« 憧れのモーニング | トップページ | 「僕ぁ幸せだなあ」というカレー »

2020年12月12日 (土)

41年目の大ブレーク、埋もれた天才シンガー松原みき

かすてら音楽夜話Vol.100

Miki1

<松原みき>

久しぶりの音楽話でございます。

100回を記念して取り上げるのはこの方です。松原みき。

ざっと音楽的な経歴を記しておきます。

1979年、シングル「真夜中のドア/Stay With Me」(作詞:三浦三浦徳子 作編曲:林哲司)でデビュー。この時わずか19歳。オリジナルアルバム10枚、シングル15枚をリリースし、シンガーから職業作曲家に転身します。そして、2004年に癌のため44歳という若さでお亡くなりになっております。

デビューシングルの「真夜中のドア/Stay With Me」は、オリコンによると総売り上げ10.4万枚、シングルチャート28位なんだそうですが、そういわれるとほとんど売れてなかったように感じます。しかし、個人的にはとても印象に残る曲だし、当時の歌謡番組にも何度か出演していて、チャート以上にヒットしたという印象があるんです。オリコンチャートには随分と長く入っていたという記事も見つけました。

ともあれ、こちらをお聴きください。

 

こちらはインドネシア人女性のYouTuber、Rainychさんが歌う「真夜中のドア」でございます。バックの演奏などは多少アレンジが加えられていますが、歌唱のほうはほぼ原曲に忠実で、最後のアウトロ部分のアドリブまで忠実にやってます。ちなみに、Rainychさん、日本語は話せないとのことで、しっかり耳からコピーしたのですね。

Rainychさんの映像も本日の時点でおよそ76万回再生され、彼女のフォロワーはなんと130万人です。そして、それだけではなく、今や世界中で「真夜中のドア/Stay With Me」が大ヒット、つまりはバズっているわけです。(ビルボードニュース

これは原曲の良さ、アレンジの素晴らしさ、松原みきのとても新人かつシングル発売時に19歳とは思えない歌の上手さがあるでしょうね。

☆松原みき本人のYouTube映像はたびたび上がるのですが、ご遺族のご意向なのかどうか、上がるたびに削除の憂き目にあっているんですね。個人的にも削除されてしまうのは残念ですので、ここでは映像をブログ記事に埋め込むことはせず、YouTubeに飛ぶようなリンクを貼っておきます。

「真夜中のドア/Stay With Me」オリジナルシングル

「真夜中のドア/Stay With Me」松原みき&カステラムーンLive

ここで、彼女のバックグラウンドをご紹介します。

生い立ち
・1959年11月28日生まれ。堺市の良家の子女です。父は実業家。母はかつてジャズシンガーをしていたそうで、クレージーキャッツとも共演したことがあるとか。3歳からピアノを習い、ジャズがいつでも流れるような環境で育ったとのこと。

・中学・高校は大阪のプール学院に進学し、ここでバンドを組みます。中学時には「愚麗」、高校では「吉野家バンド」でキーボードを担当しており、京都のライヴハウス「磔磔」での演奏も経験しています。

・そして、高校3年でお嬢様への道を振り切り、単身上京し文化女子大学附属杉並高校に転校します。そしてライヴハウスや米軍キャンプなどで演奏していたようです。どうもこの時期、米軍キャンプで暮らすアフリカ系アメリカ人家族のもとに住まわせてもらっていたようです。

Miki2

<世良譲氏と>

・この時に六本木にあったバードランドというクラブで飛び入り演奏した際にジャズピアニストの世良譲氏に絶賛されたことからデビューが決まったみたいです。

と、いうことから、もともとはシンガーソングライターとして活動をしたかったと思います。ですが、デビュー曲、デビューアルバム『Pocket Park』とも、自作曲はなく、職業作家たちの曲を歌うことになりました。

とはいえ、無名の新人に対して、林哲司、芳野藤丸、佐藤健など当時新進気鋭の作家に曲を発注させ、バックの演奏陣もSHOGUNやパラシュートを起用するなど、異例の待遇を取ったのです。所属のレコード会社はポニーキャニオンというフジサンケイグループのレーベルですが、ミュージシャンに対してはなかなかシビアな姿勢を見せるところです。

