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2020年10月20日 (火)

デンデケデケデケ歌謡

かすてら音楽夜話Vol.96

いきなりですけど、The Ventures(ザ・ヴェンチャーズ)です。YouTubeの映像は貴重な東京公演のものです。

ま、わたしゃ、詳しく知りませんが、エレキのインストゥルメンタルバンドであり、日本においては間違いなく彼らの影響でエレキブームが起きました。

この流れから加山雄三とランチャーズ~ザ・ワイルドワンズ~GSあたりへと流れていったのではないかと推測しますが。ちなみに、日本のエレキの元祖、寺内タケシはヴェンチャーズ以前からエレキを弾きだしております。なんでも幼少期から弦楽器に興味を持ち、第二次世界大戦中にエレキを自作したとのことです。ま、寺内タケシも少なからずヴェンチャーズの影響は受けているでしょう。

Hw0375

<サーフボード>KP/DA21mm

日本と違い、アメリカではサーフィンサウンドの元祖ととらえられているようです。彼らの楽曲には「Diamond Head」や「Pipeline」といったサーフィンを連想させるものもあります。

デビューは1960年で、デビューシングルの「Walk Don't Run」はビルボード週間シングルチャート2位まで上がりました。彼らは数回メンバーチェンジしてますが、YouTube映像のラインナップ、Don Wilson(G)、Norkie Edwards(G)、Bob Bogle(B)、Mel Taylor(D)が最強かもしれません。

まあ、日本で影響を与えたといっても所詮金持ちの子女あたりしか、エレキギターをはじめとする楽器は手に入らないわけで、その様子は東宝映画「エレキの若大将」あたりが何となく伝えているかと。この映画で主演の若大将こと加山雄三は老舗料理屋の跡取り。助演の青大将こと田中邦衛はええとこのボンボン。蕎麦屋の出前持ち役の寺内タケシはいきなり触れたエレキギターでとんでもないフレーズをいきなり弾いてしまうという役でしたが、父親は土浦市議会議長で実業家でもあったわけです。ちなみに、内田裕也が「エレキ合戦」の司会役でした。

日本においてはビートルズよりも早く来日し、間違いなくビートルズよりも音楽界には影響を与えたはずです。

ヴェンチャーズですが、1960年代に数回来日していて、いたく日本が気に入ったようです。

と、いうことで、ここからが本日のテーマ。ヴェンチャーズが曲提供した日本の歌謡曲であります。

1曲目

 

記念すべきヴェンチャーズの提供曲第1作です。山内賢と和泉雅子「二人の銀座」(作詞:永六輔 作曲:The Ventures 編曲:川口真)でした。

1966年のヒット曲で、100万枚以上のセールスがあったといわれています。当時、オリコン(1967年創業)がありませんで、正確な集計ができておりません。この二人、日活映画で共演が多かったとのことです。当初は越路吹雪に提供されるはずでしたが、イメージに合わないとのことでこの二人に回ってきましたが、正解でしたね。

とはいえ、永六輔が歌詞を書き、川口真のアレンジでこの二人がデュエットするとどこがヴェンチャーズなんだという味わいになります。思いっきりドメスティックですね。ちなみに、和泉さんはのちに北極探検しちゃった人です。面影ないけど、どっちもすごい昔。

提供曲と書きましたが、ヴェンチャーズがオリジナルシングルのB面曲「Ginza Lights」としてアメリカでも発売されております。

 

ヴェンチャーズ版「Ginza Lights」、全然違いますね。

2曲目

 

渚ゆう子「京都慕情」(作詞:林春生 作曲:The Ventures 編曲:川口真)でした。

渚ゆう子さんはハワイアンのシンガーから歌謡界に転向してきた人です。実質的なデビュー曲ともいえるのがこの前作、「京都の恋」(1970年)で見事にオリコン週間シングルチャート1位を獲得してます。そちらも、ヴェンチャーズ(「二人の銀座」当時のメンバーではありません)の作曲です。

その、第2弾でいわば「二匹目のドジョウ」を狙ったものですけど、こちらもオリコン2位を獲得するヒットです。こちらの選曲をしたのは、まあ、個人的に好みだからですね。京都でありながらロードムービー的な味付けがなされ、独特の味わいがありますね。それに、キャリアが長いので、歌も上手いです。それにしても、外国人がよくぞこんな曲を作ったなという感じがします。

