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2020年10月31日 (土)

コンタイ御用達・新倉山浅間公園

2020年10月11日(日)

北口本宮富士浅間神社を訪れ、さて次はというところで天気が驚異的な回復を見せました。

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<急階段>PowerShot

ということで、富士山が見えるであろうと期待し、新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)へ。

カーナビがあったのでたどり着けましたが、なかったらどうなったことやらです。富士急の踏切を渡ったと思ったら、住宅地を左右に。再び富士急の踏切が現れる直前の狭い道をくねくねと進みますと無料の駐車場にたどり着きました。

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<タイ人>OMD10/14-42mm*イメージです

新倉山浅間公園といってもなじみはないと思いますが、ここは日本を観光するタイ人にとっては聖地みたいなものなんです。

すなわち、桜の季節には雪を被った富士山が見え、なぜか五重塔も映り込むというインスタ映えする場所です。ま、このブログの読者の方はご存じな人が多いはず。

では、登っていきましょうか。

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<途中の注意書き>PowerShot

え?さらに。

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<熊いるみたい>PowerShot

マジっすか。こんな状況なので、さすがにタイ人観光客はいませんでしたが、わずかに日本在住と思われる外国人の方をはじめ、日本人もいらしておりました。

今年、熊による被害が毎日のように報じられます。山の途中ではありますが、こんなところに出るんすか。

わたしゃはるか昔ですが学校行事でこの近くの三つ峠~足和田山あたりをハイキングしたことがあるんですけど、こんな注意書きなかったです。知床五湖とか根室郊外ではこんな看板あありましたが。

熊の生息域が市街地にまで近づいているんですね。まあ、これだけ人がいれば大丈夫だなという気はします。でも、早朝と夕方にはひとりで来ないほうがいいですよ。

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<五重塔>PowerShot

これが五重塔ですね。なんでここにだけ五重塔があるのかは、由来を読んでこなかったです。

もう、富士山は背後に見えていますが。あともう少しで絶景ポイントに着きます。

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<インスタ映えスポット>PowerShot

到着いたしました。富士山はまさに、「♪頭を雲の上に出し」でございます。

ああ、ホント桜のシーズンだったらな。

富士山を見るのであれば、やはり大気中に水蒸気の少ない午前の早い時間帯がいいでしょうね。この時間は14時くらいだったでしょうか。ある意味、ヤムの会3人とも持ってますわ。

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<富士山>PowerShot

もう少し下った場所からズームで迫ってみました。

PowerShotは手ブレしやすいので大変です。それに、ファインダーがないので液晶画面でプレビューするのですが、この時間は逆光で画面を確認しづらいんです。画面の上に手をかざしてようやく見える感じでした。

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<大石公園>PowerShot

その後訪れた大石公園からの眺めです。

ここも、運が良ければ富士山が見えるばかりでなく、河口湖の湖面に映った逆さ富士も見えるはず。熊も出ないし、ここもお勧め。

それにしても、タイ人のほうが富士のインスタ映えするスポットを我々よりも先に見つけていたんですよね。

彼らは観光バスでやってくると思いますが、大型バスは駐車場まで入れないんですよね。つーか、そのだいぶ先でバスを止めるしかないでしょう。

あの歩くのを極端に嫌うタイ人も嫌な顔をせずに歩かせてしまうスポットでした。一般の普通乗用車ならば全然大丈夫です。しかし、道は狭いですけど。

★ネタがだいぶたまってきました。とりあえず、2020年10月11日のヤムの会山梨遠征については終了です。

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2020年10月29日 (木)

おまけのチケットでウィマンメーク宮殿へ

時を戻そうシリーズ、2003年4月です。

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<アヌサワリー>MZ-3/FA28-105mm

この時のタイ最終日です。バンコク到着翌日にワットプラケーオと王宮に行きましたが、ウィマンメーク宮殿のチケットも付いていたんです。

それを無駄にすることもあるまいということで、BTSでここにやってきました。タクシーを捕まえ、55バーツで到着です。

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<木造洋風建築>MZ-3/FA28-105mm

ウィマンメーク宮殿はラーマ5世(チュラロンコン大王)が作らせたもので、日本の明治時代とほぼ重なります。

明治維新期と同様、タイにもお抱え外国人がいまして西洋人による設計です。まあ、タイと西洋の合体みたいな感じです。アユタヤの近くにあるバーンパイン宮殿も同じような建築様式です。

ここは自由見学はできず、ツアーの形になります。組まされた相手はニューヨークから来たという日本人の顔をしたアメリカ人男性と、パキスタンから来たあまりムスリムっぽくない女性でした。ガイドは軍人ですが癖のある英語で説明されます。

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<タイ舞踊>MZ-3/FA28-105mm

残念なことに内部の写真がありません。撮影禁止であったのか、暗くて撮影に不向きであったのか。当時はフィルムカメラでしたからその場でISO感度を上げることはできません。

半屋外のステージがあり、いかにも「タイ」という舞踊が行われていました。時にはここでムエタイが行われるとのことです。個人的にはムエタイのほうがよかったですが。

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<コンスワイ>MZ-3/FA28-105mm

メモを見ると、カメラチケット20バーツを支払ったとのことでしたので、内部の撮影は可能ですかね。

ただ、知らない相手とツアー形式で回るので、あまり撮影に没頭はできないですね。

この当時はスマホもなかったので、今のように写真を撮る人もあまり多くなかったと思います。

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<建築物>MZ-3/FA28-105mm

ツアーは屋内を中心に回るものですが、ここは外側からのほうが写真を撮るには適してます。でも、あまり外は回りません。

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<旧国会議事堂>MZ-3/FA28-105mm

そのまま歩いてドゥシット地区へ。暑かったです。

かつての国会議事堂ですが、門が閉められていました。鉄柵の間から撮影しました。

現在は公開しているとか。

<今日のナニコレ>

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<CD購入>PowerShot

ちょっと前のことですが。Van Halenの『1984』というアルバムを購入しようとしタワーレコードに向かいましたがなんとソールドアウトです。その代わりというわけではありませんが、真心ブラザースのニューアルバムを購入しました。

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<直筆メッセージ>PowerShot

レシートとは別にこのようなものがレジから出てきました。

メンバーのYo-kingと桜井秀俊からのお買い上げありがとうのメッセージです。ま、コピーではあるんですが、嬉しいことですよね。

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2020年10月28日 (水)

香取神宮と政治の匂い

2020年9月29日(火)

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<発酵の里こうざき>PowerShot

成田を9時くらいに出発し、香取神宮を目指します。前日、佐原を訪れましたが、同じく香取市にあります。

カーナビをセットし、高速を使わないルートにしたら、田んぼの中のカーブの続く狭い道を抜け、利根川沿いに出ました。前日は場所は違いましたが国道51号が大部分でこのルートではありません。ディーラーの純正カーナビとはいえ安いタイプだとこうなりますかね。

ともかく、利根川沿いの道は対向2車線でありながらセンターラインは白い破線で追い越し可能な道です。時折アホみたいに速いクルマが追い越しをかけてきます。最近のクルマはクルーズコントロールも標準で付いているのでこういうところは楽なんだろうなと思いました。

今では軽自動車にまで付いてますぜ。いかに自分のクルマがここ数年の間に古い世代になっていったかがわかります。

よくわからないのと休憩を兼ねて途中の道の駅で一休み。

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<入口>KP/DA18-50mm

ここに大きな駐車場があって無料です。きれいなトイレもあります。

この先は門前町風ですが半分くらいは開いてませんでした。

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<最初の鳥居>KP/DA18-50mm

香取神宮は山腹に作られたようで、なだらかな上り坂が続きます。略図で見るとかなり広大な敷地に見えましたが、成田山ほどではありませんでした。

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<二の鳥居>KP/DA18-50mm

だんだん見えてきました。さらに石段を進みます。

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<拝殿前の門>KP/DA18-50mm

入口と出口が分かれてます。

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<樽酒>KP/DA18-50mm

神事に日本酒は付き物のようです。北口本宮富士浅間神社にもありました。

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<拝殿>KP/DA18-50mm

なんでも「神宮」を名乗るのは伊勢神宮、鹿島神宮とここだけのようです。神社としての格もトップとのこと。

後年いくつかの神宮を名乗る神社ができましたが、上記の神宮は延喜式にまでさかのぼるようです。

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<内部の紋様>KP/DA18-50mm

ちょうど賽銭箱の上部あたりです。

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<休憩所>KP/DA18-50mm

拝殿の奥には昔の馬場があり、ちょっとした広場風になっていました。登ってみましたが特にどうってことはないですね。

桜の季節や紅葉の時は素晴らしいのかもしれませんが。

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<立札>KP/DA18-50mm

傍らには石碑のようなものが。

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<北朝鮮に行った政治家>KP/DA18-50mm

かつて、日航機「よど号」が赤軍派に乗っ取られた時、乗客解放と引き換えによど号に乗り込み犯人とともに北朝鮮まで行った政治家、山村新治郎のブロンズ像です。

このあたりの人だったんだ。

今や、赤軍派も歴史の狭間に忘れられたような存在ですが、この時の犯人はまだ生き残っていて北朝鮮にいます。

そういや日航機ってやたら乗っ取りにあってますよね。

<追記>
山村新治郎の銅像ですが、2体ありまして(画像の右隣)、気になって調べてみたら北朝鮮に行かれた新治郎さんの実父10代目「山村新治郎」氏でした。親子ともども衆議院議員。

北朝鮮に行かれた11代目新治郎さんですが、精神を病んでいた娘さんに刺されてお亡くなりになってました。それも、北朝鮮に再訪問する当日だったとか。なんとも悲劇的な最後ですね。

その後、山村家からは議員の跡継ぎは出ておりません。

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2020年10月27日 (火)

