ローカルバスでポカラへ
いよいよスノウリを去る日がやってきた。荷物をパッキングし、宿の食堂で食事をしていたら、バスのドライバーがやってきた。
<ポカラ行きローカルバス>K7/FA35
乗るのはこんなバス。荷物をどうするんだときくと、車内でよいという。これはラッキー。席は自由席なので、ドライバーの後ろ2座席を独占。
<運転席>K7/FA35
乗り込む時に、助手が車内に持ち込む荷物を見て、何か一言ありそうだったが、ドライバーがそれを押しとどめる。もちろん、他の乗客の荷物は屋根の上なのだが、これにはわけがあった。他に数名、大きめのバッグを車内に持ち込む客もいた。
<座席>K7/FA35
普通インドのバスというと、なぜか運転席と客席の間に仕切りがあるタイプが多いと思っていたが、このバスは仕切りがない。座席は白い布が掛けてあるが、まあオンボロであることは間違いない。
<運転席横のスペース>K7/FA35
また、仕切りがないためか、運転席の横はベンチシートが作られていた。ともかくバスは定員の半分くらいの乗客を乗せ、スノウリを出発。しばらくすると、バイラワ。この直前に軍の検問がある。だが、徹底的に調べているわけではなく、ここを通過するとバイラワのバスターミナルに到着。ここで数名が乗る。
スノウリを出発。途中の路上に荷物を置いてバスを待つ人たちがいる。そのたびにバスはスピードを緩め、助手がドアから身を乗り出して怒鳴るようにして行き先を聞いている。そんな感じで丹念に乗客を拾い、とうとう自分の席にもチベット人のじいさんがやってくる。脇のバッグを足下に置き直し、じいさんを乗せる。かなり窮屈になった。
<最初の休憩場所>K7/FA35
道は悪くなかった。ところどころ、舗装は途切れているものの、インドと違い圧倒的に交通量が少ないので、比較的速く走ることができる。1時間ほどで最初の休憩場所に到着する。この調子で行くと、いつ食事ができるかわからないため、沢木耕太郎にならい、リンゴをひとつ買っておいた。30ネパールルピー。
ここから乗客が増えてくる。すべての席はびっしりと埋まり、運転席横のベンチシートは客が詰め合うようにして頑張っている。実は自分のキープした席にはドライバーのシートの後ろに物を置けるようなスペースがあったのだが、ここも客が座りだした。こうなると、まったく身動きができない。
それと反比例するように車窓は素晴らしいものとなっていく。山道に入ったのである。まだ、ヒマラヤというわけではないが、尾根を登り、谷を降り、近くには清流が流れるような心洗われるような景色である。
<休憩地の売店>K7/FA35
最初の休憩ポイントから2時間くらいたち、山の中にある集落で再び休憩となる。ここでは用を足すとともに、ビスケットを購入する。もちろん、車内で食べるためである。
これで身体を伸ばすことができたが、超満員の車内が変わるわけではない。おまけに、隣のチベットじいさんがたびたび居眠りをして、こちらに全体重を掛けてくるのである。最初のうちは老人に敬意を表して、身体をずらすようにしていたが、それも限度がある。腕を使って元に位置に戻すようになってしまった。
再び山道。これを何遍繰り返したことだろうか。途中ちょっと大きい町があり、ここでチベットじいさんは降りた。何となくここがポカラのダムサイドのような感じもしたが、そうではなかった。ここからは山を下りていく感じになる。「ポカラ」の道路標識が現れ、見下ろすと遥か下にポカラの町が見えた。
さて、バスターミナルに到着したらどうしようと思っていたら、ここで降りるようにとの助手の言葉。なんだかわからないが、タクシースタンドのようである。なるほど、唯一の外国人旅行者なので、レイクサイドにしろダムサイドにしろ、ここで降ろしたわけだ。荷物を屋根に積んでしまうと、その時間に無駄が出る。バスにはインド人のグループが乗っていた。比較的裕福そうでなぜか英語で話しまくっている。彼らといえども、そんなツーリスティックな場所には泊まらないらしい。
客待ちしていたタクシーには、メーターがなかったが、150ネパールルピーでレイクサイドまで行ってくれた。ここまで来ればもう安心。
さて、1週間間隔が空いてしまいましたが、特に意味はありません。また頑張ります。
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