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2009年2月 3日 (火)

雨の砂利道を行く

ソン川に架かる吊り橋を渡り、対岸に着くと、その先は未舗装の砂利道となった。ちょっとした集落を過ぎるとあとは一本道。だが、あいにくと雨が降ってくる。傘は持っている。景洪で購入した折りたたみ傘だが、ないよりはましだ。これで行けるところまで行ってみることにする。

Mk1896

<トラクター>MZ-3/35mm/RVP100

この道には公共の交通機関はない。バイクや自転車がない人たちには、トラクターがバス代わりなのだろうか。時折この道を外国人旅行者がレンタルしたバイクが通り過ぎていくこともある。スピードを緩めることなく、クラクションを激しく鳴らしながら。だが、地元民のトラクターは、歩行者を認めるとスピードを緩め、優しく通り過ぎてくれる。歩行者に泥を浴びせるということがない。

一般的にアジアの交通ルールはめちゃくちゃで、すぐにクラクションを鳴らすというのが定説である。しかし、交通量の少ないバンビエンの田舎道では、先進国と呼ばれる国からやってきた旅行者たちが、無秩序にバイクを走らせている。普段できないことを他人の国でやってみたかったのだろうか。まったく考えさせられる。

Mk1911

<牛>MZ-3/35mm/RVP100

Mk1898

<水田と奇岩>MZ-3/35mm/RVP100

道の両側は果てしなく続く田んぼである。その向こうには桂林を思わせるような奇岩の連続だ。その岩にはかなり大きな洞窟などもあり、バンビエンを訪れる旅行者には人気なのだとか。しかし、この雨ではさらにずぶぬれになりそうなので行くのはやめた。

Mk1899

<高床式の建物>MZ-3/35mm/RVP100

まさか住居ではないと思うが。それにしても、晴れていたらどんなに気持ちいい散歩となったことだろうか。足下を濡らしつつも、1時間以上は歩いている。

ところで、この道に入る集落のあたりで一人の少年が道の先を歩いていた。1枚目のトラクターの写真で小さく見える赤いシャツの少年である。はじめは、たまたま行き先が同じ方向なのだと思っていた。だが、写真を撮っていると先行していた彼が立ち止まり、こちらを待っているかのようである。やがて距離は縮まり、並んで歩くこととなった。そのうち話しかけてくる。あっちに洞窟がある。あれはモン族の家。等々。

やがて歩き疲れ、ベンチのおいてある雑貨屋のような商店で飲み物を一緒に飲むことにした。もちろん、おごりである。

Mk1909

<スー君>GR DIGITAL

たまたま同じだったのではなく、ガイドのつもりだったらしい。ある程度通じる英語が話せた。並んで歩いて1時間。ガイドらしいことはほとんど何もないのだが、まるで時間を借り上げたような感じである。

なかなか話しかけてこないのは、やはり慣れていないせいだろう。本業は小学生か中学生なんだから当たり前だ。まあ、たまに臨時収入があればいいかくらいの感覚なんだと思う。

この茶屋ともいえない店から引き返し、例の集落で彼は家に戻っていった。その前に、スー君の方からはにかみつつも「マネー」という言葉が出た。いわれた額ではなく、その半分以下だが、麺料理1杯分くらいの額を渡す。あまりいいことではないと思うが。

これが、商売慣れしているガイドなら、断りやすく、そちらもあきらめてくれそうな感じである。ま、これがスー君の売りなのかもしれないけど。どうせならば、もっと若い女性でも案内すればいいのに。「何だよ」という感じはあったものの、後味は悪くなかった。こういう経験って、やはりありますよね。

Postscript この夏の旅行記「雨とメコンと少数民族」続編をアップしました。ウドムサイ2日目。「のんびりとウドムサイ」です。よろしかったら、ご覧ください。

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コメント

 子どものガイドですか。こういうのって、つい私もお金やお菓子をあげちゃったりしますね。よくないのかなーと思うのだけど、ついついね。
 カンボジアで、すごく日本語が堪能な子供がいて、一生懸命お寺の中を案内してくれたの、思い出してしまった。彼らの生きる知恵なんだろうな。


 

投稿: マサエ。 | 2009年2月 4日 (水) 11時15分

マサエ。さん、こんにちは。
ハワイよりお帰りなさいませ。
ラオスでは、それほど日本語に堪能な人はあまりいませんね。バンビエンの田舎道で、日本語使いの子供なんかいたら、びっくりです。
こちらも、わずかですが、お金を渡してしまったので、言えた義理ではありませんが、やはりあまりよくない行為ですよね。
ただ、ツアーなどでは、はじめからかなりのお菓子などを用意して、見境なく現地の子供にあげる人などもいますよね。そういうもとはちょっと違うと表明しておきたいです。
アンコール遺跡では皆生きるのに必死なんですよね。
そこらの土産物売りでも、買ってもらいたいばかりに、日本語を身につけてしまいますね。
インドのブッダガヤの土産物売りなども、バイリンガル以上で、日本語、韓国語、イタリア語などを話します。
ラオスの場合、土産物を買わせるところまで、ツーリズムが発達してません。
そういうことになると、日本語を話す人も出現しそうですが。

投稿: ヒョウちゃん | 2009年2月 4日 (水) 22時15分

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