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2021年2月17日 (水)

竹内まりや、ついに解禁

かすてら音楽夜話Vol.105

Takeuchimariya

遂に登場の竹内まりやです。

彼女の所属するスマイルカンパニーという事務所は夫である、山下達郎とともに非常に著作権にうるさいところでした。それはスマイルカンパニーの同族会社ともいえるジャニーズエンターテイメントにもいえることなんですが。

ミュージシャンの著作権や肖像権等について、それらが直接彼らの収入源となります。著作権・肖像権等を守るのは当然の姿勢であります。これまで、デビューの1978年から42年間の間、いわゆるサブスクリプションについてかたくなに拒まれてきたわけですが、昨年ようやくごく一部が解禁になりました。ということなので、今回の登場となったわけです。

では、その一部をさっそく取り上げましょう。

 

竹内まりやで「Plastic Love」(作詞作曲:竹内まりや 編曲:山下達郎)でした。

こちらの曲はアルバム『Variety』(1984年)収録の3曲目のシングルカットです。このアルバムは山下達郎との結婚、休業後の復帰作でアルバムはオリコン初登場1位となりましたが、シングルは3曲とも20位以下、この曲に至っては86位に沈むという有様でした。

それは、ちょうど山下家の長女の出産と重なり、プロモーションをほとんどやらなかったためでしょう。と、いうか、結婚後は他のシンガーへの曲提供は行っていたものの、自身の活動は皆無で、「記念に出してみた」というようなノリだったともいわれています。

しかし、松原みきの記事で取り上げたRainychさんをはじめとするシンガー系YouTuberも、「Plastic Love」を取り上げ、海外でもこの曲がバズるようになってきたのです。

竹内まりや自身は山下との結婚前にアメリカ録音でTOTOらと共演などをしていたのですが、この時期本気でアメリカ進出などする日本人はいなかったわけです。それは、松原みきの「真夜中のドア」にも通じることなんですが、40年くらい埋もれていた日本のニューミュージック~J POPという流れをYouTubeを介して、それが違法アップロードであろうとも世界に受け入れられたということなんじゃないでしょうか。

実際、松原みきや竹内まりやの映像には海外からものすごい数のコメントがついております。ふたりとも日本語で歌っていて(一部英語訳もあるみたいですが)ほぼ日本語を理解しない人たちには何が何だかわからないはずなのに。これは、我々が洋楽を聴くのと同じことなんでしょうかね。サウンドとヴォーカルの重なり具合が言葉を超えて気持ちいいという。

 

続いての曲は1992年のシングル「家に帰ろう(マイ・スウィート・ホーム)」(作詞作曲:竹内まりや 編曲:山下達郎)でした。

竹内まりやは1985年に長女を出産してからは家事と育児に追われていたものの、職業作家として曲提供を行うとともに、アルバム・シングルをぽつぽつとリリースし続けます。山下達郎曰く「シンガーソング専業主婦(または兼業主婦)」とのことです。

以上2曲を聴いてお判りと思いますが、全面的に山下達郎がバックアップしており、かなりのクオリティです。そこに目を付けたのがマスメディアでして、ほとんどのシングルにタイアップが付くのです。シングルとしては1998年の「カムフラージュ」と2020年の「いのちの歌(スペシャルヴァージョン)」の2曲がオリコン1位となっていますが、山下との結婚後にリリースした5枚のオリジナルアルバムはすべて1位。公式ベスト及びカバーアルバム4枚も1位ということで、山下以上に売れるどころか、J POPのクイーン、松任谷由実にも迫る勢いです。と、いうか対等といっていいでしょう。

子育ても一段落した2000年に竹内まりやは18年ぶりとなるライヴに登場しました。これはワタクシも見に行きましたが、素晴らしかったです。ライヴでもまったくオリジナル音源のクオリティを維持しているんです。これなら、いつでもライヴに復帰しても大丈夫だという気がしましたが、竹内まりや自身は相変わらず以前と同じペースで作品をたまにリリースする程度なんです。でも、いずれもヒット確実ですもんね。

これについては、夫の山下自身のリリースとかつての作品のリマスター、そして竹内まりやのプロデュースとかつての作品のリマスター等に関わるため、曲がある程度たまらないとアルバムもリリースできないことに起因しているでしょう。

Takeuchimariya1

今や、出す作品は確実に売れるし、クオリティもいうことなしなんですが、残念なのが結婚前の作品についてサブスクが許可されてないことでしょうか。

デビューの1978年からしばらくはテレビにも生出演し、歌謡番組で歌うということもありました。そればかりか、芸能人運動会にも出場したことがあったほどです。

別にそれを期待しているわけではないのですが、デビュー直後は竹内まりや自身が作った曲はアルバム中せいぜい3曲程度で、シングルには全く使われていません。まあ、それほど期待度の高い作家とは思われていなかったともいえます。

ですが、他人からの提供曲であってもいい味を出している作品はアルバム中にも多数あります。惜しむらくはシングルになっていないので、テレビでは流れていなかったりします。

独身時代のシングルで最も売れた曲は1980年の「不思議なピーチパイ」(作詞:安井かずみ 作曲:加藤和彦 編曲:加藤和彦・清水信之)の3位が最高です。この曲は資生堂の春のキャンペーンソングで、売れて当然。

サブスクになってないのでリンクだけでご紹介しましょう。

「September」(1980Live Version)

こちらは、1979年の3枚目のシングルです(作詞:松本隆 作曲:林哲司 編曲:林哲司)。デビューシングルとセカンドシングルはタイアップが付いたのですが、こちらは何もなし。オリコンチャートでは39位に沈んでます。

この曲が収録されたサードアルバム『Love Songs』はその頃ようやくアルバイトで金を貯め、やや本格的なコンポーネントステレオを購入できたので、邦楽のアルバムとして初めて購入したという思い出があるんです。

学校の新入生顔合わせでも、この曲を歌った女子がいたし。

林哲司氏が本格的に売れる前に書いた曲です。それは「真夜中のドア」にもいえることですが。杏里や菊池桃子、オメガトライブなどで売れっ子になる前の作品。それは自身の才能を出し切った渾身の2曲なのではと思います。

竹内まりやも今では貫禄ついちゃってますが、このころはピチピチ。それにしても細いですよね。歌謡番組(化粧がひどくてえらく老けて見える)ではなく、どこかのライヴを流したものなので、等身大の25歳ということですね。

まあ、プロモーションビデオもない時代なので無理かもしれませんが、RCA時代のサブスクも音源だけでいいので流してほしいですね。

★引き続きリクエスト、ご意見、ご要望受け付けております。いいねとコメントもお待ちしております。

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