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2008年2月29日 (金)

ポルトガル人の末裔

16世紀にポルトガルがマラッカにやってきて、マラッカはポルトガルの東洋進出の拠点とされることになる。だが、そのポルトガルも国力の衰えとともに、マラッカを手放し、その後はオランダ東インド会社がマラッカを統治した。

さて、ポルトガルはマラッカから出て行ったものの、ポルトガル人もマラッカに定住し次第に現地化されていく。現在、マラッカの東に通称ポルトガル村というものがあり、彼らが暮らしているのである。

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<ポルトガル村入口>MZ3/35mm/RVP F

宿からは徒歩で行ってみた。歩く距離はあまりたいしたことはないものの、歩道もないような交通量の激しい道を注意しつつ歩くので、大変時間がかかってしまった。まったく、ポルトガルという言葉には弱いので、引きつけられたようなものだ。この1年春はマカオへ、夏は本国ポルトガルから旅をしたくらいで。

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<民家>MZ3/35mm/RVP F

なんか新興住宅地みたいな雰囲気ではあるが、明らかにマレー人や中国人の家屋とは違う趣。決定的なのは、どの家にも飾られたクリスマスの飾りである。上の画像ではサンタクロースがいます。

たまに、人とすれ違う。ほとんどは肌の色濃く、マレー人とさほど変わらないのだが、ごくたまに、ポルトガルでもよくいるタイプの顔立ちの人も。さらに道を進むと、海に出た。

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2008年2月27日 (水)

宗教混在の通り

マラッカ、ジョンカー・ストリートにひとつ平行する通りには、モスクとヒンドゥ寺院と中国の廟が並ぶ。それも、ひとつのブロックにだ。ここもいわゆる、チャイナタウンに入るのだろうが、宗教は混在状態。

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<カンポン・クリン・モスク>MZ3/35mm/EBX

マレーシアのいわばデフォルトの宗教ともいえるイスラム教。もちろん、マレー人のほとんどが信仰している。だが、マラッカのモスクはいわゆるアラブ様式ではなく、瓦屋根を持つ東洋的なものである。モスクの痕跡を残すのはミナレットくらいか。これまた、マレーナイズされているが。

礼拝時間とは関係なくやってきたため、モスク内は閑散としていて、子供の遊び場にもなっていた。

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<スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院>MZ3/35mm/EBX

カンポン・クリン・モスクの隣にあるのがこのヒンドゥ寺院。ここだけ思いっきりインド人の世界。中ではにぎやかに太鼓をたたいていて裸足になれば見学可能。

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<ご神体>MZ3/35mm/EBX

中では、僧衣をまとった男女が灯明をあちこちにともしていく。香油のにおいにはかすかにバター臭が混じる。

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<廟と巨大線香>MZ3/35mm/EBX

ヒンドゥ寺院の隣がまた、中国の廟でした。残念ながら扉は閉ざされていた。また、カンポン・クリン・モスクの方向にずっと進めば、青雲亭(チェン・フン・テン)寺院もある。こちらは、また後日のエントリーで触れる。

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2008年2月24日 (日)

往年の名残-柱の文字

マラッカに到着したとき、一番気になったのは、柱に刻まれた店舗の文字だったりする。マレーの商店街は、ほとんどがショップハウス形式で、歩道に面したところが店舗となり、その上が住居となる。その住居は店よりも数メートルほど歩道側に張り出していて、そこには巨大な柱が存在する。その柱に、店の名前などを刻んだものがよく目立っていた。

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<マラッカの柱>MZ3/35mm/EBX

コンクリートで作られた柱。マレーの建物には建造年が記されたものが多く、古いものでは1930年代だったりした。この柱がその当時と同じものならば、柱に刻まれた文字はそれだけの歴史を証明するものとなるが、果たしてその店の名前は今でも同じものだろうか。

確かめることはしなかったが、作り直すことのできないこの柱に、中華系住民の軒並みならぬ決意のようなものを感じる。

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2008年2月23日 (土)

