ギブ四兄弟
かすてら音楽夜話Vol.104
いきなりYouTubeの映像を登場させましたが、Bee Gees(ビージーズ)の1977年末のビルボード1位獲得曲、「How Deep Is Your Love」(邦題「愛はきらめきの中に」)でした。映画「Saturday Night Fever」の劇中歌です。
この年は映画「サタデーナイトフィーバー」が大ヒットし、ディスコや洋楽に興味がなくとも、テレビとラジオで繰り返し曲が流れたものです。ビージーズはそのサウンドトラックを担当し、自ら演奏するばかりでなく、他のシンガーやグループにも曲を提供しいずれも大ヒットしてしまう現象が起こりました。
ジョン・トラボルタもここからビッグスターになっていったし、「フィーバーしてる?」なんつー意味不明のあいさつもあったほどです。パチンコのフィーバーもここから来てるんだろうね。わたしゃ、やりませんが。
それだけ、この「How Deep Is Your Love」はインパクトがあったわけで、ディスコってなんだよというワタクシでさえ、「いい曲だ」となったものです。
あまりにもビージーズの影響が大きかったもので、FM放送などではビージーズの特集を組むほどでした。たしか、エアチェックしてカセットに録音したと思います。てなことで、それ以前のリアルタイムな記憶はないのですが、ビートルズ並みにビージーズの過去や来歴が頭に入ってきております。
ビージーズですが、ギブ三兄弟からなるバンドです。画像の中心が長兄のBarry Gibb(バリー・ギブ)。左が次男のRobin Gibb(ロビン・ギブ)。右が三男のMaurice Gibb(モーリス・ギブ)。ロビンとモーリスは二卵性双生児です。
彼らはイギリス出身ですが、一家でオーストラリアに移住し、オーストラリアで音楽活動を始めました。オーストラリアでは彼らはトップグループになっていたそうですが、世界的には無名です。やがてビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインにスカウトされる形でイギリスに帰国し契約を結びます。
デビュー時のビージーズは完全なファミリーバンドではなく、5人編成でした(のちに三兄弟だけとなります)。本格的なデビューは1967年の「New York Mining Disaster 1941」(邦題「ニューヨーク炭鉱の悲劇」)でした。それ以降、トップ10ヒットが数曲、後のシングルはトップ100に入るのがやっとくらいのグループでした。
映画「Melody」(邦題「小さな恋のメロディ」)のサウンドトラックを担当したこともありましたが、英米で映画がコケ(日本ではマーク・レスター人気もありそこそこヒット)、デビュー5年目の1971年、ようやくナンバーワンヒットが生まれます。
ビージーズで「How Can You Mend A Broken Heart」(邦題「傷心の日々」)でした。ビージーズは9曲のナンバーワンヒットを持っていますが、これが初めての1位曲でした。
もう完全にソフトロック、メロウな路線ですね。この曲、冒頭では次男のロビンがリードヴォーカルなんですが1コーラス目の途中から長男のバリーがリードになりそのまま終わるというよくわからない展開です。ま、兄弟なので声質が似てますから聴いている分にはあまり関係ないのかな。
ビージーズもデビュー当初はロビンがリードヴォーカルであることが多かったのですが、どうやらこのあたりから立場が逆転していったのかもしれません。三男モーリスはどちらかというと、楽器演奏(ギターもキーボードもこなすマルチプレイヤー兼アレンジャー)とコーラスに回る役割でした。これは終始変わりません。
ちなみに楽曲はバリーを中心とし、三人で作ったものが多いです。
さて、ようやく1位を獲得したビージーズですが、またもやメガヒットからは遠ざかることになります。そこで、彼らが取った手段は路線の変更でした。
1975年アルバム『Main Course』がリリースされ、「Jive Talkin'」が4年ぶりとなるビルボード1位となりました。これがリズム主体のディスコミュージックで、これまでの曲調とは一変するのです。ただ、この曲はまだまだソフト調のディスコサウンドだったのです(現実的には「Jive Talkin'」がディスコで取り入れられたといったほうが適切でしょうか)。しかし、ビージーズはこのアルバムとシングルのヒットでこれまでにない手ごたえを感じていたのでしょう。
翌1976年、アルバム『Children Of The World』からの「You Should Be Dancing」が、ファルセットボイスを使用したいわばハードなディスコサウンドとしてリリースされ、これまたビルボード1位(3曲目)を獲得します。バックのサウンドやリズムもディスコに特化したようなアレンジです。果たして、この段階で映画「サタデーナイトフィーバー」の構想があったのかどうか。その点は不明ですが、「You Should Be Dancing」は映画にも使われ、ジョン・トラボルタの印象的なシーンのバックで流れることになったのです。
映像は映画のシーンです。当時の中高生はディスコとは何ぞやでしたから、トラボルタのダンスソロを呆気に取られて見ていたはずですね。ま、実際ワタクシはこの映画を見ていないのですが、このシーンだけは映画のプロモーションで何回もテレビで流れていました。
ま、振り返ってみると、今時こんなダンスをするヤツはいないですけど。かなり滑稽ですし。ファッションもダッセーとか思うでしょう。シャツの第2ボタンは外しているものの、シャツの裾がパンツにしっかり入れられているし、パンツのウエスト部分がかなり高いです。しかもかかとの高い「シークレットブーツ」を履いてますね。ちなみに彼の身長は188cmだそうですが。
ともあれ、映画「サタデーナイトフィーバー」はビージーズ所属のRSOレコードによって製作されました。この映画の中でビージーズは冒頭の「愛はきらめきの中に」に続き、「Stayin' Alive」、「Night Fever」(邦題「恋のナイトフィーバー」)と3曲続けてのビルボード1位を獲得しています。そればかりでなく、サウンドトラックのアルバムは24週連続1位。ビージーズの「Jive Talkin'」と「You Shoul Be Dancing」も使用され、イヴォンヌ・エリマンに提供した「If I Can't Have You」も1位を獲得したほどです。
