グループの裏方、実はすごい
かすてら音楽夜話Vol.91
本日はThe Beatles(ビートルズ)とThe Rolling Stones(ローリングストーンズ)の地味な存在を取り上げます。
まずはビートルズから。
<ジョージ・ハリスン>K-7/DA16-50mm
ビートルズのリードギタリストにして、最年少、George Harrison(ジョージ・ハリスン)です。
ロックグループの花形というと、リードヴォーカルとギタリストですね。当然ヴォーカリストは常にスポットライトを浴びていて、曲の合間にギタリストは印象的なソロを弾きます。この時はギタリストにスポットライトが当たります。要約するとボーカリストはバンドの花であり、ギタリストはバンドのまとめ役やリーダー的な扱いを受けます。
ところがビートルズにはふたりのヴォーカリストがいて、ジョージがスポットをあてられることはほぼありませんでした。そのふたりとはもちろん、John Lennon(ジョン・レノン)とPaul McCartney(ポール・マッカートニー)です。曲もふたりの作品がほとんどで、ジョンかポールのどちらかが単独で作っていても、「Lennon-McCartney」という表記で共作の形をとっていました。
ジョージはせいぜいコーラスに参加する程度。これは彼がグループ最年少ということもあり、主導権を握れなかったことが原因なんじゃないですかね。残るRingo Starr(リンゴ・スター)は曲を作りませんが、ドラムという特別なパートで、代役がききませんからグループの主導権を握れなくとも重宝されたんじゃないすかね。それに、リンゴはビートルズに最後に入ってきた外様みたいな存在でしたから、あまり関係なかったのかもしれません。
しかし、ジョージは12弦ギターを取り入れたり、インドでラビ・シャンカールに師事し、シタールを習得するなどしました。特にシタールはサイケデリックなサウンドを生み出し、中期から後期のビートルズに大きな影響を与えました。次第に存在感の増してきたジョージですが、グループ内での不満はだんだん大きくなってきたようです。アルバム中せいぜい2曲がジョージの曲で、リードギターにもけっこう注文が入ったようです。
こちら、「Here Comes The Sun」はシングルカットされてませんが、ジョージの曲としてあまりにも有名です。このレコーディングにはジョンが参加していません。ジョージはギターのほかにシンセサイザーなども担当するマルチな奮闘ぶりでした。
もう1曲は「Something」です。「Come Together」との両A面シングルとして、ビルボードで1位を獲得しています。なお、YouTubeの映像ですが、この2曲は2019Mixということで、原曲には登場しない音が入ってますし、古い映像も差し替えられています。
こういう曲を聴くと、ジョージの才能は自分でも埋もれてしまうんじゃないかという危機感が出てくるんじゃないすかね。
そして、ビートルズは解散し、ジョージはソロに転じますが、ソロでビルボード1位を獲得した「My Sweet Road」が盗作訴訟にあったりします。一方、バングラデシュ救済コンサートなどを行い、社会派としての声を上げることはこの時代なかなかできなかった、いわば先駆者でもありますね。
晩年、ボブ・ディラン、ジェフ・リンなどと組んだ覆面グループ、Traveling Wilburys(トラベリング・ウィルベリーズ)などで活躍しますが、2001年、脳腫瘍と肺がんのため亡くなりました。享年58歳でした。
もし、ジョン・レノンがもう少しジョージに寛容であったら、ビートルズももう少しキャリアを長くできたかもしれません。
<ビル・ワイマン>
次はストーンズのベーシスト、Bill Wyman(ビル・ワイマン)です。出生名は異なりますが、後に改名して芸名が本名になりました。
もともとベースという楽器はリズムの要ではあるのですが、いかんせん地味でして、ロックバンドで見ていっても派手に目立つという人はなかなかいません。当時ビートルズの陽に対して、ストーンズは陰。いいとこのお坊ちゃん風なビートルズに対して、ワルのイメージのストーンズ。という図式がファンの間では抱かれていました。実際にはビートルズは低所得者層の出身で、ストーンズは中流家庭出身ではあるのですが。
酒に女にドラッグという絵にかいたような負のイメージのストーンズの中で、ビル・ワイマンはいかにも地味でSilent Stoneと呼ばれていました。ストーンズ加入時のエピソードとして、当時ストーンズが持っていなかった大きなアンプを持ち込んためという話があります。つまり、ビルの演奏ではなくアンプに惹かれ誰でもよかったと。
