オノヨーコと加藤ミカ
かすてら音楽夜話Vol.79
<アルバム『黒船』>
今回ははるばるバンコクからNaozoさんのリクエストにお応えして、Sadistick Mika Band(サディスティックミカバンド、以下ミカバンド)を取り上げます。
ミカバンドのデビューは1972年です。初期メンバーは加藤和彦(ヴォーカル&ギター、元フォーククルセダーズ)、つのだ☆ひろ(ドラムス、あの「メリージェーン」の人です)と加藤の妻ミカ(ヴォーカル)でした。
バンド名はPlastic Ono Band(プラスティックオノバンド)にあやかりつけたものです。
<John Lennon & Yoko Ono『Double Fantasy』>
プラスティックオノバンドとは、ビートルズ解散前あたりからジョン・レノンが始めたセッション的なバンドで、メンバーはかなり入れ替わってます。
ジョンはヨーコさんにぞっこんでしたから、当然ながらヨーコさんをバンドにフィーチャーしますよね。ヨーコさんもジョンに相当な影響を与えたと思いますので、相当ぶっ飛んだ人物だと思います。ですが、もともとは前衛芸術家なわけで、音楽的な素質のようなものは皆無であったとワタクシはいい切りたいです。
のちに、ジョンの遺作となった『Double Fantasy』を購入しましたが、ヨーコさんのヴォーカル曲はスキップして聴いてました。
一方、加藤ミカですが、なんでも加藤和彦の楽屋に訪ねてきて、「ギターの弾き方を教えてほしい」といったところから交際が始まり、結婚に至ったとのことです。つまり、加藤ミカもど素人そのものなんですよね。でも、このど素人が大化けするんです。
ミカバンドは活動期が3回あります。つまり2回解散しています。
初期のメンバーは前述したとおりですが、つのだ☆ひろがメンバーから抜け、高橋幸宏(ドラム、のちYMO)が入り、ギターに高中正義、ベースに小原礼(尾崎亜美のダンナ)、キーボードに今井裕が入ります。このメンバーでイギリスに渡りアルバム『黒船』をレコーディングします。
第2期は、加藤和彦、高橋幸宏、高中正義、小原礼のラインナップに桐島かれんを迎え、アルバム『天晴』、シングル「Boys & Girls」をリリースします。ただし、ミカバンドではありますが、アルファベット表記はSadistic Mica Bandでした。1989年のことです。
この曲はMazda FamiliaのCMでタイアップ曲として使われ、ヒットします。桐島かれん以外のメンバーはすでに大物感が漂ってます。といって、かつて持っていたワクワク感、ぶっ飛び感は消えてますね。ワタクシもアルバム買いましたが、ほとんど内容を覚えてません。
第3期は、桐島かれんが抜け、ヴォーカルには木村カエラが抜擢されました。こちらは比較的最近の2006年のことです。これでキリンビールとのタイアップで使用されたのが、「タイムマシンにお願い」という、1974年のシングルの再収録盤です。
この時の映像では奥田民生がゲストでギターで参加してます。木村カエラも比較的飛んでる人だとは思いますが、あとのメンバーがもはや丸みを帯びてしまったような感じがしますね。
では、お待たせしました。第1期のミカバンドの映像です。
いやもう、ぶっ飛びすぎでしょ。それにみんなとんがってますね。このメンバーで活動が続いていたら、相当すごいバンドとしてかなりの足跡を残したと思いますが。
加藤ミカ、オノヨーコなんぞ足元にも及びませんよね。よくぞ、素人のお嬢さんがここまで…。
第1期ミカバンドですが、海外レコーディングの『黒船』が良くも悪くも終止符を打ったといえます。『黒船』のプロデューサー、クリス・トーマスとミカがイギリスツアー中に恋愛関係となり、その後加藤和彦と離婚し、ミカバンドも解散するのです。
その後の加藤和彦は作詞家の安井かずみと再婚しますが、安井の死去後、オペラ歌手の中丸三千繪と再々婚したのち、離婚します。2009年に軽井沢のホテルで遺体が発見されました。自殺とみられています。
最後は悲しい結末となりましたが。ミカが去った後もミカバンドの名前にこだわり、とんがったインパクトを与えた人でした。フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」、北山修とのデュエット「あの素晴らしい愛をもう一度」なども忘れることはできません。
一方のミカさんですが、クリス・トーマスとも別れ、料理研究家や作詞家として活動していました。せめて、第1期のミカバンドが1980年代まで続いていたならば、ものすごいインパクトのあるライヴを経験できたかもしれないですが。かなわぬ夢ですね。
