ブッダガヤ通信
ちょっと早いんですが、出来るうちにやっておこうと。
コルカタから列車で約6時間。さらにオートリキシャで30分。ブッダガヤに居ます。体調いまいちです。今朝下痢でした。宿で休み、夕食をとり、マハボディ寺院のライトアップを撮影し、今に至ります。
いちおう、ここも画像のアップは無理そう。それではまた。多分、この記事は追記します。
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ちょっと早いんですが、出来るうちにやっておこうと。
コルカタから列車で約6時間。さらにオートリキシャで30分。ブッダガヤに居ます。体調いまいちです。今朝下痢でした。宿で休み、夕食をとり、マハボディ寺院のライトアップを撮影し、今に至ります。
いちおう、ここも画像のアップは無理そう。それではまた。多分、この記事は追記します。
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昨日というか、ほとんど今日、コルカタに到着しました。
昨日はバンコクで深夜の乗り継ぎ。コルカタ到着は日付が変わり、本日の12:30頃。プリペイドタクシー料金を払ったものの、妙な白タクに騙されて、宿到着は2:00くらいだったでしょうか。
睡眠不足にもかかわらず、このあたりを少し歩き、今中華の昼飯を済ませたところです。宿は
WiFiあるんですが、非常に遅く、サダルのネットカフェでやっています。画像も用意しましたが、USBをさすところが見つからず、今回はなしです。
とりあえずサダルが近いということで、観光はほとんどせず、沢木詣でみたいなことやっていました。この話はまたあとで。
今回困ったのは日本から持参したはずの目覚まし時計が出てこず、もしかしたら市場で購入となるかも。また、睡眠不足もあり、コルカタ観光はなしに終わりそうです。
明日、鉄道で次の目的地に向かうので、また数日後、記事を書いてみようと思います。サダルは思ったほど汚くなかったな…。
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まだ、荷物もきちんとできていない状態(これは毎度のこと)なんですが、金曜日夕方にこちらを出発します。バンコクを経由し、日付が変わる頃(こちらは丑三つ時)インドです。
鉄道の予約ができないとぼやいていましたが、救う神ありで、「インド鉄道」などで検索していてぶち当たったのが、Cleartripというサイトでした。一応インドの鉄道には、IRCTCという、インド国有鉄道の予約専門サイトがあり、歩き方にもここでのネット予約が紹介されているのですが、今月現在ではインドの携帯電話番号を持っていないと予約画面に勧めないようになってしまいました。これで停滞していたのですが、Cleartripではメールアドレスとクレジットカードさえあれば大丈夫。
これでチケットも発行してしまったので、移動は何ら問題なくなり、気分はだいぶ楽になりました。ああ、良かった。ま、ここで明らかになったこととして、こちらの都合の良い時間帯に走っていない列車もあったわけで、この対策としては移動日を1日ずらすことにしています。元々、この移動には夜行ということを考慮に入れていて、それぞれ丸1日を割いていたのですが、それが半分に減り、かえってインドの滞在を延ばせることになったわけです。
<インドメシ>GR DIGITAL
ま、そんな朗報もあったので、ここで報告しておきます。ともあれ、このCleartripというサイトの鉄道予約、使えます。これさえあれば、インドでの移動も不安がないし、宿もその場で取れてしまうかも知れない。つい最近までが沢木さんの時代と同じような「現地で足で訪れて予約する」、「窓口に並んでチケットを取る」必要がなくなったわけで、旅が楽になっていく。
これまでインドへのためらいがあった人にも朗報なのではないでしょうか。
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<ナシゴレン・カンビン>GR DIGITAL
最近スパイシーなものに飢えている。辛いものが食いたい。