ま、これはかなり怪しい話で、実際1962年から1992年までの30年間、ビルはストーンズ唯一のベーシストとして活動していました。ビルの脱退後、ストーンズはパーマネントメンバーのベーシストを置かず、ツアーのときのみ外部のベーシストのサポートをつけるという具合です。
Charley Watts(チャーリー・ワッツ)のドラミングとビルのベースのフレーズは、とても安定していて、これにKeith Richards(キース・リチャーズ)のギターが絡み合い、独特のうねりのあるビートを生み出すのです。ビルの抜けた穴はとても大きく、ビル脱退後のストーンズのサウンドは別物という人もいるほどです。
この曲はビルのファーストソロアルバム『Monky Grip』収録の「I Want To Get Me A Gun」という曲です。ストーンズの楽曲とはほとんど重ならないような感じです。
このアルバムは1974年にリリースされほぼ不発に終わりましたが。なんと、ストーンズのメンバーの中で一番最初にソロアルバムをリリースしたのがビルなのです。同じ年にRon Wood(ロン・ウッド)もソロアルバムを初めてリリースしましたが、まだロニーはストーンズのメンバーではありませんでした。
そんなビルなんですが、機会があったら自分も前に出てみたい願望が常にあったのではないでしょうか。
ストーンズの場合、ほとんどの楽曲がMick Jagger(ミック・ジャガー)とキースの共作です。このシステムはほとんどビートルズと同じですね。初期のリーダーであったBryan Jones(ブライアン・ジョーンズ)は曲を作らず、演奏だけにのめりこむタイプでした。チャーリーもバンドの要で自作曲には興味がありません。そうなると、バンドの権力構造はミックとキースに握られていくことになりますね。
そんなストーンズですが、『Their Satanic Magesties Request』というコンセプトアルバムの中でビル・ワイマンが自作しリードヴォーカルも担当した「In Anothe Land」がなんとアメリカではシングルカットされ、ビルボード8位に入りました。ストーンズのヴォーカリストはミックです。アルバムやツアーではキースがごくわずかにリードヴォーカルを取ることもありますが、それらはシングルカットされたことはありません。
異例中の異例ですね。
つまり、ミックとキース以外がヴォーカルを担当したことはないし、曲のクレジットもジャガー=リチャーズが99%(ロン・ウッドの追加クレジットはあります)。ま、ヴォーカル部分にかなりのサウンドエフェクトをかけていますので、だれでもよかったとはいえます。ただ、作者がビルなので、そのままビルがヴォーカルを担当したということでしょうか。
ビルは、やはりソロ志向があり誰よりもたくさんのソロアルバムをリリースしています。ま、売れないのですが。
ストーンズの特徴として、長時間に及ぶレコーディングというものがあります。長期間でもあるのですが、レコーディング自体に終わりが見えないのですね。朝スタジオ入りし、深夜どころか翌朝までレコーディングが及ぶのは日常茶飯事です。こういう時、ビル・ワイマンは予定の時間が来ると帰ってしまうんだそうです。ビルが帰った後はベースはキースやロニーが弾くこともしょっちゅうでした。
かくして、アルバムリリース時に、一部の曲ではビルのクレジットがどこにもないということが起こります。ツアーなどではそのパートをビルが弾くことができないなんてことはないのですが、こうしたことが長年蓄積してくると、ビルの不満も高まってくるでしょうね。かくして脱退するに至ります。
ストーンズ脱退後はBill Wyman & His Rhysm Kingsというバンドを作り、現在も活躍中です。このバンドはメンバー固定ではなく、ビル以外のメンバーがランダムに集められ、時にはソロヴォーカリストも参加します。
ということで、リズムキングス、「Honky Tonk Women」でした。ストーンズよりはノリが緩いですけど、味はありますね。
ところで、ビルは1936年生まれなので今年84歳です。ビルがミックにもキースにも遥かに勝っていたことがありまして、それは彼らにも負けない性豪であったことといわれます。ま、セックス依存症なんじゃないすかね。もういい加減なおったろ。
今回、lastsmileさんのリクエストにお答えしました。
★引き続きリクエスト、ご要望お待ちしています。
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コメント
リクエスト対応ありがとうございました。
ジョージ・ハリスンとビル・ワイマン、
