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2020年5月14日 (木)

追悼浅野孝巳さん

かすてら音楽夜話Vol.73

訃報が入ったのは12日のことですが、11日にゴダイゴのギタリスト、浅野孝巳さんがお亡くなりになりました。突然死だったようです。

ジャッキー吉川氏がお亡くなりになったばかりですが、次々にこうした人たちが旅立たれます。ま、しょうがないっていえばしょうがないんですが。

In1376

<カトマンズ>K-7/DA21mm

なんでカトマンズが出てくるかというと、その昔ゴダイゴがカトマンズでコンサートをやったことがあるからです。2011年の夏、インドからスノウリ経由でネパールへ陸路越えしまして、陸路での最終目的地がカトマンズでした。その時、ゴダイゴにまつわる記事を書いてます。

YouTubeのリンクは生きているんですが、ブラウザーの設定をいじらないと表示できないみたいです。これは、昨年3月にココログの設定が変わったからですね。

カトマンズはまだ計画停電をやっているのかな。今もおそらくは、資源もない国ですから電力は貴重でしょう。ゴダイゴのコンサートを行うために、その日のカトマンズは全面送電を止めて、コンサート会場のみ使えるようにしたという伝説があります。真偽のほどは不明ですが。

では、ワタクシの最も好きな「銀河鉄道999」(English Version)をお聴きください。

 

ほぼオリジナルメンバーでの演奏です。懐かしの「夜のヒットスタジオ」ですね。でも、なぜか野外での収録。ライヴ感ありますね。桜田淳子、山口百恵、森進一、野口五郎、ピンクレディ、みんな若いです

ゴダイゴのメンバーですが、タケカワユキヒデ(Vocl)、ミッキー吉野(Keyboard)、浅野孝巳(Guitar)、スティーヴ・フォックス(Bass)、トミー・シュナイダー(Drums)というラインナップです。

もともとは、タケカワユキヒデのソロアルバムに「ミッキー吉野バンド」が参加する形で制作がすすめられましたが、バンドとタケカワユキヒデが合体する形でゴダイゴとなりました。

タケカワユキヒデの右側でギター演奏するのが浅野さんですね。

メンバーについて述べます。バンドの中心は何といってもミッキー吉野です。なんと、16歳であのゴールデンカップスに参加していました。その後、バークレー音楽院に留学した才能の持ち主です。

タケカワユキヒデは東京外国語大学卒業(英米語学科)。その後、ソロ活動を始めます。英語に堪能な人ですが、ゴダイゴの英語詞は奈良橋陽子が担当してます。ま、英語が話せてもそっちの才能はなかったということで。とはいえ、ほとんどの楽曲は彼が作曲してます。ミッキー吉野はアレンジを担当してます。

スティーヴ・フォックスは日米のハーフでミッキー吉野とバンドを結成したのち、やはりバークレー音楽院に留学。1980年に宣教師になるためゴダイゴを一時脱退します。後任は吉澤洋治という最年少メンバーになります。再結成したゴダイゴではスティーヴ・フォックスも復帰しました。現在も牧師として働きながらゴダイゴのメンバーを務めています。

トミー・シュナイダーですが、3代目のドラムスです。前任は浅野孝巳の実弟、浅野良治でした。

このメンバーがゴダイゴ全盛期ですね。「銀河鉄道999」では最終盤のサビ、♪The Galaxy Express 999 Will Take You On A Journey/A Journey To The Starという部分がリフレインされますが、オリジナル音源で聴くと、タケカワユキヒデひとりで多重録音しているかのようにきこえます。でも、ライヴ映像ではミッキー吉野がカバーしていたんですね。これは結構すごいです。はっきりいってライヴバンドですわ。

さて、ギターの浅野孝巳さんですが、映像ではほとんどギターを弾いているもののソロを取るわけでなく、タケカワユキヒデの隣に位置しているものの、ギターの音は聴こえませんね。ま、これはスティーヴ・フォックスのベースについても同様なんですが、バンドの中心となる音が、ほぼミッキー吉野のキーボードやシンセサイザーから生み出されることに起因しているでしょう。それに、「銀河鉄道999」ではホーンセクションも入っているので、あまり目立たないかな。

でも、経歴がかなりすごいです。

10代からプロミュージシャンとして活動をはじめ、「The M」や「チャコとヘルスエンジェル」に参加ののち、ミッキー吉野バンドに参加します。

 

チャコとヘルスエンジェル、「雨に濡れて」でした。このバンドはワタクシ的には記憶にないんですが、知子のロックのトーマスさんがfacebookのコメントで教えていただきました。

