« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »

2020年9月30日 (水)

バンコクで日本蕎麦

タイトル的には「今日の立ち食い蕎麦・うどん」に含まれそうですが、いくら何でもかなりの値段となりますので、シリーズからは外しました。

さて、今回は2年前の話です。2018年8月、バンコク往復航空券を購入したあと、スリランカにも行きたくなりました。それで、バンコクーコロンボの往復チケットを追加購入しました。スリランカには10日ほど滞在しました。そして、タイに戻りソイ・ナナ(Soi4)のかなり奥に滞在していたころの話です。

Sl3182

<ナナプラザ>KP/DA18-50mm

ホテルからBTSの駅に行く、あるいはその逆でも同じことですが、この前を通ることになります。このあたりにたむろするファランや訳あり女性をかき分けるように移動するのですが、ある日Ibisあたりの路地を入ると、ソイ6やソイ8に抜けられることに気づきました。

ま、そのあたりにもファランは数多くいるのですが、正真正銘のカップルであったりします。少しでも安いものに手が出るバックパッカー的な人たちでしょうか。ソイ4のオヤジファランとは別の人種ですね。

これは便利だ。ならば、スクムウィット通りを横断してソイ11あたりで夕食にしようかと考えました。ソイ11も訳あり女性は比較的いますが、健全そうな飲食店(といっても外国人、ほぼファラン向け)は圧倒的に多くなります。一時ごひいきにしていた「卯月」という日本料理店は撤退してしまいましたが、バルのようなスペイン系の店とかインド系の店などがあります。ワタクシ的には何でも来いなんですが、混雑が苦手なんですよ。

「混んでる店が美味しい」とかいうじゃないですか。でも、店員数に比べて客が圧倒的に多かったりすると、皿が割れたり、注文したものがいくら待っても来ないとか、支障も多いです。それよりは、すいていて落ち着いて食べられるほうが好みだったりします。味が悪かったり、店員の態度に問題があれば、さる旅行サイトの口コミに投稿するだけです。

Sl3354

<11Cafe>PowerShot

ということで、この日、落ち着いたのがアンバサダーホテル内にある11Cafeというところでした。カフェを名乗っていますが、寿司や蕎麦があります。なんか妙ですが。

Sl3353

<ビアシン>PowerShot

この日はなぜかカオサン近辺を散歩し、疲れました。やっぱりビールですよ。

こういう店は決まったように、ビールの小瓶の定量とちょうど同じ容量のグラスを使っています。店員も手慣れたもので、グラスにきっちり注ぐと瓶を下げてしまいます。これはもしかすると、店員の働きを楽にしようという自らの防衛策というか「働き方改革」なのかもしれません。

まあ、美味いんでどうでもいいんですが。

Sl3357

<ざるそば>PowerShot

頼んだものはざるそばと天丼という禁断の主食2つです。日本蕎麦を食べたくなったんですよね。でも、蕎麦だけでは物足りないということで。

Sl3359

<微妙>PowerShot

海苔はわかりますが、ねぎは別にしてほしいです。また、山葵もこのざるというか竹のすだれの上にあります。そして、すだれの下には氷があり、蕎麦を冷やしております。

このあたりも、タイ人はよくわからないんでしょうね。理解不能なものを調理し、客にサーブしておるのですね。そういうことなんで、許してあげましょう。

味そのものは悪くなかったですよ。

Sl3362

<天丼>PowerShot

味噌汁付きです。お新香はなかったような。ま、変な酢漬け野菜を出されるよりマシです。

Sl3364

<具が見えない>PowerShot

エビ2尾など、具はきちんとあるんですが、なぜか天かすを敷き詰めたような状態です。ビジュアルがよくないですね。味的にはてんやといい勝負ですかね。

西洋人がこういう料理を作ってサーブすると、天丼よりも味噌汁を先に運んでくるはずです。フランス料理のコースの感覚ですね。そして、味噌汁に必ずレンゲが付きます。

それに比べれば同時に運ばれるし、そのくらいはわかっているようでした。

詳しくは書きませんが値段はホテル内なので、飲食税やVATが追加されます。ま、たまにはいいかな。

ここからは、別の話で。

9月も末となり、前の記事からちょっと間隔があきました。ちょっとばかり近県にショートトリップしてきたんです。短期なのでパソコンを持参してませんし、そこまでやる必要もないかなと。

次回くらいからその旅のことを、ぼちぼちやっていきますが、カテゴリー的には特に起こしませんので。

明日からいよいよ東京もGo To Travel開始ですね。ごくたまにですが、1泊または2泊くらいで出かけることが増えると思いますので、よろしくです。

| | コメント (6)

2020年9月26日 (土)

大阪王将 in タニヤ

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.12

Mrc1305

<現在は?>KP/DA18-50mm

このブログの読者で上の画像を見てピンときた方が数名おられるはずです。そう、バンコクのシーロムエリアにあるタニヤ通りですね。これは、BTSサラデーン駅から見た景色です。

相変わらずタイは外国人の入国に関して厳しいようです。それだけでなく、長期滞在ビザ等を持たない外国人の滞在を本日26日まで認めていたのですが、本日をもって国外に出るように要請が出ました。絶対出られない人いるでしょ。

そんなわけで、このエリアは閑散としているのかというと、タイ在住YouTuberの映像などを見ると、日中はかなり人が出ているようです。もっとも、看板の出ているカラオケ店がどうなっているかは定かではありませんが。

このような日本のかつての租界のようなタニヤですので、日系のレストランチェーンもあります。その中のひとつが「大阪王将」でございます。

Bkc2266

<餃子>PowerShot

もともと、この店は「餃子の王将」からのれん分けした店です。

ワタクシ、かつてアルバイトしていたところで正月出勤し、バイト仲間と閑散とした大久保駅前の「餃子の王将」とか、勤め人になってからも土曜日が休日になっていなかった頃、梅ヶ丘の餃子の王将に行ったものです。

でも、大阪王将はタニヤで初めてでした。なんと、バンコクでは3店舗あります。ですが、セントラルワールドの店は臨時休業、タニヤを含む2店舗はデリバリーと持ち帰りだけですね。

頼んだのはセットものです。なので、餃子だけじゃないですね。

Bkc2268

<Dセット>PowerShot

チャーシュー麺とミニチャーハン+餃子ですね。

「餃子の王将」は比較的餃子に重点が置かれていると思います。ワタクシがよく食べたのが「餃子定食」、通称「ギョウ定」。餃子にご飯にスープがついたかどうか。これが一番安かったです。

でも、大阪王将はほぼ中華料理店みたいになってます。ラーメン、チャーハンの他、酢豚とか、レバニラ炒め、チンジャオロースなどもあります。

Bkc2270

<チャーシュー麺>PowerShot

比較的厚みのあるチャーシューが3枚。スープはしょうゆ味であっさり系ですね。あとは、もやしに青ネギ。さっぱりしたものですよ。ま、これだけだと物足りないので、セットものにしましたが。

Bkc2269

<ミニチャーハン>PowerShot

こちらはさらにあっさりです。卵も少なめですね。これなら、絶対その辺のカオパットのほうが美味しいですけど。

Bkc2264

<生ビール>PowerShot

こんなものも頼んじゃいました。食事はチェーン店の域を出ませんでしたが、ビールジョッキを凍らせて、そこにさらに冷えたビールを注ぐというやり方は、日本仕込みですね。これ、一瞬よりやや長い時間ですが、ビールが凍ってどんなビールでも美味しく頂けますよね。これだけは評価します。

んー、普通のタイ人経営のところでも、ジョッキやグラスを凍らせてほしいぞ。そしてさらに、ナムケーンを頼むのです。

ビール以外の総額、280バーツでした。高いけど、そんなものか。

| | コメント (6)

2020年9月25日 (金)

新宿のカジュアルなカオソーイ

Yam602

<小田急サザンタワー>PowerShot

今月上旬にひそかに開かれたヤムの会です。この日の天気は不安定です。直前まで雨が降っていました。そして、湿度が高い。

従来ですと、ヤムの会は大久保近辺で行われます。それは、エスニック料理が多いということと、タイカラオケ、マラコーが近いという理由ですね。

ですが、このご時世。マラコーも時短だそうで、昼食という会食の形になりました。

Yam625

<Ginger Grass>PowerShot

場所は、サザンタワーの1階、Ginger Grassというタイ・ベトナム料理の店です。新宿南口からやってくると、ワンフロア下がる感じになります。今にも雨が降りそうで少し早めに行くと、スクムビットさんに出くわしました。早々に店内に。

