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2010年10月30日 (土)

ジョグジャカルタ王宮

ジョグジャカルタの王宮は入口が南北にあり、それぞれ料金が異なる。ここは一気に両方見てきた。

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<ジョグジャカルタ王宮北部分>K-7/Sigma20

王宮の北部分。北側の入場料、6,000ルピア。南側の入場料、12,500ルピアということで、断然南側に見所は集中している。北と南はひとつの門でつながっているはずだが、なぜか閉ざされている。どちらも見てしまったのだが、この北側はこの正面からの眺めを見るだけでもよいと思う。ただし、南側からはこのような眺めはない。

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<王宮内部・南側>K-7/FA35

南側の入口は地味なのだが観光バスやタクシー、ベチャなどがたくさん止まっていて、観光地なのだということがよくわかる。ところでガイドブックにはカメラやビデオの撮影料金が記されていたが、そのチケットがなかったように記憶している。

南側に入るとまずあるのが、ガムランの演奏をしている建物。何かあるのかとしばらく見物していたが、それきりであった。あとは歴代スルタンの建てたいくつかの建物を眺めていく。建物は古いものもあるが、シャンデリアの吊されたガラス張りのものもあった。

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<スルタン所有のカメラ>K-7/FA35

これはかなり最近のスルタンが所有したカメラだろう。機械式のカメラだから、修理をすればまだ撮影可能だと思う。

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<武士たち>K-7/FA35

王宮内にはこんな感じの伝統的な衣装を着た男たちがたくさんいる。彼らは王宮の係員でもあるが、無給で王宮を守る武士なのだという。

ソロの王宮にはこんな人たちはいなかったが、ジョグジャカルタはスルタンたちの自治権があるためか武士がたくさんいた。王宮やスルタンの格式もひときわ高い感じがした。

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2010年10月23日 (土)

ベチャに乗る

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<ベチャ>GR1s/GR28mm/Neopan Acros

ジャカルタのようにバスもあって、メータ制のタクシーもあるところはいいが、ジョグジャカルタまで来ると、タクシーはあってもメーターが付いてないものが多く(ホテルから空港までのタクシーにはメーターが付いていた)、料金はドライバーとの交渉となる。

こうした地方都市で有効な移動手段がベチャということになるが、これもまた交渉が必要なので、観光客はかなり高めの料金を払うことになるはずである。ベチャはごらんになってわかるように、客席が前でドライバーが後ろに座って、足で漕ぐ三輪車である。

マレーシアにはトライショーという乗り物があり、構造的にはベチャと同じである。ただ、マラッカのトライショーは観光的な色彩が強く、車体を花で飾り立てている。また、ベトナムにもシクロというまったく同じものがある。ベトナムのシクロは観光客をずいぶんとふっかけたり、一昔前には暴力的な手段で金品を奪うという話も多かった。ベチャのドライバーは総じて人がよく、3泊したジョグジャカルタのプラウィロタマン地区(外国人向けの宿が多く、ここもひとつのリトルカオサン化している)では、顔を合わすたびに乗らないかと誘われたものである。上のスナップはそんな一コマである。

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<ベチャのタイヤカバー>GR1s/GR28mm/RDPIII

ベチャはマラッカのトライショーほど飾り立てないといったが、タイヤカバーには結構いろいろな図柄があり、ジョグジャカルタのマリオボロ通りにはこのようなオブジェのようなものもあった。ジャワの山や海、名所などのイラストに、動物や王宮などにある象徴的な文様まで様々。

これを最初、売り物なのかと思ったが、店番をしている様子もなく、通りを彩るやはりオブジェなんだろうなと思う。

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<ベチャに乗る>GR DIGITAL

いつかはベチャに乗ろうと思っていたのだが、ジョグジャカルタからボロブドゥールに移動する日、そのチャンスがやってきた。午前中ジョグジャカルタの王宮を見に出かけたが、チェックアウトまで時間がなくなってしまい利用することにしたのだ。

ベチャは若いドライバーだったが、頼みもしないのに、いくつかの工房に立ち寄ってから宿に到着した。料金は30,000ルピア。本当はもう少し安い値段だったが、釣り銭の5,000ルピアがないなどという理由からこうなってしまった。

