デビュー時のビージーズは完全なファミリーバンドではなく、5人編成でした(のちに三兄弟だけとなります)。本格的なデビューは1967年の「New York Mining Disaster 1941」(邦題「ニューヨーク炭鉱の悲劇」)でした。それ以降、トップ10ヒットが数曲、後のシングルはトップ100に入るのがやっとくらいのグループでした。
翌1976年、アルバム『Children Of The World』からの「You Should Be Dancing」が、ファルセットボイスを使用したいわばハードなディスコサウンドとしてリリースされ、これまたビルボード1位(3曲目)を獲得します。バックのサウンドやリズムもディスコに特化したようなアレンジです。果たして、この段階で映画「サタデーナイトフィーバー」の構想があったのかどうか。その点は不明ですが、「You Should Be Dancing」は映画にも使われ、ジョン・トラボルタの印象的なシーンのバックで流れることになったのです。
ともあれ、映画「サタデーナイトフィーバー」はビージーズ所属のRSOレコードによって製作されました。この映画の中でビージーズは冒頭の「愛はきらめきの中に」に続き、「Stayin' Alive」、「Night Fever」(邦題「恋のナイトフィーバー」)と3曲続けてのビルボード1位を獲得しています。そればかりでなく、サウンドトラックのアルバムは24週連続1位。ビージーズの「Jive Talkin'」と「You Shoul Be Dancing」も使用され、イヴォンヌ・エリマンに提供した「If I Can't Have You」も1位を獲得したほどです。
何はともあれ大成功のビージーズは1979年にアルバム『Spirits Having Flown』(邦題『失われた愛の世界』)をリリースし、シングルカットされた3曲、「Too Much Heaven」(邦題「失われた愛の世界」)、「Tragedy」(邦題「哀愁のトラジディ」)、「Love You Inside Out」を連続1位に導きます。ちなみに、『Spirits Having Flown』はビージーズのキャリア唯一のアルバムチャート1位となりました。あれだけヒットを連発していたというのに。
<2021/02/05訂正および追記> ちなみに、「愛はきらめきの中に」のビルボード1位を追い落としたのはPlayerの「Baby Come Back」なんですが、なんと彼らもRSOレコード所属でありました。 その後もRSOレコード所属のシンガー・グループで1位を獲得し続けたというのは、後にも先にも例がございません。
1978年1月に3週連続ビルボード1位を獲得した「Baby Come Back」がデビュー曲のPlayer(プレイヤー)。その前週の1位はBee Gees(ビージーズ)の「How Deep Is Your Love」(邦題「愛はきらめきの中に」)で、こちらも映画「Saturday Night Fever」の劇中歌というわけで、1977年から1978年にかけては映画のメガヒットも量産された年でした。
ワタクシの情報源はもっぱらラジオで、FENとラジオ関東(現ラジオ日本)でやっていた「American Top 40」がすべてです。ということで、なかなかビジュアルがわからなかったです。ま、深く洋楽に傾倒していたり、ギターを弾いていた人は「Music Life」や「ギターマガジン」などの雑誌を購入してつかんでいたとは思うんですけどね。
トップの画像では4人だけですが、実際はYouTubeの映像の通りの5人組です。この時代、めちゃくちゃ金をかけてプロデュースしまくったビージーズとその周辺に勝つにはやっぱり曲がいいことに尽きますかね。「Baby Come Back」も新人離れしたコーラスワークと、どこか切なくなるようなメロディ、テクニックも感じさせる演奏と粒ぞろいです。
YouTubeの映像はライヴ風ではありますが、実際の音源をこれに被せてますね。
「Baby Come Back」はその後、ビージーズの「Stayin' Alive」に1位を明け渡し、返り討ちに会います。そのあと、トップ10ヒットを1曲。次第にジリ貧となり、フェイドアウトします。メンバーチェンジし、再結成を2回。デビュー1発目で才能を開花しすぎたのでしょうか。それでも現在まで細々とではありますが、活動はしているようです。
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