脱力系女性デュオの仕掛人は
かすてら音楽夜話Vol.72
1996年のとある日、旅好きでかつ音楽好きなワタクシに「アジアの地名を連発している曲がヒットしている」と教えてくれた人がおりました。当時も現在もですが、それほどテレビ等のマスメディアをチェックしているわけではなく、その情報は初耳だったのですが、やがてワタクシの耳にも届くようになりました。
それがPuffyでした。
そのころパソコンがあって、インターネットもつながっていたならば、いち早く情報はつかんでいたと思いますが。
Puffyは大貫亜美と吉村由美のデュオです。もともとはそれぞれがソニーミュージックのタレントの卵的なトレーニングを積んでいました。亜美のソロデビューがほぼ決定していたのですが、二人でデュオを組むことを自ら提案し、受け入れられたことからPuffyは誕生します。
この二人の育成にゆだねられたのが奥田民生(元ユニコーン、当時。現在は再結成)です。アジアの地名を連発している曲、「アジアの純真」がデビュー曲となります。作詞・井上陽水、作曲・奥田民生ですね。
この二人組はさほど期待をされていたわけではなく、奥田に任されたのですが、作詞に井上陽水を起用し、バックのメンバーには奥田のバンドをそのまま起用し、合宿まで行って二人を鍛えていったとのことです。二人ともアイドルと呼ぶにはやや年齢が高かったのですが、二十歳そこそこの女子をそこまでやるかという具合まで追い込んでいったそうです。
これ、大手の芸能事務所に所属していて、既定の路線で売り出そうとしていたらできなかったことですね。楽曲は職業作詞家と職業作曲家、いわゆる「先生」のものが用意され、先生直々の指導もしくは、ヴォイストレーニングの専門家が付き、一糸乱れぬ振付のトレーニングなどもされていたことでしょう。
そういう例の最たるものがPink Ladyですが、Puffyはその対極にあります。デュオでありながらほぼユニゾン。ワンフレーズを亜美と由美が交代でソロを取る。振付はほぼなし。もちろんこぶしも回しません。もう力が全く入ってない自然体のままのデビューとなりました。
当初は「アジアの純真」を含むデビューアルバム『AmiYumi』だけでこのコンビは終わる予定だったようですが、人気はアジア圏でも火が付き、奥田のプロデュースが続くことになります。
こちらは実質セカンドアルバムの『Jet CD』から、「これが私の生きる道」です。このあたりからは奥田の実験みたいなことがちりばめられています。
つまり、演奏の端々にビートルズのフレーズを取り入れ、「わかる人にはわかる」という、奥田の挑戦的なメッセージが隠されていたように思います。
その後しばらくは奥田プロデュースが続きますが、その間にアメリカでPuffyが冠番組を持つようになりました。その後のアルバムでは奥田の手を徐々に離れていくのですが、この間に彼女たちが作詞も手掛けるなど音楽性も高めていきました。奥田が手放した、Puffyが離れていったではなく、奥田がPuffyを育て上げ、自分たちでやっていけるところまでにしたというのが正しい表現でしょう。
そんなPuffyもデビュー24年です。たまにテレビなどに出てきますが、40代になってもデビュー当初とほぼ姿勢が変わらず活動を継続しています。こういう人たちも珍しいです。
今時こういうことをいうのもどうかなと思いますが、女性のミュージシャンやシンガーの場合、どうしても出産や子育てで長く活動を継続する人は少ないんです。ソロ歌手ならともかく、二人でここまで継続している女性は日本にはいないでしょうね。こうなったら、彼女たちがどこまで行きつくのか見届けたいものです。
<予告>
Puffy関連でもうひとつネタを見つけましたので、また後日お届けします。
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コメント
面白い内容。
座布団2枚。
投稿: スクムビット | 2020年5月13日 (水) 22時08分
スクムビットさん。
ありがとうございます。
座布団といえば、山田くん。
って、我々よりだいぶ年上ですが。
今度、ずうとるびもやりましょうか。
再結成したみたいです。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年5月13日 (水) 22時54分