エスニック歌謡事始めプラスワン

かすてら音楽夜話Vol.97

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<クンバーコナム>K-7/DA16-50mm

ネタは結構たまっているでございますよ。ですが、4回に1回の音楽話をルーティンのように語っていきたいと思います。

画像はイメージでしかないのですが、今回のテーマは1970年代後半から1980年代前半にかけてリリースされた異国情緒のあるシングルなどを紹介します。

1978年4月

 

庄野真代「飛んでイスタンブール」(作詞:ちあき哲也 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀)でした。映像は「夜のヒットスタジオ」ですね。

この曲がリリースされた1978年頃は、一部のバックパッカーにはトルコやイスタンブールが知られていたと思います。ま、トルコと日本の関係は結構古いものの、そちらの事情を知る日本人はほぼいなかったでありましょう。

1977年に池田満寿夫(芸術家)が「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞し(その後映画化)、にわかに脚光を浴びるようになってきたのがヨーロッパとアジアの間にあるこの地域ですかね。

なお、沢木耕太郎の「深夜特急」は新聞連載もされていなかった時期です。

ちょっとブームになり、さらにそれを推し進めたのがこの曲かもしれません。バックパッカー以外にもパッケージツアーなどで高額を支払いこの地を訪れた人も増えてくるころでしょうか。

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<庄野真代>

この曲は真代さんが所属していた日本コロムビアの担当ディレクターが「無国籍なイメージ」でと筒美御大に曲を発注しました。リサーチが得意な筒美さんですから、真代さんの過去の曲を聴き、野口五郎用に書いて没にしたこのメロディを採用したようです。そして作詞をちあき哲也氏に発注しますが、やりすぎのように「イスタンブール」の韻を踏むものでした。

御大にしては珍しく「曲先」なんですが、仕上げのために曲の一部を変える。または、ちあき氏に詞をメロディに乗るようアドバイスもあったのではなかろうかと推測します。さらに、アレンジの船山氏にギリシアの楽器「ブズーキ」の使用を提案するなど、プロデューサー的な役割も果たしています。

「夜のヒットスタジオ」の映像では「ダン池田とニューブリード」の他、印象的なイントロとアウトロのためにギターかマンドリンのソロ演奏者を使っております。残念ながらブズーキではなさそうですが。この演奏は比較的オリジナルに近いです。

この時代、ブズーキを使用するといってもまず日本で演奏できる人がいたのかどうか。そしてまた、楽器が存在したのか。個人的に推測するならば、マンドリンかアコースティックギターあたりで代用したのだと思います。製作費かさんじゃいますからね。

真代さんは元々はシンガーソングライターで、当時の言葉では「ニューミュージック」にカテゴライズされる人でした。「飛んでイスタンブール」のリリースまでにシングル4枚、アルバム3枚をリリースしてました。とはいえ、すべてを自分の曲で歌うことにはそれほどこだわっていなかったようです。

そこに、この曲が来まして、真代さん最大のヒット曲となった次第です。ちなみに、次のシングルも同じ作者で「モンテカルロで乾杯」と同じような路線を狙いました。こちらはアレンジも筒美御大が請け負ってます。

そして、同年の紅白歌合戦にも出場します。ちなみに、「♪こんなジタンの空箱」を「♪こんな煙草の空箱」と変えて歌いました。さすがNHK、商品名には厳しいです。

真代さんはニューミュージック系ですが、マスメディアにも出るタイプでしたね。それ以前のフォークを引きずっている人やユーミンなどは決してテレビには出ませんでしたからね。真代さん、おまけに曲に振り付けもあるんですね。おそらくですが、ロックやニューミュージックからテレビに出演する先駆けのひとりでしょう。(他にはサザンやツイスト、原田真二などがいます)

1979年

 

ジュディ・オング「エーゲ海のテーマ~魅せられて」(作詞:阿木曜子 作編曲:筒美京平)でした。

筒美御大の追悼ニュースでやたらと流れた曲ですね。ジュディ・オング最大のヒット曲でもちろん、オリコン1位かつレコード大賞受賞曲です。筒美京平作品としても最大のヒット曲となりました。

曲ももちろんですが、あの腕を上げると袖の下が扇形になり羽のようになるクライマックスも話題でした。ミッツマングローブも真似をしたらしいです。

映像は曲のリリースから20年以上経った2000年のものですが、クオリティが高いので採用しました。

この曲は前述の「エーゲ海に捧ぐ」の映画化のためのCM曲として企画されたようです。結局は没になったようですが、ワコールのCMに使われ、その中で映画の映像も使われたようです。

こちらも、筒美御大の曲になりますが、阿木曜子が作詞しているので「詞先」でしょう。でも、筒美御大はすでに「飛んでイスタンブール」で実験済みなんですね。こちらも、ブズーキ風のフレーズが印象的です。

阿木さんの歌詞ですが、英語が含まれております。現在では歌番組で歌詞が出ますが、1979年当時はそんなものはありませんね。「♪Wind Is Browing From The Aegean」、はて?エイジアン?アジアじゃないんかい?などと思う人もいたはずですね。

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<スクリーンドレス>

ちなみに、羽を広げたような衣装、「スクリーンドレス」というそうです。ヒントは来日したダイアナ・ロスの衣装にあったそうですが。

これがなかったら、美川憲一と小林幸子の派手な衣装はなかったかもしれませんが。

日本人の作家が作った日本語の曲を中国人が歌い、そこに広がる世界観はエーゲ海やギリシアだという無国籍ぶり。本当に金のあるOL(今や死語)さんなんか本当に個人旅行であっちに行ってきた人もぼちぼち出てくるころかも。

ちなみに、レコード大賞ですが、西城秀樹の「ヤングマン」が外国曲ということで受賞資格がないため、「魅せられて」となったとのことです。

そして、この年はもう1曲あるんですよ。

 

久保田早紀「異邦人ーシルクロードのテーマ」(作詞作曲:久保田早紀 編曲:萩田光雄)でした。

「魅せられて」が1979年前半のヒット。それからおよそ半年後にリリースされ、デビュー曲であるにもかかわらず、オリコン1位を獲得することになります。

久保田さんはアイドル発掘のオーディションに間違って応募し、水着審査の代わりにピアノ弾き語りをしたところCBSソニー(当時)のディレクターの目にとまり、デビューまでこぎつけたそうです。

デビューも三洋電機(当時)のタイアップが決定しました。そのイメージ映像がアフガニスタンで撮影されたことで、タイトル「白い朝」から「異邦人」へと変更し、アレンジも萩田氏に依頼。思いっきりシルクロード風の曲になったのですね。

ここに絡んでいたプロデューサーが「魅せられて」を担当していた人で、エスニックなものを持ち込んだのですね。そして、萩田氏のアレンジが曲をここまで変えてしまう。久保田さんはもともと、自宅のある多摩地区で曲をイメージして作ったとのことで、こんな感じの曲になるとは思ってもいなかったようです。

企画とアレンジの勝利ですかね。

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ちなみに久保田さん、現在は結婚後の本名久米小百合として活動しております。

1979年、まだまだアフガニスタンには普通に行けたんですね。もちろん、ソ連侵攻前のことですし、危ないところじゃなかったと思うんですが。カブールも日本人パッカーがたくさんいたっていうしね。

おまけ

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エスニックでも何でもないんですが、紹介した3曲に先駆けてリリースされた中原理恵、「東京ららばい」(作詞:松本隆 作編曲:筒美京平)が印象的なんです。

 

東京という無国籍な世界を感じさせる松本隆の世界。「東京湾」と書いて「東京ベイ」と歌わせるのは松本隆だからできたことなんじゃないすかね。そんなことする作詞家いませんでしたから。

そして、1978年のデビュー時、19歳ですよ。すごく大人に見えます。そして美人ですね。

これは依頼が来たから引き受けたんでしょうけど、筒美御大がデビューしたての新人のファーストシングルのアレンジまで担当するのは異例なのではないでしょうか。

ま、そのアレンジ、イントロのフラメンコギターが印象的ですが、その前年1977年にサンタエスメラルダというグループの「悲しき願い」(原題:「Don't Let Me Be Misunderstood」)というヒット曲のパクリっぽいんですけど。ま、若気の至りってことで。

この曲もまた東京とうたってながらも、どこかエスニック系に聴こえるのはワタクシだけでしょうか。

それにしても、中原さん、「欽ドン」であのようになるとは。

★引き続きリクエスト、ご意見、コメントお待ちしております。今回、筒美京平トリビュートでもありましたね。

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2020年10月23日 (金)

世界遺産と七五三

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<北口本宮富士浅間神社>PowerShot

吉田のうどんを食べた後はこちらにやってきました。このあと、せんどそばを食べる予定なので、運動して腹を空かせないと。

この近くに出身大学の研修センターのようなところがあり、一度缶詰めになりましたが、ここは訪れたことがありません。ま、研修センターといっても実態は体育会の合宿などに使われるのだと思います。現在はなくなったみたいですが。

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<一本杉>PowerShot

途中から別れていますが、もともとはひとつの杉の大木です。樹齢千年だとか。

ここは山梨側の富士登山の起点だそうです。つまりここから登山道が続いているそうです。今年はコロナにより登山禁止ですが。

そして、富士山の世界遺産登録とともに、ここも世界遺産の登録物件となりました。

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<拝殿>PowerShot

神社なんでお参りをするメインの建物を本堂というのかどうか。調べましたら拝殿というのだそうです。その左右に樹齢1000年の大木があります。先割れの杉は右側ですね。

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<絵馬>PowerShot

たくさんの願掛けです。氏名は加工して見れなくしました。左側の絵馬はタイ文字ですね。

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<遠くに巫女さん>PowerShot

この時持参したのはコンデジのみ。ただ、倍率は高く960mm、デジタルズームを使えば1000mm越えも可能ですが、カメラ自体が軽くファインダーもないのでピンポイントを狙うショットは難しいですね。