上の画像は、ジャワ島のボロブドゥールで食べた山羊肉(あるいは羊肉)入りのナシゴレン。ボロブドゥールは遺跡があるだけでそれ以外はただの田舎町である。すぐ近くのジョグジャカルタならば、ツーリスティックなレストランもやたらとあるのだが、これといった店がなくてバスターミナルにあるほとんど屋台のような店で夕食をすませた。
ビールは店には置いていないが、従業員が買いに行ってくれた。もちろんどこかで買ったものなので、冷えてなくて、グラスに氷を入れて味わうことになる。タイのビールならばこれもいいのだが、ビル・ビンタンは初めからライトな味わいなので、まるでビールのオンザロックみたいな感じがした。
<ソト・アヤム>GR DIGITAL
ナシゴレンだけじゃ足りないので、鶏肉入りのスープを頼む。これには素揚げした鶏肉が入っているほか、なぜか春雨のようなものがたくさん入っている。味は薄い。
<サンバル>GR DIGITAL
ビールを買いに行ってくれた従業員が、「もっと辛くする?」といって持ってきたのが、このサンバル。唐辛子ベースの調味料で、インドネシアとマレーシアではこれがなくては始まらない。
スープには入れることはなかったが、ナシゴレンに入れると味が引き立った。
さて、インドにはこうした料理があるかどうか。ないと断言したい。辛くて深みのある料理ではなく、様々な香辛料を組み合わせた複雑怪奇な味なのだろうか。ま、今までにもインド料理、ネパール料理は味わっているけれども、今回はより大衆の味に近いものを食べることになるだろう。
一応今週出発なのですが、準備ははかどりません。インドの鉄道チケットが予約できるサイトがあるのですが、どうしても予約画面に行けません。やはり、現地購入かなあ。
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その時もまたバンコクにいた。宿を予約していたのだが、さらに滞在を延ばしたくなって、ドンムアン空港に到着した時、ホテル予約カウンターで別の宿を紹介してもらった。ちょうどその宿替えをする朝、荷物を担いで通りを挟んだ反対側の宿へ移動。早朝ではなかったが、陽も高くなってきている。
あまり時間もなかったのだが、BTSと地下鉄を乗り継いでフアランポーンに向かった。ナコーン・パトムまで。チケットは無事購入したものの、乗り込んでみると空席がなかった。なんと座席指定されていたのである。
<スンガイコロク行き列車>MZ-3/FA35/EBX
それでも、何とか座ることはできたが、それは周りの人たちが取りはからってくれたからである。ナコーン・パトムまでは距離にしてはわずかだが、恐ろしく時間がかかってしまった。車内では偶然日本人が乗り合わせた。それでも最初は英語で話しかけられてしまったのだが。話し相手には困らなかった。タイの列車にはもちろん車内放送はなく、いつナコーン・パトムに到着するのかわからなかったが、同じボックスにいたパッツンの女子大生に教えてもらった。なんのことはない、彼女もナコーン・パトムで降りるのであった。
<ナコーン・パトム>MZ-3/FA35/EBX
駅に降り立った。ガイドブックがあるので大仏塔の位置は何となくわかる。しかも、駅から見えているじゃないか。前方からは僧侶が歩いてくる。
<プラ・パトム・チェディ>MZ-3/Sigma20/EBX
これが高さ120mという、世界一の大仏塔。
<チェディと像>MZ-3/FA35/EBX
近寄ってみると、こんなもの。近づくにつれてその姿がきちんと見ることができなくなっていくことは、エッフェル塔などでも経験している。エッフェル塔と異なるのは、内部に入ることができないことだろうか。
よって、ナコーン・パトム観光はこの仏塔を見ただけで終了。あとは、駅前の食堂でバーミーを食べ、バスに乗ってバンコクに戻った。ただ、バンコクと違い、ナコーン・パトムではアルファベットの看板や文字を見ることがほとんどなく、バンコク行きのバス乗り場を見つけるのにちょっと苦労した。
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再来週いよいよインドです。
いちお、ここで自分のインド歴を披露しておきます。
1回目。ツアー利用。デリー(1泊)→ヴァラナシー(1泊)→デリー(1泊)→グワリオール(1泊)→アグラ(1泊)→ジャイプール(2泊)→デリー。デリー・ヴァラナシー間は航空機利用。デリー・グワリオール間は鉄道。その他はツアーバス。
