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2014年11月23日 (日)

深夜特急クライマックスの地へ

深夜特急の足跡を追うVol.17

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<ブルームズベリー通りのB&B>K-7/DA16-50mm

 そしてこの朝、私はいよいよ中央郵便局に出掛けることにしたのだ。
 ホテルのオバサン、正確にはイギリス版ペンションである「B&B」ベッド・アンド・ブレックファーストのオバサンに聞いたところによれば、ロンドンの中央郵便局はトラファルガー広場にあるとのことだった。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

ということで、調査後半はブルームズベリー通りからはじめました。再びホーバンに向かいます。

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<大英博物館>K-7/DA16-50mm

大英博物館前を通ります。特別展を除き入場料無料。大英帝国時代に世界中からぶんどってきた貴重品を展示しているところです。

ロゼッタ・ストーン、パルテノン神殿の彫刻群、ローマ時代の建築物がそっくり入る展示室などもあり、各地から返還運動も起きていますが、イギリス政府はまったく耳を貸しません。ここを通りすぎ、ロンドン地下鉄の人に。

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<ホーバン駅>K-7/DA16-50mm

ここからトラファルガー広場に向かいます。次のトッテナムコート・ロードで乗り換え、チャリングクロスへ。

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<地下鉄車内>K-7/DA16-50mm

世界初の地下鉄並びに初めて電化された鉄道だそうです。トンネル部分はほぼ円形に作られていて、車両はなで肩に設計されています。天井もドアも低く、大柄の人が多いイギリス人は毎日苦労させられています。

とはいえ、座席には肘掛けがあって、東京メトロなどとは大違いです。

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<トッテナムコート・ロード駅>K-7/DA16-50mm

ロンドン地下鉄のロゴに駅名が入ったデザインの駅名標。また駅によっては微妙なデザインが施されているところもあります。たとえばべーカー・ストリート駅にはシャーロック・ホームズの横顔のシルエットがタイルで埋め込まれている壁面があったりします。

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<チャリングクロス駅>K-7/DA16-50mm

 地下鉄のホルボーンからセントラル線に乗り、トートナム・コート・ロードでピカデリー線に乗り換え、チャリング・クロスに向かった。
 これが旅の本当の終わりだ。電報を打ったら、あとは日本に帰るだけだ。しかし、不思議なことに日本に帰るということにまったく実感が湧かない。
(中略)
 トラファルガー駅に着いた。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

一応書いてあるルートでトラファルガー広場を目指しました。沢木さんの文章ですが、誤りがあって、出版から20年以上経っても訂正されていません。

トッテナムコート・ロードで乗り換えるのはノーザンラインとなります。また最後の最後で思わず「トラファルガー駅」と書いていますが、この駅は存在しません。

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<トラファルガー広場にて>GR DIGITAL

数少ない記念写真のひとつ。トラファルガー広場に到着しました。背後の巨大なライオン像は三越のライオンのモデルだとか。でも大きさはかないません。そしてネルソン提督像は左側のモニュメントのずっと上にありこれをバックに記念撮影は無理があります。

さあ、郵便局へ。

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<ロンドン「中央郵便局」>K-7/DA16-50mm

 ロンドンの中央郵便局はトラファルガー広場にあるとのことだったが、広場には面していないらしくどこにあるかわからない。少し歩いて探したが、見つからないので、通りがかりの警官に尋ねた。
 教えられた通りに歩いていくと、間違いなく広場の裏手にあった。しかし、東京の中央郵便局をイメージしていた私は、その小ささに驚かされた。
(沢木耕太郎「深夜特急」より引用)

描写通りに本当に地方都市の中央郵便局くらいです。では中に入ります。

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<絵はがき3通>K-7/DA16-50mm

ここで電報を打つわけにいかないので、絵はがきを3通出しました。入口近くには物腰の低い局員がいて、用件を聞くと切手の自動販売機の操作をしてくれて、あとはこちらが料金を投入するだけでした。

切手の他にエアメール用の紙片もでてきました。

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<電話ボックス>K-7/DA16-50mm

結局郵便局から電報を打てないという基本的なミスを犯した沢木さんは、旅行代理店を回ったあと、電話ボックスから電報を打つ仕草だけして、「深夜特急」は大団円を迎えます。

ただ、そのあと、「旅する力」でも触れられていますが、オランダやドイツに向かい、最終的にはパリのオルリー空港から帰国することになります。

この「深夜特急の足跡を追う」シリーズですが、まだまだ「深夜特急」や「劇的紀行・深夜特急」で現れる箇所がたくさんあるので、当分の間は続けるつもりです。

そして、今回の旅のレポートもまだありますので、当分の間つきあってやってください。

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コメント

劇的でも、電報を打たず、電話をかけるふりという結末でしたっけ?
昔の旅は手紙が唯一の通信手段でしたもんね、隔世の感あり(^^ゞ

投稿: kimcafe | 2014年11月28日 (金) 00時14分

kimcafeさん、こんにちは。
劇的紀行・深夜特急でもほぼ同じ結末です。
旅行代理店は回っていませんが、電話ボックスから「ワレトウチャクセズ」をプッシュします。お金を入れずに。
さすがにダイヤルではなく、プッシュ式になっていましたが。
また、大使館宛で郵便を受け取るシーンの描写もありました。インドでしたが。

投稿: ヒョウちゃん | 2014年11月28日 (金) 22時26分

昔は電報だったのですね。自分が海外旅行しだしたときには電報ではなく固定電話でした。それでも国によっては郵便局からでないとかけられないとか、苦労しました。空港に着くと、まずテレホンカードを買っていたのを思い出します。

はじめて携帯から電話をしたのは何とマチュピチュからでした。地球の裏側から日本に通じたのを感動しました。今では携帯(iphone)を使うのがあたり前になりました。

投稿: とんび | 2014年11月30日 (日) 13時37分

とんびさん、こんにちは。
実際には沢木さんはその他の都市でも電報を打つことはありませんでした。
やりとりは自分から出す手紙と大使館止めで受け取る手紙ですね。
そういえばテレフォンカードもしばらく購入してないですね。ちょっと前まで、リコンファームが必要な航空会社があったので、そんなときに使いました。

投稿: ヒョウちゃん | 2014年11月30日 (日) 21時15分

過去時期に失礼します。
私も20年以上前から深夜特急の大ファンで、同楽旅社やサグレスなど、ゆかりの地をいくつか訪ねております。
トラファルガー駅についても同じことを考えている方がいて大変嬉しいです。
なお、恥ずかしながらアーベンゲストハウスのオーナー役が日本人俳優であったことを貴ブログで初めて知りました。記事を書き直したほうがいいかもな…などと思っています。

投稿: スクンビット総研 | 2020年4月14日 (火) 14時46分

スクンビット総研さん。
初めまして。
実はそちらのブログ、結構前からブックマークしていました。
ワタクシも「深夜特急」はかなり前から読んでいたんですが、気づくと沢木耕太郎さんのたどったルートをかなりスポット的に訪れていることがわかったんです。
これがわかってからはわざわざドーバー海峡をフェリーで渡る旅をしたりしました。
今はこんな状況なので、何もできませんが、いずれは単発的にデリーからロンドンまでのルートをバスじゃなくていいのでたどってみたいと思います。
「何泊な?」の俳優ですが、熱風アジア編で最後にテロップが出ますので、調べました。
ペナンの藤竜也は間違いなく現地のビーチボーイでしょう。
ワタクシ的には深夜特急関連以外にも、面白がって記事を書いていますので、よろしかったらまたいらしてください。
スクムビットさんとはお友だちです。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年4月14日 (火) 22時13分

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