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2011年3月31日 (木)

ハジャイの僧侶

ハジャイは、タイ南部にありながら、イスラム色の強いところである。いや、タイ南部なので、イスラム色が強いといった方がいいのか。

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<托鉢の僧侶>GR DIGITAL

ハジャイの宿は朝食付きではなかった。それでも、外に行けば何かあるはずなので、賑やかそうなところに行ってみると、托鉢の僧侶が何人もいた。イスラム色が強いといっても、ここはタイなのだ。

ただし、ここの僧侶たちはラオスやミャンマーのように、列を組んで托鉢するわけでもなく、ひとりひとりが適当なところに立ち、喜捨を待っているように見えた。

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<少年僧>GR DIGITAL

その翌日も、外に食事をしに出かけた。やはり托鉢は行われていた。食事をしに出かけたので、コンデジのGR DIGITALしか持っていなかったのが悔やまれる。昨日、わかっていたので、このことを強く意識していればK-7でもっといい写真を撮れたのに。

これで、ハジャイに関しては終わります。次はチュムポーンのレポートに突入します。

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2011年3月26日 (土)

ハジャイの海鮮料理

ソンクラーからハジャイに戻り、夜はまだオフが続く。ハジャイはどちらかというと観光客向けの店が少なく、考えたあげく、華僑のやっている海鮮料理店にする。

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<ビアシン>GR DIGITAL

まずはビアシンでチャイヨー。メニューは漢字が使われていて、想像しやすい。それに写真までついていた。

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<空芯菜炒め>GR DIGITAL

まずは中華系タイ料理の定番空芯菜炒め。普通はまったく辛さを気にしなくていいこの料理にも、たっぷりと唐辛子が使われている。さすがはタイ南部である。マレーシアの料理もサンバルという、唐辛子ペーストをベースにしていて、ある程度の辛みがあるが、タイ料理はやはりそれを上回る辛さだ。辛さのレベルがまったく違うし、辛いだけじゃなくて、味が複雑に絡み合っている。

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<アサリ炒め>GR DIGITAL

頼んだものの、箸が出てこない。指でじゃんけんのチョキの形を作ったものの、理解されず、置いてあったスプーンとフォークを逆に持ち、箸の仕草を見せることでようやく理解された。

この貝の料理もひときわ辛い。普通は豆板醤のようなもので下味を付けるのだろうが、この色を見てもらえば、辛いことも理解できよう。

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<鍋>GR DIGITAL

暑いタイで、鍋である。ハフハフいって食べる。こういう熱々の料理はあまり辛くない。

この店は、フカヒレとツバメの巣を売り物にしているようだったが、そこまでは手が回らなかった。そして、店の作りは入口側がどーんと開いたアジアによくあるスタイル。はじめ、奥に座ろうとしたが、ファンが回っているものの暑く、入口に面したテーブルにしたのだ。

そうした作りでは、子供の物乞いがやたらとやってくるのだが、意外に身なりがよく、何も与えなかった。対応していたらきりがない。

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<ハタの姿煮>GR DIGITAL

これまた辛くない料理。一見、できあがったものをそのままプレートで出されたように見えるかも知れない。だが、このプレートの下には、火がついているのだ。

こうした料理はやはり中国人の調理法だろうか。タイのオリジナルとしては、シーフードを小さく切って、野菜とともに和えるか煮込むか焼くかだろうと思う。そこにプリッキヌーや各種調味料が合わさり、絶妙のハーモニーが生まれると思うのだが。

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<調理の兄ちゃん>K7/DA21

二人で900バーツしなかったくらいなので、やはりフカヒレの小さいのくらいは頼んでも良かったかも。これにてオフ終了。

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2011年3月21日 (月)

沢木耕太郎の足跡を追うその2~サミラー・ホテル

あの震災から1週間が経過。まだ、被災者の心境は落ち着かないと思う。自分もブログをやっていて、こんな時に更新している場合じゃないとも思っていた。

直接被災地とは離れたところに暮らしていても、まだまだ不便はある。計画停電であったり、鉄道の運休、物不足・品不足など。それに不意に襲ってくる余震などもあり、落ち着かない気分はまだ続いている。

そんな気持ちを落ち着かせるためにも、やっぱりこのブログを更新していくことにした。

…と、長い言い訳ですが。ぼちぼちやっていこうかと思います。

「チュムポーンの次はどこに行くんだい?」

手の甲に刺青のある男が言った。

「まだ決めていないんですけど……」

「それなら、ソンクラーに行くといい」

「ソンクラー?」

私が訊き返すと、もうひとりの男が引き取って答えた。

「ハジャイの近くの港町さ」

私が中途半端に頷くと、刺青のある男が付け加えるように言った。

「綺麗な海岸があるんだ。バタヤなんかより、ずっといい」

(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

という、ことが頭にあってハジャイに着いたら、ソンクラーに行ってみようと思っていた。そして、ソンクラーのサミラー海岸に着いてみると、それがあったのだ。

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<BPサミラー・ビーチ・ホテル>K7/FA35

 相乗りの客は四人。全員がソンクラー方面に向かうのだという。中にひとり英語を話す婦人がいて、ソンクラーに泊まるなら海の傍のサミラー・ホテルにしなさいと熱心に勧めてくれた。部屋代はいくらくらいだろうと訊ねると、急に曖昧になり、自信なさそうに四十から五十バーツではないかなと答えた。