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<稲荷神社>PowerShot

ここは万能なのかいろいろな神がいるようです。

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<七五三>PowerShot

まだだいぶ早いなと思いましたが、このような親子連れもよく見かけました。もうそんな季節ですかね。

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2020年10月22日 (木)

高級麺類とプーパッポンカリー

時を戻そうシリーズ、2003年4月でございます。

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<バンコク行きバス>MZ-3/FA28-105mm

ホテルからちょっと歩いてアユタヤ島内のバス乗り場へ。発車直前のバスを捕まえました。

当時はバックパックを使用していまして、その気になれば結構歩けました。でも、まあまあ近いところにあります。この時からずいぶん時間が経ってますが相変わらず普通の歩道みたいなところなんでしょうね。料金41バーツで、来た時より値段が安いのがよくわかりません。

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<当時のワールドトレードセンター>MZ-3/FA28-105mm

無事到着し、タクシーとBTSに乗り継ぎやってきたのがこの近くです。現在BIG Cのある裏手あたりにある小さなホテルに飛び込みで交渉し、2泊確保。あの辺りは再開発にあいましたのですでにホテルはないと思います。

ワールドトレードセンターはその後名称を変更し、セントラルワールドとなりました。当時、このビルから出てくると「靴を買いませんか?」というおばさんが登場しました。まあ、詐欺でしょうね。

王宮近くの船着場から降りてくると、「ワットポーは今日は休みだ」という人物がいましたが、これも同じです。

また、スネークセンターあたりを歩いていると、いきなりクルマから降りてきたおばさんが「〇〇へはどう行ったらいいんですか?」ときいてきたり。これらの人物、健在ですかね。

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<エラワン廟>MZ-3/FA28-105mm

近かったのでここに立ち寄りました。隣のデパートはかつては「そごう」でしたが、現在は撤退してタイ資本のデパートになりました。

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<高級バミー>Coolpix880

センチュリーハイアットの地下にある麺屋です。バミーナームカイ、鶏肉の中華麺スープあり。屋台価格の3倍くらいします。でも、美味かったですね。

ここはホテル内なので、飲食税が付くんです。チットロム界隈で屋台の麺料理などはまず見つかりませんね。一応、この店はガイドブックにあったので来てみました。

その後、先ほどのワールドトレードセンターなどでウィンドーショッピング。それでも、CDショップで日本人のアルバムを購入しました。そんなの、日本で買えばいいじゃんと思われそうですが、すでに日本では廃盤になってしまったものだったりします。

当時タイでは意味不明の日本語の書かれたTシャツなどもあり、けっこう日本があこがれの対象だったりしていました。今はそんなTシャツは売ってないし、日本人アーティストのCDも見つからないでしょう。

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<プーパッポンカリー>Coolpix880

夕食はサヤームまで歩き、シーファーという店に入りました。よくよく考えればシーファーはワールドトレードセンターにもあったわけですが。

カニのカレー炒めです。めっちゃ美味しかったですね。なんと、それ以来食べることがないと。この料理は年々高騰して、プーパッポンカリーの元祖ともいわれる店では大皿で1000バーツもするとか。

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<ヤムヌア>Coolpix880

牛肉のヤムです。もともと、シーファーはファミリーレストランみたいなところですので、それほど辛くなかったです。ビアシンも頼んで594バーツ。ここは妙な税金を加算しないので納得の値段ですかね。

これでタイには1週間ほどいたことになりますが、日焼けがすごかったです。腕は発疹が出ました。すでに「お肌の曲がり角(死語)」は過ぎていましたが、日焼け止めを塗るなんて発想はありませんでした。それを購入するようになるのはかなり後です。

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2020年10月21日 (水)

成田「駅そば」

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.15

2020年9月29日(火)

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<JR成田駅西口>KP/DA18-50mm

成田では駅近くにホテルを取りました。駅近くといってもJR成田駅西口はいささか寂しいです。

成田ではJRと京成に挟まれたいささか狭い範囲が繁華街となってます。京成側も東口はほぼ何もないんですが。3年前はそちらにあるアパホテルに泊まりましたが。

例によってホテルは朝食なしプランです。朝食付けて1000円プラスとかではやってられんですよ。

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<見つけ>KP/DA18-50mm

ま、泊っているホテルの側にまともな朝食を提供する店がないことはすでに確認済みです。5分ほど歩くJRと京成に挟まれた繁華街に行けば何かあるだろうと思っていました。

24時間営業の居酒屋とかもあるんですが、個人的には朝からガッツリいかなくてもOKな人間ですので、前日成田山に参拝するついでに見つけておいたここにします。

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<メニュー>PowerShot

大々的に宣伝してますね。自動ドアを押して入ると自動券売機があります。

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<店内>PowerShot

感染対策もばっちり。食券をおばちゃんに渡し、「蕎麦、温かいので」と告げます。すぐに出来ました。ま、そうじゃないと意味ないのですが、この手の店では。

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<かき揚げそば>PowerShot

まあ、無難なところですかね。輪切りのネギは比較的多めかも。そして、つゆはしっかりと濃いめですね。

まあ、千葉県は醤油の生産地ですからこうなることはわかっていました。

メニューによると、「かき揚げ天ぷらそば」というものがあるのですが、どう違うんでしょうか。当然ながらかき揚げ天ぷらのほうが高いです。エビでも入っているのでしょうか。こちらの「かき揚げ蕎麦」は野菜のみです。

まあ、時は逆流しますが先日訪れた富士吉田の吉田のうどんでは、てんぷらうどんが普通の野菜で、別に「エビ天」「ちくわ天」などありましたからね。

地方の内陸部って、親類の多い埼玉県北部などでは海産物がその昔はかなり貴重でして、祝祭時や法事の時の仕出し弁当などには変色したような刺身が必ず付いてきたものです。ま、今では物流もよくなりましたからそんなことはないのでしょうが。なので、今でも海産物は特別みたいな潜在的なものが名称として残っていると推測します。

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<お約束>PowerShot

ここ、出勤前のサラリーマンがばんばん入ってきます。いわば労働者のメシですか。

色の濃いつゆが蕎麦に合いますね。うどんに関しては関西人が何いっても構いませんが、蕎麦のつゆでどうのこうのいわれたくないです。

他のブログを見ていたら、以前は「門前そば」というものがあったみたいです。それによると、「ごぼうを中心に、椎茸や筍伊達巻などをのせたおかめそばに、地域由来のむすびごぼう天をのせました」とあります。めちゃくちゃ美味しそう。あれば頼んでたかも。

この、名前がないに等しい成田駅そばですが、JRの駅で駅名を冠して数店舗あるようです。かき揚げそば、460円でした。通常メニューは蕎麦・うどんと温冷の選択が可能です。また、ラーメンもあり選択肢は広めですね。

さ、身体も温まったので、チェックアウトして次に行きましょ。

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2020年10月20日 (火)

デンデケデケデケ歌謡

かすてら音楽夜話Vol.96

いきなりですけど、The Ventures(ザ・ヴェンチャーズ)です。YouTubeの映像は貴重な東京公演のものです。

ま、わたしゃ、詳しく知りませんが、エレキのインストゥルメンタルバンドであり、日本においては間違いなく彼らの影響でエレキブームが起きました。

この流れから加山雄三とランチャーズ~ザ・ワイルドワンズ~GSあたりへと流れていったのではないかと推測しますが。ちなみに、日本のエレキの元祖、寺内タケシはヴェンチャーズ以前からエレキを弾きだしております。なんでも幼少期から弦楽器に興味を持ち、第二次世界大戦中にエレキを自作したとのことです。ま、寺内タケシも少なからずヴェンチャーズの影響は受けているでしょう。

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<サーフボード>KP/DA21mm

日本と違い、アメリカではサーフィンサウンドの元祖ととらえられているようです。彼らの楽曲には「Diamond Head」や「Pipeline」といったサーフィンを連想させるものもあります。

デビューは1960年で、デビューシングルの「Walk Don't Run」はビルボード週間シングルチャート2位まで上がりました。彼らは数回メンバーチェンジしてますが、YouTube映像のラインナップ、Don Wilson(G)、Norkie Edwards(G)、Bob Bogle(B)、Mel Taylor(D)が最強かもしれません。

まあ、日本で影響を与えたといっても所詮金持ちの子女あたりしか、エレキギターをはじめとする楽器は手に入らないわけで、その様子は東宝映画「エレキの若大将」あたりが何となく伝えているかと。この映画で主演の若大将こと加山雄三は老舗料理屋の跡取り。助演の青大将こと田中邦衛はええとこのボンボン。蕎麦屋の出前持ち役の寺内タケシはいきなり触れたエレキギターでとんでもないフレーズをいきなり弾いてしまうという役でしたが、父親は土浦市議会議長で実業家でもあったわけです。ちなみに、内田裕也が「エレキ合戦」の司会役でした。

日本においてはビートルズよりも早く来日し、間違いなくビートルズよりも音楽界には影響を与えたはずです。

ヴェンチャーズですが、1960年代に数回来日していて、いたく日本が気に入ったようです。

と、いうことで、ここからが本日のテーマ。ヴェンチャーズが曲提供した日本の歌謡曲であります。

1曲目

 

記念すべきヴェンチャーズの提供曲第1作です。山内賢と和泉雅子「二人の銀座」(作詞:永六輔 作曲:The Ventures 編曲:川口真)でした。

1966年のヒット曲で、100万枚以上のセールスがあったといわれています。当時、オリコン(1967年創業)がありませんで、正確な集計ができておりません。この二人、日活映画で共演が多かったとのことです。当初は越路吹雪に提供されるはずでしたが、イメージに合わないとのことでこの二人に回ってきましたが、正解でしたね。

とはいえ、永六輔が歌詞を書き、川口真のアレンジでこの二人がデュエットするとどこがヴェンチャーズなんだという味わいになります。思いっきりドメスティックですね。ちなみに、和泉さんはのちに北極探検しちゃった人です。面影ないけど、どっちもすごい昔。

