ハジャイとソンクラー
深夜特急の足跡を追うVol.31
<ハジャイ駅>K-7/DA21mm
今から8年ほどのことです。ペナンからハジャイに到着しました。この時はバンコクまで行く予定で列車で行ければなどと思っていたんです。結局無理だったんですが、ここで日本人に声をかけられました。
その後一緒に遅い昼食をとり別れましたが。沢木氏はチュムポーンから列車でハジャイにやってきていました。ですが、車内で腕に刺青のある男性からソンクラーの話をききそのままソンクラーへと行ってしまいました。
なら、自分も行くかというのが沢木ファンの心情であります。ちなみに、ここでとんびさんとオフし、とんびさんも同行です。
<ロットゥ>GR DIGITAL
泊っていたホテルでソンクラーのことをききました。向かいの横断歩道を渡ったところあたりにバスが来るとのことです。バスは緑とのことでしたが、やって来たのはロットゥです。歩道で客待ちしていたモタサイのドライバーに「ソンクラー?」ときくと、そうだと頷きます。
このロットゥでは料金徴収にザルが回ってきました。いくらかわからないのでどうするかと迷っていると、周囲の乗客が30バーツと教えてくれました。
<ソンクラーに到着>K-7/DA21mm
ここから少々歩いてサミラービーチに出ます。
<サミラービーチ>K-7/DA21mm
タイで初の海です。白砂がまぶしいです。海水浴客はあまりいなくて、わずかにタイ人が着衣で海に入っているくらいです。ここで沢木氏は久しぶりに海の水を存分に味わったとあります。
<廃船>K-7/DA21mm
ビーチの先ではタイ人が貝殻を集めていました。おそらく、貝殻でアクセサリーでも作って売るのでしょう。
<BPサミラービーチホテル>K-7/DA21mm
海岸沿いにある唯一のホテルです。ここに、沢木氏は宿泊したはずです。「はず」というのは「サミラーホテル」と名前が変わっているからです。でも、ビーチにあるホテルはここだけ。しかも「白亜」と形容していることからここで間違いないでしょう。
沢木氏は「若き実力者たち」の印税をそっくり持って旅に出ました。金がないといいつつも、いざというときの資金はあったはずです。ここで泊まるか迷っていると、日本人の宿泊客に出会い、泊まることにしたのです。
その晩、ソンクラーの街に出て、安くあげようとしたようですが、再び日本人の宿泊客に出会い、ここのレストランで食事をすることにしました。
<ホテルレストラン>GR DIGITAL
料金不明ながらここで食事することにしました。沢木ファンなら必須ですね。
<シーフード>GR DIGITAL
どういうことか、もう1品はヤムタレーでした。炒めているかサラダのままかという違いで、中身の具はほぼ変わりません。当時もっとタイ料理の知識があればと悔やまれます。
このレストランで、沢木氏は日本人宿泊客の夫婦と意気投合し、遅くまで話し込んだようです。それでも、沢木氏はすぐチェックアウトし、ハジャイからマレーシア国境行きの列車に乗り込んだのですね。
ま、我々ができるのはここまででした。
<緑バス>K-7/DA21mm
相当なおんぼろバスです。帰りはロットゥが見つけられなかったので、バスにしました。料金20バーツ。10バーツ安いのはノンエアコンということが関係しているのかも。
バスの降車場からは自分のホテルが見えたので、道に迷うことはありませんでした。
☆この記事は「沢木耕太郎の足跡を追うその2~サミラー・ホテル」を再構築しました。kimcafeさんが明日、ソンクラーに行くそうで。カブトガニの屋台もありますよ。
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