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2009年12月29日 (火)

アンコール遺跡に到着

バンコクからわずか1時間。昨日シェムリアップに到着しました。

問題だった遺跡巡り用の足ですが、空港からのプリペイドタクシーのドライバーにお願いしました。そして、宿は予想よりはくたびれている感じ。客は少ないようです。でもこれから増えるかもしれない。あるいは宿の供給過剰か。

昨日、街歩き中、サンダルの底が破壊されました。ま、遺跡は別の靴の方がいいので問題ありませんが、先ほど13ドルで突っかけ式のサンダルを購入。宿周辺ではこの方が過ごしやすいです。

また、フィルムの消費がはなはだしい感じも。一度来たことのあるところなので、俯瞰くらいにとどめ、デパダー中心に撮ってはいるのですが、今日は訪れた箇所も多かったせいか、3本半撮っていました。

あと4日間、ほぼ全体を網羅しそうですが、ベンメリアに加え、コーケーという遺跡群にも連れて行ってもらう予定です。

シェムリアップも変化があって、遺跡チケットに氏名がいらなくなり、その場で写真も撮ってくれます。夕日の名所プノンバケンでは、崖に近い道を登って行きましたが、その道はつぶされ、なだらかな山周りをらせん状に登って行くようになったり。はなはだしいのはアンコールワットで、第3回廊にはアクセス不可です。アンコールワットの崩壊具合もけっこう痛々しく、階段などには緑青が浮かぶような。

その他の遺跡も登りやすくするように木製の階段を設けたりするので、ますます観光客が増えるわけです。ちなみに日本人は減少中。中国人大激増です。

あと数回、シェムリアップからは報告するかも。では。

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2009年12月28日 (月)

明日シェムリアップ

昨日バンコクに到着しました。成田から香港経由。キャセイを利用したものです。時間がかかったし、香港では乗り継ぎ以外何もできませんでした。そして、バンコクのイミグレーションの時間のかかることといったら。

夕方スワンナプームに到着したのに、宿に入ったのは20:00過ぎ。宿はチットロムに近いCentre Pointというところ。初めてですが、快適な宿です。

今日はちょっと遠出をしようかなと思いましたが、やはり疲れが残り、暁の寺でお茶を濁してきました。ここ、リバーサルで撮るのは初めてなもので。あそこ、以前よりも高いところに登れるようになってますね。

さて、この記事は部屋で書いています。出発前日、発作的にネットブックを購入。その日に設定を適当に済ませ、宿でようやく接続させることができました。でも、遅いです。

一応、画像も載せるつもりでしたが、ココログでは1MB以上のものははねられてしまうので、今回はだめ。次回の旅ではこのネットブックに画像処理ソフトを入れて旅しようと思います。そうなると、メインカメラもデジタルへと移行しそうな予感も。ま、時代の流れですかね。

さて、明日早朝再びスワンナプームからシェムリアップへ。今回の宿はすべてネット接続できるはずなので、再び現地報告を期待してください。では、現地報告その1を終わります。

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2009年12月24日 (木)

クリスマスといえば

かすてら音楽夜話Vol.20

クリスマスとかクリスマス・イヴというのは、自分にとってはどうでもいいことなんだが、まあ定番の曲といえば、山下達郎の「クリスマス・イヴ」だろうねえ。

Jrtokai

今から20年以上前のJR東海のクリスマス・エクスプレスのCMメドレーでした。ま、達郎自身が歌っている映像よりはマシかなと。ちなみに、達郎や竹内まりやたちは自分たちの著作権にかなりシビアな対応をしていて、YouTubeでもなかなかご本人の動画は上がってこないというのが普通です。

それにしても、この女優たち、みんな若いですね。もっとも、駅の改札に駅員がいて自動改札じゃなかったり、携帯電話でなく緑の公衆電話を使っていたりと、なかなか時代を感じさせます。(★JR東海の「クリスマス・イヴ」を使ったCM映像ですが、アップと削除の繰り返しになりますので、ここでは割愛させてもらいました。)

ま、定番じゃそれほど面白くないので、ちょっと探してみたら、こんな貴重な作品もありました。かなりのレア映像です。

 

これ、23年前のプロモーションビデオで、杉真理を中心にした当時ソニー所属のミュージシャンたちが登場するもの。とはいえ、エピック系のレーベルからは出てないのではないかと。

杉真理とデュエットするのは、Chakaというシンガー。なんか外見普通の人だよね。さらには、南佳孝、ハイファイセット、須藤薫など。途中のワンフレーズを浜田省吾がやっていて、これまた貴重。ハイファイセットのご用になってミュージシャン人生棒に振ったおじさんも映ってます。