(中略)

 やがてタクシーはソンクラーの街に入り、客はひとりずつ降りていく。最後まで残った私を乗せて、タクシーは海に向かってさらに走った。

「あれだよ」

 と、運転手に指さされ、困ったなと思った。それが海岸の最もいい位置に一軒だけ建っている、白い瀟洒な外観を持つ建物だったからだ。

(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

そんなわけで、我々もソンクラーに向かった。乗り合いタクシーではなかったが、タイでロットゥと呼ばれるミニバスであった。片道30バーツ。乗り込むと、料金を支払うためのカゴが回されてきた。トルコのドルムシュと呼ばれる、乗り合いミニバスとよく似たシステムだった。

そして、サミラー海岸に到着し、我々の目に入ったのがこのホテルだったのだ。沢木氏が記述したとおりの白い建物。近くにホテルはこれ以外なく、名前は微妙に変わっているものの、ここが沢木氏も泊まったホテルなのだと確信した。

とはいえ、泊まるわけにはいかないので、ここでささやかに食事をすることにした。

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<ミックスジュース>

建物に入ってはみたものの、レストランの入り口でややためらう。料金が心配だったのだ。だが、メニュー表を見せてもらい、それほど高価でないことを確認し、一番海に近い席に着くことにする。

昼間から酒もなんなので、ジュースにしました。おそらくスイカベースのスムージーまたは、シェイクのような感じ。

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<シーフードの炒め物>GR DIGITAL

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<シーフードサラダ>GR DIGITAL

調理法は異なるものの、どちらもシーフードで素材も同じようなものを頼んだ。美味しく頂いたが、ここはタイ南部。スパイシーな度合いがバンコクあたりとは違い、プリッキヌーと呼ばれる極小かつ激辛唐辛子がたっぷりと使われていた。

食事ということだけいえば、海岸にある屋台風のところで、豪快にシーフードのバーベキューを食べるのが一番なんだろう。だが、いささか料金が高くても、これでいいと思った。なぜなら、沢木耕太郎が遙か昔に訪れたところで、その空気に浸ってみたかったからだ。

ここは、外見は素っ気なく見えるものの、なかなかホスピタリティに富んでいて、泊まってもいいかなと思った。だが、ハジャイから小1時間かかり、他の都市へのアクセスも良くないため、クルマがあるなど自分の足を確保できた時ならば、いいのではないかと思った。

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2011年3月13日 (日)

震災に向けて…自分ができること

金曜日の14:46それは起きた。長い揺れが数分も続いただろうか。その間は身を守るのが精一杯で、何をしていいかわからなかった。その後も、揺れは続き、東北方面でかなりの被害が出ていることがわかる。

結局自分たちの物的損傷はなく、早めに帰宅することにする。だが、鉄道が動いてなく、仕方なく10km以上の道のりを歩いて戻る。自宅のある市域に入ると信号が作動してなく、町の灯りも皆無。停電である。2時間半くらいで自宅にたどり着いたが、相変わらずの停電で、店はほとんどやっていない。コンビニの食料も売り切れたようだった。やがて停電は回復したが、テレビをつけ、インターネットで情報を取り入れることで次第にやりきれない気持ちになってきた。

ブロガーとしてやれることはあるのか。ふと思い出したのは、浜田省吾の「恋は魔法さ」という曲。阪神大震災後に発表された神戸をバックグラウンドに歌った曲である。

今回の地震は、人的被害も物的被害も阪神大震災の時よりも数倍あるいは数十倍のものであると思う。だが、思い出して欲しい。あの神戸も見事に復興したのである。

今回被害に遭われた地域の方も、復興を信じて立ち直って欲しい。せめてこんな曲でも希望のひとつとして、自分はエールを送りたい。

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2011年3月 9日 (水)

サミラー・ビーチ

ハジャイ2日目は奇しくも元旦。この日はオフの相手、とんびさんとソンクラーに出かけた。

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<サミラー・ビーチの人魚像>K7/FA35

ソンクラーはハジャイに比べるとひなびた海辺の町に見えるが、ハジャイを含むソンクラー県の県都なのである。行政上はこちらが中心なのだが、今やハジャイの方がばかでかくなり、ハジャイの衛星都市のような感じに成り下がっている。

行き方はバスかバン。バンはごく普通のもので、外見からはどこに行くものなのかよくわからない。これは宿で乗り場をきいておいてかなり助かった。ガイドブックの乗り場は少し歩かなくてはならないが、きいた乗り場はホテル前の通りを渡り少し行ったところなのだ。