Yam624

<メニュー>PowerShot

タイ・ベトナム料理とはいえ、パクチーの匂いなどは流れてきません。エスニックとはいえ、どこかフュージョン系の店のように感じました。

これはバンコクの高級レストランに近いものを感じます。

メンバーそろいましたね。

頼んだのは、各自違いますが、ランチセットにビアシンです。

Yam608

<サラダ>PowerShot

セットでサラダが付きます。あらかじめドレッシングがかかっていました。レタスなどが中心でタイやベトナムはあまり感じられませんね。

これを箸でいただきます。

Yam612

<ドリンク>PowerShot

セットもので飲み物も付きます。それに加え、ワタクシはビアシンを頼みました。自分のドリンクはあとできます。

ブラウンがジンジャエール、ピンクは何でしょうね。人のものには興味がないでございます。あるいは短期記憶が弱くなっているのでしょう。もう一方、ビアシンを頼んでますね。さて、どなたでしょう。

日本で飲むビアシンですが、なぜか甘みを軽く感じます。タイではそう感じることはないんですがね。初めて日本でタイ料理を食べたはるか昔にも甘みを感じたんですよね。不思議です。

Yam617

<カオソーイ>PowerShot

しばらくすると、メインがやってきました。タイに長らく行けそうもないので、北タイ料理のカオソーイにします。ちゃんと、パクチーがのってますね。トッピングは下の皿にありました。でも、もやしだけですね。高菜漬けみたいなものはありません。これに、レモンを絞ります。タイだったら、レモンじゃなくて、マナーオという柑橘類なんですが。

Yam618

<リフトアップ>PowerShot

お約束の画像ですね。ちょっとばかりオサレなカオソーイですが、ちゃんと揚げ麺も入ってました。

なんだかんだうんちくを申しましたが、ここは日本ですので、贅沢は申しますまい。十分に美味しいです。具にはタイではあまり見ないような魚の練り物が入っておりました。

Yam614

<コムアンフー>PowerShot

こちら、Luntaさんご注文のベトナム料理、コムアンフーです。

Yam615

<ケーンキアオワーン>PowerShot

こちらは、trintrinさんご注文のいわゆるグリーンカレーですね。Punch先生はパットキーマオという激辛炒め麺、スクムビットさんはフォーでしたかね。

Yam622

<ランチデザート>PowerShot

こちらは別料金です。これで、チェーなんだそうな。

チェーはベトナムのデザートですね。女子に人気ありです。ハノイで食べたチェーはもっとフルーツが入っていたし、氷も入ってましたね。

でも、美味しかったです。ごちそうさまでございました。

この日のトピック

Asuka1

<某女子プロレスラー>

延期された東京オリンピックの話になりまして。開催されても海外の有力選手が来なくなる場合が考えられ、そうすると陸上男子100メートルという種目で日本が夢の金銀銅独占化みたいな話になりました。

ああ、桐生にサニブラウンになんだっけ…。という話からこのお方が登場いたしました。

Asuka2

<某シンガー>

そこからこの人の話題となり、ジェンダーの混乱した元容疑者へと。

Asuka3

<ケンブリッジさん>

いやあ、すまんかった。ともかく来年期待してますよ。

| | コメント (4)

2020年9月22日 (火)

20バーツの昼食と45バーツの夕食

Ba218

<アユタヤ行バス>MZ-3/FA28-105mm

時を戻そうシリーズ、2003年3月のタイです。

予約しているホテルはこの日までです。次の宿を探さなければ…というかどこかに移動する必要があります。バンコクの次はアユタヤですね。アユタヤに行きましょう。

BTSでサパーンクワイに出ました。ここからバンコク北バスターミナル、モーチットマイに行くので、タクシーを拾いました。当時のBTSスクムビットラインの終点はモーチットですが、サパーンクワイでクルマを拾ったほうがいいようなことが「歩き方」に書いてあったと思います。

タクシーでは「モーチットマイ」が通じなくて、「バス」とか「ボーコーソー(バスターミナル)」などと必死に訴えましたところ、発音的には「モーシット」というのだと運ちゃんがいいます。ちなみに、タクシー料金は65バーツでした。BTSはナナから35バーツです。今ならもっとかかりますね。

それに、当時ロットゥの存在は知られてませんでした。鉄道で行くというのは全く頭にありませんでした。

あちこちききまわり、アユタヤ行のバスに乗り込みます。最後はバスのところまで親切なおじさんが連れて行ってくれました。チケットは窓口では買えず、車内で払うとのことです。バス料金は45バーツでした。もとより、チケットを窓口で発行していたら、当時は数字以外タイ語でしょうから、ますます混乱したと思います。

ともかく、アユタヤに到着いたしました。到着場所はアユタヤ島内です。すぐにホテルを見つけチェックインします。1泊1200バーツのホテル・アヨータヤです。荷物を置いて、昼食にします。

Ba228

<初バミー>Coolpix880

適当な店はわかりませんで、ホテル向かいの雑然とした商店街の奥に麺屋がありました。タイの麺には小麦粉麺のバミーと米粉麺のクイッティアオがあることは知っていました。蔵前仁一がバミーが美味いとどこかで書いていたので、迷わずバミーを注文します。この時は「バミー」とだけ注文しました。

「ナーム」も「ヘーン」もわかってなかったです。もちろん、具の指定はできません。全部のせのスープ麺が出てきました。当然4種類の調味料を使うことも知りません。そのまま食べました。

それなりに美味しかったと思います。値段はなんと20バーツですよ。現在はこの倍以上しますね。

Ba232

<トゥクトゥク>MZ-3/FA28-105mm

食後、トゥクトゥクに乗って島内のスポットまで行きます。片道なので帰りは歩きで戻る予定でした。こちらは40バーツです。トゥクトゥクの運ちゃんとか観光従事者は簡単な英語ができるので問題なかったです。

ま、それまでにほとんど英語圏の旅はしてませんので、言葉が通じないのはどうということはないのです。問題なのはタイ文字を全く読めないことで、当時は標識とかはオールタイ文字でした。現在はアルファベットが小さく書いてありますので、助かります。

Ba260

<アユタヤの遺跡>MZ-3/FA28-105mm

4か所くらい回りました。アユタヤの遺跡はまだまだあるので、後日また回ります。

ホテルにいったん戻って外で夕食です。やはりきちんとした店は見つからず、チャオプラム市場の食堂に入りました。

Ba314

<カオパットクン>Coolpix880

メニューがわかるものはこれくらいでした。カオパットじたいは歩き方の料理名鑑で知っていたらしいです。おかずになるものは頭に入ってなかったのでしょう。

ビアチャーンの缶も頼みました。やや寂しい夕食ですよね。

でも、ビールもつけてたったの45バーツですよ。

しかし、腹が減りそうだったので、コンビニでポテチとビールを購入してます。当時すでにアユタヤにはセブンがあったようです。今ならほとんど考えられませんが、端数が出ました。釣銭の一部にサタン硬貨が混じっていたのですね。

食事写真も寂しいですよね。今なら、何カットも撮るのですが、当時のカメラには64MBくらいのカードを指していただけで、最低画質で撮っていたんです。これをちょこまかと。当然、ストレージもないし、パソコンもないので、撮りためるだけです。現在のデジイチの最高画質なら、数枚で終わってしまうレベルです。

当時のカードはとても値が張りました。旅にデジカメ持参という人もかなり少なかったと思います。時代ですね。

| | コメント (6)

2020年9月19日 (土)

史上最強の職業作曲家

かすてら音楽夜話Vol.93

Tsushumi

<筒美京平氏>

今回のテーマは日本の歌謡史においてこの人を抜きには語れないという人物です。

今年のNHKの朝ドラ「エール」では古関裕而氏を取り上げております。そのほか、国民栄誉賞の古賀政男、服部良一、吉田正、遠藤実等々、昭和の有名作曲家は数多くいますが、1940年生まれの存命人物である筒美京平さんをワタクシとしては「史上最強の職業作曲家」と言い切ってしまいたいです。