ま、わたしゃ、こんなことくらいしか提供できませんが、クリスマスを楽しんでくださいませ。

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2009年12月23日 (水)

チュニジアのドア

チュニジアというか、マグレブ諸国の家屋の入り口、すなわちドアはシンプルながらも様々な色とデザインが施されている。旅の中でとりわけ印象に残ったものを紹介してみる。多低地の写真が多くなるかもしれないが、ここはご容赦を。

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<チュニスのメディナにて>MZ-3/35mm/RVP100

年季の入ったドア。元々は彩色されていたと思うが、かなりくたびれた感じ。ところで、ムスリム圏ではドアだけでその内部を推測してはいけない。この向こう側にどんな素晴らしいパティオが隠されているかもしれない。

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<シディ・ブ・サイドにて>MZ-3/50mm/RVP100

シディ・ブ・サイドはドアや窓枠がブルーに塗られていた。そのような作りで思い出すのが、モロッコのシャウエンである。とはいえ、シャウエンほどブルーに徹底していたわけではないが。このドアは模様の部分を淡い青で塗り分けていてけっこうこだわりがある方だと思う。

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<スースのメディナにて>MZ-3/50mm/RVP100

シディ・ブ・サイドほどではないが、こちらもブルー。さすがに世界遺産に指定されただけのメディナである。けっこう印象的なドアがあちこちにあったが、今回はこれで。

Postscript さて、週末いよいよ出かけます。とはいえ用意は遅々として進んでいません。一応、フィルムだけは用意してきました。今回は遺跡中心となるでしょうが、いつも使うベルビア100(RVP100)ではコントラストが強すぎてレリーフなどの細密さがつぶれてしまうかもしれず、どちらかというと中庸なフィルム、プロビア100F(RDPIII)を20本用意しました。

遺跡エリアが6日間ということで、1日3本撮るとして残りが若干気になるところですが、使い切ったらそれでいいやと思い、予備にはモノクロのNeopan Acrosを3本としました。モノクロームの遺跡もいいかなと思ったりして。

今回は、カメラの持ち出しはMZ-3とGR DIGITALのみです。レンズはすべて持参予定。もしかしたら、三脚とストロボもありかもしれません。

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2009年12月20日 (日)

港の見える窓

スースでの宿探しはちょっと難航した。あらかじめ目星をつけていた宿、Hotel Claridgeに飛び込んで部屋を見せてもらったものの、風通しが悪く、決定的だったのは、内鍵が壊れていることだった。

外からは鍵がかかることはかかる。このトラブルが判明したのは、料金を支払ったあとだったため、強欲な主人とちょっともめた。もちろん、部屋は一通り見ている。だが、内鍵が壊れたまま放置し、それに気づかなかったからといって苦情を受け付けない宿がどこにあるのだろうか。

「あんたは、ウィといった。部屋を確認したんだろ。なんでその時にいわない」という主人の言葉は屁理屈だ。「ふざけるな」別の従業員を呼び、同じことを訴える。結局折れた主人が料金を返してくれた。当たり前だ。ガイドブックに載っているこの宿には泊まってはいけない。これは強く主張したい。

一つ星だったクラリッジから港方面に歩くこと約10分。Hotel Hadrumeteでようやく部屋が見つかる。こちらは星がないが、料金はクラリッジと同じ30ディルハム。もちろん、内鍵もチェックし、泊まることに決める。ハドルメテというのは、近くにある海岸の名前である。

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<大きな窓>MZ-3/35mm/RVP100

星なしの宿はチュニジアで最初で最後だったが、ここには大きな窓があった。ロケーションは旧市街と港の前という具合で、遮るものが何もない。スースもまだまだ暑く、荷物を担いできた身には汗だくである。一通り荷物整理を終えると、窓を開け放ち、下着だけでごろっとし、涼を取る。

ただ、宿としてはちょっと老朽化が目立つようだ。朝食ももちろん取ることができるが、そのスペースは、雨漏りがする部分が使えなくなっていた。ともかく、この宿を拠点にスースでの2日間が始まったのである。

Postscript スキャンが停滞しています。師走ということで仕事モードでした。明日あたり、年内最後のスキャンをしようかと考えているところ。来週あたりが、年内の記事のアップぎりぎりのところで、その後は、旅に行きますので、もしかすると夏の旅以外のエントリーも混じることもあるかも。

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2009年12月13日 (日)

車窓に思う~Desperado

かすてら音楽夜話Vol.19

スファックスからスースへとまたしても移動。結局バス便が見つけられず、同じルートで味わいがないものの、鉄道を使う。料金6.95ディナールの2等席である。

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<スファックスに到着した列車>MZ-3/50mm/RVP100