2回目。ツアー利用。デリー(1泊)→パトナ→ナーランダ→ラージギル(1泊)→ブッダガヤ→ヴァラナシー(1泊)→(車中泊)→アグラ(1泊)→マトゥーラ→デリー。デリー・パトナ間は航空機利用。ヴァラナシー・アグラ間は鉄道利用。その他はツアーバス。
1回目は冬で、見知らぬ人たちとのツアー。2回目もツアーだが、全員顔見知りという企画もののツアー。ただし、この時は未曾有のディレイに巻き込まれ、成田で1泊する羽目になったし、ブッダガヤ1泊が吹っ飛び、かなりの強行スケジュールとなった。
まあ、つまりはひとりで気ままにインドを旅したことがないということである。
<KLのヒンドゥ寺院>K7/DA21
今回インドに行くということに踏ん切るまではかなり時間がかかった。前回のマレーシア・タイの旅から戻り、すぐさまインドのガイドブックを購入。だが、ルート作りは難を極めた。また、インドのビザがマルチプルにもかかわらず、再入国するには最低2ヶ月の間隔を開けなくてはならないという、「2ヶ月ルール」ができたため、いったんネパールに出てまたインドに戻るというルートはだめになった。
インドでは陸路移動をしようとするとちょっとした距離なら、丸1日かかり、場合によっては車中泊もあるということだ。そういうことを踏まえ、ようやくルートを作ることができた。インドを回った後は、ネパールに入り、そのままカトマンズからバンコクへ出るというものだ。
<ガネーシャ>K7/DA21
インドへの準備はまったく何もやっていない。とはいえそろそろ、アメリカドルを購入しなくてはなと考えている。インドは埃っぽいので、春に度の入ったサングラスを作った。まだこの時点では本当にインドなのかというものがあったが、とりあえず作ってみたのだ。
そして、大沢たかおが出演している「劇的紀行・深夜特急」を繰り返し見たということが決定的だったように思う。とりあえず、インドを好きになってしまえということで。
現在のテーマは、分断されている自分の辿ってきた道を陸路でつなげてしまうというものである。そうなると、インドとパキスタン、それ以降トルコのドゥバヤジットまでをつなげることもいつかは考えられるのだが、いったいいつの日になることやら。
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毎日暑い日が続きます。関東地方、梅雨明けしたそうですが、自分にしては暑さの感覚は梅雨明け前でも梅雨明けしてもあまり変わりありません。暑くてたまらないんですよ。
日本の都市部がヒートアイランド現象に見舞われるようになってどのくらい立つだろうか。真夏に軽井沢などに向かい、涼を取ろうと思ったところ、ここでも暑くてたまらなかった記憶がある。
その点海外に行くと、たとえ真夏で、それが熱帯地方でも木陰が涼しかったり、夜になると涼しくなったりすることが多いが、そうではなかった記憶から呼び戻そうと思う。
<フィレンツェ>MZ-3/FA35
2001年夏のイタリア。ローマもフィレンツェもヴェネツィアも至る所で暑かった。だいたいが当時のイタリアはかなりの物価高で、かなりの倹約旅行を強いられた。泊まる宿はほとんどエアコンがなく、風がぴたりとやむと眠れたものではなかった。
移動も、当時のイタリア鉄道(fs)では、普通列車にはエアコンがなく、その中にいると暑くてだんだんとぼんやりしてくるような始末であった。
極めつけはペルーじゃ駅前にあった格安のホテルで、西日の差し込む角部屋は風が通り抜けなかった。それでも宿替えしたり、次の目的地に向かうようなことはせず、ここに3泊もしてしまった自分はなんて我慢強いんだろうと思ったくらいである。
地中海性気候ってものはさわやかなはずというのは、この年のイタリアには当てはまらなかった。多分異常気象だったんだろう。
<シャウエン>MZ-3/FA35/RVP100
スペインアンダルシア地方も暑かった。夜になっても気温が下がらず、外に出てみると石畳が焼ける異様な匂いがした。
それよりもさらに暑さを感じたのは夏のモロッコである。間違いなく気温は40度を超えている。アルヘシラスからフェリーに乗り、モロッコのタンジェに到着する。船を下りるとスペインとは比べものにならない強烈な日差しにさらされることになった。
