが一望できるところです。特に乾季の日本の冬に当たる季節は素晴らしい眺めとなります。

それを期待したのですが、雨季の8月は少しだけヒマラヤの影がちらつく程度でした。

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<トリブバン国際空港>K-7/DA21mm

ついにネパールを去る日が来ました。陸路の移動でしたが、カトマンズからはバンコクまで空路での移動です。

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<バス移動>K-7/FA50mm

タイ国際航空のチェックインを無事済ませ、いよいよ搭乗です。でも、バス移動なんですね。ここで列を作りますが、空いている方の列に付くと、「男女別」といわれ、長い方の列に付き直しです。

しかも、タラップへと移動しているときに航空機を撮ろうとすると、兵士に制されました。

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<さらばカトマンズ>K-7/FA50mm

でもラッキーなことに、隣に誰も来ない席でした。すかさず窓側に移動します。

ずっと以前、乾季にネパールに来た時を思い出しました。窓越しに見えたヒマラヤが凄かったんです。いくらなんでも、雲の上に出てしまえば雨季でも見えるのではないかと。

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<雲>K-7/FA50mm

カトマンズは盆地で、水平飛行に移るまで時間がかかります。カトマンズ近郊の眺めはこんな感じです。雲だらけ。

そして、カトマンズはものすごく煙っていました。排ガスがたれ込めているようでした。

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<水平飛行>K-7/FA50mm

ようやく水平飛行です。でも、見えません。なんてこった。やっぱりネパールは乾季ですよ。

日本の冬に当たりますが、カトマンズはともかく、ポカラくらいになると、防寒着などを着ていると汗ばみます。確実に同時期の東京より暖かいです。乾季はオススメ。

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<機内食>GR DIGITAL

しょうがないので食い気に走ります。お、カレーですね。

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<拡大>GR DIGITAL

右側がジャガイモとインゲン。左側が鶏肉です。そしてご飯はカレー味。

ダルバートタルカリとカレーの中間みたいな感じです。これ、かなり美味しかったです。タイ航空での一番美味しかったものかもしれません。

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2015年4月26日 (日)

Save Nepal !

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<ダルバール広場>K-7/DA21mm

ネパールで大きな地震が起こりました。甚大な被害のようです。

今回の地震はネパールのみにとどまらず、近隣諸国でも被害が出ている模様です。

新聞報道でダルバール広場の状況が写真で伝えられましたが、見るも無惨な様子でした。

耐震とは無縁な手作りに近い建物の建築。そのほとんどが煉瓦を積み上げるだけのものですから、ひとたまりもないでしょう。

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<ポカラ>K-7/DA21mm

ネパール国内の通信も寸断されているようです。震源はカトマンズとポカラの間らしく、ずっと離れたエベレストのベースキャンプも地震による雪崩で被害が出たとのことなので、ポカラもどんなことになっているのかわかりません。

自分が泊まったポカラの宿にはFacebookのアカウントがあるのですが、更新されていないのですよね。

ともかく、日本もネパールに人的援助を早急に行うべきでしょう。あと、我々にできることは募金ですかね。本当は実際に行って何かしたくはあるのですが。

ともかく、がんばれ、ネパール。世界でも有数のやさしい国ですから、復興を祈っています。

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2011年10月 9日 (日)

インドからネパールへ

インドからネパールへはポールトラベルという旅行社がやっているツーリストバスを利用することにした。ヴァラナシーからスノウリを経由しカトマンズかポカラまでというルートである。パンフレットによると集合時の朝食とスノウリ1泊の料金は含まれて800ルピーで行けることになっている。

パンフレットによればルンビニまでも運行するらしいが、ルンビニに泊まってしまうとあとのルートが面倒なことになるため、スノウリかその先のバイラワで泊まり、次のバスを見つけようと考えていた。スノウリまでなら500ルピーである。チケットを買うことになり、ポールトラベルの男がいうことには、スノウリからルンビニ往復、スノウリ2泊でポカラまでというチケットを勧められた。これで1200ルピー。

あとで値段を計算するとどうも腑に落ちない点があったが、旅行社のそばにはツーリストバスらしいものが数台並んでいたので、まあスムーズに行けるものだと思っていた。ちなみに、バスはガイドブックによれば毎日運行とあったが、この時期は客が少ないためか、指定の曜日には出ず、翌日にすることになった。

そして、当日。ポールトラベルに集合。チケットを確認去され、朝食券をもらう。次第に旅行者が集まってくる。オートリキシャが2台。現れたのは韓国人の若いパッカー…ではなくて、話しかけると日本の大学生だった。もう1台からはニュージーランド人の男女。

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<これが朝食>GR DIGITAL

指定の食堂のそばで待つ。旅行者はぽつぽつと集まってきて、今度は本当の韓国人のバックパッカー、イタリア人の男1人女2人というグループ、最後にかなり大柄なスペイン人3人の男というのが、この日乗るメンバーとなった。

レストランからは具を挟んだトーストとチャイが配られる。これだけ。出発時間をかなりすぎてようやくバスが動き出す。しかしそれは大型のものではなく、タータ製のミニバンであった。荷物は屋根に積む。一番の懸念はこのことだった。今回ザックカバーを持参するのを忘れ、荷物が濡れてしまうのが一番いやだった。

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<車内>GR DIGITAL

最後列のシートに座る。あとで思い知ったが、一番よいのは運転席の後ろあたり。とにかく狭い。だが、反対側にはスペイン人の中でも最も大柄な男が来ただけなので、荷物を置く余裕があった。

