石と鑿-バトゥ・パハ
<マレー蘭印紀行>GRD
放浪の詩人、金子光晴。日本を離れた彼が巡った紀行文を綴っているのが、「マレー蘭印紀行」である。もちろん、この旅にも持参し、たまに読み返したりした。金子がとりわけ愛着を持ったのが、バトゥ・パハ(文中の表記はバトパハ)であることは一目瞭然。
バトゥ・パハとは石と鑿(ノミ)の意味だという。かつてはスリ・メダンの鉱石の積み出しで人口がふくれあがったという。が、今はその栄光の時代とはまるで違うと聞くが、ここには金子も滞在した日本人倶楽部の建物が残り、やはりミーハーな日本人はバトゥ・パハに行ってみようと考える。
マラッカ・セントラルからOrkid Malaysia(またはOrchid Malaysia、両方の表記あり)社のバスに乗る。料金6.9RM、約2時間でバトゥ・パハ。高速道路を使わないバスで、途中ムアルという町に立ち寄ったあとがバトゥ・パハ。バスは最終的にはマレー鉄道の駅のあるクルアンまで走るようだ。
バトゥ・パハはツーリスティックなマラッカとは正反対に、雑然としたところであった。バスターミナルはショッピングセンターのある建物前の一角で、到着順にバスがどんどん入ってくる。まったく機能的ではない。バスが出発するにも前に止まっているバスを何とかかわして行かなくてはならないような感じで、初めのうちは帰りのチケットをどこで買っていいものかと思ったほどである。
ともかく、ガイドブックの地図を頼りに旧日本人倶楽部の建物を探す。川沿いの道を歩くと、それは唐突に現れた。
<日本人倶楽部>MZ3/35mm/RVP F
この建物の3階に金子光晴は滞在したという。上の画像のどこかの部屋である。当時も、あまり日本人は多くなかったらしく、この建物すべてが日本人倶楽部というわけでもなかったようで、建物の一角を借りていたみたいである。それにしても、屋上には特徴ある塔のようなものが立っていて、これは、金子が見た当時と変わっていないであろう。
<岩泉茶室跡>MZ3/35mm/RVP F
岩泉茶室とは金子が毎朝通い、朝食を食べたところ。日本人倶楽部の向かいの建物がそうである。現在茶室はなくなってしまったようだ。金子はここで、「芭蕉(ビーサン、バナナのこと)二本と、ざらめ砂糖と牛酪(バタ)をぬったロッテ(麺麭)一片、珈琲一杯の簡単な朝の食事」を取ることにしていた。金子の記述によると、中国人のやっていた店のようである。
<路地の花>MZ3/50mm/RVP F
金子の滞在した部屋からは、夜になるとカユ・アピアピが見えたそうである。それは、木に群がった蛍のことで、まるで燃えるような木に見えたそうだ。もちろん、日帰りでの往復だったために、確かめることはできなかったが、果たして、今でも見ることができるのだろうか。
<バトゥ・パハ川>MZ3/50mm/RVP F
かつてはゴムや鉱石の集散地であったバトゥ・パハ。この川の流れによって、物流が営まれた。もちろん、現在はそれもなく、ただの川となっている。
…なんて感じで、金子光晴の足跡を追ってみました。バトゥ・パハについてはもう少し書かせてください。
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コメント
ヒョウちゃん、こんにちは。
Batu Pahat分は続きが終わった後にして(笑)、ホタルはセランゴール州が有名なようです。まさにホタルの木といった眺めが得られるようですよ。
投稿: 伊 謄 | 2008年3月12日 (水) 00時03分
伊 謄さん、こんにちは。
その話聞いたことあります。
まさに、手つかずの自然ですねえ。
日本でまだ蛍が乱舞するところなど、あるのでしょうか。見てみたいです。
投稿: ヒョウちゃん | 2008年3月12日 (水) 21時00分
こんばんは。
金子光晴の『マレー蘭印紀行』は旅人のバイブルといえるほどの本ですが、
実はまだ読んだことがありません。
いつか、いつかと思っているのだけど(苦笑)。
「昔、あの人も来たことのある場所」というのは、
また旅情を誘いますますよね。
写真の日本人倶楽部なんて、何ともいえないロマンを感じます。
投稿: HARU | 2008年3月13日 (木) 22時06分
HARUさん、こんにちは。
自分も、それほどは金子光晴には詳しくないのですが。
でも、「マレー蘭印紀行」は、かなり引き込まれました。
詩人が書くと、港も違って見えるのかって。
ホント綺麗な文章です。
深夜特急の香港・マカオ編の巻末に沢木耕太郎と山口文憲の対談があって、ここで金子光晴を知ったと思います。
沢木耕太郎の来たところのある場所なら、かなり巡りましたけどね。
投稿: ヒョウちゃん | 2008年3月13日 (木) 23時22分