提供曲と書きましたが、ヴェンチャーズがオリジナルシングルのB面曲「Ginza Lights」としてアメリカでも発売されております。

 

ヴェンチャーズ版「Ginza Lights」、全然違いますね。

2曲目

 

渚ゆう子「京都慕情」(作詞:林春生 作曲:The Ventures 編曲:川口真)でした。

渚ゆう子さんはハワイアンのシンガーから歌謡界に転向してきた人です。実質的なデビュー曲ともいえるのがこの前作、「京都の恋」(1970年)で見事にオリコン週間シングルチャート1位を獲得してます。そちらも、ヴェンチャーズ(「二人の銀座」当時のメンバーではありません)の作曲です。

その、第2弾でいわば「二匹目のドジョウ」を狙ったものですけど、こちらもオリコン2位を獲得するヒットです。こちらの選曲をしたのは、まあ、個人的に好みだからですね。京都でありながらロードムービー的な味付けがなされ、独特の味わいがありますね。それに、キャリアが長いので、歌も上手いです。それにしても、外国人がよくぞこんな曲を作ったなという感じがします。

渚ゆう子さんですが、アルバム曲にはやはりヴェンチャーズ作曲の「長崎慕情」という曲もあります。この後、「三匹目のドジョウ」を狙った「さいはて慕情」というシングルをリリースしましたがオリコン6位とそこそこのヒットとなりました。ちなみに、作曲は筒美京平御大です。

ちなみに、ヴェンチャーズ版もあります。

 

原題は「Refrections In A Palace Lake」です。1970年代ともなると、ヴェンチャーズもアメリカではノスタルジックなバンドという認識でしょうか。とはいえ、各国には根強いファンがいて、この曲も日本でシングルとしてリリースされています。

以前はキーボードを入れてませんでしたが、1960年代のようなエレキのテクだけでは進展がないと感じたのか、1960年代後半からはキーボーディスともメンバーに加わってます。

こちらのオリジナル版も味わいありますね。演奏はスローになりましたが。

3曲目

 

再び登場の欧陽菲菲姉さんです。もう説明はいらんでしょう。日本デビュー曲にしてオリコン1位獲得の「雨の御堂筋」(作詞:林春生 作曲:The Ventures 編曲:川口真)です。

歌が上手いのは当然ですが、来日直後で日本語を当てるのが無理やりな感じもします。でも、それがよかったんでしょうかね。

 

ヴェンチャーズ版「Stranger In Midosuji」でした。当然こちらがオリジナルなんですが、バンドとしての躍動感は今一つなような。

こうしたインストゥルメンタルであるならば、特にヴェンチャーズでなくともいいかも…。つーか、ヴェンチャーズらしさがほぼ失われてますかね。

ともかく、ヴェンチャーズは1970年から1972年にかけてかなりの数の楽曲を日本の歌謡界に送り込んでいるのでした。

現在もヴェンチャーズは活動を続けています。しかし、1960年代前半の全盛期のメンバー中3名が亡くなり、残ったオリジナルメンバーでリーダーでもあるドン・ウィルソンはツアーからは退いたそうです。それでも、彼らは毎年のように来日し、オールドファンを楽しませてますね。

★引き続き、リクエスト、ご意見、コメントお待ちしております。お気軽にどうぞ。

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2020年10月18日 (日)

吉田のうどん

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.14

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<談合坂SA>PowerShot

「せんどそば」の続きです。

と、いうか、順番ではこっちが先です。

ヤムの会で富士山麓に遠征しました。速度の遅い台風のせいで1日延ばしたのですが、それでも天気が悪いです。おまけに渋滞なんかありまして、疲れましたので談合坂で休みます。

あー、こんなんだったっけかな。スタバはあるし、すき屋まであるじゃんか。ワタクシ的にはこういうのは求めていないんですが。

ま、いいや。今回の目的は別にあります。

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<店の名刺>PowerShot

まだ、霧雨状態ですが、ここにやってきました。吉田のうどん、「ふじや」ですね。名刺では「吉田うどん」となっておりますが、一般的には「吉田のうどん」と途中に「の」が入ります。なぜかはわかりません。

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<メニュー>PowerShot

富士吉田には人口規模としては驚くくらいの吉田のうどん専門店があります。では、なぜこの店を選んだのかというと、口コミ・評判の類ではなく、単に駐車場の収容台数が40台とハードルが低そうだったからです。

それでも、近くの高校とコラボしていて、メニュー右下の「黒ふじやうどん」はコラボの結果生まれたものだそうです。うどん生地に炭を混ぜたものだそうです。このメニューも高校生が作り上げたものだとか。

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<店内>PowerShot

プレハブ造りのような店ですが、履物は脱いで上がります。ほぼ座敷ですね。そして、11時頃だというのに、かなり混んでいました。密状態でもありますね。

オーダーし、出来上がったものを運んでもらう以外はセルフです。オーダーも、注文票に数字を書き込んでいく台湾方式ですね。これもさ、ラミネートしたメニューに消せる鉛筆で直接書き込んでいくようにすれば、日本語を読めない外国人も注文可能だし、注文票も省けますね。

このおかげで、同行の1名は「ネギ抜きで」と書き込むことができましたので、良しとしましょうか。

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<天ぷらうどん>PowerShot

ワタクシのオーダーです。黒ふじやうどんでもよかったんですが、お初の吉田のうどんですから、オーソドックスに行きました。「かけうどん」もあったと思いましたが、やや寂しいかなと思いまして。

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<肉うどん>PowerShot

正確にいうと、肉うどん・ネギ抜きです。肉は馬肉でございます。さすがは山梨県。ま、どの店にも馬肉の肉うどんがあるかは不明ですね。

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<レンコン煮物>PowerShot

こちらは、フリーのトッピングになります。味はきんぴらですが、スライス状態です。

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<すりだね>PowerShot

一見七味唐辛子ですが、それはS&Bのものがありますね。手前のものは唐辛子ベースの「すりだね」というものです。唐辛子のほかに山椒、ゴマなどがブレンドされています。普通の七味は乾燥してますが、すりだねは適度な水分を含んでますね。

もちろん、これも重要なトッピングのひとつで、入れたほうが美味しいです。このすりだねは店や家庭によってかなり違いがあると推測します。結構辛いです。七味より個人的にはすりだねが好みですね。

すりだね、こっちでも普及しないかな。店でも売ってるみたいでした。

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<リフトアップ>PowerShot

お約束です。まずはデフォルト状態から何も入れずに。うどんの麺ひとつひとつが極太ですし、箸で持ち上げても重量感というか質量がぎっしりということがわかります。

なもんで、あんまり上手くいかないのよ。

スープと麺がどんぶりの縁近くまでドーンとあります。さらに天ぷらというかかき揚げがのっております。

かき揚げをスープによくなじませ、麺から行きますね。もう、そこらの麺類と違ってチャチャっと食べることができません。箸に数本ひっかけて、ずずっとすするなんてことは不可能です。

しょうがないんで、1本ずつ食べる感じですね。それも、途中で噛み切って。

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<すりだねをON>PowerShot

スープは味噌と醤油がベースですね。関東のうどんつゆより、色は薄いです。でも、これはこれで絶妙に合っていますね。

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<天かすをON>PowerShot

続いて、天かすをのせます。天かすもテーブルに備わっております。すりだね、天かすは入れ放題。さらに、レンコンも取り放題です。

麺も予想通り、もちもちを通り越して弾力性があります。当社比ですが麺1本あたり丸亀製麺のうどんの2~3倍の小麦粉を使用しているのではないでしょうか。博多のうどんだったらさらに倍(by 大橋巨泉、古くてすいません)だったりして。

具はキャベツがたくさん入ってます。うどんにキャベツなんですが、よく煮込まれていて美味しいです。そして、色の薄めの油揚げが刻まれて入っています。ここのうどんのメニューの違いはトッピングですかね。

涼しいこともありますが、我々全員温かいスープうどんにしました。冷たいものもあります。でも、やっぱりお勧めは温かいほうですかね。

天ぷらうどん、520円でした。大盛りもできるみたいですが、普通でも量がたっぷりですし、結構腹にたまります。これ、十分1食になりますよ。ちなみに、肉うどんは460円です。

吉田うどんふじや

↑このホームページ古いみたいで、値段は違いますね。

富士吉田の吉田うどん専門店ですが、ほとんどの店が14:00くらいまでか、麺がなくなったら閉店なんですよ。そういう営業形態でも、潰れない富士吉田市民に定着した外食産業ですよね。これって、結構すごいことだと思いますね。

また、機会があったら別の店を訪問してみたいものです。結構今回の味はB級グルメとして個人的に評価が高いですよ。

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<富士山>PowerShot

このあと、晴れました。日頃の行いがいいから?

