ブッダの洞窟
ええ、いきなりインド4日目に突入です。このあたりの経緯および体調の悪化具合は追々書いていきますので、何かのご参考までに。
ブッダガヤに到着し、ひとまず宿を決める。その宿はゲストハウスみたいなもので、客用にミネラルウォーターなんぞ置いていないもので、買い出しに出た。そこで捕まったんですよ。日本人ハンターに。要するに客引きですが。誠に鮮やかな日本語であれこれと世話を焼いてくる。「明日、ブッダの修行した山とブッダに乳粥をあげたスジャータの村に行きませんか?」というのが、殺し文句になった。
やはりどうかしていたのだと思う。だが、この時点では体調は特に悪化していない。やはり、日本人はブッダに関連するものに弱いんだろうと思う。ブッダの山とスジャータの村というのは、「地球の歩き方」にも載っているが、当初は行くつもりもなかった。だが、ブッダガヤには列車の関係で3泊するのだ。時間は有り余っている。ということで、応じてしまったのである。
…というわけで、このラカン(ブッダガヤ、ラカンで検索するとぞろぞろ出てきます)という男のバイクの後ろに乗って、前正覚山へ。かなり長い間乗っていたような気もするが、20分くらいだろうか。
<前正覚山>K7/DA15
ラカンはブッダについて詳しい男で、ブッダが悟りを開く前のゴータマ・シッダールタ時代にナーランダやラージギルで修行したあと、この山の小さな洞窟で修行したとの説明があった。
<修行する仏陀の像>K7/DA15
その洞窟に入ると、やはり修行者なのか僧侶なのかよくわからない男がいた。山の入口で線香とろうそくを買い、像に供える。ついでにドネーションもというのが、彼らの言い分である。
<修行者>K7/DA15
我々が出ていくと洞窟にいた男たちも出てきた。そして、「バクシーシ」とつぶやく。なにやらねだろうとしているのである。この男の背後にある旗のようなものは、ブッダが悟りを開いた時に身体から出てきた光の色だという。同じ仏教国のタイやミャンマー、ラオスなどでは見かけたことのない飾りである。だが、インドとネパールではこれがたくさんあった。チベットには行ったことがあるのだが、このようなものがあったかは記憶がない。
<ダライ・ラマの写真>K7/DA15
そして、近くにある祠の中を覗くと、ダライ・ラマの写真が飾られていた。そう、ダライ・ラマは同じインドのダラムシャラーに亡命政府を作っている。そして、毎年ブッダガヤにもやってくるそうだ。その時には、人口6万人というブッダガヤの町が10万人の巡礼であふれるそうである。ダライ・ラマとともに中国から逃れてきたチベット人たちが、この洞窟のあるところに自分たちの祠を建てたとしても、不思議ではない。とはいえ、あの修行者も線香とろうそくを売る売店の人たちも見事なインド顔なのだが。
ついでにいうと、ブッダガヤにはいまだにチベット人たちのキャンプがある。とはいえ、ブッダガヤで日本語を器用に使いこなす人たちはチベット系ではなくインド人。ゲストハウスや土産物屋もインド人で、ブッダガヤの利権はすべてインド人が握っているように見えた。
ここまでバイクで来たので、あまり感じなかったが、かなりの暑さだ。今雨季のはずなのに、ほとんど雨が降らないという。ラカンに連れられての観光はまだ続く。
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