ニョニャ料理

マラッカでニョニャ料理を2回食べた。いずれも、なかなかにスパイシーであった。

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<サンバル・シーフード>GRD

上はある日の昼に食べたシーフード。インドネシアやマレーシアではサンバルという辛い調味料を使う。このときは海産物を食べるつもりでいた。店の人の薦めで選んだのが、イカとエビのミックスというもの。インゲンやタマネギとともに海産物がサンバルで炒められていて、辛くて美味い。

Cottage Spicesという、カフェのような店。このときは、ムルデカ通りにある巨大なフードコートを覗いたのだが、人が多すぎてちょっと敬遠した。このとき、この店の案内板を見て、足を運んだもの。調べてみるとWebページがありました。

店内は大きめの丸テーブルが4つ程度と外にテラス席がいくつか。ほぼ相席となるようだが、全然OKでしょ。飲み物はスタバのようなプラスチック容器に入れて出してくれます。結構おしゃれな感じですね。

サンバル・シーフード11.8RM、ご飯1.0RM、アイスミルクティ3.0RM。

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2008年2月21日 (木)

マラッカのチャイナタウン

さあ、今日からシンガポール&マレーシアを再開します。

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<ジョンカー・ストリート>MZ3/35mm/EBX

スタダイスからマラッカ川に架かる橋を渡ると、中華街となる。中心となるのはジョンカー・ストリート。様々な店舗が並び、そのほとんどはショップハウス形式。階下が店で店の奥や上階が住居となる作りである。とはいえ、ほとんどのショップハウスは、撮影禁止の札を掲げていたりする。

ジョンカー・ストリートはガイドブックなどで紹介されているところだが、日中はクルマの抜け道だったりする。だが、横道を入ると、こんなところも。

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<チャイナタウンの店舗>MZ3/35mm/EBX

アンティークの店だろうか。切り絵風の模様が何となく気に入った。

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2008年2月19日 (火)

イベリア&モロッコ、旅の終わり

宿から荷物を取ってきて、いよいよ空港に向かう。前日時刻を調べておいたので、列車で空港入りである。まずは、カサ・ポール駅まで徒歩。

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<カサ・ポール駅>MZ3/35mm/E100VS

カサ・ポールとはフランス語でカサの港という意味。画像を見ればわかりますね。以前の記事にも書いたが、ここからはムハンマド5世行き列車は出ていない。ただし、接続列車が出ている。1時間に1本程度。アイン・セバー乗り換えで40分弱。料金35DH。

カサ・ポールはタンジェまたはフェズ方面のみで、マラケシュ方面への列車は止まらない。ローマのテルミニ駅のように行き止まりの構造のため、駅としての雰囲気はカサ・ヴォワジャー駅よりも上である。

ONCFでは、ホームに行くにはチケットに駅員からハサミを入れられる必要がある。イタリアなどではホームへの出入り自由。そのかわり、列車に乗るためにはチケットに刻印しておく必要があり、これを怠ると罰金が待っている。かつてはほとんどのヨーロッパで、このシステムではあったようだが、モロッコのかつての宗主国フランスも、近頃はテロ対策だろうか、刻印とともにホームへの入場は係のチェックが必要で、チケットなしでは入れないようになった。

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<アイン・セバー>MZ3/50mm/E100VS

これがカサ・ポールから1駅のみ乗った車両。最新型で、2階建てである。中も綺麗で快適。これで行けたら楽々なんだけどな。

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<ムハンマド5世空港駅>MZ3/50mm/E100VS

一方、空港への列車はこちら。かなりクラシックな感じです。空港の建物に入るには、手荷物チェックがあり、かなり時間がかかった。余裕を持って出た方がよさそう。

と、いうことで、ようやくイベリア&モロッコの旅レポ、終わらせていただきます。いやあ、長かった。3週間ちょっとの旅が、半年近くかかったことになる。自己最高記録。ここまで、たくさんのコメントありがとうございました。わずかではありますが、実際に旅で役立てたという話も聞いているので、ホントやりがいがありました。またいつかはこんな旅をしてみたいものですが、それはいつのことになるものか。

