スパイダース!
かすてら音楽夜話Vol.94
今回はThe Spidersについてでございます。
カテゴリーとしてはグループサウンズ(GS、思いっきり和製英語です)にカテゴライズされると思いますが、リーダーの田辺昭知がビッグバンドやロカビリー系のスウィングウエスト出身ですので、のちにGSの中心となるタイガースやテンプターズたちよりは1世代前からキャリアを積んだ、いわば実力派であるといえましょう。
ここではスパイダースじたいの活動についてはそれほど触れません。スパイダースの解散は1970年ですが、その後の彼らの活動が凄いんです。ここでは、解散後の彼らを追ってみることにします。全員ではありませんがね。
田辺昭知
スパイダースのリーダーであり、ドラムス担当です。スパイダースの解散前にホリプロ(当時の社長はスウィングウエストのメンバー)から独立し、スパイダクションを設立しました。そして自身もマネージメントに専念するためミュージシャンから引退しました(後任のドラマーと交代)。
スパイダクションが大きくなり、1973年に田辺エージェンシーと改称。所属タレントにはタモリと堺正章がいます。のちに小林麻美と結婚し、現在も社長業を継続しております。
スパイダースのメンバーはほとんどが田辺氏がヘッドハンティングする形でメンバーに引き入れています。当初からマネージメントに優れた才能があったのですね。
堺正章
現在素人カラオケ番組などでMCをしているマチャアキですが、「チューボーですよ」等のMC、「西遊記」「時間ですよ」等の俳優などのマルチタレントとして活躍も知られます。
もともとは喜劇役者、堺駿二の次男で、子役として活動後、1962年に16歳でスパイダースに加入します。これは、田辺氏が堺駿二のもとに通い続け実現したとのことです。
バンドではヴォーカルを担当します。音楽的キャリアはまったくないので、タンバリンも担当していました。代表曲として「夕陽が泣いてる」のリードヴォーカルを担当しました。
堺正章「さらば恋人」(作詞:北山修 作編曲:筒美京平)でした。
この曲はマチャアキの実質ソロデビューシングルです。オリコンシングル週間チャートでは2位止まりでしたが年間チャートでは10位にランクしているマチャアキの代表曲です。
シンガーとしてのマチャアキは「さらば恋人」以外には「時間ですよ」の劇中歌「街の灯り」があるくらいで、あまりヒットには恵まれていませんが、1980年代の終わりくらいまで年間2~3枚のシングルをリリースしていました。
歌手としての活動よりも俳優やMCとしての活動が多忙であり、「新春かくし芸大会」での個人芸を毎年披露するなどの多才ぶりを発揮します。まあ、芸能界になくてはならないマルチタレントなんでしょう。
「さらば恋人」ですが、ジャケットがいかにも時代を感じさせますね。ヒッピームーヴメントは終わりかけていましたが、ジャケット写真のベルボトムのジーンズに太いベルトは当時流行りました。何を隠そう、ワタクシも少ない小遣いを握りしめて、このシングルを買いに行きましたよ。1枚450円だったかな。
なお、後年の1999年にはかまやつひろし、井上堯之と「ソン・フィルトル」を結成し紅白にも出場しました。まあ、これは余興みたいなものです。
井上順
現在、TVKだったかTOKYO MXだったかのテレビショッピングなどにたまに出てくるおじさんですね。彼は1963年に自らスパイダースに加入を申し出ています。
それまでにも、遊び人グループ「六本木野獣会」の最年少メンバーであり、のちのジャガーズの前身バンドにも加わっていたことがあったようです。まあ、いいとこの坊ちゃんで目立ちたがりであったということでしょう。
スパイダースでは同学年(井上順は早生まれ)の堺正章とツインヴォーカルを担当します。やはり、担当楽器はタンバリンだったりします。スパイダース時代の代表曲は「なんとなくなんとなく」です。セリフもあります。
井上順「お世話になりました」(作詞:山上路夫 作編曲:筒美京平)でした。
井上順もスパイダース解散後の1971年、堺と歩調を合わせるようにソロデビューします。ソロデビュー曲は「昨日・今日・明日」(作詞:阿久悠 作編曲:都倉俊一)で、堺よりやや早いシングルリリースでした。このあたりは、二人とも「スパイダクション」所属でしたので、社長の田辺氏の戦略もあったと思われます。