渚ゆう子さんですが、アルバム曲にはやはりヴェンチャーズ作曲の「長崎慕情」という曲もあります。この後、「三匹目のドジョウ」を狙った「さいはて慕情」というシングルをリリースしましたがオリコン6位とそこそこのヒットとなりました。ちなみに、作曲は筒美京平御大です。

ちなみに、ヴェンチャーズ版もあります。

 

原題は「Refrections In A Palace Lake」です。1970年代ともなると、ヴェンチャーズもアメリカではノスタルジックなバンドという認識でしょうか。とはいえ、各国には根強いファンがいて、この曲も日本でシングルとしてリリースされています。

以前はキーボードを入れてませんでしたが、1960年代のようなエレキのテクだけでは進展がないと感じたのか、1960年代後半からはキーボーディスともメンバーに加わってます。

こちらのオリジナル版も味わいありますね。演奏はスローになりましたが。

3曲目

 

再び登場の欧陽菲菲姉さんです。もう説明はいらんでしょう。日本デビュー曲にしてオリコン1位獲得の「雨の御堂筋」(作詞:林春生 作曲:The Ventures 編曲:川口真)です。

歌が上手いのは当然ですが、来日直後で日本語を当てるのが無理やりな感じもします。でも、それがよかったんでしょうかね。

 

ヴェンチャーズ版「Stranger In Midosuji」でした。当然こちらがオリジナルなんですが、バンドとしての躍動感は今一つなような。

こうしたインストゥルメンタルであるならば、特にヴェンチャーズでなくともいいかも…。つーか、ヴェンチャーズらしさがほぼ失われてますかね。

ともかく、ヴェンチャーズは1970年から1972年にかけてかなりの数の楽曲を日本の歌謡界に送り込んでいるのでした。

現在もヴェンチャーズは活動を続けています。しかし、1960年代前半の全盛期のメンバー中3名が亡くなり、残ったオリジナルメンバーでリーダーでもあるドン・ウィルソンはツアーからは退いたそうです。それでも、彼らは毎年のように来日し、オールドファンを楽しませてますね。

★引き続き、リクエスト、ご意見、コメントお待ちしております。お気軽にどうぞ。

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コメント

私の友人の義父母が、まさに
みゆき族だったらしいのですが。
ま、ワタシの産まれる前なので
果てしないはなしですよね。
話題は変わりますが、
今でもエルヴィスとか
カントリーの大御所を押さえていないと
年配のアメリカンとは
付き合えませんねぇ。

投稿: ペンタのP | 2020年11月16日 (月) 02時02分

ペンタのPさん。
みゆき族あたりでいえば、エド山口とかモト冬樹兄弟ですかね。
あの年代ですよ。
ただ、金持ちの子供でないとファッション的にみゆき族にはなれないので、その世代すべてがみゆき族ということにはなりませんね。
あと、細野晴臣とか松本隆とかですかね。
大瀧詠一は違いますね。
エルビスのファンのお方は、すでに80越えてるんじゃないかと思うんですが。
カントリーは代替わりしながら今でも特定のファン層を維持してると思いますけど。
ま、ワタクシには年配のアメリカ人の知人はいないのでよくわかりませんけど、現在のそのような方はウッドストック世代なんじゃないかと。

音楽的に深い話ができましたので、またよろしくお願いします。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年11月16日 (月) 21時17分

色々、対論させていただきます。
友人の義父母は80歳台で、加山雄三より
先にヨットをお持ちでした。
石原裕次郎も只の素人時期に
見たそうです。

投稿: ペンタのP | 2020年11月17日 (火) 00時57分

ペンタのPさん。
ワタクシの大学時代の友人で茅ケ崎在住者がいます。
すっかりと加山雄三気分の人物でしたが、茅ケ崎住人にとっては、若大将と桑田佳祐は唯一無二の存在みたいですね。
なんたって彼の地には「加山雄三通り」もありますし。
加山氏も光伸丸が火災沈没となり、激しく痛めつけられたんじゃないすかね。
80歳の時にはアルフィーやももクロとミュージックフェアに出演し、とても80には見えない風貌でしたが、脳梗塞などで入院したくらいからは人前に出なくなりました。
石原家は葉山に住んでいたんですね。
あのあたりで目立つ行動をしていたら、だれでも知ってたんじゃないすかね。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年11月17日 (火) 21時39分

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