それから、グランタクシーにぎゅう詰めにされ、ティトゥアンに到着した。本来なら、その先にあるシャウエンまで行きたかったのだが、ここでギブアップ。宿はなかなか見つからず、非常に苦しい思いをしたのを覚えている。夜も気温が下がらなかったな。ティトゥアンはこの1日だけであきらめ、翌朝早々にシャウエンに向かった。
<ドゥッガ遺跡>MZ-3/FA35/RVP100
チュニジアではチュニスやタバルカなどの都市部ではそんなに暑さを感じなかった。だが、ドゥッガ遺跡などのある中央部の乾燥したところでは、日差しを遮るものは何もなく、優に気温40度を超えていたと思う。こんなところを観光して回るのは遺跡好きの日本人くらいで、ほとんど客はいなかった。
その翌日、チュニジア南部に向かった。さらに日差しが強烈になったと思った。宿にもちろんエアコンはなく、寝苦しい夜が続いた。
まあこんなものですが、やはり日本の夏は暑いと思う。これをエアコンナシで乗り切れという方がどんな熱帯地方に行くよりも厳しいことだろうと思うが。
さて、インドの旅が近づいてきています。昨日ようやく旅行保険にネットで入り、到着地と出発地の宿を予約してきました。探すとまあまあ、宿にWiFiのあるところもあるようです。無理なようだったら、ネットカフェとなりますけど、現地レポはできそうです。
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今回はザビエルのお話。先日お世話になった、trintrinさんからのリクエストにおこたえして、強引に記事にしてみます。
フランシスコ・ザビエルはスペインの貴族出身で、長じてイエズス会創始者のひとりとなり、ゴア、マラッカを経てはるばる日本まで布教活動をした。スペインといっても、当時は統一前のナバーラ国の人だったらしい。
<マラッカ>MZ-3/FA50/RVP F
ザビエルの足跡を追うことでそれはひとつの長大な旅行ができるはずだが、無理なことなので、自分が訪れたところでザビエルと関係するものを紹介していってみようかと思う。
ゴアでは日本人のヤジロウ(またはアンジロウ、洗礼名アンジェロか)と出会い、彼を水先案内人として日本まで…。
マラッカには、一時ザビエルの遺体が安置されたという、セント・ポール教会がある。今ではすっかり朽ち果ててしまい、天井もないところだが、「劇的紀行~深夜特急'96 熱風アジア編」では、マラッカに到着した大沢たかお(沢木耕太郎役)が、タクシーを降りて即座に夕陽を見に駆け上ったのがここである。ザビエルの像もあるが、あまり似ていないような。
また、近年建てられたセント・フランシス・ザビエル教会もあります。ここには、ザビエルとヤジロウの像もあり。
<サン・フランシスコ・ザビエル教会>GR1s/GR28mm/EBX
マカオは1999年の12月までポルトガル領であった。実はマカオもマラッカもザビエルが布教活動の拠点としていたはっきりした記録はないのだが、その名前を冠した教会は残っている。黄色い壁が印象的で、まるでポルトガル本国にある片田舎の小さな教会みたいな感じだ。
また、聖パウロ天主堂跡にも、ザビエルの肖像画や像が残っている。
そして、日本に渡ったザビエルは2年の滞在の後、離日しその途上で亡くなってしまう。失意のうちの日本滞在のようだったが、ザビエルの名は至る所に残っている。自分が訪れたことがあるのは、山口市にあるサビエル堂。そのほかにもあるようだが、よく知らない。
<ざびえる>GR DIGITAL
ザビエルは京から山口へと拠点を移しつつ、布教するが、日本での最後の布教の地が大分であった。ま、それはこの間のオフ会でかめちゃんから頂いた「ざびえる」という南蛮菓の裏に書かれていたことで知ったようなものだけど。
バターとラムレーズン。けっこうはまるかも。
ちなみに、ザビエルの遺体は今でもゴアにあるらしいが、腕などが刻まれて、ローマ、リスボン、ポルトなどにもあるとのこと。なんでも、聖パウロ以来もっとも信者を増やしたということで、ザビエルはローマ・カトリックの聖人に配されているのだ。
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