なお、ソロデビュー時には井上順ではなく、「井上順之」(いのうえじゅんじ)と名乗っていました。「お世話になりました」はセカンドシングルです。井上順もコンスタントにシングルをリリースするのですが、なかなかヒットに結び付きません。その間にも当時存在したコニカのカメラなどのCMに起用され、現在も誰もが自然に使う「ピースサイン」を「ピース!」といって流行語となるなど、お茶の間の好感度は高かったと思います。
井上順の最も偉大な仕事としては「夜のヒットスタジオ」の司会を吉村真理とともに長年務めたことでしょう。出演者について些細なエピソードを駄洒落などで紹介しつつも、絶対に出演者を持ち上げる姿勢は、スパイダース時代にMCで培った賜物でしょう。
実を申せば、わたしゃ、マチャアキよりも井上順のファンだったことがあり、シングルを4枚くらい購入しました。
かまやつひろし
残念ながらお亡くなりになったかまやつさんですが、晩年は「ムッシュかまやつ」名義の活動が多かったです。
スパイダース加入前からウエスタンやロカビリー系のソロ活動を行っていて、田辺氏とともにメンバーの中では最も長いキャリアを持っていました。そして、田辺氏がスパイダースを結成するにあたって一番最初に声をかけたのがかまやつさんで、かまやつさんがその人脈の中からスパイダースのメンバーを集めたといわれています。
担当楽器はギターで、サイドギターに回りました。実力的にはもうひとりのギタリスト、井上堯之(スパイダース在籍時は井上孝之)よりもテクニックがありましたが、あえて井上を鍛え上げるためにサイドに徹したようです。
また、スパイダースの楽曲のソングライターでもあり、この人がいなければスパイダースは成り立たないポジションでもありました。メンバー中いかにもミュージシャンという感じです。
かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(作詞・作曲:かまやつひろし)でした。
かまやつさんもスパイダース解散後、ソロ活動に打って出ますが、堺正章や井上順と違いいわゆる歌謡界とは違うノリで独特の存在感を発揮していきました。かまやつさんの代表曲としてはまず上がるのが「我が良き友よ」(作詞・作曲:吉田拓郎)です。こちらはバンカラという古風なスタイルで本来のかまやつさんとはかけ離れた曲ではありますが、オリコン週間シングルチャート1位を獲得し、90万枚のヒットとなりました。
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は「我が良き友よ」(1975年)のB面曲です。本来の自分と違うノリでA面が制作されたことで、B面は好きなようにやらせてもらおうと、ダメもとでアメリカのホーンセクション、Tower Of Powerにオファーを出し、Tower Of PowerもOKを出したという、A面よりも製作費を使った珍しいパターンの曲です。
なお、YouTubeの映像は「セブンスターショー」で荒井由実と共演した時のものです。バックバンドはティンパンアレーですね。この映像は貴重でして、いつ削除されるかわかりません。
念のため、別テイクもリンクを付けておきます。
スパイダース時代後半からのかまやつさんのヘアスタイルですが、ロッド・スチュワートを真似たものだそうです。ただ、これはカツラ疑惑もあります。
井上堯之&大野克夫
井上堯之はスパイダースのリードギタリストです。なんと、前職が板前という経歴があり、テレビのオーディション番組から芸能の世界に入り、ギターも独学しスパイダースでリードギターも担当するようになった努力の人です。
大野克夫はスパイダースのキーボード担当です。ハワイアンバンドからスパイダースに勧誘を受け加入しました。スティールギターやオルガンなどを担当していました。
スパイダース解散後、井上と大野はタイガース、テンプターズのメンバーらとPYG(ピッグ)を結成しますが、沢田研二のソロ活動、萩原健一の俳優業が多忙になるにあたり、解散することになります。
そして、次に結成されたのが井上堯之バンドです。誰もが知っているインストナンバーがこちら。