そして、ボロブドゥールに到着し、宿までもベチャに乗ることになった。こちらは、20,000ルピア。ま、よくよく考えてみれば、300円と200円なのだが、このころになるとインドネシアの物価がしっかりと身に付いてきてしまい、一瞬ためらうようになったのだ。

座席がドライバーよりも前にある乗り物には初めて乗ったことになる。乗り心地は想像していたよりも悪くなく、前方がよく見えるのがいい。道もかなりスイスイと走り、平坦なところでは問題ないだろう。もっとも、ボロブドゥール近辺はそれほどきつくないが坂もある。こういうところではチップをはずまなければならないだろうなあ。

そうそう、2枚目の写真はリバーサルです。ボロブドゥールの途中でモノクロームの1本目が終了し、GR1sにリバーサルを入れてみました。これからちょこちょことそんな画像も混ざってくると思いますが、やはりいい色と雰囲気を出しますね。とはいえ、手持ちのフィルムスキャナーが壊れたような感じがします。ちょっとへこみます。

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2010年10月17日 (日)

ソロの王宮

ソロはジョグジャカルタから鉄道で1時間程度離れたところにある。十分に日帰り可能な観光地だ。ソロには王宮が2ヵ所残っていて、その二つを訪れることにした。

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<マンクヌガラン王宮>K-7/Sigma20

まずは駅に近いマンクヌガラン王宮へ。かなりだだっ広い敷地で、チケット売り場の女性は日本語を話した。ここは、ガイドが付き添う形で見て歩くことになる。その女性によれば、英語ガイドの他に日本語ガイドもいるとのことで、日本語ガイドを頼んだ。すると、「ちょっと待っていてください」といわれ、しばらくして出てきたガイドはその女性だった。上の画像の建物が王族が暮らしていた建物である。

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<天井>K-7/Sigma20

建物に入るところの天井。すでにイスラム化されていた当時の王朝であるため、象徴となるようなデザインはない。すべてがシンメトリックな文様である。中心部の色が異なる8つのパネルだが、それぞれに意味があるはず。かなりわかりやすい日本語で説明されたはずだが、なんだったか。

この中はほとんどが撮影禁止であった。この王宮には今でも王族が暮らしている。ガイドによると、ソロの王族は今では自治権を停止されてしまったが、ジョグジャカルタの王族は民族独立運動を支持したため、自治権が残されているらしい。それでも、この王家にはスカルノの娘が嫁いできたそうだ。「でも、離婚しました」とのこと。

この広大な敷地の中には大事にしまわれたクルマが2台あったが、いずれも日本車ではるか40年以上前に作られたものであった。自治権は失ってしまったがそれでもかなりの資産家であるはずの王族とはいえ、きらびやかな欧米車に乗っているわけでもなく、暮らしはかなり質素なようだ。

ところで、ガイドの女性は大学の日本語学科で日本語を習ったらしい。そして、妹が日本にいるともいっていた。ガイドブックによれば、チップが必要とのことだったが、何も請求されなかった。

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<カスナナン王宮、世界の塔>K-7/Sigma20

マンクヌガラン王宮から南へ2km弱いったところにある王宮。この王宮は外壁で囲まれていて、建物全体を撮すことは不可能であった。チケット売り場でガイドはどうかといわれたが、今回は単独行動とさせてもらう。画像の塔は中庭にある。

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<馬車>GR1s/GR28mm/Neopan Acros

入口近くの建物はそのまま博物館となっている。回廊のような場所に古い馬車が展示してあった。

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<ジャワ舞踊>K-7/FA35

中庭ではジャワ舞踊の練習中。バリ舞踊と異なるゆったりとした動き。しかし、演奏されているのはガムランである。

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<供え物>K-7/FA35

中庭は砂地で中央の舞踊練習を行っている建物以外はほとんど何もない。練習場と離れた一角にぽつんと供え物が置かれていた。食べ物と飲み物が入ったもので、バリ島では当たり前のように見かけるチャナンというものである。ただ、バリのチャナンは花があしらわれてカラフルなのだが、ジャワ島のバリに近い地域に来るとインドネシアのヒンドゥ文化が残されている。