次回のエントリーからは、シンガポール&マレーシアのカテゴリーとなります。こちらも、長くかかりそうですが、まあこれほどではないでしょう。こちらもよろしくです。また、今回のエントリーで紹介しきれなかったものは、ポルトガル、スペイン、モロッコのカテゴリーで、いつかは取り上げてみたいと思います。

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2008年2月18日 (月)

カサのメディナ

ハッサン2世モスクから再びプチタクシーでカサブランカの中心へ。国連広場近くには、小規模ながらメディナがある。まったくツーリスティックではないが、ここをほっつき歩き、旅の締めとする。

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<路上のムハンマド6世>MZ3/35mm/E100VS

メディナにはいるとちょっとした広場になっていて、ここはスークになっている。また、路上に品物を並べた店もある。メディナの入り口ということで、ここは観光客も訪れ、土産物を買っていくようなところ。それではさらに奥へ行ってみよう。

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<住宅地にて>MZ3/35mm/E100VS

路地を適当に奥へ。しばらくすると住宅地となり、駄菓子屋やゲームセンターなども現れる。その近くにあった、壁のアート。

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<メロン売り>MZ3/35mm/E100VS

さらに奥へ。野菜や果物が売られていました。鮮やかなメロン。

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<水売り>MZ3/50mm/E100VS

ざっと回って、入り口の時計塔近くへ。そこにはゲラブと呼ばれる水売りがいた。今や、モロッコ観光の代名詞的な存在ではあるが、水をゲラブから買って飲むモロカンもいる。自分もお金を払ってモデルになってもらった。フェズやマラケシュではオレを撮れとさかんに誘われたものだが、一切無視していた。まあ、旅の最後だしいいか。

さ、これで3週間にも及ぶ観光を終える。ホテルに戻って荷物を取ってこよう。

ちなみに、これで大団円…ではありません。もう1編書かせてください。それできっぱり終わらせますので。

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2008年2月16日 (土)

ハッサン2世大モスク

いよいよ最終日。出発までは時間があり、どこに行こうと考えたが、やはり絵になるところはハッサン2世モスクである。

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<ハッサン2世モスク>MZ3/20mm/E100VS

ハッサン2世モスクは1993年に完成した比較的新しいモスクで、もちろんモロッコ最大のモスクである。モロッコ最大にして唯一異教徒が入れるモスク。しかし有料で入場料は120DHもする。

2年前にも来ていて、その時中に入ったので、今回は外から撮影に専念した。ちなみに、クレジットカードでも支払いが可能。内部は、ツアーで回ることになる。もちろん、日本語ツアーはなく、英語などのツアーと合流する必要はあるが。

それにしても、でかい。

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<ミナレット>MZ3/20mm/E100VS

このミナレット、マラケシュのクトゥビアやセビーリャのヒラルダを遙かに超える高さがあるだろうが、遺跡でも何でもなく、近代建築なのであまり讃えられるものではないか。それでも、ここは世界最大のモスクではなく、それはメッカにあるカアバ神殿といえるだろうし、トルコの新しいモスクなどでも尖塔のような細長いミナレットを持つものもたくさんできているのだ。

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<ミナレットの紋様>MZ3/77mm/E100VS

モロッコ中から3000人以上の職人を集めて作った国威発揚モスク。すでに名前を冠した、ハッサン2世は亡くなり、息子のムハンマド6世の統治下にあるモロッコ。このモスクは祈りの時間帯は見学ができないそうだが、見るからにがらんとしていた。

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<大西洋>MZ3/35mm/E100VS

モスクは大西洋岸の町はずれのような場所にある。この先にアイン・ディアブと呼ばれる、ビーチ・リゾートがあるというが、行ったことがない。

ちなみに、ハッサン2世モスクの内部については、本サイトのここに、アップしてあります。冬のモロッコ旅行記ですが、よかったらそちらとも合わせてどうぞ。

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2008年2月14日 (木)

カサブランカ港とバー・カサブランカ

いよいよ旅の大団円。早朝CTMバスでエッサウィラを発ち、バスで約7時間。最終宿泊地のカサブランカに到着。宿はすでに予約してあり、バウチャーを持っている。さくっと移動し、さて何をするか。