今すぐ国民栄誉賞をあげてもいいと思うぞ。

なんと、自身の手掛けた曲の総売り上げが7560万枚で1位です。ちなみに2位は7148万枚の小室哲哉ですね。

京平さんは東京生まれで中学から大学まで青山学院に在籍していました。大学ではジャズバンドでピアノを弾いていたそうです。音楽的教育は幼少期から習っていたピアノだけです。そのバンドの1年先輩(やはり青学在学)のウッドベース担当が橋本淳氏でした。

卒業後はレコード会社に就職し洋楽ディレクターになりました。一足先に作詞家として活動していた橋本氏の紹介ですぎやまこういち(フジテレビ社員、作曲家)に出会い、作曲・編曲の道に入ることとなりました。

初めて世に送り出した作品は1966年の「黄色いレモン」(作詞:橋本淳)でした。1968年には早くもいしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」(作詞:橋本淳)でオリコンシングル週間チャート1位を獲得します。年代別で見ると、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代とオリコン1位を獲得していて、10位以内の曲を含めると、2010年代まだ記録が伸びているのですね。

日本レコード大賞は尾崎紀世彦の「また逢う日まで」とジュディ・オングの「魅せられて」で2度受賞しています。

1960年代は橋本淳氏との名コンビでほとんどの曲を様々な人に提供していました。そんな中でも橋本氏以外の作詞でしかもテレビアニメの主題歌というものがあります。お聴きください。

 

テレビアニメ「怪物くん」のテーマソング、「おれは怪物くんだ」でした。

作詞は藤子不二雄です。これ、コンビ解消以前の名義ですが、正確にいうと我孫子さんのほうですね。リードヴォーカル(といっていいのか)は声優の白石冬美さんです。

アニメではやはり藤子不二雄作品(今回は藤本さんのほう)で「パーマン」の劇中歌「パーマン2号はウキャキャのキャ」も担当しています。作詞は藤本さんです。

そして現在も放送されている「サザエさん」のオープニング曲「サザエさん」とエンディング曲「サザエさん一家」(それぞれ作詞は林春生、歌は宇野ゆう子)も京平さん作品です。「怪物くん」が1968年、「サザエさん」が1969年となります。

1970年代になると、橋本氏以外ともコンビを組むようになります。

 

太田裕美で「木綿のハンカチーフ」でした。作詞は松本隆で、松本の初のヒット曲です。発売は1975年です。

こちらは150万枚のミリオンセラーとなりましたが、同時期にリリースされた「およげ!たいやきくん」に阻止され、オリコンシングルチャートでは2位どまりでしたが、名曲ですよね。

京平さん自身も後年のインタビューで「また逢う日まで」「さらば恋人」(堺正章)と「木綿のハンカチーフ」が気に入っているとの発言がありました。

松本の作詞も男女の掛け合いを女性アイドルひとりが表現するという、それまでになかった作品になりました。ちなみになんですが、あの宮本浩次もシングル「P.S. I Love You」のカップリングでこの曲を収録しましたし、「木綿のハンカチーフ」を含む全曲カバーのアルバム(しかも全部女性の曲)を近々リリースします。

1980年代に入ると、男女を問わずアイドルへの提供が増えてきます。

 

松本伊代で「センチメンタル・ジャーニー」でした。作詞は湯川れい子で1981年の作品です。

こちらの詞は「自分を名前で呼ぶ」、「♪伊代はまだ、16だから」というところですかね。ま、京平さん自身とは直接関係ないんですが。ちなみに、2020年現在、「♪伊代はもう、55だから」とのことです。

「センチメンタル・ジャーニー」はオリコンチャート9位どまりでしたが、インパクトありますよね。なにしろ、40年近くなっても松本伊代の代表曲としてだれもが覚えていますしね。

それ以前にも、新御三家(野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ)、新三人娘(小柳ルミ子、天地真理、南沙織)等には曲を提供してきましたが、80年代からは期待の新人に曲を提供するようになります。

すなわち、柏原芳恵や早見優、中山美穂などなど。また、C-C-Bや少年隊などからも依頼がありました。

これは、京平さんの曲なら大丈夫という、いわば安全パイ状態ですね。でも、京平さんからしてみれば「絶対にこけることができない」ものすごいプレッシャーですよね。

しかし、京平さんは曲を依頼してきた相手(事務所やプロデューサー、シンガー)のことをしっかりとリサーチして、相手が自分の曲にふさわしいか判断するようなこともあったそうです。そして、曲を提供してもたまにレコーディングスタジオにやってくることもあったそうです。また、作詞家との間で、言葉を手直しするようなアドバイスもあったそうです。そこまでして、曲を完璧に近づける執念のようなものを感じますね。

1990年代からはドラマとのタイアップ曲が多くなりました。2000年代、2010年代に入ると提供曲は確実に少なくなってきます。それでも、2003年にTOKIOの「Ambitious Japan!」をオリコン1位に送り込んでいます。

冒頭で手掛けた曲の総売り上げのことを書きました。2位の小室哲哉ですが、安室奈美恵やglobe、華原朋美などの売り上げがでかいです。また、彼はレコード大賞を4回受賞していますが、一過性のものであり、筒美京平作品と比べると薄っぺらであるといい切ってしまいましょう。筒美作品は心に刻まれていますが、小室作品はほとんどどこにも残ってないです。せいぜい美里姐さんの「My Revolution」くらいだな。

京平さんの作品は年々少なくなってくるのは仕方ないことかもしれませんが、これからも年に数曲でいいので、珠玉の作品を送り込んでもらいたいものです。

今回取り上げたのは3曲だけでしたが、個人的に好きな曲はもっとあるし、その中で新しいテーマも見つかっておりますので、京平ワールドがまた顔を出すと思います。

ちなみに、かすてら音楽夜話で取り上げた筒美京平作品は次の通りです。リンクもつけておきます。

桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」
尾崎紀世彦「また逢う日まで」、ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」
弘田三枝子「渚のうわさ」
欧陽菲菲「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」

★引き続き、リクエスト、ご要望等お待ちしています。

| | コメント (2)

2020年9月17日 (木)

長崎が勝手にタイとコラボ

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.11

Su075

<リンガーハット>PowerShot

今回はここにやって来ました。

リンガーハットです。なんとなくヒンドゥの民をディスっているような名称です。ヒンドゥの「リンガ」はLですが、この店はRなのでした。

由来は幕末から明治期に長崎に拠点を置いていたイギリス人貿易商、フレデリック・リンガーからいただいたとのこと。そんなの誰も知らないですね。しかも、茶を扱っていたそうで、それはアヘン戦争にも出てくるように、典型的な死の商人じゃないすか。結構屈辱的なネーミングだと思いますが。

Su083

<店内のポスター>PowerShot

へえ、そうなんだ。ウエストのところで登場してもらった長崎県人によると、リンガーハットのちゃんぽんは長崎ちゃんぽんじゃないというのですが、発祥は長崎だったんですね。

本店も長崎にあるようです。丸亀製麺の店が香川県にたった1店舗というのに比べると、長崎県にも29店舗を展開してます。九州でも店舗はそこそこありますし、東京の88店舗が最多ですね。全国展開していることから、本格じゃないけどちゃんぽんと皿うどんを日本全体に認知させた功績はありますかね。

このグループも海外展開しております。バンコクのプロンポンで店を見かけたのが3年前のこと。これ大丈夫かと思っていたら、バンコクに5店舗を展開しておりました。ま、今後どうなるかわかりませんが。ワタクシ、バンコクでの日本のチェーン店が割と好きなんですが、おそらく当地ではちゃんぽんを格別食べたいとは思いません。

Su076

<カウンター席>PowerShot

昼前の時間でかなりすいていましたが、カウンター席に案内されました。席はソーシャルディスタンスは取れていないものの、カウンター席でもきっちりと仕切りがあります。テーブル席も対面でアクリル板が設置してありました。松屋はなかったよな。

Su078

<メニュー>PowerShot

では、何でここにやってきたのかというと、メニューの右側に秘密があります。

Su079

<初期状態>PowerShot

トムヤムクンちゃんぽんです。オーダーしますと、「パクチーを切らしておりますので、水菜で代用させてもらいますが、よろしいでしょうか」とのことです。

一瞬ムッと来ますが、顔には出しません。

Su081

<具>PowerShot

小エビは結構入っていました。それと何でしょう、この魚の練り物は。あとは定番、キャベツにコーン、もやし、かまぼこです。

普通のちゃんぽんにはイカが入っていたと思うんですが、ありません。

Su082

<リフトアップ>PowerShot

麺は中太とでもいうのでしょうか。長崎の四海楼のちゃんぽんもこの太さだったような。麺は柔らかいです。九州系はうどんもそうでしたが、柔らかいのが多いんですかね。でも、博多ラーメンは硬めだよな。