何はともあれ大成功のビージーズは1979年にアルバム『Spirits Having Flown』(邦題『失われた愛の世界』)をリリースし、シングルカットされた3曲、「Too Much Heaven」(邦題「失われた愛の世界」)、「Tragedy」(邦題「哀愁のトラジディ」)、「Love You Inside Out」を連続1位に導きます。ちなみに、『Spirits Having Flown』はビージーズのキャリア唯一のアルバムチャート1位となりました。あれだけヒットを連発していたというのに。
あからさまなディスコ路線ではなかったものの、バリーを中心とするファルセット路線は継続されました。しかし、ここまでくるとリスナーも「お腹一杯」だったのではないでしょうか。これ以降の目立ったヒットは1989年の「One」(7位)が最高という凋落ぶりになってしまいます。
さて、タイトルが「ギブ四兄弟」なんですが、末弟のAndy Gibb(アンディ・ギブ)がビージーズの隠し玉でした。
1977年にアメリカデビュー。それ以前はオーストラリアでドメスティックな活動をしていました。これは、本格的なワールドデビューの準備だったと考えられます。当然ながら所属はビージーズと同じくRSOレコードです。
実質的なアメリカデビュー曲の「I Just Wanna Be Your Everything」(邦題「恋のときめき」)でした。
作者はもちろん、ビージーズ(バリー)です。この曲もビルボードの1位を獲得します。
ビージーズは髭面の男がファルセットボイスでディスコ調の曲をやっていたのに対して、アンディのこのルックスと若さです。たちまちファンがつくのも当然といえば当然。
次作の「(Love Is)Thicker Than Water」(邦題「愛の面影)も1位。その次の「Shadow Dancing」も1位です。アンディもまたビージーズの隙間を埋めるようにしてメガヒットを連発していたのですが。
実はこのアンディ、この時期にすでにコカイン中毒だったのです。彼もその後ヒットが出ず、1988年、わずか30歳にしてお亡くなりになりました。長兄のバリー・ギブはアンディをビージーズの4人目のメンバーにしようとしていたようなんですが。
ビージーズの悲劇はこれにとどまらず、三男モーリスが2003年に腸閉塞で急逝。次男ロビンも同じ病気で2012年に亡くなりました。
こうして残されたのは長男、バリーだけになり、ビージーズとしての活動はほぼ不可能になっています。
兄弟だけで12曲の1位。それにとどまらず、フランキー・ヴァリ、バーブラ・ストライザンド、ケニー・ロジャース&ドリー・パートンに提供した曲が1位に輝くなど、バリーのソングライターとしての才能はその後も続いていきました。
ディスコ期のビージーズ、癖強いですが、どこか残るんですよねえ。
<2021/02/05訂正および追記>
ちなみに、「愛はきらめきの中に」のビルボード1位を追い落としたのはPlayerの「Baby Come Back」なんですが、なんと彼らもRSOレコード所属でありました。
その後もRSOレコード所属のシンガー・グループで1位を獲得し続けたというのは、後にも先にも例がございません。
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コメント
懐かしいですね。
ビージーズは前期の頃の優しい歌とメロディーが好きです。
映画のタイトルは「メロディーフェア」ではなく「小さな恋のメロディー(原題メロディー)」ですね。中学かその頃観て、トレーシーハイドが印象的でした。
映画の内容よりも挿入歌が素敵でした。メロディーフェアもいいんですが、私は「若葉のころ」とか「インザモーニング」が今でもお気に入り。またCSNYの「ティーチ・ユア・チルドレン」。
ディスコブームはすごかったですね。映画はサタディナイトフィーバーよりもグリースの方が好きでした。
ただ画館で2回も観たのは、面白いからではなく、大学生で時間があったから。(あの頃は映画館は入替じゃなかったようです)
ディスコミュージックもハローミスターモンキーとかジンギスカンとかずっとリピートしていたので頭からこびりついて離れなかった。(つい口づさんじゃう)
すみません。ビージーズの話から逸れまくりでした・・。
投稿: lastsmile | 2021年2月 5日 (金) 13時56分
lastsmileさん。
コメントありがとうございます。
めっちゃ、お待ちしておりました。
ご指摘の通り、マーク・レスター&トレーシー・ハイド出演の映画については題名を訂正いたしました。
ありがとうございます。
この映画は見てません。
CSNYもサウンドトラックだったというのは初めて知りました。
映画「グリース」にもトラボルタが出演していて、フランキー・ヴァリの「Grease」はバリー・ギブの提供曲でビルボード1位になってますね。
おそらくですが、「サタデーナイトフィーバー」より製作費はかけてるでしょう。
わたしゃ、こっちも見てなくて、さらにB級作品の「Thank God, It's Friday」ってのを見ました。
こちらは、駄作でしたが、ドナ・サマー、ダイアナ・ロス、コモドアーズ、サンタエスメラルダ等の曲が使われ、ドナ・サマーも出演してたんです。
映画「プラトーン」を渋谷で見たんですが、開演に間に合わず、冒頭シーンもちょろっと見たので、そのころまだ入れ替え制ではなかったかもしれません。
ディスコサウンドは好きじゃなくとも、脳に直接響くというか、忘れませんよね。
アラベスクもジンギスカンも、ビジュアルを忘れても曲は染みついてますね。
>ビージーズの話から逸れまくりでした・・。
マイペンライです。
話が脱線するのがFbeater(←ココ肝心)ですって。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年2月 5日 (金) 22時00分