このパートが彼らではなく、もし違うタイプのメンバーだったらこの2つのバンドはもっとはやく解散していたかもしれませんね。たとえばジョージではなくクラプトンだとか。ビルではなくジャック・ブルースやエントウィッスルだとしたら。個性がぶつかりすぎ。
役割ができているグループこそがお互いの力を発揮する、、とか偉そうですみません。
私は違う視点でこのバンドの2つの別の「存在」をコメントしてみます。
(以下、長文コメントですみません)
音楽Pのジョージ・マーチンとマネージャー兼音楽Pのアンドリュー・ルーグ・オールダムです。
まずジョージ・マーチン。
デビュー当初でまだ楽曲が荒削りの、若きジョンとポールの曲。普通ならレコードにすらならないレベルで、マーチンは音楽Pとして初期はヒット曲カバーを演奏させつつ、同時に二人の粗い曲を仕上げるのに協力していきました。有名な話ではプリーズプリーズミーですよね。彼と出会わなければジョンとポールの才能は開花しなかったはずです。
彼は未熟な二人を否定せず、意見をきいて尊重して曲を作ったことが、その後のビートルズの数々の名曲を生んでいったのでは。
そしてアンドリュー・ルーグ・オールダム。
ご存知の通り、オールダムはビートルズのマネージャー・エプスタインの下でアシスタントとして学び、ビートルズの勧めでストーンズのマネージャーに就任。
品行方正?方針でいくビートルズと同じことをやってはだめだと「不良」路線を徹底。
お上品なパートはいらないとピアノのメンバーを首にしたり、田舎臭いからってキースの名前から「S」をとってキース・リチャードに強制的に改名してしまったり(今は本名に戻ってるけど)
でもこの徹底した「悪」イメージ戦略がストーンズの方向性をつくり60年代英国ロックでビートルズと二本の柱になったわけだし。
(結果やり過ぎてジャガーともめてマネージャーは辞めたけど)
この影の二人が2つのバンドの礎になっていると思います。
「グループの裏方はすごい」というタイトルなんで書いてみました。
で、このあと私も思いついた「地味だけど実はすごい人」を二人ほどコメントさせてくださいね。(日本人)長いかも~
投稿: lastsmile | 2020年9月 1日 (火) 23時20分
「バンドやグループで地味な存在だけど、実はすごい人」と自分でリクエストしまして、それに自分も刺激されてコメントするってことですみません。
まずは岸部一徳さん。
タイガース時代はサリー。今の岸部さんから愛称「サリー」とはかけ離れつつ。
(なんでも「のっぽのサリー」からだそうで)
タイガース時代はもちろんジュリー、PYG時代はジュリーとショーケン、そして井上堯之バンド時代は井上さんと大野さんにスポットが当たりましたが、実はタイガースやPYGは一徳さんが仕掛人です。(PYGのシングル曲は一徳さんの作品)
この人のベースプレイはホントに伝説多くてすごいです。古いYOUTUBEとかみてもタイガース時代の曲でリードギターとベースをユニゾンで演奏したり(プログレの先駆け?)従来のベーシストとは一線を異なります。
伝説①レッドツェッペリンを驚愕
ZEPが来日した時にメンバーがTV番組でZEPの曲を演奏しているPYGを観て。ヴォーカルがヒドいって笑い転げたあと、ベースプレイのすごさにメンバーが驚愕。ジョンポールジョーンズに「お前より巧い」といったとか。JPジョーンズは日本人にスゴイベーシストがいるって一徳さんに会いたかったみたいです。
伝説②MusicLife誌で玄人受けする人気の高さ
1973年ベーシスト部門1位。すでにタイガースやPYG解散のあと。細野晴臣やルイズルイス加部、矢沢永吉といった人気ベーシストを抑えての実力1位。洋楽ファンにはその高いテクニックが評価されていました。
ギタリストだった後藤次利にベースの手ほどきをしたのも一徳さんでしたが、ストレートなロック志向だった彼は時代がスラップ奏法を求めるようになってから音楽から離れてしまい、俳優になってしまいました。
つぎは藤村美樹さん
われらの世代ではご存知キャンディーズのミキちゃん。
ちなみに若いころはランちゃん派でした・・。はは、どうでもいいっすね)
3人は今のアイドルとは異なり、音楽下地がしっかりしていて、集まってその場で3人に楽譜を渡してすぐに歌っても楽譜通りに歌えたようです。
その中でも美樹さんの音楽センスは高く、主旋律を歌うことはあまりなかったけどグループの音楽的リーダーでした。主に下側を歌うアルトでありながら、時には主旋律の上をいったりと(かなり高音が出せるらしい)、メンバーの中で一番難しいパートを受け持っていました。
ちなみに美樹さんパートは他の2人よりも音量抑え目なのは、倍音で通る声で同じ音量だとバランスがとれないから?