スープは酸っぱ辛いです。かといって、本格トムヤムのあの味というわけではありません。また、レモングラスの茎を使っているとは思えませんが、レモンの風味がします。ココナッツミルクも使ってないと思いますが、リンガーハットはトムヤム味をよく研究したと思います。

スープの素材はおそらく人工的に加えたものでしょう。当然ながらプリッキヌーとかありません。でも、よくできているとは思いますね。

総額759円(税込み)でした。普通の長崎ちゃんぽんは麺増量が無料でできますが、トムヤムクンちゃんぽんはできないです。ま、高カロリーなのでこれでもいいかな。レギュラーサイズの下、スモールサイズは605円となります。

まあまあ良くできたと思います。でも、これはタイでは出してないんですよね。逆にタイのメニューにある、アサリちゃんぽん、唐揚げちゃんぽんをこちらで出してほしいですね。

タイの日系レストランチェーンですが、CoCo壱番屋もてんやも日本にないメニューがあるんですよね。

| | コメント (2)

2020年9月15日 (火)

フアラムポーン駅の二階テラス

Ba200

<フアラムポーン駅>MZ-3/FA28-105mm

2003年3月に時を戻そう。

バンコクには3泊しました。もっとも最初の1泊は深夜到着ですから、動けるのは2日だけでした。

当時の「歩き方」のバンコク交通ガイドに従い、BTSのナナ駅からサヤーム乗り換えでサパーンタクシンに出ます。そして、チャオプラヤーエクスプレスボートに乗って、王宮、ワットプラケーオ、ワットポー、ワットアルンなどを見て回りました。

当時も今もですが、初めて訪れるところでは比較的じっくり見て回ります。2泊目は疲れを引きずっていて、昼過ぎに引き上げ宿で昼寝して終了です。3泊目、前日の続きを行い、途中のエンストはなく、ボートでラーチャウォンまで戻り、中華街を抜けてフアラムポーンまでやってきました。

中華街ではワットトライミットまで見ていました。その時の入場料のメモがあります。ワットポー、ワットアルン、ワットトライミットが20バーツでした。王宮とワットプラケーオはわずか200バーツです(現在500バーツ)。これは高いのか安いのか。ボート料金は8~10バーツでした。渡し舟は2バーツで、現在も同じみたいです。

メモを見ているのですが、ミネラルウォーターを買ったという記述がありません。ということは、持ち歩かなかったのか。それとも、部屋の水を持参したのか。たぶん、我慢したのだと思います。ともかく、その前の日は脱水症状で足がつりましたし。

Ba201

<駅構内>MZ-3/FA28-105mm

これからタイ国有鉄道に乗るというわけではありません。ここにたどり着きましたが、外に比べると涼しく、天国のようです。

現在と比べると、ベンチの数が少ないように思います。電光掲示式の列車の発着案内は設置してあったようですね。興味津々であったはずですが、ホームには出てませんね。たぶん、出札口でチケットチェックがあると思い込んでいたのでしょう。でも、その数日後、タイ国鉄には乗ることになるのですが。

この広いドーム状の駅舎の両脇にテラスがあることに気づきました。規制がなさそうなので、途中から写真を撮ってますね。そしてさらに上がると、数軒の店がありました。

Ba202

<ビアチャーン>Coolpix880

改札に向かって右側のテラスに上がりました。中ほどにあったAnna's Kitchenという店で昼食です。ここは駅構内を見下ろせるような席もありましたが、エアコンの効いた室内の席にします。

客はほとんどいませんでしたが、幸い英語メニューがありました。

ビールの種類についても歩き方には写真入りの説明がありました。すでに、ビアシンは日本でも味わっていたのと、前日飲みましたので、ビアチャーンにしたのですね。とりあえず何でも手を出してみると。これはサイズ的には小瓶ですね。でも、たまらなく美味かったはずです。

Ba203

<トムヤムクン>Coolpix880

これが人生初トムヤムクンです。東南アジア初めて、タイ初めてでしたが、知識としては蔵前仁一、前川健一、下川裕治等のバックパッカー本を読み漁っていたので、とても辛く、汗がどっと出ることは知っていました。もちろん、タイなんだから挑戦するだろという思考回路が生まれます。

辛いですがそれよりも酸味をより感じました。幸いというか、具がたくさん入っていて、あまりスープは飲んでません。それでも味は複雑だとメモにあります。汗はそれほどかきませんでしたが、鼻水が出ました。

なお、色合いがいまいちなのは、当時のデジカメの性能だと思ってください。

Ba204

<海鮮ラートナー>Coolpix880

こちらも、メニューから選びました。英語ではSpicy Fried Noodlesとありました。パッタイじゃなく、幅広のセンヤイを使っていましたので、海鮮と野菜をあんかけにした「ラートナー・タレー」ですね。

これも、見え隠れする赤いトウガラシが辛かったです。トムヤムクンもそうなんですが、想像以上の辛さを感じ、レタスなどの野菜で辛みをやわらげた記憶があります。

総額、180バーツでした。これは高いのか安いのか。ビールも頼んでいるし、今なら300バーツくらい行くんじゃないすかね。

この店は結構気に入ったので、この界隈に来た時には何度か利用しました。ですが、このテラスの店はことごとく閉まってしまいました。改札に向かって左側にはブラックキャニオンコーヒーなどがありますが、右側は全滅です。

ともかく、食事やレストラン情報も歩き方頼りでしたから、ナナ近辺のレストランなどに行っていたので、やや大衆寄りの食堂またはレストラン初体験でした。

ともかく、料理名とかわからないので、頼りは英語メニューのある店でしたね。歩き回るのも、靴下を着用し、スニーカーでしたから、かなり不自由な旅をしていたものです。

続きます。

| | コメント (10)

2020年9月12日 (土)

中華圏からの輸入歌姫

かすてら音楽夜話Vol.92

本日取り上げるのは1970年代に日本にやってきて、成功を収めた歌姫です。

ただの輸入歌手ということになると、古くはベッツィ&クリス、インド人演歌歌手のチャダ、そして韓国の歌手もいますが。リンリンランランも忘れちゃいけませんが。ですが、今回取り上げる3名の歌姫は日本での活動も長く、そして誰もが知っている人物であります。

Wt0058

<九份>K-7/DA16-50mm

まずは欧陽菲菲さんです。

日本にやってきたのは1971年、「雨の御堂筋」で日本デビューし、大ヒットしました。

ルーツは台湾生まれの台湾育ち。確証はありませんが、顔立ちからは少数民族の血も入っているのではないかと思います。台湾でのデビューは1967年だそうです。

中華系民族の2文字の姓ですが、数は少ないものの、いることはいますね。有名どころでは諸葛孔明、現在の香港の長官もそうかな。在日中国人YouTuberの李姉妹によれば3文字の姓もあるとか。

「雨の御堂筋」はデビュー曲にしてオリコンシングル週間チャート1位を獲得しました。この曲は彼女を有名にしたばかりでなく、御堂筋も全国に知られるようになりましたね。

セカンドシングルは二匹目のドジョウを狙ったのか、「雨のエアポート」という曲をリリースします。こちらもトップ10に入るヒットです。彼女はその後拠点を日本に移したようなところがありますが、それは元レーシングドライバーの式場宗吉氏と結婚したためでしょう。

さて、台湾での成功というものがありながら、なぜ日本で歌手活動をすることになったのでしょうか。それは、台湾のマーケットがあまりにも小さいからではないでしょうか。

そして、彼女の父親はパイロットで生活も何不自由なくできたはずです。台湾にとどまらなかったのはより大きな成功を夢見てというより、このショウビズの世界が大好きだったから、苦労もいとわずやってきたのではないかと思います。

彼女の代表曲として、「Love Is Over」があまりにも有名で、カラオケなどに行くと歌に自信のありそうな女性が歌う曲のひとつですね。この曲は初めはB面曲でしたが、彼女が歌い続けることでじわじわと火が付き、ついにシングルA面として発売されたものです。

