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2008年1月27日 (日)

サン・フランシスコ・ザビエル教会

マラッカのホテルでは海側の部屋をもらうことができた。とはいえ、海からはかなり離れているのだが、19階のために展望はいい。

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<マラッカ海峡とマラッカ市街>MZ3/50mm/EBX

マラッカ海峡に浮かぶおそらくタンカーも見える。だが、自分の目は画像の中ほどにある双子の塔を持つファサードに引きつけられた。あれはなんだろう。地図で確かめると、ザビエルの名前を冠した教会である。フランシスコ・ザビエルはインドのゴアからマラッカまでたどり着き、東洋での布教の拠点とする。

その後、中国を経て日本までやってきたが、その帰途で亡くなったらしい。遺体はマラッカに搬送されて、セント・ポール教会に葬られたが、インドのゴアに送られ、遺体の一部はポルトガルにも送られたとのこと。あそこにまずは行ってみよう。

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<サン・フランシスコ・ザビエル教会>MZ3/35mm/EBX

ファサードにあるように1849年の創設。自分のブログでは、「サン・フランシスコ・ザビエル教会」と記述するものの、マラッカは一度ポルトガルが支配したものの、後にオランダ、イギリスと宗主国が変わったためか、あまりポルトガル語は残っていないような感じで、ここも実際は、「セント・フランシス・ザビエル教会」という名称。

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<中央祭壇上のステンドグラス>MZ3/35mm/EBX

中央にあるステンドグラスの人物がおそらくザビエルなのだろう。このときは人でごった返していて、あまり長居はできなかった。

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<結婚式>MZ3/35mm/EBX

それは、ここで結婚式が行われた直後だったかららしい。そのあと、何度かここを通りかかったが、改めて内部を覗く機会はなかった。

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<ザビエルとやじろうの像>MZ3/35mm/EBX

教会の右手にはザビエルの像があった。右がザビエル。左の人物は、なんと日本人でやじろうという名前らしい。像の台座にも「やじろう」とひらがなで記してあった。このやじろうは、ザビエルを日本まで導いた人物らしい。それにしても、当時の日本人は、マラッカまでも来ているとは。「マレー蘭印紀行」でも、そうだが、昭和初期の日本人もツーリストではないにせよ、かなり積極的に海外に出ている。なんか昔のほうが、インターナショナルな感じがしないでもない。

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<ライトアップされた教会>GRD 3:2mode

おまけの画像は、夜のサン・フランシスコ・ザビエル教会。ある程度ライトアップされているものの、一眼レフでは暗すぎてとても無理なので、GRDの感度をISO800くらいに上げて、スローシャッターを切る。手持ちではこれが限度か。でもいい感じです。

マラッカではザビエルに関するところはもうひとつあります。それは後日。

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コメント

 ヒョウちゃん、こんにちは。今度はザビエルです。
 ザビエルが亡くなったのは、日本の後、中国に宣教のために渡ろうとして、中国へ入る機会を待つ間にマカオ西方の上川島に於いてでした。
 そして、現在は聖遺骸がインドにあり、聖腕がローマにあります。他に聖骨を持っているところが何ヶ所かあって、日本にもあります。ポルトガルもそういった教会ではないかと思います。

投稿: 伊 謄 | 2008年2月13日 (水) 22時21分

伊 謄さん、再びどうもです。
ザビエルの遺骸があるのがゴアですね。
ローマのは、ジェズ教会で、ローマには何回も行っているのに、訪れていません。
直接関係があるかどうか、マカオには、ザビエルの名前を冠した教会があります。
また、ファサードだけの聖ポール天主堂跡にも、ザビエルの胸像がありましたが、今調べてみて、ザビエル自身はマカオには足跡を残していないことがわかりました。

投稿: ヒョウちゃん | 2008年2月13日 (水) 23時25分

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