ルアンナムターの中国人
久々の「時を戻そう」シリーズです。
2008年8月、ワタクシはタイからラオスを経由し、中国雲南省のシーサンパンナにタッチして、戻ってくるという旅をしました。バンコクからチェンマイまでは飛行機を使いましたが、あとはすべて陸路(一部ボート)という旅です。
<ルアンナムターの市場>MZ-3/FA35mm
ルアンナムターというところは市場に行くと、ヘビだの昆虫だのを食材として売っているようなところで、2008年当時としてもまるで開発の手が入ってないようなところでした。
まったく観光的な要素がなく、のんびりとしたラオス人だけの世界に思えました。町を歩き、市場を見てもう終わりみたいな感じです。それでも外国人向けのゲストハウスは数軒ありました。しかし、外国人向けのレストランはほとんどないに等しかったです。
それで苦労したのが夕食です。
<中華レストラン>PowerShot*イメージです
街中に中国人経営のレストランを見つけました。まあ、いいかと入店しました。店員がお茶を持ってきます。中国そのものの茶葉とお湯が一緒くたになったものです。
茶葉が沈むのを待って、ぬるくなったお茶を飲みます。茶葉はしっかりと歯で受け止めるのです。
メニューが欲しいんですが、いかんせん言葉が通じません。
そのうち、中国人の団体がやってきました。それ以降、相手にされなかったです。
これは、今考えると、ワタクシがその中国人の先乗りのひとりと勝手に思われたようです。このレストランは最初から中国人だけを客にしているということでしょう。
<ビアラオ>GR DIGITAL
しょうがないので、その店を出ました。次に見つけたのは、テントの下で営業しているピンカイ(タイのガイヤーンと同じもの)だけを出す店です。
<こちらはガイヤーン>PowerShot*イメージです
ピンカイは食べやすく切ってあり、ハーブの山盛りの皿も付いてきました。もちろんこういう店ですから、ビアラオもあります。ただし、あまり冷えてなかったような気がします。冷蔵庫がなかったんでしょう。
しかし、これはこれでなかなか美味しく、言葉は通じませんが酔っ払い同士の阿吽の呼吸みたいなものを感じたものです。
ただし、これでは腹が満ちませんので、またもや近くにあった麺屋で激安の麺を食べ、宿に戻りました。
さて、翌日。これから中国へ移動します。交通手段は中国行きの直行便のバスを見つけました。車内は外国人が3名程度です。あとはすべて中国人でした。
この車内、たばこは吸いまくられ、痰と鼻水の飛び交う世界でした。
なんで、この記事を書くことになったかというと、すでに当時からラオスに中国人が浸透していて、鉄道の建設とか森林伐採、鉱物の仕事などに従事していたのだということに気づいたからですね。
表立ってはわからないことなんですが、中国人は外国にいても中国人専用のレストランを作り、専用の移動手段を持っていたことになります。また、宿舎なども中国人専用のところがあったのだと思います。おそらく、ラオスにいても、ラオスの通貨「キープ」を必要とせず、すべて人民元で用が足りたのでしょう。
たぶん、ミャンマーなどにもこんなところがあるんだろうなと思いますね。スリランカでも中国人を嫌がるような発言をした老人に出会いました。
尖閣諸島に神経を使っても、いつの間にか日本にもこんな感じのコミュニティができているかもしれませんよ。
☆ネタは結構あるんですけど、ちょっと書いてみたくなりました。たまに、焼き直しの記事を書く予定です。
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