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2007年7月29日 (日)

ネパール:チベット難民キャンプ

ネパールのポカラに滞在中、チベット難民キャンプを訪れた。チベット難民とは、1959年のチベット動乱に伴い、チベットを脱出してきた人たちが住むエリアである。この動乱で、ダライ・ラマ14世もインドに亡命し、ダラムサラで亡命政権を樹立している。

ネパールはヒンドゥ世界であるものの、チベット系の住民もかなり多く、チベット仏教(ラマ教)の文化や習慣もかなりよく目にすることができる。首都のカトマンズではどちらかというとインドに近い感じがするが、ポカラでは頻繁にチベット人たちを目撃する。街にはチベット人女性の物売りも数多いが、彼女たちは難民キャンプからやって来るようである。

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<チベット難民キャンプ>Eos1000s/28-105mm/SRS

キャンプの中心にはチベットの村落と同じように、石で囲まれた守り神のようなものがある。人々はこの周りを右回りに歩いて経文を呟くのである。その人たちは携帯用のマニ車を手にしている。マニ車の中にはやはり経文が書かれているものが入り、マニ車を右に回転させながら経文を呟くのが普通である。

昼間の、難民キャンプは女性の姿がほとんどない。中心の広場では少年から青年といった連中が車座になって座っていた。

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<車座になった男たち>Eos1000s/28-105mm/SRS

暇そうでやることがないので、いつも集まっているみたいだ。その中のひとりが英語で話しかけてきたが、ちょっぴり危ない内容。まあ、いってみればややヤンキー風なのである。少し飲んでいるのかも知れない。とにかく仕事がないので、こうしているよりないようだ。

中には、自分たちで土産物を売って生活の足しにしている人もいる。同行した友人はここで、アンモナイトの化石を手に入れていた。幾ばくかの料金を払い、足りない分は日本の街で配られているティッシュで交換した模様。カラフルなティッシュの広告は、結構人気がある。何とものどかだ。

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<石に刻まれた文字>Eos1000s/28-105mm/SRS

再び石垣に戻る。石にはチベット文字が刻まれていた。これも、中国のチベットと同じである。

先ほどの車座になった連中は、皆ここで生まれている。彼らの親くらいがようやく、年少期にチベットを脱出したくらいだろう。大人になっていい分別が付いて自主的にチベットを脱出したのは、今や彼らの2世代前の人となり、もう老人といってよい。

自由を求めてチベットから逃れたものの、囲われた空間に生活し、仕事もない日々。彼らは、中国圏に取り入れられたチベットには戻る気はないと思うが、一体どちらの方が幸せなのだろうかと、考えさせられるものがあった。

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03c Nepal」カテゴリの記事

コメント

 私もポカラにあるタシリン・チベット村というところへ行きました。そこでは、男の人はやはりぼんやり座っていて、女の人が小屋の中でじゅうたんを織ったり、糸巻きをしたりしていました。
 手工芸品店もあって、チベット風のじゅうたんや壁掛けなどを売っていました。
 国を出て、住むところが限定され、職もない日々。食べるものはあっても、幸せかどうかということについては、考えさせられますね。

投稿: マサエ。 | 2007年7月30日 (月) 11時02分

◇マサエ。さん、こんにちは。
記事では省略しましたが、同じくタシリン・チベット村とガイドブックには紹介されているところです。行ったんですね。
まあ、入口のところで男性の親子が民芸品を売っていましたけど、大半の男性はやることがないのではないでしょうか。

ま、そんな感じなので、ちょっとぐれちゃう奴も出てくるんでしょうね。
今はどんな感じなのか、気になるところです。

投稿: ヒョウちゃん | 2007年7月30日 (月) 20時07分

明日午前中、どこへ行こうかと思ってヒョウちゃんのチベット編を見ていたら、これに気がつきました。
実は私は正確に書けばカトマンズではなくポカラにいるんです。
ここからすぐ近くなんですよね。
ヒョウちゃんが行かれたのが2年前。
どう変わっているでしょうか

投稿: スクムビット | 2009年9月16日 (水) 23時49分

スクムビットさん、はるばるネパールからこんにちは。
この記事は正確に言うと、旅の合間のつなぎです。
記事をアップしたのは2年前なんですが、ここを訪れたのは1998年の年末くらいですから、もう11年前のことになります。
おそらく、ここの人たちも携帯を手にしていることでしょうが、そんなに変わっていないだろうなと思います。
場所は、ペワ湖のさらに向こうで、ダムサイドから一本道をずっと行ったところです。自転車だと楽かも。

投稿: ヒョウちゃん | 2009年9月17日 (木) 00時06分

すみません、私はポカラに居たのではなくてカトマンズのすぐ近くのパタンに居たんです。
ポカラは行きたかったんですが・・・

チベット人の住むところがパタンにもあって、それと勘違いしてしまいました。
しかし勘違いであってもこの記事を見てパタンのチベット人居住区にいったことは間違いありませんので。
ありがとうございました。

投稿: スクムビット | 2009年9月20日 (日) 23時21分

スクムビットさん、こんにちは。
パタンはもちろん行きましたよ。
カトマンズ周辺を回っているようですね。
まだ時間があるようなら、パシュパティナートへも足を運んでみてください。単なる火葬場ですが、人生観変わるかもしれません。いちお、写真OKです。ここは。

パタンは3時間程度しか滞在できませんでしたね。
もっと長くいたかったのですが。
もう1回ネパール行ってみてもいいかなあ。

投稿: ヒョウちゃん | 2009年9月21日 (月) 02時17分

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