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2020年10月17日 (土)

アユタヤゲストハウス街の夕食

久々、時を戻そうシリーズです。2003年3月のアユタヤでございます。

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<渡し舟>MZ-3/FA28-105mm

ロッブリーからアユタヤに鉄道で戻りました。再び、2バーツの渡し舟でアユタヤ本島に戻ります。

写真はないのですが、アユタヤ駅から船着き場への道で、カトゥーイを初めて目撃したのですね。ちょうど下校時間に当たっていたらしく、制服の学生が前からやってきました。男子はハーフパンツというか「半ズボン」だったので、高校生ということになります。

その、男子高校生の一団の中に、制服は男子のものでしたが、口紅を塗り、仕草は女性というカトゥーイが混じっていたんですね。なるほど、噂にはきいていましたが、高校生にもLGBTの人が堂々とカミングアウトして存在しているんだと思いました。ま、その後たくさん見かけることになるんですが。

ホテルに戻り、軽くシャワーを浴びたのち、ホテル前で待機していたトゥクトゥクと交渉して、回りきっていないアユタヤのスポットを回ってもらいました。今なら、絶対やりません。体力も気力もありましたね。

さて、アユタヤ最後の夕食です。さすがに3泊もしますと、アユタヤ本島の中心当たりの事情はわかってきます。近くにゲストハウス街があり、そのゲストハウスの一部はレストランもやっています。そこにしましょう。

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<イエローカリー>Coolpix880

入ったのは「Tony's Place」というゲストハウスのレストランです。

あまり観光客も見かけなかったアユタヤですが、いわゆるファランはここには割といました。日本人はバンコクではたくさん見かけました。でも、アユタヤではほとんど見かけません。パッケージツアーの日本人はたまにいます。店はそこそこの賑わいでした。

案内してくれたのは日本語を少しだけ話す少女に見える女性でした。ここは非冷房のところですが、日中のように暑くありません。ですが、蚊が出没するのに参りました。

頼んだものは、イエローカリーとヤムウンセン、ご飯とビアチャーンの缶です。

ゲストハウスもこのレストランも観光客としては比較的安いところだと思いますが、ファランの好みに合わせてか照明がかなり落としてあります。英文のメニューに従えば「イエローカリー」ということになりますが、実態はどうなんでしょう。見た目はいわゆるグリーンカリー、「ケーンキアオワーン」に見えますね。

でも、グリーンカリー独特の辛さがありませんでした。ちょっと間違うとむせるような。味的に辛さをかなり抑えてあります。しかし、メモでは美味いとありました。

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<ヤムウンセン?>Coolpix880

確かに、春雨らしいものは確認できます。エビのようなシーフードも入ってますね。

でも、この時のデジカメの性能は悪いですね。何しろ、寄って撮影できないです。それに、フラッシュを使用しているはずですね。この数年後に、RICOHのGR DIGITALというカメラを購入しました。まだ、高感度の撮影には対応できずに、暗い場所というか室内ではフラッシュが必要でしたが、マクロ機能があってかなりきれいに撮れます。

現在のデジカメは室内であってもフラッシュをほぼ使用せずにきれいに撮ることができます。また、特にマクロ機能はないのですが、最接近で2cmまで寄れますので、この時の画像とは比較になりません。それに、カメラに使うストレージが変わり、劇的に安価になったので画質も上がり、それを何枚も撮れます。

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<ごはん>Coolpix880

当時の雰囲気を感じられたかどうか。デジカメでもこんな具合です。メインカメラはもちろん、フィルムを使ってました。この時は、ネガカラーフィルムで、すべて自分でスキャンしておりました。

デジタル一眼レフはとても手が出ない価格でした。

ビールも飲んで200バーツ。今なら、300から400バーツあたりでしょうかね。

★ネタが結構たまってきてますが、この2003年春のタイ旅レポはたまに記事にします。まだ、もうちょっとあります。

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2020年10月15日 (木)

成田屋

2020年9月28日(月)

佐原から予定では香取神宮に行く予定でしたが、時間も押していてそのまま宿泊地の成田へ。ちょうどチェックイン時間にホテルの付属駐車場に止めることができました。

さ、あとは荷物を置いて、成田山にでも行きましょう。

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<成田山への参道>KP/DA18-50mm

次第に観光地っぽくなってきます。

成田山へは過去2度ほど来ております。最初はエアインディアがディレイした挙句、成田泊まりとなった時のこと。もちろん、宿泊代金はエアインディア持ちです。でも、荷物預けていたので、着替えとかないんですよ。

2度目は数年前にヤムの会でワットパクナム日本別院に行った時。ま、そんなに真面目に観光はしてないですね。

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<うなぎの川豊>KP/DA18-50mm

参道は下り坂となります。

それにしても、参道で時折見かけるレインボーカラーのこの旗。インドやネパールで見かける、ブッダが身体から発した光線の色を模した旗に酷似してます。いや、ほとんど同じかも。

まあ、成田は外国人がたくさんやってきますからね。仏教徒のインド・ネパール人あたりが伝えたものかもしれません。なんと、この日夕食をとった店ではインド人が店員でしたからね。とにかく、この旗、日本ではここ以外見たことないです。

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<割烹旅館>KP/DA18-50mm

なんともクラシックというかレトロな建築物がこの辺りには多いです。

とはいえ、土産物屋も飲食店も夕方5時くらいには店じまいをしてしまうんです。

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<成田山新勝寺>KP/DA18-50mm

もうほとんど夕刻。参拝客も少ないです。

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<本堂と三重塔>KP/DA18-50mm

実に静かですね。

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<屋根裏の紋様>KP/DA18-50mm

じっくり見るとこんなになってるんですね。初めて知りましたよ。

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<世界幸福塔>KP/DA18-50mm

さらに奥まで行ってみました。正確にいうとこの辺りは成田山公園なのかな。名称はどこかの宗教系政党名みたいですが、記憶違いかもしれません。

この辺りは数えるほどしか人がいません。しかも、在日外国人たちが自国の言葉で話していましたね。あとは、成田高校陸上部(滝田監督や増田明美氏で有名)の連中が走っていましたね。

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<ちょっと休憩>KP/DA18-50mm

本堂に戻り、旅や家族の安全を祈り、休憩です。

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<歴代團十郎>PowerShot

さすがは成田屋です。歌舞伎界全く詳しくないですが、こことやっぱり関係があるんだね。

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<成田屋の面々>PowerShot

海老…じゃなかったこの人、13代目なんすね。新之助で武蔵やってた頃からそれほど時間が経ってない気もしますが。

市川團十郎という名跡は断絶しそうになって何回か養子縁組が行われたりしてます。

ま、歌舞伎役者といっても全員が跡取り息子というわけでもないからな。一般人出身の「黒崎」とか竹内結子の元旦那とかいますしね。

少しだけためになった成田山でした。

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2020年10月14日 (水)

道の駅なるさわ

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.13

台風一過(といっていいのか疑問ですが)の日曜日、河口湖周辺にヤムの会で行ってきました。

皆さんアップが早いんで、まだ誰も書いていないところから狙っていきましょう。

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<河口湖からの富士山>PowerShot

すでに昼を回っております。朝から天気はいまいちでしたが、持ち直し富士山の見える新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)に行ったのち、河口湖北西部にある大石公園にやってきました。

ここも富士山が一望のもと見えるところです。でも、晴れていればね。

おりしも、雲が中腹から山頂部を覆い、全貌は見えませんでした。この日はダメでしたが、天気のいい秋であれば早朝から午前の早い時間帯であれば、すっきりした富士山が見えたはずです。昼から午後にかけては大気中の水蒸気が増えるので、雲がかかる確率が高くなるのですね。

天気が良くて無風状態のときであれば、見事に逆さ富士が出現したことでしょう。

なんで、ここを知っていたかというと、仕事関連です。数回来ました。

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<富士山博物館>PowerShot

大石公園から河口湖の西岸経由で鳴沢村へ。到着したのは「道の駅なるさわ」です。ここも、富士山がさらに近くで見えるはずです。でも、さらに雲は増えていました。

ここから見る富士山ですが、迫力ありますよ(見えなかったけどね)。ここも仕事がらみで来ているんですね。その迫力ですが、ポカラから見るヒマラヤにも匹敵するかもしれません(ほめすぎかな)。

道の駅、ドライバーやライダーの休憩スポットです。最近は多様化が進み、地場物産等を販売していたり、ドッグランなどもあります。ここには、富士山博物館があり、太っ腹なことに無料です。ま、実態は半分貴石類の販売所でもあるんですが。

山梨で石といえば水晶。水晶といえば印鑑の素材でもありますね。押印省略の流れから印鑑廃止へと風潮ができつつありますが、山梨の判子業界、さあどうする?

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<メニュー>PowerShot

さて、本題です。ここに来たのは鳴沢村名物を食べるためです。道の駅なるさわでは、軽食堂という感じのところでした。したがってメニューは少ないです。

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<軽食堂内部>PowerShot

口頭注文ではなく、自動券売機で食券を購入し、窓口で渡して出来上がりを待つ流れになってます。受け取りから片付けまでセルフですね。ほぼ、駅の立ち食い蕎麦やうどんの店と同じです。

店員2名くらいでやってます。省エネ営業です。そして、右手に見える大きな窓からは富士山が見えるはずです…晴れていれば。この窓がなかったら暴動が起きるかもよ。

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<ソーシャルディスタンス>PowerShot

きっちり守られていますね。アクリル板はありません。

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<せんどそば>PowerShot

呼ばれたので、券と引き換えです。券には番号があり、番号と料理名をコールされます。

頼んだものはせんどそば、500円でございます。蕎麦の上に大根の千切りがのっております。薬味として、味噌が付きます。

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<鳥もつ煮>PowerShot

サイドメニューとして鳥もつ煮、600円でございます。こちらは3人でシェアしました。

山梨県は鳥もつ煮が比較的食べられています。隠れた名物といっていいのかもしれません。

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<薬味>PowerShot

青南蛮味噌というそうです。細かく刻まれた唐辛子と味噌を合わせたものですが、ほとんど辛味はありません。こちらは、あとで蕎麦に入れてみましょうか。

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<お約束>PowerShot

リフトアップです。大根のほかに、具は山菜とネギの輪切りです。出されたままの状態だと、大根の千切りだけの味がするような気がしまして、よ~く混ぜました。

悪い意味じゃなくて、「田舎の蕎麦」という味です。蕎麦が打ち立てとか、つゆが美味いとかもなく、ごく普通の蕎麦です。ただし、かなり量が多いですね。大根だけは生なので、大根が混じるとやや味変しますね。山菜はもしかしたら当地の「鳴沢菜」かもしれません。どういう種類の野菜か、くたくたに煮込まれていてわかりませんでしたが。