このあと、昼食を食べてジョグジャカルタに戻った。

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2010年10月14日 (木)

ジャワ島の近郊列車

結局のところジャワ島ではジャカルタからジョグジャカルタの少し先、ソロまで鉄道で移動したことになる。大きな移動は愛称のついた特急または急行(区別がよくわからない)だったが、この他にも鉄道には乗っている。

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<ジャカルタ・コタ駅>K-7/Sigma20

ジャカルタに到着した翌日、実質初日には宿の近くのゴンダンディア駅からかつてのバタビア地区のクタ駅まで鉄道を利用した。料金1,000ルピア、日本円にして10円という信じられない値段である。

ゴンダンディア駅には長距離列車は止まらないので来たやつに乗ればよい。最初に停車したのがこのタイプであった。これは電車でよく見ると「東急車輌」の文字が見える。どうやら日本の電車のお古らしい。内部もロングシートでつり革まであるが、余裕で座ることができた。東急車輌で作られた電車のすべてが東京近郊を走る東急電鉄のものではないのだが、これはどうやら東急田園都市線を走っていたものらしい。田園都市線は自分の居住地域をかすめるようにしているのだが、生活圏が違うのでまったく馴染みがなかった。

コタ駅はジャカルタを代表する駅のようにも思える。駅舎はかなり立派でバンコクのフアランポーン駅にも引けを取らないが、長距離列車のほとんどは市の中心部にあるガンビル駅から発車する。ここはただの終着駅に成り下がった存在である。

もっとも、クタを基点にボゴールなどへ頻繁にいろいろな列車が発着している。ほとんどは通勤通学用のものでいずれも日本の鉄道のお下がりを使っている。つまり電車だ。ま、中には人が満載でドアを開け放ちひどい場合になると屋根の上まで人が座っているものを数回見かけた。おそらく、スピードを出さないようなローカル列車だとは思う。通勤電車タイプのものだと、振り落とされてしまうだろうから。

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<ボゴール駅にて>K-7/FA35

その翌日ジャカルタに近いボゴールまで足を伸ばした。料金は2種類あり、エアコン急行、11,000ルピアのチケットを購入した。インドネシアの鉄道駅にはせいぜい路線図などがあるばかりで、行き先の表示がないのが不安である。ボゴールに行く電車は結構頻繁にあるようだったが、駅で1時間近く待たされやってきたのが、この都営地下鉄三田線を走っていた車両であった(ガイドブックにそう記述があった)。

要するにかつて走っていた地下鉄のものと何ら変わりない。エアコンはもちろん入るが、なぜか扇風機が回っていたり、窓を開け放していたりするが、急行とあるからには途中の駅をすっ飛ばしていくのだろう。さほど、飛ばした感じはなかったものの1時間程度でボゴールに到着した。

ジャカルタ近郊を走るこのタイプの電車は節約のためなのか、インドネシア人が目がいいのかわからないが、内部の照明を切ってしまう。かなり暗い状態で走るのである。地下鉄の時は風景が見られなかったはずだが、結局眠りこけてしまい、同じことだった。

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<急行Prameks号>K-7/Sigma20

ジョグジャカルタからソロまではやはり鉄道が便利だ。ジャワ島の都市部ではバスターミナルはかなり郊外にあるが、鉄道は都市の中心部に乗り入れている。ソロまではやはり急行で9.000ルピア。ま、ボゴールのエアコン急行の例もあるのであまり期待をしていなかったが、こんなやつが登場した。

ジョグジャカルタまで来ると鉄道は非電化区間となるため、ディーゼルカーとなった。機関車が車両を引っ張るのではなく、ディーゼルカー。ドアは自動だし、まあまあ洗練されているのだが、乗り込んだ人数が半端じゃなかった。エアコンもなかった。結局席には往復とも座ることができず、吊革をつかむこととなる。