翌日昼の便でパリに移動するため、まずは空港までのアクセスを調べにカサ・ポール駅へ。ちなみに、カサブランカの鉄道駅は2つあり、カサブランカの中心にあるカサ・ポール駅と少し離れた、カサ・ヴォワジャー駅がある。どちらからも空港への接続列車が出るが、カサ・ポールからは基本的にタンジェとマラケシュ方面しか行かないため、一つ先のアイン・セバーで乗り換えることとなる。

さて、そのついでにカサブランカの港に行ってみた。カサブランカも海産物を水揚げする漁港である。

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<カサブランカ港>MZ3/35mm/E100VS

だが、港はひっそりとしていた。水揚げされるのは早朝のようである。そのかわり、地元の人たちが釣りを楽しんでいた。

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<港で釣りを>MZ3/35mm/E100VS

ただしここは、たくさんの水揚げがあるためか、かなり魚の発酵したようなにおいがする。気分は今ひとつ。上の画像で遠くに見えるミナレットは、ハッサン2世モスク。モロッコで唯一観光客が立ち入れるモスク。ただし有料。

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2008年2月12日 (火)

マラッカの夕陽

沢木耕太郎の「深夜特急」以来、マラッカの夕陽は旅人のあこがれでもある。これまた10年以上昔のことになってしまったが、大沢たかお主演の「深夜特急'96熱風アジア編」でも、マラッカの夕陽が取り上げられ、さらに有名になっている。

と、いうわけではないが、自分もマラッカの夕陽を追い求め、夕陽の見える場所へ。

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<セント・ポール教会のザビエル像>MZ3/35mm/EBX

ま、それはスタダイスから丘を登ったところにある、セント・ポール教会なのだが。「深夜特急」の中では、沢木耕太郎も大沢たかおもマラッカ海峡まで走り出て夕陽を眺めたのだが、セント・ポール教会からもマラッカ海峡が眺められ、安直にこちらで夕陽を撮影することにした。

ちなみに、ここ、セント・ポール教会はすでに教会の役目を終えていて、実際には教会跡といった方がふさわしい。天井は崩れ落ち、残るのはファサードと壁だけである。しかし、ここには、ザビエルの遺体が9ヶ月間安置されていたほか、多数のキリスト教関係者がここに葬られている。

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<墓石>MZ3/35mm/EBX

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2008年2月10日 (日)

さらばエッサウィラ

エッサウィラでの2日間、いろいろなところを当てもなく歩き回る。この町に再びやってきたのは、アーメッドというちょっとファンキーな土産物屋の男に再会しようという目論見もあった。前に来たときに写真を撮り、送ろうかと思っていたところ、たった1枚だけのアラビア文字だけの名刺を写し取るようにいわれたものの、とても無理なので持参することにしたのだ。アーメッドは簡単な英語を話すことはできても、アルファベットを書くことができない。実はこういう人物はかなりいる。

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<魚スークにて>MZ3/20mm/E100VS

朝から歩き回り、イスティクラール通り沿いにあるスークへ。見たこともない魚が並ぶ。人物が写るので、カメラを見せて撮っていいかと仕草できくと頷いてくれた。魚屋の兄ちゃんにはピントがきていないものの、しっかりカメラを見てますね。

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<貴金属スークにて>MZ3/20mm/E100VS

魚スークの向かいにあるのが貴金属スーク。エサが豊富なんだろうか。ここにはたくさんの猫がいた。モロッコではかなり猫が多い。猫写真も結構撮っているのだが、これはあとでまとめてお見せできたらなと思う。

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2008年2月 8日 (金)

エッサウィラの漁港

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<エッサウィラの漁港>MZ3/50mm/E100VS

モロッコの大西洋沖は屈指の漁場らしい。日本もここからイカなどを輸入しているとか。エッサウィラをはじめ、アガディールなどモロッコの大西洋岸はやはり漁業が盛んだ。そして、エッサウィラではメディナを海側に進むとすぐに漁港となっている。これから操業に出るらしい船も見ることができる。

