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2020年7月29日 (水)

追悼天才ダイナマイト娘

かすてら音楽夜話Vol.87

Hw0917

<夏休み>KP/DA21mm*イメージです。

歌手の弘田三枝子さんがお亡くなりになりました。享年73歳。1947年の早生まれで沢木耕太郎の1学年上ということになります。

Hirota1

<デビュー当時>

彼女は1961年にデビューいたしました。まだ14歳の中学生ですね。

ここでお断りしておきますが、ワタクシ当時はこの世にいたことになってますがまったく記憶にございません。後年の「人形の家」では大人たちが「あの弘田三枝子が…」という感想を話していたのを覚えていますが。

ですが、この中学生、とんでもない才能の持ち主だったんですね。ともあれ、デビュー3曲目のこちらをお聴きください。

 

弘田三枝子「ヴァケーション」でした。

天童よしみのところでも紹介した曲ですが、イタリア系アメリカ人、コニー・フランシスの「Vacation」の輸入ポップスということになります。当時は、輸入ポップスに日本語詞をつけて日本人シンガーが歌うものがある種流行っていました。「Vacation」にしても伊東ゆかりとの競作になりますが、もう弘田三枝子の2ラウンドノックアウト勝ちでしょう。ちなみに伊東ゆかりヴァージョンは「ヴァケイション」という表記です。

弘田三枝子ヴァージョンですが、最終版のリフレイン、かなりアドリブが取り入れられています。制作側のアドバイスもあったにせよ、「One more time」とか「Woo」とかのフレーズを15歳の少女が乗りに乗って歌いきってしまうというのは、天才であるといい切ってしまいましょう。後年、日の目を見ることのなかった松原みきというシンガーも、わずか19~20歳くらいでこういうノリを曲でやっていますが、15歳ですよ。こうしたことができるというのは天性のもの以外にありません。

弘田三枝子と伊東ゆかりなんですが、生まれは同じ年ながら弘田三枝子のほうが1学年上でした。ですが、伊東ゆかりは11歳でプロデビューしてます。そしてどちらも米軍キャンプで歌っていました。プロキャリアでは伊東ゆかりのほうが長いですが、歌うことに関しては弘田三枝子のほうが培ってきたものがはるかに勝っていたことになりますね。

ちなみに、伊東ゆかりはナベプロ所属であり、その後も安定してシングルをリリースし、長いキャリアを築きました。所属事務所の違いがその後の弘田三枝子のキャリアにある程度は影響しているでしょうね。

Hirota2

<人形の家当時>

弘田三枝子のその後ですが、洋楽カバー等をリリースするものの、次第に人気が低迷。日本の職業作家の曲も歌うようになります。あの、筒美京平作品も歌うようになるのですが、1969年にリリースしたこの曲が大ヒットし、2年ぶりに紅白歌合戦に出場することになります。

 

弘田三枝子「人形の家」(作詞:なかにし礼 作曲:川口真)でした。この曲で日本レコード大賞歌唱賞も受賞しています。

この曲、オリコンシングル週間チャート第1位、45万枚の彼女の最大のヒットとなりました。曲調も「ヴァケーション」とは全く違う悲しげな曲ですので、アドリブを入れるどころじゃありませんよね。

わずかにサビの「♪私は あなたに 命を 預けた」の部分の「あなた」が「ハナタ」というように聴こえる部分がせめてもの過去をたどれる部分でしょうか。

いや、それにしても大変身です。おそらくはダイエットも美容整形もしたのだろうとは思います。イメージまったく違うもんな。当時、まだ22歳でしたが、すっげえ大人に見えたもんな。

この曲にはオマケもありまして、「ミコのカロリーBOOK」というダイエット本が売れることになりました。

カムバックといっても紅白には2年ぶり。「ヴァケーション」と「人形の家」の間にどんなことをしていたのか調べていましたら、面白い曲がありました。お聴きください。

 

弘田三枝子「渚のうわさ」(作詞:橋本淳 作曲:筒美京平)でした。

1967年、それでも20歳の時の曲です。これも、30万枚のヒットとなりました。なんと、筒美京平氏初のヒット曲だそうです。ここから橋本淳氏とのヒット路線が築かれるようになります。

「ヴァケーション」のころの弾けるような歌いっぷりも残されてますね。

ドメスティックな歌謡曲といった感じですが、当時はすでに洋楽を日本語で歌うというトレンドは消滅し、そちらの感性はGSに流れていった頃かと思います。やっぱり、弘田三枝子は「ヴァケーション」ですね。

ここからは余談です。

「ヴァケーション」の歌詞(灘健児)に「♪マッシュポテトを水辺で あの人と踊ろう」という部分があります。伊東ゆかりヴァージョンも同じなんですが。当時、「マッシュポテト」というものが一般庶民はわからなかったといいます。ですが、これは料理名ではなく、当時のアメリカで流行っていたツイストのひとつの踊り方なんですね。訳詞の灘健児も含めてわかっていた人がいたかどうか。料理名を理解しても水辺で踊る?意味不明ですよね。

また、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」、サビの「♪心から好きだよチャコ」のチャコは飯田久彦。2番では「ミコ」になって、弘田三枝子が登場します。3番は「ピーナッツ」です。

桑田佳祐にも絶大なる影響を与えた弘田三枝子。この国はひとりの天才を失ったことになりますね。合掌。

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コメント

人形の家。
小学生時代のはなたれ小僧にも強いインパクトが残りました。書かれているようにサビですね。
子ども心に「人形の家」のタイトル、そのイメージがとても怖いもの=オカルト的な=に思えました。
でも曲がよくて歌もよくて、そのアンバランスさがとても印象的でした。

実はこの頃の歌謡曲は好きな曲が多いです。
虹色の湖(中村晃子)、天使の誘惑(黛ジュン)、白い蝶のサンバ(森山加代子)、あなたの心に(中山千夏)、京都の恋(渚ゆう子)・・・挙げてたらたくさん出てきた。

京都の恋は今でも有名だけど、他の曲もホントに今でも通用する曲だと思います!

投稿: lastsmile | 2020年8月12日 (水) 12時50分

lastsmileさん。
「人形の家」、やはり当時の少年少女にはなかなか響かない曲ですね。
これは「ヴァケーション」からのファンが弘田三枝子とともに成長し、大人となって心に響いたと同時に、それまでファンでもなかった人たちをも取り込んだ曲ではないでしょうか。

あの当時のlastsmileさんがあげてくださった人たち。
どなたも印象に残りますね。
渚ゆう子、ベンチャーズですね。
なんか、このあたりでまたしてもインスパイアされましたので、後日記事を上げますね。
よろしくお願いします。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年8月12日 (水) 17時25分

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