「銀座Now」などに出演していたみたいです。アイドルバンドですね。映像でも浅野さんはわかると思いますが。このバンド、レコーディングではスタジオミュージシャンを使っていたみたいで、浅野さんも苦労したみたいです。でも、浅野さんもプロミュージシャンとして活動していたので、ギターのスタジオミュージシャンがギターソロのパートは「自分でやんなよ」と計らってくれたようです。

今後のゴダイゴ、どうなるんでしょうね。ま、イーグルスもグレン・フライ亡き後も活動しているみたいですから、浅野さんのためにもぜひともゴダイゴは活動継続していただきたいです。

☆旅の話題はまだあるんですが、音楽話、かなりネタがあります。こんな時期ですが、皆さん、ついてきてくださいね。

<追記>
YouTubeの映像、外部ブログでは再生できないということで、ご迷惑おかけしております。そのまま、YouTubeに飛んでいただければ大丈夫です。これ、ズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」以来だわ。

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コメント

チャコヘルのお話はTwitterでも反応薄いですがナイスバンドでした。ゴダイゴはRCサクセションと並ぶ日本一の唄バンドですので、浅野さんのギターは新田耕造のドラムの如くバンドの礎石柱でした。唄の為バンドの為。

投稿: すずき銀座 | 2020年5月14日 (木) 02時02分

すずき銀座さん。
チャコとヘルスエンジェルでは浅野さんのギター、際立って聴こえますね。
「銀河鉄道999」ではミッキー吉野のキーボードとブラスが際立つので、あまり目立ちませんが。
「僕のサラダガール」では、イントロからギターソロなんですね。もちろん、浅野さんです。
facebookではいいヒントをいただきました。
感謝いたします。
あ、ちなみに、「すずき銀座」さん=「トーマス」さん。
同一人物であります。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年5月14日 (木) 20時44分

今日も力の入った内容。
ただ前回のpuffy の動画は見られましたが、今回のは2つともクリックしても見られなかったのが残念。
何が違うんでしょうか。

投稿: スクムビット | 2020年5月14日 (木) 22時02分

スクムビットさん。
追記しましたが、再生ボタンをクリックすると、そこで止まりますが、「YouTubeで見る」をクリックすると、YouTubeのページに飛んでそこで見ることができます。
動画の所有者によって他のウェブサイトでの再生が無効になっているそうで。
お手数ですが、よろしくです。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年5月14日 (木) 23時35分

そのとおりでした。

投稿: スクムビット | 2020年5月15日 (金) 10時46分

スクムビットさん。
見れましたか。
よかったです。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年5月15日 (金) 11時14分

ゴダイゴの銀河鉄道999は私も好きな1曲です。
当初はスローバラードだったのを、映画製作者より機関車が空に飛び立つED映像にあわせたいという要望に合わせてアップテンポに変えたって、その昔、テレ東の音楽番組で説明していたのを覚えています。

この歌詞がとても興味深い。
最初奈良橋さんが書いた歌詞は、一人称なんですよね。
「I thought I reached the end・・」
「僕はこの旅が終わりに近づいているって思ってるんだ」と。

でも山川さんの歌詞は違う。
「私」は出てこない、
あの人はもう・・、君を遠くで・・。
君=鉄郎であり、あの人=メーテルだと思う。

そう考えると英語詞の「私(鉄郎)の長い旅への思い」がバラードにさせ、そしてアップテンポになったおかげで、曲は主観的なものから客観的視点へ、鉄郎とメーテルを見守るような詞の描き方に変えさせた。

山川さんは奈良橋さんの歌詞を昇華させたんだなぁ。
英語からの日本語でこの曲は完結させたんだと一人納得でした。

そもそも奈良橋さんの元旦那がタケカワさんからの詞の依頼を奥さん(奈良橋さん)に押し付けて?演出家の奈良橋さんとタケカワさんのコンビが始まったみたいだし。


演出家のドラマチックな世界観がこの曲を色褪せぬ名曲にしたんだなとしみじみです。

投稿: lastsmile | 2020年7月 8日 (水) 00時15分

lastsmileさん。
ゴダイゴ、最初の解散までにリリースした曲ではほぼ全曲英語ヴァージョンもあるんですね。
英語で歌う日本のバンドというと、SHOGUNもあるんですが、ゴダイゴのほうがより大衆に浸透してましたね。
それはドラマで使われた「西遊記」と「探偵物語」の認知度の差かも。
奈良橋陽子の元旦那は古くからミッキー吉野と知り合いで、それが縁でタケカワユキヒデを見出したみたいですね。
で、当時の奥さんが奈良橋陽子だったと。
ま、いずれにせよ、タケカワユキヒデは作詞がいまいちだったわけで、英語は奈良橋陽子、日本語は職業作詞家という使い分けをしてましたね。
浅野さん亡き後、ゴダイゴはどこに行くのでしょうね。
継続してほしいです。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年7月 8日 (水) 12時22分

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