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2019年7月26日 (金)

ホリプロとハマショー

かすてら音楽夜話Vol.64

音楽話が止まりません。ま、これはナベプロの話にインスパイアされたもので、こういうものは忘れないうちにどんどん書いていくのがいいでしょう。

ナベプロに対抗するホリプロ。ニューミュージック系が強いなんて書きましたが、当初所属していたザ・スパイダースは独立しリーダーの田辺氏の起こした田辺エージェンシー所属となりました。ですが、井上陽水、RCサクセション、浜田省吾などが所属していました。ま、今は誰も所属していませんが。

Th2

<当時の浜田省吾>

ホリプロも創業者の堀威男が元バンドマンです。このあたりから、渡辺プロよりもバンドをやる人、自ら演奏する人などが多かったのかもしれません。歌謡曲の世界も和田アキ子などがいます。なんと、和田さん、現在もホリプロ所属。義理堅いですね。

実はホリプロも独立問題で恫喝めいたことをやっています。あの、RCサクセションもホリプロ所属だったのですが、担当マネージャーが自ら興した会社(りぼん)にRCごと独立したとき、あからさまな営業妨害に出たようです。やっぱり芸能事務所ってどこも体質が変わらないんでしょうかね。

さて、ホリプロですが積極的な新人発掘事業を展開することで知られています。古くは「スター誕生」から山口百恵を獲得しました。それとは別に「ホリプロタレントスカウトキャラバン」というものを独自に始め、これは現在も続いています。第1回グランプリはあの、榊原郁恵です。

このグランプリ獲得者は外れも多いですが、過去の受賞者で現在も活躍する人はかなり多いですね。ざっと上げると、堀ちえみ、井森美幸、山瀬まみ、戸田菜穂、深田恭子、石原さとみなどなど。深キョンは1996年というからキャリア長いですね。

この、3回目のグランプリ、1978年のことですが、その受賞者に能瀬慶子という人がいます。1回目の榊原郁恵が大成功したものですから、能瀬さんへのプッシュもかなりのものでした。ですが、彼女の弱点は…歌唱力というか、はっきりいって音程が取れないという致命的なものでした。

ちょっとこれをお聴きください。

 

はい、2枚目のシングル「裸足でヤングラブ」でした。

なんと、この曲の作者は浜田省吾なんです。曲ばかりでなく、作詞も担当してます。さすがに編曲は船山基紀ですが。当時の浜田省吾は一部のコアなファンはいたものの、曲をリリースしても今のように絶対に売れるということはありませんでした。

ですが、いい曲を書くということで、1970年代はかなりのホリプロ所属の歌手に曲提供をしています。すなわち、和田アキ子、榊原郁恵、山口百恵などへですね。能瀬さんのデビュー曲「アテンションプリーズ」も提供曲です(作曲のみ)。この不遇な時代の浜田省吾は曲提供で糊口を凌ぐところがあったようです。

「裸足でヤングラブ」もところどころ浜田省吾独特の節回しを感じ取ることができます。ところでハッキリいって音痴気味の能瀬さんに浜田省吾はレコーディングやそれ以前の練習などで同席していたんでしょうかね。「こうやって歌うんだよ、慶子ちゃん」なんてね。それもなかなかシュールな光景ですが。

浜田省吾は提供曲の一部をセルフカバーすることもあるのですが、「裸足でヤングラブ」「アテンションプリーズ」(他に2曲)などは今後絶対にセルフカバーすることはないだろうなあと思います。

ところで、その後の能瀬さんですがシングル4枚、アルバム1枚をリリースし、いずれも売れません。そして、1983年、20歳の時にあっさりと引退、原因は結婚だったようです。

 

せっかくの浜田省吾ですので、「もうひとつの土曜日」でシュールな世界から戻ってきてください。

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コメント

今はインディーズがあるからこういうネタは無くなってきたかな。当時は芸能プロありきだったからねぇ。98年だったかのツアーパンフで須藤さん以前は黒歴史みたいなこと書いていたような。それでも愛着のある曲を「初夏の頃」にしたし、この間ファンクラブツアーになっているね。

投稿: しょうたく | 2019年7月27日 (土) 13時43分

しょうたくさん、お久しぶりです。
なんか、にわかに純粋音楽ブログみたいになってきました。
これはこれでとても嬉しいです。
浜田省吾の黒歴史、ホリプロ時代や歌詞が書けなくなった頃ですね。
最近はコンサートにはとんとご無沙汰です。
20数年前、新宿・渋谷にすぐ行けた環境、今じゃ無理ですね。
さいたまスーパーアリーナってのはありますが。
帰りが辛すぎ。

投稿: ヒョウちゃん | 2019年7月27日 (土) 22時57分

どうもです。
前回、そのネット環境では
名前が抜けたみたいです。
さて、芸能界残酷物語もふれて
みたいですが...
もとい浜田省吾ですけど。
矢沢永吉が、昭和末期に愛人生活をし、
平成初期でタレントになった頃。
ワタシはハマショーをカラオケ演目に
加えましたです。

投稿: ペンタのP | 2019年7月28日 (日) 05時33分

ペンタのPさん、こんにちは。
わたしゃ、浜田省吾に関しては、かなり遅い時期のファンです。
ですが、台北のカラオケスナックで歌ったこともあります。
「もうひとつの土曜日」はタニヤで生演奏で歌いました。
矢沢永吉は「時間よ止まれ」くらいですかね。

投稿: ヒョウちゃん | 2019年7月28日 (日) 16時44分

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