ジャワの鉄道はこうした区間でも律儀に検札を行う。また、急行であるゆえんなのか飲み物や食べ物の車内販売があるのだ。人をかき分けて移動するだけでもかなり大変そうなのだが、乗り込んで座席に座ることのできた人たちは、結構その場で購入して飲食をしていた。ちなみに、この日からラマダンが始まっているはず。「旅行」をしているからいいと判断しているのかな。飲食することにまったくためらいもなかったように見えた。

東南アジアということでどうしても比較してしまうタイの鉄道ですが、タイの国鉄(王立鉄道)は電化されていないため、すべてがディーゼルカーか、ディーゼル機関車が客車を引っ張る編成のどちらかしかありません。そのディーゼルカーもほとんどは特急に使われているようで、バンコクなどの近郊を走るものでさえ、客車の編成ですね。ましてや、自動ドアの列車というものは優等列車を除いてありません。ということで、営業距離なども含めてインドネシアの鉄道の方がタイよりも進んでいて一般化されているように感じます。この間、ジャワ島内の鉄道で追突事故が起こりましたが、それでも鉄道を利用すると思う。

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2010年10月 8日 (金)

ジャワに見るあの人の肖像

ジャワ島を旅していると気づくのが、ジャワの人たちはアートに親しんでいることだ。町のどこにでも流しのギター弾きがいて、ベモ(乗り合いのミニバス)が信号待ちで止まったりすると、どこからともなく現れて、1曲演奏していく。

列車でボゴールを訪れた時の帰り、出発間際にギター、ベース、ボンゴを携えた3人組が乗り込み、定番のポップスを演奏した。確かビートルズの曲だったと思う。常に楽器を持ち歩いているので、電気を使わないアコースティックな編成である。ギター、ボンゴはともかくでっかいウッドベースなのだ。演奏力もうならせるものがあったが、歌唱力もなかなかできちっとハモっているほどなのだ。列車が走り出しそうになると曲を終わらせ、金を集め出ていったのである。

また、町には画廊も多くジャワの人たちは絵画にも親しんでいるようだ。他の東南アジアではギャラリーはほとんどないに等しいし、音楽好きといってもせいぜいラジオなどでローカルポップスをがんがん流すくらい。流しの演奏などは見たことがない。インドネシアの別な面をかいま見た感じである。

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<ビートルズ>K-7/FA35

バンドゥンは退屈な町だったが、ギャラリーの多さは随一だった。そのギャラリーの店頭に掲げられていたのが、ビートルズの4人。やはりジョンとポールが全面に来ますよね。この中ではジョージ・ハリスンが似ていると思う。

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<マイケル・ジャクソン>K-7/Sigma20

こちらは、ジョグジャカルタのメインストリート、マリオボロ通りに掲げられていたもの。一目でマイケルとわかるんだが、かなりデフォルメされている。この、マリオボロ通りは観光的な要素はほとんどないものの、ちょっとしたものが町を飾り、アクセントを付け加えている。

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<スカルノ>K-7/Sigma20

いうまでもない、インドネシアの初代大統領で、日本人のデヴィ夫人は何番目かの奥さんであった。2代目大統領となるスハルトに政権の座を追われ表舞台から姿を消してしまったのだが、スハルトが政治腐敗によりその座を追われてからはスカルノも復権したのだろうか。

ところで、スカルノとはこれでフルネームだそうで、名前と姓の区別がない。こういう例もインドネシア人にはあるとのこと。インドネシアの絵画というとバリのウブドということになるのだが、それはあくまでも芸術分野でのこと。ジャワで目につく絵画は、誰にでもわかるような庶民受けするようなものなんだろか。

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2010年10月 6日 (水)

プランバナン遺跡・仏教編

プランバナン遺跡の後半です。昼食を挟み、史跡公園の奥にあるセウ寺院へ。ちなみに、リーズナブルな値段のレストランが公園の中程にあり、飢える心配はありません。トイレもきちんときれいなものがあります。