トズール発チュニス行きの列車である。スファックス駅のプラットフォームにはずらりと乗客が並んでいたが、同じくらいの人数が降りたようで、無事座席を確保することができた。

チュニスからの列車では途中で空調が弱まってしまったが、乗り込んだ車両はその時よりもやや程度がよく、空調もばっちりだし、窓にもブラインドがかかってなかった。

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<乾いた風景>MZ-3/50mm/RVP100

チュニジアの南部はすべてがサハラというわけではないが、温帯とステップ気候の中間くらいだろうか。赤い大地にオリーブ、ウチワサボテンや竜舌蘭に似た植物が確認できる。

こうした風景を見ているうちに思い出したのが、大沢たかお主演で一昔前に放送された、「劇的紀行・深夜特急」のシーンである。

おそらくアジア編からシルクロード編に入る最後のシーンだったと思うが、パキスタンかイランあたりでヒッチしたトラックから不意に降ろされて途方に暮れる場面。それとともに「Desperado(ならず者)」が流れる。いうまでもなく、Eaglesの代表曲なのだが、ドラマで使われたのはLinda Ronstadtのヴァージョン。これが、乾いた大地にとてもよく合っていた。

 

というわけで、YouTubeのリンダ・ロンシュタットヴァージョンを持ってきてみました。ちゃんとバックもイーグルス。それも、ランディ・マイズナーとバーニー・リードンが在籍していた時のもの。これ、削除されてしまう可能性があるので、けっこう貴重かもしれない。(★イーグルスとリンダの共演による「Desperado」は削除されていました。音声のみですがリンダの公式チャンネルからオリジナル音源のものを埋め込んでおきました。)

イーグルスの「Desperado」は、ドン・ヘンリーがリードヴォーカル。全盛時代じゃなかったものの、今から数年前、友人に誘われ、東京ドーム公演を見に行ったな。本家イーグルスが、リンダにカバーを許可したのはもちろん、イーグルスがリンダ・ロンシュタットのバックバンドとしてキャリアをスタートさせたから。デビューしたてのイーグルスはウエストコーストというよりアメリカ南部のカントリーロック寄りのバンドだったのだが、バーニーの脱退、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュの加入などにより次第にロック色を強め、それがアルバム『Hotel California』に結実させた。

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<スースに到着>MZ-3/50mm/RVP100

ま、車窓を眺めつつ、イーグルスの「ならず者」を聴いていたということもありますが、ともかく列車は無事スースに到着。さあ、これから宿探しである。

Postscript 大沢たかおのあのシーンも探してみたのですが、なかったです。エンドロールに被さるようでなかなかよかったんだけど。

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2009年12月 9日 (水)

ハビブ・ブルギバとベン・アリ

ハビブ・ブルギバというのはチュニジアの前大統領。すでに鬼籍に入っている。チュニジアの初代首相であり、初代大統領。いわばチュニジアのカリスマなんだろう。

チュニジアのどんな都市に行っても、ブルギバの名前を聞くことになる。その都市のメインストリートはまず例外なく、ハビブ・ブルギバ通りと名付けられている。結局ブルギバはチュニジアに存在した太守を追放し立憲君主国から共和国へと導き、自らは終身大統領へと登り詰めていく。

通りに名前の残ったブルギバだが、彼の肖像画などは今ではほとんど見ることができない。タバルカで唯一見かけたのが、犬を連れたブルギバ像である。

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<ブルギバ像>MZ-3/35mm/RVP100

とはいえ、ブルギバの故郷モナスティールにはブルギバの霊廟があるとのこと。

そして、現大統領(2代目)がベン・アリ。ブルギバにより後継者として首相に任命後は、予定通り大統領に就任。今年大統領選挙があったらしいが、圧倒的な支持を集め5選を果たしている。なお、この多選にはベン・アリ自らが憲法を改正し多選を可能にしたものともいわれている。

ベン・アリの姿はチュニジア中のどこでも眼にすることができる。ちょっとした集会所や街角の掲示板などでだ。

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<アイン・ドラハムにて>MZ-3/35mm/RVP100

中東や北アフリカというと絶対権力を持った独裁者が国をコントロールするという図式ができあがる傾向がありそうだ。古くはトルコのケマル・アタチュルク。なんといっても亡国寸前のトルコを救い、脱アラブの先鋒となった人物である。町のメインストリートがアタチュルク通り、なんてのは当たり前で、没後70年以上を経過してもなお、銅像は建っているわ、絵はがきになっているわといった具合である。