ちなみに、「鳴沢菜ごはんとせんどそばセット」というのもありますね。ご飯には合うかもしれません。

さて、味噌を入れての味変ですが、少しだけピリッとしたかな。

味は正直普通ですが、具材の珍しさからして、B級ですわ。それでも入口のところにせんどそばの表彰状がありました。道の駅B級グルメでしたかね。それも2枚。

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<もつ煮>PowerShot

サイドメニューのもつ煮ですが、いわゆる「きんかん」入りです。でも、ひとつだけですね。

モツはコリコリした部分ではなく、レバーの柔らかいところですね。でも、臭みはなく食べやすいです。

我々、関東人からすると、もつ煮ってもっとくすんだ茶色のイメージなんです。でも、ここのは照りがあって、きれいな茶色ですね。何かこのあたりに山梨のもつ煮の秘密がありそうですが。

道の駅なるさわ

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2020年10月13日 (火)

佐原のレトロな建物

2020年9月28日(月)

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<伊能忠敬像>KP/DA18-50mm

前回のエントリーからしばらく間が開いてしまいました。再び佐原です。

ここは江戸時代後期にかなり正確な日本地図を作製した、伊能忠敬の生誕地です。もちろん、生家もあります。わたしゃ、大学で地理学を専攻しておりまして、それがゆえに佐原に行ってみようかというひとつの動機になっていたりします。

西洋から学問的な知識や測量の技術や道具が入ってこない時代に日本全国を測量して、当時としてはものすごく正確な地図を作り上げたわけですから、偉業なわけですね。

で、ここは伊能忠敬記念館に隣接する(自分がクルマを止めた)駐車場あたりなんです。残念ながら伊能忠敬記念館は月曜日休業でした。ちょっと下調べが足りませんでした。

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<カフェ>KP/DA18-50mm

古民家を改装したカフェですね。このような感じで、小野川沿いの建物はレトロ感で統一されています。おそらくは条例とかがあり、現代風の建築物は建てられないのではないかと思います。

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<土産物屋>KP/DA18-50mm

古そうな蔵が付属する建物。もう数メートル右へ行くと、忠敬橋になります。忠敬橋には信号があり、そこだけ自動車道と交差します。

こちらの商店ですが、ホテルも兼業してます。左手に行くと本館があり泊まれるようになってます。お高いでしょうね。

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<こちらも土産物店>KP/DA18-50mm

ファンタのレトロなホーロー看板が目印です。元から付いていたのか、探し出して付けたものなのか。

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<成田線付近>KP/DA18-50mm

佐原のレトロな街並みは成田線と小野川が交差するあたりまでで終了。

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<小野川>KP/DA18-50mm

レトロ感満載ですが、特にインパクトのある建物があるわけでもなし。古民家がずっと続く感じです。そして川沿いには小さな置物がさりげなく置かれていたりします。

この両側は遊歩道的ではありますが、自動車通行可能です。

今回写真では出しませんでしたが、病院とか美容院などもあります。さすがにモルタル造りでしたが、景観を壊さない昭和的な建物でした。

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<製餡所>KP/DA18-50mm

レトロ好きなタイ人にはまだ知られていないようです。もう少しレトロ感を強調するような看板や工夫をすると混雑するようになるかも。

ショック再び

Tsushumi

作曲家の筒美京平さんがお亡くなりになりました。享年80歳だそうです。

死因は病気療養を続けていた中での誤嚥性肺炎だそうです。まあ、年々世に送り出す曲が減ってきてはいたんですよね。

かすてら音楽夜話で取り上げたばかり。なので、エドワード・ヴァンヘイレンみたいに追悼記事は書きませんが、かすてら音楽夜話では今後も京平さんの曲を何度も取り上げるはずですので、またよろしくお願いします。

だ・か・ら、生前に国民栄誉賞あげといてよ。

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2020年10月 9日 (金)

追悼、Edward Van Halen

かすてら音楽夜話Vol.95

アメリカのハードロックバンド、Van Halenのギタリスト、Edward Van Halen(エドワード・ヴァンヘイレン)が咽頭がんのためお亡くなりになりました。

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かつて、ここでもヴァンヘイレンを取り上げました。その時彼が癌の治療を継続していることはわかっていたのですが、あまりにも若い死です。享年65歳。

エディはギター(エレクトリックギター)を両手の指を使って弾くいわゆる「ライトハンド奏法」で知られます。ただ、この呼び方は和製英語というか日本だけの呼び方で、あちらでは「タッピング」(弦を弾くのではなく、指で押さえつけるようにすることにより音を出すこと)の一つとして理解されていますね。

タッピングはギター演奏中にギタリストがフレーズの合間に取り入れることはありますね。ただ、エディの場合はこれをすさまじい速さで連続して行いました。そういう弾き方をそれまで行う人がいなかったわけで、いわばギター演奏の革命ともいえます。(この奏法はアコースティックギターのようにヘビーゲージの弦では音がほとんど出ないため、エレクトリックギターのように、ピックアップで音を拾い、アンプで音を増幅することでしか実現しません。)

また、エディは普段の演奏では右手にピックを持っているので、そこからライトハンドに切り替えるとき、親指と人差し指の間にピックを挟んでいるのでしょうか。これまた、技術がいりますよね。

それでは、エディの演奏を映像から偲びましょうか。

 

1978年のデビュー曲「You Really Got Me」でした。

これはイギリスのバンド、Kinksのカバーですが、もはやヴァンヘイレンの曲ともいっていいほどです。映像はおそらく、アメリカのテレビ番組でのライヴですが、デビュー当時日本では音源は入ってきていたものの、映像となるとさっぱりです。ま、それはほとんどどのミュージシャンやシンガーについてもいえるのですが。

そのころ、真冬でしたが、月食だったか流星群だったかの天体観測のため、仲間内で市内の某所にテントを張り、夜通し空を見ていたことがありました。寒くてたまりませんでしたが。それを凌ぐのにラジオをかけFENだったか、ラジオ関東(当時)のアメリカントップ40だったかを流している最中にこの曲がかかったのを覚えています。

今なら、迷惑行為で通報されるところです。当時は人気もないような荒れ地でテントを張っていたので大丈夫だったんですね。やあ、いい時代ですね。

 

1982年のシングル、「(Oh) Pretty Woman」でした。

こちらも、Roy Orbison(ロイ・オービソン)の1964年のビルボード1位獲得曲のカバーです。のちにリチャード・ギアとジュリア・ロバーツ主演の映画「プリティ・ウーマン」の主題歌としてロイ・オービソンの曲が使用されました。結果的にかつてのスター、ロイ・オービソンが復活するきっかけともなった曲です。

こちら、プロモーションビデオになってますね。すでに、アメリカではMTVというミュージックビデオを流すテレビ局もできていましたし、日本でも「ベストヒットUSA」という番組が映像とともに英米のヒット曲を紹介するようになっていました。つまり、ヴァンヘイレンも顔がわかるようになってきたのですね。

ただ、当時のプロモーションビデオはこのようにストーリー性を持たせたものが多く、バンドが演奏しているシーンがないというのが残念です。特にこの映像、二分脊椎の人物を登場させるなど、現在ではテレビでは流せませんね。

 

1984年のビルボード1位獲得曲、「Jump」でした。こちらは、メンバー4名の共作となります。ついに、オリジナル曲でトップに輝くことができたのです。

映像はライヴ風ではありますが、プロモーション用のもので、音源はオリジナルシングルと同じです。この曲が収録された『1984』からはシンセサイザーも取り入れられました。担当するのはエディでしたが、実際に演奏するときはどうするのか興味がありますね。まあ、サポートプレイヤーを入れるんでしょうが。

「You Really Got Me」と「Jump」ではエディの「ライトハンド奏法」が映ります。それをもっと堪能できるのが次の映像です。

 

マイケル・ジャクソンの「Beat It」という曲のギターソロです。画質悪いですが。

当時のマイケル・ジャクソン、飛ぶ鳥を落とす勢いです。この曲を含むアルバム『Thriller』はオリコンアルバムチャート1位になりましたが、同時期にリリースされたヴァンヘイレンの『1984』はマイケルにずっと阻止され2位どまりという話も付け加えておきましょう。

「Beat It」にエディが起用されたのはやはりそのギターテクニックがあったからでしょう。しかし、エディはこの依頼をほとんどボランディアのような形で無報酬で行ったそうです。いやあ、もったいない。

ジミ・ヘンドリクスや三大ギタリスト(クラプトン、ベック、ペイジ)以降、スティーヴ・ルカサーやブライアン・メイ、ピーター・フランプトンなどのスーパーギタリストが出現しましたが、エディは新しいタイプのギターヒーローですね。もしかしたら、エディ以降のギタリストで彼を超えるものはいないのではないか。唯一無二の存在でしょう。

最後に、エディとアレックス(ドラムス)のヴァンヘイレン兄弟ですが、オランダ系アメリカ人ということになってますが、母親はなんとインドネシア人なんです。エディのあの親しみやすい微笑みは我々に近いアジアにルーツがあったのですかね。

そして、エディを失ったヴァンヘイレンですが、存続は難しいんじゃないかな。ヴォーカルやベースのメンバーチェンジが可能でも、エディのギターがなくてはヴァンヘイレンというバンドのサウンドは成り立ちませんからね。あるいは息子のウォルフガング(ベース)がそのDNAを継いで頑張る…無理だと思うけど。

唯一できるとしたら、エディのフレーズをサンプリングし、後任のギタリストはリズムだけに徹するくらいでしょうか。ホント、エディを失ったことは大きいよ。

★今回急遽エディを取り上げました。2020年になってから追悼企画多いですね。引き続きコメント、ご要望、ご意見受け付けております。お気軽にどうぞ。

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2020年10月 7日 (水)

水郷佐原

2020年9月28日(月)

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<小野川>KP/DA18-50mm

自宅を8:30頃出まして、千葉の佐原に向かいます。

経路は東名横浜町田ICから首都高を経由して東関東自動車道の大栄IC下車で、そこからは一般道です。

カーナビの設定では12時前に到着の約3時間程度でした。月末だったためにか、自宅付近の一般道が比較的混んでました。途中のSA(サービスエリア)やPA(パーキングエリア)での休憩を2回。

