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2020年11月20日 (金)

1977、ロックがテレビに進出した時

かすてら音楽夜話Vol.99

今でこそ、テレビの歌番組にロックバンドが出演するのもごく普通ですが、1970年代以前はまるで考えられないことでした。その禁を破るのが今回紹介する3組です。現在もバリバリで活躍する3組。テレビで見たときにはかなりの衝撃を受けました。

Char

Char

 

Charの「気絶するほど悩ましい」(作詞:阿久悠、作曲:梅垣達志、編曲:佐藤準)でした。

Charは早熟の天才ですね。1955年生まれで8歳でギターを手にします。そして高校1年の時にはすでにスタジオミュージシャンとして活動していました。

1973年にスモーキー・メディスンを結成し、1976年にソロデビューします。翌年の「気絶するほど悩ましい」はセカンドシングルとなります。ですが、自作ではなく職業作家の提供曲です。

Charはギターの腕を見込まれたこともありますが、ある意味ルックスでデビューできたようなところがあります。当然ながら自作曲で勝負する方法もあったでしょうが、それまで歩んできたロック界と異なるテレビや歌謡界では相当な違いがあり、Char自身も悩みぬいたと思います。しかし、彼はロックをメジャーにするため、この曲を受け入れました。

その後、数曲自身がヴォーカルを務めるシングルをリリースしますが、ソロ活動からバンド活動へと移行することになります。それ以降の活躍については割愛します。

ともかく、Charがテレビに出ることがなければその後の道もかなり遅れたと思われます。ソロデビュー時に21歳で柔軟な考え方があったことからこれは実現したといえましょう。「気絶するほど悩ましい」はオリコン12位まで上昇し、当時のロックとしては異例の大ヒットとなります。

原田真二

Haradashinji

 

原田真二のデビュー曲、「てぃーんず ぶるーす」(作詞:松本隆、作曲:原田真二、編曲:鈴木茂・瀬尾一三)でした。

原田真二は1958年生まれで、高校生の時に吉田拓郎らが設立したフォーライフレコードの新人オーディションの中から発掘された人材です。1977年に青学に入学するため上京しプロデビューが決まります。

この曲は原田が高校生の時に作っていたものですが、デビューに際して安パイ路線を行く吉田拓郎は吉田の曲で行こうとしていたようです。しかし原田は自作曲で行かせてほしいと懇願したようです。しかし、作詞は松本隆に依頼し、変更されました。

これも、デビューに不安のある吉田拓郎の親心みたいなものでしょうか。しかし、曲はオリコン6位となるヒットを記録し、その後の「キャンディ」、「シャドーボクサー」、「タイムトラベル」と続くいずれも、松本・原田のコンビでヒットを記録します。

YouTubeの映像は「夜のヒットスタジオ」のものですが、「ザ・ベストテン」にも出演しています。

当時18歳というルックスが受け、テレビにも引っ張りだこだったのですが、業界受けは悪かったようです。

というのも、テレビ用に用意されたバンドのサウンドではなくあくまでも自身のバンドにこだわる原田と音響スタッフが揉めていたとのことです。テレビ側も正論。また、原田も正論なんですが、まだティーンエイジャーの原田に意見されて誰もが気分を害するのも当然ですよね。

しかし、この原田のオピニオンがのちに生きてくるのです。そうでなければバンドサウンドをテレビで提供できなかったでしょうからね。なんにつけ、パイオニアは辛いですね。

その後の原田は自身のイメージするサウンドへとこだわり、作詞も自身で行い、ほぼセルフプロデュースの活動となりますが、ヒット曲は出なくなります。Charとは対極ですが、現在も活動は行っています。

世良公則&ツイスト

Sera

世良公則&ツイストのデビューのきっかけとなるのは、大学卒業記念に応募したポプコンであれよあれよという間にグランプリを取り、その後の世界歌謡祭でもフランプリを取った「あんたのバラード」ですね。

世良公則は1955年生まれでCharと同い年です。その風貌からは考えられませんが、バイオリンを習っていたそうです。小学生の頃は一度聴いたメロディをハーモニカや笛ですぐに演奏できたそうです。そして、洋楽、特にローリングストーンズやブルースに目覚め、地元広島で同級生たちとバンドを結成します(FBIバンド)。これが後のツイストになるのですが。

FBIバンドでの世良の担当はなんとヴォーカルではなくベースでした。それも、バイオリンをやっていたのだから同じ4弦のベースもできるだろうというものでした。

FBIバンドのメンバーは、高校卒業後も活動を続けたいと思い、全員が大阪の大学を受験し合格します。そして、大学でも活動を継続します。ある時、アマチュアのコンテストで審査員からヴォーカルの力が弱いといわれ、バンドはポジションを変更します。バンド内オーディションが行われついに世良がヴォーカリストとなったのですが、これはあくまでも臨時のものだったようです。

