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2008年12月19日 (金)

山道で立ち往生

ウドムサイの次にはノーンキャウに向かうことにした。ノーンキャウはメコンの支流ウー川上流にあるいわば、ルアンパバーンの奥座敷的なひっそりとした町。近年欧米人に人気が高く、今年発行の地球の歩き方にもようやく登場したところなのである。ならば、話の種に行ってみようと思った。

ウドムサイで情報を集める。宿のオヤジ曰く、「数日前までノーンキャウは浸水していた」。確かに、雲南での豪雨は凄いものであった。雲南とは少し離れているものの、ラオスでも相当な雨が降ったことであろう。ましてや、その下流となると影響はあると考えられる。ネットカフェに行ってみると、ノーンキャウではなかったものの、ルアンパバーンで浸水騒ぎがあったとか、ヴィエンチャンでメコンがあふれたという情報が飛び込んでくる。オヤジの話では「今は大丈夫」とのことなので、それを信じて行くことを決めた。

次はアクセスである。ウドムサイの観光案内所で調べると、毎朝9:00にノーンキャウ行きのバスがあるという。でも、それだけ。また、ここではツーリスト専用のミニバスなどはないようだった。そこでバスターミナルに行ってみると、チケットは当日の購入で事前には手に入れられない。

さて、当日朝、早めにバスターミナルへ。チケットも無事購入。ノーンキャウの表示の出ている乗り場に行くと、萩原流行を若くしたような男が荷物を受け取り、バスではなく4列シートのワゴン車のトランクに荷物を収納する。そして、客に一声かけると、一番若そうな二人連れの男性が一番後ろの窮屈な部分に移動。空いた席に座る。ドライバーは萩原流行似であった。

すでにほとんどの座席が埋まっていたが、ワゴンはまだ客待ちをしていた。やがて、鉈を腰に差した民族衣装のモン族の家族4名が姿を見せる。絶対に乗れないと思ったが、三人掛けの席にひとり分のスペースを作り、ワゴンは出発時間前に身動きの取れないすし詰め状態で出発した。

ワゴンは給油し、山道を進む。やがて、モン族の子供の顔色が青くなった。乗り物酔いらしい。子供は父親に抱かれ、席を移る。母親の姿が見えないと思ったら、彼女も酔ったらしく、シートの間の床に座り込んでいた。とある集落を通過した時に、ぬかるみがあり、全員降りて車体を軽くし、これを脱出する。この時わかったのだが、助手席にいた青年は助手なのであった。

Mk1399

<ぬかるみ脱出>GR DIGITAL

さらに山道は続く。ウドムサイを除いては国道1号線もほとんどがこんな感じなのである。さすがに、寝台バスよりはスピードが出たが、さらにカーブはきつくなり、強引に4名並んだシートはワゴンの傾く方にものすごく重量がかかる。窓際にいた自分はかなりの重みを受け止めたことになるか。

Mk1397

<車内>GR DIGITAL

すし詰めの車内ではさらに凄いことが起きていた。モン族の男性(おそらく父親の弟か何かだろう)が、備え付けられたビニール袋を握りしめ、苦しそうな表情を浮かべていた。それも我慢の限界だったらしく、とあるきついカーブでついに嘔吐する。彼は自分の隣。上の画像の黒い服の男性だ。彼は、前のラオス青年に声をかけ、強引に席を移り、窓を開けて吐き続けた。

出発して2時間ほどたった頃、ワゴンは何もない山道で不意に止まる。全員降りろとの指示。なんと、パンクであった。スペアタイヤを取りだし、タイヤ交換。しかし、ジャッキを下ろすと空気が入っていないことが判明。スペアタイヤまでパンクしていたのである。なんてこった。

Mk1401

<パンク>GR DIGITAL

このワゴンはエアージャッキまで備えているのに、そんなこともわからなかったなんて。こんな時ラオス人の乗客たちは「しょうがない」というような微笑を浮かべ、路肩にシートを敷き昼寝をしたり、持参した弁当を食べるような悠長さである。

結局、ドライバーと助手は通りかかったクルマを止め、タイヤを抱き、次の町へと修理に向かう。立ち往生3時間。おそらく、次の町パークモンまで往復2時間、修理に1時間といったところではなかろうか。この間に、前に座っていた二人組はバスを離脱し、歩いて目的地に向かって行った。

灼熱の太陽とまでは行かないものの、日陰はなく、たまににわか雨も降る。そんな自分は、後ろにいた二人組のはからいで、彼らの弁当をちょっと頂くことになった。「一緒に食べよう」という仕草の嬉しかったこと。ラオス人は優しい。その弁当だが、携帯用のティップカオにカオニャオを詰め、別の容器にはピンカイが入っていた。ちょっとつまんだだけだが、美味しかったことはいうまでもない。

やがてドライバーと助手が戻り、タイヤ交換。今度は何事もなく、パークモンに到着。弁当を分けてくれた二人はここで降りる。吐くもののなくなったモン族たちも落ち着いたようである。助手が知っている限りの英語で「あと15分でノーンキャウに着く」という。結局、4時間の道のりを7時間かかってしまった。

ノーンキャウは水害の跡もなく、のどかなところであった。宿を決め、ウー川に架かる橋を歩いていると、バイクが止まり、乗っていた男性が振り向く。それは、こざっぱりとした服に着替えた萩原流行似のドライバーなのであった。もう、水浴びなどしたんだろうなあ。さらに、ここからさらに遠くまで行くソンテウが追い越していく。通り過ぎるソンテウから声がかかり、見るとモン族の人たちが手を振っていた。

ラオスでもっとも印象に残る出来事を綴ってみました。ラオスでの公共交通機関を利用したのはこの時と、ルアンパバーンに向かう時だけ。どちらも印象的でしたが。

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コメント

 なんか、すごいバスの旅が続きますねー。やはりヒョウちゃんのように、若くて体力が無いと、とても無理だわ。 

投稿: マサエ。 | 2008年12月19日 (金) 15時43分

マサエ。さん、こんにちは。
台湾で国営のバスに乗ったら、オーバーヒートか何かで立ち往生したという経験もあります。
とにかく、ラオスの地元民も利用するバスは詰め込むんですね。タイや中国ではないことです。

いちお、体力はあるのだと思いますが、決して若くないですよ。果たしてどのあたりの年代をさしているのかわかりませんが。
ま、「若い」ことにさせて頂きましょうか。

投稿: ヒョウちゃん | 2008年12月19日 (金) 20時36分

なんかドラマですね。
こういう思いがけないトラブルがあるから旅はいつも面白く新鮮なんでしょうかね?
旅慣れたヒョウちゃんだから余裕もあるんだけど。

お弁当のお裾分け、美味しそうですね☆

投稿: lastsmile | 2008年12月22日 (月) 22時14分

lastsmileさん、連投ありがとうございます。
ここはラオスなんだから、交通機関もこれしかないし、しょうがないよなというのが、本音です。
余裕はないですよ。
ただ、ひとり焦ってもしょうがないので、山道でウォークマン聴いていました。
お裾分けは、心に染みいりましたね。
他にも、おばさんがもち米をココナッツミルクで蒸したやつなんかを分けてくれようとしましたが。
ラオスの人たちの優しさに触れた気分です。

でも、できたらトラブルは避けたいですよね。
今だから、いい思い出なんですけど。

投稿: ヒョウちゃん | 2008年12月22日 (月) 23時20分

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