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2020年4月23日 (木)

とんかつ、ニンニク、こんにゃく、天ぷら

かすてら音楽夜話Vol.70

Fe0407

<モンサンミッシェル>K-7/DA16-50mm

ジャッキー吉川さんご冥福をお祈りします。ま、上の画像はイメージですわ。

ブルーコメッツ、通称「ブルコメ」。日本人は省略して呼ぶのが好きですからね。エレファントカシマシも「エレカシ」ですし。

でも、正式名称は「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」です。ブルーコメッツのリーダーですよ。

 

ご存じ「ブルーシャトウ」でした。冒頭のドラムソロがジャッキー吉川さんです。

ブルーコメッツもメンバー変遷がいろいろありまして、ジャッキーさんは何代目かのバンドリーダーです。この「ブルーシャトウ」の時が全盛期ですかね。

ワタクシの世代ですと幼少期に「ブルーシャトウ」の替え歌で「♪もりとんかつ いずみニンニク かーこんにゃく まれ天ぷら」なんて歌ってたんですけど、それほど影響力のある歌でした。

ブルーコメッツは、当時全員20代にもかかわらず、おじさんくさく見えます。それでもグループサウンズ(GS)にカテゴリーされるバンドでした。GSはほとんどのバンドが流行に乗ってスカウトされて演奏は二の次、ルックスで勝負なんてところがありました。オックスの赤松愛とか、演奏終盤で失神する演技もあったんですが、とにかく中高生に大人気です。そのほか、タイガースのジュリー(沢田研二)、テンプターズのショーケン(萩原健一)など、甘いマスクで社会現象ともとれることが起きていたのですが。

GS全盛期のバンドと違い、ブルーコメッツは確かな演奏力と歌唱力で勝負していたバンドですね。同じようなグループとして、ワイルドワンズとスパイダースがあります。ワイルドワンズはターゲットが大学生あたり、スパイダースはやや芸能プロ的な色合いが強く、ターゲットはかなり広範囲だったのではないでしょうか。

ブルーコメッツのすごいところは、「ブルーシャトウ」の直後に国民的歌手、美空ひばりの「真っ赤な太陽」のバックに起用されたことでしょうかね。また、この翌年の1968年に「エド・サリバン・ショー」に出演したことが挙げられます。

「ブルーシャトウ」当時のメンバーですが、ジャッキー吉川(ドラムス)、井上忠夫(フルート、のちの井上大輔)、三原綱木(エレクトリックギター)、高橋健二(ベース)、小田啓義(オルガン)となっています。リードヴォーカルは井上忠夫。作曲もこの人で、のちに数々の楽曲を提供していますが、2000年に自殺という形で人生を自ら終わらせました。コーラスもジャッキーさんを除く全員で担当してますね。

また、余談臭くなりますが、小田啓義はダン池田とニューブリードのバンドリーダーを引き継ぎ、その次のバンドリーダーは三原綱木です。

とにかく、この「ブルーシャトウ」、第9回レコード大賞受賞曲です。ジャッキーさん長い間お疲れさんでした。合掌。

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コメント

もりとんかつ~♪
小柳ルミ子さんの瀬戸の花嫁で歌ってましたよ。
せとは(わんたん)しぐれて(てんどん)と・・
ブルーシャトーはまだ幼稚園くらいかな?
ところでこのメンバーの一人と
ずいぶんと昔によく遊んでました@経堂。
代々木公園そばの渋谷公会堂でのライブも行きました。
今度お目にかかったら聞いて下さいね。

投稿: trintrin | 2020年4月24日 (金) 11時37分

trintrinさん。
「ブルーシャトウ」は1967年のヒットですね。
レコード大賞でもあるし、ブルーコメッツ最大のヒット、いわば十八番(おはこ)なので、その後ずーっとテレビでもやってたと思います。
経堂で遊んでいたって、ここに登場しない新メンバーですかね。
渋谷公会堂って1964年の東京オリンピックの重量挙げ会場なんですよね。その後CCレモンホールとか改称しましたが、いまだに渋谷区の施設なのかな。
でも、改装中のような。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年4月24日 (金) 13時08分

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