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<捕れた魚>MZ3/50mm/E100VS

これから操業に出る船には、氷などがどんどん積み込まれていく。一方、戻ってきた船からは収穫物の魚が水揚げされる。魚の入ったトロ箱ごと、手際よく放り投げて魚市場へ直送。魚市場はここから目と鼻の先なのだ。こういう作業は見ていて飽きない。やはり海が好きなんだろうと思う。

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<準備中の漁師>MZ3/77mm/E100VS

傍らに目をやると、漁師がはえなわにえさをつけている。えさはどうやらイワシのようだ。これでさらに大型の魚を捕るのだろう。

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<港の風景>MZ3/35mm/E100VS

こんな風に何でも絵になってしまうエッサウィラの漁港。いい感じです。明日行けといわれれば、二つ返事で行きます。

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2008年2月 5日 (火)

赤い町並み-マラッカ

マラッカの中心、それは紛れもなくオランダ広場ということになるだろう。ここには、マラッカ・キリスト教会やオランダ占領時代の総督の居住地跡であるスタダイスなどがあり、そのすべてがれんが色の建物である。

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<マラッカ・キリスト教会>MZ3/20mm/EBX

「地球の歩き方」によれば、「ムラカ・キリスト教会」という表記であるが、マラッカにはMalaccaとMelakaという二通りのローマ字表記がある。忠実にMelakaをムラカと読み替えたものだろうが、実はどちらもマラッカと読む。

この教会内部にはアズレージョのような「最後の晩餐」があるのだが、残念ながら内部の撮影は禁止である。そして、画像でもわかると思うが、この前はトライショーのたまり場となっている。

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<時計塔>MZ3/20mm/EBX

塔と呼ぶにはいささか低いが、時計塔もある。このあたりはトライショーのドライバーと観光客が入り乱れている感じである。この脇には噴水もあります。このオランダ広場、朝から夜まで人でごった返しているが、イグアナと大蛇を持った男には注意するように。まあ、要するにそれで金を稼いでいる訳なのだが。

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<スタダイス>MZ3/35mm/EBX

マラッカはかつてマラッカ王朝が栄えたところだが、ここには、明の時代の中国から交易を求めて中国人がやってきている。そして、マラッカを東洋進出の拠点と考えたポルトガルがここを占領し、その後ポルトガルに代わって、オランダが進出してきた。そのオランダ総督が居住したところがスタダイスである。現在は博物館。

そして近代となり、オランダに代わってここを支配したのが、イギリス。昭和に入り、日本も進出してきたのだが。いろいろな民族がマラッカにやってきて、現在はマレーシアの民族構成の通り、マレー人、中国人、インド人が住み分ける。だが、それだけではなく、ポルトガル人の末裔や、中国人とマレー人の子孫、プラナカンもいるという、かなり複雑な民族構成というところが、マラッカの魅力。それぞれの文化がミックスしあい、独特のテイストを生み出している。

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2008年2月 2日 (土)

エッサウィラの光と影

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<メラー>GRD 3:2mode

エッサウィラで最も緊張感のある場所が、旧ユダヤ人街のメラーである。この荒れ果てた場所を早朝から歩く。いいとこばかりのエッサウィラだが、このメラーだけは夜は近づかない方がいいとロンプラなどには記述がある。昼間は注意すればまあ大丈夫でしょう。ユダヤ人はここも、イスラエルの建国でほとんどいないらしいが。やはり緊張感があるということは、わたしがメインカメラを出さずにGRDでさっと撮ったことでもわかると思いますが。

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<スカラ>MZ3/35mm/E100VS

たどっていくと、ようやくメディナ北側のスカラに到着する。メラーが影の部分とすると、スカラは光の部分。果てしなく押し寄せてくる波の音に気分も高揚する。

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<街角のギャラリー>MZ3/35mm/E100VS

スカラを出るとこんな感じのいい路地にも遭遇。その先は港。

やはり、エッサウィラは何があるわけでもないのに、いつまでもいたくなってしまうところ。エッサウィラ関連はもう少し続きます。マラッカはもう少しお待ちくださいませ。

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