「太陽にほえろ!」(作曲:大野克夫)でした。
ドラマ「太陽にほえろ!」は萩原健一が出演していました。このテーマ曲はインストゥルメンタルとしては異例のオリコン24位を記録しています。
その後も萩原主演の「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」のテーマソングを手がけました。
また、沢田主演の「悪魔のようなあいつ」のテーマも手掛けています。
そして、沢田研二のバックバンドとしても活躍してます。大野は「時の過行くままに」以降しばらくは沢田の曲の作編曲を任せられてました。
井上堯之バンド解散後は大野克夫バンドとして引き継がれ、「太陽にほえろ!」や「名探偵コナン」のサウンドトラックを担当しています。
やあ、それにしても多彩なスパイダースの面々でした。こういうバンドも今後現れることはないでしょうね。
★引き続きリクエスト、ご要望、ご意見等募集しております。
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コメント
今日は堺さんです。
この方と”みの”御法川さんは
番組こそ結構観ていましたが。
人物として好きではありません。
それでも、「街の灯り」はカラオケで
よく歌っていました。
しかし、少しでも年下の者と飲んでいると
この曲を全く知らない場合が多いですね。
盛り下がるんですよ。
喝采、ブルーライトヨコハマ、瀬戸の花嫁
あたりとは格段の差がある感じです。
投稿: ペンタのP | 2020年10月11日 (日) 16時15分
ペンタのPさん。
現在の社会状況ではみのもんたのようなタイプの人物はMCとして受け入れられませんよね。
それは、島田紳助みたいに自分の小宇宙を持っていて、それを出演者に絶対突き合わせるというタイプ。
和田アキ子もそんな感じでしたが、彼女は時代に合わせて変化してます。
タモリなんかは押しが強くないので、いつまでも受け入れられますかね。
あとは、押しが強くても人間性で受け入れられる明石家さんまとかですかね。
さて、堺正章、今では大御所です。
子役からスパイダースの顔として「ザ・芸能界」が染みついていると思うんですが。
Wikiで堺正章をググると、事務所での後輩、タモリ(人生経験では先輩)に関するエピソードが書かれてます。
真偽のほどはわかりませんが。<態度豹変
堺正章の楽曲としてはやっぱり「さらば恋人」が個人的には一番だなと思います。
この曲はですね、歌が上手く聴こえるんですよ。
堺正章の実力というよりも、ワタクシは京平マジックなんだと思います。
「街の灯り」の下りですが、47年も前の曲ですから、ペンタのPさんの後輩が何歳か存じませけど、年を追って知らない世代が増えていくんじゃないすかね。
盛り下がるんじゃなくて、「どうだ、こんないい曲があるんだぞ」と下のジェネレーションに伝えるんです。
それこそ、「The Covers」の世界でしょ。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年10月12日 (月) 01時10分
折りも折り。再投稿です。
実を申せば、わたしゃ、マチャアキよりも井上順のファンだったことがあり、シングルを4枚くらい購入しました。
>>この方は、本当にネガティブな記録が
ないですねぇ。
実に稀有ですよ。ミヤジすら、
色々あるんですから(笑)。
さて、
それより「太陽にほえろ」で女性刑事だか
何かが映っているのが(多分シンコ?)関根さん。
味わい深いですねぇ。
投稿: ペンタのP | 2020年10月13日 (火) 03時55分
ペンタのPさん。
井上順は芸能界で最も自分を前面に出さない人かもしれませんね。
スパイダース時代、一番最後に加入し、かつ最年少だったため身に着けた生き残る術だったのかもしれません。
でも、往年のギャグでも披露されますが、堺正章にだけは対等に接してましたね。
「太陽にほえろ!」のジャケットは100回記念みたいで、松田優作と婚約中の関根恵子ですね。
あくまでもドラマ上のことですが。
投稿: ヒョウちゃん | 2020年10月13日 (火) 08時04分