佐原には観光用の駐車場が数ヵ所あるのですが、事前に調べた駐車台数の一番多いところをカーナビに設定しました。電話番号がないのでGoogle Mapで出てきた住所をカーナビに入力。これが間違いだったのですね。情報にミスがあり微妙にずれた山の中に導かれてしまいました。クルマのすれ違い不可。よくぞ、クルマをぶつけなかったものです。

いったん、近くのコンビニで「いのうただたか」とカーナビに入力すると、伊能忠敬記念館が出てきて、当初のところにたどり着きました。やあ、長かったです。

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<小江戸佐原>KP/DA18-50mm

佐原の昔の街並みが残るのはJR成田線と小野川が交差するあたりから上流に向かって1kmあたりでしょうか。川の両岸に古い町並みが残っています。

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<観光船>KP/DA18-50mm

小野川は一級河川という表示がありましたが、あまり流れが感じられません。下川裕治が見たら、「運河」といい切ることでしょう。彼はマラッカのオールドタウンを流れるマラッカ川を著書の中で運河と書いているのです。

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<乗客と船頭>KP/DA18-50mm

観光船といっても手漕ぎボートではなく、モーター船でした。このような時期でもあり、平日でもあるので、客は少ないですね。

この先で利根川に流入する小野川ですが、清流とはいえないまでも魚が確認できました。

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<昔の郵便ポスト>KP/DA18-50mm

もともと、このあたりに設置されていたポストだとは思いますが、復元されたものかもしれません。とにかく、このエリアには新型のポストは見かけませんでした。

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<樋橋>KP/DA18-50mm

この向かいが伊能忠敬邸です。この橋は送水システムがあり、農業用水として使われていたようです。

30分に1回、この橋の中ほどから小野川に水が落ちるそうですが、タイミングが合いませんでした。

本日はこのあたりで。

ショ~ック

ハードロックバンド、Van Halenのギタリスト、Edward Van Halenが闘病むなしくお亡くなりになりました。

癌治療のことは知っていたんですけどね。まさか、こんなに早くこういうことになるとは。いずれ、記事で取り上げます。合掌。

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2020年10月 6日 (火)

スパイダース!

かすてら音楽夜話Vol.94

今回はThe Spidersについてでございます。

カテゴリーとしてはグループサウンズ(GS、思いっきり和製英語です)にカテゴライズされると思いますが、リーダーの田辺昭知がビッグバンドやロカビリー系のスウィングウエスト出身ですので、のちにGSの中心となるタイガースやテンプターズたちよりは1世代前からキャリアを積んだ、いわば実力派であるといえましょう。

Spiders

ここではスパイダースじたいの活動についてはそれほど触れません。スパイダースの解散は1970年ですが、その後の彼らの活動が凄いんです。ここでは、解散後の彼らを追ってみることにします。全員ではありませんがね。

田辺昭知

スパイダースのリーダーであり、ドラムス担当です。スパイダースの解散前にホリプロ(当時の社長はスウィングウエストのメンバー)から独立し、スパイダクションを設立しました。そして自身もマネージメントに専念するためミュージシャンから引退しました(後任のドラマーと交代)。

スパイダクションが大きくなり、1973年に田辺エージェンシーと改称。所属タレントにはタモリと堺正章がいます。のちに小林麻美と結婚し、現在も社長業を継続しております。

スパイダースのメンバーはほとんどが田辺氏がヘッドハンティングする形でメンバーに引き入れています。当初からマネージメントに優れた才能があったのですね。

堺正章

現在素人カラオケ番組などでMCをしているマチャアキですが、「チューボーですよ」等のMC、「西遊記」「時間ですよ」等の俳優などのマルチタレントとして活躍も知られます。

もともとは喜劇役者、堺駿二の次男で、子役として活動後、1962年に16歳でスパイダースに加入します。これは、田辺氏が堺駿二のもとに通い続け実現したとのことです。

バンドではヴォーカルを担当します。音楽的キャリアはまったくないので、タンバリンも担当していました。代表曲として「夕陽が泣いてる」のリードヴォーカルを担当しました。

 

堺正章「さらば恋人」(作詞:北山修 作編曲:筒美京平)でした。

この曲はマチャアキの実質ソロデビューシングルです。オリコンシングル週間チャートでは2位止まりでしたが年間チャートでは10位にランクしているマチャアキの代表曲です。

シンガーとしてのマチャアキは「さらば恋人」以外には「時間ですよ」の劇中歌「街の灯り」があるくらいで、あまりヒットには恵まれていませんが、1980年代の終わりくらいまで年間2~3枚のシングルをリリースしていました。

歌手としての活動よりも俳優やMCとしての活動が多忙であり、「新春かくし芸大会」での個人芸を毎年披露するなどの多才ぶりを発揮します。まあ、芸能界になくてはならないマルチタレントなんでしょう。

「さらば恋人」ですが、ジャケットがいかにも時代を感じさせますね。ヒッピームーヴメントは終わりかけていましたが、ジャケット写真のベルボトムのジーンズに太いベルトは当時流行りました。何を隠そう、ワタクシも少ない小遣いを握りしめて、このシングルを買いに行きましたよ。1枚450円だったかな。

なお、後年の1999年にはかまやつひろし、井上堯之と「ソン・フィルトル」を結成し紅白にも出場しました。まあ、これは余興みたいなものです。

井上順

現在、TVKだったかTOKYO MXだったかのテレビショッピングなどにたまに出てくるおじさんですね。彼は1963年に自らスパイダースに加入を申し出ています。

それまでにも、遊び人グループ「六本木野獣会」の最年少メンバーであり、のちのジャガーズの前身バンドにも加わっていたことがあったようです。まあ、いいとこの坊ちゃんで目立ちたがりであったということでしょう。

スパイダースでは同学年(井上順は早生まれ)の堺正章とツインヴォーカルを担当します。やはり、担当楽器はタンバリンだったりします。スパイダース時代の代表曲は「なんとなくなんとなく」です。セリフもあります。

 

井上順「お世話になりました」(作詞:山上路夫 作編曲:筒美京平)でした。

井上順もスパイダース解散後の1971年、堺と歩調を合わせるようにソロデビューします。ソロデビュー曲は「昨日・今日・明日」(作詞:阿久悠 作編曲:都倉俊一)で、堺よりやや早いシングルリリースでした。このあたりは、二人とも「スパイダクション」所属でしたので、社長の田辺氏の戦略もあったと思われます。

なお、ソロデビュー時には井上順ではなく、「井上順之」(いのうえじゅんじ)と名乗っていました。「お世話になりました」はセカンドシングルです。井上順もコンスタントにシングルをリリースするのですが、なかなかヒットに結び付きません。その間にも当時存在したコニカのカメラなどのCMに起用され、現在も誰もが自然に使う「ピースサイン」を「ピース!」といって流行語となるなど、お茶の間の好感度は高かったと思います。

井上順の最も偉大な仕事としては「夜のヒットスタジオ」の司会を吉村真理とともに長年務めたことでしょう。出演者について些細なエピソードを駄洒落などで紹介しつつも、絶対に出演者を持ち上げる姿勢は、スパイダース時代にMCで培った賜物でしょう。

実を申せば、わたしゃ、マチャアキよりも井上順のファンだったことがあり、シングルを4枚くらい購入しました。

かまやつひろし

残念ながらお亡くなりになったかまやつさんですが、晩年は「ムッシュかまやつ」名義の活動が多かったです。

スパイダース加入前からウエスタンやロカビリー系のソロ活動を行っていて、田辺氏とともにメンバーの中では最も長いキャリアを持っていました。そして、田辺氏がスパイダースを結成するにあたって一番最初に声をかけたのがかまやつさんで、かまやつさんがその人脈の中からスパイダースのメンバーを集めたといわれています。

担当楽器はギターで、サイドギターに回りました。実力的にはもうひとりのギタリスト、井上堯之(スパイダース在籍時は井上孝之)よりもテクニックがありましたが、あえて井上を鍛え上げるためにサイドに徹したようです。

また、スパイダースの楽曲のソングライターでもあり、この人がいなければスパイダースは成り立たないポジションでもありました。メンバー中いかにもミュージシャンという感じです。

 

かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(作詞・作曲:かまやつひろし)でした。

かまやつさんもスパイダース解散後、ソロ活動に打って出ますが、堺正章や井上順と違いいわゆる歌謡界とは違うノリで独特の存在感を発揮していきました。かまやつさんの代表曲としてはまず上がるのが「我が良き友よ」(作詞・作曲:吉田拓郎)です。こちらはバンカラという古風なスタイルで本来のかまやつさんとはかけ離れた曲ではありますが、オリコン週間シングルチャート1位を獲得し、90万枚のヒットとなりました。

「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は「我が良き友よ」(1975年)のB面曲です。本来の自分と違うノリでA面が制作されたことで、B面は好きなようにやらせてもらおうと、ダメもとでアメリカのホーンセクション、Tower Of Powerにオファーを出し、Tower Of PowerもOKを出したという、A面よりも製作費を使った珍しいパターンの曲です。

なお、YouTubeの映像は「セブンスターショー」で荒井由実と共演した時のものです。バックバンドはティンパンアレーですね。この映像は貴重でして、いつ削除されるかわかりません。

念のため、別テイクもリンクを付けておきます。

女性バンドとのテイク オリジナルシングル

スパイダース時代後半からのかまやつさんのヘアスタイルですが、ロッド・スチュワートを真似たものだそうです。ただ、これはカツラ疑惑もあります。

井上堯之&大野克夫

井上堯之はスパイダースのリードギタリストです。なんと、前職が板前という経歴があり、テレビのオーディション番組から芸能の世界に入り、ギターも独学しスパイダースでリードギターも担当するようになった努力の人です。

