かすてら音楽夜話Vol.99
今でこそ、テレビの歌番組にロックバンドが出演するのもごく普通ですが、1970年代以前はまるで考えられないことでした。その禁を破るのが今回紹介する3組です。現在もバリバリで活躍する3組。テレビで見たときにはかなりの衝撃を受けました。
Char
Charの「気絶するほど悩ましい」(作詞:阿久悠、作曲:梅垣達志、編曲:佐藤準)でした。
Charは早熟の天才ですね。1955年生まれで8歳でギターを手にします。そして高校1年の時にはすでにスタジオミュージシャンとして活動していました。
1973年にスモーキー・メディスンを結成し、1976年にソロデビューします。翌年の「気絶するほど悩ましい」はセカンドシングルとなります。ですが、自作ではなく職業作家の提供曲です。
Charはギターの腕を見込まれたこともありますが、ある意味ルックスでデビューできたようなところがあります。当然ながら自作曲で勝負する方法もあったでしょうが、それまで歩んできたロック界と異なるテレビや歌謡界では相当な違いがあり、Char自身も悩みぬいたと思います。しかし、彼はロックをメジャーにするため、この曲を受け入れました。
その後、数曲自身がヴォーカルを務めるシングルをリリースしますが、ソロ活動からバンド活動へと移行することになります。それ以降の活躍については割愛します。
ともかく、Charがテレビに出ることがなければその後の道もかなり遅れたと思われます。ソロデビュー時に21歳で柔軟な考え方があったことからこれは実現したといえましょう。「気絶するほど悩ましい」はオリコン12位まで上昇し、当時のロックとしては異例の大ヒットとなります。
原田真二

原田真二のデビュー曲、「てぃーんず ぶるーす」(作詞:松本隆、作曲:原田真二、編曲:鈴木茂・瀬尾一三)でした。
原田真二は1958年生まれで、高校生の時に吉田拓郎らが設立したフォーライフレコードの新人オーディションの中から発掘された人材です。1977年に青学に入学するため上京しプロデビューが決まります。
この曲は原田が高校生の時に作っていたものですが、デビューに際して安パイ路線を行く吉田拓郎は吉田の曲で行こうとしていたようです。しかし原田は自作曲で行かせてほしいと懇願したようです。しかし、作詞は松本隆に依頼し、変更されました。
これも、デビューに不安のある吉田拓郎の親心みたいなものでしょうか。しかし、曲はオリコン6位となるヒットを記録し、その後の「キャンディ」、「シャドーボクサー」、「タイムトラベル」と続くいずれも、松本・原田のコンビでヒットを記録します。
YouTubeの映像は「夜のヒットスタジオ」のものですが、「ザ・ベストテン」にも出演しています。
当時18歳というルックスが受け、テレビにも引っ張りだこだったのですが、業界受けは悪かったようです。
というのも、テレビ用に用意されたバンドのサウンドではなくあくまでも自身のバンドにこだわる原田と音響スタッフが揉めていたとのことです。テレビ側も正論。また、原田も正論なんですが、まだティーンエイジャーの原田に意見されて誰もが気分を害するのも当然ですよね。
しかし、この原田のオピニオンがのちに生きてくるのです。そうでなければバンドサウンドをテレビで提供できなかったでしょうからね。なんにつけ、パイオニアは辛いですね。
その後の原田は自身のイメージするサウンドへとこだわり、作詞も自身で行い、ほぼセルフプロデュースの活動となりますが、ヒット曲は出なくなります。Charとは対極ですが、現在も活動は行っています。
世良公則&ツイスト

世良公則&ツイストのデビューのきっかけとなるのは、大学卒業記念に応募したポプコンであれよあれよという間にグランプリを取り、その後の世界歌謡祭でもフランプリを取った「あんたのバラード」ですね。
世良公則は1955年生まれでCharと同い年です。その風貌からは考えられませんが、バイオリンを習っていたそうです。小学生の頃は一度聴いたメロディをハーモニカや笛ですぐに演奏できたそうです。そして、洋楽、特にローリングストーンズやブルースに目覚め、地元広島で同級生たちとバンドを結成します(FBIバンド)。これが後のツイストになるのですが。
FBIバンドでの世良の担当はなんとヴォーカルではなくベースでした。それも、バイオリンをやっていたのだから同じ4弦のベースもできるだろうというものでした。
FBIバンドのメンバーは、高校卒業後も活動を続けたいと思い、全員が大阪の大学を受験し合格します。そして、大学でも活動を継続します。ある時、アマチュアのコンテストで審査員からヴォーカルの力が弱いといわれ、バンドはポジションを変更します。バンド内オーディションが行われついに世良がヴォーカリストとなったのですが、これはあくまでも臨時のものだったようです。
「そのうち、ヴォーカルかベースを入れるから」ということだったようですがそれは実現せず、卒業を前に記念で出たポプコンから火が付きデビューとなりました。
世良公則&ツイスト「あんたのバラード」(作詞作曲:世良公則、編曲:世良公則&ツイスト)でした。オリコン6位のヒットです。
彼らはこの曲をオリジナルメンバーで収録しますが、卒業を目前に控え、世良と2年後輩のキーボーディスト以外はプロ志向がなく(就職も決まっていたため)、セカンドシングルの「宿無し」からは世良の出身大学(大阪芸術大学)、でプロ志向のあったメンバーを集めて活動します。
ふとがね金太(ドラムス)や鮫島秀樹(ベース)は新ツイストのメンバーですね。
その後、「銃爪(ひきがね)」でオリコン1位を獲得。
アマチュア期のツイストで上京しテレビに出演した時には、スタジオセットに何気なく置いていた楽器のチューニングが、スタジオのスモークなどで狂ってしまい、見るも無残な演奏だったこともあったようです。
世良自身も「ロックがオリコンの左ページ(50位以下)に載るようなことがなかった。そこにCharが出てきてこうならなければならないと思った」とインタビューで後に語っています。
当時のテレビ界ではちょうどサザンオールスターズも出てきたころで(桑田佳祐と同い年)、二人で励ましあいながら切磋琢磨してきたようです。
ツイストは解散してしまいましたが、その後の世良の活動はご存じの通り。「太陽にほえろ!」にも俳優で出ましたね。
★引き続き、リクエストお待ちしています。次は記念すべき100回目。わたくしの敬愛するあの人にスポットを当てます。乞うご期待。
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