いまでも「ハートのエースが出てこない」の楽曲(コーラス)レベルの高さは聴きほれるほど。
またキャンディーズへの楽曲提供も「春一番」の穂口雄右さんについで2番目に多く、作品提供にも大きく貢献していました。
当時はそんなこと知らずに、ドリフのコントや伊東四朗さんとのコントとか観ていましたからね。
またキャンディーズのデビュー前に太田裕美もメンバーに入る予定だったみたいですが、声質や歌い方を考えるとあの3人でよかったと思います。
(長々と失礼しました!ご容赦ください)
投稿: lastsmile | 2020年9月 2日 (水) 13時16分
lastsmileさん。
コメントありがとうございます。
2ついただきましたので、別個にコメントいたします。
まずは、1日についたほうです。
ジョージ・マーティンとアンドリュー・オールダムで来るとは予想だにしてませんでした。
オールダムに絞って言いますね。
初期のストーンズはセミプロみたいなものですから、売り出すためのマネージャーはどうしても必要ですね。
途中から手探りでギグしていた、ジャガー・リチャーズが自分たちでできると確信してから、オールダムは消え去る運命にあったといえましょう。
意外にしたたかなグリマーツインズ(ジャガー&リチャーズ)は、オールダムを限りなく利用し、使い倒してからお払い箱にしました。
それ以降もセッションで呼んだライ・クーダーのオープンGチューニングをパクったとか、グラム・パーソンズの曲(「Wild Horses」)をそのままパクったとか、黒い噂が続きますよね。
ビートルズにジョージでではなくクラプトンが入っていたら。
現実的には当時のリバプールは、港湾都市ということもあって、アメリカからダイレクトにロックやブルースが入ってきたんですよね。
でありますので、リバプール出身のジョージはやっぱり必須ではなかったかと。
ポールがベースに回るほど、ジョージのギターは必要とされていたのではないでしょうか。
ストーンズにビル以外の個性の強いベーシストが入っていたら。
おっしゃる通り、バンドは空中分解ですね。
ビル・ワイマンって、やる気がなさそうに淡々と演奏しているんですが、ぶれないんですよね。
チャーリーと二人でベーシックな演奏をずーっと続け、ミックやキースを引き立てましたからね。
昨日、ブライアン・ジョーンズがいる頃の演奏を見ていたんですが、ビルの立ち位置がミックの右側(客席から見ると左側)で、70~90年代と逆なんです。
しかも、ビルの前にはマイクがあって、コーラスにも参加していました。
結構昔はそんなに冷遇されたなかったのかなと。
まあ、ミックとキースよりも7つ年上なので、当時はある程度の敬意もあったんじゃないすかね。
こちらこそ、長くなりました。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年9月 2日 (水) 22時01分
lastsmileさん。
後半行きます。
岸部一徳、当時の岸部修三ですね。
あまりよく知らないので、wikiを読みました。
弟の岸部シローを加入させたのは、苦肉の策だったようで。
岸部シローはキャリア後半で自己破産などもしてしまいましたが、ミュージシャンから転向してからも現在まで活躍しているのはすごいです。
多分、タイガースの中では最もミュージシャン志向が強かったんじゃないすかね。
タイガース解散後もナベプロにいたってことで、より芸能に縛られるようになって、そちらはあきらめたのではないでしょうか。
キャンディーズは解散コンサートを某所のユースホステルで見ました。
あまり興味なかったんですけど。
「微笑み返し」だけはいい曲だなと思ったものです。
>ちなみに美樹さんパートは他の2人よりも音量抑え目なのは、倍音で通る声で同じ音量だとバランスがとれないから?
これ、佐藤竹善とホール&オーツが共演したのち、そのままホール&オーツの演奏となりましたが、佐藤竹善の使っていたマイクを引き継いだジョン・オーツの音量がとんでもなくすごかったというのがありました。
PAのミスなんですが、そういうこともあるでしょうね。
キャンディーズは音響泣かせですね。
キャンディーズに藤村美樹さんが曲提供していたというのは知りませんでした。
相当な数ですね。
アイドル系としてはKinKi Kidsより音楽性高いかもしれませんね。
あれですね。
ナベプロにとっては女性グループは、ザ・ピーナッツ以来の成功例でしょうか。
じゅんとネネという怪しげな二人組もいますが。
太田裕美も入る予定だったというのは初耳です。
藤村美樹さんは「夢恋人」を出してから、完全引退ですかね。
lastsmileさん、やけに詳しいんだけど。
もしかして、当時キャンディーズの追っかけとかやってました?
投稿: ヒョウちゃん | 2020年9月 2日 (水) 22時59分