でも、取り上げるのはこちら。

 

「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」でした。

「雨のエアポート」に続くサードシングルです。作者は橋本淳・筒美京平というゴールデンコンビです。当時「Chase」というアメリカのブラス編成のバンドがあり、それを意識させるようなアレンジがされてます。ちなみに、編曲も筒美さんですね。

そして、まだ日本語もたどたどしかったはずの彼女の歌いっぷり、ため息を織り交ぜながらのヴォーカルは和田アキ子にも負けていません。なんと、来日後まだ半年もたたないうちの曲です。

1972年の紅白歌合戦にはこの曲で初出場しました。その時の映像もありますので、ぜひご覧ください。ダイナマイトぶりがよくわかります。

Hs0415

<香港の夜景>K-7/DA21mm

ふたり目はアグネス・チャンです。

彼女は香港出身で、本名、陳美齢(チャン・メイリン)。アグネスは洗礼名で当時の香港人の持つイングリッシュネームですね。

1971年に姉のアイリーン・チャン(陳依齢)とデュエット曲をリリースし、香港での芸能活動を開始します。翌年香港のテレビ番組に出演した平尾昌晃によって日本に紹介され、「ひなげしの花」でデビューしました。「ひなげしの花」の作曲は森田公一ですが、平尾昌晃とはセカンドシングルで仕事してます。

彼女の場合、もともとの中華圏での知名度は高くないでしょう。欧陽菲菲さんがより大きなマーケットを狙って来日したのに比べると、日本でやってみるかといったほとんど華僑にも通じる大胆さがあったのではないかと推測します。

日本で上智大学に進学後、トロント大学に留学しますが、レコードは出し続けていました。比較的最近までシングルをリリースしているものの、主な活動はユニセフの親善大使などに移行していきます。その間に中国でのチャリティコンサートを行うなど、ただの歌手とはいえないようなことにも手を染めていきます。

彼女の場合、香港人であり香港の中国返還ということも相まって活動を大陸にまで広げることができたと思いますが、現在の香港の状況を考慮すると、芸能活動をするにしても(もはやあり得ないと思いますが)、今のユニセフ親善大使として活動するにせよ、下手に動くことができませんね。

アグネスは自作曲もあり、今回取り上げる人の中では最も芸能色が薄い感じです。代表曲としては、ほとんどがティーンエイジャーであった70年代のものがほとんどです。

 

「ポケットいっぱいの秘密」でした。

のちに柏原よしえがカバーした「ハローグッドバイ」(柏原よしえ盤は「ハローグッバイ」♪紅茶のおいしい喫茶店~の歌い出し)という隠れた名曲もありますが、中華歌謡っぽくない、「ポケットいっぱいの秘密」にいたしました。

この曲は作詞:松本隆、作曲:穂口雄右なんですが、アレンジを東海林修とともに、キャラメルママが担当しています。ということは、演奏も担当しています。これまでのアグネスの曲調とはどこか違う軽快さを持つ曲です。のちに、ティンパンアレーと改名するキャラメルママですが、ティンパンアレー時代に別のシンガーを起用し、この曲をカバーしてます。

また、松本隆の作詞家転向第1作なんですね。

ま、今後どうなっていくかわからない香港と中国、それに付随する世界の情勢ですけど、アグネスはしぶとく生き残っていくんじゃないすかね。

そして最後はテレサ・テンです。

 

ほぼ説明いりませんね。「時の流れに身をまかせ」です。作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかしです。

欧陽菲菲、アグネス・チャン、テレサ・テンという順番ですが、来日順です。

テレサ・テン、本名、鄧麗君(デン・リージュン)。台湾出身で、日本デビュー時にはすでにアジアの中華圏の大スターでした。その人気に目を付けた日本人が日本に招いたのですが、欧陽菲菲やアグネスほど爆発的に売れませんでした。

当初はアジアでのポップ路線を引き継いだものの、路線変更して演歌調の曲をリリースしたことで、ヒットの兆しが見えてきました。ですが、何度目かの来日時に所持していたパスポートが問題視され(当時は偽造パスポートと報道されました)、しばらくは日本での活動ができなくなります。

活動が再開されたのは1984年のことです。荒木・三木コンビの「つぐない」、「愛人」と続く1985年のこの曲で200万枚を売り上げる大ヒットとなります(「つぐない」、「愛人」もそれぞれ150万枚のヒットでした)。彼女のこれらの曲はオリコンのチャートではトップ10入りしたにすぎませんが、じわじわと売り上げを伸ばしていったのです。

それにしても歌が上手いです。台湾で10歳の時に歌唱コンテストで優勝後、14歳でプロデビューを果たしたのですから、テイストは違うものの、台湾の弘田三枝子とでもいえましょうか。

ですが、彼女は台湾生まれであるものの、父母は大陸からやってきた国民党の人物でありました。つまり、外省人であったわけです。この辺りは、蒋介石がやってくる前後の台湾の事件と結びつくわけです。台湾から日本が引き揚げた後に大陸からやってきた国民党はそれ以前から台湾に居住していた中国人(内省人)のインテリ層をことごとく弾圧していたんですね。

蒋介石・蒋経国の時代は戒厳令が敷かれ、大っぴらな外省人と内省人との対立はなかったものの、深い溝ができていました。つまりは、テレサ・テンの歌は外省人の歌ということで、台湾でのテレサの人気はいま一つだったのではないでしょうか。そういうこともあり、テレサは台湾と香港で活動し、台湾事情がそれほど伝わらない、アジアの中華圏、つまりシンガポールやマレーシアなどでも人気が拡大していったのでしょう。

個人的な話になりますが、台湾で「時の流れに身をまかせ」を口笛で吹いていた時、近くの爺さんが近づいてきて、何やらいうんです。決して肯定的な態度ではなかったので、上記のような外省人の曲をやるんじゃないよみたいな注意だったのではないでしょうか。

と、いうような台湾の事情は抜きにして、中国本土でもテレサの歌は放送禁止処置を受けていたにも関わらず、人々の間で秘かにテープがダビングされ、誰でも知っていたとのことです。のちに中国本土でもテレサの歌は解禁されました。しかし、1989年の天安門事件後、テレサは香港でそれに対する抗議活動を行います。とうとう中国本土でのコンサートは実現しませんでした。

その後、チェンマイで謎の死を遂げます。亡くなったのはインペリアル・メーピンだったかな。現在テレサの墓は金山というところにあります。ここは公共交通機関はないものの、誰でも行くことができます。ワタクシも訪れました。

もしかしたら、歌で中国に何らかの影響を与えたかもしれない、テレサ・テン、残念ですね。

1970年代からおよそ半世紀が過ぎ、日本を取り巻く環境も変化してきました。中国が国連に加盟し、台湾は入れ替わりに脱退し、国連の常任理事国も中国に譲ることになります。そして、香港が中国に返還され、中国も経済的な結びつきを台湾と取っていた時期もありました。カルチャー面では体制の違いを超えて結びつきそうになっていましたが。

香港があのような状況になってきたので、香港の映画や芸能はほぼダメになっていくんじゃないでしょうか。テレサ・テン以降わざわざ日本に活路を求めなくとも中華圏で頑張ることができたのですが、台湾あたりから日本語で歌う新しいシンガーがまたやってくるかもしれませんね。今は、その役割はK-Popが一手に引き受けてますけど。

★ご要望リクエスト、引き続きお待ちしています。

| | コメント (10)

2020年9月10日 (木)

初タイであのホテル

Ba004

<今は亡きノースウエスト>Coolpix880

時を戻そうシリーズです。2003年3月です。

当時ノースウエスト航空が健在で成田からは香港、シンガポール、バンコクへとフライトがありました。成田便は基本経由地なので、アジアに向かうものは夕方便、アジアから成田へは早朝便となります。つまり不便なんです。

でも、当時は何年たっても失効しないマイレージが付きました。当時はヨーロッパ方面によく出かけていたので、簡単にマイルはたまりました。それを利用し、バンコクを往復しようということで、取れたのが3月末でした。