ソンクラーでは何を置いても、サミラー海岸。ここに若き日の沢木耕太郎が遊んでいるからだ。ビーチは、タイ湾側にしてはやや波が荒く、きちんと水着を着て泳いでいる人は皆無だった。だいたいは幼児が素っ裸になり波と戯れているくらい。ここには、マレーシアから来た観光バスがかなりあった。要するにマレーシア人もここで遊んでいくようだが、海水浴客はいない。

そんな海岸にあるのがなぜか人魚の像。いわれはよくわからないが、記念撮影をする人が順番待ちをするくらい人気があった。

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<難破船>K7/FA35

砂浜が途切れると岩礁の続く海岸となる。ここに壊れた船が放置されている。

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<貝殻集め>K7/FA35

その船の周りで女性たちがしゃがみ込んで何かやっている。なんだろうと思って近づくと、貝殻を集めているのだった。形の良いものばかりを採取していて、おそらくはこの貝殻でアクセサリーを作って販売するのだろう。遊んでいるように見えて実は仕事なのである。

ビーチで泳ぐ人はほとんどいないが、移動式の物売りが結構いた。つまりは、駅弁スタイルで様々なものを売り歩くのである。

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<シーフード>K7/FA35

このビーチにはシーフードのバーべーキューを食べさせる店もいくつかあった。店と行っても、きちんとしたレストランではなく、屋根と壁があるのはせいぜい調理場くらいのもの。客はオープンエアーのデッキで食べるというもので、バリ島のジンバランにある店のスタイルに似ていた。

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<水をはき出すナーガ>K7/FA35

歩いて岬の方まで行ってみた。4kmくらいあるので、ざっと1時間かかった。すると、こんな巨大な像が。おそらくは龍や蛇をあらわすナーガなのだろうが、シンガポールにあるマーライオン的な感じもする。

岬はどこが突端なのかひどく曖昧な感じで、ここから少し沖にある島へのフェリーも出ているようだ。ここにもシーフードを食べさせる店が点在している。また、よくわからないのは王族らしい人物を祀ったような廟があったり、海軍の魚雷などもオブジェにされていることだった。

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<釣り人>K7/DA21

そして、釣りをする人も。この女性は着飾って釣りをわざわざしているように見えた。ところで、こちら側はソンクラー湖。タイではかなり大きな湖らしい。このあたりはほとんど海とつながっているようで、あまり違いがわからなかったが、波がない分、水があまり綺麗ではない。

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<帰りはバス>K7/DA21

帰りはこのバスを使った。ミニバスのバン(ロットゥ)がエアコン付きで30バーツ。このノンエアコンのバスは20バーツした。しかも、途中かなり止まるので時間は倍以上かかった。

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2011年3月 5日 (土)

ハジャイの屋台

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<ハジャイの繁華街>K7/DA21

ハジャイはタイ南部の中心地で、実は外務省から渡航自粛の注意喚起が出ているところである。このあたりでは日本で報道されないテロが頻発していて、街中にも軍と警察が出て警備に当たっていた。

たまたま到着した日が大晦日にあたり、街中はかなりの人手だったのだが、テロの雰囲気はみじんも感じられなかった。

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<果物屋台>K7/DA21

マレー半島にあるハジャイは当然マレー系住民も多く、この屋台もイスラム教徒の女性が営業していた。このあたりでテロを起こしているのは、タイからの分離独立を企てているイスラム教徒である。だが、この写真のように買い手がタイ人だったりもするので、ごく普通の人たちにとっては、分離独立などはあまり関係ない感じもする。

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<スルメ屋台>K7/DA21

この屋台はマレー語で看板が出ていた。ペナンとハジャイの間に定期的に運行する交通機関があるように、ハジャイにもマレー人が多くやってくるのだろう。

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<蟹入りバミー>GR DIGITAL

そんな中でバミー屋台を見つけた。ここはタイ人の営業する屋台だったが、ちゃんと漢字で蟹と出ているのだ。国境を越え、タイに入ったが、インド人がいなくなったくらいで、マレー人、華人との共存状態はマレーシアと変わらない。

バミーの蟹肉は味わえるほどたくさん入っていなかったが、とんびさんとのオフ会でたくさん飲んだあとだったため、いわば、「飲んだあとのラーメン」みたいな感じで、至福のひとときを過ごすことができた。

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<アイスカチャン>GR DIGITAL

翌日もオフは続き、この時はやはりマレー風かき氷のアイスカチャンを食べた。かき氷の中には色鮮やかなゼリーとナッツなどが入っている。

ところで、バミーもアイスカチャンも一律50バーツ。どの屋台もそんな感じだった。ただ、麺類は店で食べた方が若干安く、30バーツくらい。

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<闘魚>K7/DA21

中にはこんな屋台もあった。瓶に入れられた、ベタという熱帯魚である。これは色鮮やかな魚だが、観賞用だけでなく、闘魚としても使われる。闘魚は賭の対象にもなっているのだ。

さらにオフ会は続く。

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