近代ではシリアのアサド前大統領がそんな感じだった。遺跡巡りで訪れた一昔以上前のシリアでは、アサドの肖像画を見かけない日はなかったほどである。

モロッコあたりでは政治家ではなく国王の肖像画となりますが。

と、まあ、旅行中はやたらとベン・アリの写真や肖像画を見せられることとなったが、10月に大統領選挙があったらしいので、その影響も多少はあるのかもしれない。それにしても、就任から20年以上も経つのに、衰えない人気。ベン・アリこそがチュニジアの現代のカリスマなのかもしれない。ま、そういう強い指導者がいないと安定しないという事情もあるだろうが。

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2009年12月 6日 (日)

壁面アート・イン・チュニジア

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<アイン・ドラハムにて>MZ-3/35mm/RVP100

チュニジアは紛れもなくムスリムの国である。とはいえ、アラビア半島にある国よりはその戒律が緩いようだが。イスラム教は偶像崇拝禁止。従って宗教画などは存在しない。ただ、以前のエントリーで触れた絵の看板のようなものは結構ある。

よく見かけたのは壁面に描かれたものである。アルジェリア国境にほど近い、アイン・ドラハムで見かけたのが、上のようなコミカルなもの。元々の壁面が荒れていて、そろそろ塗料が落ちかかっているようだが、きちんと耐水性のあるペンキを使ったもののようだ。

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<スファックス旧市街にて>MZ-3/50mm/RVP100

こちらは、やや意味不明だが、よりメッセージ性の強いもののようだ。「牛乳飲んで地球を救おう」ではないな。「水は大事に使いましょう」なのかどうか。絵のタッチはアイン・ドラハムのものよりも低年齢向けのコミック調か。

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<スースのメディナにて>MZ-3/35mm/RVP100

もうちょっと陽の当たらない時間に撮ればよかったかもしれないが。これはレストランの宣伝。カルタゴの将軍が進軍する図にかけてあちらにレストランがあるよと。こちらは当然大人向けの描き方。

モロッコでも壁面のアートはよく見た。マグレブまで来るとこういうものも、よく見かけるようになるのかもしれない。

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2009年12月 4日 (金)

アンコール遺跡再訪

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<アンコールワット>MZ-3/28-105mmZoom/Fujicolor Super400

次の旅。年末年始の休みを利用し、アンコール遺跡に行ってきます。

ここに行くのは2度目で、つい最近行ってきたような印象がありますが、もう6年前のことになります。シェムリアップに6泊しますが、前回は8泊でした。その時は、ベンメリアなど一部の遺跡を除いてほとんどを回った印象がありますが、また行ってきます。6日間もあれば、だいたいは周り尽くせるだろうとは思うのですが、そんなにがつがつしないでのんびりと回ろうかと。

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<デパター>

今回のエントリーでアクセントとして付け加えている画像は、その時に撮ったものですが、カメラは今と同じながらも、大半をズームレンズを使用し、フィルムはISO400のネガカラーだったのですね。

その時の写真をセレクトしてみると、解像度は低いは、何にテーマを絞って撮っているのかわからないようなものが大半でした。つまり、へたくそだったということ。ただ暑さの中、もうろうとしながらも撮りまくっていたという感じです。

という、反省もふまえて、今回ももちろん、単焦点レンズとリバーサルの組み合わせで遺跡に迫っていきたいなと思います。思えばデジ画像も、GR DIGITALではなかったし、いやもう、ひどいものでした。

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<バイヨン>

今回の旅は、あらかじめバンコクまでを押さえたものの延長で、そこからどこに行くかという選択しに迫られて、バンコクエアウェイズのサイトでシェムリアップまでをさらに押さえたというものです。

ラオス南部とかイサーンの旅とかいろいろあったのですが、期間も限られているので、宿も含めてすべて押さえてきました。

ただ、問題がひとつあって、現地での移動手段を確保していないのですね。前回はシェムリアップの空港に着いたところで宿まで利用したタクシーをそのままチャーターできたのですが、果たしてどうなるか。もちろん、事前の手配もできたはずなのですが、年末年始ということもあり、日本で予約できるところではすでにアウトでした。まあ、何とかなるだろうとは思っています。

前回、遺跡エリアではタクシー1日チャーターは、20ドルだったのですが、現在は30ドルだとか。ま、驚異的な円高のおかげであまり負担にはならないでしょうが。最悪の場合、バイクタクシーということも考えられます。そのため、埃っぽいので、コンタクトレンズではなく、眼鏡で行くことになりそう。

度つきサングラスが、眼に合わなくなってきたので新調する必要もあるし、キャリーバッグを買おうという計画もある。はたまた、ネットブックも手に入れてという野望もあるので、これからもお金がかなり飛んでいきそう。その上デジタル一眼レフなどというのは、今回も見送りになりそうな。

ま、そんなこんなで、とりあえず報告しておきます。

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