初タイどころか初東南アジアですよ。

Ba005

<ドンムアン空港>Coolpix880

深夜もいいところのドンムアンです。この空港だけは使ったことがありました。トルコ航空やパキスタン航空、エジプト航空のトランジット空港だったからです。パキスタン航空やエジプト航空はアルコール類が出ませんから、必死にビールを飲みに走ったものです。今なら全然我慢できるし、それよりも睡眠に走りますね。

初めてということもありますが、空港からは送迎サービスを利用してしまいました。今なら、バスとBTSなんですが。タクシーじゃありませんよ。送迎サービスです。よくわからなかったということもあります。なんと650バーツです。ただし、高速料金は不要です。クルマはメルセデスでした。それ以来、乗ったことないです。

Ba006

<客室>Coolpix880

予約したホテルはNana Hotelでした。タイは初めてでしたけど、いろいろ情報は集めておりました。

チェックインすると、1杯だけ使えるドリンク券をもらえました。部屋に向かいますが、エレベーターでは大柄な欧米人男性と小柄ですがどこか派手目なタイ人女性が肩を寄せ合って乗り込んできます。なるほど、噂通りだわいと内心思っていました。

このホテルは、宿泊客以外が部屋に行くにもIDカードのチェックがありません。つまりは欧米人男性が現地女性をひっかけて部屋でナニスル率の高いホテルなんですね。ま、普通の宿泊客もいますけど。

よくわからない人も、ここのロビーとかコーヒーショップあたりにいれば、なんとなく雰囲気はつかめると思いますよ。

Ba007

<部屋の備品>Coolpix880

ここは予約サイトで取りました。確か1泊、1000バーツくらいでしたかね。Apple Worldでは、シングルとかツインとか出てこなくて、ダブルベッドの部屋でした。朝食も付くのですが、朝食券は2人分もらえました。いらんけど。

今にして思えば、かつての米軍御用達ホテルですね。つくりはしっかりしてます。最新かつモダンではありませんが。テレビ、エアコン、ベッドサイドのランプ等、必要最低限のものは付いてます。宿泊客の一部に問題ある人はいますが、部屋だけに関しては悪くないだろう

ただし、エアコンは業務用で壁に埋め込まれたタイプです。音はうるさいです。冷えるのですが、切ると途端に暑さをじわじわ感じるようなタイプですね。

カーテンを開けると向かいの部屋から丸見え状態なので、常に閉めてました。

Ba009

<テーブルに灰皿>Coolpix880

現在のバンコクは建物内の喫煙はできません。当時はまだ可能でした。今でも一部のホテルでは黙認状態で喫煙部屋を残しているところもありますが、数は少ないですよ。

Ba010

<バスルーム>Coolpix880

つくりは武骨ですが、アメリカンスタンダードの便器に洗面台です。ここでタイが顔を覗かせるのは、便器の横の事後処理用の水の出るノズルですね。そして、バスルームにも電話があります。なんと、ダイヤル式の黒電話です。これだけはさすがにリニューアルされただろうと思います。

ちなみに、バスタブありです。やはり米軍御用達ホテルですね。パヤタイのフロリダホテルも同様です。

Ba015

<無料の水>Coolpix880

もしかすると、これは冷蔵庫から取り出した有料のやつだったかも。瓶入り2本がこの手のホテルではデフォルトですが。

Ba016

<ビュフェの朝食>Coolpix880

朝食は食券を見せて比較的広い場所で食べます。対象が欧米人なので、欧米風の食べ物が多いです。それでも、パッタイやカオパット、白飯はあったと思います。

ここもそんなに悪くないです。

ロケーションも非常にいいのですね。ここには3泊いたしました。

| | コメント (12)

2020年9月 8日 (火)

八王子ラーメン in 道の駅

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.10

Su064

<また来ました>PowerShot

今回は初カテゴリーとなる、ラーメンです。ま、これも「中華そば」というくらいだし、麺の原料が小麦粉ですので許してもらいましょう。

しかも厳密にいうと、立ち食いじゃないですが。このままいくと、米粉のビーフンとかクイッティアオまで取り上げる勢いですが、ゆるゆるなのをお許しを。ともあれ行ってみましょう。

Su066

<メニュー>PowerShot

平日でしたが、昼間の直前です。駐車場はやっぱり混雑していました。誘導員が1台あくと次を招き入れます。直前のクルマがバックで駐車中だったので止まって待っていると、追い越していく馬鹿モンがいました。こういうやつがいるから何かとトラブルのもととなるんですよね。

で、フードコート「八農菜」も結構混んでいました。駐車場は90台くらいとあります。次に来るときはわざと第二駐車場に入れようか。

メニューを見ますと、蕎麦よりうどんのほうが上位に来てます。この間の滝山そばよりもうどんのほうがお勧めなんすかね。そのうちまた、真実をチェックしないと。

Su072

<八農菜内部>PowerShot

最初、えっと思うような混み具合でした。やや時間をおいて出直すと、席が空いてました。ま、席がなくとも屋外のテーブルという手もありますが、9月といってもめちゃ暑いです。それに、汁物は運びたくないです。

注文から受け取りのシステムですが、注文口で口頭注文と同時に会計を済ませます。

レシートに注文番号が印字されていて、出来上がると番号と注文の品をコールされ、受け取り口でレシートを見せて完了です。

あとは、トレイごと調味料のコーナーで好みのものを入れ、水などもそこで調達して席に着きます。

ふと、隣を見ると、数個しかないテーブルコショーを持ってきている不届き者がいました。これ、マナー違反。当然わかりますよね。オメーはタイのフードコートで、調味料各種を持ってくるのかよと思ってしまいました。

Su067

<胡椒投入済み>PowerShot

頼んだのはこれです。八王子ラーメン。670円でございます。

Su068

<八王子ラーメン>PowerShot

ご当地ラーメンというものは、せいぜい札幌ラーメンを現地で食ったくらいですかね。あとは、博多ラーメンを渋谷で食った程度。なんか見た目、そこらのラーメンと変わらないような気もします。

ネット情報によれば、醤油ダレの醤油味でトッピングに刻み玉ねぎを使うことが特徴とあります。

ま、その通りですね。醤油味に量の多い刻み玉ねぎです。

Su071

<リフトアップ>PowerShot

これ、左手で撮るんですが、PowerShot SX730 HSというカメラは割と楽です。以前使っていたGR DIGITALは、カメラの上下をひっくり返さないと、シャッター位置まで指が届きませんでした。

さて、味わうには見た目は悪いですが、すべてを混ぜ切ったほうがいいですね。醤油ベースですので、優しい味です。

ラーメンで「味変」しますよね。ワタクシの場合、具を単体で少し味わった後、具と麺を一緒に食べます。さらには、具を2種一緒に麺と食べ、さらに可能であれば具を3種、麺と味わうのです。

のっていた具はメンマにチャーシュー、海苔です。海苔は1枚だけなので、トッピング海苔、100円を追加しないと3種というのが難しいですが。

このラーメン、道の駅のフードコートではありますが、安心して楽しめる味です。つまり、そこそこ美味しいです。なんだよこれってやつもたまにあると思いますが、合格じゃないすかね。

Su073

<パンフレット>PowerShot

東京都唯一の道の駅です。ま、実態は地元野菜や地元の産物の売り場ですね。

道の駅にはスタンプがあり、関東なら関東というように地域ごとのスタンプラリー用のスタンプ帳もあるんだとか。今度別のところにも行ってみます。わずかですが、B級グルメとリンクしている道の駅もあるんですよね。

| | コメント (4)

2020年9月 5日 (土)

やっとありついたスナック

本日の話題は2007年です。

この時はエールフランス利用で、成田ーシャルルドゴールーリスボンとカサブランカーシャルルドゴールー成田というオープンジョーチケットを購入し、リスボンからスペインを経由し、ジブラルタル海峡をフェリーで渡り、モロッコに行くという旅をしました。

その日滞在していたのはポルトガル南部のファーロという小都市です。この日の予定はスペインのジブラルタル海峡に面したアルヘシラスまで行くことです。

それでは、2007年8月に「時を戻そう」。ぺこぱ風でもありますが、水曜どうでしょう風でもありますね。

Im0575

<ファーロの宿の朝食>GR DIGITAL

ヨーロッパのホテルによくある、コンチネンタル式の朝食です。とはいえ、セルフ式でパンも飲み物も自分で取ってきます。でも、ここの宿はハムとチーズがありました。真ん中に置いてあるのはヨーグルトではなく、バターとジャムです。