大野克夫はスパイダースのキーボード担当です。ハワイアンバンドからスパイダースに勧誘を受け加入しました。スティールギターやオルガンなどを担当していました。

スパイダース解散後、井上と大野はタイガース、テンプターズのメンバーらとPYG(ピッグ)を結成しますが、沢田研二のソロ活動、萩原健一の俳優業が多忙になるにあたり、解散することになります。

そして、次に結成されたのが井上堯之バンドです。誰もが知っているインストナンバーがこちら。

 

「太陽にほえろ!」(作曲:大野克夫)でした。

ドラマ「太陽にほえろ!」は萩原健一が出演していました。このテーマ曲はインストゥルメンタルとしては異例のオリコン24位を記録しています。

その後も萩原主演の「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」のテーマソングを手がけました。

また、沢田主演の「悪魔のようなあいつ」のテーマも手掛けています。

そして、沢田研二のバックバンドとしても活躍してます。大野は「時の過行くままに」以降しばらくは沢田の曲の作編曲を任せられてました。

井上堯之バンド解散後は大野克夫バンドとして引き継がれ、「太陽にほえろ!」や「名探偵コナン」のサウンドトラックを担当しています。

やあ、それにしても多彩なスパイダースの面々でした。こういうバンドも今後現れることはないでしょうね。

★引き続きリクエスト、ご要望、ご意見等募集しております。

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2020年10月 3日 (土)

千葉・茨城ドライブ旅

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<東関東自動車道>*画像はネットから拾いました。

2泊3日で千葉と茨城に行ってきました。といっても、Go To トラベルの始まる直前に戻ったので、その恩恵はありません。

海外旅行が当分できそうになく、だったら国内かといろいろ考えてきました。まず頭に浮かんだのが北海道でした。実は30年ほど前に2回クルマで北海道を回ったことがあります。当時はLCCもなく、レンタカーも高いのでフェリーに車を載せて北海道まで往復しました。宿泊日数はもはや覚えてませんが、この2回で北海道の海岸線の走れるルートを走破したはずです。

じゃ、やってみるかと思いましたが、昨今の他県ナンバー狩り、他県から来る人への無言の圧力等に悩まされ、自衛策としてドライブレコーダーを取り付けたり。ま、その間に季節はどんどんと過ぎていくわけで。

考えてみれば、マイカーを長距離ドライブするというのは長らくなくて、まずはどの程度できるのかということで、ものは試しと今回に至ったわけです。

クルマで行くわけですから、現地では駐車場付きの宿が必要です。そうなると必然的にシティホテルということになってきます。ま、2食付きの観光ホテルという手もなくはないのですが、それはいささか高いです。そして、混雑(特に高速道路)するのが嫌なので、平日に行くことにしました。

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<サービスエリア>PowerShot

まあ、ひどい渋滞はなくほぼ時間通りに事が進みました。ただし、東関東自動車道は渋滞こそありませんでしたが、浦安から先のインターチェンジいくつかで手前数kmくらいから路肩に渋滞が発生しておりました。本線は走れるのですが。

そして、カーナビ付きのクルマとはいえ、見事に迷ったところが1か所。これは、Google Mapから住所を割り出し、カーナビに住所を打ち込んだところ、妙なところに案内されたということです。おそらくは、ネット上に表記される住所は衛星などを基にしているので、ほんの少しの誤差が如実に反映されるということです。あるいは、ネットの情報が間違っているとかですね。

一番いいのは、その名称で検索することですかね。次が電話番号をカーナビに入力すること。でも、電話がどこかの代表番号だったりするとこれもダメなんですね。とにかく、6年前のカーナビであるので、機能も最新ではないのですね。

ま、考えてみれば30年前はカーナビもなく、紙の地図を覚えたり、信号待ちの間にその都度地図を見たりして目的地に到着できたりしたのですが。

Cidp045

<某観光地>KP/DA18-50mm

これまでの海外旅行では、乗り物に乗っている間、休めました。今回はそれがありません。必然的に回れる個所も少なくなります。

そうした体力的なことを加味しますと、できるだけ荷物もコンパクトがいいってことですかね。結構でかいリュックに、PENTAXのデジイチを詰めて行きましたが(さすがに交換レンズは持参せず)、これも次回からは考え直しますかね。

ま、結構回る箇所が少なく、移動距離もそれほどではありませんでしたが、想像以上に体力使いました。ドライブ自体にはそれほど支障はなかったですけど。

となると、北海道は2021年ですかね。当然道が凍らない季節で。

ま、こんな感じで今後近場を回ることが増えると思います。Go To トラベルも十二分に使わせてもらわなければ。

とりあえず、次回からレポを入れていきますが、異文化体験ではないのですぐに終わると思いますね。

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2020年10月 2日 (金)

鉄道でロッブリー往復

近県ショートトリップの画像ですが、まだ処理しきっておりません。その他に、何を話題にするかというこちらの問題もありますので、これまた次あたりですかね。

ま、そんなに期待するほどの内容ではありませんので、さらっと流しましょうかね。

と、いうことですので、2003年3月に時を戻そう。

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<チャオプロム市場前>MZ-3/FA28-105mm

これ、17年前のアユタヤ島内中心部の様子です。雰囲気的には現在とあまり変わってません。

ただ、自転車三輪タクシーの「サムロー」がいたんですね。何を隠そう、今気づきました。現在は消滅しています。

アユタヤはバンコク以上に起伏のないところなので、サムローでもいい商売になると思います。ただ、それはアユタヤ島内に限ります。アユタヤ島外に出るには立体交差になっている片側2車線の陸橋を超えるか、渡し船にサムローごと乗せる必要があります。後者は絶対無理でしょう。陸橋はかなり危険ですね。もっとも、わたしゃ3年前に自転車で数回わたりましたが、もうやりたくないです。

これまでのアユタヤ2泊で、アユタヤのだいたいは回ってしまったので、ロッブリーに行くことにしました。歩き方の巻末には鉄道の時刻表があり、これなら無理なく往復できそうなので、行くことにしました。ただし、アユタヤ駅はアユタヤ島外にあります。

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<渡し船乗り場>MZ-3/FA28-105mm

ホテルから渡し船乗り場までは徒歩数分で到着します。当時は渡し船は2ルートあり、料金は短いルートが1バーツで、川を斜行するルートが2バーツでした。川を斜行するルートはチャオプラム市場近くから出て、駅に近いところに到着します。1バーツのルートはチャオプラム市場からやや遠めのところから出て、駅側には2バーツの渡し船と同じところに到着します。

3年前アユタヤに行きましたが、短いルートのほうが廃止になっていたようでした。

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<アユタヤ駅>MZ-3/FA28-105mm

アユタヤの先で行き先が分かれます。ロッブリーはチェンマイ方面のいわゆる「北本線」になります。

料金は11バーツ。今でも変わらないでしょう。窓口では切符を問題なく買えました。しかし、当時のアユタヤ駅にはアルファベット表記のものは、バンコク方面とノンカイ・チェンマイ方面という、ざっとした列車の方向を示すものだけでした。ものすごく不安です。なにしろ、列車を間違うとロッブリーに接近することなくノンカイまたはウボンラチャタニー方面に行ってしまうのですから。しかも時刻通り来ませんし。

何回も駅員に確認しました。それで何とか間違わず、列車に乗れました。

座席指定のないチケットです。それでも先頭付近の僧侶の横が空いていました。僧侶専用座席ではありません。信心深いタイ人でしたらこの席は遠慮することでしょう。普通列車なのに、物売りがかなり乗っていました。

さて、列車に乗ってもまだまだ不安がありました。ロッブリーがアユタヤからどのくらいかわからないのですね。到着する駅でその駅と次の駅を確認できます。でも、大きなタイ文字の下に小さく書かれたアルファベットだけが頼りなんです。しかも、窓側に乗ったタイ人はほとんどが窓の遮光板(日よけというには大げさなシロモノ)をおろしてしまい、あまり外が確認できないんですね。

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<ロッブリー駅>MZ-3/FA28-105mm

それでも何とかロッブリーに到着し、降りることができました。

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<首のない仏像>MZ-3/FA28-105mm

廃墟となった寺院です。ロッブリーもアユタヤ王国がビルマによって徹底的に破壊されたところです。アユタヤと同じように首をはねられた仏像があります。同じ上座部仏教を信じる同士であってもこういうことはするんですね。

また、このような仏像にも袈裟のような布を巻いてあげるというタイ人の優しさをこの時初めて知ったような気がします。

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<猿生息地>MZ-3/FA28-105mm

ここは実に猿が多いです。

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<ロッブリーの猿>MZ-3/FA28-105mm

駅の付近は猿のテリトリーではないようでした。ただ、もう少し北上すると、街中であっても猿が出没していました。

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<昼食>Coolpix880

帰りの時刻を気にしながら、駅に近いところにちょっと洒落た、いわゆるカフェ風の店がありました。でも、客はタイ人ばかりです。でも、英語メニューがありました。

それによると、「Spicy Thai Noodle」です。具は海鮮ですね。麺もクイッティアオぽくないです。ずっとパッタイだと思い込んでいましたが、あらためて画像を見てみると、パットキーマオのようです。それもスパゲティを使ったスパゲッティ・パットキーマオなのかもしれません。これ、結構美味かったです。ペプシも頼んで50バーツでした。当時としては高めですかね。

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<帰りの列車>MZ-3/FA28-105mm

帰りの列車の切符を窓口で購入しようとしたら、係員が「早い列車があるけど、どう?」ときいてきました。迷わず購入しましたが、40バーツしました。乗る予定の前の「Rapid」という快速です。いずれにせよ、遅れて到着したし、座ることもできませんでした。もちろん、冷房もなしです。結局は疲れたでございます。

雰囲気的にはあまり変わらないかもしれませんが、ディーゼルカーのカラーリングは今と違いますね。こうして、タイ6日目にして、SRTに乗ることができました。

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