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<羊とセウ寺院>K-7/FA35

公園内には羊が放牧されている。…というよりも、当然持ち主がいて草を食べさせるために羊飼いが公園内に羊を連れてきたと行った方がよさそう。結構な数の羊がいました。

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<セウ寺院>K-7/DA15

正面の入口から見たセウ寺院。広角で撮っているので、わかりにくいかも知れませんが、中央の建物が本堂です。これも大きな建物ですが、ロロ・ジョングラン寺院のようにそれがいくつも建ち並ぶというわけではありません。これが単独であるのみ。

手前に見えている小さな塔は飾りのようなもので、ここに仏像のレリーフが彫られています。また、入口が東側にあり、この時点で逆光となっています。アンコール遺跡群もアンコールワットを除きすべての寺院の入り口が東にあります。そうしたことから、アンコール遺跡と共通点があります。

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<南側>K-7/DA15

セウ寺院は本堂が全面的に修復中。その周りの建物群も崩れ落ちてしまったものが多かったです。地震の影響なのかどうか、よくわかりません。修復中のため、本堂の内部には立ち入ることはできませんでした。

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<レリーフ>K-7/FA35

崩れ落ちてしまったような本堂周囲の建物群ですが、ここにはアンコール遺跡のようにたくさんのレリーフが彫られていました。ちなみに、セウとは、「千」という意味です。現在は半分崩壊したような建物が残るのみですが、往時はさぞかし壮観だったろうと思います。

レリーフはアンコール遺跡のものよりも立体的です。その代わり、建物の石の組み具合はアンコール遺跡の方が緻密です。レリーフ自体もアプサラやデバターのような女性的で美しいものは少ない感じ。男性的で骨太なレリーフです。

今回の記事ではロロ・ジョングラン寺院とセウ寺院に絞って紹介しましたが、この二つの寺院の間には、小さな寺院が2つあります。いずれも半ば崩壊していて、かなりのピッチで修復中。また、史跡公園からはずれた場所には、ヒンドゥと仏教それぞれとそのミックスした寺院群が点在しています。時間がなくて、訪れはしませんでしたが。

史跡公園内でも紹介できた写真はわずかですが、夕方近くまでいたのでかなりの写真を撮っています。少なくともここには半日を費やしたいところ。何たって、13ドルですからね。

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2010年10月 2日 (土)

プランバナン遺跡・ヒンドゥ編

ええ、自宅のインターネット環境、3日間作動しませんでした。ルーターの故障です。今日、プロバイダから新しいルーターが到着し、ようやく設定すませました。では、ブログも再開します。

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<ロロ・ジョングラン寺院>K-7/Sigma20

プランバナン遺跡はもちろん世界遺産。入場料は13USドルもする。正式名称はプランバナン史跡公園である。園内には4つの寺院跡があるが、入口近くにあるロロ・ジョングラン寺院がジャワ・ヒンドゥを象徴する寺院であり、奥まったところにあるセウ寺院が仏教的な要素の強い寺院である。

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<巨大寺院群>K-7/DA15

インドネシアでヒンドゥと聞くとバリ島ということが即座に連想できる。だが、バリのヒンドゥはジャワ島からもたらされたもので、ジャワ島にイスラム教が入り込んで来て、ジャワ島のヒンドゥ王国は滅亡してしまったのである。バリ島ではヒンドゥ教が根付いたのである。

そのため、ジャワ島にも少なからずヒンドゥ教徒がいることになる。この、ロロ・ジョングラン寺院はバリにヒンドゥがもたらされたよりもずっと古く、9世紀、アンコール遺跡群の中でももっとも古いロリュオス遺跡群あたりと同時代のものである。

ここはガイドブックには2006年の地震の影響で境内への立ち入りができないとの記述があるが、現在は問題なく入ることができた。また、寺院の中へも上がることができる。ただし、建物は巨大ながらアンコール遺跡のように、その中を動き回ることは不可能だ。人間が歩くスペースが少ないのである。

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<寺院のレリーフ>K-7/Sigma20

とにかく、ここはいくつもの巨大な寺院群が立ち並び、かなり壮観である。しかし、こちらの目にはどれも同じように思え、どこがどうという特徴が乏しく、あまり印象的ではなかったといっておこうか。

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