★引き続きリクエスト募集しています。
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コメント
リクエストに応えていただき、ありがとうございます。
第3期は知らないんですよね。既に日本にいませんでしたから。
というよりも木村カエラって誰?っていう浦島太郎さん状態です。(笑)
投稿: Naozo | 2020年6月14日 (日) 14時31分
Naozoさん。
「塀までひとっ飛び」の映像ですが、桐島かれんのものも含まれていましたね。
ライヴ映像そのものもありましたが、画質・音質が良くなかったので、こちらを採用しました。
木村カエラ、ワタクシもよく知らんです。
瑛太って俳優の奥さんですね。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年6月14日 (日) 22時21分
>瑛太って俳優の奥さんですね。
瑛太って誰??ますますわかりません。
AKB48って何?○○男子、○○女子って何?はもちろん、
スマホはスマップに関係する何かなのかと勘違いしていた
浦島太郎さんですから。実話です(笑)
投稿: Naozo | 2020年6月26日 (金) 18時31分
Naozoさん。
ま、ワタクシも木村カエラなんかほぼ知らないですよ。
こんな音楽話を書いてますが、興味のないアーティストやバンドは今まで書いてませんから。
20数年前にニフティの音楽系フォーラムに出入りして、かなり鍛えられ、若干ではありますが、好みの対象が広がりました。
感覚的に受け付けない浜崎あゆみとか宇多田ヒカルとか(実名出しちゃいましたが)どうでもいいんです。…ってところもあります。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年6月27日 (土) 11時37分
サディスティックミカバンドの黒船は中坊の時に購読していたミュージックライフの広告によく載っていたので、ジャケは印象的でした。でもLPレコードは当時のお小遣いでは月1枚が限界なので、買うまで至らず。で高校の時に聴いて、かっこいい!
「タイムマシンにお願い」のキャッチーな曲よりも「塀までひとっとび」のファンキーさが衝撃でした。ベースがいかす!
その昔、「あの素晴らしい愛をもう一度」が加藤さんとミカさんの結婚祝曲と聞いて、「別れの曲じゃん」と違和感ありましたが、そもそもシモンズの曲(ここでシモンズ登場!)で書き下ろしたけど、いい曲だったから結局自分たちで歌って、結婚ソングはその理由のこじつけだって後から聞いて妙に納得でした。
オノヨーコの個展にいったジョンレノン。室内に脚立がポツンと。そこに登って天井をみると虫メガネが天井から吊り下がっていて。その虫メガネで天井に飾られた額をみるとそこには「YES」と小さな文字が。
これにやられたジョンレノンがヨーコさんにぞっこんになってく話は、とても印象的で好きなお話です。
ヒョウちゃんの記事を読んでこんなこと思い出しました。
ジョンとヨーコさん、加藤さんとミカさん。この共通点は奥様にぞっこんってことですね。
投稿: lastsmile | 2020年7月 3日 (金) 15時36分
lastsmileさん。
わたしゃ、まともなレコードプレイヤーは大学に入ってバイトしてから手に入れたもので、70年代前期~中期にかけての音源はほぼ持ってなかったです。
それまではラジカセでエアチェックだけですね。
「塀までひとっとび」、小原礼ってこんなぶっ飛んだ人なんだと思いました。
あれ、ミカと小原礼の掛け合いですもん。
出ましたね。シモンズ。
でも、「恋人もいないのに」は見事なデビューヒットとなりましたよね。
加藤和彦はミカと別れましたが、安井かずみさんという姉さん女房を大切にしていたんじゃないすかね。
で、先立たれてしまって…。
加藤和彦はあの甘いマスクもあって、どこか引いた部分もあるんだけど、女性が放っておけないって部分もあるんじゃないすか。
あくまでも想像ですが。
ミカさんとは離婚しちゃったんですが、フリートウッドマックみたいに、別れた2組のパートナーが、なんでもなかったかのようにバンド活動だけは継続するって手もあったかもしれないですね。
今となっては無理なことですが、あのままミカバンドが続いていたら、今の日本の音楽界も相当変わっていたかもしれません。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年7月 3日 (金) 22時34分