松原みき自身の評判も業界受けはかなり良かったようです。すごいシンガーがいると。スタジオミュージシャンもどんなシンガーなのか、共演してみたいという人が多かったようです。

「Cryin'」(作詞:森田由美 作編曲:佐藤健)アルバム『Pocket Park』収録オリジナル曲

「青いボールペン」(作詞:三浦徳子 作曲:佐藤健 編曲:大村雅朗)アルバム『-Cupid-』収録オリジナル曲

これまたリンクだけ貼っておきました。わかりますかね。オリジナルの歌詞にはない、感嘆符のついた短いアドリブがところどころ顔を出すのですが、これってプロデューサーから「やれ」といわれてできるようなものじゃないんですよ。これはもはや天性のものです。

そして、1981年、資生堂春のキャンペーンソングに松原みきが抜擢されます。

「ニートな午後3時」(作詞:三浦徳子 作曲:小田裕一郎 編曲:大村雅朗)オリジナルシングル

この曲は無茶苦茶難しいですね。並みのシンガーでは歌いこなせないと思います。Rainychさんは相当聴きこんでないと、このグルーブ感は出せないでしょうね。

資生堂というとその対抗メーカーがカネボウ(当時)です。それぞれ、季節ごとにキャンペーンソングを出していて、この時は矢野顕子の「春咲小紅」と競い合っていたのですが、どういうわけか「ニートな午後3時」も「春咲小紅」も大ヒットしなかったんですね。ちなみに、今でいう「ニート」という言葉は当時出来上がってなく、「Neat」という形容詞です。

さて、その後の松原みきですが、1983年に日立マクセル(カセットテープ)のCMとタイアップで「Paradise Beach(ソフィーのテーマ)」(作詞:松本隆 作編曲:細野晴臣)というシングルをリリースしたものの、自然とフェイドアウトしていきます。

その要因
・弱小事務所であったこと。所属はヤングジャパン傘下のポケットパークでした。松原みきの売り出しについて、アルバムごとにコンセプトを変えるという迷走具合でした。

・また、新人にしては異例なくらいのバックバンド(カステラムーン)を付けていたのですが、そのリーダーでもある伊藤銀次(ギター)をヤングジャパンにいた佐野元春にさらわれた形でバンドは解消することになります。

・1980年までは松原みきがカテゴライズされる「ニューミュージック」の勢いはあったのですが、この年デビューの松田聖子を始めとするアイドル勢がニューミュージック関連の作家を起用しヒットを連発します。その後もアイドルは男女を問わずデビューを続け、一部の大物を除き、ニューミュージック勢不遇の時代を迎えたというのも大きいですね。

ともかく、40年以上たち、ここにきての再注目なんですが、ワタクシとしては松原みきのCDを再リリースしてもらいたいです。ある程度は所有しているのですが、まだ抜けているアルバムもありますので。ポニーキャニオンは数年前にアルバムを出してくれたのですが、枚数限定で現在市場には出回っておりません。ダウンロード版ならあるようですけど、個人的には半永久的に聴けるアルバムは是非とも欲しいところです。

最後に。現在は更新をストップした松原みき関連のホームページを実は作っておりました。よろしかったらご覧ください。大阪遠征の記録もあります。

とにかく、このブームに乗って全アルバムを再リリースしてくれないですかね、ポニーキャニオンさん。お願いしますよ。

<2021/01/29追記>
ブームに乗っかってか、ついにPony Canyon公式YouTubeチャンネルで正式に松原みきの「真夜中のドア~Stay With Me」オリジナルシングルがアップされていました。
残念ながら映像はアニメですけど、プロモーションビデオのない時代でしたからこれは仕方ないです。

それでは、どうぞ!

 

ついでに彼女の全シングルもアップしてくれないすかね。

★また、引き続きリクエスト・ご意見お待ちしております。高評価の「いいね」とコメントもお待ちしてます。

| |

« 憧れのモーニング | トップページ | 「僕ぁ幸せだなあ」というカレー »

Music Talk」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 憧れのモーニング | トップページ | 「僕ぁ幸せだなあ」というカレー »