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2006年12月 2日 (土)

かすてら音楽夜話Vol.4:林哲司

2000年初頭の香港。今となってはなんだったのかの2000年問題が危惧された頃の話である。この時、職場の同僚と香港を訪れた。そいつは海外が初めてだったので、手頃な香港を選んだのだが、町歩きにはいささか飽きていたというのも事実。やつを地元百貨店やデューティーフリーなどに案内し、ふと賑やかな街を見ると、HMVとかタワーレコードがあった。

をを、今度は自分の買い物の番。店に入ると、その頃は安室奈美恵とかTRFなどが香港でコンサートを行った直後だったらしく、やたらとポスターが貼ってあった。探すと、日本のRock/Popsのコーナーもある。とりあえず眺めていく。結局、次の日もわざわざ香港サイドまで渡り、掘り出し物を見ていった。

収穫は数枚。アジアには当時ソニーなどがジャケット内部などを現地版に置き換えたものを発売していたので、まあ有名どころは一通り揃っていた。とはいえ、そんなものは、日本で黙っていても手にはいる。自分が探していたのは、レアものである。

そんな中に見つけたのが、『Bruges』林哲司。(ちなみに、『』内はアルバムタイトル、「」内は曲タイトルとさせて頂く。)

Bruges

若かりし頃の林哲司氏が写っているジャケット。

林哲司という人は、日本を代表する職業作曲家・編曲家のひとり。代表作としては、一連の菊池桃子作品、杉山清貴とオメガトライブ作品など。要するに80年代から90年代にかけて、売れまくった人である。…というのが、一般的な評価となるかどうか。

03love_songs  Mayonakanodoor

ワタクシ的には竹内まりや「セプテンバー」、松原みき「真夜中のドア」あたりにキラリと光るものを感じるのだが。ともあれ、林哲司は当初ヤマハの関係で働いていたらしい。楽曲が世に出たのはまずは編曲の仕事から。南沙織のアレンジャーであった。79年あたりから曲が使われ出し、上記2曲はその初期のピュアな頃のものとなる。

とはいえ、当初は林氏もシンガーソングライターとしてデビューしていたが、曲が書けるのと歌を含めた演奏力が同等というわけにはいかない。要するに、あまり上手くなく、売れなかったのである。そのデビューアルバムが、『Bruges』なのである。これは、1973年の作品で、後にCD化されたのだが、日本ではとっくに廃盤になっていた。

同じく、2003年のバンコクでも、レコード会社を移籍してしまい、作品が見つけられなくなっていた鈴木祥子を何枚かみつけ、すかさずゲットしたこともある。しかし、最近は日本のブームも去ってしまったのか、ほとんどこうしたものは見つけられなくなってきた。でたらめな日本語Tシャツがなかなかお目にかからなくなってきたのと同じように。

アジアではその国のRock/Popsの水準が上がってきていると思う。もう、日本の曲を聴かなくても、あるいは、現地語のカバーヴァージョンを聴かなくても、十分にオリジナルができあがってきているのだろう。

さて、あまり曲を提供しなくなった林哲司だが、まだまだ活動は衰えていない。地元静岡では、FM冨士を立ち上げ、グルニヨンというグループで演奏活動も行っているという。記憶に新しいところでは、2003年のNewわかふじ国体(静岡県)の総合プロデューサーも担当していたのだ。でも、いい曲をたまには世に出してくださいね。

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