最前列に運転手と案内役なのか正体不明のインド人女性が座る。この人は出発間際にやってきて、何か注意をアナウンスしたあとはただ乗っているだけの人だった。荷物もなく、食事にも同席しない。

ミニバンはようやく出発したが、まずはガソリンを入れ、そのあとタイヤの空気を入れる。ちなみに、タイヤの空気はガソリンスタンドではなく別のところで行った。そんな具合なので1時間たってもまだヴァラナシー郊外らしかった。都市や町の境目にはちょっとした市場のようなものがあり、ここにクルマやバス、リキシャや荷車が混在し、かなりの渋滞となる。これを何回繰り返しただろうか。昼を過ぎてしばらくしやっと初めての休憩となる。

ここではヨーロッパ組は旺盛な食欲を見せていたが、日本人の大学生はかなり具合が悪いらしく、飲み物を取ったのみ。トイレにも何回も行きたがっていたようだ。韓国人はターリーを食べていたが、具合はよくないようであった。ま、そういう自分も飲み物だけをオーダーしたのみ。すっかり回復していたのだが、ぶり返しが怖かったので食べないことにしたのだ。

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<2度目の休憩>K7/FA35

午後の行程もあまり芳しくなかった。地図上で見ると、ヴァラナシーとスノウリのほぼ中間にある、ゴーラクプールに到着したのが、17:00近く。300kmくらいを8時間かかっている。そろそろ休憩が欲しいところだが、18:00過ぎにようやく2度目のストップ。ここでトイレを済まし、飲み物とビスケットを買う。

ここからは交通量が減り、ややスピードアップする。車窓の左側には大きな夕陽が見える。普通の状態だったら、カメラを構えるところだが、身体が動かない。精神的に疲れ切っている。

ミニバンは20:00ちょっと前にスノウリの国境に到着。ミニバンはここまで。あとは歩いて国境を越えるのだ。インド側の国境には今夜泊まる宿の人間が案内を兼ねてやってきていた。この国境はインド人とネパール人には行き来が自由なのである。

このあと宿へ。まるで南京虫が出そうなところで、夜だというのに、暑くてかなわない宿である。ここで、アジア組に入れられ、3人で泊まることになったが、自分は翌日もあるので、ひとり部屋に変更させてもらう。100ネパールルピーの追加。

ヨーロッパ組は元気にもりもりと食事を取っている。日本人の大学生と韓国人は元気がなく、今日は何も食べずに寝るだけらしい。

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<久しぶりのビール>GR DIGITAL

かなり腹が減っている。トーストとビスケットだけでは当たり前である。ビールとチベットの焼きそば、チョウメンをオーダー。ビールはツボルグのストロングというやつで、かなり強く感じた。だが、日本を出て飛行機の中で飲む以来のアルコールなので、これは仕方ないのかもしれない。

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<チョウメン>GR DIGITAL

チョウメンは味がしなかった。宿の係が持ってきた赤と緑のペーストをつけるとまあまあになる。だが、空腹を満たすだけ。

変更した部屋だが、天井にファンがあるのみ。トイレにはシャワーもついていたが、お湯は出ない。んー、この部屋で2泊か。

と、いうわけで、インド・ネパールの陸路国境越えに成功しました。個人的にはこれでよかったのですが、インドからルンビニを目指す人以外にはお勧めできません。ポールトラベルは、チケット確認の時にインドルピーはネパールでは使えないようなことをいって、両替させようとします。もちろん、ネパールでも使えます。ただ、建前上はインドルピーの国外持ち出しは不可となっています。

そして、スノウリの国境ですが、インド側に両替所があり、かなり悪いレートで両替することになります。ここではあまり両替しない方がいいでしょう。ネパール側も両替は至る所でやっていますが、やはりレートはよくないです。

宿でチケットのチェックが行われましたが、ルンビニと聞くとクルマ手配を持ちかけられました。1300ネパールルピーでしたが、割高です。面倒なのでOKしましたが、ニュージーランド人のカップルのようにチケットはスノウリまで、ここでは泊まらずに自分で宿を探すなどの方法の方が、より快適な旅ができそうです。

国境のイミグレーションですが、ここは緩い。書類に不備があっても、大丈夫みたいです。ネパールビザ用の写真とUSドルがあれば、楽々です。

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2008年7月 2日 (水)

アジアの三輪タクシー

アジア各地で走る三輪タクシー。インドではオートリキシャ、ネパールではテンプー、タイではトゥクトゥクまたはサムローなどと呼ばれているものだ。その成り立ちは、前川健一の「東南アジアの三輪車」という本に詳しいが、インドでの呼び名から推測されるように、元々は日本の人力車が伝わったものらしい。インドではエンジンのない人力で人を運ぶリキシャもまだあるし、マレーシアのトライショー、ベトナムのシクロなどもその系統である。

ここでは、それらではなく、エンジンつきのものに限って考察してみよう。三輪というところから、かつて日本にも存在したダイハツのミゼットなどを改造したものとバイクやトラクターを改造したものとに分けられるか。

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<チェンマイのトゥクトゥク>MZ-3/35mm/E100VS

タイのトゥクトゥクは上の画像のようなタイプが主流である。カラーリングもほぼ同じ。ミゼットを改造したような感じだが、もはや生産されていないミゼットなので、トゥクトゥク用に部品を作るところもあるとか。イタリアなどでも三輪の小型車はまだ販売されているようなので、そちらからの流用とも考えられそうだが。このタイプは、運転席の後ろに二人くらいならゆったりと座ることもできる。それ以上は、ちょっと苦しくなる感じだ。後席のサイドには安全のための金属のバー(手すり)もあるが、それ以外は取っ払われていて、かなり風通しがよい。

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