腹ごしらえもしたので、出発しましょう。チェックアウトをし、料金を支払います。決済はカードを使ったのかはたまた現金だったのか、覚えていません。

当時の宿の取り方ですが、到着した都市と出発する都市だけは予約サイトで押さえました。AgodaとかBooking.comなどは存在していたのかもしれませんが、日本では一般的ではなかったですね。日本で知られていたのはApple Worldとかトラベル子ちゃんとかです。ここでは、有名都市くらいしかヒットせず、しかもそこそこの値段のホテルだけを扱っていました。

とうじはまだまだ、情報が少なく、せいぜいネットでの口コミ・書き込みに頼る程度なのです。移動手段などもあいまいもいいところで、途中に立ち寄る都市では宿は飛び込みにならざるを得ません。このスタイルを転換するのは2013年頃でしょうか。

Im0577

<ポルトガル国鉄>MZ-3/FA35mm

これからポルトガル・スペイン国境のヴィラ・レアル・デ・サントアントニオまで行きます。列車の上には架線が見えますが、スペイン国境方面は電化されておらず、ディーゼルカーになります。

Im0595

<グアディアナ川>MZ-3/FA35mm

国境は川です。すでにEUに組み込まれていた両国なので、出入国審査はありません。でも、途中に川があり鉄道はつながってません。バスもあるらしいのですが、バスを見つけるよりも先にフェリー乗り場に着いていました。

Im0602

<ダマス社のバス>MZ-3/FA50mm

フェリーを降りたところは、アヤモンテという都市です。ここからアルヘシラス行きのバスがあればよかったのですが。なんとか観光案内所を見つけ、トイレを借り、アルヘシラス情報をきくと、「今日中にアルヘシラスに行くのは難しいかもしれません」という返事です。

幸い、バス乗り場は案内所のすぐそばで、待っているとウエルバ行きのバスが来ました。ウエルバ乗り換え。急いでチケットを購入し、アルヘシラス行きのバスに乗り込むと自分が最後の客でした。

Im0608

<アルヘシラス行バス>MZ-3/FA35mm

ウエルバの次はセビーリャに到着します。さすがに大都市でバスターミナル2つを回り、ようやく出発です。バスの中で歩き方の地図を見ていました。それは、スペインのものだったかモロッコのものだったか。見終わり、バッグにしまおうとすると、後部座席にいた女性が見せてほしいといいます。

日本語の地図だけどといいますが、それでも見たいそうです。

バスは途中でドライブインのようなところに止まりました。トイレ休憩です。スペイン人は短時間でもここで腹を満たしますが、事情のよくわからないハポネスはそそくさと座席に戻ります。ここのバル、なんか見たようなところだなと思っていたら、大沢たかおの出演した「劇的紀行・深夜特急」で撮影された場所でした。画像に残していなかったのがものすごく残念です。

Im0610

<風力発電機>MZ-3/FA35mm

途中カディスなどのアンダルシア地方の沿岸部の都市名がちらちら出てくるのですが、ここからが長かったです。

アルヘシラスに到着したのは20:00を回っていました。スペインは西ヨーロッパ標準時、フランスやドイツと同じ時間帯ですが、ポルトガルはグリニッジ標準時を採用していて、1時間の時差があります。しかも、東に行くことになるので、それだけ1日が短くなります。

何とか宿を確保し、夕食に向かいます。昼食は抜きです。腹が減った。

Im0614

<この日の夕食>GR DIGITAL

探せばまともなレストランはあったでしょうが、宿周辺では見つからず、あまりにも賑わってないバルで済ませました。食事っぽいものは鶏肉のバーガーくらいでした。タパスとかも置いてなかったと思います。

飲み物は赤ワインを炭酸水で割った「Tinto de Verano」というものです。あとでわかったのですが、アンダルシアのような暑いところでは、このようなものを夏に味わうんだそうで。ちなみに、バーガー、3.8ユーロ。飲み物、1.2ユーロでした。

ふと、顔を上げると、バスで地図を見せてくれといっていた女性がいました。翌日モロッコに向かうそうです。同じだね。また会えるといいかも、アディオス。

でも、翌日の船内はおろか、モロッコでも出くわしませんでした。

★「時を戻そう」シリーズ、ボチボチやってますけど、当分続くと思いますよ。

| | コメント (6)

2020年9月 3日 (木)

松屋のカレー

Jp0040

<松屋>PowerShot

先日ちょっとした用があり出かけましたが、その用はすぐさまキャンセルとなりました。時間余るな。では昼食にしましょうか。

クルマで出かけているでございます。先日立ち寄った「ウエスト」では、駐車場待ちで渋滞ができていました。

桜美林大学が目の前のここが空いてそうです。数年前、ここに入ったら外国人留学生らしい店員が接客していて驚いたものです。ですが、それ以来というもの、外国人のコンビニ店員、外国人のファストフードの店員など珍しくもなくなりましたね。3月まで通っていた十条というところなどは、ある時間帯は外国人店員だらけで、特定の時間に行くとインド系店員で統一されているなんてこともあったくらいです。

ま、コロナ禍等もあり、都心から外れた町田ということもあって、あまり外国人が対応するシーンには出会ってませんけど。

Jp0045

<幟>PowerShot

おすすめはこうして宣伝です。幟の他に窓にポスターもありますね。松屋は自動券売機でチケットを買い、店員に渡す方式です。「かつや」もそうですね。

Jp0041

<バターチキンカレー>PowerShot

カレーにしてはちょっと待ちました。ちょうど昼時で3席しかないテーブル席には親子連れが独占しています。ひとりということもあり、当然カウンター席です。

このカウンター席でカメラを構えますと、まるで親子連れを盗撮しているようで、いいシチュエーションではありません。やっぱりそういうときはテーブル席がいいよな。

松屋の特徴として、カレーにも味噌汁が付くんですよね。

Jp0042

<バターチキン>PowerShot

すでに普通のカレーがどうなっているかわからなくなりましたが、このカレーはメシとカレーが別皿です。

苦手なんですよ。いちいちカレーをご飯に盛るのが。最初からご飯にカレーを盛って出てくればいいのに。ご飯の量に比べると、カレーがかなり多いですね。

Jp0043

<肉>PowerShot

肉は結構な塊です。そしてかなり熱が入ってます。スプーンでは切れないので、塊のまま口に運ぶことになります。猫舌の人は危険ですな。

肉はもう少し小さめになりませんかね。カレールウは日本の定番よりもわずかですがインドっぽいです。まず、さほどスパイシーではなく、辛くありません。バター系の味が勝ってます。

カレーだと、松屋が置いてある調味料を使えませんね。ソースとかもないんで味の変化を楽しめません。福神漬けもあらかじめのっているし。これに紅しょうがを加えるというのもなんかテイストが違うし。

Jp0044

<味噌汁>PowerShot

なんで味噌汁が付くのでしょうか。超ミニサイズでもいいからサラダかピクルスのほうが、好みです。ま、自分ちではカレーでも味噌汁付きますが。

もう少しダメ出しすると、これ、ご飯またはロティで選べるようにしてほしいです。たぶん、チャパティだったら抜群に合うと思うんだけど。チャパティ、冷えていても問題ないですよ。

本日入った情報によると、「ステーキ屋松」(松屋系)のステーキ丼を松屋でも店舗限定で始めたそうで。でも、松屋のサイトを見てもどの店でやっているか全く書いてないんですよね。ステーキ丼は食べてみたい。

このカレー、680円でした。はるか昔の学生時代、神田神保町に松屋がありカツ丼、牛丼がかなり安かった記憶があります。手持ちの資金が余裕があるとき、松屋かいもやに突入したものですが。

最近のハマリモノ

Pekopa

<ぺこぱ>

初めて見たとき、なんだこいつら?でした。

漫才も面白いですが、意外にコメント求められる仕事でもちゃんと対応できるんですよね。右の松陰寺太勇、苦労人です。左のシュウペイ、天然キャラですが、これから大化けする可能性がありますね。

頼むから「コロナ前に時を戻そう」。

| | コメント (4)

2020年9月 1日 (火)