「そのうち、ヴォーカルかベースを入れるから」ということだったようですがそれは実現せず、卒業を前に記念で出たポプコンから火が付きデビューとなりました。

 

世良公則&ツイスト「あんたのバラード」(作詞作曲:世良公則、編曲:世良公則&ツイスト)でした。オリコン6位のヒットです。

彼らはこの曲をオリジナルメンバーで収録しますが、卒業を目前に控え、世良と2年後輩のキーボーディスト以外はプロ志向がなく(就職も決まっていたため)、セカンドシングルの「宿無し」からは世良の出身大学(大阪芸術大学)、でプロ志向のあったメンバーを集めて活動します。

ふとがね金太(ドラムス)や鮫島秀樹(ベース)は新ツイストのメンバーですね。

その後、「銃爪(ひきがね)」でオリコン1位を獲得。

アマチュア期のツイストで上京しテレビに出演した時には、スタジオセットに何気なく置いていた楽器のチューニングが、スタジオのスモークなどで狂ってしまい、見るも無残な演奏だったこともあったようです。

世良自身も「ロックがオリコンの左ページ(50位以下)に載るようなことがなかった。そこにCharが出てきてこうならなければならないと思った」とインタビューで後に語っています。

当時のテレビ界ではちょうどサザンオールスターズも出てきたころで(桑田佳祐と同い年)、二人で励ましあいながら切磋琢磨してきたようです。

ツイストは解散してしまいましたが、その後の世良の活動はご存じの通り。「太陽にほえろ!」にも俳優で出ましたね。

★引き続き、リクエストお待ちしています。次は記念すべき100回目。わたくしの敬愛するあの人にスポットを当てます。乞うご期待。

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コメント

ヒョウちゃんの昭和歌謡史は本当に面白い。造詣が深いです。
お世辞じゃなくてどこかに売り込んだらどうだろう?
スクムビット

投稿: スクムビット | 2020年11月20日 (金) 20時57分

スクムビットさん。
ありがとうございます。
20年以上前にこういったことを文字だけで(パソコン通信)ほぼ毎日やっていたのですが、それでもお声がかかりませんでしたので、ダメでしょう。
このような世界ですが、媒体も限られていてライターもほぼ埋まってますから。
でも、これが仕事になるとかなり厳しいと思いますよ。
フリーな立場でものが書けたほうがいいかも。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年11月20日 (金) 23時04分

でましたね!この3人。
当時はロック御三家といわれたのは覚えています。でも実は、ものすごく違和感がありました。自分の中ではロックバンドはクリエイション、紫、OZとか。だから原田真二やツイストはポップスとしか見られませんでした。(嫌いじゃなかったですけどね)

でも確かにチャーは別格でした。名曲「スモーキー」はホントしびれました。

始めてチャーのことを知ったのは中2。お得意のMUSIC LIFE誌に下北沢で人気の金子まりのバンドで高校生ギタリストがスゴイ、という記事でした。
そのあとテレビの「銀座ナウ」に準レギュラーで出てきましたね。番組の趣旨・観客からイケメンのドラマー・リューベンに人気が集まって、チャーは面白くなさそうでしたが。

で、遡って・・チャーのギターを始めて聴いたのは、実はフォークグループ、NSP。
NSPの天野さんとチャーは親交深く、NSPのアルバムとかでギターをサポートしてましたが、メチャうまかったです。これ誰だ??って思うくらい。天野さんは最初ロック志向だったけど、チャーのギターを聴いて、こんな奴がいるんじゃ・・とロックを諦めたらしいです。
やばい、またまた長くなり過ぎました、話は尽きませんが、この辺りで・・。

投稿: lastsmile | 2020年12月 1日 (火) 19時58分

lastsmileさん。
コメントありがとうございます。

わたしゃ、その頃テレビなどはほぼ見ず、もちろん音楽雑誌も無縁でした。
もっぱら、ラジオを聴いていましたです。
ですが、この3組はとりわけインパクトがありましたね。
ほぼテレビを見ていないというのに、ちゃんとビジュアル的に区別がついたのですから、それだけ、メディアへの露出がものすごかったということでしょうね。

スモーキー・メディソンなんですが、金子マリさんのほうがCharにコンタクトを取ってきたそうです。
で、当時のロックギター教則本のカセットテープの音源はCharが弾いていたと。

リューベンいましたね。
歌うドラマーですね。

実はこの記事、世良さんの10回くらいにわたるインタビューを見つけたのがきっかけなんです。
で、そこからCharの話が出て、記事にするうえでやはり同時期の原田真二も取り上げたんです。
で、その後書店を覗くと、「昭和40年男」という雑誌があって、この3人のインタビューがあったんです。
なんたる偶然でしょう。
リューベンのインタビューもありました。
まだ、売ってると思いますので、お勧めいたします。

投稿: ヒョウちゃん | 2020年12月 1日 (火) 21時37分

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