観光に不向きなバンドゥン
バンドゥンには2日滞在した。宿に到着して2泊でお願いしたのだが、結果的には失敗であった。言い訳をするが、体調が今ひとつであったのだ。そのため、バンドゥンからチルボンへと向かうルートも変更し、バンドゥンに腰を落ち着けることにした。
<第1回アジア・アフリカ会議場博物館>K-7/Sigma20
バンドゥンは1955年に第1回アジア・アフリカ会議(バンドゥン会議)が開かれたところで、アジアとアフリカの29ヶ国が参加し、平和十原則が定められたところである。参加者の顔ぶれも、スカルノ、ナセル、周恩来といったところが、有名どころ。
ここで、第2回以降のアジア・アフリカ会議が継続されるはずであったが、結局開催されることはなく、1961年初開催の非同盟諸国首脳会議(これは現在も開催されている)にその精神が引き継がれたともいわれる。
第1回アジア・アフリカ会議場は現在博物館となり、一般に公開されている。バンドゥン到着初日にここに行ってみたが、すでに開館時間を過ぎていて、翌日覗いてみた。夕刻の博物館前ではなぜか、デジタル一眼レフを持った学生風の男性たちが女性を撮影していた。日本を含むアジアでもあまり見られない光景だが、ここバンドゥンは大学都市でもあり、そこの写真科の学生なんだろうか。アジアではラオスのヴィエンチャンのパトゥーサイの前でカメラを構えた連中がいて、よく女性に声をかけて写真を撮ってはいるが、彼らは学生には見えず年齢層が高い。また、やはりインドネシアでもバンドゥンの会議場は名だたるところらしく、観光客が記念撮影をしている光景をよく見かける。
<博物館内部のジオラマ>K-7/DA15
博物館ではあるが、入場料はなし。誰でも入ることができる。ただし、写真撮影は特定の場所に限られ、結構うるさい。特に写真の規制については断り書きがないので、注意が必要だ。撮影してよい場所は、スカルノが演説をしているように見えるジオラマの会議風景と、実際に使われた会議場のホールだけである。解説にあった周恩来やナセルを写真に納めようとフラッシュを使ったら、係員が飛んできた。まあ、画像を消せということはなかったが。
<モスク>K-7/Sigma20
んで、バンドゥンで観光らしいことをやろうと思ったら、この会議場に行ったらもうそれで終わり。あとは何もない。一応、郊外に行けば火山と温泉があることになっているが、ここに個人で行くことは難しく、宿でアレンジしてもらうか、旅行会社でツアーをブッキングするしか手はない。
そのどちらの手段も取らなかった。旅行会社がなかったことと、宿では欧米人ばかりで同行しても話し相手にもならないような闖入者になってしまう可能性があったからである。結局休養に努めることにし、せいぜい会議場近くにあるモスクに出向くくらいで2日間を過ごすことになった。
インドネシアのモスクは異教徒が入り込む余地がない。ジャカルタでも最大のイスティクラル・モスクに行ってみたが、外観のみでかいま見ることもできなかった。戒律がゆるゆるなインドネシアだが、外国人にとってモスクの壁は高い。
<屋台>K-7/Sigma20
モスクの敷地内には入ることができた。そこは、かなりの数の屋台がでていて、かなりにぎやかだった。デジタルでもこんな風に色鮮やかな写真が撮れ、満足しないまでも課題は果たしたかなと思った。一応、この画像はシルキーパックで彩度を少し上げていますが、オリジナルでも色はでている。
やることの少なかったバンドゥンではあったものの、これがよかったのか、体調は回復した。次に向かうのは古都ジョグジャカルタである。
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