グループの裏方、実はすごい

かすてら音楽夜話Vol.91

本日はThe Beatles(ビートルズ)とThe Rolling Stones(ローリングストーンズ)の地味な存在を取り上げます。

まずはビートルズから。

Fe1711

<ジョージ・ハリスン>K-7/DA16-50mm

ビートルズのリードギタリストにして、最年少、George Harrison(ジョージ・ハリスン)です。

ロックグループの花形というと、リードヴォーカルとギタリストですね。当然ヴォーカリストは常にスポットライトを浴びていて、曲の合間にギタリストは印象的なソロを弾きます。この時はギタリストにスポットライトが当たります。要約するとボーカリストはバンドの花であり、ギタリストはバンドのまとめ役やリーダー的な扱いを受けます。

ところがビートルズにはふたりのヴォーカリストがいて、ジョージがスポットをあてられることはほぼありませんでした。そのふたりとはもちろん、John Lennon(ジョン・レノン)とPaul McCartney(ポール・マッカートニー)です。曲もふたりの作品がほとんどで、ジョンかポールのどちらかが単独で作っていても、「Lennon-McCartney」という表記で共作の形をとっていました。

ジョージはせいぜいコーラスに参加する程度。これは彼がグループ最年少ということもあり、主導権を握れなかったことが原因なんじゃないですかね。残るRingo Starr(リンゴ・スター)は曲を作りませんが、ドラムという特別なパートで、代役がききませんからグループの主導権を握れなくとも重宝されたんじゃないすかね。それに、リンゴはビートルズに最後に入ってきた外様みたいな存在でしたから、あまり関係なかったのかもしれません。

しかし、ジョージは12弦ギターを取り入れたり、インドでラビ・シャンカールに師事し、シタールを習得するなどしました。特にシタールはサイケデリックなサウンドを生み出し、中期から後期のビートルズに大きな影響を与えました。次第に存在感の増してきたジョージですが、グループ内での不満はだんだん大きくなってきたようです。アルバム中せいぜい2曲がジョージの曲で、リードギターにもけっこう注文が入ったようです。

 

こちら、「Here Comes The Sun」はシングルカットされてませんが、ジョージの曲としてあまりにも有名です。このレコーディングにはジョンが参加していません。ジョージはギターのほかにシンセサイザーなども担当するマルチな奮闘ぶりでした。

 

もう1曲は「Something」です。「Come Together」との両A面シングルとして、ビルボードで1位を獲得しています。なお、YouTubeの映像ですが、この2曲は2019Mixということで、原曲には登場しない音が入ってますし、古い映像も差し替えられています。

こういう曲を聴くと、ジョージの才能は自分でも埋もれてしまうんじゃないかという危機感が出てくるんじゃないすかね。

そして、ビートルズは解散し、ジョージはソロに転じますが、ソロでビルボード1位を獲得した「My Sweet Road」が盗作訴訟にあったりします。一方、バングラデシュ救済コンサートなどを行い、社会派としての声を上げることはこの時代なかなかできなかった、いわば先駆者でもありますね。

晩年、ボブ・ディラン、ジェフ・リンなどと組んだ覆面グループ、Traveling Wilburys(トラベリング・ウィルベリーズ)などで活躍しますが、2001年、脳腫瘍と肺がんのため亡くなりました。享年58歳でした。

もし、ジョン・レノンがもう少しジョージに寛容であったら、ビートルズももう少しキャリアを長くできたかもしれません。

Billwyman

<ビル・ワイマン>

次はストーンズのベーシスト、Bill Wyman(ビル・ワイマン)です。出生名は異なりますが、後に改名して芸名が本名になりました。

もともとベースという楽器はリズムの要ではあるのですが、いかんせん地味でして、ロックバンドで見ていっても派手に目立つという人はなかなかいません。当時ビートルズの陽に対して、ストーンズは陰。いいとこのお坊ちゃん風なビートルズに対して、ワルのイメージのストーンズ。という図式がファンの間では抱かれていました。実際にはビートルズは低所得者層の出身で、ストーンズは中流家庭出身ではあるのですが。

酒に女にドラッグという絵にかいたような負のイメージのストーンズの中で、ビル・ワイマンはいかにも地味でSilent Stoneと呼ばれていました。ストーンズ加入時のエピソードとして、当時ストーンズが持っていなかった大きなアンプを持ち込んためという話があります。つまり、ビルの演奏ではなくアンプに惹かれ誰でもよかったと。

ま、これはかなり怪しい話で、実際1962年から1992年までの30年間、ビルはストーンズ唯一のベーシストとして活動していました。ビルの脱退後、ストーンズはパーマネントメンバーのベーシストを置かず、ツアーのときのみ外部のベーシストのサポートをつけるという具合です。

Charley Watts(チャーリー・ワッツ)のドラミングとビルのベースのフレーズは、とても安定していて、これにKeith Richards(キース・リチャーズ)のギターが絡み合い、独特のうねりのあるビートを生み出すのです。ビルの抜けた穴はとても大きく、ビル脱退後のストーンズのサウンドは別物という人もいるほどです。

 

この曲はビルのファーストソロアルバム『Monky Grip』収録の「I Want To Get Me A Gun」という曲です。ストーンズの楽曲とはほとんど重ならないような感じです。

このアルバムは1974年にリリースされほぼ不発に終わりましたが。なんと、ストーンズのメンバーの中で一番最初にソロアルバムをリリースしたのがビルなのです。同じ年にRon Wood(ロン・ウッド)もソロアルバムを初めてリリースしましたが、まだロニーはストーンズのメンバーではありませんでした。

そんなビルなんですが、機会があったら自分も前に出てみたい願望が常にあったのではないでしょうか。

ストーンズの場合、ほとんどの楽曲がMick Jagger(ミック・ジャガー)とキースの共作です。このシステムはほとんどビートルズと同じですね。初期のリーダーであったBryan Jones(ブライアン・ジョーンズ)は曲を作らず、演奏だけにのめりこむタイプでした。チャーリーもバンドの要で自作曲には興味がありません。そうなると、バンドの権力構造はミックとキースに握られていくことになりますね。

そんなストーンズですが、『Their Satanic Magesties Request』というコンセプトアルバムの中でビル・ワイマンが自作しリードヴォーカルも担当した「In Anothe Land」がなんとアメリカではシングルカットされ、ビルボード8位に入りました。ストーンズのヴォーカリストはミックです。アルバムやツアーではキースがごくわずかにリードヴォーカルを取ることもありますが、それらはシングルカットされたことはありません。

異例中の異例ですね。

 

つまり、ミックとキース以外がヴォーカルを担当したことはないし、曲のクレジットもジャガー=リチャーズが99%(ロン・ウッドの追加クレジットはあります)。ま、ヴォーカル部分にかなりのサウンドエフェクトをかけていますので、だれでもよかったとはいえます。ただ、作者がビルなので、そのままビルがヴォーカルを担当したということでしょうか。

ビルは、やはりソロ志向があり誰よりもたくさんのソロアルバムをリリースしています。ま、売れないのですが。

ストーンズの特徴として、長時間に及ぶレコーディングというものがあります。長期間でもあるのですが、レコーディング自体に終わりが見えないのですね。朝スタジオ入りし、深夜どころか翌朝までレコーディングが及ぶのは日常茶飯事です。こういう時、ビル・ワイマンは予定の時間が来ると帰ってしまうんだそうです。ビルが帰った後はベースはキースやロニーが弾くこともしょっちゅうでした。

かくして、アルバムリリース時に、一部の曲ではビルのクレジットがどこにもないということが起こります。ツアーなどではそのパートをビルが弾くことができないなんてことはないのですが、こうしたことが長年蓄積してくると、ビルの不満も高まってくるでしょうね。かくして脱退するに至ります。

ストーンズ脱退後はBill Wyman & His Rhysm Kingsというバンドを作り、現在も活躍中です。このバンドはメンバー固定ではなく、ビル以外のメンバーがランダムに集められ、時にはソロヴォーカリストも参加します。

 

ということで、リズムキングス、「Honky Tonk Women」でした。ストーンズよりはノリが緩いですけど、味はありますね。

ところで、ビルは1936年生まれなので今年84歳です。ビルがミックにもキースにも遥かに勝っていたことがありまして、それは彼らにも負けない性豪であったことといわれます。ま、セックス依存症なんじゃないすかね。もういい加減なおったろ。

今回、lastsmileさんのリクエストにお答えしました。

★引き続きリクエスト、ご要望お待ちしています。

| | コメント (4)

« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »