あの震災から1週間が経過。まだ、被災者の心境は落ち着かないと思う。自分もブログをやっていて、こんな時に更新している場合じゃないとも思っていた。
直接被災地とは離れたところに暮らしていても、まだまだ不便はある。計画停電であったり、鉄道の運休、物不足・品不足など。それに不意に襲ってくる余震などもあり、落ち着かない気分はまだ続いている。
そんな気持ちを落ち着かせるためにも、やっぱりこのブログを更新していくことにした。
…と、長い言い訳ですが。ぼちぼちやっていこうかと思います。
「チュムポーンの次はどこに行くんだい?」
手の甲に刺青のある男が言った。
「まだ決めていないんですけど……」
「それなら、ソンクラーに行くといい」
「ソンクラー?」
私が訊き返すと、もうひとりの男が引き取って答えた。
「ハジャイの近くの港町さ」
私が中途半端に頷くと、刺青のある男が付け加えるように言った。
「綺麗な海岸があるんだ。バタヤなんかより、ずっといい」
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)
という、ことが頭にあってハジャイに着いたら、ソンクラーに行ってみようと思っていた。そして、ソンクラーのサミラー海岸に着いてみると、それがあったのだ。
<BPサミラー・ビーチ・ホテル>K7/FA35
相乗りの客は四人。全員がソンクラー方面に向かうのだという。中にひとり英語を話す婦人がいて、ソンクラーに泊まるなら海の傍のサミラー・ホテルにしなさいと熱心に勧めてくれた。部屋代はいくらくらいだろうと訊ねると、急に曖昧になり、自信なさそうに四十から五十バーツではないかなと答えた。
(中略)
やがてタクシーはソンクラーの街に入り、客はひとりずつ降りていく。最後まで残った私を乗せて、タクシーは海に向かってさらに走った。
「あれだよ」
と、運転手に指さされ、困ったなと思った。それが海岸の最もいい位置に一軒だけ建っている、白い瀟洒な外観を持つ建物だったからだ。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)
そんなわけで、我々もソンクラーに向かった。乗り合いタクシーではなかったが、タイでロットゥと呼ばれるミニバスであった。片道30バーツ。乗り込むと、料金を支払うためのカゴが回されてきた。トルコのドルムシュと呼ばれる、乗り合いミニバスとよく似たシステムだった。
そして、サミラー海岸に到着し、我々の目に入ったのがこのホテルだったのだ。沢木氏が記述したとおりの白い建物。近くにホテルはこれ以外なく、名前は微妙に変わっているものの、ここが沢木氏も泊まったホテルなのだと確信した。
とはいえ、泊まるわけにはいかないので、ここでささやかに食事をすることにした。
<ミックスジュース>
建物に入ってはみたものの、レストランの入り口でややためらう。料金が心配だったのだ。だが、メニュー表を見せてもらい、それほど高価でないことを確認し、一番海に近い席に着くことにする。
昼間から酒もなんなので、ジュースにしました。おそらくスイカベースのスムージーまたは、シェイクのような感じ。
<シーフードの炒め物>GR DIGITAL
<シーフードサラダ>GR DIGITAL
調理法は異なるものの、どちらもシーフードで素材も同じようなものを頼んだ。美味しく頂いたが、ここはタイ南部。スパイシーな度合いがバンコクあたりとは違い、プリッキヌーと呼ばれる極小かつ激辛唐辛子がたっぷりと使われていた。
食事ということだけいえば、海岸にある屋台風のところで、豪快にシーフードのバーベキューを食べるのが一番なんだろう。だが、いささか料金が高くても、これでいいと思った。なぜなら、沢木耕太郎が遙か昔に訪れたところで、その空気に浸ってみたかったからだ。
ここは、外見は素っ気なく見えるものの、なかなかホスピタリティに富んでいて、泊まってもいいかなと思った。だが、ハジャイから小1時間かかり、他の都市へのアクセスも良くないため、クルマがあるなど自分の足を確保できた時ならば、いいのではないかと思った。
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